喫茶ーmid nightー 作:江月
遠月茶寮料理學園。
多数のエリート料理人を排出する魔窟にして下道の蔓延る人外魔境にして、弱肉強食の縮図を煮詰めて集めて詰め込んだ、そんな場所だ。
更にこの學園、無駄に広い。それはもう、歩き回るだけでも一苦労な程に、広い。
「疲れた……………………」
ゲンナリとした様子でベンチへと座り込みだらしなく仰け反りながら、昼也は天を仰いでいた。
編入試験を終えて一時間。未だに彼は学園内に居た。
何も用事が有るわけではない。お忘れかもしれないが彼は出不精の面倒くさがりだ。
しかしその出不精の根底にあるのは昼也の方向音痴。そう、この物臭ダメ店主、道を覚えられないのだ。そして覚えるにしても最低十回は通らないと覚えない。しかも、それは必要に駆られた時のみにしか発揮しないという条件付き。
京都の一件は幼少の頃より何度も通った花屋から墓地の道であるし、卸売りの店は自分で見付けた場所だからこそ行き着けた。
つまり、何が言いたいかといえば
「ここ、何処?」
迷っていた。
地図を見ろよ、と言われそうだが、彼は典型的な地図を有効活用できない人間なのだ。具体的には角を曲がる際に地図を回さなかったり、そもそも北と南が逆だったり、等だ。
ならば、携帯で連絡を、と思いそうだが生憎と先程バッテリーがお亡くなりになってしまい、うんともすんとも言わない。
詰んでいた。当の本人も今日は野宿か、と諦めの境地だ。いや学校なのだから見回りの者も居るだろうと思うだろうが、言ってはなんだが広大な敷地の弊害か、若い職員ではこの學園全体を把握しているものは少ない。
暫く逡巡しやがて諦めたのか、昼也はベンチにゴロリと横になると、腕を枕に目を閉じた。未だ春先で寒いというのに、この男野宿する気である。
極論を言えば、夜帳昼也という男は基本的にどこでも眠れる。それこそ臥薪嘗胆のように薪を並べたその上ですら寝ようと思えば眠れるのだ。寝たら確実に風邪を引くと思うのだが、気にしちゃいけない。
程なくして腕を枕に膝を曲げて横向きにベンチに横になっていた昼也は寝息をたて始めた。
時間は刻一刻と過ぎていき、夕焼けの空は日も落ちて、夜闇に包まれようとしている。当然、数少ない日光が無くなれば気温もぐっと落ち込むというわけで──────
「…………えっきし!」
プルリと体を震わせて縮こまらせながらもそれでも起きない昼也。怠惰の極みとも言えるだろう。
しかし、いい加減にしないと本格的に風邪を引き、下手すれば始業式に間に合わないという失態も犯しかねない。
果たして、神は彼を見放さなかった。
「あの、大丈夫……ですか?」
かけられたのは少女の声。三つ網のをお下げのようにして前にたらし、花のピンで前髪を留めた少女だ。
見るからに人の良さそうな、それでいて気の弱そうな少女は恐る恐る手を伸ばして、指先がシャツの一部に掠ると慌てて引っ込める。
その動きを何度か繰り返しているうちに昼也は薄く目を開けた。ぼんやりと目の前の少女へと目を向けて、特に何を言うでもなく体を起こした。
体を捻ればゴキゴキと関節が鳴り、伸びをすれば大きなあくびが出る。どんな所でも寝られるとはいえ、疲労が抜けきるのかと言われればNoというものだ。
「…………えっと、大丈夫、です?」
「ん?…………ああ、問題ない」
おっかなびっくりといった様子の少女だが、もちろん昼也に彼女を思いやるような優しさを期待するだけ無駄である。素っ気なく返事を返して再度、伸びをして辺りを見渡した。
気温は更に下がっており、辺りも暗くなっている。
「どうしたもんか…………」
腕を組んで名案が浮かぶことを期待するが、寝起きの鈍りきった脳味噌に期待するだけ無駄というものだ。
「あの…………」
「……………………ん?なに?」
「いえ、その………何か困ったことでも?」
「…………これからどうしようかと思ってな。道に迷って難儀してた所だ」
やれやれと首を振って見せれば少女は引き攣った笑みを返すだけだ。バーテン服のような格好の彼のその動きなどシュールでしかない。
「えっと、ご案内しましょうか?」
「ん?良いのか?」
「は、はい!大丈夫です!」
「んじゃ、頼む……………………あ、待った」
立ち上がった昼也を確認して案内しようと踏み出していた少女だったが、唐突な待てにつんのめる。
転けかける少女だったが、やはり昼也は気にしない。彼の頭の中はコーヒー一色に染め上げられていた。
中学生のときは学校へと魔法瓶に入れたコーヒーを持参して、休み時間でガブガブと飲み、帰れば店に入り浸ってのコーヒー三昧だったのだ。短い期間とはいえ、コーヒーを絶っていると途端に飲みたくなってしまう。
この待ったはそこから来ていた。
「なあ、えっと…………」
「た、たた田所、め、めめめ恵でしゅ!?」
「そうかい、田所さん。俺は夜帳昼也だ」
(うぅ…………舌が痛い………!ついでに心も痛い……!)
プルプルと舌と心の痛みにうち震える田所。その見た目は正に小動物の所作。
だが、やはりこの男は何の反応も示さない。むしろ噛んだ部分すら無視している。ホモなのではなかろうか。
「それで、田所さんは寮暮らしか?」
「…………ふぇ!?は、はい!」
「……………………そこの厨房って使わせてもらえるのか?」
「えっと…………分かりません。管理人さんに聞いてみないと………」
「そっか…………とりあえず案内頼めるか?」
「へ?あ、出口は…………」
「違う、違う」
再び止められ田所は首をかしげる。帰るのではないのか、と。彼女からすれば先程の厨房云々も明日以降の事だと思っていたのだ。
「寮の方に、な」
コーヒーのためなら真面目に動く男。その点に関してのみ、彼は手を抜かないのだった。
◇■■■■■■◇
「うわぁ……………………」
「こ、ここが極星寮です!」
珍しく感情のこもった声をあげた昼也。流石にこれは予想外だったらしい。
蔦が覆い尽くす洋館、雑草が生える庭、飛び交う烏etc.
どこぞのB級ホラーのロケ地と言われても遜色ない薄気味悪さを感じさせる光景だ。
「な、中は綺麗ですから!厨房の設備も整ってますし…………」
ワタワタと慌てる田所だが、説明を受ける昼也としては初見のインパクトが薄れて既にいつも通り。
とりあえず、コーヒーが飲みたいところなのだ。
しかし、田所気付かない。そもそも、気の弱い彼女にとって三白眼のバーテン服着た男など未知の領域の存在に近い。
暫く大人しくしていたコーヒー中毒者だったが、いい加減に痺れを切らしたらしく一歩を寮へと踏み出した。
「あっ……!ま、待ってくださいぃ~!」
その後をパタパタと追いかける田所。
彼女の言う通り、踏み込んだ寮の中は意外に綺麗なものだった。
一回中央、玄関から入れば直ぐに大きな中央階段があり、少し登れば壁に沿うように二股に別れて二階へ。外観が酷いだけで造りもしっかりしており、何より広い。部屋数も多いらしく、それを表すように幾つかの扉も目についた。
「で、厨房は?」
「あ、えっと……………………」
「おや、302号漸く帰ってきたのかい。そっちの坊やは…………ん?」
「……………………山姥?」
「誰が山姥だ、クソガキ!私はここの寮母の大御堂ふみ緒。“極星の聖母”ふみ緒さんと呼びな」
思わず口から出てしまった内心に返ってきたのは叩きつけるような怒声。いや山姥呼ばわりされれば誰でも怒るだろう。
名乗った大御堂は階段を降りてくるとしげしげと昼也の顔を覗き込む。まるで何かの面影を探すような、そんな見方だ。
「クソガキ、あんたの名前はなんだい?」
「…………夜帳昼也」
「!お前、旭のバカの血筋かい!」
「あん?爺を知ってるのか?」
「昔色々と、ね。そうかい夜帳の血は失せてないらしいね」
大御堂は何かを思い出すように何度も頷きながら少し離れる。その脳裏にあるのはどんな思いなのかは、本人以外には知りようもないことだ。
対して昼也としても少々驚いている。何せ自分の血縁である祖父の知り合いにこんなところで会えるとは思ってもみなかったからだ。
そう、彼の祖父の名こそ先代店主、夜帳旭(やとばり あさひ)なのである。
現遠月學園のトップである薙切仙左衛門の古馴染みであり、親しい仲だったらしい。昼也も深くは知らない。しかし、薙切一族と喫茶─mid night─の付き合いはそこから始まったものだった。
「それで?入寮希望の話は幸平創真しか聞いてないんだがね」
「…………ちょっと、厨房を借りたくて来たんすよ。ついでに携帯の充電もさせてもらえたらいいかなぁ、と」
「なんだい、祖父が祖父なら孫も孫だね。揃ってコーヒー中毒かい。良いだろう、厨房は貸す。ただし───────私の分も淹れてもらおうかね」
「まあ、借りる身分だしそれぐらいなら構わねぇよ」
トントン拍子に話は進み、二人揃って厨房へ。ついていけなかった田所がオロオロしていたが大御堂が後ろ手に手招きしたことで、慌てて二人を追いかけるはめとなった。
さすがは料理学校の寮。設備は綺麗に整えられており、誇りの類いもなく、清潔感に溢れている。
そんな中で始めてきたはずの昼也は迷うこと無く進み、ある戸棚の前で立ち止まると徐に戸をひらいた。中には市販のコーヒーの粉が各社揃っていた。
一瞬、眉を潜めた昼也はそれらを全部取ると調理台に置き、スプーンは何処かと尋ねる。そして教えられた場所から一本持った。
見ている二人には何をするのか分からない。昼也は袋を全て開けると無造作にその中へとスプーンを突っ込んで中身を掬いドリッパーに広げたペーパーフィルターに落としていく。その作業を何度か繰り返していた。
ここまで見れば分かるだろう。彼は市販のコーヒーの粉をブレンドしているのだ。一度入れれば戻すことは困難であるために慎重に慎重を重ねるべき場面でありながら彼の手の動きに淀みは一切無い。
1分と経たずに準備は終わりを、いつの間にやら用意していた適温の湯を薄く回し掛け、少し置き、そして周りから円を描くように静かにお湯を注いでいく。
するとどうだろうか。厨房には芳しい香りが充満するではないか。
嗅覚に直に訴え掛けてくるその匂いは高級アロマにも引けを取らないリラックス効果を嗅いだ者へと与えてくれていた。
田所も大御堂もはじめての経験だった。香りを嗅いだだけで涎が出そうになるコーヒー等出会ったこともない。
「ほれ、飲んでいいぞ。田所さんのもな」
そんな二人の現状など知らぬ存ぜぬ。昼也は一足早くコーヒーへとありついていた。
一口傾け、吟味し、少し首をかしげて眉間にシワを寄せる。どうやら彼のお眼鏡には叶わなかったようだ。
不味くはないが、特別旨くもない、というのが彼の評価だった。
しかし、そんなコーヒーに出会ったこと無い二人は違う。熱さも忘れて飲み尽くしてしまっている。
コーヒーの適正温度は60度から70度。上限を上回れば熱すぎ、下限を下回れば温い。今回の温度は61.4度。まあ、適温といった所の温度だった。
粉の分量、組み合わせ、お湯の温度、お湯の量、蒸らす時間、その他併せて彼の導きだした黄金比に則った上での1杯。
「まさか、旭以上の味に会えるとはね……………………」
「美味しいです」
無くなってしまったカップを見ながら大御堂は感慨深そうに、田所は嬉しそうな様子で感想をのべた。
そう、感想である。それも最も短く、端的にその1杯を言い表した感想。
昼也はそれを聞いて、徐にその場を動くと田所のカップにコーヒーを注ぎ直した。
驚く田所だったが、先程の美味しさをもう一度、と嬉々としてカップへと口をつける。そして目を見開いた。
「味が違う…………!」
先程も美味しかったが、こちらも美味しい。そして全く別のもののように味が変わってしまっていたのだ。
原因はお湯の温度の変化。今度は少し熱く、そして少な目に注いでいた。結果、味の変化が起きていた。
やはり嬉しそうに飲む田所。その姿を見つつ、昼也はコンセントに刺さった充電器に繋がれた携帯を見る。
夥しい量の着信履歴と、メールが表示されていた。
流石に状況の不味さを理解した彼はそそくさとコーヒーを飲み干して、着信履歴の一番上に出ていた番号へと電話を掛ける。
一秒で出た相手にこっぴどく叱られたのは語るまでも無いことだった