鋼の不死鳥 黎明の唄   作:生野の猫梅酒

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今回、実験的に後書きに挿絵を入れてみました。
挿絵などが不快な方にはご不便をおかけしますが、ご注意いただければと思います。


#26 破滅への使者

 まず結論から言えば、MAは三日月・オーガスの手によって破壊された。

 ギャラルホルンの者たちを相手にしたジゼルは、その足でMAとの主戦場となっている谷間に到着。オルガとの約束を果たすべくMA戦に介入しようとしたのだが……その頃には既にMAは死に体、三日月・オーガスとガンダム・バルバトスが満身創痍になりながらも決着をつける直前であったのだ。

 結局ジゼルが手の空いている団員たちに鹵獲したイオクとジュリエッタを預けた時には戦闘は終わっており、あれだけ猛威を振るったMAは核となる頭部を破壊されて沈黙していたのである。

 

『なるほど、詳細は把握した。ご苦労だったな、オルガ団長。そして良くやってくれたよ、感謝する』

「俺に礼なんざ必要ねぇよ。ミカや他の皆が気張ってくれたおかげさ、俺はただ安全なところで眺めてただけだ」

 

 照れ隠しに言いながらも仲間たちへの誇らしさを隠せていないのは、社長室のソファに座ったオルガである。MAを倒してから既に一日が経過し、事態も落ち着いてきたところでようやくマクギリスへと連絡を入れたのだ。

 

『ふっ……君の謙虚さは美徳ではあるが、時には胸を張るのも必要だぞ。部下の手柄は団長である君の手柄でもあるのだから。組織の長というのは誰よりも尊大な態度をも持たねば成り行かないものだ』

「ちっ、わーったよ。んで、まさかご祝儀だけ言って終わりなんてこたないだろう?」

『もちろん。君たちが……いや、ジゼル・アルムフェルトが捕えたという二人の価値は非常に大きい』

 

 そう語るマクギリスの口調は表情からは、滲み出る喜びの念が透けて見えた。普段は胡散臭い笑みと語りを保ち続けているマクギリスがこれなのだから、よっぽどの吉報としているのだろう。

 実際、オルガからしても似たような思いである。ジゼルが捕えたのは天下のギャラルホルンを牛耳るセブンスターズの一角に加え、話を聞く限り秘蔵っ子のエース級パイロットだと取り調べで判明している。思った以上にとんでもない相手を捕虜にしたという事実には、良くも悪くも鉄華団幹部が一時騒然としたものだ。

 

『イオク・クジャンからは単純に賠償金を支払わせても良いだろうし、ジュリエッタ・ジュリスに関してはラスタルに対する良い見せ札となる。少なくとも、君たちは今回の騒動について補填と賠償を貰う権利がある』

「当然だ。命までは取らないにせよ、俺たちの土地(シマ)で好き勝手やってくれた挙句に大失敗してくれたんだ。これでケジメも取れねぇようじゃ許せる道理がねぇ」

『報告ではクジャン家はダインスレイヴを使ったと聞いた。そちらについては?』

「そいつについちゃ、調べてみりゃあだいぶ遠くの方まで弾がすっ飛んでやがったよ。もし何かの間違いでクリュセの方角にでも向いてたらと思うとゾッとするな」

『禁止兵器の禁止兵器たる由縁(ゆえん)……と言ったところだな。やはりむやみやたらと持ち出すものではないと痛感するよ』

 

 禁じられた兵器を用いるからには見合ったリスクがあるのは当然と言えた。例え本人たちにその意図がなくとも、戦闘中の弾みでダインスレイヴがクリュセに被害を齎していれば大惨事だっただろう。そうなれば最早MAの討伐どころの騒ぎではない。鉄華団にとってもイオクたちにとっても不幸中の幸いだった。

 そしてもし同じことを自分がしていれば──などとマクギリスは考えてしまう。首尾よくバエルを奪取し搭乗したとしても、それはダインスレイヴと同じ代償ある力だ。いつか必ずそのツケを払う日が来るだろう。

 

 マクギリスはアグニカ・カイエルではないからこそ、彼とは違ったアプローチで革命者(えいゆう)とならんと志したのだ。地球での決断がどれだけ英断だったか、この現状を鑑みれば論ずるに値しない。

 

「そういや、あのイオクって奴からは七星勲章の話を聞いた。アンタの本当の目的はやっぱりそいつだったのか?」

『本命ではないが狙ってもいた、というのが正しいな。火星を荒らされたくないのは私も同じさ。そしてMAを倒したのは君たちだ、もし受け取るならば君たちにこそ相応しい』

 

 直接MAと矛を交え誘導を行ったジゼルと、さらに破壊までしてみせた三日月。この両者にこそ七星勲章は相応しいだろう。しかも聞く限りは三日月・オーガスはついに半身不随にまで悪化し、阿頼耶識システムが無ければまともな生活も遅れない程の状態だという。今も外傷の治療と検査の為に医務室で絶対安静だ。

 ちなみに、ジゼルはピンピンしている。元より味覚と嗅覚を失っていたのだからこれ以上失うものもないのだろう。彼女はジュリエッタを殺さない代わりにイオクとの面会を求めてきたから、きっとそちらに居るはずだ。

 

「ミカはあんましそういうのに興味ねぇからなぁ……ジゼルに至っちゃ、既に二個あるとか言ってたぜ」

『ほう。して、その二つはどこにある? きっとそれはアグニカ・カイエルから直々に賜った品物のはず、是非ともお目通り願いたいが』

「あんま興味ないから、失くさないように髪留めにしたとか言ってたが」

『…………そうか。アグニカ・カイエル直々の七星勲章は髪留めか…………』

「……んな落ち込むなよ、見てるこっちが不安になっちまうだろ」

 

 さすがのマクギリスでも、ジゼルがやらかす諸々については想像の範疇を超えていたらしい。

 らしくもなくマクギリスを心配してしまう自分に苦笑しつつ、オルガは「いったん打ち切るぞ」とだけ言うとソファから立ち上がったのだった。

 

 ◇

 

 捕虜とされたイオクが目覚めた時には、全て終わってしまっていた。

 

「くそッ! 私は、私が情けなく思えて仕方ない……!」

 

 衝動に任せて壁を殴る。だが無機質な壁はうんともすんとも言わず、ただイオクの拳を痛めつけるだけだ。しかしイオクにしてみればその程度、身を苛む自罰の想いに比べればどうという事は無かった。

 今回の顛末はあまりに酷いものだった。意気揚々と乗り出したMAの破壊は大失敗に終わり、大切な部下たちはMAと鉄華団──正確には所属の鏖殺の不死鳥──によって全滅してしまう結果に。なのにMA討伐を主導したイオク自身は生き残ってしまい、しかも本来ならMA討伐とは無関係であったはずのジュリエッタまで捕虜とされてしまったらしいではないか。

 

 これではあまりに不公平だと、イオク自身の良心が許せないのだ。

 

 生き残るべき者たちが死に、逃れるベき者が捕まり、誰よりも責任を取らねばならぬ者はのうのうと生き残る。これを不条理、不公平を言わずになんというのか。鏖殺の不死鳥を前に生き残った事実に喜ぶよりも先に、苦々しい悔しさが広がってしょうがなかった。

 

「私は……どうすれば良いというのだ……」

 

 火星に囚われてから今日で二日目、イオクは既におおよその尋問は終えていた。

 鉄華団は捕虜相手にも決して不当な扱いはせず、イオクにも現状をかいつまんで説明してくれている。今いる独房代わりの部屋もあくまでも一般的なものを流用した程度だし、部屋の外に監視が付いている以外は何の制限もかけられていない。だからこそ色々と考える時間は有り余っていて、それ故にイオクはこんなにも悩んでいるのだ。

 

 これから自分はどうするべきなのか。まず生きて帰れるかも怪しい状況だが、仮に生きて帰れたとしてもまずこれまでの権威は失うことだろう。自分から政敵の妨害に走り、失敗し、あまつさえ囚われの身にまでなったのだ。言い訳のしようがない大失態である。

 話によれば、明日にはマクギリス・ファリドが火星に到着するらしい。ほんの少し前にマクギリス相手に大見えを切ったばかりだというのにこの体たらく、果たして彼は笑うのだろうか。いや、この際笑われようとも構わない。イオクの関心はもはや、憎きマクギリスすら眼中にないレベルで別の相手に向けられていたのだから。

 

「鏖殺の不死鳥……アレだけは、なんとしてもこの手で……!」

 

 既に敗残者に身をやつしていた部下たちを情け容赦なく惨殺せしめた鏖殺の不死鳥。数だけみればMAの方が殺した人数は多いのかもしれないが、あの不死鳥は同じ人間が操っていたのだ。悪魔と呼ぶのも生温い所業、断じて許せるものではなかった。

 戦いでは人死になど当たり前、しかも今回はイオクたちの方が横槍を入れたという負い目は確かにある。そもそも横槍を入れる決断を下したのもイオクその人だ。だから本当に悪いのはきっと彼自身で、それは本人だって百も承知のはず。それでもなお納まりのつかぬ心が憎むべき敵を探してしまうのは、人として逃れようのない(さが)だった。

 

 どうしても鏖殺の不死鳥を倒し、部下たちの仇を取りたい。それだけが散っていった彼らへの手向けになると信じているから。もはや手段は選ばない。クジャン家がこれからどうなるのかは不明だが、残った力の全てをかき集めてでもフェニクスとそのパイロットは殺すのだ。その為なら、例え鉄華団を潰すことになろうとも──

 

「イオク・クジャン、あなたに面会希望の方が来ています」

「なに……?」

 

 復讐心にばかりかまけていたイオクだが、扉の外から聞こえてきた監視役の少年の声で現実に引き戻された。

 妙な話だ。イオクは既に話せることは全て話している。今更尋問なんてする必要がないはず。かといってこんな敵地でイオクに面会を希望する者が居るとは思えない。考えられるのは別の部屋に軟禁されているらしいジュリエッタだが……果たして彼女がわざわざイオクに会いに来るかどうか。

 

「失礼しますね」

 

 そうして入ってきたのは、鉄華団のイメージには似つかわしくない上品な雰囲気を纏う少女である。足首まである赤銀の髪と、茫洋として眠たそうな金の瞳が目に焼き付く。感情を映さぬ無表情さは、よくできた人形のごとき印象を与えていた。

 もちろんイオクにとっては初対面の相手であり、どうしてイオクに会いに来たのかなど想像もつかない。ただ、彼女を見ていると無性に不安になる。外見は非常に麗しいものなのに、内面から発される気配がどこか空恐ろしいものを感じさせるのだ。

 その少女は部屋の中ほどまで進むと、椅子に腰かけていたイオクの前で止まった。いったい何の用があって来たのかと訝しむイオクをどこか楽し気に見つめている。そういえば先ほどの彼女の声、どこか聞き覚えのあるような……

 

「まずは改めて名乗りましょうか。ジゼルは、ジゼル・アルムフェルトと言います。ガンダム・フェニクスのパイロットで、今は鉄華団参──」

 

 淡々とした少女の名乗りは最後まで紡がれることは無かった。

 ジゼル・アルムフェルト。その名の意味を理解した瞬間、イオクが叫びだしていたからだ。

 

「貴様、貴様ァァァッ!! よくも私の前におめおめと……ッ!」

 

 弾かれたように椅子から立ち上がり、射殺さんばかりの視線でジゼルを睨んだ。目の前にいるのは大切な部下たちを殺した仇、先ほどまで復讐心を燃やしていた怨敵その人だ。ほかならぬフェニクスのパイロットが名乗っていた名前、間違えるはずがない。

 けれど当の本人はイオクの激怒を受けてもどこ吹く風といった有様、これっぽっちも気にしてはいない。その姿がよりいっそう腹立たしくて、気が付けばイオクは拳を振りかぶっていた。ここが敵地で、相手が鏖殺の不死鳥と呼ばれる相手だということは頭に残ってすらいない。ひたすらに目の前の相手を害したくて、殺したくてたまらなかったのだ。

 

「もう、そんなに暴れないでくださいよ。ジゼルはあくまでもお話をしに来たのですよ、イオク・クジャン」

 

 だが、イオクの渾身の力が乗った拳は呆気なく止められた。横からするりと伸びてきた細い腕、それがイオクの手首をがっちりと掴んで離さないのである。華奢な見た目に反したかなりのパワーだ。

 ならばと蹴りを繰り出そうとするが、その前に掴まれた腕を捻られてしまう。まるで高度な訓練を受けた軍人のような動き、本当の意味では軍人でないイオクには抵抗すら出来なかった。屈辱を感じる暇もなく床に転がされてしまい、ジゼルにのし掛かられる形となる。

 

「外の人には多少の騒ぎは気にしないよう言い含めましたが、あんまり騒ぐと大変ですよ? あなたもまだここで死にたくはないでしょうに」

「くッ……ここで貴様を殺せるならば、私はいつ果てようとも構わぬとも!」

「はぁ、そうですか。どうでもいいので黙っていてくださいますか?」

 

 マウントを取ったまま心底からうんざりしたような様子のジゼル。彼女は片手を平手の形にすると、そのまま数発イオクの顔に叩きこんだ。まったく容赦のない平手打ち、一発ごとに甲高い音が部屋に響く。反比例するようにイオクの呻き声は段々と小さくなり、ようやく抵抗を見せなくなった時には頬の片側が赤く腫れあがってしまっていた。

 

「ジゼルに拷問趣味はないので、痛そうなのはするのもされるのも嫌いなんです。なのでそろそろ大人しく話を聞いてくれればと思うのですが、どうでしょう?」

 

 天使か何かのように穏やかに問いかけてくるその姿が、イオクには悪魔よりもなお悪辣な化け物にしか見えなかった。

 

「わ、分かった……話を聞くから、それ以上はやめてくれ……!」

「はい、いい返事です」

 

 息も絶え絶えにジゼルの言葉に頷いたことでようやく解放された。

 抵抗する気はこれっぽっちも起きない。互いの実力差はもはや歴然としている。ここでイオクが不意打ちに走ったところで、今度はより酷い目に遭うだけの話だろう。あくまでも御曹司であり、痛みに耐性のないイオクにとっては是非も無かった。

 若干ふらつきながらも立ち上がり、イオクは再び椅子に腰かけた。せめてもの抵抗として眼前の憎き敵を睨むのだけは止めなかったが、ジゼル相手には暖簾に腕押しだ。

 

「それで、話とはいったいなんだ?」

「あなた達には楽しませてもらったので、お礼と忠告をしに来ました。ささやかなお返しではありますが、どうか受け取ってくださいな」

 

 どうせ碌でもない。瞬時にそのような考えが頭をよぎるが、聞かない訳にはいかなかった。

 

「まずはお礼の方ですが、本当はつまらないはずのMAとの戦闘に彩りを加えて下さり本当にありがとうございました。あなた方の尊い献身のおかげで、ジゼルは退屈することなくMAと戦えましたから」

「……貴様、どこまで私たちを愚弄すれば気が済むというのだ!?」

「愚弄? とんでもない、むしろ純粋に感謝をしているのですが……いっぱい殺させてくださったからには、礼を述べておくのが筋というものでしょうに」

 

 狂っている。ジゼルと相対した者たちはこぞって彼女をそう表現するが、それはイオクとて例外ではなかった。なぜ彼女とフェニクスが鏖殺の不死鳥などと大仰にも呼ばれているのか、ここにきてようやくその理由を悟ることが出来たのだ。

 それと同時に理解した。彼女を見ていて不安になるのは、まさしくその本性が漏れ出ているからだと。どれだけ外面が綺麗だろうと、内面の醜悪さを人間の本能が感じ取って無意識に警戒してしまうのだ。

 気が付けば目の前の共感不可能な怪物から目を逸らしていた。しかし頬に手を当てられ、強制的に視線を合わせられてしまう。輝く金の瞳がゾッとするくらい恐ろしかった。

 

「確認しておきたいのですが、やっぱりあなたはジゼルに復讐をしたいですか? 仇を取りたいですか?」

「……ッ! 当たり前だ! 貴様はこの世界に居てはいけない存在だ、部下の為にも私はこの名に誓って貴様を討つ!」

 

 例えどのような手段を用いようとも──目の前の怪物(ジゼル)に呑み込まれないよう、イオクは気丈に叫んだ。目は逸らさない。ここで負けているようでは、絶対にこの女に勝てないと気が付いたから。

 ジゼルはただ微笑んでいる。意地を振り絞って対峙するイオクを見定めているかのようだ。

 

 ──きひッ、きひひひ、くひひひひッ……

 

「……!?」

 

 不意に、笑い声が聞こえた気がした。

 悪魔の嘲笑よりもなお冒涜的な哄笑、耳を塞ぎたくなる不快な雑音だった。けれどその軋むような哄笑をあげている存在は何処にもいない。いるのはただ、

 

「ふふッ……あはははッ……いいですね」

 

 にこやかに笑みを顔に張り付け、静かに声を漏らしているだけのジゼルだ。

 ならば先ほどの不気味が過ぎる笑いは、彼女の本心が漏れた結果だとでも言うのだろうか。あまりにもオカルトな現象だが、今のイオクは不思議とすんなり受け入れられた。目の前の女ならばそれくらいあってもおかしくないと。

 

「いいでしょう、ならばこそ忠告のし甲斐もありますからね。どんな手を使ってでもジゼルを殺す、それは大いに結構です。誰が来ても返り討ちにして差し上げますとも。しかし、それはつまり無関係な人々すら巻き込むということですか?」

 

 彼女の問いには、自らの全霊をかけて答えていた。

 

「必要があればそうするとも……ッ! 私の敵討ちを阻むのならば、誰が相手になろうとも──」

「ジゼルと同じ殺人者になるということですね」

 

 だから遮るように言われた言葉に愕然としてしまう。この女と同じだと? それはどういうことだ。頭の中で反芻するイオクに、ジゼルは諭すように語り掛ける。

 

「おや、気が付いていないのですか? ただ一つの目的の為に無関係な者すら殺すなんて、ジゼルと同じじゃないですか。いえ、それよりも性質が悪いです。ジゼルだって好き好んで一般人を殺そうとは思いませんよ?」

「な、あ……」

 

 何も言えなくなったイオクにジゼルは畳みかける。あなたは(ジゼル)と同じになる、と。

 

「ですがあなたは誰であろうと巻き込むと言いました。これは驚きました、ジゼル以上に無差別な殺人鬼の誕生ですね」

「違う、私は──!」

「復讐の為ですか? 巨悪を討つ為ですか? お題目は美しいですが、()()()()()()()のでしょう? あなたが殺した人の前で、そのような綺麗ごとを言う覚悟がありますか?」

 

 怪物(ジゼル)は謳う。「ジゼルにはありますよ。それが最後の矜持ですから」などと、臆面もなく告げたのだ。

 イオクにとっては言葉の剣が切れ味も鋭く斬りつけてくる思いである。そのようなこと、一度足りとて考えたことも無かった。自分の、自分たちの正義に従って行動してきた。その果てにギャラルホルンの一員として人々に報いることが出来ると信じていた。

 だけどそう、その途中で死んでいった者たちにはそのような理念は何の慰めにもならないのだ。ましてや今回は世の為ですらない、どこまでも私怨による復讐心でしかなく。それで罪もない人々を殺すようでは、ジゼル以上の畜生と化してしまうだろう。それだけは耐え難い苦痛だった。

 

 そして悪魔は耳元で囁くのだ、最後の一手となるささやかな大嘘を。本当ならば心にもない言葉はしかし、狂人としか認識してないイオクに見破れる道理はなかった。

 

「それに、ジゼルは鉄華団に未練も興味もありませんから。もし団長さんや他の皆さんが死んだとしてもまったく気にしません。ここにいるのはただ、ジゼルにとって都合が良いからなのですよ」

「……だからどうしたというのだ?」

「言葉の通りですよ。どう解釈してもらっても自由です」

 

 悪魔が耳元から離れていく。その時には既に、イオクに取れる道はただ一つとなっていることを承知して。

 一般人を巻き込めば復讐相手と同じになり、かといって鉄華団ごと潰したところでジゼルは気にも留めない。謀略すらも強大な個人が相手ではどれだけ効き目があるか。そう信じてしまった以上、イオクは正面からジゼルを討つ以外の道は閉ざされたのだ。

 

「でもご安心ください。ジゼルは逃げも隠れも致しません。あなたがジゼルを殺したいというなら、いくらでも付き合ってあげますから。屍の山を築いて築いて、足元が崖になるくらいまでいつまでも」

「ぐうッ……! 貴様は、どこまで外道なのだ……!」

「決まってるじゃないですか、死ぬまでですよ」

 

 にんまりと口元が弧に歪む。禍々しい気配は今や隠しようもなく、見る者すべてを不安にさせる最悪の化生がそこにいた。

 こんな怪物に挑まなければならないのか──絶望に近い感覚に襲われる。だがイオクはその程度ではへこたれない。良くも悪くも常人より図太いのが彼なのだから。

 

「さあ、ジゼルを殺す為にたくさんもがいて足掻いて、色んな人を巻き込んでみてくださいよ。その全てをジゼルは殺して、果てにあなたも殺しましょう。全てを壊してしまいましょう。ふふっ、あははっ、アハハハハッ……!」

「誓うぞ──我が名にかけて貴様は絶対に殺してみせるッ! 許すものか、恥を知れ!」

 

 かくして、ここに宣戦は成った。意地を以って怪物を討たんとする人間(イオク)と、それを待ち構えるジゼルと。イオクにとってあまりにも不毛で不公平で、けれど負けられない戦いがこの時始まったのだ。

 

 ◇

 

 しっかりとイオクを焚きつけられた手ごたえを感じつつ退出したジゼルは、意外な人物が待っていることに驚いた。

 

「これは団長さん、こんなところで奇遇ですね?」

「奇遇も何も、アンタの様子を見に来たんだから当然だろ」

 

 薄暗い廊下の壁にもたれかかっていたのは、鉄華団団長のオルガである。見張りの少年兵たちはなにやらお菓子を貰ったようで、モゴモゴと口が動いている。こういうメンタル的な意味で気が利くから団長をやれているのだろうか? ジゼルとしては興味深い話である。

 ひとまず二人して廊下を歩く。会話はない。二人分の靴音だけがコツコツと廊下に木霊する。

 先に口を開いたのはオルガの方だった。

 

「ま、別に多くを言うつもりはねぇが……もしアンタが趣味に走りすぎた挙句に俺たちへ不利益をもたらすのなら、俺はアンタを討たなくちゃなんなくなる。それだけは弁えておいてくれよ」

「そうですね、気をつけましょう。今度一緒に食べ物を見に行くのに、味見役がいないなんてとっても困るので」

「……その約束、本気だったのか」

「これでも楽しみにしていますので」

「そうかよ……」

 

 それでまた会話が途切れた。オルガはただ単に釘を刺しに来ただけだろうし、ジゼルに至っては特に用もない。だからちょうどT字路まで来たところで二人の行先が別れたのも、必然と言えばそうだろう。

 けれどその直前、ジゼルはどうしても言っておきたいことがあった。先ほどの心にもない嘘が思ったよりも尾を引いていたのかもしれない。ただ、気が付けばするりと口から零れていた。

 

「団長さん」

「どうした?」

「団長さんは……できれば、死なないでくださいね」

「なんだよ、そんなことか。俺は鉄華団団長オルガ・イツカだぞ、団員残して一人で先に逝けるかよ。まさかアンタに言われるとは思わなかったがな」

「そうですか、なら安心しましたよ。あと、ちゃんと忘れずに美味しい食べ物のあるお店を探しておいてくださいね」

「分かったよ、ったく。こうなりゃ徹底的に連れまわしてやるから覚悟しとけよ」

 

 こうして、今度こそ二人は別れたのだった。

 




オルガが火星の王を諦め、イオク様に正攻法を取らせた魔法の言葉「ジゼルと同じになる」。なんすかこの主人公……
イオク様にとってはラスボス、オルガにとってはヒロイン(っぽい気がする)となったジゼルの明日はどっちだ。なんかここ数話で一気にジゼルの狂気度が跳ね上がっている気がします。

挿絵ですが、CHARAT様で作成したものをここに貼らせていただきます。ジゼルの姿をイメージする一助になればと思います。


【挿絵表示】


髪の長さがもうちょっととんでもない以外はだいたいこんな感じです。

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