寮の部屋に戻ると、なんとも見慣れない光景に出くわした。
「……下姉ちゃん、なに、してるの?」
「……その」
白いパジャマ姿の下姉ちゃん――――――――神通が、上姉ちゃんのベースをかっぱらって行こうとしていた。
私が部屋に入るとそのまま静止状態になった。慌てて落としたりはしないあたり、度胸に鍛えが入っている。
その姿はストラップを左肩にかけて、腕で包むように大事そうにベースを抱えている。
……まぁ、なんでなのかは言わずもがな、である。
「弾きたいんだ」
「……そういうことに、ならなくは、ないでしょうね」
答え方がやけに回りくどいのはともかく、否定はしていない。こんなコソ泥に身をやつすほどに弾きたかったのかと思うと、なかなか涙ぐましいものがある……一方で、なんだか優越感すら湧いてきた。
へぇ、弾きたいんだ。楽器、やりたいんだ。へぇ。
口に出さないものの、なんだか口元は釣り上がって目元は下がっていく。これはアレだ、楽しい事件だ。
と、言うわけで。
「上姉ちゃ――――――――ん!もう夜だよ――――――――!」
「ちょ、あなた何を――――――――」
「……っるさいなまだ昼でしょ、日が高いうちに私を起こすなぁぁぁ目がぁぁあああああああ灰になるぅぅぅぅうう」
三段ベッドのカーテンを開けてドヤしようとしたら、窓のカーテンから漏れ出た光にソッコーで目を焼かれて悶絶。アルビノで光に弱いのと寝起きでダブルコンボだ。死ぬほど辛いだろう。
うちの長姉、随分レスポンスのいいヴァンピィだ。主食は赤ワインどころかハードリカーだけど。……しかし、はっきり言ってここまで反応がいいとは予想外すぎる。カーテンは開けないものだとばかり。そんな思惑はいざ知らず、上姉ちゃんはベッドの上でドッタンバッタンジタバタしている。
「ハルコぉぉぉぉぉおおおてめえ日が落ちたら絶対血祭りにしてやるからなぁあああああああああ」
ベッドのカーテンを閉めて、もう布団に潜り込んだんだろう。ものすごいドスの効いた脅しが布団から漏れた感じに聞こえてくる。というかなりふり構ってないからか私を本名で呼んできた。……コレ、流石にマズいのでは。と、
「ユッコ姉さん本名呼びはダメです!それにまだ昼ですから!寝ててください!」
「……アッコ姉ちゃんも全然自重できてないよね」
「ハルコぉぉおおおてめぇ布団に入れぇええええ複雑バラバラ骨折にして固めて箱詰めしてやるぅうううううう」
ここに誰かいたら姉妹全員の名前が大開帳である。
まぁ、私が下姉ちゃんを本名で呼んだのは意趣返しだったんだけど。誰も聞いてない前提の。
●
さて。
私の人間としての名前は、ハルコという。
漢字で書いて、水川晴子。芸名はハルコ・ミズカワ。ハルコミと略されることもある。私の預かり知らぬところで生まれた、アンオフィシャルの渾名だ。ちなみにハルーコ・ミズカワンテと名乗ったことはまだない。ピエール水川の予定も当面ない。
しかし、実に地味な字面である。小学2年生、下手すると1年生で書ける程度に地味。
本当は春生まれだから”春子”になるはずだったらしいんだけど、安直すぎるからって両親の間でセルフボツ、それで読み方はそのまま、漢字を変えて”晴子”というわけだ。
上姉ちゃんはユッコ。正しくはユキコ。こちらは漢字で書くと雪子だ。
生まれながらの白い容姿がそのまま名前に受け継がれている。安直すぎる。昔は雪女と呼ばれていた時期もあったかな。しかも”二中の雪女”みたいなノリで、いわゆる札付きである。ワルのオリンピックに出たら多分ハンデが必要だ。勿論上姉ちゃんを抑えるために。
高校は日中を避けて定時制高校に通っていたんだけれど、卒業を目前に「やっぱあたしも軍人の家系なんだな」と何故か一念発起。財力に任せ、膨大な量の高級日焼け止めを頼みにして軍大学へ行った。下姉ちゃんと一緒にだ。訓練とか座学とかは当然主に日中にやるわけで、それが文字通り死ぬほど辛かったらしい。でもなんだかんだで卒業できたし、そしたら妙なところでコネを使って、最初からいきなり夜間勤務に入った。だからあの人は学校より職場の方が楽しいという稀有な人種である。文字通り稀有な生まれだけれど、それに輪をかけて稀有な経歴の持ち主だ。
下姉ちゃんはアッコ。こっちも渾名で、正しくはアキコだ。漢字で書いて暁子。こっちはなぜか難しい漢字だ。
由来と言うか、経緯は確か……お母さんは2回目のお産だってのに、なぜかやたらに難産で、結局夜明け前に出産が終わったのだ。
それでようやく気が緩んで、思わず外の空気を浴びに行ったお父さんは、まさに暁を見たわけである。
それで暁子だ。うん、間違いない。そういう話だったな。
……本当にウチの両親は安直なネーミングが好きだと思うけれど、如何なものかと思う。
それで反省したのか私の時は一捻りだけ入れたんだろう。反省の度合いが甘いでしょソレ。
それで、言い方はひどいけれど、私を最後に子供は打ち止めになった。もう少し経ったら男の子を生みたい、と思っていたらしいんだけれど、年齢的にちょっときつかったそうな。
そういうことで、我が家の命運は誰かが婿を取らなければ潰えることとなる。まぁ、水川は一族を形成する程度には一族だし、別にどこが本家というわけでもないから、そうでもないのか。それに男児が生まれても嫁がいなきゃいけないのだから変わらない。従兄弟連中、全員軍人だけど揃いも揃って未婚だし。
まぁ、順当に行けば下姉ちゃんが一流大学に行って、そこで釣り合う男を引っ掛けて……となるはずだったんだけれど、私を除いて姉妹2人が軍大学へ行って軍人になってしまったのである。で、末妹はこの体たらく。下手しなくても一族の恥。
そんなだから全員、婚期を逃す可能性、非常に大である。
例え一般的な進路を行ったとしてもだ、上姉ちゃんはヤンチャだし、下姉ちゃんはやたら自分にも他人にも厳しいし、私は人間性能的にアレ。釣り合うどころか付き合いきれる男性が稀有である。そしてそんな男がいようものなら私達の間で取り合いになるだろう。
ターミネーター姉妹による骨肉の争い、そんなものは見たくない。映画化したら間違いなくB級だし。
……と、まぁ。三姉妹ってこういう荒っぽい輩ばっかりだっけ?昔見たアニメだと、なんだかゆるゆるのふわふわで、あと二期が黒歴史になっていたような……。
●
ともかく、
「……持っていきたけりゃ持ってけばいいじゃん。姉妹同士で気兼ねなんてしなくていいしさ。黙ってでも、声かけてでも別に構わないんだし」
「でしょう。……面白がって姉さんを無理やり起こしたあたり、あなたやっぱり愚かですね」
なんで私だけ正座で一番怒られているんだろう。
いや、まぁ、そうか。うん。状況を面白がった私が一番悪かった。確かに。
私がバカだ。
「反省します……」
今日はいろいろと怒られる日らしい。多分あともう一回は怒られるんじゃなかろうか。
そう思いつつも深い反省の意を示すべく、畳の上からベッドの3段目とその前に座る鬼に、慎ましく土下座。
それを見れた片方は気が収まったらしいけれど、それを見れないもう片方はまだご立腹だ。
安眠妨害に加えて殺人未遂まで付けられそうな勢いで、
「おい、このバカヤロー。よく聞けぇ、二度と私を日の出てるうちに起こすな」
布団とカーテン、二重のオブラートに包んでもなお刺さる声で、私を責め立てた。続きに”でないと殺すぞ”が隠れているのは明白。札付きのワル、”雪女”の面目躍如である。
そんな彼女は見てない、見えないと知っていながら私はもう一度、ははぁーと土下座。……もしかすると下姉ちゃんが取りなしてくれるかもしれないから。
と、そんな思惑は見透かされていたらしく、
「私からの温情は期待しないように」
いきなりストレートに釘を刺しに来た。いやもうこれ直撃でしょ。五寸釘で心臓一発、トドメじゃん。誰も止めてくれないじゃん。私の針の筵は続行らしい。これからついでに石も乗っかるんだろうか。乗るだろうな、確実に。それも立派な庭石サイズが。殺す気だ。となったら、モノで釣るしかない。モノで石を釣り上げてついでに私も針の筵から上昇させてほしい。
と、なると何がいいんだろうか。
大吟醸?バカ言えやい、どーせお父さん経由で届くからお父さん持ちじゃない。
それじゃあ……、アレだ。
「その、楽器を……私の自腹でプレゼントしますから……」
む、という感じの目線が私に。興味が湧いたのだろうと思うけれど怒ったままだから視線でぶった斬られてる感覚だ。目の流れからしてズバリと首を飛ばすコースである。そうして鋭いままに舐めあげるように私の目へと。
「……まぁ、いいでしょう。私の自由に出来る楽器があるのは望むところです。何より姉さんに気兼ねしなくて良くなりますし」
「最初から気兼ねなんていいんだよあんたはさ。……まぁいいや。ハルコ、いいの見繕え」
「ははぁ――――――――」
「良いのをね。……”伝説の某”とか言って丸め込むむようなら血祭り」
「……めっそうもございません」
いや、最初からそんなので丸め込めるとは思ってない。いくらロック系の楽器に疎くても、音の善し悪しに関しては騙せないだろう。今回お望みはどうやらエレクトリックな楽器らしいし……。
と、なるとだ。下姉ちゃんのお好みとは、なんぞや、という話になる。
まず大前提として安い楽器は論外。エントリーモデルだから、で通用するものではない。もはや予想もなにもなく、確信と言っていいけれど、下姉ちゃんもどうせ天才である。半端なスペックではすぐに腕が楽器のレベルを越えてしまう。じゃあ、どうするかって?
もう最初からハイエンドを差し出すしかあるまい。それは覚悟しなくちゃ。
というわけで、
「……下姉ちゃん、何が弾きたい?」
「……グランドピアノ―――――――」
ちょっと待った、と言おうとしたところで、
「エレキギターだよね」
唐突に上姉ちゃんが口を挟んだ。布団からは顔を出したのか、膜が一枚減った感じの声だ。
それに下姉ちゃん、少し固まる。
続けて、
「そもそもさぁ、なんで私のベースに興味持ったのさ」
「……」
「6弦だからでしょ」
「……」
「チューニング違うよ」
「……何が言いたいんですか」
だんだん追い込まれているのが分かる。私にも明確に分かる。こんな受け答えじゃ誰でも察しが付く。
「昔さ、私が寝てるか夜遊び行ってた時にこっそり弾いてたでしょ」
「……」
否定はもはや肯定にしかならない。かと言って沈黙も利口ではないと思う。まぁこんな状況に追い込まれてる時点で答えは明白なんだけれど。
「あんたさ、私のギター勝手に弾いてたんだよ」
「……」
「やっぱりね。なんか私が触ったときやけにチューニングが合ってないなーって思ってさ」
「……」
「特に3弦。きっちりチューニングするように心がけてたんだけど、ちょっと弾くかーって時に弾くとなんか、明らかにズレてんのさ。しかもちょっと上によ。コレ、多分誰か弾いたなー、それでズレたのは分かったけど直そうとしてちょっと弦巻きすぎたんだろうなーって思うわけ。んで弾くやつに心当たりなんて一人しかいないじゃん。それに当時のあんたはチューナーも知らなかっただろうし」
持論をつらつらと寝起きの気怠いトーンで述べていく上姉ちゃん。それに対して下姉ちゃんは頑なに憮然な態度を崩さない。しかも、
「……この愚かな妹が弾いたのでは?」
私に目線をやって、罪のなすりつけである。彼女らしくない大人気なさである。そして私のことを見下しすぎ。
でもやっぱり、
「ドラムにぞっこんのこのバカが脇目振ると思う?どうよ」
バカ含めて全く同意だったので、私は大きく頷いて、
「私、ギターに興味なかったなぁ」
「でしょ?じゃあ弾いたのはあんただよ、アッコ。諦めな、数年前からバレバレだったんだから今更どうにもならないっての」
「……」
なおも無言を保つけれど、時折体がピクリと震える。あ、コレはヤバイやつだ。けれどそれは彼女も自覚していることで、体の震えに気付いたんだろう。肩の力を抜いて深呼吸した。で、おもむろに私に、
「ギター」
「うん」
思わずそう返事したけど、
「最高級の」
「へ?」
「USA」
「いや、その……最高級の、USA?」
「ストラトキャスター」
確かに、淀みなく、そう言った。
●
それから私は粛々と鬼と吸血鬼の環視の下、楽器通販サイトをスマホで血眼になって探し始めた。
下姉ちゃんからの要求事項はシンプルだった。
中古は排除。
ストラトキャスター。
フェンダーUSA製。
最高級品。
だったらヴィンテージのべらぼうに高いやつは選ばずに済む、なんて思った私はバカだった。
フェンダーと言えばバンドマンの中では一般教養以前の常識。
泣く小僧も黙る超ビッグな楽器メーカーだ。
だけど高いのはヴィンテージとばかり思っていたのだ。みんなこぞって古いものを買い求める、よって釣り上がる。しかも年代だって限定されていて、ただ古いだけでは済まない。~年代の、という指定がつくからタチが悪い。マニアならば本当にピンポイントで年式を指定してくるレベルだ。しかもスペックが要求に合わなきゃ容赦なく選択肢から排除と来る。
……そういう頭の痛い事情とは無縁になる、そう思ったのだ。新品限定ということなら。
しかしそうは問屋が卸さないのが泣く子も黙るビッグなところ。というか中古市場だけで盛り上がるのが嫌だったんだろうか、年式を指定した復刻版なんてのもあるらしいのだ。いや、それならまだマシだろう。問題は、フェンダー社は世界でも指折りの職人を抱えているということで、彼らの名前も看板に付けてしまえるほどのブランド力を持っているのだ。
ここで最高級品というところがヤバい。
つまりそれは、エレキギター総本舗の頂点に君臨する職人の手がけた”作品”なのである。
独立して新ブランドを擁立しても不思議じゃない、そんな超一流の職人が、だ。
それがフェンダー・カスタムショップというグレード、もといブランド。
……私はギターにはとんと疎いから、フェンダーの力の絶大さを知らなかったのだ。
特にグレードの幅広さ、そしてそのてっぺんのヤバさを。
故に究極のギターメーカーであることを。
で、そんなのを素人の下姉ちゃんがなんで知っていたのかって、
「憧れですから」
さよで。
しっかし、調べているとヤバい金額がずらりと並んでいる。目から血が出そうだ。鼻血じゃなくて。
もう本当に目が痛い。6桁目の数字が特に目に悪い。下手すると7桁に手が届く値段のものもあって……もう死にたくなる。
私の貯金は……まぁ、ないわけじゃない。使い所は少ないし、家賃・食費・光熱費は掛からない。その僅かな使い所は日々のタバコ代、それと最近はスティック代だ。ちょっと前にドラムセット・シンバルセット一式で散財はしたけれど、まだそれなりに残っている。
けれど、これはないだろう。
一括だと、一気に底をつくどころか突き破るやつだってある。
そもそも通販のお供、クレジットカードの上限額をやすやすと超えているわけで。
というか私のようなミュージシャンがクレジットカードなんてものを作れたのが奇跡に近いのだ。上限額を上げる?バカ言えやい、20万以上にはテコでも動かない。まあ、今の職業を正直に答えらればそれなりに枠を広げられるだろうけれど……。
しかし本当に辛いのは、ここから私が選ぶということだ。
殺されそうになって屋上に追い詰められて、最終的には自分で好きなスタイルで飛び降りて死ね、みたいな流れである。そう考えると下姉ちゃんはサイコパスになってしまうから、流石にちょっと違うか。
つまり……そうか、なるほどヤクザか。そっちだったか。
鬼にはお似合い……なんて死ぬほどつまらないダジャレが出てくるあたりもう頭がヤバい。乱舞する6桁の数字にかなりやられている。
せめて松竹梅の竹あたりを狙って妥協してもらうしかない。梅で通れば梅で。最高”級”には変わらないのだから。そこで”本当に最高ですか?”なんて変なMCの如く聞き返されたら、多分私は目を逸してしまうだろう。そして本日3度目の大目玉を喰らうわけだ。理不尽である。姉に勝てる妹など存在しなかった。古今東西どこを探しても……いや、いるにはいるだろうな。うん。けれど水川家は姉が絶対強者である。末妹にアドバンテージなどない。
でも、竹、どれ?
私からすれば全部松なんだけれど……。
そうして私がケジメに踏み切れないまま唸っていると、
「そういやさ」
「え?」
「どっか行ってたの?飯食って煙草吸っただけじゃ帰りこんなに遅くならないじゃん。それでアッコ……もうそろそろやめよっか、本名呼びは。……神通が変な気を起こしちゃったわけだしさ」
「変な気……」
カーテン越しに上姉ちゃんが普通の声で話し始めた。鬼の上のランク、神が不機嫌を収めてくださったらしい。それにひとまず安心した。下姉ちゃんの抗議はともかくとして、それで気が緩んで、
「あのさ、事務所からライブやって復帰しろって言われちゃって。うっかり受けちゃったから、それで提督に相談に行ったの」
「は?」
「……は?」
スマホをペチペチ操作していた私だけれど、空気の変化は分かった。
今日は怒られる日だ。つまりそういうことだ。
「おいハルコ、私の布団に入れ」
「死になさい、ゴミムシ」
死ぬほど怒られた。