阿頼耶識システムとは、ようするに人間の思考とMSの動作を直結させる機構である。
だから阿頼耶識を搭載したMSは反応が早いうえ、パイロットの癖が直に現れた人間臭い挙動が多い。この特徴はOSによる機械制御に助けられた現代MSとは真逆のものであり、その恩恵は計り知れない。
例えば、プロスポーツ選手が阿頼耶識システムを用いてMSに乗れば、多少の差はあれ磨き上げたセンスがそのまま機体の動きに反映されることだろう。あるいは、武道家が乗ったならば鍛え上げた技をそのまま利用できるかもしれない。
これだけのことが出来てしまうのが阿頼耶識システムなのだ。人間の動き、感覚を極限までMS上で
そして、もしこの阿頼耶識システムを用いている者が
◇
ジュリエッタ・ジュリスと言えば、今やギャラルホルンの誰もが認めるエースパイロットだ。
元々は平民の、それも孤児という身の上。しかしラスタル・エリオンが見出した秘蔵っ子というのは誇張でも何でもなく、彼女は高いMS操縦技術を買われメキメキとその才覚、名声を伸ばしていった。
そう、ギャラルホルンにおいてジュリエッタは紛れもない実力者なのだ。彼女に比肩しうる者などほとんど居らず、さらには最新鋭機たるレギンレイズを授けられたことでよりいっそう実力は高まったと言えるだろう。
──だから本来、この苦戦はあり得ざることだ。
ジュリエッタ専用のレギンレイズに搭載された武装は四つ。腕部機関砲が二門に、ワイヤーアンカー内蔵型の試作型ツインパイルが二つである。これにガントレットが付属したのがジュリエッタ機の基本装備だ。
派手さはない。だが堅実だ。接近戦はジュリエッタの本領であり、そのために調整された機体は彼女の手足となって完璧に応えてくれている。
「っつ……何なのですか、鏖殺の不死鳥とは……!?」
だというのに。ジュリエッタは思わず毒づいてしまう。厄祭戦より蘇った鏖殺の不死鳥は、さらにその上を羽ばたいている。
フェニクスの握る大剣が振り下ろされた。頑丈なツインパイルでもこれは防げない。たまらず後退したジュリエッタに迫るのは、腰部より伸びたワイヤー付きのブレードだ。意思を乗せて宙を舞う変幻自在の一撃、咄嗟に弾くが大きくバランスを崩してしまう。
その隙をフェニクスは逃さない。横薙ぎにした大剣を勢いそのままに切っ先を後ろに向けて構えなおした。瞬間、轟砲が荒野に響く。大剣と一体化した大砲から放たれた大口径の一撃は、背後から接近していたクジャン家のレギンレイズを過たず破壊していたのだ。
「また、これで二機目……どうしてこうも易々と……」
理不尽にすぎる。凶悪がすぎる。鏖殺の不死鳥とはかくも強いのかと改めて認識が塗り替えられる。ジワジワと胸に広がり始めたこの苦い感覚は、絶望感とでも言うのだろうか。
最初に鏖殺の不死鳥に挑んだ時、ジュリエッタを含め四人が居た。それが一人減ったのは交戦を始めて三十秒も経った頃。イオクを逃がそうと隙を見て戦線から離脱したレギンレイズは、呆気なくフェニクスにその命を刈り取られていた。まるで相手の思考を読んでいたかのように、進路上に先回して、最速かつ確実にコクピットを潰してしまう。敵ながらいっそ惚れ惚れするほどの、鮮やかな殺しぶりを披露したのだ。
そして今も、背後から襲われることを予期していたかのように振り向きもせずレギンレイズを一機沈黙させていたのだから堪らない。
カラン──
巨大兵装から排出された薬莢が火星の大地に転がった。残るはジュリエッタとクジャン家の部下がもう一人、そしてお荷物となっただけのイオクのみ。状況は最悪だった。
『ここまでで一分……うん、大丈夫そうですね。余裕を持って殺し切れます』
悪鬼か羅刹でも乗っているのかと思いたいのに、通信機から聞こえてくるのはどこまでも場違いな可憐な声だ。声だけならば深窓の令嬢を彷彿とさせる彼女は、間違いなくジュリエッタよりも年若い。それが彼女には信じられなかった。
いったいどれほどの修羅場をくぐれば、これだけの戦闘センスを身につけられるのだろうか? 実はパイロットは予知能力者だとか、後頭部にも目が付いているだとか、そんな荒唐無稽な考えすら脳裏を
「あなたは……何者なのですか……?」
つい口を衝いて出た疑問。ほとんど無意識のうちに紡がれていたそれに、ご丁寧にも不死鳥は答えてくれていた。
『これは異なことを訊きますね。ジゼルはジゼル・アルムフェルトですよ。殺人が好きな、厄祭戦唯一の生き残りにすぎません』
「確か、単独で十数万もの人間を殺したのでしたか。狂っている──などとは聞き飽きた文句ですかね?」
『ええ、もちろん。そしてそれは、ジゼルにとっては褒め言葉ですので』
──
短く呟き、戦線は再開された。肉薄するフェニクス。大剣が唸りをあげて振り上げられ、尾のブレードが宙を切り裂き鋭く舞う。容赦も慈悲もない鏖殺の不死鳥は、本気でジュリエッタ達を殺しに来ていた。
だというのにジュリエッタ達は、もはや当初の半分しかいない戦力でこの最低最強の相手を前に生存を勝ち取らねばならないのだ。あまりの絶望感に心が挫けてしまいそう。
『さあ、早くジゼルを満たす贄になってくださいよ。あなた方の積み上げてきた人生全て、ジゼルに壊させてくださいよ……!』
「──黙りなさい、この気狂いがッ!」
けれど、こんなところで終われないという情熱がジュリエッタを突き動かしていた。自分の取り柄であるMS操縦で負けたくない、もしくは常軌を逸した狂人に負けたくないという意地もあったのかもしれない。ともあれ、彼女はまだ折れていなかった。迫る鏖殺の不死鳥を前に徹底抗戦の構えを取る。
弾丸のように突撃してくるフェニクス。その目を見張る機動力は厄介の一言だが、ジュリエッタとてこの短時間に何度も目にした機動力だ。対処法の一つや二つ、思いつかない訳がない。
突き進むフェニクス相手に、ジュリエッタもまたレギンレイズを前方へと走らせた。相対速度により凄まじいまでの速さで両者は接近する。衝突までの猶予は二秒もあるかどうか。一つ判断を間違えれば激突して互いに大破は免れない。
衝突寸前の刹那、素早くジュリエッタはレギンレイズにスライディングの姿勢を取らせた。ちょうど足から地上に滑り込む形だ。振動にコクピットを揺さぶられながらも頭上を仰ぎ見れば、狙い通り上空に飛び上がったフェニクスの姿がそこにはある。
「そこッ!」
『……なるほど、そうきましたか。なら──』
互いに追突してしまう状況なら、必ずや機動力に優れたフェニクスは上を取ってくると予期していた。だからジュリエッタは上に拘らない。挑戦者のごとく下から、高みを羽ばたく不死鳥を引きずり下ろすのだ。
構えていたワイヤーアンカーが射出され、フェニクスの右脚部にちょうど巻き付いた。しかしフェニクスは止まらない。そのまま勢いよくスラスターに点火、空中を短く滑り──引きずられ大地を滑走したレギンレイズが、ふわりと宙へ投げ出された。
「なんて馬鹿力……ッ! でも……!」
吐き捨てながら必死に機体を立て直す。右手にしかと握りしめたワイヤーアンカーの柄は生命線だ。これを手放したが最後、フェニクスに同じ手は二度と通じないことだろう。
そもそも重力圏で飛行できるMS自体がほとんど無いというのに、フェニクスの見るも巨大な翼はMS二機分もの推進力を生み出すというのか。仕掛けたジュリエッタからしても予想外がすぎる展開。けれど鏖殺の不死鳥の足を引っ張れたという事実に違いは無いのだ。
素早くワイヤーを巻き取り強引な空中戦に突入する、その前に。ちらりとジュリエッタは地上を確認した。視線の先には地に転がったイオク機に向かって駆けるレギンレイズの姿がある。フェニクスに足枷が出来た隙を突き、この場からイオクを逃がすために動き出したのだ。一言たりとも打ち合わせは行っていなかったが、自らの意を汲んでくれたことにジュリエッタは安堵した。
これでどうにかイオクだけでも逃がすことが出来ただろう。当初の目的がほぼ果たされた今、後はジュリエッタが無事にフェニクス相手に生き延びさえすれば完全勝利だ。先ほどまでの絶望感もわずかに消えて、代わりに更なる闘志が呼び起こされてくる。
互いを繋ぐワイヤーの距離はもはや幾ばくも無い。翼を広げ、大剣を構え、尾のブレードを揺らめかせる鏖殺の不死鳥はすぐ間近だ。
しかし。彼我の距離がついにゼロとなるその刹那、ジュリエッタは確かに聞いた。
『ふふ、ふふふふっ……』
あまりにも上品で、そして底知れない不快さと不気味さを湛えた相反する笑い声。それが目の前のMSパイロットから発せられたものと理解した途端、ジュリエッタの背筋はかつてないほどに粟立った。同時に嫌な予感が止まらない。どうなるかは分からないが、途方もなくマズい事態になると直感が警鐘を鳴らしている。
それでもワイヤーは止められない。直感がどうであれ、このまま空中での
──けれど人間よ、どうか忘れるなかれ。
『わざわざあなたの思惑通りにジゼルが戦う必要、ないですよね?』
ジゼル・アルムフェルトこそは史上最低最悪にして最強の、人間という種を狩る人間なのだということを。
ここに断言しよう。人間という存在である限り、この女に勝つことは不可能だ。例えそれ以外のどのような資質で勝っていようと、こと殺し合いという土俵においてジゼルに敗北の二文字はあり得ない。
──だって彼女こそ、”かくあれかし”と生誕の
フェニクスとレギンレイズの距離がゼロとなるその直前、フェニクスは明後日の方向に大剣を放り投げた。ジュリエッタにその軌道を追う余裕はない。ワイヤーが限界まで巻き取られ、彼我の距離がゼロとなったその瞬間、フェニクスが逆にレギンレイズへと組みついてきたからだ。
思考の間隙を縫うような訳の分からない行動、咄嗟にジュリエッタも反応したが組みつかれるのを防ぐことはできなかった。瞬時に腕部を抑え込まれ、さらに脚部まで鉤爪で掴まれてしまえば抵抗のしようがない。
『残り一分、では落ちますか』
「まさか……!?」
そしてあろうことかフェニクスは、ジュリエッタのレギンレイズごと地上に向かって全力でバーニアを吹かし始めたのである。
即座にジュリエッタも逆方向にスラスターを点火して制動を掛けるが、まったく止まる気配もない。当然だ、フェニクスは自らの推進力だけでなくMS二機分の重力まで味方につけているのだから。莫大な質量と勢いはたかが一機程度のMSが押し留められるものでは断じてないのだ。
モニターに映る火星の大地が加速度的に大きくなる。ここまでくれば狙いは明白、ジュリエッタを地上に叩きつける算段と見て間違いない。頑丈なMSに乗っている限り死にはしないだろうが、予想される衝撃は考えるだに恐ろしいもの。しっかりと組みつかれている以上は逃げ出すことすら不可能だ。
流星のように火星の空を墜ちる二機、吸い込まれるように大地へと向かい────インパクト。
信じられないような轟音と衝撃が辺り一帯を覆いつくす。小さくない規模のクレーターが火星の荒野に穿たれた中で、濛々と吹き上がる砂煙の中に映るシルエットは全部で
そう、四つである。直接火星の大地へと墜ちたフェニクスとジュリエッタ機は言うに及ばずだろう。さらにもう二機は、なんと戦闘からの離脱を図っていたイオクとその部下のレギンレイズであったのだ。
つまりはこれこそジゼルの笑っていた本当の理由。最初から悪辣なる狩人はこの場からの逃走など許していない。鹵獲すると決めたなら鹵獲するし、殺すと決めたなら絶対に逃がさず殺してみせる。凄まじいまでの執念だが、だからこそ彼女は強く、そして狂っているのだ。
インパクトの衝撃は非常に大きく、さしものジュリエッタでもすぐには身動きできない有様だ。逃走中のイオクたちすらあまりの衝撃と轟音にたたらを踏み、何が起きたか見定めるべく逃げる足を少しばかり緩めている。いや、緩めてしまったと言うべきか。
全てはジゼルの手のひらの上に。愚かにも土煙の舞う見通しの利かない地点で足を止めた者など、容易く殺せる的でしかない。衝撃の余韻すら感じさせずに身を翻したフェニクスは、巻き付いたアンカーを引きずりながら
そこでようやくジュリエッタも立ち上がった。土煙が晴れ、また一人殺してみせたフェニクスの姿が浮き彫りとなる。多少の土埃こそあれど、憎たらしいまでに損傷は少ない姿にはいっそ笑いがこみあげてくるほどだ。
おそらくはワイヤーアンカーに捕まり宙へと逃れた時からここまで、全てフェニクスの描いた構図だったのだろう。そうでなければ、無造作に投げたはずの大剣がその手に収まっているはずがないのだから。必死になって鏖殺の不死鳥に食いついたジュリエッタの意地すら一顧だにせず、当然のようにキルスコアを一つ増やされた。もはや屈辱に感じる余裕すらない。
このまま此処で果てるしかないのか。彼女の思考がついに負の方向に傾いた、その時だった。
『私を置いて逃げるがいい、ジュリエッタ……お前までここで死ぬ必要はない』
「イオク様、何を……?」
不意にノイズの交じったイオクの声が聞こえた。そのあまりの内容にはジュリエッタも驚愕を隠せない。
『ここで私が死ぬだけならまだしも、お前まで死ねばエリオン公はどうなる? それだけは避けな──ぐうッ!!』
『うるさいですねぇ、敗者は敗者らしく黙っていてくださいよ。うっかり殺してしまいそうですので』
ボールでも蹴るかのようにフェニクスがイオク機を蹴り上げると、その衝撃にやられたのかイオクが沈黙した。おそらくは気を失ってしまったのだろう。これでもう、イオクが自力で逃れる事は本当にできなくなってしまった。
強者にのみ許された傲慢。それを行えるフェニクスにただ一人で挑むしかなくなったジュリエッタだが、気が付けば口元には笑みが浮かんでいる。
「まったく、らしくないですねイオク様。あなたなんかに元気づけられてしまうなんて、正直一生の不覚です」
萎えかけた心に再び火が灯る。
『残り三十秒──ちょっとばかり時間をかけてしまいましたが、それもここまでです』
「言ってなさい、狂人。そう易々と殺されてたまるものですか」
今や弱気はあり得ない。あのイオクに”逃げろ”と言われたのだ、ならここで勝利して見返してやらねば気が済まないと心が叫んでいた。操縦桿を握るジュリエッタの手に、かつてない力が籠もる。
先ほどの衝突でツインパイルの片方は失われてしまったが、それでもまだ一つ武器は残っている。たった一つの小さな武器に全てを託して、ジュリエッタとフェニクスは最後の戦いに繰り出した。
ツインパイルを繰り出す。だが避けられた。反撃にフェニクスの蹴りが叩きこまれ、無様に吹っ飛ぶ。すぐに体勢を立て直して腕部機関砲で牽制、けれどフェニクスは怖気づかずに接近する。大剣が振り下ろされた。もはや回避は不能と判断。反射的に受け止めたツインパイルが折れ曲がり、腕部がひしゃげた。
「それでも──ッ!!」
まだだ。まだ片手が残っている。折れたツインパイルの杭部分だけを握りしめて、果敢にフェニクスへと挑みかかる。だが相手もさるもの、冷静に尾のブレードで足を狙い打つ。紙一重で避けた。迫る追撃は拳、躱し切れない──頭部にクリーンヒットしよろめいてしまう。その隙を逃さずブレードはレギンレイズの脚部を破壊した。
バランスを崩しよろけるジュリエッタだが、未だ闘志は衰えず。すぐにスラスターを用いて姿勢を安定させる。ついで杭を一閃、フェニクスの右腕部へと突き立てた。戦闘が始まって初めての直撃、その事実に浮かれるよりも先に杭を持った腕部を力任せにもぎ取られてしまう。両腕を無くしたが、それでもまだ──
『いいえ、これで終わりです』
無慈悲な声に希望は掻き消される。気が付けばジュリエッタは空を眺めていた。たぶんレギンレイズが地に伏せてしまったのだろう。遮二無二立ち上がろうとするが、残った片足も即座に壊されてしまっていた。
これで完全に決着は着いた。心は負けを認めていないが、状況はもう完敗でしかない。四肢を無くしたMSなどお飾りもいいとこで、これを鏖殺の不死鳥が見逃すなどあり得ない。
あり得ないのだが……例外は誰にだって存在する。
ピピピピ、とどこか場違いな間抜けな電子音が響いた。ジュリエッタの聞き間違いでなければ、これはキッチンタイマーの音だろうか。戦場には似つかわしくないその音の源は、どうやら目の前のMSであるらしかった。
『おや……もう時間でしたか。仕方ないですね、この方も鹵獲しちゃいましょう。何かに使えるかもしれませんし』
フェニクスのコクピットでキッチンタイマーを止めたジゼルは、ちょっと渋い顔をしながらもジュリエッタを殺すことを見送った。確かにここで彼女を殺すのは赤子の手を捻るより容易い事だ。けれどそれは約束に反すること。自ら「五分で済ませる」と誓った約束を反故にするくらいなら、もう一人くらい鹵獲して何かの役に立てる方がよほど良かったのである。
こうしてジゼルはイオクとジュリエッタの乗るレギンレイズをそれぞれ掴み、MAと戦う三日月の援護へと向かい。それと共に緊張の糸が切れたジュリエッタは、無念を覚えながら意識を失ってしまったのだった。
【悲報】人類である限り殺し合いではジゼルに勝てないと明言される。
そんなわけでラスボスっぽい力の片鱗をみせたジゼルでした。いったい誰がこの気狂いを止められるというのだ……