鋼の不死鳥 黎明の唄   作:生野の猫梅酒

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#46 友情

 ガンダム・ナベリウス。白と赤の二色(ツートン)に輝くこのガンダム・フレームは、かつての厄祭戦においてもっとも”騎士”と呼ぶに相応しい機体だった。

 武装はバエルに次ぐシンプルさで、背部にマウントされた六本の剣とサブウェポンにマシンガンが一つのみ。腕部は小型の円盾(ラウンド・シールド)が備わっており、その点ではマクギリスのかつての愛機グリムゲルデを彷彿ともさせる。だがグリムゲルデに比べれば全体的に鋭い印象を与え、そして羽のように広がる剣は天使を彷彿とさせるシルエットをも生み出すのだ。

 

 故に騎士のごときMSと称され、そしてバエルの従者に相応しい機体となる。あるいは誰よりもアグニカ・カイエルを信奉するマクギリスこそ、このナベリウスに搭乗する資格があったのだろう。

 だから有り体に言って、マクギリスとナベリウスの()()は凄まじいの一言だった。

 

『どうしたガエリオ、その程度か!?』

『ぐうっ……! まだ、まだァッ!』

 

 猛攻、猛攻、ひたすら攻め続ける。双剣による息もつかせぬ連撃がキマリスヴィダールを何度となく襲い、対するガエリオは凌ぎ切るだけで精いっぱいだ。むしろここまで倒されずに耐えているだけでも賞賛に値する所業である。

 

 厄祭戦から残るガンダム・フレームの特徴として、ほとんどの場合阿頼耶識システムは搭載されたままである。そしてアイン・ダルトンを始め幾つもの実験でデータを収集していたマクギリスが、自らにも阿頼耶識を植え付ける施術を行っているのは何ら不思議な事ではない。

 だが恐るべきはその技量。つい最近持ち出されたであろうナベリウスに対し、キマリスヴィダールはそれこそ二年以上前から蓄積されたデータを基に改修を積み重ねた、いわばガエリオ専用機なのだ。現代戦闘への適正はナベリウスの比ではないだろうに、マクギリスは巧みな技術を以ってガエリオを追い詰めにくる。

 

 圧倒的な強さとはこういう事なのか。歯噛みしながらもガエリオは止まらず、そしてマクギリスも容赦はしない。互いに狂ったような攻めの姿勢を見せあう中で、どちらともなく叫びだす。

 

『お前の抱いた怒り、所詮はそれで終いか!? (ぬる)い、全くもって温いぞガエリオ! そんな鈍らの刃でこの俺を倒すことなど──』

 

 ナベリウスがフッと身体を沈ませた。阿頼耶識を用いた自然な動き、ほんの一瞬ガエリオは相手を見失う。

 

『不可能だと思い知れッ!』

 

 裂帛の気合と共に剣光一閃。そして生み出された隙を嘲笑うように双剣が大槍(ドリルランス)へとぶち当たり、キマリスは大きく弾き飛ばされた。

 ガエリオは素早く機体を立て直し二〇〇ミリ砲で牽制、しかしマクギリスはモノともせずにさらに距離を縮め始めた。情け容赦の無い死の天使(あくま)が、(つるぎ)を広げて迫り来る。

 

『だからどうした! 怒りがこの世の全てとでも言うつもりか、ふざけるなッ! 俺はそんなモノに支配された覚えはない! 支配されるつもりも無いッ!』

 

 その為に自らは剣を執り、非道とも言える行いを経てもなお、この場に立っているのだと。力強く宣言したガエリオはキマリスヴィダールの真の実力を発揮させる。禁忌の力にして戦友の想い、それをぶつける時がついに来たのだ。

 

「行くぞ、アイン!」

 

 阿頼耶識TypeE、起動。コクピット内が赤く光り、忌まわしき疑似阿頼耶識システムが産声を上げた。システムを通してガエリオ自身の肉体すら操らせることで、後遺症もなく阿頼耶識の恩恵全てを手に入れることが出来るのだ。

 ──白状すれば、ガエリオはこの機能について快く感じてはいない。かつてイオクにも指摘された通り、これは死者を冒涜する行いで流出すれば大変な事になる諸刃の剣でしかない。何より、今から機体を操るのはガエリオでなく戦友の脳(システム)なのだ。それを自らの力と誇って本当に良いのか、疑念は晴れない。

 

 けれど、そんな迷いを抱いたままマクギリスに追いつけるはずもない。ならば良し、そうと決めた道を貫き通すまでなのだ。今更後戻りなど、もう誰にも出来ないのだから。

 そして逆にマクギリスにとっては、今のガエリオこそ望むべき宿敵の姿に映っていた。目に見えて動きの変わったキマリスに対し、いっそ喜悦とも取れる笑みを浮かべながら凄絶にナベリウスを操作する。

 

『話には聞いていたが、まさかお前があの阿頼耶識に手を出すとはな。良いぞガエリオ、そうでなければ。片手落ちの覚悟で何が成せるというのだ、それでこそ俺の相手に相応しい!』

 

 かつてのマクギリスは、いつだって怒りを抱いて生きてきた。アグニカ・カイエルこそ至高と仰ぎ、その理念を再びギャラルホルンに齎すと誓った。そのための原動力こそ怒りであり、忘れてはならない最初の感情だった。

 だから彼には怒りしか届かない──というのはやや語弊があるだろうか。かつてアグニカ・カイエルを盲信し、その背を目指していた頃ならいざ知らず、今の彼はマクギリス・ファリドという確固たる一人だ。別の道を歩みだした彼だからこそ、届く言葉もあるやもしれない。

 

『お前が俺に対して抱いた本気の怒り、それより生み出された力を見せてみろッ! それこそ、この世の中を変える最も強い力の一つなのだから!』

 

 けれど、結局こうも言えるのだ。昔より柔軟になった今でもマクギリスは怒りこそ最大の原動力とも考えている、と。だってその感情こそマクギリスを此処まで導き、世の中を大きく動かしたのは紛れもない事実なのだから。現に結果を出した方式があるのだ、どうして根幹まで変える必要があるというのか。

 そんなことはガエリオとて察している。二年前、エドモントンの戦いで裏切られたあの時から今日まで、マクギリスの真意をいつだって考えてきた。復讐に身を焦がしそうになりながら、それでもラスタルの言葉もあって本心に気が付けたのだ。なら、やるべきことは一つしか無い。

 

『ああ見せてやるさ! カルタと、アルミリアと、そしてアインの想いを背負った俺は負けない! お前に届かせる心がある限り!』

『ならば来い、ガエリオォォッ!!』

『行くぞ、マクギリスッ!』

 

 もはや言葉は不要とばかりに、二人と二機は互いの名を叫び合いながら流星の様に衝突を開始した。

 

 ◇

 

 阿頼耶識によって本領を発揮したガンダム・フレーム達の戦いは、既に余人が入り込める次元には無い。

 デブリ漂う中を高速で駆け抜け、衝突し、分かれ、絡み合い、武装をぶつけ火花を散らす紫と白の閃光。過程は違えど共に機体の限界を常に発揮させ続けているというのに、その動きは少しの衰えも不備も見せなかった。

 もしこの戦場に第三者──例えば鏖殺の不死鳥(フェニクスフルース)だとか、鉄華団の悪魔(バルバトスルプスレクス)が居ればまた均衡も違ったことだろう。けれど両者共に自らが相対すべき敵と対峙しており、それ以外の者ではもはや力不足もいいところ。

 

 だからナベリウスとキマリスヴィダールは誰に邪魔される事もなく、戦闘宙域の一角を惜しげもなく占領しながら(しのぎ)を削り合っていた。

 

『はああああッ!』

『おおおおおッ!』

 

 キマリスが大槍を振るい、すぐ近くを浮いていたMSサイズのデブリを弾いた。即席の射撃物と化したデブリは瞬く間にナベリウスによって断ち切られるが、ほんの少しの隙と視界を奪い取った。その刹那をついてガエリオは大槍と背部サブアームに繋がれたシールドの一つを連結させる。

 大槍を真正面に構え、莫大なエネルギーをチャージ。決して少なくない隙を晒す羽目になるこの一撃は、引き換えに全てを貫く一撃必殺の破壊力を有している。

 

 その名もまさしくダインスレイヴ、対MA用に開発された禁忌の兵器に他ならなかった。

 

『──ッ!』

 

 トリガーを引き絞ると同時、大槍から一本の弾頭が放たれた。音速すら超えるダインスレイヴ用特殊KEP弾は周囲のデブリをモノともせずに貫き破壊し砕いていく。先ほどマクギリスにぶつけたデブリすら易々と貫通すると、弾頭は遥か彼方へと消え去ってしまったのである。

 一機のMSに搭載するには過剰すぎる火力にガエリオをして思わず冷や汗が出るが、そうも言っていられない。相手はあのマクギリスなのだ、()()()()()()()()()()でやられるはずが無いだろう。

 

『今のには驚かされたぞ、ガエリオ!』

『ぐっ……!?』

 

 果たして、その予測は現実のモノとなった。不意にマシンガンの雨あられが浴びせかけられ、咄嗟にガエリオはシールドで機体を庇いながら後退した。

 それを追うようにデブリの裏側から飛来したのは、案の定五体満足なナベリウスである。唯一右手の剣だけは折れ曲がって使い物にならなくなっているが、不要とばかりに投げ捨てると背部から新たな剣を引き抜いた。 

 察するに、ダインスレイヴの軌道を剣一本で逸らしたのだろう。確かに直線的な一撃であるし、合わせる事さえできれば弾くのも難しくは無いのだろうが……超音速で迫る弾頭相手にやれる人物など、果たしてこの世に存在していいのか。もはや絶技と言う他ない。

 

『あの品行方正だったお前が禁止兵器にまで手を出すとは、見違えたな!』

『皮肉のつもりか? 俺は元々そこまで真面目君でも無かったさ!』

 

 言い返しながらガエリオも右手に大槍を構え、左手には高硬度レアアロイ製の刀を携え打って出る。ナベリウスの武器に比べて大型のそれらは小回りこそ取れないが、代わりにリーチの面では長剣二本に比べて優位だ。

 双剣と大槍と刀が乱れ合い、火花を散らして機体を掠めていく。その最中でも両者の言い争いは止まるところを知らなかった。

 

『お前こそどういうつもりだ! あれだけ周囲に対して冷静沈着に振舞っておいて中身がこれとは、随分と猫を被るのが上手かったじゃないか? 俺も騙されたぞ!』

『随分と個人的な感傷だな! お前が純粋すぎるのが悪いだけの話だろう! 何度俺がお前のフォローをしたと思っている!』

『それを言うなら、完璧すぎたお前と周囲を取り持ったのは誰だ! 毎回毎回女性たちの相手を代わってやるこっちの身にもなってみろ!』

 

 キマリスの膝からドリルが飛び出しそのまま膝蹴り、咄嗟に庇ったナベリウスの剣をさらに一本へし折った。だがお返しとばかりに残ったもう一本がキマリスの手から刀を弾き、互いに武装を一つずつ失う痛み分けに終わってしまった。

 けれど剣戟は止まらない。キマリスは大槍を両手持ちに構えなおし、ナベリウスは更に新たな剣を背部から引き抜いた。どれだけ武装を削ろうと替えの多いナベリウスは、シンプルながら完成された機体だった。

 

『第一、お前はもう少し周囲に色目を使うのを自重したらどうだ! それで何度アルミリアが不安に駆られたと思っている!』

『彼女を幸せにしてみせるという約束に嘘はない、彼女を蔑ろにした覚えもない。だがそれに比してお前はどうだ! それこそ兄であるお前が身を固めれば少しは安心できたのではないか!?』

『グッ……うおおおおおおおッ!』

『ハハハ、図星か!』

 

 ──それは、とても不思議で矛盾していて、けれど当たり前の光景だった。

 MS同士は今も激しく戦っているし、一つ狂えば呆気なくどちらかの命は宇宙の藻屑と消えてしまう。研ぎ澄まされた殺意は一片の慈悲もなく、敵手の撃滅だけを祈って剣と槍は渡り合う。

 なのに、パイロット同士の会話はまるで気安いもの。とても命のやり取りをしているとは思えない。互いに皮肉を言い合い、罵倒し合い、なのに褒めることもあれば言葉に詰まって勢いに任せることすらある。もっとも簡単な言い方をするなら、これは友人同士の口喧嘩以外の何物でもないだろう。

 

 いや、事実これはその通りなのだ。例え両者がどう変わってしまおうと、友人として共に過ごした時間ばかりは変わらない。まだ絆が完全に壊れた訳じゃないのだ。だからこのやり取りは矛盾しているようで、けれど当然の行いでしかなかった。

 

『いい加減にその口を閉じさせてやるぞマクギリス!』

『お前に出来るかガエリオ!? 悔しいのならもっと怒りを燃やしてみせろ!』

 

 だけど、今もなお戦いを続けているのもまた事実。そして紫と白の流星は一秒も止まることなく熾烈に競い合っており、激しく熱く闘志をぶつけ合っている。口や想いがどうであろうと、この戦いを止める事など二人にだって出来ないだろう。

 キマリスの大槍がとうとうナベリウスを捉えた。左肩の装甲を剥ぎ、その下のフレームが露わになる。ついに明確な一撃が入ったが、それを喜ぶ余裕はガエリオにない。即座に機体を切り返したマクギリスは右の長剣でキマリスの足首を的確に落としてきたのだ。

 

 ようやく互いの機体へ損傷が入るが、その程度で止まるはずもなく。バランスを欠いたはずの機体をいっそう苛烈に操縦して、骨を削りながら相手の身体を噛み砕かんと勢いづいた。

 

 ──キマリスの左腕が半ばからちぎれ飛び、ナベリウスの右足が根元から粉砕された。

 ──ナベリウスの剣が左手ごと弾き飛ばされ、キマリスのドリルニーが片方破壊されてしまう。

 ──気が付けばキマリスの頭部はもげていたが、代わりにナベリウスの剣も残り一つだ。

 

 一進一退、満身創痍だ。いつの間にか当初の主戦場だった宙域を離脱し、革命軍らが戦っている戦場の方にまで戻ってきているのだが、どちらも一顧だにすらしなかった。場所が変化したから何だというのだ、あらゆるMSも戦艦も手出しは許さないし気にかけすらしないとばかりの熾烈さである。

 破壊されては破壊し、破壊しては破壊され返す応酬。両者の実力は紛れもなく拮抗しており、あたかも永遠に終わることのない剣舞でも踊っているかのようだ。

 だが、それでも。執念の差で強引に勝負の天秤を覆す力を持つのがマクギリスという男なのだ。

 

『おおおおッ!』

『何ッ……!?』

 

 ドリルニーでさらにコクピット近くを抉られるのにも頓着せず、一気に超近接(オメガファイト)の間合いに入る。砕け散った装甲の破片の間を縫うように長剣が走り、とうとうキマリスの手から大槍(ドリルランス)を手放させることに成功した。

 ついに得物を失ったキマリスが無防備と化した。阿頼耶識TypeEすらこの勢いには反応できず、しばし演算の隙が生まれてしまう。そしてその隙を見逃すマクギリスではない。即座に追撃し剣を翻しコクピットを一直線に貫かんとして──

 

『まだ、だァッ!』

 

 咄嗟に阿頼耶識TypeEを停止させたガエリオが、自らの操作でシールド二枚を滑り込ませることでかろうじて防いでみせた。窮地における生者(ガエリオ)の反射、それが死者(アイン)すら超えて命を救ったのである。

 無骨な鋼と鋼が噛み合い火花を散らすが、紙一重でガエリオは難を逃れた。だが次はどうする? 阿頼耶識を用いたマクギリスに対し、阿頼耶識を停止させたガエリオでは今や勝機は無い。そうでなくともさっきからひっきりなしに警告(アラート)がキマリスのコクピットに鳴り響いているのだ。既にアインの限界は近かった。

 

「なら……!」

 

 今こそ本当に自分の力だけで道を切り開く時なのだ。これまで共に戦い、手を貸してくれたアインに頼ることなく次へ繋げる。それが一番に求められている事だと理解したから。

 

『マクギリスッ!』

『ガエリオ、貴様……ッ!?』

 

 キマリスがナベリウスへとしがみついた。右腕とサブアームを用いた非常に不格好な姿だが、それでもガッチリ組みついて離れようとしない。さらにドリルニーすら突き刺してナベリウスを固定すると、一気にバーニアを吹かし加速し始めたのだ。

 

『俺を道連れに自爆するつもりか!?』 

『そんなつもりは毛頭ないが──それならそれで本望さ!』

 

 これっぽっちも勢いを緩める事はせず、行先どころか正面に何があるかすらよく理解しないまま正面へと加速する。マクギリスは当然その先に何があるのか理解しているのだが、頭部(メインカメラ)を破壊されたキマリスの拘束からは逃れられない。

 

 そして──キマリスとナベリウスは盛大にスキップジャック級戦艦の巨体へと突っ込んだのである。

 

 ◇

 

 ガンダム・フレーム二機に突撃されたスキップジャック級の対処は素早かった。

 ラスタル・エリオンその人が艦長を務めることもあってか、すぐに宇宙へと空いた穴は隔壁が閉じられ、安定のためにエイハブ・リアクターによる重力が限定的に復活した。消火活動のための部隊も即座に編制され、現場へと急行している。

 

 だが、そんなことは主役たちにとって些事に過ぎない。

 

「づっ……ぐうっ」

 

 痛む全身に気合で鞭を打ちながらガエリオは起き上がった。周囲を見渡せばかなり破壊されてしまった格納庫らしき空間と、自分のすぐ隣に擱座(かくざ)しているキマリスの姿がある。どうやら、コクピットから放り出されてしまったらしい。

 

「エリオン公のスキップジャック級戦艦……か?」

 

 見覚えのあるこの格納庫は、しばらくの間世話になったラスタルの旗艦に間違いないだろう。ほとんど当てずっぽうで突撃した先がスキップジャック級戦艦とは、運が良いのか悪いのか。

 それにこうしてキマリスから放り出されているのも、考え方によってはそのおかげで無事だったとも言える。目の前で各所から炎を噴き出しているキマリスを見るに、最後にアインが助けてくれたと考えるのはロマンチストが過ぎるだろうか。

 

「……」

 

 けれど、それ以上感慨に浸る猶予はなかった。視線の先、炎と瓦礫の奥に人影を見つけてしまったから。

 

「やはり生きていたか、ガエリオ」

「ああ、おかげさまでな、マクギリス」

 

 中破したナベリウスを背に、ボロボロになったマクギリスがやって来た。

 まるで互いの無事を喜ぶかのように気安い口調だが、その裏に秘められた感情は何処までも複雑だ。生きてて良かったのか、死んでなくて腹立たしいのか、はたまた両方なのか。互いに自らの気持ちに整理がつかないまま、ついに生身で向き合ってしまった。

 

 視線が交わる。もはや言葉など無粋だ。ここに二人、敵意と覚悟を抱いた男たちが居る。ならば取るべき道は一つだけ。

 ガエリオが拳を握り締めた。マクギリスが両腕を構えた。拳銃などという武器はどちらもコクピットの中に置いてきている。ならば肉体こそが原初の武器、互いの道理を徹すための唯一至上の手段に他ならない。

 

「ああああああッ!」

「はあああああッ!」

 

 一歩、ガエリオが踏み込んだ。同時にマクギリスも一歩を踏み込む。

 二歩、既に小走りだった。やはり鏡映しの様にマクギリスも小走りになる。

 三歩、もう全力疾走だった。互いに目の前の相手しか見えていない。世界の中心は今、この場所でしかあり得ない。

 そして彼我の距離がゼロと化した次の瞬間、熱く硬い拳が、互いの頬にめり込んだ。

 

「これ──」

「しきでぇッ!」

 

 衝撃に頭を揺さぶられ、傷ついた身体が更にボロボロになっていく。けれど頓着などしない。すぐに足で踏ん張り体勢を立て直す。今度はガエリオの拳がマクギリスの腹に入り、逆にマクギリスの拳はガエリオの胸元に炸裂した。どちらもその一撃で倒れてもおかしくないはずなのに、けれど意地でも倒れようとしない。

 

 殴り、殴られ、殴り返し、殴って、殴って、殴って殴り、殴打、殴、殴、殴殴殴──

 

「どうだマクギリス、俺の強さ(いかり)は!?」

 

 その最中、ガエリオが問う。血塗れになった口をどうにか動かし、それでも格納庫中に響くような大声でマクギリスへと言葉を放つ。

 

「これがお前の切り捨てた、見向きもしなかった男の怒りだ! 噛み締めろ!」 

 

 血で赤く染まった拳が勢いよくマクギリスへと突き刺さる。もう何度殴られ、そして殴ったのか。互いに感覚すら覚束ないが、それでも今の一撃は過去最高の一撃となってマクギリスを打ち抜いた。

 

「見向きもしなかった、か……」

 

 それでも、マクギリスは倒れなかった。ふらつきながらもしっかりとガエリオを見据えている。逆にガエリオの方が、このまま行けばその気力で圧し潰されてしまいそうな迫力すら感じる程だ。

 彼は口の端の血を拳で拭うと、微かに自嘲するように唇をゆがめた。

 

「改めて聞こうか、ガエリオ。お前はどうしてこの場に立っている。復讐の為か? 自分の為か? いいやそれとも──」

「そんなこと決まっているさ」

 

 答えなど一つしか無かった。今度はマクギリスから返された拳を耐え抜き、ハッキリと自身の想いを口にする。

 

「お前が、俺の友だから。それ以外に理由なんか無い」

「──なに?」

 

 信じられないような言葉に、マクギリスが虚を突かれたように間抜けな顔を晒した。彼を知る者らからすればあり得ないそれは、ガエリオだから引き出せたと言うべきか。

 さしものマクギリスですら言葉の意味をすぐには理解出来なかったのか、これまでの殴り合いが嘘のように場が静まった。

 

「何を馬鹿な事を言っている。俺はお前を騙し、殺そうとし、お前の仲間を傷つけた男だぞ? それをこの期に及んでなお友と呼ぶなど」

「ああ、自分でも信じられないくらいさ。だけどお前曰く、俺は純粋すぎるらしいからな。一度友誼を結んだ相手を、そう簡単に『はいそうですか』と捨てられなかったのさ」

 

 勿論、マクギリスの指摘も正しい。彼の行いに怒りはあるし、復讐心が無いと言えば嘘になる。アルミリアはまだ良いにしても、幼馴染のカルタと部下のアインに至っては死んですらいるのだ。ガエリオとてこの全てを許せるほど聖人になったつもりはない。

 けれど結局、ガエリオ・ボードウィンはどうしようもなくマクギリスの友なのだ。これまで培ってきた友情も、時間も、何もかもが嘘っぱちな筈がないと信じている。

 

「だから、俺が本当に怒っているのは真実一つだけだ」

 

 ツカツカとマクギリスへと歩み寄る。胸倉をつかみ、その顔を引き寄せた。

 

「なあ──どうしてお前の革命に、俺たちを協力させなかったんだ!?」

 

 激しい怒りを露わにして、その勢いでヘッドバッドをかましてみせる。強烈な頭突きは互いの脳をこれ以上なく揺さぶり侵すが、そんなのはもうどうでも良かった。軋む身体すら惜しくはない。

 ふらつく身体にもう一度鞭打ってガエリオはまたもマクギリスを掴んだ。けれど今度はマクギリスも容赦しない。互いに胸倉を掴み合い、至近距離で相手の顔を睨み合う。

 

「俺もカルタも、お前の力になってやれたはずだ! それがどうして、こんなにも遠回りをしなければならない! 一言あればそれで十分だったはずだろう!?」

「決まっている、お前たちでは力不足だと感じたからだ! 俺の怒りをたかだか友情ごときに破壊されて良いはずがない!」

「嘘だ! ならば何故、お前は……」

 

 ガエリオの視界が滲んだ。前が良く見えない。けれど、目の前の相手がどんな表情をしているかだけは手に取るように良く分かる。分かってしまう。

 

「そんな泣きそうな表情をしているんだ……!」

「泣く……? この俺が、そのようなはずは……」

「お前の本音はどこにあるんだ!? 言ってみろよ、マクギリスッ!」

 

 その本音を聞き出すために、今一度拳を振るう。その本音を隠すために、今一度拳を振るう。

 そして、互いの拳が何度目かも知れない頬骨へと突き刺さり──二人揃ってのけぞるように倒れ伏した。

 どちらもいよいよ限界だった。気力だけで立ち続けるにも限度がある。そんな当たり前の現実を前に、もう立ち上がる力は湧き出しては来なかった。

 

「お前は、俺たちのことを……どう思っていたんだ……!」

「俺、は……」

 

 途切れ途切れの言葉が紡がれる。ほんの少しでも気を緩めればどちらも簡単に意識を失うだろう。けれど、この問答が終わるまでは許されない。それだけは逃げと同じ、やってはいけない行いだから。

 

「ああ、そうさ……! 楽しかったさ、お前と、お前たちと共に過ごした時間は!」

「ならば、何故……!?」

「俺の怒りが、劣等感が、お前たちと共に居ると洗い流されてしまいそうだった。あの地獄を、幸福という薄い感情に潰されると恐れていた。だから……いつか、袂を別つと誓った」

「く、はは、馬鹿か、お前は……!」

 

 ようやく引き出せた本音は、認めるしかない自らの幸福と、それを否定する過去(かつて)怨嗟(いかり)に溢れていた。

 とんだ頑固者、とんだ分からず屋だ。その程度の本音を隠すためにこれだけの事を為したと思うと、馬鹿らしさに眩暈すら覚えるほど。もはや笑いすら漏れてしまいそうだ。

 

「それならほんの一言、言ってくれれば良かったんだ。俺たちは、紛れもない友だ。そんな悩みの一つや二つ、解決できない訳がないだろう」

「そう、かもしれないな……こうしてお前の執念に倒れた今となっては、否定もできまいよ」

 

 怒りを超える原動力など無いと思っていた。友情などと薄っぺらい感情が何かを為せるなどと信じてすらいなかった。

 なのにどうした、結果はこれだ。確かにマクギリスは負けていない。”敵”の首魁たるガエリオと実質的な相討ちとなったのだ、大勢で見れば間違いなく彼に分がある。

 けれど、”友”としてのガエリオには完膚無きまでにやられてしまった。自らの否定した感情の価値を思い知らされ、こうして共に倒れ伏している。かつてのマクギリスなら全て一笑に付していたことだろう。

 

「例え世界の誰がお前を讃えても、全てを許しても……俺だけは、お前とその行いを許さない。それが友として、俺がするべき責務だからだ」

「それは……矛盾しているのでは、ないのか? 怒り続ける相手の事を、友とは呼ばないだろうに」

「……まだ分からないのか、この大馬鹿。怒ってやれるから、友達であれるんだ」

 

 ただ相手の事を褒めて盲信する存在のことを、世界では友達ではなく信奉者と呼ぶ。だからもし世界中の誰もがマクギリスの信奉者になろうとも、ただ一人ガエリオだけは彼への怒りを忘れないのだ。それこそ、友として出来る精いっぱいと信じる故に。

 

「なるほど、な……」

 

 その言葉にマクギリスは小さく、けれどハッキリと頷いて──

 

「友というのも……悪くない、な。ガエリオ……」

 

 唇に微笑を浮かべ、眠るように意識を失った。血塗れのまま穏やかに横たわるマクギリスの姿にガエリオもようやく緊張の糸が切れた。急速に意識が遠のき、身体が思うように動かなくなる。

 

「ああ、そうだろう……マクギリス」

 

 最後にそっと満足気に呟き、ガエリオもまた意識を失ったのだった。

 




「消火部隊、格納庫に到着しました! ですが、その……」
「どうした、言ってみろ」
「その、ファリド准将とガエリオ・ボードウィンが、決闘じみた事をしてまして……こちらも加勢して、ガエリオ・ボードウィンを捕縛致しますか?」
「……いいや、構わぬ。手出しは無用だ、好きなようにやらせておけ。決着が着き次第消火開始、二人は医務室にでも運んでやれば良い」
「は、はぁ……承知しました」
「まったく……これであの二人も、また一皮剥けるのだろうな。ハハハ、若さというのはこれだから侮れないものだよ。なぁ、今は亡き友よ」

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