アーブラウとSAUがついに開戦へと踏み切ったのは、鉄華団がガラン・モッサを作戦参謀に迎えてから三日後の事である。
発端は互いの国境地帯であるバルフォー平原。SAU側の偵察機がMSの動力源であるエイハブ・リアクターの影響を受けてしまい、平原のど真ん中に墜落してしまった事が原因とされている。
当然ながらこのMSとはアーブラウ防衛軍に所属する機体であり、こちらも同じく作戦参謀である
──MSに標準搭載されているエイハブ・リアクターは、稼働しているだけで周辺の電波利用機器が使用不可となってしまう。だからこそ、これに対して特に対策も無かった偵察機が機体の制御を失い墜落したのは、誰のせいでもない事故というのが最も自然な見解だろう。
SAUよりもアーブラウの方が、直接的な被害を受けた分この事態を重く見ていた。両者の偵察機とMSの差とはつまりそういう事であり、これは両者の認識の食い違いによって起きた不幸な事故ともいえるはず。
けれど半ば偶然とはいえ人命が一つ失われてしまったのは事実であり──これによってSAUがついに戦端を開くのは、自明の理と言えたのだ。
◇
「両軍の認識の差異を利用して、偶然を装い見事にアーブラウとSAUを開戦させる……これ以上なく鮮やかな手腕ですね。いっそ感服するほどです」
アーブラウ前線基地の中で、鉄華団が設けた一角には団員たちの為のテントが数多く立っている。そのうちの最も大きい指揮官用のテントの中で、机の上に置かれた戦場一帯を示す地図を眺めつつもひとまずジゼルはそう評した。
テントにはジゼルの他に誰もいない。彼女はただ、地図の上に無造作に載せられた小石を眺めている。それらは地図の上にポツポツと点在していて、いくつかはペンキか何かで鮮やかな赤に塗装されていた。
「そしてこの戦力配置は……まあ、そういう事なのでしょうね。あなたの思惑が透けて見えますよ、ガラン・モッサさん」
誰もいないことを良いことに、ジゼルは独り言を抑える気配がない。故に今この場で
「戦局における狙いは見えましたが、しかしその目的が一向に見えて来ませんね……アーブラウとSAUの外交チャンネルも何者かの手で閉じられたまま。これでは和平が成立する余地がなく、戦争で決着をつけるのみとなる……そっちの方が、ジゼルにとっては好都合ですけども」
もしこの場にタカキかガランが居れば、即座にジゼルの異常性に勘付いたことだろう。特にガランならば、出来うる限りの手段を用いてジゼルを排除しようとしたに違いない。
しかし、当然ながらここに両者はいなかった。そもそもからしてそれを承知しているからこそ、ジゼルも自身の歪んだ願いをありのまま垂れ流すことが出来るのだから。普段は意識して隠している本性をさらけ出す解放感は、どこかジゼルを上機嫌にもさせていた。
「目的は未だに明らかとならず、戦端が開かれてから既に五日が経過している。いい加減に状況を打破しないと、鉄華団の評判にも響き始める事でしょうし……ああまったく、考えることが沢山ありますね。だからこそ、戦争とは楽しいのですが」
色々と破綻している彼女の思考だが、実のところ本気で鉄華団の利益の為に行動している点に偽りはない。ただ、利益を発生させるための手段として、戦争こそが最適解と思えるように誘導はしているが。それ以外は誓って不利益になるような行いも、視野を狭めるような嘘もついていないと断言できる。
とどのつまり、これこそが
「……あと二日ほどは、このまま彼の策に乗ってみましょうか。その後で彼の首を取り、返す刀で電撃戦を展開してSAU側の軍を黙らせてしまえば、少しは黒幕も浮ついて目的も見えてくるはず。”まずは殺してから考えろ”とは、うん、我ながら良い言葉ですね」
これは妙案とばかりに黄金の瞳を細めたジゼルはどこまでも禍々しく妖艶であり。
舌なめずりしてこれからの殺戮を心待ちにするその姿は、まさしく人を狩る狩人そのものであったのだ。
◇
MSとは、それだけでも戦場の趨勢を左右する強大な戦力に数えられる。
ようやく防衛軍として形を成してきたアーブラウ側はもちろん、軍事顧問である鉄華団も、外部から招かれたガラン・モッサ率いる傭兵団も、そして敵であるSAUすらも。
戦場を駆ける数が多いのは、いまだMWが一歩二歩も先んじるだろう。しかし現在は全ての組織において、MSが主力兵器となりつつあるのだ。
これにはMSで大暴れした鉄華団の活躍も大きく影響しているが、今は割愛して良い。それよりも重要なのは、戦場を左右するMSパイロットの中でも、とりわけ単独で戦場を支配してしまう
彼ら彼女らは圧倒的な技術や経験、そして勘によって凡百のMS乗りとは別格の実力を発揮する。十人力、百人力にも匹敵するその力は、まさにエースと呼ぶに相応しい風格を備えている。
今回の戦場においてこの域に到達しているのは、僅かに三人だけだ。アーブラウ側に二人、そしてSAU側に調停役としてやって来たもう一人である。しかし最後の人物はまだ戦場には立っていないのだから、アーブラウ側の二人が八面六臂の無双を成すのは半ば当然のことと言えよう。
『さてと、では死んでくださいな』
戦場で指揮を執るタカキの耳に、物騒なジゼルの呟きが通信越しに届いた。その直後、鋼の不死鳥はまさに目の前で味方のランドマン・ロディへ止めを刺さんとするMSを血祭りにあげてみせる。ヘキサ・フレームのジルダというらしいそのMSは、フェニクスのカノンブレードによって力任せにひしゃげられて原形を残さない。コクピットも丁寧に潰れているから、まず間違いなくパイロットは死んでいるだろう。
呼吸でもするかのように一つの命を終わらせたジゼルは、その感慨すら感じさせない気軽な口調で助け出したMSへ通信を飛ばした。
『大丈夫ですか?』
『は、はい! 助かりました!』
「負傷した人はいったん下がって! ジゼルさんはこのまま敵を引き付けてください! 他の皆は援護だ!」
タカキの指示を受けて、全員が即座に動き出した。フェニクスが嬉々として正面のMS四機へ突貫し、その援護を二機のランドマン・ロディが担当する形だ。その背後では損傷が激しい先ほどのランドマン・ロディが後退しており、タカキたちMW組と共に戦線を一時離脱する。
と、その時だ。移動するタカキたちの頭上を飛び越えるように緑色のMSが通り過ぎた。シャープな形状をした細身のそれは、ガラン・モッサの搭乗するゲイレールである。
『怪我はないか、少年たち!?』
オープンとなった通信からは風貌に劣らぬ堂々たる声が聞こえてくる。本気で鉄華団の心配をしているらしい彼がフェニクス達への援護に入ると同時に、鈍い音と複数の銃声がいくつもいくつも響く。そして三十秒ほども経過した頃には、背後で行われていた戦闘は終わっていたのだった。
『助かりましたよ、作戦参謀さん。礼を言いましょう』
『謙遜はよしたまえ。君たちならあの程度、いくらでも切り抜けられただろうに』
『では、そういうことにしておきましょう』
『ははは、食えない参謀さんだ』
通信から漏れ聞こえてくる、鉄華団の臨時参謀と防衛軍全体の作戦参謀による化かし合いの会話に、タカキの胃は締め付けられるばかりだ。どちらの腹も理解してしまっているからこそ、聴いているだけでも冷や汗が流れてしょうがない。もしこの場にアストンが居れば、タカキと共に数少ないこの状況の真実を知るものとして大いに同感したことだろう。
──戦局はアーブラウ側が圧倒的に押していた。アーブラウと同じくにわか仕込みの防衛軍がメインとなるSAUだが、彼らは調停役を頼んだギャラルホルン以外に外部戦力を所持していない。だからほとんどが戦争を未経験の新兵な一方で、アーブラウ側は年若くも場数を踏んだ鉄華団と、数こそ少ないがベテラン率いる傭兵団の存在がある。
この二者の存在が、アーブラウの有利を決定づけていた。
そして何より大きいのは、ジゼルが操るフェニクスとガラン・モッサが駆るゲイレールの存在なのだ。どちらも一騎当千の如き強者であり、文字通りに他を一蹴できるだけの力を持っている。戦場を縦横無尽に駆け巡り何度となく追い詰められた味方の窮地を救うこの二人には、多くの鉄華団員や防衛軍の者が賞賛の声を上げているのであった。
とはいえ意外だったのは、ジゼルがここまで手練れだとは思っていなかったことだろうか。タカキを含め何人かは察していたが、それでも大多数はまさか事務方の彼女がMS、それもガンダム・フレームに搭乗するとは予想もしていなかったのである。だからこそ、あるいは三日月にも並べるのではないかと思わせるその実力には誰もが感嘆するばかりだ。
「ガランさん、次の目標は?」
『攻め込んでもいいのだが……相手の思わぬ反撃が怖いところだな。あまり追い詰められ過ぎた鼠は思わぬしっぺ返しをしてくるものだ。無駄な犠牲を出すよりもここはひとまず引いて、こちらも態勢を立て直すことに注力するとしよう』
「……わかりました。ではその通りに指示を出しておきますね」
『頼んだぞ少年。まったく、君のような頼りになる男が居なければ。今頃どうなっていたことか』
豪快に笑うガランを相手に、タカキはぐっと口を結んでこらえた。そうでなければ、きっと自分でも想像がつかないような思わぬ言葉が飛び出てしまうと思ったから。
しっかりと通信が切れているのを確認してから、タカキはこらえていた口を開く。やはり、自分でも思いもよらない強い言葉が飛び出してきてしまった。
「無駄な犠牲……? いいや違う、これはただ戦況を硬直させているだけだ。これじゃ、いつまで経っても戦争は終わらないじゃないか……!」
タカキから見たこの状況は、いわば三日月がそのまま味方に来てくれたようなものだろうか。ガンダム・フェニクスを操り、情け容赦なく敵を屠るジゼルの姿は、どうしても彼の背中を連想させる。三日月と違ってどこか不穏な空気を放っているのがもっぱらの不安ではあるが、その代わりに頭が回るのだから頼もしいやら手に負えないやら。
ともかく現状はアーブラウが圧倒的に有利であり、油断さえしなければ幾らでもSAU側の守りを突破して王手をかけることも出来るはず。しかもここにガラン・モッサまで加えられるのだから、もはや躊躇う必要などどこにも無いのだ。
なのに全体の指揮を任されたガランの取る方針は、どこまで行っても慎重論でしかない。万が一をも考慮し、味方に無駄な犠牲を強いないというのは確かに立派だ。けれどそれは、チャンスを逃してまで徹底する事でもないはず。むしろ一気呵成に畳みかけた方が、終わりのない戦争よりも結果的に少ない犠牲にすることも出来るはずなのだから。
その程度のこと、ガラン程の男が思いつかないはずはない。であればこの状況が示すのはただ一つ。ガラン・モッサは、意図的に戦争を長引かせているという事だ。
「もしジゼルさんがこの場に居なくて、団長たちとも連絡が取れず何も知らないままガラン・モッサに従っていれば、きっと俺も疑問に思えませんでした。それくらい彼は器が大きくて、しかも自然に戦況をコントロールしています。事実俺とアストン以外の団員はまだ彼の正体を知っていませんけど、味方を大事にしてくれる頼れる人だと感じているみたいです」
『そうか、なるほどな。コイツは思った以上に厄介な相手だってことか……』
夜。鉄華団の前線基地に戻って来たタカキは、本部への定時連絡を兼ねて彼から見たこの戦争をオルガへと伝えていた。難しい顔つきで報告を聞き終えたオルガは、やや考え込んでから画面越しに労るような視線をタカキへよこす。
『ひとまず、無事にやってくれているようで安心した。まさか鉄華団の看板の為に命張ってくれるとは思わなかったが、それも命あっての物種だ。下手に気負ったりしなくていい、だから絶対に無理はすんじゃねぇぞ』
「はい!」
『いい返事だ。そんじゃ、悪いがジゼルに代わってくれ。ちょいと話さなきゃいけねぇことがあるんでな』
「分かりました」
オルガの頼みに素直に応じ、タカキは通信機器の隣へと移動した。そして入れ替わるように、無言で壁の花と化していたジゼルが通信機器の前に陣取ったのである。
「さてと、状況は先ほどタカキさんが伝えていた通りのものですよ。ガラン・モッサは戦力を散開させて小出しにすることで膠着状態を生み出し、しかも引き際を鮮やかに演出することで違和感も少なく戦況を長引かせています。敢えてこちらも彼の策に乗り続けてますが、中々の手練れだと感じさせる手腕ですね」
『ちっ、ラディーチェの野郎もたいがい面倒な手合いを引き込んだもんだ。もしアンタがいなけりゃ、もっといいようにタカキたちは扱き使われていたって事だな』
「きっとそうでしょうね。強くて豪快で、しかも人心掌握すら長けているとなれば、並の相手ではとても歯が立ちません」
暗に「自分なら歯向かえる」と言っているような言葉である。心なしか、オルガの目から見ても今のジゼルはどや顔を決めているかのようだった。もちろん、表情自体に変化はほとんど無いのだが。
「幸いにしてこの六日におけるこちらの被害は負傷者だけ、死者はまだゼロです。しかしそれも、このまま長引けばわかりません。きっと犠牲は出てしまうことでしょう」
『無茶を承知で聞くが、戦争を止める手段は何かないのか?』
「外交チャンネルが閉ざされている以上、武力によるものしかありません。ですがそれも背後にあのガラン・モッサがいる以上、実行するのは難しいでしょう」
『奴を排除することは可能なのか?』
「多少のリスクはありますが、やろうと思えば。ただ、やるならあと一日は欲しい所です。せめて彼の目的を探り出してしまいたいので」
『目的、か……そういや、ギャラルホルン側の目的はつかめたぞ。やっぱこっちの読み通りに戦争の調停だ。マクギリスの野郎に訊いたら、アイツ自身が来てるって話じゃねぇか』
SAU側にギャラルホルンが確認されたため、念のために鉄華団はその目的を調べていた。その成果をジゼルへと伝えたところ、彼女は顎に手を当てて何やら考えだしたではないか。
戦争の調停というギャラルホルンなら当たり前の行動の、いったい何を疑問に感じたのか。訝しむオルガとタカキの前で、ジゼルはポンと手のひらと拳を合わせた。
「一つお聞きしますがそのマクギリスという方は確か、ギャラルホルンの改革派筆頭という事で良いのですよね?」
『ああそうだ。腐敗したギャラルホルンを変えたいだとか、そのために俺らの力を借りたいだとか、散々言ってきたから間違えようがねぇ』
「なるほど……改革派の敵は旧態依然とした相手が道理……となれば……」
『何か読めたか?』
「ええ、まあ。憶測に憶測を重ねたものですけどね」
彼女にしては珍しく自信なさげな態度である。とはいえどんな突拍子もない情報でも今は欲しい。だからオルガが目で続きを促せば、ジゼルは指を順に三つ立てて見せた。
「戦争が長引いて得をするのは、主に三者です。一つは武器商人、一つは傭兵、そして最後は無益な戦争の責任を押し付けられる立場に居る者です」
『それから、戦闘狂が抜けてるんじゃないのか?』
「なら四者と訂正しておきましょう」
さりげない皮肉にも真顔で応じ、ジゼルは話を続けた。その間に指も四本に増やしてしまう。
隣で話を聞いているタカキは、意味が分からず困惑するばかりだ。
『武器商人と傭兵はまあ、戦争がなきゃ成り立たないから理解できる。だが最後のよく分からん奴は──』
「単純に政治の話です。かつてジゼルが参加した戦いも、そういった足の引っ張り合いは多くありましたよ。敗戦の責任を取らされるのは、いつも前線で命を懸ける指揮官ですから」
『だが、んなこと本当に有り得るのか? 足の引っ張り合いで戦争起こすなんざ、規模がでかすぎて想像できねぇよ。まさかマクギリスがそれに関与してるってのか?』
「その人物が改革派というならあり得ない話ではないです。不自然な外交チャンネルの封鎖も、ギャラルホルンの手によるなら説明がつきますからね。いつの世でも、異端児は爪弾きにされるものですよ」
その異端児筆頭のジゼルはどこか遠い目をして、此処でないどこかを懐かしそうに眺めていた。
色々と箍の外れている彼女なりに、苦労も多く有ったのだろうか。かつての自分らの苦労を思い出して、少しばかり共感してしまいそうになるオルガである。
「ひとまず、これでおおよその目星は付きました。おそらくガラン・モッサの背後に居るのは武器商人かギャラルホルンのお偉いさんでしょう。確率的には七対三と見ます」
『そんで、そこまで分かったならどうすんだ? まさかアンタがこのまま奴の言いなりってこたぁないだろう?』
半ば確信じみた口調で問いかけられ、ジゼルの口に笑みが灯った。やはり見る者を不安にさせる、魔性のそれ。隣で見ているタカキは肌が粟立つのを止められない。
こんな相手と対等に話しているオルガ団長は、いったい何を思っているのだろうか? 信用しているのか、もしくは利用しているだけなのか。その真意は闇の中だ。
しかしただ一つ言えるのは。この二人は間違いなく、利益が同じ方向を向いている限り非常に相性が良いという事だろうか。
「敵を知り、戦況を知り、そして目的を知ったことで、条件は全てクリアされました。故にこちらから仕掛けます。三日以内にガラン・モッサを討ち取り、SAUの喉元に刃を突き付けることで、『戦争を早期に終結させた偉大な組織』という名誉を鉄華団に齎してみせましょう」
ニタリと笑うその口から放たれたのは、あまりに大胆不敵な宣言であったのだ。