この投稿に、艦娘を貶める意図は一切ありません。
ですので、本文中に”誰”の発話か明示していない会話文がありますが、
可能な限り、”誰だとも”想像しないで下さい。
筆者も本投稿以降、”誰だった”と明示、あるいは仄めかすことは一切致しません。
ただ、気の迷いで過ちを犯してしまった”誰か”であると、
それだけに留めて頂きたく思います。
よろしくお願い致します。
葬儀の会場に着くと、そこに艦娘―――――私のように礼服には着替えていない―――――が数十人。
そしてその両脇を固めるように、それぞれ通路を挟んで、階級の高そうな人、あるいは高くなっていきそうな士官がずらりと座っていた。
皆が座る椅子は、黒いということ以外とりわけ特徴のないパイプ椅子。
その側で整列している儀仗隊は……どうやら、普通の儀仗隊。
女性軍人のみで構成されている、というのはなかなかに珍しく思われる。やはり艦娘が“女性型”だから―――――艦娘は謎の存在、それがたまたま女性の姿をとっているだけというのが世間の共通認識だ―――――だろうか。
ともかく艦娘を借り出して艤装で弔砲を撃たせる、というものではないらしかった。
まぁそこまでやると大げさが過ぎる。それに報道がいるわけでもないから、アピールの必要性がないからだろう。
というか、報道がいるほうがコトだろう。こんな大惨事には……。
少し目線を逸した先には……音楽隊もいる。そちらはまぁ、別に男女比は……恣意的っぽい偏りはない。つまり普通に男が多い。吹奏楽楽器を構えた数十人が、直立不動で今か今かと出番を待っている。ほんの何曲かのため―――――国歌とかのことだ―――――にわざわざ冬の海近くに駆り出されるのは、まぁ……いつもご苦労さまです、としか。
……とまぁ、軍葬自体は慣れていないわけではない。普通の海兵だったころにはしばしば出ていたから。ただ艦娘の葬儀というのは、私が艦娘として新人ということもあって、当然はじめてのことだった。思ったより普通だな、と感じている。
人の集まり、その向こうは祭壇が見える。ただ、“祭壇”で呼び方が合っているかは分からない。
そこにおびただしい数と言っても差し支えない花が手向けられていて、それに紛れるように―――――いや、この葬儀の主役なのだから紛れるんじゃあやり過ぎじゃないか―――――遺影がいくつも並んでいる。
数は……十。覚悟はしていた。都合、艦隊二つ分がほぼ皆殺しにされた……ことになる。
その顔ぶれは、……まだ艦娘の名前をよく知らないから、ピンと来ない。
……啜り泣きが聞こえてくる。数人ではきかない、数十人くらいの……こらえた泣き声の重なり。
秋雲……の顔は、どれなのかは分からなかった。けれど、あの中にいるんだろう。
私と先生は足早に、着席している集団に近づいていく。
少し身を低くしながら、列の埋まっていない右側から入って席に着いた。先生が先に歩いていたから当然先生が左側、私は右側だ。
前と左の詰まり具合に反して、私は右と後ろがスカスカした感じだ。……当然だけれど、居心地は良くない。ただ、嫌われ者の”島風”としては、多分却ってこの方がいいのだろうと思う。私みたいなのがド真ん中に放り込まれてみろ、という話。きっと今以上に針の筵だったろう。左に先生がいるというのも、今の私には……少し気が楽だ。まだ話せる人だから。
「……なんであんたも着替えてるのよ」
「いいじゃない、たまには。こういう日よ」
左隣で、先生と……霞が話している。
流石にこの場だ、声はひそめているけれど……刺々しさはまるで衰えない。
これは”その人”の性なのだろうか、”霞”の性なのだろうか?
彼女を知らないし、彼女以外の”霞”も知らないから、それは全く分からない。
「そこの、”のろまなウサギ”に付き合ってやってたわけ?……ハ、おやさしいこと」
霞は、多分わざと私に聞こえるよう、7音の貶しを吐き捨てつつ先生に食って掛かった。本当に気性の荒い人だ。
……私は、こういう人は心底苦手だ。
人物像は……、
勝ち気で、
勇ましくて、
多分思慮もそれなり、
気心知れば情に篤く、
……しかしながら口悪しというところだろう。
私はその”気心知れば”を乗り越えられそうにない。
一方、常にどこ吹く風の先生―――――私はこちらの方がまだ好ましい――――――は、
「誰にでも分かる事実を言い当てて、楽しい?」
「ッ―――――、ちっ」
喧嘩を売ってきた相手に、目線も合わせずにこの手慣れた返しだ。世にも稀に見るほどドギツイ舌打ち、それにも涼しい顔。
……皮肉を完全に無視して額面通り受け取ってやる。
ついでに、こんな言いがかりを付けるナンセンスさも相手に思い知らせる、というところだろうか?
言い回しが酷薄に過ぎると感じたけれど、少し怒っているのかもしれない。
でも、口を挟みたいのは……そこは私の弁護まで手を回してくれるところじゃないの?
……と思って、自分がそう言える立場にないことを改めて確認する。
たしかに、私は足が速い。でもそれだけで、他はダメだ。
頭も良くはないし、協調性の面でも今回の遠征で問題が露呈。
特に同じ遠征隊としてその割を食った彼女、霞は私に対する不信感を募らせていることだろう。
……それだけなら、まだいい。それは謂われある、紛れもない私の欠点だ。
治そうと気を払うだけでいい。後ろめたさも付き合える。いずれ直していけばいい。いや、なるべく早く……。
「これで全員か」
いつもの通りうじうじ考えている時、後ろから男性の―――――多分、テノールと言えば良いんだろう―――――声。それに肩が跳ねて、恐る恐る、左肩越しに振り返る。
「……提督」
そこには、”あんまりまだ見慣れていないバージョン”の提督がいた。
特に格好そのものは変わらないけれど……眼鏡がない。
「私と島風で最後、これで全員かと」
隣の先生が、右肩越しに振り返りつつ、低い声で提督に答えてくれた。
それに提督は、そうか、と前置き、
「では始めさせる」
そう言って、仮面のような無表情で去っていった。そのまま着席している士官の左脇を通って、自分の席へと戻る。
……彼という人は、不気味そのものだ。慣れない私だからそう感じるのだろうか。
親しみやすい時もあれば、冷酷なときもある。あるいはひたすらにふざけていたり。
今はそのどれとも違う。
人間ではないような、そう、ロボットのように無機質。
……今回のこの惨状にも、どこ吹く風どころか、完璧に冷静だ。
彼から―――――”今の彼”というのが正しいのか?―――――情緒というものの発露は、全く感じられない。
私が空恐ろしさに肩を縮こまらせていると、
『これより、戦没艦娘十名の葬儀を執り行います』
提督の声だ。マイクを通した声。
それに従い、再び啜り泣きが波のように盛り上がり、そして全員が立ち上がり終わると、少し凪いだように微かになる。
『全員、ご起立願います。前奏に引き続き、ご唱和ください。国歌斉唱』
その言葉に一息分の空白が続き、国歌の一フレーズ目を音楽隊が演奏。
しかしここが野外で風も吹き晒すせいか、生音なのにやけにロー・ファイに聞こえて……どこか物悲しい。
そして斉唱が始まる。私も口を開いた。
……士官達のほぼ男声に、艦娘達の女声。
やはり、響くこともなく風に流されて、まるで煙のように消えていくような。
……いつもどおりの軍葬で慣れている。今日はただ寒い日だったというだけで、何も代わり映えしない。
斉唱が終わると、嗚咽がまた押し寄せた。
『着席下さい』
パイプ椅子の軋みと服と座面・背もたれの擦れる音が幾重にも重なり、それなりの騒音になった。厳粛な場にふさわしい、そういう音ではあるけれど。
『――――――――戦没艦娘の名簿を読み上げます』
名簿か。その中には実際に、『駆逐艦 夕雲型 秋雲』と名前があるはずだ。
……いや、”秋雲”は本当に夕雲型だったっけ?それとも、陽炎型?
まぁいい、今から読み上げられることだと納得し、私は努めて耳を澄ます。
『戦艦艦娘、金剛型、金剛』
金剛。……多分、茶髪のあの人だろうか。
この人は騒がしかった気がする。周りがそうなのもあるけれど、本人も喧しかった。
仲間に囲まれることも多かったはずだ。
この鎮守府のボス格……だったのだろうか。嗚咽も一層高くなるばかりだ。
『軽巡洋艦艦娘、川内型、川内』
川内。この人は……よくわからない。けれど、姉妹艦の他二人を知っているから消去法でわかった。
周りの様子は……金剛の名前を聞いて感極まったのがそのまま続いている。
『軽巡洋艦艦娘、川内型、神通』
神通。川内とは姉妹艦か。この人は分かる。
……ごく短い間、二三日だったけれど、着任直後の訓練で世話を焼いてくれた人だった。
温和そうに見えて厳し目な人、という印象だった。
『軽巡洋艦艦娘、川内型、那珂』
那珂。一人称が”那珂ちゃん”で、食堂でやけに騒がしかったのを覚えている。
そして、それと似たような格好、顔立ちなのが川内、神通。姉妹艦だ。1シリーズ分の艦娘がまとめて戦死したということだ。……あまりに、むごい。
『軽巡洋艦艦娘、長良型、五十鈴』
五十鈴。この人は……会った覚えがない。すれ違うくらいはしているのかも。写真のどれなのかは……また消去法だけど、駆逐艦っぽくなく、かつ川内型ではない……から、黒髪でツインテールの人か。やっぱり覚えがない。
『駆逐艦艦娘、白露型、夕立』
夕立。彼女もまぁ目立つといえば目立っていたか。同じ寮に住んでいるから、すれ違ったことがある。会釈程度の付き合いだ。食堂とか賑やかなところでは……”ぽい”が語尾に付く独特の話し方をしていたっけ。
『駆逐艦艦娘、朝潮型、朝潮』
朝潮。……私の二つ隣りにいる、霞の姉妹艦。長姉にあたる。霞は嗚咽を噛み殺そうとしているけれど、それでも悲痛な呻きが漏れている。多分、彼女が朝潮の同居人だったんだろう。
私はこの人については本当に何も知らない。少なくとも、喫煙者ではないということくらいしか。
すれ違う程度だったし。ただ律儀に会釈はしてくれたはず。挨拶の声を交わすことは、ついになかったけれど。
『駆逐艦艦娘、陽炎型、不知火』
不知火。目つきがキツい駆逐艦娘だから、印象に残っている。喫煙所の常連だった。そして制服は私の憧れ。記憶の中では、常に折り目正しく厳格……と言った人物。可愛げとか、愛想とかは無かった。知る人ぞ知る内面があったのかもしれない。最早私は知ることが出来ないけれど。
『駆逐艦艦娘、陽炎型、秋雲』
そして、件の秋雲。あとは二択だったから、どれが秋雲の顔かは分かる。陽炎型と夕雲型が曖昧な彼女だけれど、実際は陽炎型。でも制服は夕雲型だ。薄めの茶髪と……よく見れば、泣きボクロがある。
『駆逐艦艦娘、夕雲型、夕雲』
最後に夕雲。私の元同居人。そして、嫌煙者。お香好き。
……私を、一応追い出さないでくれた人。
何も知ることが出来なかった人。
知り合うことのないままに”さよなら”をしてしまった人。
……全員の名前が読み上げられ終わった。
やはり”秋雲”は陽炎型だった……いや、そんなことに感心するなんて、葬式にふさわしい心情なんかじゃあない。
……儀仗隊が前に出てくる。
号令が掛かる。それによどみなく、ビシッと所作が為されていく。
……本当に情けない話なんだけれど、私はこの号令が何を言っているか聞き取れない。
一兵卒だったころの私には、儀仗隊のお役目は回ってこなかった。一度も。
基本的には男子の仕事、ということもあるだろう。
このように艦娘の葬儀の儀仗隊は特別に女性のみで編成、ということであっても、私にはついに回ってこなかった。
それにしても、今回は女性が号令しているから、いつもよりは聞き取りやすいはず、なんだけど……風のせいだろうか。しかも声が裏返るほどに張り上げられているのもあるだろう。アレだ、剣道とかの試合で……奇声を上げながら打ち掛かるというか、そういうのに似ている気がする。
『拝礼を行います。起立、脱帽を願います』
起立を命じられたので立つ。帽子も取って、前に持つ。
『拝礼、及び黙祷』
楽器隊が追悼の旋律を鳴らす。曲名は……分からない。
とりあえず、頭を垂れて黙祷する。
『拝礼を終わります』
それを聞いて、頭を上げる。帽子はまだだ。
『戦没艦娘に追悼の意を表し、弔銃を行います』
続く、その提督のアナウンスに続いて、
「弔銃用意!」
この号令は流石に聞き取れた。それに少し間を空けて、
「撃てェ!」
一発。
それを合図に楽器隊が勇ましい音楽を鳴らし始める。確か、『命を捨てて』……だったっけ?
式典の決まりごとはあまり具体的には知らない。軍歌にもさほど親しむ気が無いし。
「用ゥ意、撃てェ!」
二発。
「用ゥ意―――――撃てェぃ!」
三発。
『ご着席願います』
また提督の声だ。
それに従ってまた着席。
儀仗隊は、号令に従って引っ込んでいった。……私の右側を通るのが見えた。
……皆、年若い女の子だった。
変な勘ぐりだと思うけれど……彼女たちはもしかすると、艦娘への改造候補なのかもしれない。
何も知らないだろう彼女達は……どう思っているのだろう。私達のことを。
私も改造のお声を蹴っていた―――――そのつもりは全くなかったけれど―――――ならば、あの場にいたのかもしれない。
……また演奏が始まった。
『軍艦マーチ』だ。……ぴったりすぎて、嫌味なほどだ。本当に。
私達は人型の軍艦だから。人じゃない。
そして『軍艦』に繋いで『海ゆかば』。マーチとして一緒に演奏するのが慣例、というか定形。
これは知っていた。有名な曲だし、親しみ深いメロディだ。
でもやっぱり、こんな寒々しいところで楽しげな旋律が鳴っても、なんだかなぁ、と思う。
……無駄に考えにふけるのは、私の悪い癖だ。そう分かっていてもやめられない。
やっぱり、考えてしまう。うつむいて。寝ているようには見られたくないけれど。やめられない。
これは、仲間を悼む式典だ。そして不謹慎かもしれないけれど……私は、”明日は我が身”と思った。
沈んだ仲間を哀れに思う。”お悔やみ申し上げる”程度なら、できる。
けれどそれらと同じくらい、私は……死にたくないと、情けないことにそう思ってしまった。
でも軍人なんて、結局は”誰かの代わりに死ぬ”のが仕事だ。”誰かの代わりに殺す”のもあった。
その点、今の時代は半分ほど幸いなのか、それとも不幸なのだろうか。
今日において、”人間同士の紛争”はほぼ全て収拾されている。
深海棲艦の登場から間もなく、人殺しの戦争はやむなしと閉幕したのだ。
まぁ、戦争が生き物であるということをある程度知っているつもりの私からすると、そう簡単に戦争が終わるっていうのか、と思わなくもなかった。けれど、大国がひたすら介入して回ったらしい。アメリカ、ロシアも軍事的緊張を解いて、半ば自分たちがけしかけただろう小国らを全力で止めに入った。
……今や世界の覇は競う場ではなくなった。各国がなすべきは、世界への奉仕だ。
深海棲艦という脅威から、世界を守護していくこと。
しかし、いや……どうだろう。とっくに、”この戦争が終わること”を視野に入れた駆け引きが始まっているのかもしれない。多分……戦後にイニシアチブ、”ナプキンを取る”―――――私はこの言い回しが好きだ―――――のは、”この世界を守るのに最も貢献した国”だ。となると、現在はこの日本が深海棲艦との戦いを主導しているわけで、終戦すれば戦勝国となる……?
……ちょっと待った。この日本は独力でこの戦争を戦っているわけではない。世界各国からの人員・資金・技術提供を受け、その力でこの戦争の大部分を”代行”しているに過ぎないのだ。
この日本は深海棲艦出現と時を同じくし、隣国からの侵略―――――多分、”あちら側の陣営”が強引に自分達側にこの国を組み込もうとした?でも強引が過ぎる―――――を受け、在日米軍と協働して反撃。勝利して講話、賠償金を勝ち取った。
ちなみにこの戦争は、”不幸な行き違いによる悲劇だった”と総括されている。全く笑えない。
この、半年と少しの戦争の中の生活は無性になにか怖くて―――――結局東京に戦火が及ばなかったとしても―――――、受験勉強に身が入らなかったのを覚えている。
そして……大学に落ちたから、もっと笑えない。
それからしばらくして、艦娘の”誰か”―――――未だに”誰”だったのかは発表されていない―――――が艦娘代表として緊急の国連総会に出席した。
そこで”渡米の過程においての太平洋航路の一部回復”という、デモンストレーションとしてはあまりに暴力的な功績を引っさげて交渉―――――いや、もうその余地などなかっただろう―――――を行い、全世界から対深海棲艦の戦争を委任されたのである。
そのバックアップを行うのが、この日本。その海軍だ。……という建前。実際はバックアップ役じゃなく、主体そのもの。
これ以降、艦娘の本拠地である日本には莫大なカネや資源が流れ込んでいる。
戦災からの復興は猛スピードで進み、むしろ豊かになりつつあるほど。
……ただ、貧困層などへの福祉にまで完全に手が回っているかと言われると、ノーだと思う。
防衛費があまりに重すぎるか、あるいは提供された資金は“そこ”に回せと決められているのかもしれない。
一応先進国であるこの国、そこのスラムやら何やらのためだけにカネを注いでくれるほど、世界は甘くないのか……。
とまぁ、そういう話なら……最終的にこの日本主導で戦争を終結まで持ち込んだところで、今度はこの国にどれだけの助けをもたらしたか……そこで国の度量が測られ、最高位につけた国が”ナプキンを取る”……のか?
だとすれば、今のこの国の立場はまさに”神輿”。
神輿の担ぎ手として優れたものが世界に発言力を強く持つ、と。
日本が神輿でしか無いなら……この戦争自体、まるでお祭りのようだ。
笑えないを通り越して苦笑いになりそう。
と……ここまで考えたは良いものの、残念ながら私は政治がさっぱり分からない。
もっと複雑な思惑が働いているに違いないのに。
つまり、私はここまでややこしく考えて、多分答えはハズしている……のだろう。
ともかく。
今や軍人の仕事は、ただ”深海棲艦と戦うこと”だ。
各国の陸軍は冷や飯を食っているはず。
……あるいは、深海棲艦の地上侵攻に備えて営々と備えを進めているか、だ。
私は多分前者だと思う。だって、この国はそうだなと感じるから。
そう考えると……行くなら陸軍にしてくれ、という両親の意向を蹴飛ばしてよかったと思える。
世間体だって良い。
他にも、陸軍から海軍に引き抜かれる士官も少なくない……という話も聞いた。これは私が一兵卒だった頃に聞いた噂だけれど、事実だろう。実際、この舞鶴の提督は陸軍出身らしい。肩書は、陸軍大学校主席とのこと。まだ20代だけれど大佐の地位にある。極めて優秀だ。……人間性に関しては、いかがかと思うところがあるのだけれど。”人が変わりすぎる”から。
「島風」
「え」
「……考え事?」
自分の世界から帰って来て、その声に顔を向ける。
左を、そしてそこに制服の腕があったから、ちょっと上を向いた。
先生は立っていた。
「……ごめん」
「別に謝らなくていいわよ。物思いに耽ることなんて、こんな時だもの……あって然るべきよ」
……先生が思っているようなのとは違う、とは言えなかった。
ともかく、私もつられて―――――と言うには遅すぎるか―――――立ち上がって、先生と肩を並べる。
少し周りを見回すと、士官の群れはいなくなっていた。
代わりに、艦娘達が続々と立ち上がって、祭壇の前に向かっている。
「これは……」
「聞こえなかった?……提督が、艦娘の皆にって……手を合わせる時間を作ってくれたの。行きましょう」
「うん……」
霞はもう立ち上がって、祭壇の方に向かっていた。先生が列の左へ歩くのに付いていく。
そうして椅子の並びから抜け出て、祭壇へと歩いていく。
……私は、誰に手を合わせればいいのだろう。
馬鹿か、私は。
まず同居人に手を合わせるべきに決まっている。短い付き合いだった、同居人に。
遺影の並びの、下段、左から二番目に夕雲の顔があった。
その前に向かって歩く。先生はその隣、一番左の秋雲の前に。
夕雲の遺影の真ん前に行くにはちょっと人が混み合いすぎていたから、少し手前で頭を下げて、手を合わせた。
……私は、本当に薄情者だ。本当に。
仮にも一緒に暮らしていたのに。涙の、一つくらい、出てもいいはずなのに。
私は、本当に”お悔やみ申し上げる”くらいしか出来ないっていうのか。
そうしていると、
「……何よ、その格好」
誰の声かは分からない。
「こんな時だけいい子ぶって……」
……私のこと?
「またあなたが」
……頭を垂れたまま、振り返れない。
「―――――――代わりに死ねばよかったのに」
背中を突き刺されたような、
「っ―――――――」
……刺さっていない。
何も刺さってなんかいない。
でも、
私の胸が、穴が空いたように、冷たい。
代わりに私の目は熱くなって、ああ、泣くのか、私。
こんな、”死ね”と言われたくらいで。
情けない。
本当に、
「ごめん、なさい……」
情けなくて、
膝から、力が抜けていく―――――――
「ごめんなさい……」
崩れていく。
「謝るな」
「……え?」
……うずくまりそうになった私に、誰かが肩を貸した。
熱い体が。……炎のように、熱い。
誰だろうと思って、声の主を覗き込んだ。こんな声、聞いたこと無い。
それは、
「……先、生……?」
「謝るな」
見たこともないような、恐ろしい形相の、先生がそこにいて、
彼女の体から、なによりその左目から、なぜだろう……黒い光か火としか言いようがない、そういうものが漏れ出していた。
「立て」
「へ……」
「っ―――――――立て!」
強引に懐に体を入れられて、私は立たされた。
それから胸ぐらを掴まれて、顔を引き寄せられて、黒い炎が目の前で、
「お前は、自分が死んでいいとか、死んでも思うな……!」
私の知らない先生が、そこにいた。
涙で視界が歪んでいるからだけじゃない。そこには別の人がいた。
そして、私に怒鳴っている。さっきの、海の上で叱ってきたときとは違う人。
何より、熱い。あまりにも。
自らの身を焼くほどの気炎を声にのせて、私を打ち据えた。
自分の力で立てなくなった私を、声の圧力が、魔力が、立ったままに固めていく。
彼女は私に言葉の魔法が掛かったのを見届けると、視線を外した。
そのまま私の視界の、右端に遠ざかっていく。
「出ろ」
地鳴りのような声。
「出て来い」
空気に罅を入れるほどの声。
「誰がこの子に”代わりに死ね”と言った!?―――――出ろ!」
怒りは頂点。
まるで火を焚いているように、この場そのものが熱くなる。
目の端にいる、黒い火が、先生の体が一層強く燃えているのだ。
……イメージじゃない。本当に、私にはそれが見えている……。
私は初めて、こんなにも力ある言葉を目にしている……。
もはや、私の心に刺し傷は感じない。
ただ、この怒りの激しさが……眩しいだけだ。まっすぐ見れないほどに。
そう思っているうちに、炎は残像もなく消えた。次の瞬間には、
地鳴り。
虎のような咆哮。
何かがぶつかる音。
潰れた悲鳴、遠ざかり。
……椅子が十数個倒れた、厭な音。
艦娘達の困惑と悲鳴。
ざわめき。
ざわめき。
ざわめき。
遠くの、ざわめき。
一人、どこか遠い場所にいるみたいに。
●
「島風」
「……え」
……まだ呆けていた。
けれど背中から先生の……普段の声が聞こえて、私に掛かった魔法は解けた。
だからだろうか、振り返るだけなのに……足がもつれて転びそうになる。
まだ自分の足で立てそうにないくらいに、私は……弱りきっていた。
よろけながらようやく先生の方へ向き直ると、
「島風……」
いきなり、抱き寄せられた。
今更だけれど……先生の体は小さいということに、初めて気がついた。
私より、ずっと小さかった。
私の背が少し高めだということを差し引いても、それでもなお小さい……。
立ち上っていた気迫はもう消え失せて、今はむしろ、少し生気が薄れているような気さえする。
怒りを搾り切ったかのように、今は穏やかで……違う、砂漠のような”さびしさ”を感じる。
先生は、少し枯れた声で私の左耳に囁いた。
「いい?……あなたは、何も謝ることなんて無いの。彼女達の死に関して、あなたが負うべき責任なんて何も無い。あるって言ったら、それこそ承知しない……」
私を守るように背中を撫でてくれるのが、とても暖かい。
言葉の刺さった、背中の傷を、慈しむようにさすってくれた。
私はなぜか、
「そしたら、もう一度、怒るの……?」
「いくらでもよ……」
……それを聞いたのは、恐れからじゃなかった。
ただ、どうにも……さびしさを感じてならないのだ。
彼女の、この尊い怒りが……どうしても悲しいものに思えてならない。
何故怒りを燃やすのか。
何故その身を怒りの火に焚べてまで、私なんかを守ってくれたのか。
私は分からなかった……。
私を守る理由が、分からない……。
分からなくて、つらいと……。
申し訳ないと、情けないと、こんなにも……。
「うっ、うぅ……」
本当に、なんで私は泣いているんだろう。
泣くなと思っても、この温もりがそうさせてくれない。
「泣きなさい」
「泣、かな、っい」
強がりを言ってみても、
「泣きなさい……いいから」
もっと強く抱きしめられて、鼓動まで伝えられて―――――もう堪えられなかった。
葬式で泣くのは、自分のためじゃいけない。
ダメなのに、浅ましくも……自分のために泣いている。
私はこの小さな体に縋って、
いつぶりにだろう、赤ん坊のように……泣きわめいた。