悪戯リスの冒険   作:龍華樹

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ぷろろーぐ

 

 

 

 

 

東の海(イースト・ブルー)、世界を縦に分割する赤い大陸と、横に分割するグランドラインに挟まれた四つの海の一つ。この時代にあっては非常に稀な、平和な海である。

 

世はまさに大海賊時代。海賊王、ゴールド・ロジャーの処刑の際、彼の放った一言が、世界中の無法者達を海へと駆り立てていた。

しかし、東の海では凶悪な海賊や犯罪者が滅多におらず、世界政府の発行する懸賞金の平均額(アベレージ)も僅か300万ベリー台と、他の海に比べて大幅に低く設定されている。

 

その海を今、一隻の貨客船が航海していた。

 

「よーし!みんな、めいっぱいに帆を張れ!」

 

「「「アイサー、キャプテン!」」」

 

船の名前はサンタフラメンコ号。船荷や乗客を目一杯に乗せて、東の海でも屈指の海運の要衝、ローグタウンを目指して航海を続ける貨客船だった。

既に船齢10年を超え、船も乗組員もこなれて来て、いつも大事なく公開を成功させて来たのだが、今回はゴア王国を出たあたりから運悪く凪ぎに捕まり、予定の期日から大幅に遅れている。

そろそろ焦り始めた頃に、ようやく捕まえた風である。

ここぞとばかりに遅れを取り戻そうと、船長は必死だった。

 

屈強な海の男達が汗水垂らして働く最中、場違いのように小柄な少女が、甲板を走り回っていた。

 

「ジャネット、お前はメインマストを頼む!」

 

「あいよ、キャプテン!」

 

ジャネットと呼ばれた少女は、船長の指示に従ってタックを駆け上り、あっという間にメインマストのセイルを解放してしまう。

 

年の頃は一二、三歳程度。黒髪を真っ赤なバンダナですっぽりと覆い隠し、麻のシャツに赤いビスチェ、ハーレムパンツに革のブーツ、腰にはカトラスを履いている。典型的な船乗りのスタイルだ。

健康的な小麦色に焼けた肌に、目鼻立はくっきりと整っていて、もう何年かすれば頗る付きの美女になる、そんな面立ちをしている。

体つきは細身で小柄、甲板で働く体格のいい男達に比べると、ひとまわりもふたまわりも小さいのだが、袖口でカットされたシャツからのぞく二の腕は引き締まり、革鞭のような筋肉に覆われていた。

その腕力は見た目からは想像できないほど強いようで、大の男が数人掛かりでやっと動かせる筈の帆綱を、たった一人で苦もなく引き締めている。

 

「キャプテン、こっちはオーライだ!」

 

「すまねえ、助かった!まったく大したもんだぜ、おめえさんはよ!どうだ、うちの息子の嫁にならないか?」

 

「あいにくあたしはガキには興味ないんだ!」

 

「じゃあ、俺ならどうだ?」

 

「冗談、あたしゃ面食いなんだよ!」

 

「ギャハハハ、振られたな!」

 

冗談を言い合う船長とジャネットに、いつしか他の船員も加わり、甲板は和気藹々とした雰囲気につつまれている。

 

最初、この少女にローグタウンまで行きたいから船に乗せてくれと、とある波止場で頼まれた時は船長も頭を抱えた。

船賃代わりに何でも働くからと、小柄な少女に言われたところで、当たり前の話だが承伏しかねた。不良少女の家出か、あるいは孤児なのかも知れないが、船に乗せるにゃちと早い、あと五年待て、といくら諭してもいっこうに譲らず、結局なんやかんやと見た目の割に達者な話術に翻弄されて、船に乗せることになってしまった。

 

乗せてしまったものは仕方なく、飯炊きの手伝いか乗客の世話でもさせておこうかと思ったのだが、これが中々船に慣れていて、甲板仕事や船室仕事も手堅くこなし、機転も利き、熟練船乗りさながらの仕事ぶり。船長も思わず舌を巻いた。

それに見た目も愛らしく愛嬌があり、そこにいるだけでも船の雰囲気を和ませてくれる。

今ではサンタフラメンコ号に無くてはならぬ人材であり、どうにかローグタウンについてからも船に残って働かないかと、交渉している最中だ。

 

「よ~しよし、天気晴朗波多高し!気圧平常、温度よし!風は西風、風力よし!これならだいぶ遅れを取り戻せるぞ!」

 

愛用の銀細工の気圧計を確認して、船長は満足げに頷いた。

 

だが、好事魔多し。ふと気を抜いた次の瞬間のことである。

 

「‪四時‬の方角!海賊船だ~~~!!」

 

メインマストの上段にもうけられた見張り台から、悲鳴のような叫び声が上がった。

 

即座に、甲板にいた全員が‪四時‬の方角を振り向くと、今まさに水平線の向こうから、大型のガレオン船が姿を現した所だった。

掲げられている識別旗は海賊のシンボル、ジョーリーロジャー。

髑髏の首に荒縄の巻かれた独特の海賊旗を確認すると、船長の顔から血の気が引いた。

 

「あの首吊り髑髏は、『吊し首のザバン』!捕虜を吊し首にして楽しむ残忍な海賊だァ!」

 

「げええ!!あの懸賞金2100万ベリーの?!」

 

「もうだめだ!おしまいだー!!」

 

船員達はうろたえ、乗客達もパニックに陥った。

 

犯罪者の平均懸賞金額が300万ベリーの東の海で、2000万を超えるとは、ただ事ではない。それだけ懸賞金を発行する海軍が、驚異とみている証だ。

 

「畜生め、やっぱり足はあっちの方がはやい!追いつかれるぞ!!」

 

海賊船というのは、獲物を襲いやすいように武器や火薬、最低限の食料の他は普通は積み荷を積んでいない。逆に貨客船はより多く稼げるように、積み荷や乗客をめいっぱいに乗せるのが普通である。船足の差は歴然だった。

既に甲板にいる人間の顔を、視認できるほどに近づかれている。

 

「シャシャシャシャ!!その船とまれェ!!さもねーとこうしてやるぜ!!」

 

海賊船の甲板に姿を現したのは、黒い無精ひげを生やらかした身の丈10フィートはありそうな太鼓腹の大男。海賊、吊し首のザバンだ。

 

ザバンは太い投げ綱をグルグルふり回すと、サンタフラメンコ号目指して投げ放った。

それは見事に船首の女神像の首にに引っかかり、すさまじい勢いで引き戻された。ベキベキと恐ろしい音を立てて、船首がもぎ取られる衝撃に船全体が軋み、乗客達の悲鳴が木霊する。

 

「ありゃま、接舷されるまで、もう後1マイルってところかな」

 

そんな船内の騒ぎを他所に、ジャネットは冷静そのものの様子で、面白げに近づいてくる海賊船を眺めている。

 

「ひーふーみーの、三十ちょい。まあ、懸賞金額にしちゃあ、普通の海賊船だね」

 

「さ、三十人もいるのか…」

 

これは海賊船の乗組員の数である。これまでの航海で、何故かこの少女が遠く離れた位置にある人の気配を、正確に数えられる特技を持っていることを船長は知っていた。

 

「なあ、キャプテン。このままじゃ、追いつかれてこっちの船になだれ込まれちまう。だからさ、また、あたしが沈めてこようか?」

 

ニッと笑って親指を立てたジャネットに、船長は項垂れ、情けなさに満ち溢れた上目遣いで問いを返す。

 

「・・・頼めるか?」

 

本来なら馬鹿を言うな、と止めるところなのだが、船長は恐る恐るそう言った。

実は、これまでの航海でも、何度か同じことがあったのである。

 

「いいさ、その代わり今夜は一本つけておくれよ!」

 

「わかった、上等の黒ビールを1樽丸ごと開けてやる!」

 

「そいつは豪儀だ!じゃあ、行ってくる!」

 

ジャネットは勢いよく敬礼すると、即座に船縁から海に身を投げ出した。

 

とたんに、居合わせた乗客達から悲鳴が上がった。

 

「キャー!!」

 

「身投げだぞ!!」

 

「ああ、神様、あんな幼い少女が!!」

 

海賊船に襲われれば、うら若い乙女の末路は決まっている。海賊達に散々に嬲られたあげく、無残に殺されるか、売り飛ばされるかのどちらかだ。

 

そんな未来を悲観して海に身を投げ出したのだと、多くのものは勘違いしたのだが、事実は小説より奇なり。

 

ジャネットが飛び込んだあたりの海面に、突如として水柱が吹き上がった。それは海面に白い筋を刻みながら、一目散に海賊船に向かって伸びていく。

 

「まさか泳いでるのか?!!」

 

「いや、走ってるんだ、海面を!!」

 

そう、あろう事かジャネットは恐るべき脚力で、踏めるはずのない水面を踏みしめ、海賊船めがけて駆けていた。

 

「・・・踏み出した片足が沈む前に、水面を蹴り上げてもう片足を繰り出し続けてるそうだ。何もない『空』を踏むよりは、遙かに簡単なんだとよ」

 

船長は何か釈然としない顔で、初めてこれを見せられたときに本人から聞きかじった原理とやらを解説している。普通は最初の一歩で水の中に沈むはずなのだが、そんな常識はあの少女には通用しないらしい。

 

これには甲板にいた一同、あっけにとられた顔をしたが、もっと驚いたのはその非常識に向かってこられた海賊達だ。

 

「船長、お、女の子が走ってきます!!」

 

「見ればわかるわ、馬鹿たれ!!」

 

ザバンは頭の悪い発言をした部下を殴り飛ばした。

 

「大砲よーい!!西瓜みてえに木っ端みじんにしてやれや!!」

 

「アイサー!!」

 

ザバンの一声で、たちまちのうちに無数の砲口が海面のジャネットに向けられた。

 

「撃ち方はじめーーー!!」

 

白い水しぶきを上げて走る少女目がけて、大量の砲弾がばらまかれた。

無数の水柱が立ち上り、ジャネットの周囲を囲む。

 

「そんなもんが当たるか!!」

 

あわや大惨事、と思ったところでジャネットはまさかの大ジャンプ。

その勢いのまま海賊船のメインマストのあたりに跳び蹴りをかますと、一抱えはありそうな太いマストがすっぱりと綺麗に切断されてしまった。

 

「ギャアアアア!!!」

 

運の悪い海賊が何人か倒壊したマストに押しつぶされたが、ジャネットは見事に甲板に降り立った。

 

「ひーふーみーの、やっぱり三十人だね。あんたら、残らずあたしの酒代になってもらうよ!!」

 

小さな胸を張って宣言された一言に、海賊・吊し首のザバンはぶち切れた。

 

「餓鬼が調子にのりやがって!!野郎ども、大人の怖さを教えてやれ!!」

 

「「「うぉーー!!!」」」

 

「かかってきなよ、遊んでやる!」

 

かけ声を上げて、四方八方からピストルやサーベルを振りかざした海賊達が殺到する。

 

ところが、その全てが当たらない。まるで一枚の紙にでもなったように、ジャネットはヒラヒラと攻撃の合間を見事にかいくぐり、一撃も加えられなかった。 おまけに、死角から繰り出された攻撃すら、背後に目があるかのようにかわされてしまう。

逆にジャネットはピストルもカトラスも引き抜かず、拳を鳴らして素手喧嘩(ステゴロ)の構えだ。

蹴って殴って引っぱたいてと、実に楽しそうに海賊達を叩きのめしている。屈強な男達がまるで子供扱いだった。

 

「てめえら、海賊はゴミやカスじゃねえんだぞ!そろいも揃って餓鬼にいいようにやられやがって!!」

 

アッと言うまに子分達はのこらず叩きのめされてしまい、うめき声をあげて倒れ伏している。ザバンは怒り心頭である。

 

「どんなもんだい!2000万ベリーも頂きだよ!」

 

「俺ァ2100万だ!!」

 

懸賞金額にこだわりがあるのか、ザバンは怒鳴り返した。

 

「小娘ぇ、いい気分になるのもここまでよ!喰らえ、ナ・ワ・ナ・ワ・ショ~~~ット!!」

 

ナイフを持ったサバンの右手首から後ろが、まるで縄のようにほどけると、何メートルも伸びてジャネット目がけて飛び出したのである。

 

これには流石のジャネットも目の玉が飛び出るほどに驚いた。

 

「な、なんじゃこりゃ!!」

 

一本の細い縄と化した腕は、空中を縦横無尽に駆け巡り、手首にもったナイフを突き立てようとしてくる。

 

「危ねェ!!」

 

ひょいひょいと身軽にかわし続けるジャネットだが、ナイフだけでなく、縄自体が体に絡みつこうとしてくるので気が抜けない。

 

その様子を、ザバンは溜飲を下げるかのように笑いながら見守っていた。明らかに遊んでいる。

 

「シャシャシャシャ!中々やるな小娘、ならばこれならどうだ!ダブル・ナワナワ・ショ~~ット!!」

 

今度は左腕まで飛んできた。

一本でも厄介だったのがいきなり二本。これでは絡め取られるのは時間の問題だ。

 

「なら、先に本体を叩くまで!!」

 

言うと同時に、姿勢を低く、地を這うかのような体捌き。

飛来する縄をかいくぐり、ジャネットはザバンのドテっ腹に向けて渾身のパンチを繰り出した。

 

「馬鹿め!自ら飛び込んでくるとはな!!」

 

ところがパンチを撃たれた腹のあたりから、今度はザバンの胴体がするりと縄のように解けると、たちまちジャネットの体に絡みついてしまった。

 

「こ、こいつはまさか、悪魔の実の能力!!」

 

「その通りだ!俺様はナワナワの実を食した縄人間!故に、打撃は一切無効!」

 

悪魔の実。

 

それは「海の悪魔の化身」と言われる果実であり、食べた者は海に嫌われて一生カナヅチになることと引き替えに、特殊能力を身に付けることができるとされている。悪魔の実には数多くの種類が存在し、食べた実の種類に応じて様々な力を得るという。

 

「シャシャシャシャ!一丁上がりよ!」

 

「チキショウ!」

 

ジャネットの体はザバンの体から出てきた縄でぐるぐる巻きにとらわれ、甲板に転がされてしまった。

 

すると、縄状に変化していたザバンの体が、ジャネットを拘束している縄はそのままに、実体を取り戻した。どうやら体を縄に代えるだけでなく、縄を生み出したり、操ったりもできるようである。

 

ザバンはジャネットの髪をつかみ上げると、なめ回すように見さだめた。その拍子に、頭部を覆う赤いバンダナが外れ、長い黒髪があらわになる。

 

「やめろっ!バンダナに触れるな!!」

 

「髪が大事か?所詮は女だな 」

 

下卑た笑みを浮かべながら顔を近づけるザバン。酒臭い息がかかり、あまりの不快感にジャネットは思わず顔を背けた。

 

「コンコンニャロのバーロー岬!!曲がりコンパス、昼灯台!!」

 

船乗り独特の下品なスラングに、歴戦の海賊であるザバンも目をむいた。

 

「なんて口汚い餓鬼だ!親の顔が見てみてえぜ!どこぞの淫売が生んだに違いねえ!」

 

「その通りだよ、フニャチン野郎!!」

 

しかし、ここでザバンは考えを巡らせた。

口は悪いが子分達をひとまとめにしたより強い餓鬼だ。それに、よく見ればなかなかの上玉である。

今はまだ乳臭い小娘だが、将来が楽しみだ。自分の女にしてこき使って楽しんだあとは、適当に売っぱらってしまえばいい。

これはなかなか良いアイデアのように思えた。

 

「よし、お前、俺の船に乗せてやる。光栄に思えよ」

 

ザバンは一方的に宣言した。

 

「ふざけんな!」

 

今度はジャネットがブチ切れた。全身を揺るがせ、何とか縄の拘束から抜け出そうと藻搔いたが、縄はますますキツく食い込むばかり。

 

「シャシャシャ!無駄だ無駄だ、俺の縄は一度絡みついた獲物を逃した事は一度もねぇ!」

 

ザバンは上機嫌になって、小生意気な小娘の醜態を嘲笑っている。

 

「なーに、お前も三日三晩ほどマストに括り付けられたら考えが変わるさ。自分から手下にして欲しいと泣き叫ぶまで吊るしてやる」

 

残忍な笑みを浮かべたザバンに、ジャネットは唯一自由になる口から、唾を吐きかけた。

 

「誰が手下になるか、ヒゲ豚野郎が!なめんじゃねえ!」

 

白い唾の塊が酒の飲みすぎて赤く腫れ上がった鼻に付着すると、ザバンは怒りの沸点を唐突に超えた。

短気で粗野、気分屋で気まぐれ。絵に描いたような悪党、それがザバンだった。

既に先ほどの良いアイデアは、頭の中から吹き飛んでいる。

 

「…馬鹿め、殺されやしねえと高をくくりやがったな。命を粗末にしたよ、お前」

 

ザバンが憎しみに満ちた目で睨み付けると、ジャネットの全身に絡みついていた縄が、さらに首にまで巻きついていく。

 

「グェッ…!」

 

「そーら、こいつが今日の犠牲者第一号だ!」

 

ザバンが叫ぶと、ジャネットの首に回された縄が勝手に頭上に伸び上がり、メインマストのヤードに引っかかると、小柄な少女の体を吊り下げた。

さながら絞首刑のようにその体が吊るされた瞬間、体重の全てが細い首に集中し、無残に食い込む鈍い音が、静かに響く。

 

「…ひゅう」

 

首を絞められた鶏のようにジャネットの口から呼気が漏れ、首にかけられた縄を外そうと藻搔いていた腕が、力なく垂れ下がる。

同時に、その無残な光景を見せつけられていたサンタフラメンコ号から悲鳴が上がった。

 

「シャシャシャシャ!こうなりたくなかったら、全てを差し出せ!金、酒、食い物、女、残らずだ!」

 

上機嫌なザバンの哄笑が響き渡った。

 

ヤードから垂れ下がる少女の絞殺死体を見せつけられ、既にサンタフラメンコ号に戦意はない。

項垂れる乗組員達を満足そうに眺めると、ザバンはコテンパンにやられた無様な部下達を叩き起こしにかかった。

 

「おい、野郎ども、いつまで這いつくばってるんだ!さっさと、洗いざらい奪ってこい!」

 

ザバンは手近な場所に倒れていた部下の体を蹴り上げたが、呻くばかりで身動き一つできないようだった。中には口から血の泡を吹き、既に絶命しているものもいる。

今更ながらにジャネットの暴れっぷりに舌を巻いたが、どんな才能も死んでしまえば可愛いものである。

 

「チッ、使えねえ連中だぜ」

 

思わず口をついて出た言葉だったが、それに応えるものがあった。

 

「…同感だ。馬鹿な男の下には馬鹿な手下ばかり集まるもんさ」

 

当然、その言葉はザバンの癇に障った。

 

「アン⁈今、喋ったのは誰だ!」

 

いったい何処のどいつかと、あたりを見回せど、呻く部下ども以外に誰もいない。

ふと、嫌な予感がザバンの背筋に走った。

 

まさか、と思い頭上の首吊り死体を振り仰ぐと、凶暴な笑みを浮かべた少女と目があう。

 

「きっ、貴様まだ息があったのか⁈」

 

驚くザバンの目前で、ジャネットの全身を拘束していた縄が、バラバラに千切れ飛んだ。

 

いかなる技術を用いたのか、腰に履いたカトラスが勝手に抜き出て空中を飛び回り、縄を切り裂いたのである。カトラスは一通り縄を刻むと、再び勝手に鞘に戻った。

 

自由を取り戻したジャネットは、甲板に危なげなく着地したが、喉を押さえて咳を繰り返し、足元はふらついている。

 

「ゲホッ・・・チキショウ、最弱の海だと舐めてたよ」

 

そう言って底冷えのする視線でにらみ付けてくるジャネットを、信じられない者を見る目でザバンは凝視した。

 

「て、てめえは不死身か?!俺は確かにその首を括ってやった筈だぞ?!!」

 

そう、確かにザバンは首にかけた縄をその能力でもって引き絞った筈だ。

確実に首を締め上げた感触がザバンの手には残っている。 それはこれまで繰り返し何度も味わってきた感触であり、これで生きている人間はただの一人もいない。

 

「気合いだよ。気合いを込めれば乙女の柔肌だって、鉄の塊みたいに硬くなるのさ」

 

ジャネットは不適な笑みを浮かべている。まともに答える気はなさそうだった。

 

「ふざけたことを抜かしやがって!!どうせ子供だからと、無意識にでも手加減しちまったに決まってる!!今度こそ、確実にその首へしおってやらァ!!」

 

再び両手を突き出し、縄状に変化させるザバン。

 

だが、対するジャネットは、余裕の笑みすら浮かべてザバンをにらみ据えた。

 

「もう手品のタネはわれたんだ。ちょっとだけ、本気出すぜ」

 

言った瞬間、小柄な体躯がぶれるようにして消える。

 

「な、何ィ?!どこにいった!!」

 

慌てて左右を見回し、頭上を警戒したが見つからず、最後に背後を振り返ったザバンだったが、瞬間、腹部に衝撃が走った。

 

「ゲフっ!!!!」

 

とっさのことであり、体を縄にして威力を殺す暇も無い。

 

「こいつもおまけだ!!」

 

思わず腹を抱えたところを、さらに強烈な蹴りをあごに食らい、ザバンの意識はふき飛んだ。

 

「水面を蹴って走れる脚力を陸(おか)で使えば、目にも映らぬ速さを生むのさ」

 

実際には瞬時に地を10回以上蹴り、瞬発的に加速し、消えるように移動するという技術なのだが、そこまで説明してやる義理はない。

 

血を吐いて後ろ向きに倒れたザバンを見下ろし、ジャネットはため息をついた。思ったより手こずらせてくれるものだ。

 

「ようやく片付いたね。一事はどうなることかと思った」

 

縄のアザが付いた首筋をさすりながら、独り言を呟いたジャネットだったが、それに応える者があった。

 

『まったくだ。俺が縄を斬らなきゃ、未だ宙づり状態だったぜ、ジャム』

 

どこからともなく、掠れたソプラノボイスが響く。だが、あたりには倒れたザバンやその部下達が散乱するだけで、甲板の上には誰もいない。

にもかかわらず、ジャネットはその声を別に不思議ともなんとも思わなかったようで、気にすることなく言い返す。

 

「油断したよ。まさかイーストブルーみたいな辺境で、能力者に出くわすとは思わなかった」

 

『油断ねえ、わざわざ乗り込んで暴れなくても、船ごと沈められただろうに』

 

「そしたら誰が沈んだ船から賞金首を回収するんだよ?あたしはカナヅチだぜ」

 

『それで死にかけてりゃ世話ねーよ。だいたいお前、最近、覇気や体術の修行も怠けてただろうが』

 

心当たりがあったのか、ジャネットは「うっ」と呻くと、恨めしそうに下唇を噛んだ。

 

『ほらみろ。そんな言い訳がママやアニキ連中にも通じるといいがな』

 

見えぬ相手は、声だけで嫌らしく笑った。

 

「・・・告げ口すんなよ」

 

『嫌だ、ザマあみろ』

 

そんな掛け合いを続けていたのだが、叩きのめしたはずのザバンが、呻きながらもゆっくり立ち上がるのを見て、ジャネットはうんざりした顔で頭を抱えた。

 

「呆れた。殺さないように加減したつもりだったけど、まだ立ち上がる元気があったのかよ」

 

実にめんどくさそうな口調である。

 

「う、うるせえ!サウスブルーで名をはせたこの俺様が、餓鬼にいいようにされてたまるかってんだ!!」

 

海賊としてのプライドがあるのか、息も絶え絶えにザバンは叫んだ。

実際のところダメージは深刻で、立っているのがらやっとであるが、それでも譲れないものはある。子供にしたり顔で偉そうに見下されることほど、頭にくることはない。

 

「あァん?ここはイーストブルーだぜ?」

 

「東の海には流されてきたんだよ!!偉大なる航路(グランドライン)からな!!」

 

偉大なる航路、それは世界を縦断する大陸「赤い土の大陸(レッドライン)」に対して、世界を横断する航路のことだ。

その最果てには、かの海賊王ゴールド・ロジャーが残したという「ひとつなぎの秘宝(ワンピース)」があるとされ、世界中の海賊が集い、しのぎを削っている。

 

しかし、グランドラインは外海では思いもよらない破天荒な気候や海流が荒れ狂い、点在する島々には恐るべき怪物がひしめいているという。そうやって海の藻屑と消えた海賊達は数知れず、死の海域とも呼ばれている。

ザバンもまた、そんな死の海域から命からがら逃げ出した一人であった。

 

「意気揚々とグランドラインに踏み込んでみれば、見るもおぞましいバケモノどもに追い回され、ひでえ嵐に遭い、カームベルトで海王類の餌食になりかけて、命からがら助かってみれば、都合のいいことに最弱の海ときた!!ここなら、俺様の天下なんだよォ!!!」

 

これを聞くと、ジャネットは呆れ果てたように、ザバンを見返した。

 

「早い話が、グランドラインから脱落した負け犬だろ?偉そうに吠えてんじゃねぇよ」

 

「うるせぇ!酸いも甘いもわからねえクソ餓鬼が、知った風な口をきくな!!」

 

「おいおい、あたしゃグランドラインの出身だよ。あんた、前半の楽園(パラダイス)すらそのザマなら、海賊やめた方がいいぜ」

 

如何にも馬鹿にした風に、上から目線で講釈を垂れるジャネット。

ザバンは顔は赤いのを通り越して黒くなりつつあった。

 

「オノレ、クソ餓鬼ャ!!今度は首括らせるだけじゃすませねえ!五体をバラバラに引きちぎってやる!!」

 

ザバンは血走った目でジャネットを今にも食い千切らんばかりに睨み据えると、全身に力を込め、両手を高々と掲げた。

 

「ナ・ワ・ナ・ワ・カーニバル!!」

 

途端に甲板中に置かれていた縄という縄、帆綱、舫綱に至るまで、あらゆる縄や紐が一斉に動き出した。さながら、鎌首をもたげた蛇のように。

 

対するジャネットは、俯き加減に下を見ると、ポリポリと後頭部をかきながら、心底面倒くさそうにため息をついた。

 

「…お前さあ、いい加減、ウザい」

 

瞬間、空気が凍る。

 

ジャネットの底冷えのする饐えた眼に射竦められて、ザバンは気圧された。

 

「ヒッ…⁈」

 

奈落の底のようにドス黒い、殺人に慣れたもの特有の眼差しに、真性の悪党だけが持つ悍ましい気配。

それが、つい先ほどまで天真爛漫で無邪気な少女を演じていたナニカの薄皮の下から、唐突に漏れ出し、溢れ出している。

それを目の当たりにしたとき、海賊としてそれなりに修羅場を潜ってきたはずのザバンの勘が告げていた。侮ってはならないと。

そして、感じていた。悪魔の実を口にしてより、久しく感じていなかった、恐怖と戦慄が、全身を駆け巡るのを。

ザバンを額に滲み出た汗を拭うと、虚勢を張って誤魔化す。

 

「や、やかましい!ションベン臭ぇ臓物こぼして、魚に功徳ほどこせやァ!!」

 

同時に、縄がジャネットに向かって殺到する。

四方八方から向かいくる縄の群れを一瞥し、フン、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 

「…いい加減、見飽きた。どれだけ数を増やそうが、一本一本の動きは馬鹿のひとつ覚えみたいに単調だ。いや、変化を付けられるほど、余裕がないのか」

 

ジャネットは涼しい顔で、縄と縄の間を縫うように動き、残像を残して瞬時に消える。既にザバンが目で追えるスピードではない。

しかも、ジャネットに指摘された通り、この技は見た目の派手さに反して、数が増えるほどに一本一本の操作が甘くなる。本来は、雑魚をまとめて絡め取るためのものだ。

現に、今はジャネットの軽口に答えることすらできなかった。

 

「まあ、所詮は能力頼みの木っ端海賊じゃ、こんなもんか」

 

ジャネットは口元を邪悪に歪めると、無言で人差し指を掲げた。その細く長い指が、爪の先から黒く変色していくのを見て、ザバンの背筋に冷たい汗が流れる。

何故かは分からなかったが、全身の震えが止まらない。

 

「ば、馬鹿め!縄人間の俺様に、打撃は通じねえと証明した筈だ!!」

 

ザバンは悲鳴のような金切り声を張り上げた。まるで自分自身に言い聞かせるかのように。

同時に、あたりに浮遊していた縄の群れが力を失って落下する。防御に専念するために、操作を打ち切ったのだ。

 

「いいから、もう死ね」

 

乾いた口調で告げられる、死の宣告。

 

その指が黒い何かに覆われて染まりきり、金属のような光沢すら浮かべた時、ジャネットはニタリと薄気味悪い笑みを浮かべて、ザバン目掛けて甲板を蹴った。

 

「黒鉄指銃(アイアンブリッド) !!」

 

衝撃が、ザバンの額を撃ち抜く。

 

「な、何故・・・?」

 

それが、最後の言葉になった。

額から大量の血を吹き上げ、自ら流した血溜まりに沈むザバン。

しばらくの間、ピクピクと痙攣していたが、やがて動かなくなった。

 

自分自身がぶちまけた血の海に沈んだ死体を眺めると、ジャネットは下卑た笑みを浮かべて、せせら嗤った。

 

「雑魚が、手間取らせやがって。たかが2000万が粋がるからだ」

 

『あーあ、やっちまった。ジャム、いい加減、ムカついた相手をすぐに殺す癖、改めたらどう?』

 

「これで懸賞金は三割減か。公開処刑したいから生かしたまま捕らえたいってさあ、世界政府の連中もいい性格してるよなあ」

 

『お前が言うな』

 

「うるせえ。それに、生かしておいたら、どうせこいつ海軍の連中にあたしのことゲロするだろ。死人に口なしさ、ザマァみろ」

 

額の真ん中に根元までめり込んだ指を引き抜くと、べっとりと付着した血を舐めとりながら、ジャネットは愉快そうに笑った。

 

「しかし、やっぱりイーストブルー暮らしで大分鈍ってるな。グランドラインに戻る前に、少し鍛え直しといたほうがいいか・・・」

 

遠くサンタフラメンコ号から聞こえてくる歓声をよそに、ジャネットは空を見上げて虚ろに呟いた。

 

黒く濁った不吉な瞳で。

 

 

 

 

 

 

 




(嘘)
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