喫茶ーmid nightー 作:江月
─喫茶 mid night─
奥まった通りにある知る人ぞ知る名店。美食の一族すらも魅了する一杯のコーヒーと軽食が売り、というか客の目当てだ。
何故かというと、当の店主が仕事に関して無気力だから。具体的には客が居ても安楽椅子に腰掛け本を片手にコーヒーに舌鼓を打つほどにやる気がない。
それでも一日のんびりしていられる程に儲けているのだから、才に溢れるというか、不条理というか。世の料理人に喧嘩吹っ掛ける程度にはなめ腐った根性をしている。
「来たわよ!昼也君!」
「……どうも」
「………………」
静謐だった店内の空気にそぐわないけたたましい声。しかし店主たる昼也は一瞥すること無くいつも通り、ハードカバーの本に目を落としたままだ。
今回の来店は少女と少年の二人組。活発な少女と眠たげで気だるげな少年と対照的な印象を受ける。
薙切アリスとその付き人黒木場リョウである。
二人も、というかアリスはその名字が示す通り美食の一族に名を連ねる、“努力”の人だ。その料理の腕は相当であり、その調理風景は一種の科学実験に見えるともっぱらの噂。
さて、二人がこの店にやって来たのは単に茶をしばくためではない。いや、喫茶店で何するんだと問われれば茶をしばく、というのが正解なのだろうが、とにかく二人は、特にアリスは別の目的でやって来た。黒木場はその付き添いだ。
「昼也君、貴方、えりなの誘いを断ったのよね?」
「…………」
「どうかしら?私の元に就かない?最新の機器が使い放題よ?」
「…………昼也、お代り」
「そこのポットに入ってる」
「聞きなさいよ!」
プリプリと怒るアリスを尻目に黒木場と昼也の二人はコーヒーを啜る。
今日の一杯は気に入っているらしく、昼也は眉を潜めること無くいつもより若干機嫌良くコーヒーを嗜んでいた。
その様子に更にアリスの機嫌が悪くなる。元来薙切の家の人間は少なからず気位が高いというか、プライドが高いというか、とにかく傲慢な面が多分にある。
とはいえ、昼也はそれを知った上で無視しているのだが。興味があるのは旨いコーヒーを淹れて静かに過ごすことのみなのだ。地位、名声、大金、どれも興味がない。
だからこそ誰もが媚び諂う薙切の者たちにもいつもの態度をとり、その態度が彼らにとって新鮮であり、受け入れられる理由なのだろう。
「もう!何で私は無視するのにリョウ君の言葉は聞くのよ!」
「…………………………はぁ……何だよ」
「貴方が!私の元に!就かないかって…………」
「お断りだ。そのコーヒー飲んでとっとと帰れ」
「酷い!?うわーーーん!!リョウくーーーん!!」
「……元気だしてください、お嬢」
「だいたい、何なんだよお前ら。学校に来いだの、下に就けだの。そういう厄介事をここに持ち込むんじゃねぇよ。一族郎党出禁にするぞ」
ジト目と言いたいことを散々にぶつけた昼也はコーヒーで喉を潤し再び本へと目を落としてしまう。
これだけで普通ならば憤慨しそうなものだが、アリスは頬を膨らませるに留まった。そもそも、嘘泣きなのだから特に咎めることでもない。
第一、昼也の口が悪く素っ気ない事など常連は皆周知の事実なのだ。毒舌の一つや二つでキレていては至高の一杯にはありつけない。
アリスは黙ると両手でカップを持ち上げチビチビと飲んでいく。その視線はユラユラと安楽椅子で揺れる昼也へと向けられたままだ。
暫く見つめていれば、店内に何やら良い匂いが漂ってくる。
料理人として嗅覚に優れた二人は直ぐ様どこから香っているのかを探しだしていた。
それは店の少し奥に設置され、中は見えないキッチンから。程なくして、タイマーの音が聞こえてくる。
その音を確認したのか昼也は一つため息をつくとチラリカウンター席の二人へと目をやり、やがて立ち上がった。
膝掛けを安楽椅子へと被せ、その上に本を置きキッチンへと向かう。
暫くゴソゴソと何か準備を行い、やがてその手に二枚の皿を持って戻ってきた。
「……こいつは……!」
「た、食べて良いの?」
眠たげな目を見開いた黒木場と常には見られない緊張をはらんだアリスの二人は件のマスターへと問う。その目はどちらも期待の色が見てとれた。
見られた昼也はやはり一瞥すること無く安楽椅子へと座り直し、膝掛けを乗せ本を開く。言外に出したんだから食え、と言われているような気がする、そんな反応だ。
二人は一度唾を飲み込み、傍らにいつの間にか添えられていたフォークを手に取った。
そして皿の一品へとユックリ、それを差し向ける。
サクリ、と生地が鳴り、中には絶妙に火の通ったリンゴがこれでもかと内包されている。
そう、これはアップルパイ。それもこの店で伝説とも言われる代物だ。噂ではこの一切れで美食の一族がすべからく骨抜きにされたとも言われている。
アリスも黒木場も一度だけ、このアップルパイを味わったことがあった。
その時の衝撃と感動は夢にまで出てくる程であり、何度も再現しようと試行錯誤を繰り返したが結局完成には至らなかったという過去を持つ。
出されたのはそんな一切れ。三角の頂点をフォークの横で切り離し、口に運ぶ。
瞬間駆け抜ける、リンゴの豊潤な香りと甘さ。一口噛めばその都度果汁が溢れ、それでありながらその甘さは全くしつこくない。生地も薄いながら、その存在感を発揮しており正に完成されたアップルパイ。
だが、二人の衝撃の大元はそれだけではない。
(これは…………!)
(ま、まさか……そんな…………)
((上達している!?))
過去に一度食べたアップルパイを越える旨味を味わったことによる感動は容易に二人の思考を浚っていった。
無心にして無言、しかしその表情は幸せ其の物。ものの2分とかからずに二人の前に出された一切れは無くなってしまったのだった。その事に気づいたのはフォークと皿が空しくぶつかり合い軽い音をたててからだ。それほどまでに集中して二人はアップルパイへと向かっていた。
“必殺料理”というものがある。料理人がその一皿にすべてを乗せ、食べた客は作った料理人の顔が見え、老若男女問わず旨いという一皿のことだ。
昼也のアップルパイはそれに近い。違う点は、一口食べると有無を言わさずにその味へと浸らせてしまうことだろう。それも食べ終わるまで食べている本人も気づかぬ程にその手が止まらなくなってしまう。
何も浮かばない。ただひたすらにその一皿へと向かわせる、そんな料理なのだ。
アリスは無言でその空になった皿を見つめ、次にコーヒーを啜ることで口の中の幸せの余韻を押し流す。出来ることならばもう少し味わっていたいのだが現物が味わえないならば幸せは毒と代わりない。
鬱屈なため息をついたアリスの隣では黒木場がフォークをくわえたまま腕を組み、眉間にシワを寄せて瞑目していた。
旨い。それがアップルパイへの感想だった。食べ終わるまで箸を、今回はフォークだが、とにかく食べ終わるまで食べる手段を止めさせない旨味。
この一品に関しては遠月においても上位。いや、もしかしたら敵うものは居ないかもしれない。それが“十傑”最上位に位置する一席であってもだ。
そも、再三言っているがこの店の店主がやる気がないのは周知の事実なのだ。しかし、極稀に彼は厨房に立つことがある。
それは今回のようにアップルパイを焼くためであったり、客の要望に珍しく答えるときであったり、と理由は様々だがその際の腕は群を抜いている。
喫茶─mid night─にはメニューは本来一つしかない。
『本日の一杯』それだけ。
軽食のメニューに関しては客が頼み、尚且つ店主がやる気になれば出てくるというスタイルなのだ。
店として破綻しているようなものだが採算がとれているため当の店主がこの業務形態を変えることはない。
そうこうしている内に、店内の端に置かれた柱時計が時報を鳴らす。アリスが文字盤を見ればかれこれ一時間程店にいたことが確認できた。
チラリと昼也へと視線を送り、やがてため息をついて鞄からお代とそして一通の封筒を取り出し、置いて黒木場を伴い店を出ていってしまうのだった。
挨拶もすること無く、ペラリペラリと一定の間隔でページを捲る音が店内に響いていたが、やがてため息をつくと昼也は代金を近くの引き出しへ、そして封筒を手に取ると、開けて中身へと目を通し、再び大きくため息をついた。
いつぞや、えりなが置いていったものと同じ内容の紙切れ。所謂、編入届け、といったものがそこにはあった。
既に学園長の判が圧してあり、入学許可の連名として薙切の二人の名が書かれている。
どうやら美食の一族は意地でも昼也を遠月学園へと引き込みたいことが第三者からも分かってしまう。
そんな誘いを受けている当の本人は体の奥底より止めどなく溢れてくる、鬱屈なため息を止めること無く、吐き尽くすしかなかった。
そして編入届けを前回のものと同じ場所へと放り込み、安楽椅子から立ち上がると厨房へと向かい、アップルパイが乗った大皿を持って戻ってきた。
カウンターに皿を乗せ、ついでに持ってきたフォークを切り分けてすらいないアップルパイへと突き刺し、千切り、頬張る。
現実逃避に、彼は暫くの間、やけ食いに勤しむのだった。