鋼の不死鳥 黎明の唄   作:生野の猫梅酒

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 ──始まりの夢を見た。

 仕立ての良い服を着た赤銀の髪の少女が、うずくまった男を見下ろしている。
 しかし少女の握った銀にきらめく包丁には、赤も鮮やかな血糊がべっとりついていた。しかも少女の目の前にうずくまる男は腹から大量の血と臓物を落としており、既に絶命しているのは素人目にも明らか。信じられないとばかりに目を見開き、それが最後となったのだ。

 結論から言えば、これは正当防衛の範疇と言って良いだろう。
 少女は着の身着のまま屋敷を飛び出した箱入りの令嬢であり、殺された男は少女の身形を見てカモにできるとほくそ笑んだ悪党だ。男は人影のない路地裏で少女に襲い掛かったはいいが、()()()持っていた包丁に刺されて返り討ちにされただけのこと。非があるのは圧倒的に男の方であり、少女の方は強く責められる謂れなど何一つない。

 それでも、もし現場を第三者が目撃したなら。きっとそれ以上に言いようのない不気味さを、少女の無表情から感じたことだろう。

「これが……人を殺した感触……」

 人一人を殺したはずなのに、少女の心はさざ波ほどの恐怖も動揺も抱いていない。
 少女は陶然としたように一言呟いてから、

「ふふっ、アハハッ……! とっても楽しい! 今までの悩みはなんだったのかしら!」

 今度はその口元が狂喜を湛えてにんまりと弧を描いたのだ。
 笑う。(わら)う。(わら)う。どこまでも愉快でおかしくて堪らなかった。自分を組み伏せていいようにしようとした男は、呆気なくその人生を終えてしまったのだ。きっと予想もしなかったに違いない。
 他者の人生を自らの手で終わらせ、破壊するという背徳的で禁忌を孕んだ行為。その事実はどこまでも甘美であり、ついさっき肉を抉ったあの感触すら愛おしくて仕方ない。

 かくして少女、若き日のジゼル・アルムフェルトはここに最初の殺人を犯した。生まれ育った屋敷を飛び出し、巨大な戦争を止めようとする組織『ジェリコ』へ加入するまでのほんの数日に起きたことだった。
 包丁を持ち出したのは、単にそれしか人を殺せそうな凶器(もの)がなかったからだ。令嬢たる彼女の周囲には銃なんてものはなかったが、料理人の扱う包丁ならばいくらでもあった。その内の一本を拝借して鞄に忍ばせておいたのが、土壇場の窮地で役に立ったということだ。

「あぁ……もっとたくさん殺したいなぁ……一人程度じゃ(わたくし)は──ジゼルは、全然満足できませんよ……」

 それまで曲がりなりにも自身の殺人欲求と向き合い、抑止しようと試みていたのが馬鹿らしいくらいに巨大な快楽の渦。きっともう下着は駄目になっている。それくらい気持ちよくて、陶然とさせられて、堪らない快感だったのだ。
 最初は一人殺せれば満足できると思っていたのに、まるで藁屋根のように自制心は吹き飛んでしまった。
 もっと欲しい、もっと殺したい。
 ただ一つの凶暴で醜悪な思念だけが加速度的に増加し、ジゼルの心を支配していく。もはや令嬢などという皮は脱ぎ捨てた。ここにあるのはただ最低最悪の本性をついに開花させた、ジゼル・アルムフェルトという生身の殺人鬼に他ならないのだから。

 ──これが彼女の始まり。数多積み上げた屍の山の一番下、原初の殺しに他ならない。

「……まったく、随分と懐かしい夢を見たものです」

 ある朝のこと。目覚めたジゼルの第一声はそれだった。
 始まりの夢を見た。まだ世間について右も左もわからなかった頃、自らの身を守るために初めて人を殺した時のことだ。
 思えば全てはあの日に始まった。あの殺しを経験したからジゼルは自らの本性をより深く自覚し、殺人狂としての道を歩み出したのだから。吹っ切れる切っ掛けをくれたと思えばあの男性に感謝してやっても良いくらいである。 
 今の自分には何一つ文句など無い。かつて満たされぬまま延々と殺人欲求を抑えこんでいた時と違い、狂った自らを肯定した現在のなんと気楽で幸福なことか。知らない相手がいくら死のうが知ったことじゃない、自分にとって大切なのは誰かを殺して貪る快感と、与えられた恩にきっちり報いることだけなのだから。
 
 だから重ねて、()()()()に後悔はない。これ以上なく人生を謳歌していると断言できる。こんなにも悪徳に塗れた自分には邪悪こそ相応しい形容詞だと自負しているが、かといってそう易々とこの生き方は変えられない。変えたいとは思うが、変わらないなら別に構わないとも思っているのだ。

 でも、ならば生粋の殺人鬼として生まれ落ちたこと自体に感謝しているのかと言えば──

「今日も誰かを殺してもいい、良き日になりますように」

 ──きっとそれだけは、嘘になってしまうのだろう。



#31 似て非なる者

 ここ半年以内に加入した新入りの鉄華団団員たちの中でも、デイン・ウハイという人物はよく目立っていた。

 

 特徴的なのは糸目と見上げるほどの巨躯、けれど見た目に反して非常に温和な性格をしている。常識的で色んな人物達の緩衝材となってくれる彼は、血気盛んな者が多い鉄華団の中では貴重な人材だ。

 巨体と性格のギャップ、さらには意外な手先の器用さも相まって新入り達の中では異彩を放っているデインだが、その経歴は案外と謎が多い。彼自身寡黙であまり自身を語らないこともあり、彼の配属となった整備班の者たちでも知っている者はまったくいないのだ。

 

 とはいえ、それは取り立てて不評を買うようなことでもない。元より自らの過去すら捨てる羽目になった少年兵たちの立ち上げた組織なのだ、過去が不明だからと騒ぐ者が皆無だったのはデインにとって間違いなく救いだったと言って良い。

 

「はぁ……」

「どしたんだよデイン、そんな辛気臭い顔して」

「いや、なんでもない」

「そっか、ならいいけどよ」

 

 それで納得してくれたのか、対面に座るハッシュ・ミディは黙々と飯を食べる作業に戻って行った。彼の隣に座るザック・ロウもチラリとデインを一瞥してから、また食事を再開する。

 デイン、ハッシュ、それにザック。この三人はほぼ同時期に鉄華団に加入した新入り団員たちであり、性格も出自も配属先すらバラバラの割にはよくつるんでいる三人組だ。今も普段通り仕事終わりに合流してから、三人そろって食堂に飯を求めてやって来たところである。

 

「なぁ、ハッシュ」

「今度はなんだよ?」

「お前、また()()()にMSの稽古つけてもらったのか?」

「おう、そりゃあな。強くなるための近道は強い人に教わる以外に無いからよ」

  

 飯を飲み込み当然とばかりに答えたハッシュ。その顔はどこか誇らしげにも見えてしまい、デインはまたも溜息を吐いてしまう。今度は気づかれぬようごく小さく、だが。

 まだ新入りのハッシュではあるが、彼は予備隊の一員として例外的に獅電のパイロットとなっている。けれど新入りだけあり練度は素人もいいところだから、独学と日常の訓練でどうにか補っていたのがつい最近までの話。それでは限界があると悟り、ついに時間外訓練まで始めたのがほんの二日前のことだった。

 

「三日月さんは分かるけどよぉ、あの人そんなに強いのか? なーんか普段はぽけーっとしてるっつうか、眠そうにしか見えないからなぁ……」

「ザックは知らないからそんなこと言えんだ。この前のMAとやら相手に戦った時の記録を知ればきっとそうは思わない」

「そういうもんなのかぁ? あの人──ジゼルさんって普段は事務員じゃないか。見た目が強そうな昭弘さんやシノさんと違って全然強そうに思えないっつうか、もし俺がこっそり襲い掛かってもあっさり倒せちゃいそうっていうか」

「おいおい……」

 

 相変わらずとぼけたことを言うザックに頭を抱えてしまったハッシュ。これも普段通りといえばその通りなやり取りだが、傍から聞いてるデインとしてはあまり聞き捨てならない会話だった。

 

「どこがどんな風に強いんだ、あの人は?」

「……なんだろうな、効率的に戦う方法を教えてくれるっていうか。三日月さんの戦い方は技術と暴力を合体させた力業って感じだけど、ジゼルさんの戦い方は効率よく敵を倒すための戦い方だ。()()()()()勝負してる分、余計にそう感じる」

 

 「まだ三日月さんと戦ったことは無いから正確かは知らないけどさ」、苦笑気味にそう付け足したハッシュである。

 ある事情から強くなることに貪欲なハッシュは、さらに自分の糧を増やすべく鉄華団でも腕利きのパイロット達に頭を下げて教えを請うた。その結果承諾してくれたのは時間や性格の問題もあって二人だけ。それが三日月とジゼルだったのだ。 

 しかし三日月の愛機(バルバトス)は大破してしまい歳星でオーバーホール中、ジゼルもまたなぜかフェニクスをバルバトスと一緒にテイワズの方に預けているらしく、本来の実力は発揮できない状態だ。その二人も数日後には団長と共にテイワズに出張らしく、頼み込んだハッシュからすれば不本意極まりない状況であったのだ。

 

「でも、そのおかげで色々つかめたことがある。あの人は人の死角を突くのが上手いんだ。単純に視認できない位置取りとか、心理的な死角とか、そういうのを取るのが滅茶苦茶うめぇ」

 

 フェニクスの操縦は阿頼耶識システム頼りなので、阿頼耶識システムを積んでいない獅電の操作にジゼルは慣れていない。さすがに新米のハッシュよりかは場数があるだけ上手かったが、たぶんダンテやデルマ、ライドといった面々より同じかむしろ下手程度の力量しか持ち得ていないのだ。

 なのに位置取りや細かい動き方は他の面々よりも遥かに巧みだった。”ここはこのように動くはず”という思考からことごとく外れてくるのだ。慈悲も容赦もなく追い詰めてくる様はあたかも狩人のようであり、もし彼女が人殺しに特化した存在と言われても素直に信じられるだけの空恐ろしさをハッシュは感じたのだった。

 

「正直俺もあの人の得体の知れなさは苦手だし、そう言われるのも実際に戦ってみてよくわかったよ。だけど学べることも多いんだ、それを無駄にすることはできない」

「おー、言うなぁハッシュ。その調子で頑張れよー、お前が出世したら同期の俺も鼻が高いからよ」

「当たり前だろ! 俺は絶対一流のMSパイロットになって、三日月さん達を超えるんだ。誰に無理と言われようと、笑われようとやってやるんだ」

 

 ハッシュも後方援護としてMAと戦ったから、ジゼルや三日月といった面々の戦いぶりはよく見ている。その実力差に心が折れかけたこともあったが、けれど諦められなかった。彼のストリートチルドレンという出自と、それに起因する過去の出来事が簡単に折れることを許してはくれないのだ。

 だからハッシュは前を向く。先達の強さは百も承知、尊敬の念すら覚えるほど隔絶した技量だ。けれどそれとこれとは話が別、超えたいと願い努力すること自体は何も間違っていないと信じている。

 

 その決意の源から聞き及んでいるデインは、彼らしい柔和な笑みを浮かべた。

 

「頑張れよハッシュ。お前は、そのままの真っすぐさで強くなるんだ」

「お、おう。よく分からんがありがとよデイン」

 

 戸惑いがちな返答が逆に頼もしかった。彼ならきっと大丈夫だろうと信じられる。

 だってハッシュには、自分やジゼルのような”人殺し”としての強さを知ってほしくないのだから。

 

 ◇ 

 

 鉄華団には就寝時間が定められてはいるものの、あまり気にしている者はいない。実際夜に出歩いていても他人の迷惑にならない範囲なら気にされないのが暗黙の了解だ。

 だからとある思い付きでデインが深夜の外を歩いていても、誰に咎められることも無かった。悠々と本部の入口を抜けて外に出れば、火星の夜空が一面に広がっている。透き通るように美しい満点の星々、しばし目的も忘れて見入ってしまった。

 

「……これか」

 

 大気を伝って耳に届いたのはハーモニカの音色だ。遠くから静かに響くその音色が、夜空に溶けては消え去っていく。夜だからあまり音量は大きくないのに、澄み渡る空気に乗ってどこまでものびやかに響き渡りそうな美しい旋律である。

 デインの思い付きの目的はこれだった。ここ最近、深夜になると外でジゼルがハーモニカを吹いているらしいのだ。とんだ近所迷惑といった行いだが、聞いているとどうにも安眠できるので意外と評判は悪くない。

 いったい何の目的でそのような事をしているのかは不明だが、デインにとっては好都合な情報だった。

 

 ゆっくりと音色が流れてくる方向へと歩いていく。次第に音が大きくなってきた。人気のない外周部は物寂しく、星明りが非日常的な雰囲気を醸し出している。その先にジゼルはいた。

 星の照らし出す微かな光に赤銀の髪を遊ばせて、目を閉じてうっとりとハーモニカを吹いている。まるで外界など何一つ知らないとばかりに超然とした有様だ。用が有って来たデインですら、声を掛けるのはどこか憚られるほど。

 

 それから五分も経っただろうか。ようやくジゼルが演奏を止めて、ハーモニカを懐にしまった。そこでやっとデインがすぐ傍に来ていたことに気が付いたのだった。

 

「おや、こんばんわ。このような夜更けに出歩く人がいるとは」

「……どもっす。俺は──」

「デイン・ウハイさんでしたか。あなたのことはよく知っていますとも。ハッシュさんと仲が良く、なによりジゼルと同じ”人殺し”らしいですからね」

「……」

 

 お手上げとばかりにデインは肩を竦めた。それでも彼の巨体は女性であるジゼルと雲泥の差があるのに、今だけは存在感が逆転したかのようにも思えてしまう。

 既に諸々の事情は知られていたらしい。デインたちが鉄華団に加入した時ジゼルは地球支部に居たから、デインの事を知る機会はここ最近しかなかったはず。マイペースでつかみどころのない性格の割に情報収集にも余念がないようだ。

 

 ともかく一つ言えるのは、オルガ団長以外誰も知らないはずのデインの過去をジゼルが知っているということだった。

 

「ああ、別に責める気なんてこれっぽっちもありませんよ? ジゼルだって同じ穴の(むじな)ですし。ちなみに参考までに、何人殺しましたか?」

「……四人です。一人目は喧嘩の弾みで、二人目以降は生活に困って金が欲しかったのでやりました。どうしても家族に必要な薬があったもので、その分も」

 

 温和で知られているはずのデインが語る信じられないような過去。それは、鉄華団に加入する以前から人を殺したことがあるということだ。

 確かに鉄華団は武闘派の組織だから、人殺しの経験なんて珍しくもなんともない。けれど世間一般では人殺しとは重罪であり、また容易に実行できるようなことでも決してないのだ。だというのに殺しを四回も行うなど、マトモな神経では絶対にできない行いと言えよう。

 

「なるほどなるほど、そうでしたか。ですがよく捕まらずにすみましたね。証拠隠滅の才能があるのなら、是非ともジゼルにご教授願いたいのですが」

「そういう訳じゃありませんよ、ただ運が良かっただけっす」

 

 巨体の割に穏やかな性格というギャップは、逆に人々の印象に根付きやすい。だから捜査の上でも全くデインは注目されず、四度もの凶行を重ねることができたわけだ。

 それでも最後の殺し、つまり四回目の時は駄目だった。ついに証拠を揃えられてギャラルホルンに捕まり、投獄された。服役が終わったのはつい半年ほど前、鉄華団に加入する直前のことである。

 

「そこでオルガ団長と出会いました。あの人は路頭に迷っていた俺を拾って、鉄華団に誘ってくれたんです。『家族のためにやったというなら、性根から腐ってるわけじゃない』って」

 

 オルガらしいと言えばらしい言い草だった。鉄華団は急成長企業であると同時に、行き場のない者たちの駆け込み寺となっている側面もある。だからデインのように過去の罪のせいでマトモな職に就けない手合いを拾うのもお手の物だったのだろう。

 それに、どうしようもない殺人者を雇うという経験はかつて通った道である。きっと躊躇いなどどこにもなかったことだろう。実際デインと面会した際には『もっと危険な奴を雇っているから大丈夫だ』と笑っていたのを覚えている。

 

「団長さんはジゼルすら雇ってみせた人ですからね。四人殺した程度の人なんて、一般人を雇い入れるのと大した違いは無かったと思いますよ」

「……そういうあなたは、とても危険な人だ」

 

 そのもっと危険な奴というのが、ここまで危険だとはさすがに想像もしなかったが。

 

 誰もが薄々感じながら、けれど『いや、それはさすがにあり得ない』と思考を止める一線。けれど同じ一線を越えたことがあるデインだから、ジゼルの本性を察する事など容易かった。間違いなく殺しこそ生き甲斐とする、ある種傭兵や戦争屋よりも性質の悪い存在なのだと。

 覚悟を決めて懐に手を伸ばす。此処に来た目的を果たすために持ち出したモノを向けようとして、先にジゼルがひらりと手を振った。

 

「それをこの場で出してしまったが最後、ジゼルはあなたを殺す他なくなります。それはあなたを受け入れた団長さんにも不義理なので、止めてくださいますか?」

「それでも……いつかあなたがオルガ団長の障害になるというなら……」

 

 服の中に忍ばせていたのは拳銃だ。もしこのままジゼルを放置して恩義ある鉄華団に迷惑が掛かるというのなら、いっそ自分が殺すと決めた。その行いで今度こそ自分の居場所はなくなるかもしれないが、巡り巡って鉄華団への恩返しになるというなら構わない。

 けれどどうしてか、手は震えてばかりだ。拳銃の固くひんやりした感触を感じたまま少しも動かせない。呼吸も乱れてしょうがない。もう四人も殺してきたというのに、目の前の少女一人殺せそうになかったのだ。

 

 それを知ってか知らずか、ジゼルはゆっくりとデインへと歩み寄って来る。一歩、また一歩。彼我の距離は縮んでいく。ジゼルはどこまでも自然体のまま、恐ろしい怪物へと変性を遂げていた。

 

「あなたの疑念は最もですがね。それは数日前、ジゼルと団長さんで話し合ったことです。あなたが気にすることではありませんよ」

「それは……?」

「団長さんもジゼルもその程度の懸念はできるということです。お気持ちはともかく、余計なお世話というやつかと」

 

 気が付けば目の前にジゼルは居た。彼女はするりとデインの懐に手を突っ込むと、握っていた拳銃をごく自然にデインから奪い取ってしまう。早業、というよりも意識の間隙を縫われたのだろう。まるで理解が追い付かないデインの前で、ジゼルは玩具のように拳銃を弄っている。

 そこでようやく身体が楽になり、乱れていた呼吸も元に戻った。まるで水中に潜っていたかのようだ、冷や汗が噴き出て止まらない。

 

 冷静に考えてみれば、先ほどまで強烈な殺気を浴びせかけられていたのだ。殺したことはあっても殺されかけた経験などないデインだから、ジゼルの放つ凶悪な殺意の奔流に身体が硬直させられたのだろう。

 

「ちゃんと弾は入っていて、整備も良好……十分使えそうですね」

「あの、それは自分の……」

「鉄華団参謀に私見から拳銃を向けようとした罰として、これは没収させていただきます。ジゼル、この手のモノの所持は許されていないので」

「……いいんすか?」

「良いんです。ジゼルだって善悪やタイミングというのは弁えているつもりですから」

 

 ジゼルに銃など子供に禁止兵器のスイッチを預けるようなものだが、ここはもう彼女を信じる他にない。だけど考えてみれば彼女は二年も前から鉄華団に居るというのに、大きな問題もなく過ごしているのだ。本当にジゼルの言った通り、これはデインの余計なお節介だったと言わざるを得ない。

 いつものデインならきっとこうも先走りはしなかっただろう。けれど自分の過去やジゼルの様子を重ねてしまいいても立ってもいられなくなったのだ。この短慮はさすがに反省する必要がある。

 

 クルクルと拳銃を回して遊んでいたジゼルは、懐へと銃を仕舞い込んだ。本当に持ち帰るつもりらしい。

 

「お互いの為にこのことは黙っておきましょう。あなただって団員の殺害未遂なんて汚名を着るのは嫌でしょう?」

「そりゃあまあ……」

「ジゼルとしては別にアリだと思いますがね。組織の為を考えて行動できるなら良い事ですし。ただ、誰かに相談した方が良かったのではないかと。例えばほら、ハッシュさんやザックさんみたいな方に」

「うっす……あの、ちょっと訊きたいことがあるんすけど」

「なんです?」

 

 不思議そうに小首をかしげたジゼル。愛嬌のあるその仕草は先ほどの殺気を叩きつけてきた人物と同じとはとても思えない。

 

「そのハッシュの頼みをあなた方が引き受けたのはどうしてなんすか?」

「ああ、そんなことですか。簡単なことですよ」

 

 くすりとジゼルは微笑んだ。 

 

「三日月さんはアレで仲間想いですから、自分が教えることで鉄華団の被害が減るなら良いなと思ったのでは? ジゼルはもちろんジゼル自身の為です。実は今、幸せ探しということをしていまして。この夜歩きハーモニカも、彼への指導も、全部その一環です。人生何が幸福かなんてやってみないと分かりませんし」

「は、はぁ……」

 

 確かに三日月は不愛想だが、実は結構仲間意識は強い方だとデインは知っている。そのような考えが根底にあってもおかしくはない。

 そしてジゼルについては好奇心で訊ねたはいいがよく理解できない発言だ。そもそも幸せ探しとは何なのだ、哲学的な命題である。とりあえずマイペースらしいとだけ覚えておく。

 

 スタスタと歩いていくジゼル。その背中が徐々に離れていく途中で、ジゼルはおもむろに足を止めて振り返った。星明りに瞬く印象的な金の瞳がデインをはっきり捉えている。

 

「そういえば一つ、ジゼルも訊きたいことがあったのを思い出しました」

「なんすか?」

「──初めて人を殺した時、あなたはどんな気持ちになりましたか?」

「……最悪っすよ。怖くてたまりませんでした」

 

 吐き気が止まらず、その日の夜は恐ろしさに震えて眠れなかった。自分の仕出かした罪の重さと、捕まってしまうのではないかという不安に圧し潰されそうだったのだ。

 デインにとっては思い出したくもない忌まわしい過去の記憶。それを聞いたジゼルは視線を前に戻すと、「ジゼルとは似ても似つかないですね、あなた」とだけ言い残した。彼女がどのような表情をしていたかは分からない。

 

「それじゃ、おやすみなさい」

「うっす」

 

 今度こそ去って行くジゼル。赤銀の髪を夜風に靡かせながら建物へと消えていくジゼルを、デインはしばらく見送っていたのだった。

 




中々デインの掘り下げって難しいです。公式でもほとんど情報がありませんし……口調の再現すらこれで良いのか不安が残るほどです。何かあれば遠慮なくご指摘くださればと思います。
それにしても、初めて前書きに本文を投入してみましたが、けっこう面白いものですね。本筋と少し外れた内容を書くのに最適な気がします。

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