人が人を殺す時、そこには理由が存在する。
例えばそれは戦争であり、敵討ちであり、政治闘争であり、もっと単純に激情に支配されたからというのもあるだろう。共通するのは、殺人には理解が及ぶ何かしらの背景が存在するということだ。
だから最も恐ろしい殺人とは──ただ殺したいから殺したという、一切の理由を持たない快楽的な殺人に他ならない。
◇
「ジゼルは、何故だか人を殺すのがとても好きなのです。他者の積み上げてきた数十年の人生を一瞬で台無しにする時の、あの感覚が堪らなく愛おしくて。だから厄祭戦が終わって治安も安定したあの時代には、もう用はありませんでした」
それは、ちょっとした秘密を暴露したような気軽さだった。うっとりと頬を上気させ、可憐な容貌と合わされば深窓の令嬢然とした雰囲気すらある。内容の異常さを除けば、だが。
次の瞬間、ユージンと昭弘の持つ銃が真っすぐジゼルへと突きつけられる。セーフティはとっくに外れていた。少しでも妙な動きをすれば容赦なく撃つと、二人の瞳が雄弁に物語る。
しかし、そんな二人に待ったをかける男がいた。
「待て、二人とも。とりあえずその銃は下ろしとけ」
「正気かオルガ!? どう考えてもこいつはヤベー奴だぞ!」
「同感だ。例え丸腰だろうと警戒するに越したことはない」
「だとしてもだ。こいつを鉄華団に誘ったのは俺だし、第一助けられた借りだってある。それなのに話を最後まで聞かない内に殺すようじゃあ、筋がまるで通らねぇ」
筋を通す──それはオルガが最も拘っている信念だ。不当な理由をつけて暴虐を振るう人間になりたくない、そう願っているからこそ可能な限り筋は通そうとする。例えどれだけ危険があろうと、通すべき筋があるなら意地を張るのだ。
そんなオルガの気迫に中てられたのか、ユージンと昭弘は銃をひとまず下ろした。とはいえ、警戒の眼差しは全く弱まっていない。対するジゼルは、撃たれるとは微塵も考えていなかったのだろうか。欠片ほどの動揺も見せなかった。
「悪ぃな、ウチのが逸っちまった」
「構いません。ジゼルも、あまり褒められた趣味ではないと自覚していますので」
「……なるほど」
仮にも人殺しを”趣味”と言い張るとは。
一般常識自体は理解しているようだし、ここに至るまでの物腰も柔らかだ。唐突に襲い掛かって来るようにも思えず、華奢な身体はもしこの場で暴れたとしても虫一匹殺せるか疑うほどだ。
ジゼルに限らず、人を殺したことのある人間なんて鉄華団にはごまんといる。だというのに、オルガには目の前の見目麗しい少女が得体の知れない異形の怪物に見えて仕方が無かった。その微かな恐れを見抜かれたのだろうか、ジゼルは小さく嘆息した。
「先に言っておきますが、ジゼルも殺す相手は選びます。無差別ではないのです」
「その為の軍属って訳か。ま、道理ではあるな」
「はい」
戦争ならば、殺したくなくとも人を殺す羽目になる。本当に彼女が殺人狂であるというなら、軍属というのはこれ以上ない殺しの大義名分を得られるのは間違いない。
とはいえ、ただの少女がそう簡単に軍に入れるのかというと疑問は残るが。実家がよほど金持ちだったのか、彼女自身に人殺しの才が満ちていたのか、はたまた両方か。
「もしもあのままお屋敷に残っていれば、きっとジゼルは我慢できずに誰も彼をも殺してしまったことでしょう。ですから、そうなる前に世間を知らぬ箱入り娘はお屋敷を飛び出すことにしたのです」
「箱入り娘、か……俺らからすればそんだけ恵まれた環境に居ながら、殺人の為だけにすべて放り出すってのが理解できねぇな。アンタ、世の中をなんだと思ってやがる」
半ば八つ当たり的な感情、ジゼルを責めても仕方がないとはいえ、ついユージンの口からは辛辣な言葉が漏れてしまった。
きっとこの少女は何一つ不自由することなく、健全な家で全うな愛情を注がれ育ったのだろう。それらは鉄華団の誰もが求め、そしてもはや手に入れることのできない尊い代物だ。
だというのに、それを”殺人がしたい”という一心で捨て去るなどあり得ない。鉄華団にいる者たちは殺さなければ殺される過酷な環境に、当人の意思は関係なく置かれてしまっていたのに。殺人に快楽を見出す感性など欠片も理解できないのだ。
「ああ、そういえばここで見かけたのは少年兵がほとんどでしたね。察するに、この鉄華団とは行き場のない
故にジゼルの言葉は、ユージンに対するささやかな皮肉と羨望であったのだろうか。少ない情報で的確に
思わずユージンが反論しようとした、その時だった。
「……お前、今の言葉をもう一回言ってみろ」
「落ち着け昭弘、気持ちは分かるが早まるな」
静かに怒りを露わにし、鍛え上げた拳を構えた昭弘。視線だけで人を殺せそうな目つきの彼を、オルガはどうにか宥める。今ここで爆発されても困るのだ。
かつてはヒューマン・デブリであり、また仲間の多くが恵まれたとはとても言えぬ出自であるからこそ、どうしても”恵まれている”という言葉が我慢ならなかった。しかもそれが詳しい事情を知らぬとはいえ、良い所の出という人間の発言であるのだから堪らない。
それでも、彼女はまったく怯まなかった。
「だって殺すことが仕事だなんて、羨ましいじゃないですか。鳥が空を飛ぶように、魚が海で泳ぐように、人が呼吸をするように、ジゼルにはどうしても殺人が必要だった。あなた達と同じ、置かれた環境が必ずしも望んだものではないというだけの話です」
「……残酷なことを訊くようだが、自殺っていう手は考えなかったのか? いい所のお嬢様がそうなっちまったら、もう絶望しかないだろうに」
「ジゼルだって、望んで人殺しが好きに生まれた訳じゃありません。他のことで紛らわせようとして、感情を抑えたり、色んな事に挑戦したり……だけどそれでも駄目だった。何をしても日に日に殺人欲求は大きくなって、歯止めが利かなくなって。なのに自殺で終わらせるなんて、悔しいにも程がある」
だからそんな自分を受け入れることにしたんです──いっそ純粋にも思える笑みを向けられて、オルガたちは言葉に詰まった。
つまりそれは、希代の殺人鬼の誕生ではないか。何一つ不自由ない生活を送っていたであろうお嬢様は、全てを失う代わりに自身に正直に生きることにしたのだ。言葉だけ見ればポジティブな思考でも、結果として起こる事態が悲惨に過ぎる。
「さて、これでジゼルの話は全部です。要は、人殺しをするために未来に来たとだけ認識してもらえれば十分。そのうえであなたはどうしますか、オルガ・イツカ団長。ジゼルを雇わないというなら、それも構いません。ここで殺すというなら、ジゼルの運が無かっただけの話でしょう」
「殺しはしねぇよ。だが一つ確認したい。アンタ、俺たちを殺してみたいと考えてるか?」
「いいえ」
意外なことに、答えは否定だった。迷う素振りすらない即答に、
「理由は?」
「借りがあるから。根無し草のジゼルをここまで連れてきてくれて、美味しいご飯を振舞ってくれて、しかもフェニクスの修繕までしてくれるらしいじゃないですか。そこまでしてもらって”じゃあ殺します”というのは、不義理が過ぎると思いますので」
「不義理か。ああ、それだけ聞ければ十分だ」
人とは違う異形の感性を抱く少女。扱い方を間違えれば途轍もないことになるだろう。もしかすれば、その殺意は自分らに注がれるやも知れない。であれば、彼女はここで放逐すべきである。それが普通の、常識的な考えだ。
そこまでを余さず理解して、心の内で咀嚼して、オルガは決断を下した。
「決めた、アンタを鉄華団に歓迎しよう」
「なっ、おいオルガ! 何言ってやがる!?」
「なぁユージン。今の俺たちに本当に足りないものは何だと思う?」
当然の反駁は、逆に問いによって封じられた。
本当に足りないもの。仮にも副団長を任されているユージンだから、少し考えるだけでいくつか意見が浮かび上がった。人材、知識、戦力……いいや、どれも違う。おそらくは、
「外様の不足か。俺たちの仕事を客観的に評価できる奴がこの組織にはいねぇ」
「そうだ。俺たちは家族だが、そのせいでどうしても身内には甘くなる。身内を大切にするのは大事なことだが、下手すりゃ見なきゃいけない事実まで見えなくなっちまう。いくら何でもそいつは不味いだろ」
貧困にあえぐ生活と、裕福な暮らしと。
望まぬ人殺しを行う少年と、望んで人殺しを行う少女と。
思えば、鉄華団のメンバーと眼前の少女は、生まれも思想も対極にあると言えた。故にこそ最短で『上がり』を目指すためには、彼女のような毒皿を喰らう必要があると理解した。全く違う視点を持ち、淡白として情に流されることのない
「だからってなぁ……よりによってコイツはないだろコイツは! 客観的な視点ってんなら、もっと他にいいやつなんざごまんと居るだろ!」
「ああ、いるだろうな。だがな、その中で即戦力になれる奴はどれだけいる? 自分の欲より恩や義理を通せる奴はどうだ? いいや、そうはいねぇさ。だからこそ、俺はコイツを雇う方がメリットが大きいと踏んだ」
「そりゃあ……そうかもしれないがよ」
「ええ、ジゼルも良いことをしてもらえば嬉しいですし、やれる限り返したいと思いますよ」
筋を通すオルガと、受けた恩や義理を大事にするジゼル。案外と重視する点が似通っているから、相性は決して悪くないのだ。例えどれだけその内面が理解できずとも、互いに良好な関係を築くことは十分に可能といえた。
「これで臨時の採用試験は終わりだ。細かい諸々は後できっちりつめるとして、俺はアンタを迎え入れたいと思う。どうだ?」
手段も質も選ばず最短を突き進んでいると指摘されれば、とても否定はできない。だけどもう決めたのだ。
苦い顔をしているユージンと昭弘には、後で改めて説明と説得をするとしよう。そんなことを考えながら、オルガは手を差し出した。
「異存はありません。よろしくお願いします、団長さん」
差し出された手がしっかりと握られる。女性特有の柔らかさを持つこの手は、いったいどれだけの血に塗れているのか。オルガたちとて人のことは言えないが、それでもふと想いを馳せてしまう。
だがそんなことは関係ない。相手がどれだけ醜悪な思想を抱えていようとも、それすら利用してしまえばいいのだ。彼女は鉄華団団長たるオルガにとっての試練であり、また鉄華団のこれからを占う試金石に他ならない。
──こうして、ここに悪魔との契約は完了した。
超危険人物が鉄華団にinしたところで、最序盤は終了です。次回からは少しづつ時間を飛ばして、二期の開始地点まで話を進めていきたいと思います。