テイワズの幹部、ジャスレイ・ドノミコルスは心底から鉄華団が気に入らない。
まず前提として、鉄華団の兄貴分であるタービンズが気に入らない。女に頼り、しかもジャスレイよりも後発ながら急拡大し力を付けた名瀬・タービンが面白くないのだ。テイワズの成長に貢献したのは自分だという自負が有るからこそ、マクマードが自分を差し置いて名瀬に目をかけている現状は見逃せなかった。
そして現在は鉄華団までも気に入られ、いっそう名瀬側の力は強まるばかり。ジャスレイからすればガキばかりの組織がテイワズ内で幅を利かせ、あまつさえ自分の立場すら脅かすなどあってはならない事なのだ。
火星よりオルガ、三日月、そしてジゼルが歳星へとやって来てから今日で二日目。前日の取引の際に行われた小競り合いがジャスレイの記憶にも忌々しく焼き付いていた頃だった。
「どうすんすか
「そうですよ! 俺たちだってテイワズの為に色々やって来たってのに、今や新参の奴らばかり注目されて!」
「なんか目にもの見せてやることは出来ないんすか!?」
薄ら暗い室内の一室に、四人の男の姿があった。
円形テーブルを囲んで座っている男たちの内、三人の表情は焦りと不安感ばかりだ。室内を照らす微かな明かりに彩られたその表情はまるでこの世の終わりでも迎えているかのよう。いや、実際に彼らは苦しい立場に居るのだ。
「落ち着け、お前ら」
けれどただ一人、ジャスレイだけは違っていた。他の者たちが抱く焦りも不安感も垣間見せず、ただ悠然とグラスの酒を
ここはジャスレイの自宅に設えられた一室だ。他の三人の男たちは特にジャスレイとの繋がりが強い者たちであり、テイワズ関係者でもある。故にテイワズでもトップクラスに位置するジャスレイを叔父貴と慕い、彼の子分にも似た立場に座っているのだ。
かくしてジャスレイによる鶴の一声で三人は口を噤んだ。これ以上喚きたてるよりも、まずジャスレイの意見を聞く方が有用だとよく知っているからである。
「確かにタービンズも鉄華団も見過ごせねぇ。その気持ちはよーく分かるとも。だがな、奴らが現状勢いに乗っているのは事実だ。そいつを否定しちゃあ、潰せるモンも潰せやしねぇ」
「そいつは分かってますよ……! でも、それなら余計に手出しし辛いだけじゃないっすか……」
吐き捨てるように男が言う。それに残る二人も同調して溜息を吐いた。やるせない気持ちばかりが場を満たす。
ここに居る者たちの共通意見として、鉄華団とタービンズを快く思っていない。出来る事なら彼らを蹴落とし、自分たちが更なる恩恵に預かりたいと考えている者たちなのだ。
けれど勢いに乗っているということは、なおさら勢いを削ぐのは難しいことを意味する。現状のジャスレイたちは確かに立場もコネも強力なものがあるが、逆を言えばそこで停滞している一派なのだ。このままタービンズ組が成長を続けようものなら、いずれ追い越されるのも時間の問題と言えよう。
「そうだ叔父貴、ギャラルホルンはどうなんすか!? アイツらと太いパイプのある叔父貴なら……」
「ああ、そいつは駄目だ。クジャン家のお坊ちゃんめ、『自分は協力できない』なんて生温いこと抜かしやがった。アイツらは頼りになんねぇよ」
鉄華団を潰す前にまずタービンズをどうにかする──そう考えたジャスレイは、かねてより縁のあったクジャン家へと連絡を取っていた。内容はタービンズを嵌める為のもの、違法組織にでっち上げたところをクジャン家の力で叩き潰してやれば良いというものだ。
マッチポンプ、不当な介入はギャラルホルンの十八番である。故にジャスレイの提案した策はこれ以上なく彼らの性に合っていたと確信していたのだが……つい先ほど交わしたやり取り、思い出すだけで腸が煮えくり返る思いだ──
『そういうわけで、まずタービンズを壊滅させれば──』
『一つ訊きたい、ジャスレイ・ドノミコルスよ。そのタービンズとやらは現状、何の罪も謂れもない一民間組織に相違ないのだな?』
『ええ、そうですよ。そいつがどうかしましたかな?』
『ならば今回の話、私は請け負えない。既に落ちた身ではあるが私にも誇りと意地があるのだ。自らの欲望にかまけて濡れ衣を着せ、民間人を虐殺する行いは最早できないのだ……!』
これが一連のやり取りの詳細である。結局クジャン家、イオクは首を縦には振らなかったのだ。火星の騒動でクジャン家がかなり難しい立場に置かれていたのは知っていたし、だからこそ派手な手柄を欲していると考えただけにこの展開は予想外の一言である。
しかもジャスレイが買収したレギンレイズを言い値で売り戻すと言っても聞かず仕舞い。何か事情があるようだが、ともかく強情にも程があった。
「だが俺たちがその程度で終わるもんかよ。温室育ちの坊ちゃんが使えないから何だってんだ、根回しは俺らの得意技だぞ」
グラスを勢いよくテーブルに叩きつけ、大仰に宣言する。その言葉に男たち三人も一様に顔が明るくなった。
「悔しいが鉄華団と真正面からやり合えば俺らに勝ち目はねぇ。奴らは戦闘だけが取り柄のクソガキどもだ、大々的な喧嘩になりゃあ俺らも終いだろうよ」
「ならどうすれば……?」
「大々的な喧嘩にしなきゃいいのさ。小競り合い程度の規模の中で、的確に組織の勢いを削ぐ。今のテイワズにゃあその為のお膳立てが全部整っているのさ」
愉快気にクツクツと笑うジャスレイとは裏腹に、男たちはどうにもその意図を計りかねているようだ。顔を見合わせて首を傾げ合い、結局ジャスレイに意見を求める。
その滑稽ながら自身を慕う様子に、ますますジャスレイは機嫌を良くして饒舌に語った。
「いいかお前ら、今この歳星には鉄華団団長のオルガ・イツカが来てんだ。しかも組織の者をほとんど連れていない、実質的な丸腰状態でな。この機を逃す理由があるか?」
「……! しかも鉄華団の悪魔は現在ここの工房で改修中だからしばらくは出てこれない……!」
「そういうこった。小規模に事を始め、成功したならそれで良し。仮に失敗して鉄華団と派手な喧嘩になろうが、主戦力の欠けた現状なら勝ち目は十二分にあるのさ。どうだ、悪くないだろう?」
例え他者からどう思われていようとジャスレイ・ドノミコルスとはテイワズのナンバー2であり、この歳星は彼の庭も同然なのだ。もし
ここから鉄華団が突っかかって来たとしても、この状態ならジャスレイが有利である。戦闘にもつれ込んだところで正当防衛にしかならず、逆に叩き潰してやれば万々歳で事は済む。
まさしく完璧な策だ。これならどう転んでも目の上のたん瘤な鉄華団を始末でき、流れでタービンズへも大打撃を与えることが可能となる。あらゆる全てはジャスレイの味方だった。
「見てろよ、鉄華団のガキ共……このジャスレイ様が、大人の怖さってやつをたっぷり教え込んでやるからよ……!」
グラスに改めて酒を注いだ彼は、一足早く勝利の美酒に酔いしれるのだった。
◇
鉄華団が歳星に到着してから、早くも四日が経過していた。この間にオルガは詳しい報告書の提出と、鹵獲したMSの正式な売買契約成立を遂げている。後は二、三日だけ歳星で休息を取ってから火星に帰還する算段だ。
「一人で大丈夫かミカ? なんかありゃあ遠慮なく俺に言えよ?」
「これくらい平気だよ。なんかオルガ、アトラみたいな世話焼きになってない?」
「む、このパスタ美味しそう……」
歳星にはテイワズ直下の店が数多く並んでいる。その内の一角にあるレストランに、鉄華団の面々の姿はあった。マクマードの助言に従い適当にブラブラしていたのだが、昼時になって目に付いた店に入ったのである。
どうやらパスタなどがメインの洋食店らしく、席に通されてすぐにジゼルがメニューに釘付けになっていた。そして車椅子を余儀なくされた三日月だが、こちらはオルガの隣で色々と気遣われている。鬱陶しそうにしながらもちょっと口元が緩んでいるのは、たぶん気のせいではないだろう。
「へぇ、パスタってのにもこんな種類があんのか……俺が知ってるのはミートソースだかナポリタンだかくらいだからな」
「これ、なんて読むの? えーっと、ジェノ……ベ……?」
「ジェノベーゼですよ。バジルソースが美味しいパスタです」
「そうなんだ。……俺ももうちょっと字を読めるようにしないと、クッキーとクラッカにまた笑われちゃうな」
「学ぶ暇なんざいつでもあるさ。今はほら、農業関連の本で勉強してんだろ? そいつ読んでりゃすぐさ。なんなら俺が教えたって良い」
「オルガは仕事が忙しいから別に良いよ。それにそういうの、アトラやクーデリアに聞いた方が早いだろうし」
「おいおい、んな冷てぇ言い方は勘弁してくれよ……」
和気藹々とした空気が場に流れる。新進気鋭の組織の団長だとか、悪魔の如き実力を持つとか、様々に言われる彼らでも一皮剥けばただの青年たちなのだ。むしろこうして居る方がよほど自然体であり、気負うことのない素の姿をさらしていた。
それぞれ好みの注文をしてから、水を飲みつつ料理が出てくるのを待つ。こういった飲食店特有の雰囲気は、オルガや三日月にとってはあまり経験のないものだ。
「団長さん、また
「いや、マジでああいうのはもう御免だからな。あの後どんだけシノやラフタさんに弄られたと思ってんだ……」
「よく分からないけどなんかすごかったよね……シノなんて勢いだけで昭弘のトレーニングに付き合い始めちゃったし」
クリュセ巡りの旅は楽しかったが、まさか尾行されていたとは思わなかったオルガである。結局しばらくはシノやラフタに散々ネタにされたし、ライドに至っては年少組に言いふらそうとする始末。そんなことされたらオルガの胃に穴が空くので、土産の品を幾つか融通して黙らせたのは墓場まで持っていく秘密だ。
ともかく迂闊な行動は出来ないので、ジゼルの言葉に頷くわけにはいかなかった。今も誰かが見張っていたらと思うと、つい店の外に目線をやってしまう程だ。ジゼルを見れば彼女もチラチラと外へ視線をやっている。たぶん同じく気にしているのだろう。
──もちろん考えているような尾行など無く、平和に人の行きかう大通りが有るだけだが。
「そうですか、それは残念です……ああいう行いも一種の幸せかと考えていたのですが」
「にしても時と場所を考えろってんだ。ミカの前でやってどうすんだよ」
「俺は別に気にしないけど?」
「こっちが気にすんだよ! お前ら二人ともマイペースすぎんだろ……」
マトモにやってたらこっちの身が持たない、そう悟ったオルガであった。
そうこうしている内にパスタが運ばれてきたので、のんびりと食事を始める。オルガがミートソース、三日月が先ほどのジェノベーゼ、そしてジゼルはアラビアータだった。相変わらずジゼルは辛い物を頼み、そして狂ったようにタバスコをかけている。頭のおかしい真っ赤なパスタソースにはさしもの三日月すら引き気味の様子だ。
「それ、食べれるの?」
「食べれますよ。試しに一口、行ってみます?」
「おい馬鹿やめろって、このうえミカの味覚まで奪ってく気か? 鬼じゃねぇんだからよ」
「そんな言い草ないじゃないですか。それにジゼルは鬼は鬼でも殺人鬼ですからね。お間違えのないように」
ジゼルの内情を考えれば随分と笑えない冗談だった。
フォークでクルクルとパスタを巻き取ってから、ふとジゼルは顔を上げた。その視線は真っすぐオルガへと向けられている。
「そういえば、あのジャスレイって方とは契約を取り決めたのですよね?」
「ああ、過不足なく約束の報酬は貰ってるさ。さすがにマクマードの親父も立ち会ってる中じゃ、俺たちの足下見ることも出来なかったみたいだな」
「では殺したとしても損はないと。どうします団長さん?」
つまり『殺してもいいですか?』と聞いているはずなのに、まるで買い物の誘いでもしているかのような気軽さである。オルガも一瞬虚を突かれたような顔になってから、やれやれと頭を振った。
「あのな、気に入らないから殺すなんて理屈は通らねぇよ。親父にも釘刺されたろ。その程度アンタなら十分弁えてると思ってたが」
「ですがああいった類の相手は絶対に足を掬ってきます。憂いは早い内に絶っておくべきだと思いますが」
「それでもだ。現状向こうは何もしてねぇし、言い分だって気に入らないが筋自体は通ってる。俺らがとやかく言う資格はねぇよ」
ジゼルの言葉も理解はできるが、かといって認めてしまえば恐ろしいことになる。故に頷くわけにはいかないのだ。
それよりもむしろ驚いたのは、彼女がそんな提案をしてきたことである。殺す為の大義名分さえあれば誰であろうと殺す狂人だが、逆を返せば大義名分がなければおいそれと殺しもしない。そんなジゼルが何故ここに来てジャスレイ殺害を強く提案してきたのか、その方が疑問だった。
本人の言う通りに危険となる可能性があるからだろうか。けれど理由としては少し弱い気もする。
「どうしてそんなに奴に拘る? アンタにしちゃ珍しいだろ、こういうの」
「……だって、団長さんが馬鹿にされたら悔しいじゃないですか。しかも勝手にジゼルの髪の毛にまで触れて、何様のつもりなのでしょう」
「ジャスレイ様、とかじゃない?」
「ミカ、そこはちょっと空気読め……」
呆れ交じりにオルガが苦笑いし、ジゼルの様子を窺がう。ちょっと不機嫌なようならどうにか宥めようかと考えたからだ。
しかし彼女はといえば、先ほどと同じように窓から店の外を眺めていた。特に怒っている様子は見受けられない。けれど不意に動きを止めると、フォークを置いて鞄の中をゴソゴソと探り出したのだ。
「どうした?」
「──理由、大義名分というのはいつも意外なところに転がっているものです。些細な出来事を見逃さず、執念深く周囲を観察していれば、案外とそういったものは見つかるのです」
「はぁ……んで、そいつがどうかしたよ?」
「つまりですね──」
ジゼルが鞄から黒光りする硬質な物体を取り出した。思わずギョッとしてしまう。だってそれは、鉄華団においてジゼルが持ち得るはずのない拳銃であり──
「もしかしたら仕掛けてくるかもと思っていたのですが、見事に大当たりしたという訳ですよ」
店の外へと銃口を向けると、躊躇いなく発砲したのであった。
◇
突然響く銃声は二つ。ガラスの割れる甲高い音。漂う硝煙の香り。あらゆる全てが非日常的な中で、すぐに反応できた者は皆無である。
けれど元凶であるジゼルと、そして三日月だけは違った。沈黙から一転、悲鳴の上がる店内を素早く駆けて大通りへとジゼルは向かう。一方で三日月は動く左手でテーブルを跳ね上げ即席の盾にすると、即座にオルガを引き込んだ。
「どういうこったこりゃ……ミカ!?」
「分からないけど、たぶん襲撃されかけたんだと思う。撃たれた相手、手に銃を持ってたし」
「なんだと……!?」
身を隠しながら愕然としてしまう。命を狙われたという恐怖よりも、この平和な地で暗殺という凶行に出たことが信じがたいのだ。けれど事実としてジゼルは発砲し、三日月まで危険性を認めているのだから認める他にない。それによく見れば、先ほどまでテーブルに乗っていたコップが大穴を空けて転がっていた。おそらく暗殺者側が撃った銃弾が当たったのだろう。
その間にジゼルの方は撃ち抜いた相手の下まで急行していた。相手は黒いサングラスにスーツ姿という、実にテイワズらしい装いだ。腹を撃たれた彼は地面に血だまりを作りながら悶えている。右手には三日月の見たとおり、拳銃が握られていた。
まずは駄賃とばかりに
「誰に指示を受けましたか?」
「ぐっ……痛てぇ……聞いてねぇよこんなの……」
「もう一度聞きますが、誰に指示を受けて団長さんの暗殺を実行したのです?」
痛みに呻く暗殺者の胸倉をつかみ詰問する。けれど返答は無様な呻き声だけだったから、銃床で顔面を殴りつけて再び問い直した。もし次も同じ反応をするなら用無しとして殺すだけだ。
果たして突如として現れた暗殺者の答えは、
「し、知らねぇよ! 顔隠した変な奴に金積まれて頼まれたからやっただけだ!」
「そうでしたか。では、さようなら」
「ま、待って──」
どうやら有益な情報は持っていないらしい。なら後は殺すだけだ。
引き金を引き絞り、あやまたず頭を撃ち抜いた。白いワンピースに返り血が付くが構うものか。ジゼルにとって引き金など羽毛のように軽いのだ。常人が抱く苦悩葛藤嫌悪感、その全てが彼女からすれば些事にすぎない。
こうして呆気なく一人の命を摘み取ってみせたジゼルは、銃を仕舞うと物憂げに溜息を吐く。それから口元を笑みの形に歪めると、誰ともなく呟いたのだ。
「今はまだ幸せ探しの途中ですし……たくさん殺させてくださいな。ジャスレイ・ドノミコルス」
まずはオルガ達並びにテイワズの重鎮達への報告。何かしら手を打ってもらわなければ。
それにフェニクスの改修も急いでもらった方が良い。歳星にいる鉄華団団員はわずかに三人だけ、戦力は少しでも大きくしなければ。こうなってはオルガもしばらくは人前に出てもらわない方が良いだろう。
やることはたくさんある。まだ殺人に代わる新たな幸せなど見つかっていないから、このチャンスは全力で利用させてもらうだけだ。
そして何より。鉄華団団長を狙ったという事実は、自身すら意外に感じるほどジゼルを怒らせていたのだから。あらゆる手段を用いてでも、皆殺しにしなければ気が済まないのである。
この小説はヒットマンに厳しい作品です、ご留意ください。