「ジゼルも暇ではないのですが……まあ一言だけなら。強いことに、理由はないと思いますよ」
「理由がない……? ただそのように生まれたから強いと、そう言いたいのですか!?」
「ええ、まあ。心と身体の乖離なんていくらでもあることでしょうに。心は鉄でも技量がなく、技量があっても心が脆い。誰だって悩むことです、ジゼルだって例外じゃありません」
「……失礼ですが、あまり信じられませんね。あなたのような
「事実なので怒りませんけども。皆が誰しも、全てを捨ててまで強くなりたかった訳ではないと思いますよ? ……ロミオとジュリエットさん」
「誰が悲劇ですか!? 私はジュリエッタ・ジュリスです!」
暗闇の支配する宇宙に白と黒の翼がひらめいた。巨体をあたかも生物のように震わせ、真空の中をまるで飛ぶように優雅に移動する。さながら戦場に舞い降りた天使のようだ。
しかしその実態こそ最低最悪の殺戮鳥、人殺しのMAに他ならない。かつて世界を滅ぼしかけた厄祭戦の置き土産が、ここに再び蘇ってしまったのである。
『またコイツか、面倒だな』
『まさか宇宙にまで来てこいつの相手する羽目になるとは』
『とはいえ、俺らがやんなきゃ誰がやんだって話だけどよ……!』
三日月、昭弘、シノがそれぞれ三者三様にうんざりした反応をこぼす。火星で蘇り打倒したはずの厄祭戦の怪物、それが同時に二機も現れるなど悪い冗談にしか思えない。
二機のMAはそれぞれ白と黒を基色としていて、大まかなフォルムも火星で見たMAと共通していた。けれどどちらもより鋭角的なフォルムとなっていて、さらに宇宙戦仕様なのかスラスターや武装が増設されている。単純な威圧感はかつての比ではない。
唐突なMAの登場により、三日月達の戦場は一時的な停滞状態へと陥っている。後方に引いた旧体制派のMS達は元より、革命軍側のMS達も迂闊にMAへ手を出そうとはしていない。MAと三日月達を結んだこの一帯だけが不自然なほど静まり返っている。
そう、誰もが直感的に理解しているのだ。アレに手を出したが最後、恐ろしいことになると。だから革命軍のMS達はこぞって別の戦場へと飛び立ち、後には鉄華団のエース三人しか残らない。
そこで、オルガからの通信が届いた。気が付けばイサリビもそう遠くないところまでやって来ていた。
『ミカ、そっちの状況はどうだ?』
『たぶん、俺たちを狙ってるんだと思う。そろそろ──』
三日月が言い終わる前だった。
モニターに映る二機のMA達が翼を広げた。全身のスラスターが点火し、青白い炎を噴き上げて飛翔を開始する。尻尾のようなブレードを揺らめかせ、全身の火器を敵手へと向けながら殺意を漲らせる。──ついに、MA達が行動を開始したのだ。
『あれ、前に潰した奴の同類ってことでいいんだよな?』
『そうだ昭弘、アイツもMAとやらのお仲間らしいぜ。MAを倒すためのMAなんだとよ』
『それが今じゃMSに乗る俺たちを倒すってか? おいおい、とんだ皮肉が効いてんじゃねぇか』
迫りくるMAはやはり驚異的な機動性だ。MSの数倍の巨体を誇るくせに、機械らしさを感じない柔軟かつ高速な動きを実現させている。それだけでも厄祭戦時の技術力の高さがうかがい知れるというものだ。
だがそんな背景は鉄華団にとって重要ではない。肝心なのはこのMAを倒せるか、倒せないか。それに尽きる。そして革命軍の有象無象では全く相手にならないことも予想される以上、押し留めるには鉄華団が出張る他に選択肢はなかった。
『お前たちが頼りだ、ミカ、昭弘、シノ。阿頼耶識の代償は重々承知してるが……やってくれるか?』
『当然だよ。オルガがやれっていうなら、何体だってぶっ潰してみせる』
『この前は遠距離からチマチマなんて情けねぇ戦いしか出来なかったからな。今度は三日月ばかり良いカッコさせてもらんねぇぜ』
『おうよ! ……と言いたいとこだが、ちょいとフラウロスは弾切れがこえぇな。補給準備はあるか?』
フラウロスは鉄華団の保有するガンダム・フレームの中でも、唯一砲撃戦を得意とする機体だ。MAとの戦闘中に弾切れを起こしたら冗談にもならない。
それに、フラウロスは他とは一線を画する強力な一撃を備えている。その準備も必要だった。
『了解だ、ついでに例のダインスレイヴ弾頭も──』
『ギャラクシーキャノンだ!』
『……その、ギャラクシーキャノンとやらの準備もヤマギにさせとく』
『うっし! そんじゃ三日月、昭弘! すぐ戻ってくるからそれまで死ぬんじゃねぇぞ!』
調子よく戦線を離脱していくフラウロス。これで場に残ったのは三日月のバルバトスルプスレクスと昭弘のグシオンリベイクフルシティの二機だけだ。もし相手の思惑が鉄華団の最高戦力をMAに釘付けにすることなら、見事にその思惑は叶ったと言えるのだろう。
『それじゃ、さっさとやろうか』
『お前は気楽で羨ましいぜ……こっちはMAとサシでやんのは初めてなんだぞ』
『なに、緊張してるの? 大丈夫だよ、あんなのただデカいだけの鳥だから』
『なんじゃそりゃ……あーったく、不安がるのも馬鹿らしくなるぜ。せめて身体が動かなくなるのだけは勘弁してくれよ、筋トレが出来なくなっちまう』
もうMAはすぐそこだ。他の援軍は望めない。戦場はここだけではないのだ、鉄華団団員たちも各所に散ってしまっている。であれば、少なくとも今だけは二人きりで何とかする以外に道は無い。
『んじゃ行こうか、バルバトス!』
『よし、行くかぁッ!』
そして二機のガンダムと二機のMAは、ついに交戦を開始した。
◇
戦場を駆けるジュリエッタ・ジュリスがその連絡を受けたのは、ちょうど敵兵の一人を無力化したタイミングだった。
「MA……? それは火星でイオク様がちょっかいかけたという、あの……?」
『そうだ、あれの亜種というべき機体が出現したらしい。アレに対抗できるパイロットはそう多くないだろう。故にお前に頼みたい、出来るか?』
「ラスタル様の命ならば、いつでも!」
歯切れよく応えたジュリエッタはすぐに無力化した機体を蹴って加速、新型のレギンレイズ・ジュリアはこれまでのレギンレイズとは比較にならない速度で宙域を駆け抜ける。新しい乗機の調子は上々だった。
元よりジュリエッタはラスタルの部下として行動する人間である。だから彼自身がどういう所属になろうと彼女の成すべきことは変わらない。ただ敵を討つための剣である、それだけだ。
それに、負い目もある。火星ではイオクを助けるどころか鏖殺の不死鳥に後れを取り、ラスタルの不利の原因になり果ててしまったのだ。結果的にラスタルは失脚の憂き目には遭わなかったが、あの失態は容易に挽回できるものでもない。
だから今こそラスタルの剣として、その本懐を果たす時──なのだが。
「今の私に、あの
迷いを孕んだ呟きが、狭いコクピットの中に小さく響いた。
強く有る為には、怪物にならなければならないのか。あの日フェニクスによって打倒された時に浮かんだ問いが、再び彼女の脳裏を過る。
力を得るためには全てを捨てる必要があるのか? 狂人として生きねば圧倒的な強さは手に入らないのか? 人としての尊厳を投げ捨ててまで掴んだ強さとは、本当に価値があるのか?
その答えを得るためにレギンレイズ・ジュリアというピーキーな新型すら受領したが、それでも迷いの霧は晴れない。むしろ新型の性能にジュリエッタ自身の技量──というより心が追い付かず持て余し気味な始末だ。この戦場を生き抜くには十分だが、MAを相手にした時今のまま通用するとはとても思えない。
こんな状態でMAなどという災厄と戦えるのか。いいや、きっと無理だろう。ジュリエッタもそれは百も承知だ。
けれど、やるしかない。願わくば強さの意味を、答えを、手に入れることが出来るように──彼女は戦場へと急行する。
◇
MAを狩るMA。そんな設計思想であるからには、ガンダム・フレームとの共同運用もある程度は視野に入れられていたらしい。バルバトス、グシオン共に眼前のMAを勝手に照合、インプットされていた機体名と大まかな特徴をパイロット達に伝えてきた。
それによると、白いMAがサンダルフォン、黒いMAがメタトロンの名を冠するようだ。前者は武装を絞ることで宇宙空間における高速戦闘に特化した機体、後者は機動性を犠牲に火力を重視した移動砲台とも言うべき機体との情報もある。両極端な性能を有しているのは、元来この二機が同時運用される想定だったことの名残だろうか。
ともあれ、そのような背景が二機のMAにはあるという。
『コイツ、すばっしっこいな……!』
『こっちは馬鹿火力に重装甲ときた、MAってのはつくづくとんでもねぇ……!』
阿頼耶識のリミッターが外れ、双眸を赤く輝かせるバルバトスとグシオンのコクピットで、三日月と昭弘が思わずといった風に愚痴を零した。どちらも狙いは片方のMAずつなのだが、一筋縄ではいかない相手である。
バルバトスが相手取っているのは白いMA、サンダルフォンだ。武装自体は火星で戦ったMAとほぼ変わらないが、驚異的な運動性を有している。過剰なまでに増設されたスラスターとブースター、それを同時制御できる高度な
一方グシオンが相手取っているメタトロンは重火力、重装甲な典型的なパワータイプである。コンセプトとしては
この二体のMAに対抗するため、バルバトスとグシオンはそれぞれ役割を分けた。極限まで機動性、反射性を追及しているバルバトスルプスレクスが
結果として稲妻のように戦場を駆け回る二機と、真逆に火力で打ち合い力押しを得意とする二機の戦いへと移行した。
『三日月!』
『分かってる』
右手にハルバード、左腕と隠し腕に一二〇ミリロングレンジライフルを握ったグシオンがメタトロンへと肉薄した。即座にマシンガンの応酬が浴びせかけられるが、グシオンの装甲の前には豆鉄砲も良い所だ。さらに放たれたミサイルをライフルで撃ち落とし、一気に近接戦の間合いに入る──刹那。
横から強襲してきたサンダルフォンをバルバトスが弾き飛ばした。手に持った巨大メイスでしこたま打ち据えたように見えるが、MAもさるもの。逆方向へと瞬時にスラスターを吹かし衝撃を逃がしている。そこからほとんど直角に切り返し、バルバトスの横合いから攻め込んできた。
『コイツは俺がどうにかする。そっちは任せたよ、昭弘』
『ああ……! 任されたッ!』
MA二機は最初から連携を前提として設計されている。なら彼らもまた連携を駆使して戦うまで、共に実力をよく知るからこそ背中を預けるのに躊躇いなど微塵もなかった。
昭弘とグシオンは阿頼耶識のリミッターを外しての戦いはこれが初だ。その圧倒的な出力の向上と、それに比類する脳への負荷は普段と比べものにならないほど。常の感覚でハルバードを振るうだけでそこらのMSなら吹き飛ばせてしまいそうだ。
「なるほど、だからMAにはガンダム・フレームって訳なのか」
そりゃこんなヤバい相手、これだけの力が無ければ相手にもならないだろう──などと内心で思いながらハルバードを振るった。敵はすぐそこ、メタトロンは眼前にある。肉厚の分厚い刃はクリーンヒットしたものの分厚い装甲に阻まれ、お返しとばかりにテイルブレードが飛んできた。
向上した反射性に任せてスレスレで躱すグシオンだが、その拍子にライフルを一つ失ってしまう。だが構わない、お返しとばかりに空いた手で殴りつける力任せな戦いこそ彼の望むところだ。
こうして昭弘がMA相手に
どちらも図抜けた機動性を発揮し、しかも当たれば決定打になり得る攻撃を保持しているのだ。なので先に攻撃を当てた方が大きくリードを取れるのだが、そんなことはどちらも承知している。だから放たれる攻撃は確実に回避し、魔法のように一撃も入らない。掠め、擦り、空振りし、示し合わせたかのように空を切るだけにとどまった。
ならば相手の速度を上回って回避不能の一撃を与えるのみ。どちらもその結論に至ったことでより勢いは増し、戦況は加速し加速し加速していく。もはやそこらのパイロットが介入するなど決して不可能と言えるだろう。
状況はどちらが不利とも言い難い。少しの切っ掛け、偶然があれば容易く勝利の天秤は傾くだろう。悪魔と天使、どちらが上とも明白に示しがたく、厄祭戦の置き土産たちは遺憾なくその武を振るっていた。
その中でついに、状況が動いた。
『……ッ!』
『やべぇ、三日月ッ!』
メタトロンから放たれたミサイルが
これが天使たちの恐ろしいところ。対MA用にMA以上の高度なAIを搭載されたこの二機は、例え別々に戦闘中だろうと連携を忘れない。片方が敵手を追い詰め、そしてもう片方が王手となる一手を無慈悲に指すのだ。
まるでバルバトスの方がミサイルへ当たりに行っているよう、それくらい正確な予測発射だった。もし直撃しても致命傷にはならないだろうし、三日月ならば迎撃ももちろん出来る。しかしその僅かな隙はサンダルフォン相手には大きすぎる代償となってしまう。分かっているから、三日月も昭弘もマズいと感じたのだ。
殺到するミサイルがついにバルバトスを射程に捉えた。数秒の後に炸裂するミサイル相手に覚悟を決めてメイスを振り上げたその時に、
『この程度のミサイルなら……!』
横合いから伸びてきた蛇腹剣と機関銃によって全て撃ち落とされた。すぐにバルバトスはその場を離脱、飛び掛かって来たサンダルフォンをいなして距離を取る。
必殺の連携が不発に終わったサンダルフォンとメタトロン、それに窮地を免れたバルバトスとグシオンが一斉に動きを止めた。新たな乱入者の姿を確認すれば、そこには緑と白の厳つい見た目をしたギャラルホルンの機体がある。おそらく新型だろう。
『助かったけど……アンタ、誰?』
『私はアリアンロッド所属のジュリエッタ・ジュリスです。ラスタル様の命により、微力ながら助太刀に来ました』
悪魔の力を得た阿頼耶識施術者達と、血の通わぬ鋼鉄の天使たちの戦場に。
ただ一人の只人である ジュリエッタ・ジュリスがここに参戦した。
◇
彼女の抱いた第一印象は、”自分ではこの戦いに介入しても仕方ない”という諦観にも似た思いだった。
だってそうだろう。二機のガンダム・フレーム達は通常のパイロットの操縦が児戯に見えるような苛烈さで、対抗するMA達も人間ではとても敵わぬ強さを持っている。いくら機体が最新といえどこんな戦いに介入する余地など、今の
でも、それで及び腰になるほど物分かりの良い性格でもない。弱気になっても強さの追求に曇りは無く、ならばせめてこの戦いを糧にすべく戦火の中へと身を投じたのだった。
『アリアンロッドの……忠告してやるが、下手にアイツらと戦うのは止めた方が良いぜ』
『ご心配なく、覚悟の上です』
茶色の機体、グシオンから届いた忠告にジュリエッタは否と返した。相手が強大な事など覚悟の上、それでも得たい力があるから飛び込んだのだ。グシオンのパイロットもそれ以上は何も言わず、なら好きにしろと無言で物語っている。
そして問答の時間はそれ以上残されてはいなかった。MA二機がレギンレイズ・ジュリアも勘定に入れた上で攻撃を再開したからだ。メタトロンから牽制代わりに弾幕が放たれ、サンダルフォンが馬鹿らしい速度で一気にMS達の懐へと肉薄する。
すぐに三機は散開してそれぞれの相手へと向き合った。バルバトスがサンダルフォンと先手を取り合い、グシオンがメタトロンと火力と耐久勝負に徹する。レギンレイズ・ジュリアは高機動機、ゆえに彼女はすぐにバルバトスの援護に入った。
『コイツ、本当に速い!』
けれど現実は非情で、新型機たるレギンレイズ・ジュリアでも満足に戦えない。速度に追いつき邪魔にならないだけで精一杯、攻撃どころか牽制を放つのでギリギリという有り様だ。単純な性能差と彼女の心の不調、それが悪い方へと噛み合ってしまっている。
伸ばした蛇腹剣がこともなげに払われ、逆にクローに掴まれギリギリと締めあげられる。それを脚部のエッジを展開することでどうにか弾き、自由の身になったところでバルバトスの踵落としが炸裂する。踵に仕込まれたヒールバンカーがMAの片翼を抉り、此処に来て初めての消耗を与えることに成功した。
それでもサンダルフォンは依然として脅威だった。多少のバランスを欠いた程度ではビクともしない。どころかバルバトスのメイスを弾き飛ばし、手痛いカウンターを与える始末。やはり強力な一撃をクリーンヒットさせない事には倒すことは不可能らしい。
『私にもあなた達みたいな力があれば……!』
思わずジュリエッタは毒づいてしまう。どうしようもなく無力な自分が許せなかった。
ガンダム・フレームと阿頼耶識の力はまさに悪魔だ。互いが互いを高め合い、人を捨てる代わりに圧倒的な力を得ることができる。今の彼女からすれば羨ましいくらい魅力的な力でしかなかった。
『どうしてそんなにも強くあれるのです!? 人間は、そうまでしないと強くなれないのですか!?』
ほとんど無意識の叫びだった。フェニクスも、バルバトスも、向こうでMAと力比べをしているグシオンも、誰も彼もが圧倒的に強いのだ。けれどそれは阿頼耶識を用いた悪魔の契約、只人の彼女では一生手に入らない力に過ぎない。
ならば自分は生涯弱いまま、強くなどなれないのだろうか。そんな想いの籠もった叫びは、意外なところから否定された。
『別に、そうなりたくてなった訳じゃないけどね』
淡々とした言葉はバルバトスのパイロットのものだ。確か名前は三日月・オーガスと言っただろうか。
彼は今もMAと矛を交えながら、なんの気紛れか言葉少なにその胸中を伝えてくる。既にメイスが吹き飛ばされ、両手の爪を用いた野生染みた戦いをしているというのに、口調はどこまでも冷静だった。
『今日を生きて、
『それは……』
『あぁ、俺だって同じさ。ギャラルホルンの奴には理解できないかもしれないがな。たまたま生きていくのに力が必要で、そのために強くなりたかった。人間がどうだのなんざ高尚なこと全く理解できねぇさ』
鉄華団のエース達の言葉は意外なほどにジュリエッタの胸に突き刺さる。散々”悪魔のよう”と考えてきた人物達が、強さを求めて強くなった訳ではない。むしろ人として当たり前の、今日を生きるために手に入れた強さという事に動揺が隠せない。
そんな当然の、真っ当な理由でこれほどまでに強くなれるのか。人間らしい理屈で強くなれるのか。何か大切なものを捨てなければならないと考えていた彼女にとって、まさに青天の霹靂とも言える思想だ。
『……あなた達は、悪魔ではなく人間なのですね。人として当然の強さを抱いた、ただの人だった』
彼らからすれば失笑モノの発言かもしれない。大上段から言われた言葉と怒るかもしれない。
けれどそれがジュリエッタの偽りない本音だった。強くなるためには代償が必要かもしれない。しかしそれは、必ずしも人を捨てた怪物になることを意味するのではないのだ。現に彼らは、人として
『ああそうさ、だからこんな機械なんかに負けてられないんだ。俺たちは人間だからな、ただ戦って壊すだけの奴に負けるなんざ真っ平ごめんだ』
『俺たちだって似たようなもんかもしれないけどさ。宇宙ネズミだろうと、ゴミみたいな命だろうと、譲りたくないものはあるんだ』
真っすぐな言葉が清々しかった。迷いなど少しも無い。機械のような存在に支配されてしまう前に、自らの居場所を探し出すという決意に溢れていた。人間だから出来ること、それを成し遂げてやろうという意思だ。
あるいは、そう。もしかしてアグニカ・カイエルが対MA用のMAではなく、人の操るガンダム・フレームを主軸に置いたのも──こういう人としての尊厳を守るために有ったのではないかと、ふと感じた。
少しづつ迷いが晴れていく。ならば強さなど如何なるものか、やるべきことが見つかり出した。その心が機体にも反映され、サンダルフォンとメタトロン相手に的確な牽制が少しづつ入り始める。調子を取り戻したのだ。
『よぉーしお前ら、こっちも間に合ったぜ! 昭弘とギャラルホルンのMS! ちょいと黒いのから離れてな!』
間違いなく戦況が決まりつつあるその時、通信に更なる第三者が割り込んだ。響いた声は鉄華団副団長のユージンのもの、さらに旗艦イサリビもすぐそばまで迫っている。いいや、迫るどころか全く勢いを落としていない。むしろいっそう加速したままメタトロンの弾幕を潜り抜け──即座に昭弘とジュリエッタはメタトロンから距離を取った。
『総員、衝撃に備えろッ!』
何の躊躇も衒いもなく、真正面からメタトロンの重装甲に
あまりにもあんまりな突撃戦法だが、こと強襲装甲艦に関してはこれが正解なのだろう。MAという巨体は同じく巨体な戦艦の一撃を諸に喰らい、重装甲でも抑えきれない一撃を見舞われてしまう。
バランスを崩しひび割れた装甲になったメタトロン。サンダルフォンがすかさずフォローに行こうとするが、レギンレイズ・ジュリアの蛇腹剣が足首に絡みつき、さらにバルバトスが真正面から組みついて妨害する。その間にグシオンがハルバードを思い切り胴体に突き刺し、リアスカートからシザースを取り出し構えた。狙いは一つ、MA核たる頭部だ。
『こ、れ、でぇぇぇッ!』
挟みこまれた頭部がメキメキとひしゃげていく。ナノラミネート装甲もこうなれば意味はなさない。最後の抵抗とばかりに全身の重火器とテイルブレードが乱発されるが、グシオンの重装甲に阻まれ決定打には至らなかった。
そして、ひしゃげた頭部が完全に潰される形となり、メタトロンは完全に機能を停止した。
『っしゃぁ、ならこっちも根性見せなきゃな! 三日月!』
『うん、分かった』
突撃したイサリビの甲板上、そこには四足形態へと姿を変えたフラウロスの姿がある。地上戦専用の砲撃形態にわざわざ変えているのはシノの趣味だろうか。彼らしいといえばらしく、そして備わった一撃は戦況を変えるのに十分すぎた。
バルバトスとジュリアによって動きを止められたサンダルフォンがいよいよ大きく暴れ出した。身に迫る危険を察知したのだろうが、しかし遅い。
『唸れ、ギャラクシーキャノン! 発射ッ!』
フラウロスから放たれたダインスレイヴ弾頭、超速の一撃がMAの翼とスラスターを一直線に貫いた。それと同時にサンダルフォンも拘束を抜け出したが、さすがにこれまでの高機動には格段に劣る。ついにサンダルフォンを追い詰めたのだ。
『ついでにコイツも持ってけ!』
さらに、人型へ形態変化したフラウロスが鈍く輝く細い何かを放り投げた。過たずキャッチしたバルバトスの手にあったのは、二年前に何度か使った経験のある”太刀”という武器だ。
これ、苦手なんだけどな──小さくぼやきながら三日月は刀を手にMAへと迫った。逃れようとするMAだが、それを許さないのがジュリエッタだった。最初の動きとはまるで雲泥の差、吹っ切れたように鮮やかな戦いを見せている。
飛来するテイルブレードをテイルブレードで弾き、クローを掻い潜り、その足首に太刀を滑らせる。苦手と言ったのは何だったのか、まるで紙切れのようにスルリとサンダルフォンの脚部が断ち切られた。返す刀で胴体にも斬撃を与え、サンダルフォンの眼前へと飛び出す。
──天使が、悪魔を前にたじろいだ気がした。
『んじゃ、終わり』
逆手持ちで振りかぶられた太刀の切っ先が、容赦なくサンダルフォンの頭部を貫いた。メタトロンと同じく中枢を破壊されたサンダルフォンはやはり機能を停止させ、白い巨体をぐったりと宇宙空間に曝している。ここに、MA討伐は成ったのだ。
『これで何とかなったかな?』
『ったく、とんだ苦労掛けられたぜ』
『おうおうわりーな、美味しいとこ持ってちまってよ!』
『それは良いけど……なんでユージンが仕切ってたのさ。オルガはどうしたの?』
『んあ? ああ、アイツはさっき──』
「なるほど……これが、鉄華団……ですか」
勝利に湧く鉄華団の面々を横目に、ジュリエッタは静かに呟いた。この場でただ一人部外者である彼女だが、だからこそ見えてくるモノもあったのだ。
強さとは、何も人を辞めることが全てでは無いのだ。そんな簡単な事実にようやく気付くことが出来た。そしてまた、鉄華団は人間を辞めてなどいない。どれだけ蔑まれようと、強かろうと、ただの人間であったのだ。こうして喜び合っている鉄華団は本当に年相応で……子供の様に無邪気にも思えた。
少年兵というどうしようもなく低い立場。だけど彼らは、決して唾棄すべき存在であるとは限らない。むしろ人として、必死に、真正面から、生きようという気力に溢れている。
きっと世の中の誰もが”生きること”について真面目に祈らない。それは当たり前のことで、祈るまでもなく手に入る権利だからだ。だから見えない物事が出来てしまう。
生きることに必死な彼らと、殺すことに必死なMA。阿頼耶識システムという非人道的行為の中に隠された、人の守るべき尊厳。それはきっと、彼らによって図らずも証明されていたのだろう。
ジュリエッタ「彼らは悪魔ではなく、人だったのですね……(ただしジゼルは除く)」
これまで薄っすら書いてきたアグニカの思想とMA関連について、私なりに書けるだけ書いてみました。どうして機械ではなく人がMAに立ち向かったのか、その答えの一つを描写できていれば幸いです。
ちなみに今回登場した二機のMA、サンダルフォンとメタトロン。この名は双子の天使に由来しており、設定上はMA相手に対して二機で連携して戦う予定でした。
本編中の言及通り、メタトロンが随伴機(プル―マ)を火力で薙ぎ払い、サンダルフォンが1対1でMAを叩くという連携です。二体揃えばハシュマルを倒せるくらい強いですけど、逆に一機だけならほぼ確実に負けるというピーキーな性能ですね。