喫茶ーmid nightー 作:江月
秋の選抜。
既に出場者は決定しており、お題も提示されている。
本番までは凡そ一ヶ月といったところ。出場者は自身の作る料理へと例外無く追われていた。
「……………………怠い…………」
大きく欠伸をしながら昼也はガリガリと頭を掻いていた。現在午前11時、随分とお寝坊さんである。
今は夏休み。選抜に選ばれた生徒達は各々が課題を突破するために試行錯誤をしているなかで、彼の生活態度は明らかに喧嘩を売っていた。
だが、究極のバランサーとも言える昼也にとっては試行錯誤もくそもない。元より基本を崩す気の無い彼は今日も今日とて惰眠を貪り、趣味に精を出すのだ。
「まあまあ、だな…………」
目覚めの一杯を淹れて、一口啜ってホッと一息。夏でも彼はホットを飲む。アイスコーヒーが嫌いな訳では無いのだが淹れるときにはブレンドを一から作り直さねばならない。
そも、アイスコーヒーは最初から冷たい訳ではない。大きめのグラスに縁まで氷をタップリと入れて、そこに濃いめのコーヒーを淹れて作るのだ。アイスコーヒーがアホみたいに大きなグラスに入って出てくるのはそのためである。
一応、グラスも氷もあるのだが、まあ、面倒なのである。
さて、そんな物臭ダメ男の昼也の本日の予定────は特に無かったりする。いつもならば店に帰るところなのだろうが、生憎と気が乗らない。元より道楽の店だ。潰す気は無くとも熱意も、無い。
それで店が保てるのだから世の中分からないものだ。
とりあえず試作するか、といつもの道具を広げようと棚へと近付き、ベルが鳴った。
何かと心配性なえりなを筆頭として薙切家に持たされた携帯電話。滅多に鳴ることなく、基本的に充電器が刺さったままのそれが鳴ったのだ。
昼也は露骨に顔をしかめた。掛けてくる相手など両手の指でも余る程度にしか居ない。
用事が無いから何かしよう、とは彼は思わない。用事が無いならダラダラしよう、が彼のスタンスである。
出たくない。しかし、勘だが取らねば切れることはない、という確信が昼也にはあった。
逡巡し一つため息。渋々携帯を手に取り、ボタンを押して耳に押し当てた。
「もしも…………」
『遅い!遅すぎるわよ昼也君!!』
「……………………ッ…………」
一瞬意識が飛ぶような錯覚を受けるほどの高音。未だに耳なりの鳴り止まない彼の耳のなかがその威力を物語っている。
昼也の知り合いでここまでの音量で叫ぶ相手など候補はただ一人のみ。
「…………で、何のようだよ、アリス。話し相手が欲しいんなら黒木場にでも頼めよ」
『リョウ君と話が弾むわけないでしょ!そんなことより、昼也君って暇よね?』
「…………いや、超いそが………」
『ダウト。間が空いた時点で暇なのバレバレよ。どうせさっきまで寝てたんでしょ?』
「……………………」
秒でバレた。えりな程ではないにしても付き合いの長いアリスには何かと誤魔化しが通用しない。
「じゃあ何のようだよ」
『プールに行きましょ!』
「却下」
『ブブーッ!却下出来ませーん!早く来なさいよ!40秒で支度なさい!』
一方的に捲し立てられ通話は切られた。
昼也は電話を片手に立ち竦む。正直、面倒だと思っているのだが、行かない方が面倒になることは目に見えている。暫くの葛藤を経て、彼は渋々荷物を纏めに部屋へ向かうのだった。
◇■■■■◇
「あぢぃ……………………」
いつものバーテン服のベストとサロンをとった姿の昼也は半ばゾンビのように鳴りながら炎天下の日光に焼かれていた。
「ほらほらー、だらしないぞ昼也君」
「いや…………マジで…………暑い…………」
「いつもホットコーヒー飲んでるんだからこれぐらい平気でしょ?」
「…………帰っていいか?」
「ふふっ、ダーメ」
昼也の斜め後方では楽しげに笑うアリスと彼女に付き従うスイッチの入っていない黒木場。そして
「何で私まで…………」
未だに状況が完璧には飲み込めていない制服姿のえりなが居た。
四人が居るのは市民プールの前。完全に燃え尽きかけている昼也や腑抜けた状態の黒木場はそうでもないが、アリスとえりなは美少女だ。育ちのよさも相俟って場違い感が半端無い。
「分かってないわねぇ、えりな。私たちの感性は一般市民とはかなり違うのよ?様々な視点を取り込むのも料理人には必要な事だわ!」
「俺、バリスタ…………」
「ほらほら行くわよ!ま、お子ちゃまえりなには無理かも知れないけどね~」
「~~~~ッ!行くわよ!行けばいいんでしょ!」
明らかにのせられたえりなとその背を楽しげに追い掛けるアリス。
置いていかれた男二人はというと
「テンション高ぇな」
「…………とりあえず行こうぜ。暑い」
「おう」
荷物を二人で分担して持ち上げ後を追うのだった。
◇■■■■◇
その日、市民プールは妙なざわめきに包まれていた。
主に騒いでいるのは男達。彼等の視線の先には二人の少女。
フリルがあしらわれた白いビキニ姿のアリスと長袖の上着を羽織ったえりなの二人だ。
「さあ!リョウ君、早くパラソルを広げてちょうだい!ここが今日の本拠地よ!」
「…………うす」
「黒木場…………早く…………暑い…………」
「ホントモヤシな奴だな」
「うるへ、筋肉オバケめ」
パラソルの準備をする黒木場とその隣に踞りダラダラと汗を流す昼也。片やファイアパターンの水着、片や黒一色の水着に灰色のラッシュガード姿。
そして体つきは対照的だ。常に体を鍛えている黒木場に対して、インドア派な昼也はヒョロイ。病的とまではいかないが不健康そうな白さがあった。
「相変わらず昼也君はヒョロヒョロよねー。そんなんじゃモテないわよ?」
「別にモテなくて良いだろ。むしろ、恋愛とか面倒そうだからパスだな」
「えー、つまんなーい。えりなからも何か言ってあげなさいよ!」
「な、何で私に振るのよ…………べ、別に彼の勝手じゃないかしら…………?」
「あーあ、面白くないわねー。それにいつまでその上着着てるのよ。脱がないと泳げないでしょ?」
「ッ…………わ、分かってるわよ」
言いながらもえりなは上着を脱ぐ気配がない。その視線はチラチラと昼也へと向けられていた。
当の視線の矛先を向けられた本人はパラソルの影に引っ込み、魔法瓶に入れたアイスコーヒーを飲んでいる。
「ほっほ~~」
「な、何よ…………」
「べっつに~……………………とりゃ!」
「きゃあ!?」
それは一瞬だった。アリスはえりなの上着を剥ぎ取ったのだ。
露になるのは極上の肢体。黒のビキニが扇情的だ。
二人が並んでポーズをとれば男の一部がスタンドアップするほどに魅力に溢れている。現に何人かは前屈みだ。
「元気だな、お前ら…………」
「見張りはやっときますから、遊んできていいっすよ」
例外二人は無反応。黒木場は膝を抱えて座り、昼也は胡座で座り、腕を支えに若干後ろに傾いている。
「じゃ、行くわよ!」
「ちょ、待ってよ」
二人が駆けていくのを見送り、残るのは野郎二人。
「…………ん」
「お、悪い」
昼也がコーヒーの入った紙コップを渡し黒木場がそれを受け取る。特に示しあわせる事無くあおった。
「旨い」
「そうか?俺的にはもう少し深みが欲しいんだが…………」
「相変わらずだな、料理に回せよ、その熱意」
「無理」
不毛な会話だ。
黒木場としても自分の言葉で昼也のスタンスが変わることなど期待してはいない。とはいえ自分の主人の意向もあるため、まあ、ダメ元で言ってみただけである。
「元気だなアイツ等」
「お嬢もえりな嬢もこういう遊びとは無縁だからな」
「大変だな薙切ってのも。庶民万歳だ」
「…………そういえば、昼也。お前も選抜入りしてたよな?」
「まあな。不本意ながら、何で選ばれたんだかサッパリだ」
「本選で当たっても、俺もお嬢も手加減無しでやるから、そのつもりでいろよ」
「…………何で俺が勝ち上がる前提なんだよ。30人中の4人だろ?勝てるわけ無いっての」
「……………………はぁ…………」
黒木場のため息も無理からぬこと。少なくとも、宿泊研修の結果だけを抜き出せば間違いなく昼也はトップクラスだ。
それこそ一年で十傑に名を連ねるえりなにも迫るもの。知らぬは当人のみ。
「……………………暇…………」
「游いでくれば良いだろ?」
「言ってなかったっけ?俺、泳げねぇのさ。ちょいと寝る」
追及から逃れるように昼也は言うと支えを腕枕にしてごろりとその場で横になる。
直ぐに寝息が聞こえてきた。
◇■■■■◇
「あら、リョウ君。昼也君寝てるのかしら?」
「…………うす」
「石の上よね?痛くないのかしら…………」
戻ってきたアリスとえりなは眠る昼也を上から見下ろす。濡れた二人は…………うん。
その状況でアリスはキュピーンと瞳を輝かせて隣のえりなへと耳打ちした。
「な…………!ほ、本気!?」
「良いじゃない。減るもんじゃあるまいし」
■◇◇◇■
市民プールにてその絵は酷く似つかわしくなく、目立っていた。
「~~~ッ…………!」
頬を染めるえりな。彼女は敷かれたシートの上に正座しており、その日膝の上には眠りこけた昼也の姿。
所謂、膝枕、である。
けしかけた当人であるアリスはニヤニヤとその様子を見ていた。
「……………………んあ?」
少しして、枕の柔らかさの違いに気がついたのか昼也は目を覚ます。
ぼんやりと下から見上げる形となった彼の視界には、豊かな双丘と赤くなったえりなの顔が映っていた。
「何やってんだ、えりな」
第一声がこれとは、この男枯れているのではなかろうか。普通美少女の膝枕など金払ってもやってもらいたい事だろうに。
そんな周りの嫉妬の目など知らぬ存ぜぬ。昼也は特に名残惜しそうにもせずに起き上がった。立ち上り、寝汗を掻いた為か上着の前を開ける。
直後に風が吹き、上着がはためき、背を向けられていたえりなはその傷を見てしまう。
「それ…………あの時の?」
「あ?ああ、この傷か。まあな」
「……………………消えないの?」
「これでも大分消えた方だろ?むしろ後遺症もなく済んで万々歳さ」
腰に残る掌程の大きさの斜めに走る傷。
これを語るには凡そ10年以上前へと記憶を辿らねばならない。
「ま、今さらだな。知ってるだろ?過去って“過ぎ去る”て書くんだぜ?そこらの道路ならまだしも、時間はどうしようもない。何れ風化して忘れちまうのさ」
そう、忘れられる。
そんな呟きが夏の空に溶けて消えた。