喫茶ーmid nightー   作:江月

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三杯目

 ─喫茶 mid night─

 美食の一族のみならず多数の著名人がお忍びで訪れる隠れた名店である。一説ではその味を盗むためだけに出入りした者も居たとか。そしてその悉くが圧倒的な技量の差の前で挫折を味わい店を閉めるものも多数出たとはもっぱらの噂だ。

 今日も今日とて閑古鳥がシャウトしている店内ではカウンターの内で安楽椅子に揺られながらコーヒーを楽しみつつ本を読み進める昼也の姿があった。

 そして、カウンター席、昼也の正面よりやや右斜めの位置に一人の男性が座っている。坊主頭にスーツ姿の大柄な男性、堂島銀。遠月リゾートの総料理長を務める男だ。

 彼は出されていたカップをとり、薫りを一頻り楽しむと、口をつけて静かに傾ける。口に含むのは本の少し。ワインのテイスティングのように暫く口内で遊ばせて、やがて、飲み込む。

 

「やはり、良い香りだ。それに味わい深く、後を引かない」

「………………どうも」

 

 堂島の賛辞に、しかし昼也はいつもの様子。見た目筋肉オバケの強面が相手でもそのスタンスは崩れないのだ。

 堂島としてもそれは予想しており、既に何度と無く来店しているのだから慣れたもの。この物臭店主が相手では話も弾むことが殆ど無いことを知っているからかいつものように店内の観察を行う。

 喫茶─mid night─は基本的に照明を少し暗めに設定してある。夏場に店内に入れば目が眩む程度には暗いのだ。

 店内は東から西へと伸びる長方形。出入り口が南西の方角に在り、その正面にはトイレ、左側には目隠し用の生け垣。

 数歩進めば直ぐに生け垣の端へと達し、そこから左へと曲がると直ぐにカウンター席と二人掛けの席がカウンターから離して二つ設置され、更に奥に進むと一段上がって、四人掛けの席が二つ並んで設置されている。

 カウンター内には入り口に近い方に安楽椅子が設置され、その背後には壁一面の大きな棚。そこにはコーヒーを淹れる際に用いる、ハンドミル等の道具の他にハードカバーの本が大量に置かれていた。

 安楽椅子の反対側には小さいながらも設備の整ったキッチンが設置され、その手前には扉が一つ。扉の奥はこの店の主の居住スペースへと続いている。

 一人で営業するならば十分だろう。元より客数が少なく、当人も金儲けに興味のない物臭ならばこれ以上は持ち腐れとなってしまう。

 そしてこの店には古いレコードプルイヤーが設置されていた。時折音が飛んでしまうがそれもまた味を出しており、店内には耳を澄ませば微かに聞こえる名曲の数々が流れている。

 

「昼也君、君は遠月には行かないのか?」

「………………堂島さん。あんたも俺に面倒事を投げつけるのかよ」

「辟易していることは知っているさ。中村も君が色好い返事をしてくれないと、愚痴っていたぞ」

「…………チッ、あのオッサンめ。今度来たら顔面に塩ぶつけてやる」

「やはりアイツは此処には来るのか。美食の亡者もこの一杯には敵わないらしいな」

 

 呵々大笑。機嫌良く笑う堂島に昼也は苦虫を五、六匹一気に噛んだような苦々しい顔をしていた。

 誰しも得手、不得手があるようにこの誰に対しても態度を変えないこの男にも苦手な相手は存在している。

 堂島銀というこの筋肉オバケもその一人だ。

 というのも幼い頃から、それこそえりなよりも更に昔から知っている相手であり、どうにもこの人柄を前にすると普段の毒舌が若干、それも誤差の範囲だが鈍ってしまう。同じくらい付き合いの長い薊には異常に辛辣だがそこは目をつぶる。

 やがてパタリと本を閉じた昼也は厨房へと引っ込んでしまった。

 その背を見送った堂島はクツクツと軽く笑う。昔からこの少年はバツが悪くなると決まって動きだし、別のものへと注意を逸らそうとするのだ。

 今回は良い匂いがすることから、どうやら菓子で気をそらそうとするらしい。

 果たして、昼也が持ってきたのは大皿。その上に鎮座するのは爽やかな柑橘系の匂いを纏ったレモンパイ。

 これはパイ皿の上にレモンの果汁や果皮を混ぜ込んだクリームを盛り付けたものだ。完成間際にクリームに若干の焼き色をつけるのも特徴の一つか。

 一口食べればたちまち広がるレモンの爽やかな風味とクリームの甘く、一瞬で口の中で溶ける至福の時を味わえることは明白だ。

 だが、見るものが見ればこの状況はお世辞にも誉められたものではない。

 前述にもあるように昼也の目の前でおおらかに笑う筋肉オバケは遠月リゾートの総料理長を務めているのだ。

 そして過去最高得点をもって遠月学園を卒業した傑物。生半可な料理を出した暁には酷評されることが目に見えている。そこに付き合いの長さは関係無い。

 現に堂島の目元は鋭くなっており、その目は出されたレモンパイの一切れへと向けられている。同時にそのゴリゴリとした肉体から覇気のようなものさえ窺えるのだから恐ろしい。

 が、その料理を出した本人は気にせずパイを乗せた大皿にフォークを突き立てていた。いつぞやのようにやけ食いを敢行するつもりのようだ。

 それを尻目に堂島はゆっくりとレモンパイへとフォークを入れて小さく切り取る。パイ皿とクリームの共演。

 一口、口に含めば突き抜けていく爽やかさと甘さ控えめなクリーム。パイ生地もやはり甘さ控え目だが食感が際立つ、そんな感想を持つ。

 食べていた堂島の表情は和らぎ、雰囲気も元の状態へと戻っていった。むしろ空気が緩んで、それに併せて頬も緩んでいく。

 オッサンの緩んだ顔など見たところで嬉しくもないが、とにかく昼也のレモンパイは合格らしい。

 一切れなど瞬く間に無くなり堂島はコーヒーでその余韻を押し流して、ホッと息をついた。

 今回のコーヒーはどちらかというと浅煎りだったからか、レモンパイとの相性は完璧だったのだ。逆に深煎りだった場合は甘い、例えばチョコやキャラメル等がよく合う。

 

「さて、本題なのだが。君はこのままで良いのか?」

「あんたまでそんな事言うのかよ。何だよ、俺がどうしようと勝手だろ」

「確かに勝手だ。しかし、店に閉じ籠るだけでは君の求める至高の一杯へは到達しないんじゃないか?」

「………………」

 

 堂島の言葉を昼也はこれ以上は否定しない。確かに手詰まりであることには代わりないのだ。

 料理の腕は明らかに向上した。コーヒーに関する知識も増しており、着実に自分の思う至高の一杯へと近付いている──────筈なのだが、どうにも一定のラインから上へと昇れない。

 何かが足りないことは分かる。しかしその“何か”が何なのか分からない。

 

「遠月の十傑については知っているだろう?」

「…………特権持ちだろ?」

「そう、食に関する研鑽。その全てを認められる。君のコーヒーに対する熱意も認められることだろう」

「………………堂島さんは俺のコーヒーに何が足りねぇと思う?」

 

 この問いに、しかし堂島は答えない。いや、正確には答えるモノを持っていない。

 “コーヒー”という一分野に関しては昼也、知識、技量併せて類を見ないレベルで兼ね備えている。それこそ自分より上だと堂島が思うほどに。

 それに

 

「君と俺では味覚が違う。コーヒーに傾けている情熱も含めて、な。料理に関しての問いを料理人は自分で答えなければ大成しないものさ」

「堂島さん、爺みたいなこと言うんだな」

「ふっ、そこまで老けてはいない。さて、良い時間だ、御暇しよう」

 

 そう言って堂島は立ち上り、会計の代金と一緒に封筒をカウンターに置いて店を出ていった。

 常連は全員こうなのか?と内心で愚痴りつつ、封筒をそこらの棚にぶちこみ、代金を回収して安楽椅子へと腰掛ける。

 脳裏に思い出されるのは堂島の言葉。

 しかし、自分にその技術はないと昼也自身は考えている。いや、そんな事は全くないのだが、当の本人が料理に対する熱意が薄い点と食べるものたちが基本的に感想を述べる前に完食してしまう事に理由がある。

 つまり、この男。少なくとも店で料理を出すようになってからマトモに感想を言われたことがなく、更に本人は他人の食事風景など興味がないため食事している者達の表情を面と向かって見たことがない。結果、自身の腕を正確に知る機会が無かったのだ。

 食べ比べれば分かる、と思われそうだが、出不精なこの男が外食などするはずもなく、そして今まで彼に料理を振る舞った料理人は居なかった。常連の大多数が料理人であるというのにこの始末とは質が悪い。

 

「遠月、かぁ…………」

 

 ギシリ、と安楽椅子が軋み昼也は目を閉じる。

 利点はある。堂島の言う通りコーヒーに関する知識を更に深め技術を磨くことも出来るだろう。しかし、遠月学園にはそれらメリットを叩き潰して余りあるデメリットもある。

 それを思い浮かべ自分がそれに向かうとなると、自然とゲンナリとしてしまうのだ。

 何より遠い。それこそ通うためには近くに新たに住居を構えるか、若しくは寮に入らねば通うのが億劫になってしまう。

 実際、迷う理由の大半はそこにあるのだからこの男も救いようがない。

 

「どぉーすっかなぁ…………」

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