悪戯リスの冒険   作:龍華樹

3 / 5
にわ

 

 

海兵を撒き、嵐の波止場へ向かったドラゴンを出迎えたのは、全身黒ずくめの男だった。

 

「ドラゴンさん、用事、済みましたか?」

 

「ああ、突然すまなかったな」

 

葬儀屋か殺し屋のような黒いスーツを着こなし、黒いサングラスに黒い靴、おまけに手袋まで黒一色。

男はもじゃもじゃとした天然パーマの髪をかきあげて、なんとか水分を拭おうとしているのだが、後から後から雨滴が降り注ぐため、その努力は報われていない。

 

「船の中で待っておればよいものを」

 

「あんたを一人にできるわきゃないでしょ。総参謀長からも目を離すなって、念押しされてんですよ、俺は。あの人も自分のことを棚にあげて、よく言うよ」

 

この言葉には流石のドラゴンも苦笑した。

たしかに、あの男が言っても説得力がない。

 

「それよか、誰なんですか、あの麦わら帽子の小僧は?」

 

「ん?見ていたのか。…私の息子だ」

 

「へえ、そうですかい、息子さんですかい………?!」

 

気軽な調子で頷いた男は、次の瞬間、サングラスを突き破らんばかりに目を飛び出させて驚いた。

 

「むすこ〜〜⁈あんた息子がいたのかよ!!!」

 

これまで一切の来歴が不明だった自らのボスの、まさかの爆弾発言。

驚愕が抜けきらない男は髪をもしゃもしゃとかき乱した。つい先ほどまで髪を整えることに腐心していたことは、もうすっかり失念している。

 

「うへえ、ビビった…ああ、そう言えば、イワさんがいつか言ってましたね。あんた、イーストブルーの出身じゃないかって。たまに東の空ばかりみているから」

 

「ほう、それは気がつかなかった。一応、内密に頼むぞ。今の段階で素性が知れては、私はともかくルフィには足枷にしかならんだろうからな」

 

「確かに、薄汚え世界政府の連中が、何をするか知れたもんじゃありませんね。了解です」

 

親の罪が子に仇なすことなどあってはならないが、それを許さないのが、今現在世界を支配している政府のやり口だ。

 

強く頷いた男だったが、すぐに口元を緩めて、なんとも言えない笑みを浮かべた。

 

「いや、しかし…あの麦わら小僧があんたの息子とはねえ。へへへ、いやはや奇縁てやつですな」

 

「ん?お前もルフィに何か縁でもあったのか?」

 

ドラゴンは訝しむように、男を見た。この男は、イーストブルーに来たこと自体、今回が初めてだった筈だ。

 

「いや、あんたの息子には何の関わりもないんですがね。あんたの息子の船に、俺の妹が乗り込んでるらしいんですわ」

 

「ほう!」

 

今度はドラゴンが驚いた。

 

この男の経歴は承知しているし、信用もしているが、まさか『あの家族構成』で、家を飛び出した人間が他にもいるとは思ってもみなかった。

しかも、それがイーストブルーに流れてきて、自らの息子と同じ船に乗っている。まさに奇縁である。

 

「遠目に確認しただけですが、まず間違いないでしょう。覇気やら体技やら色々仕込んだもんです。俺と別れてからそこそこ修業したようですが、あいつめ、敵の血をジャムみたいに舐めとる趣味の悪い癖がそのままだ。治せって、口を酸っぱくして言ったつもりなんですがね。………さて、そろそろいきましょうや。だいぶ時間を食っています」

 

途中で喋りすぎたことに気がついたのか、男は誤魔化すように腕時計を確認すると、ドラゴンに乗船を促した。

その背後には、男と同じく黒一色に塗り固められた帆船が鎮座している。その船首は、龍の形を象っていた。

 

「ああ、戻ろう。バルティゴへ」

 

艀を登るドラゴンの背中を見送ると、男もまたその後を追った。

 

「…海賊か、やっぱり血は争えないのかねえ」

 

 

 

 

 

 

革命家達が人知れず暗躍していた頃、海軍もまた動き出していた。

 

「スモーカーさん!出航準備整いました!」

 

ローグタウンで麦わらのルフィを取り逃がした直後、すかさずスモーカーは一味を追ってグランドラインへ出撃する事を決めていた。

 

「おう、タシギ。いいところに来たな、お前も聞いてけ」

 

コーヒーカップを慣れない左手で持ったスモーカーが、タシギに振り返った。

 

「麦わらと一緒にいた例の娘について、本部に問い合わせた結果が今しがた届いたところだ」

 

「名のある海賊だったんですか?」

 

タシギは包帯が巻かれ、首から三角巾でつられたスモーカーの右腕を見ながら問いかけた。

 

それに答えたのはスモーカーの側に控えていた海兵だった。サンタフラメンコ号の船長に対応し、吊るし首のザバンを受領した下士官である。

 

「いえ、確かに当該人物と思われる犯罪者は登録されてはいたのですが…」

 

下士官は歯切れの悪い物言いで、タシギの前に一枚の手配書を差し出した。つい先ほど本部から電伝虫で送られてきたものだ。

 

手配書にはいつ撮られたものか、親指を立ててにこやかにサムズアップをかます、幼い少女の姿が写されている。

タシギはロロノア・ゾロに掛り切りだったのでよく顔を覚えていないが、直接渡り合ったスモーカーは、間違いないと頷いた。

 

「通称、悪戯リスのジャネット。数年ほど前から、グランドラインを行き交う民間船舶にまぎれ込み、軽い窃盗などを繰り返していた盗賊です。懸賞金は10万ベリー。もちろん、生け捕り指定です」

 

「た、たった10万⁈確かなの⁈」

 

それではただのコソ泥である。

 

「はい、何度も確認しました。間違いありません」

 

これが本当ならば海軍が出張る必要すらなく、各地に配備された保安官に対応を委ねられるべき程度の軽犯罪者だ。

 

手配書には特記事項として、生け捕りの後、児童校正施設へ送付することが明記されている。これでは、そこらにいるヤンチャな不良少女となんら変わらない。

 

「…笑える話だろ?たった10万ベリーのコソ泥に、俺は利き腕を潰されたってわけだ」

 

口調は静かだったが、手配書を睨みつける目には力がこもっている。

 

タシギはスモーカーの醸す気迫に飲まれたが、咳払いをすると、思いついた疑問について下士官に尋ねた。

 

「ということは、そのジャネットは、これまで特定の犯罪結社や海賊団に所属していたわけじゃないんですね?」

 

「はい、どうにもそのようです。ジャネットはその幼く愛らしい容姿を活かして疑われることなく様々な船に潜り込み、乗り合わせた船員や乗客から金品を盗み出しては、被害者が盗難に気がつく前に姿を消すそうです。窃盗額も少なく、完全な単独犯、当初は誰もジャネットが犯人だと気づかなかったくらいだとか。しかし、似たような事件が各地で頻発したため、被害情報を付き合わせた結果、犯行を突き止めました」

 

やっていることは本当に、ただのせこい泥棒だ。

タシギはなんとも腑に落ちない面持ちで首をひねった。

 

「被害も大したことがありませんし、いずれの犯行も誰一人傷つけることなく密かに行なわれています。さらには幼い年齢などを考慮して、この程度の懸賞金に落ち着いたとのことです」

 

スモーカーは無言でコーヒーを飲み干すと、新たな葉巻に火を付けて口にくわえ、瞼を閉じて何事かを考え込んだ。

 

「本部からも、何故こんな不良少女についてわざわざ問い合わせたのかと、逆に聞かれたくらいでして…」

 

留守番役として詰所に残り、直接現場を見ていない下士官も、手配書とスモーカーの怪我を見比べ、困惑している。

 

タシギと下士官が見守る中、やがて葉巻の煙を盛大に吐き出しながら、スモーカーが口を開いた。

 

「…俺はあの女と差し向かいでやり合った。俺が油断していたのは言い訳のしようもねえ。麦わらに気を取られて、小娘一人を無視していたら、このザマだ」

 

スモーカーは包帯塗れの右腕を掲げてみせた。

 

「だが、こいつをやられた瞬間、俺はハッキリと奴を見た。あんなドス黒い殺気をにじませて笑う餓鬼が、単なるコソ泥なわけはねえ!」

 

タシギも下士官も、その言葉に強く頷いた。

 

二人とも、スモーカーの下に着いてこの町に赴任した日から、彼が戦闘で負傷したところなど見たことがなかった。それだけにモクモクの実の力、ロギアの能力は絶対だと信じ込み、スモーカーが傷つけられることがあるなど、思ってもみなかった。

 

「それに、奴は確かに六式を使ってみせたぜ。かなり我流でアレンジされてたがな」

 

それもまた信じられないが、事実である。

 

六式は極限まで肉体を鍛え上げた者のみが体得できる、六つの特殊な体技の総称だ。その使い手は、武器や防具、悪魔の実の能力などを一切使わずとも、恐るべき戦闘力を有する。

主に世界政府直下機関に所属する役人や、政府関係者の一部が使用すると聞くが、海軍でも本部に所属する海兵には少なからず習得者がいる。

 

しかし、間違っても海賊はおろか、単なるコソ泥に体得できるものではない。

 

「加えて、俺の実体を容易く捕らえた覇気…なあ、今までケチな盗みの影で名を隠し、闇に潜んで来た奴がここに来て、最近急に名を上げ始めた麦わらの一味に合流し、本性を露わにした。何ともキナ臭ぇと思わねえか?」

 

タシギも下士官も、不気味な予感に身を震わせて生唾を飲み込んだ。

 

「まあ、いずれにしろ俺は奴らを追ってグランドラインに入る。悪いが、後は任せるぜ」

 

「ハッ、いささか不安ですが任されました。お気をつけて!」

 

「よし、タシギ行くぞ!」

 

「はい!」

 

 

 

 

そして、厄介な追跡者がアップし始めた、ちょうどその頃だった。

 

ローグタウンの艀にとめられていたゴーイングメリー号に乗り込んだジャネットは、まず船の状態を隅々まで確かめていた。

 

「メインマストはいいとして、船尾には三角帆(ラテンセイル)を使うのか。風をよく捉えるけど、操作がピーキーになりやすいね」

 

「船体の木材はよく乾いてて、油分が多いから虫に強いし、水はけも良い。少し強度に不安があるかな」

 

「大砲は前後左右に一門ずつ、と。しかし、何で蜜柑の木が甲板に三本もあるんだろ?壊血病対策かい?」

 

「舵は舵輪じゃなくて、舵棒を進行方向に傾けるのか…かなり古い方式だね。現役の船じゃ、初めて見た。キャラックにしちゃあ、船首楼と船尾楼が低めだから、視認性は悪くないけど、これだと相当操作に癖がないかい?」

 

「大事に手入れされて使われて来たんだね、船齢が高い割に痛みが少ないや」

 

ローグタウンで出会ったのは、やたら戦闘能力の高い三人組ばかりなので、まともに航海ができるのか心配していたが、船は古いがまずまずである。

 

満足そうにゴーイングメリー号を見守るジャネットだったが、いきなり襟首を掴まれ、つまみ上げられてしまった。

 

「ちょっとルフィ、何なのよ、この子は?」

 

小さくて軽いジャネットを猫の子のようにつまみだそうとしているのは、オレンジ色の髪をショートにした女だった。

 

なんと無礼な小娘め!たわわに実ったバインバインをもぎ取りたい!B以上は死ねばいい!と、ジャネットは思った。

 

「何処で攫ってきたんだよ!返してこいよ!」

 

見るからに慌てふためいているのは、やたらと鼻の長い男である。どんな尾てい骨をしているのか、知的好奇心をくすぐられる。

 

「ついさっき仲間にしたんだ。一緒にグランドラインに行くぞ!」

 

ルフィは笑顔で断言した。

 

「「ふざけんな‼︎」」

 

実に息の合ったツッコミである。

 

「…なあ、キャプテン、この人達も一味の人かい?」

 

万が一にでも違っていたら、頭蓋骨に風穴を開けてやろうと、ジャネットは後ろ手に人差し指を構えた。

その内心にはまったく無頓着に、あっけらかんとルフィが断言する。

 

「ああ、そうだぞ。うちの航海士のナミと、狙撃手のウソップだ」

 

ジャネットは内心で盛大に悪態をついたが、構えていた人差し指を引っ込める。

 

「チッ…いや、これからよろしく頼むよ、ナミにウソップ。あたしの名はジャネット、しがない船乗りさ!」

 

「お前、今舌打ちしなかったか?」

 

神経質そうにツッコミを入れた鼻の長い男がウソップで、小生意気なボディの娘がナミというらしい。

 

見るからに非戦闘員だが、恐らく完全にサポート役のメンバーなのだろう。

よい海賊団は強い戦闘員だけでは成り立たない。専門知識に精通し、適切に荒海を渡っていけるよう航海をサポートする裏方の存在が欠かせない。幼い頃から故郷で腐るほど海賊を観察してきたジャネットは、その事をよく知っている。

 

一方の二人は、ジャネットの顔を見るだに、なにやら罪悪感と不安感に駆られたようだった。

 

「こんな小さな子供を乗せてグランドラインに行けるわけがないでしょ!きっと両親が泣きながら探してるわ!」

 

いや、父はともかく母親は古今無双のクソ婆である。きっと何処かでヤンチャしてるくらいにしか思っていまい、とジャネットは確信している。どうせなら、そのまま忘れ去られたいものである。

 

「そうだぞ、早く親元に返してくるんだ、ルフィ!これじゃ俺たちまるで犯罪者じゃないか⁈」

 

ウソップはなにやらトンチンカンな事を言ってやがる。

 

「犯罪者も何も、俺たちゃ海賊だろ?」

 

ロロノアの的確なツッコミに長っ鼻がたじろいだ。

 

「そうだったー⁈」

 

これは何かのコントだろうか?

 

しかし、世界にまたがる三つの海を越えてきた腕利きの船乗りであるジャネットに対して、さきほどから無礼千万。まるで小さな子供扱いではないか!

 

「あたしはこれでも腕利きの船乗りだよ!!」

 

ジャネットは平らな胸を反らしてプンプンと怒った。あってはならぬ耐え難い侮辱である。

実際は泥棒家業の方がメインなのだが、それは言わぬが花だ。

 

「いい、お嬢ちゃん。私達は海賊。しかも、これからグランドラインに入るのよ。とても危険なの」

 

ナミは聞き分けの悪い子供をあやすように、腰を低くして目線を合わせながら、ジャネットの頭を撫でた。

ちなみに、ナミとの身長差は一回り、いや二回り以上あるだろう。

 

「だ・か・ら、仲間にしてもらったんだよ!あたしはそもそもグランドラインの出身なんだ!」

 

その一言に、一味全員の視線がジャネットに集中した。皆、顔を驚愕に歪ませている。

予想だにしていなかったらしい。勘のにぶい連中だ。

 

「え⁈お前、グランドラインの生まれなのか⁈」

 

ルフィがビックリしたように食いついた。

 

「そうだよ、たまたま乗り合わせた船の航海士がボケナスでね。カームベルトに迷い込んだ上に、難破してイーストブルーまで流されちまったんだ。まったく往生したよ」

 

ジャネットはため息をついた。

あの時は実際、死ぬかと思った。何せ、彼女はカナヅチなのである。

 

「カー…?何とかベルトって何だ?」

 

この一言には、流石のジャネットも呆れ返った。

これからグランドラインに赴くならば、それは必要最低限、というより知っていて当たり前の知識だ。

 

「…凪の海、完璧な無風状態の海のことだよ。グランドラインは二本のカームベルトに挟まれてるんだ。これが超大型の海王類がうじゃうじゃ住み着いててね、迂闊に足を踏みいれようものなら船ごと食われてお陀仏さ」

 

例え、どんな猛者でも、大海原の中で大量の海王類に襲われたらひとたまりもない。

今も昔も、海の真の支配者は、彼ら海王類なのだ。

 

「それで、グランドラインを目指す骨のある男を探してたんだ。何せ、外海からグランドラインを目指そうなんて、今時は海賊くらいなもんだからね!」

 

「ああ、そういうことね」

 

その言葉にナミが折れた。何だかんだ言っても、ナミは子供には優しい女なのである。子供にだけは。

親元から引き離され、故郷に帰りたいと、勇気を振り絞って海賊についてくるような子供を、見捨ててはおけなかった。

 

「うんうん、ようやくあたしの価値に気がついたね」

 

そんな、盛大な誤解を受けているとはつゆ知らず、ジャネットはようやく自分を認めたのだと勘違いし、満足げに笑っている。

 

「しゃーねーなあ…そういう事情なら、ウソップ様も一肌脱ぐぜ!」

 

ウソップがやたらと鼻の長い鼻を逸らしながら、親指を立てた。

 

「小さなレディ、及ばずながら俺も協力させてもらうぜ」

 

「…まあ、グランドラインの知識があるんなら、なんかの役には立つだろ」

 

サンジが請負い、ゾロもしぶしぶ同意する。

 

「よっしゃー‼︎行こうぜ、グランドライン‼︎」

 

最後はルフィが高らかに笑って宣言した。

 

基本的に一味全員が善人のようだ。今時奇特なことである。

世の中というのは、基本的に皆悪党であり、和かに笑って手を差し出しながら、もう一方の手で毒の短剣を隠し持つのが当たり前。子供でも知っている常識だというのが、ジャネットが故郷で培った哲学だ。

 

「キャプテン、行くのはいいとしてさ、準備はきちんと整ってるんだろうね。水に食料、その他諸々、あと忘れちゃいけない『ログポース』。見たところ、普通のコンパスしかないみたいだけど?」

 

アレは安物だと壊れやすいので、必要時以外は身につけないというのもアリといえばアリだが、非常に気まぐれなグランドラインの気候と潮流を思えば、航海中は常に身につけておくべきだ。

 

「ろぐほ…なんだそれ?」

 

流石にこれは冗談では済まない。事前に情報収集をしなかったのだろうかと、ジャネットは今更ながらこの船に乗るのが不安になった。

 

『(プゲラwwジャム、乗る船間違えたなww)』

 

「(シッ、しばらく黙ってろ!)」

 

『(ヒヒヒ、あいよww)』

 

まったく、口の悪い相棒だ。誰に似たのやら。

 

「ん?なんか声がしなかったか?」

 

「いや、気のせいだよ、キャプテン!」

 

チキショウ!とジャネットは内心で罵倒したが、グランドラインの外でアレを手に入れるのはちょっと難しいかもしれないと、考え直す。

 

「これのことだよ、記録指針(ログポース)!」

 

ジャネットは私物の透明な球体に磁針の入った道具を見せた。

 

グランドラインの島々は鉱物を多く含むため、特殊な磁針をもったコンパスがいる 。グランドライン生まれのジャネットには、むしろこれが普通なので、外海で使われる円盤形のコンパスを初めて見たときは首をかしげたものだ。

 

故郷のあたりでは、さらに三つの球体が付いたコンパスを使うのだが、赤い大陸を超えてこちらに抜けたあたりで無くしてしまったため、今では道中で手に入れたこれを使っている。

 

「なにこれ?」

 

ナミが首をかしげた。他の面子も同様である。

どうやら本当に知らないらしい。

 

「よくそれでグランドラインに入ろうと思ったねえ。いいかい、グランドラインの島は鉱物を多く含んでるんだ。だから、単なる磁石は狂わされてまともに方向を指さないのさ」

 

そのため、島々の持つ磁気を記憶し、それをたどることのできるコンパスが必要なのだとジャネットは説明した。

 

「それじゃあ、グランドラインでの航海は、磁気をためながら島を巡る必要があるのね」

 

少し説明しただけでナミは要領をつかんだようだった。 やはり、頭の回転は悪くない。単に必要な知識がないのだ。

 

「そうさ。ログがたまるまでには短かけりゃ三日とかからないし、長いと一年に及ぶこともある。こればかりは運の問題だね。ただし、それじゃあ、あらかじめ行きたい島が決まっている場合には、あんまりに時間がかかる。そんなときに使われるのが」

 

ジャネットは、さらに手荷物の中から、砂時計のような形をした道具を取りだした。

 

「こいつさ。永久指針(エターナルポース)って言うんだ。これはログポースと違って、一度記憶させたログの島を永久に指し続ける。目的地が決まっているなら、こいつでまっすぐ進むのが効率がいい。実際、島と島をつなぐ交易船はエターナルポースをいくつも積んでいるよ」

 

実際、ジャネットはそういう船に便乗して、泥棒家業に精を出してきた。

 

「それって、もしかして生まれ故郷のエターナルポースなの?なら、まずはそこを目指すべきね」

 

「そうだな」

 

「?」

 

『お荷物』は早くおろしたい、と呟くナミにウソップが同意するが、ジャネットは『お荷物』の意味がわからず、首を傾げた。

 

「…なんであんな場所に行きたいのか知らないけどさ、これはイーストブルーに投げ出される前に手に入れた魚人島のログだよ。ここから反対側のレッドラインの海底にあるから、相当距離があるね」

 

ジャネットの故郷はさらに遠く、その赤い大陸の向こう側にある。

 

「まずはログポースで島を巡りながら、物資を手に入れつつ航海するのがいいよ。グランドラインの海は外海とはまるで違う。気候も潮流もデタラメで、本当に危険なんだ」

 

「あなた、小さいのに本当にグランドラインに詳しいのね」

 

ナミは感心したようにジャネットを見直した。

見た目は十歳少々のお子様だが、持っている知識は本物だとようやく気づいたのだ。

 

「これでも14の頃から海の上で暮らしてるからね。船の上のことなら任してくれよ!一通り何でもやれるつもりだよ!」

 

ジャネットは小さな胸を張った。

 

決して望んで海に出たわけではないが、生きるためにできることなら何でもやってきた。さすがに専門職には比べるべくもないが、船のことならだいたい何でもできる自信がある。

 

「14の頃って、じゃあ今幾つなんだよ?」

 

「おいおい、女に年を聞くもんじゃないよ、ウソップ」

 

デリカシーのない質問をジャネットは華麗にスルーした。

 

「貴方がきてくれて良かった〜〜!!よろしくね、ジャネット!!」

 

ナミは態度を一変させて、ジャネットを抱きしめた。

 

「『まとも』な仲間ができて本当に助かるわ!!」

 

「まとも・・?いや、とにかくよろしく頼むよ、航海士さん!」

 

何故か嫌な予感に襲われるジャネットだったが、その理由は後にいやになるほどわかった。

 

「じゃあ、さっそくお願い。すぐに帆を張ってくれる?」

 

とたんにナミは険しい顔で海を睨んだ。

 

「帆を張る?」

 

ジャネットは首をかしげた。

先ほどからローグタウンを襲っている超特大の嵐のまっただ中である。こんな天候で出航するのは自殺行為というもので、まっとうな船乗りなら、帆を上げて港でおとなしくしているものだ。

 

何かの間違いではないかと思ったが、船の上においては航海士は船長に次ぐ絶対者だ。

 

「アイサー、オフィサー!」

 

ジャネットは考えるのをやめて、帆を張るためにかけだした。

 

ゴーイングメリー号は二本のマストを持つ小ぶりなキャラベルで、排水量は約50トンというところ。

軽量快速なので沿岸輸送には適しているが、喫水線が低く、外洋を進むには注意を要する。速度が出せる反面、ちょっとした風でも横転しやすい。

 

洗いざらしの帆は船体に比べて新しく、めいっぱいに張り広げると、麦わら帽子を被った髑髏のマークがあらわになった。なかなか絵心の感じられるデザインである 。

 

「うっひゃー!!船がひっくり返りそうだ!!」

 

ルフィが楽しそうに声をはり上げた。

 

船長のルフィはメリー号の船首にしがみつき、進行方向をニコニコ眺めている。どうやら見張り台の代わりらしい。

後で聞いた話によると、そこが彼の特等席とのこと。海に落ちれば命のない能力者のくせに、度胸があるのか馬鹿なのか、ジャネットは判断に困った。

 

「うぎゃあああ!!もう終わりだ!!グランドラインに入る前にここで海の藻屑になっちまうんだ!!」

 

逆にウソップは、この世の終わりのような形相を浮かべて泣き叫びんでいる。

顔面からありとあらゆる体液を垂れ流した珍妙な面は滑稽だが、不思議と体は無駄なく動かしていて、ナミの指示通り、ジャネットと共にメインセイルを張り直している。

 

コックのサンジは舵棒を握り、ゾロが後部の三角帆を操る。

操船は一味全員の共同作業のようだ。少数一味となれば、小ぶりなキャラベルとて、全員掛かりになるのはやむを得ない。

 

「サンジくん、舵中央!!風に逆らわないで、嵐が道を示してくれる!!」

 

ナミは後部の船楼に陣取り、嵐の海をにらみ据えて的確な指示を出している。

 

「あの光を見て!あれがグランドラインの入り口を示す灯台の灯り、導きの灯!! 」

 

逆巻く波と風の轟音に負けじと、ナミが大声を張り上げ、遙か遠くに微かに見える、おぼろげな光を指し示した。

 

「あの光の先に偉大なる航路の入り口がある!」

 

個の悪天候の最中、付いたり消えたりする小さな灯台の灯を見つけ出すとは、いい目をしている。それに、カンもいい。

 

「どうする?」

 

ナミが意味ありげに笑って仲間を見やった。

 

「よっしゃ、偉大なる海に船を浮かべる進水式でもやろうか!」

 

「しかし、お前、何もこんな嵐の中を・・・なあっ!!!

 

周囲に同意を求めるウソップだが、それより先にサンジが大樽を抱えてやってきた。

中々ノリのいい連中だ。賑やかなのはジャネットも大好きである。

 

酒樽をかち割り、中のお酒を飲むのは古くから船乗りに伝わる進水式の風習だ。グランドライン生まれのジャネットには縁がないが、もしかしたら他の海では、偉大なる航路に入る際にもその儀式をするのかもしれない。

 

まず、樽を持ってきたサンジが足を乗せた。

 

「俺はオールブルーを見つけるために」

 

オールブルー、それは世界中の海の魚介が一度に揃うと言われる、海のコック達にとって伝説の海域。

ジャネットも実在を耳にしたことはないが、グランドラインには、あり得ないことなどあり得ない。

 

「俺は海賊王」

 

次にルフィが当然のように大望を口にして足をのせる。

 

「俺ァ大剣豪」

 

ゾロがそう言いながら足を乗せたが、おそらく剣豪というより凶悪な人斬りとして名を残すだろうと、ジャネットは思った。

 

「私は世界地図を描くために」

 

ナミが不敵に笑いながら樽に足を乗せた。

航海士としてでなく、測量士としての能力も持ち合わせているらしい。

 

「お、おれは勇敢なる海の戦士になるためにだ‼︎」

 

ウソップは勢い半分に叫んだ。こういう勢いのある馬鹿は嫌いじゃない。賑やかし、としては悪くないからだ。

 

「なら、あたしは船乗りの夢、世界一周を果たすために!」

 

最後にジャネットが、股を精一杯開きながら、何とか足を樽の蓋に乗せる。正直、足がつりそうだった。背丈の低いのが恨めしい。

 

カームベルトに挟まれたグランドラインを突き進み、世界を輪のように一周するレッドラインを乗り越え、世界一周を成し遂げたのは、後にも先にも海賊王ゴールド・ロジャーのクルーのみ。

世界一周こそは、世界中の船乗りが一度は夢見る遠大なる夢だ。船長が海賊王を目指すなら、このくらいの望みをぶち上げてもいいだろう。

 

 

六つの踵が、勢いよく振り下ろされて、樽を割った。

 

 

 

 

 

 

 




修正。シャボンディ諸島はログがたまらなかった…orz
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。