アーブラウとSAUの戦争、通称『式典戦争』が終わってから今日でもう二十日が経過した。次第に戦時下特有の緊迫した空気が溶け去っていく一方で、逆に人々の記憶に残りすぎて苦労しているのが鉄華団だ。先の式典戦争においては中心的な活躍を果たし、また喧伝の意味もこめて大々的にメディアに取り上げられた彼らは、名が売れすぎたおかげで嬉しい悲鳴を上げている有様である。
軍事顧問として義務を果たし、唾棄すべき戦争を独自に動く事で早期に終結させた素晴らしい組織──それなりに誇張も入っているが、おおよそ世間一般での評価はこんなところだ。その持ち上げぶりに誰もが喜ぶよりもまず困惑してしまうのは、これまで自分たちがそれほどまでに賞賛されたことなど無かったからだろう。
そしてその困惑とは、なにも団員たちだけに限ったことでもないのだ。
◇
鉄華団の者たちが戦う理由は様々だ。より良いゴールに辿り着きたいから、他に行く場所がないから、急成長している組織で働きたかったから、など理由は多岐に渡る。
だがその中には自分のためというよりも、他者の為に鉄華団で働いている者も当然いる。特に幼い家族に真っ当な教育を受けさせたいという願いを持つ者は多かった。
──タカキ・ウノの妹であるフウカが地球で学校に通えているのは、まさにその願いを叶えることができたからと言えよう。
「それにしても驚いたよお兄ちゃん、まさか正門に直接乗り付けるなんて。すっごく恥ずかしかったんだからね!」
「あ、あはは……俺もまさかあんなに目立つなんて思ってもみなくてさ……」
颯爽と路上を走る一台の車は、鉄華団がアーブラウより借り受けている黒塗りの高級車だ。その後部座席に座っているタカキは、同じく隣に座っている妹のフウカの言葉に苦笑いするばかりである。
元々、学校の近くでフウカを拾うのは予定通りだった。ただそれが思った以上に目立つ結果となったのは完全な誤算である。原因は八割方、しれっと無表情をしている彼女だ。
「確かに驚きましたね。まさか待っているだけであそこまで人が集まるとは。鉄華団のネームバリューも大したものですよ」
「いや、アンタがあんなところでハーモニカ吹いてたせいもあるだろ。皆アンタの方ばっか見てたぞ」
「おや、そうなのですか? 全然気が付きませんでしたよ」
そして前方で会話しているのは、荷物を抱えて助手席に座ったアストンとハンドルを握ったジゼルである。相変わらずのマイペースさに思わず頭を抱えるアストンを尻目に、ジゼルはといえば今時珍しいマニュアル式の車を事も無げに操っていた。
少々珍しい組み合わせの四人組、どころかジゼルとフウカに至っては顔を合わせた時に行った自己紹介が初対面である。にもかかわらずこうして同じ車に乗っているのは、つい先日に目が覚めたばかりのチャドのお見舞いという共通の目的が有るからであった。
「チャドさん、早く元気になると良いね」
「団長の話だとあと二日もすれば退院できるみたいだから、もうほとんど元気じゃないかな?」
「もう、お兄ちゃんったら、そういう問題じゃないの!」
「……つまり気持ちが大事ってことか?」
「いえ、まだ入院してるから元気と言い辛いだけでは?」
「アストンさん正解! ジゼルさんは合ってるけどやっぱり違う!」
「あはは……うん、フウカはしっかり元気みたいで安心したよ」
先日の式典戦争の発端は、文字通りに式典を狙って起きたテロによるものだ。その際に負傷した地球支部責任者のチャド・チャダーンは意識不明の重体であったのだが、ついに意識を取り戻したのが一昨日の事なのだ。
当然、オルガたちは回復を喜び次の日にはすぐさま見舞いに向かった。タカキたちももちろん見舞いに行こうとしたのだが、昨日は各々の都合が合わず行けなかったのだ。それで予定がずれて一日遅れとなり、ついでにいつまでもだらけていたジゼルはタカキたちの送迎役となった次第である。
この珍しい取り合わせはそのような事情が絡み合って出来た訳だが、意外とこれはこれで悪くないとタカキは感じていた。初対面のはずのフウカとジゼルが、案外と上手くやれているのが一番の要因だろう。ジゼルの本性の一端を知っているタカキからすればハラハラする組み合わせも、同じ女性同士で気安い関係性を生む一因となったようだ。
「ジゼルさんってどこでハーモニカ習ったの? 私たちも鍵盤ハーモニカとかは授業でたまに扱うけど、あんなに上手な人って先生にもいなかったよ」
「ほとんど独学ですね。本を読んで基礎の基礎を知って、後はひたすら吹き続けました。ひどい時は一日中吹き続けてしまい、唇の感覚がなくなったこともありますよ」
「そんなに吹き続けられるなんてすごいなぁ……あ、でももう正門の前でハーモニカ吹いちゃ駄目だからね! さっきアストンさんも言ってたけど、すっごく目立ってたんだから!」
「……一応、善処はいたしましょう」
頬を膨らませたフウカが言っているのは、学校終わりの彼女を車で迎えに行った時のことだ。ジゼルは当然の権利とばかりに学校の正門傍に車を近づけた挙句に、暇だからとハーモニカまで吹き始めたのである。その笛の音とついでに美貌で多くの者たちの視線を引き付け、しかも鉄華団のジャケットを羽織っている訳だから当然目立つ。
そのおかげで一緒に待っていたタカキたちまで巻き込まれ、恥ずかしいやら照れくさいやらなった挙句に、ジゼルは我関せずと吹き続けての知らん顔である。この時ばかりは彼女のマイペースぶりを恨みつつも羨ましく思ったものだ。
このように非常に衆目を集めている中で、わざわざ彼ら彼女らと共に行かなければならないフウカの羞恥心は、推して知るべしというものだろう。
「それにしても、ジゼルさんもお見舞いの品を持ってくるとは思ってませんでした。てっきり俺らの足代わりだけとばかり」
「……なんだか失礼なことを言われた気もしますが、否定はできませんね。でも、今回はちょっとばかし事情がありまして」
助手席のアストンが抱えている小包は、なんとも意外な事にジゼルからの見舞いの品であるらしい。普段の彼女を見ている限り、そういった気遣いにはあまり頓着しないタイプだと考えていたので驚いたのだ。
それがいったいどういう風の吹き回しなのか、タカキだけでなくアストンも気になっていたのだろう。不思議そうにしげしげと包みを眺めている。
「ああ、それは別に特別なものではありませんよ。ただの香辛料の詰め合わせですからね。アーブラウで入手できるものを詰め込んだお徳用パックです」
「……なんだそりゃ」
「まあ、
「私、辛いの苦手だなー……」
色々とツッコミどころはあるが、タカキが気になるのは”迷惑をかけた”という部分だ。人物はどうあれ真面目に働いていた彼女が、何かチャドさんの足を引っ張る真似でもしたのだろうか? 疑問ではあるが、人の失敗を問いただすのも良くないだろうから、それ以上の追及はしなかった。
と、車に備え付けられたナビがピコンと軽快な音を発した。見れば、目的地であるアーブラウ総合病院はすぐそこであるらしい。車の旅も気がつけばあっという間なものだ。
ゆっくりと車が駐車場に入る。クラッチを浅く踏みつつ慎重に駐車を行い、しっかりエンジンを切ってからジゼルが一言。
「さてと、無免許でしたが何とかなりましたね。警察……じゃなくて、ギャラルホルンに捕まったらどうしようかと思いましたよ」
「え……」
「あの、免許持ってないんですか……?」
「とっくの昔に有効期限が切れてますが、なにか?」
「嘘だろ……」
──帰りは電車で帰ろう。そう誓った三人であった。
◇
受付でチャド・チャダーンの見舞いに来たと告げれば、すぐに部屋番号は教えてくれた。昨日の今日で鉄華団がまたも面会に来た形だからか、既に対応も慣れたものであったらしい。
またも周囲からの好奇の目線を浴びつつ、清潔な院内をしばらく歩けば、そこはもうチャドの病室であった。
「もういつでも歩けるのに皆にわざわざ来てもらうなんて、なんか悪いっていうかな。もうすっかり治っちまったのにさ」
「いえ、チャドさんが回復してくれて俺たちもホッとしましたよ。もし何かあったらどうしようかと」
「ははは、大変な時に悪かったよ。俺の代わりに頑張ってくれてありがとな、タカキ」
穏やかに笑うチャドは簡素な病人服にこそ身を包んでいるが、既にほとんど外傷は見えなかった。すっかり元通りの姿であり、本人が言う通りベッドから起きる事など容易いことなのだろう。
その元気な姿を見て、タカキもようやく肩の荷が下りた思いだ。記念式典からここまで、彼の予想を遥かに超えた修羅場をくぐり抜けてきたが、やっと最後の気がかりが晴れてくれたのだから。これで何の憂いもなく、戦争を生き残ったことを喜べる。
「今回の件に関してはオルガたちからも話は聞いてる。タカキもアストンも、苦しい状況下で本当によくやってくれたよ。フウカはいつもお見舞いに来てくれてたらしいし、本当に俺は良い人たちに恵まれたもんだ」
「チャドさん。この人にも、だいぶ助けてもらった」
「おっと、そうだったな……臨時の参謀として、よく犠牲者を一人も出さないで事を収めてくれたよ。礼を言わせてくれ」
アストンに指摘されて初めて気が付いたかのように、チャドはジゼルへも礼を述べた。それを受けた彼女は「粗品ですが」と例の小包をチャドへと渡す。何が入っているのか淡々と説明すれば、受け取った方はなんとも言えない渋い顔だ。
「えーっと、その、ありがとな。大切に使わせてもらうよ」
「礼には及びませんよ。そして願わくば、あなたもジゼルと一緒に辛党になりましょう」
「ま、まあ考えておくよ……うん」
それほどまでに辛味を愛するなら、いっそ激辛な手料理でも作って持ってきてみれば良かったものを。二人のやり取りをなんとも言えずに眺めていたら、ふとジゼルが振り向いた。その、眠たげな金の瞳と視線が合う。相変わらず思考を見抜かれていそうな感覚を覚えてしまう。
「ジゼルの料理はよく激辛じゃなくて激マズと呼ばれるので、さすがに病人に持ってくる訳にはいきませんでした。まず包丁を握ると、それだけで周囲が青ざめてしまいますからね」
「そ、そうでしたか……」
とんだ重症だった。なまじ年若いフウカはしっかり料理を出来るだけに、万事をそつなくこなせそうな彼女の意外な弱点の発覚である。その隣ではアストンが「その通り」と言わんばかりにうんうんと頷いていて──
「もしかして、作ってもらったことあるの?」
「……前に一回だけ。仕事で遅くなったから、その時に成り行きでな。……ヒューマン・デブリとしてブルワーズに居た頃を思い出したよ」
「えぇ……?」
どんな劇物だそれは。心の中で激しく突っ込む。かつてのアストン達ヒューマン・デブリの主食は味気ない栄養バーだけだったと聞くが、それに匹敵するなんざ普通じゃない。フウカなんて思わず吹き出してしまってから、慌ててアストンに謝った。もちろん、笑い話のつもりだったアストンはまったく気にしてはいなかったが。
そんなこんなで予想外にも賑やかなお見舞いが進む中で、タカキは一つチャドに言いたいことがあったことを思い出した。意を決して、まずは一言。
「すみませんチャドさん。えーっと、その、少し話があるのですが」
「……わかった、俺で良ければ聞くよ」
「ふむ、ではフウカさんはジゼルと一緒に屋上に行きませんか? ハーモニカの扱い方を教えてあげましょう」
「ホント!? やったぁ!」
女性二人で楽しそうに部屋から去っていく姿を見送って、タカキは心の中で頭を下げた。ジゼルは、この話をフウカには聞かせたくないというタカキの内心を慮ってくれたらしい。色々とずれているところがあるのに、こういうところがあるからただの変な人とも言い難いのだ。
これで部屋に残ったのはタカキとアストン、そしてチャドの三人だけだ。
「それで、話っていうのは?」
「その、相談事と言うよりは、既に俺の中で決めたことではあるんですけど、どうしても聞いてもらいたいことがあって……」
「構わないさ。今回の俺は何にもできなかったから、それくらいならお安い御用だよ」
その言葉に安堵してから、話し出す。ある意味では鉄華団への裏切りにあたるかもしれないその話を。
「実は俺……少し前まで鉄華団を辞めてもいいんじゃないかって、そう考えてもいたんです」
「タカキ……!」
「ごめんアストン、だけど本当なんだ。どうにか俺たちは誰一人欠けることなく戦争を乗り越えられたけど、次はこうなるとは限らない」
今回は本当に運が良かったのだ。たまたま戦争を素早く終わらせる手段があって、たまたまジゼルが居て、たまたま犠牲が出なかっただけのこと。普通ならこうも都合よく事は運ばないだろうし、もし次があればきっと酷い目に遭うことは間違いない。
それはもう、このような仕事を生業としているからには仕方ない事だと思う。むしろこれまでだって負けず劣らずの地獄だったし、生き延びてきた。だけどそれでも、ふと不安になってしまうのだ。
「もしフウカを置いて死ぬことがあったらどうしようって。鉄華団の皆の事は家族のように大事ですけど、フウカは本当に一人しかいない妹だから……今度地球で戦争が起きれば、きっと誰かが死ぬ羽目になる。それが自分じゃない保証なんてどこにもないんです」
虫の良い話だとタカキは思う。それでもしも鉄華団を辞めれば、自分が戦場で死ぬことはなくなるだろう。だけど代わりに、鉄華団の誰かは死ぬ。もしかすればそれはチャドかもしれないし、隣に座る
臆病風に吹かれた。こう指摘されればなんら否定はできない。でも、初めて自分たちの判断で戦いに出て、大人たちの裏事情まで考えて、策謀を巡らせて──不意に恐ろしくなったのだ。自分たち地球支部は、これからもこのような経験を積まねばならないのか、と。
「それで、タカキはどうしたいんだ? 古い付き合いの仲間だ、どんな結論を出したって俺は尊重する」
「……結論から言えば、俺は鉄華団は辞めません。このまま続けるつもりです。最悪の事態を考えると怖いけど、まだ最悪の事態は起こっていないんだから。それを防ぐための努力を俺はしたいんです」
今回は結果的に助かったが、本来ならば大人たちの思惑に好き勝手に翻弄されていても何らおかしくなかった。あのガラン・モッサを出し抜くなんてタカキにはとてもできそうにないし、そもそもラディーチェの裏切りだって気が付けたか怪しいのだから。
だけど、同時にそれは今現在の話だ。これからもっと努力すれば、彼らのような相手にも多少は抵抗できるようになるかもしれない。その可能性からも目を背けて、
それを聞いて安堵のため息を吐いたのは、真剣な表情で話を聞いていたアストンだった。
「良かったよ、もしタカキに鉄華団を辞められたら、俺はすごい困る」
「……心配させてごめん。でも、もう決めたんだ。俺は俺に出来ることをしたいから、鉄華団は辞めないよ」
「俺も、正直安心したよ。タカキが抜けたら地球支部のまとめ役が俺一人になっちまうからな。そりゃ勘弁してほしい」
「チャドさん……」
やっぱりこの人たちに話を聞いてもらったのは正解だった。タカキは強くそう思う。答えを出しつつもどこか曖昧だった考えは、全部吐き出すことが出来たおかげで明確なビジョンとして定まったのだから。
ちょうどその時、開け放たれていた病室の窓から透き通った旋律が入ってきた。耳を傾けてみれば、どうにも屋上の方から流れて来ている。たぶん、見本としてジゼルが吹いているのだろう。
フウカを悲しませたくないし、友人を失う事だってしたくない。その決意を寿ぐかのような音色を胸に、タカキは決意も新たに一歩を踏み出したのだった。
タカキさん残留ルートへ。なんだかんだアストンも生き残っているので、辞めるか辞めないかの天秤は残留に傾きました。実際、鉄華団でも貴重な常識人であるタカキは有力な人材だと思います。