新年一発目ですが、鉄血のオルフェンズ(日常編)です。
鉄華団副団長ユージン・セブンスタークの仕事は多岐にわたる。
団長補佐、関連企業との日程調整、団員たちへの指示、資料作成、時には腹の読めない相手と交渉の席に座ることすらある。かつてに比べれば鉄華団の事務方もちゃくちゃくと増えてはいるが、やはり副団長は立場相応の働きを求められてしまう。こればかりはどうしても避けられない事柄だった。
ただ、それが嫌だとユージンは考えていない。仕事は多いしキツイのも事実だが、自分たちがようやく手に入れた真っ当な仕事たちなのだ。それを一時の感情で投げ出すような短絡的な男だったらそもそも副団長になど任命されていないだろう。
確かにオルガに比べればカリスマや先見の明などで劣るかもしれないが、彼と比較してユージンを貶すような者は実のところ鉄華団に一人もいない。軽い性格だがやるときはキッチリやる、ユージンとはそんな男なのである。
「──ええ、なので今回の案件はジゼルにお任せください。この程度の些事で副団長の手を煩わせることはありませんよ」
「そ、そうか……? 縁談なんざちっとも分からねぇし、そう言ってくれるなら助かるぜ」
まあ、押しに弱かったり楽に流れやすかったりするのは変わっていないのだが。
鉄華団の裏方たちが集う事務室にて、気怠そうにペラりと書類を捲っているのはジゼル・アルムフェルトだった。彼女はいつも通り眠そうな金の瞳を少しだけ細めて内容に目を通している。視線に物理的な圧力でもあれば穴が空きそうなくらいじっくりと。いつにない迫力になんとなく押されてしまい、ユージンもまた手元の紙面へと目線を落とす。
そこに書かれている内容は回りくどく読み辛いが、端的にいえば鉄華団団長への見合いや縁談を紹介する代物だった。エドモントンから名を上げ、つい一年ちょっと前にはギャラルホルン戦役にも絡んで名声を欲しいままにした鉄華団。現在火星で最も勢いのある企業と関係を持ちたいと願うのは、主に圏外圏で上に立つ者たちとして当然の願望だった。
そのような思惑を端として届いた見合いや縁談の総数は、実に三十は下らない。これまで恵まれない子供たちなど見向きもしなかった大人たちがこぞって媚を売る姿にはユージンも思うところは無論有る。
「ホントによ、いつの間にか随分と俺らも偉くなったもんだなおい。こんな冗談みたいな打診まで届くなんて数年前の俺に教えても鼻で笑われちまうぜ」
パタパタと大事な書類で顔を仰ぎながら一言。飾りのない副団長の本音だった。
このような美味しい話に裏や打算があるのは百も承知だが、裏を返せばそれだけ魅力的で無視できない組織となれたのだ。手のひら返しはともかくとしてこれほどまでになれたのは自分たちの頑張りの成果だと思う。
「それで、この件はジゼルの処理でよろしいでしょうか? 異論がなければジゼルの方で団長さんに話を通して、上手いことやっておきますが」
「おう、それで頼むわ。下手に俺が出しゃばっても仕方のない話だしな……ったく、オルガの奴も羨ましい限りだぜ!」
恋愛に関してはしっかりお付き合いしてからの純情派なユージンであるが、男としてオルガを羨む気持ちは当然ある。だってそうだろう、色んな女性が向こう側から選り取り見取りなのだ。これまで彼女なんて居たことのない彼からすれば無限に嫉妬できるくらい羨ましい状況である。
実際のところ、これがどう転ぶかはさっぱり分からないが。政略結婚などという雲の上のごとき行いについてはまだまだ勉強中の身の上、オルガがどういう選択をしようと副団長としては余程のことがなければ尊重しても良いと考えている。下手に首を突っ込むよりかは、当人とかつて令嬢だったというジゼルに任せるのがベストと判断したのだ。
「………………はぁ、団長さんもすっかりモテモテなので、ジゼルはモヤモヤしてばかりです」
そんなことばかり考えていたせいで、ぼそりと呟いたジゼルの言葉はすっかり聞き逃してしまっていた。
もし聞き逃してさえいなければ、違和感を覚えて更に追及を行ったりも出来たのだろうが……悲しいかな、ユージン・セブンスタークはどちらかといえば詰めの甘い人物である。なので当たり前のように気が付かない。
物憂げに呟いた鏖殺の不死鳥がその胸中で何を思案しているのか、少しも疑うことなく縁談の件を全て任せてしまったのだった。
◇
「んで、その結果がこれかよ!」
応接室にバン、と激しく机を叩く音が響いた。ユージンは呆れと怒りと驚愕のない交ぜとなったような面持ちでジゼルを見やる。強烈な視線に対しても彼女は普段通りのほほんとソファに腰かけていた。
この場に居るのはひとまずユージンとジゼルの二人だけだ。関係者となるオルガは仕事が忙しくて離れられず、他の者には迂闊に教えるべき内容ではないと判断したからである。今回の一件はそれくらいデリケートな問題だった。
まさかジゼルが自分の判断で他企業からの縁談を全て潰していたなどと──さしものユージンでも思いもよらない内容である。
「まずは釈明を聞かせてもらおうか。なんでこんなことしたんだ? 一歩間違えれば鉄華団という組織自体の問題にも繋がりかねないし、何よりたかが参謀ごときがやって良いことじゃないだろ」
前々から感じていたことではあるが、ジゼルは”結果的にすべて上手くいった”という行動が非常に多い。もちろんリスクとメリットを秤にかけた上での行動なのは否定しないし、実際に結果を残しているからユージンもまたとやかく言うことは無かった。
ただし、今度ばかりは話も違ってくる。彼女が独断で行って良い判断を超えているし、曲がりなりにも考えられていた損得の天秤を完全に無視している。有り体に言って、わざわざここまでする理由が分からない。
幸運なことに此度も断り方自体は上手かったのか、特に波風が立つこともなくすべて丸く収まってはいた。オルガですらつい先日まで知らなかったのがその証拠だろう。だからひとまず内々に話を付けておこうとしている訳であって、普通なら然るべき処分が下る行動だった。
「それは、その……」
対してジゼルからの答えは煮え切らない。普段のマイペ―スながら歯に衣着せない物言いが微塵も出てこない。
例えるなら恥ずかしがっているかのような、あまり大っぴらに人には言えない感情を抱いているかのような……そこまで考えたところで「おいおいおい、まさか……」と彼は呟いていた。
別段勘が冴えている方でもないのだが、点と点がすっきり結びついた今回ばかりは確信を持って断言できる。この前はよく確認しなかった結果ジゼルの独断専行を許してしまったが、こればかりは間違えようもないだろう。
故にちょっとばかり格好つけて聞くべきことだけをかいつまんで問いただす。
「なるほどな、
「いつからと言われましても……気が付いたらと言いますか。こんなジゼルのことを助けてくれた時でしょうか、元からそれなりに仲良く出来てるとは思ってましたけど、最後の一押しはそれだったと思います」
「なるほどな。まあお前のことだからそんなに不思議じゃないか。だから燃えるとか、どうせそんなこと言い出すんだろ?」
「はい。今のジゼルはけっこう欲望に素直ですので……」
ついには俯いてしまった彼女の様子に、ユージンもまた自らの考えが正しいことを確信した。これは間違いないとばかりに思考を整理する。
何故、狂気的な趣味を持ちながらこれまで殺人を我慢していたのか。
何故、オルガの信頼を勝ち得たのか。
何故、勝手な判断で縁談を潰す暴挙に出たのか。
その答えはただ一つだ。”普通なら有り得ない”などこの女の前では最も信じられないこと、荒唐無稽だろうと可能性があるのなら疑ってかかる方がよっぽど安全策だ。だからユージンは下手にジゼルを刺激しないためにも譲歩しつつ釘をしっかり刺しておく。
「──良いだろ、今回は大事にもなってないから俺は見逃してやる。だけど忘れんなよ、二度目はねぇぞ。そんでもし実行しそうになったらまず俺のところに来い、相手になってやる」
完全に言い切ってからすたすたと部屋を出ていく。もうこれは疑いようもなくアレだろう。かねてより彼女の危険性を考慮していたからこそ、その深奥に隠された本音にも察しがつくというものだ。
──ジゼル・アルムフェルトは最後の最後にオルガを殺すことを楽しみにしている。
だから敢えて殺しを我慢しておいて、オルガ殺害時のカタルシスを抑えているのだ。信頼しているしされている相手を殺してみたいと彼女が言い出してもなんら不思議ではない。
さらに言えばこうして彼からの信頼も勝ち得たことで、例えユージンや他の誰かがその危険性に感づいたとしても排除されづらい立場に収まった。もしオルガにこの考えを話したところで今では一蹴されるのがオチだろう。
縁談を潰したのは、もし配偶者でも手に入れてしまえば自分の手が届き辛くなるからと考えて間違いないはずだ。まさか
よって今このとき、下手なことをさせずかつ警戒できるのはユージンただ一人だけである。その意味をしっかりと鑑みて覚悟と警戒も新たにジゼルへと接することを決めたのだ。
「………………まさか副団長さん、ジゼルに気でもあるんでしょうか。もしそうならお気の毒にとしか言えませんが」
ただし、その考えが全くの勘違いであることには感づいていなかった訳だが。
おかしな思い違いをされているとは露知らず、ジゼルはのんびりソファに横になるのだった。
◇
それから数日の間、ユージンは仕事をしつつジゼルの監視に勤めていた。
とりわけオルガの関わるところには気合を入れる。いつなんどきジゼルが行動を起こすかまるで分からないのだ、いつでも阻止できるように気を張っておくのは当然と言えるだろう。出来るだけオルガと二人きりにさせないよう、また不審な行動をさせないように自然と仕事を振るのは中々に骨が折れるが。
なにせ彼女、参謀ながら実質的には団長専属の秘書も兼ねているようなポジションである。組織の舵取りや運営を決めるような相談によく呼び出される一方で、団長であるオルガ自体のスケジュールもいつの間にか把握して管理している始末。そのような人物がいるのはありがたいがジゼルとなれば素直に喜べない。
なので事あるごとに両者の話し合いに割り込もうとするユージンはいつしか周囲から生暖かい視線で見られていたのだが、大真面目な本人はそれに気が付かないまま。あくまで副団長として行動を続けていたのである。
「おーいユージン、どうしたんだよそんな怖い顔でよ」
「うっせぇな、気ぃ抜けるから黙ってろ。俺は今忙しいんだ」
「へぇ、のわりにはどこ見てんやら」
しばし時は流れて、今度は食堂だった。スプーン片手に飯を掻っ込むユージンを揶揄うのはノルバ・シノだが、それに付き合う余裕が今はない。ユージンにとってはまさしく正念場、絶対に見逃すことも聞き逃すことも出来ない大事な場面だった。
彼の視線の先には、ごくごく当然のようにオルガと話し合うジゼルが居た。彼女はいつも通り非常に辛そうな食事で周囲を引かせているが、対面のオルガはすっかり慣れた様子を見せる。
「じゃあそっちの件は片付いたってことで良いんだな?」
「ええ、大丈夫ですよ。むしろ明日の打ち合わせに向けて団長さんに色々と確認してもらいたいこともありますので、そちらを優先してもらえればと」
「分かった、んじゃ後で資料でも見せてくれ。どうせアンタの──」
「ジゼルです」
「──ジゼルの事だから作成済みなんだろ?」
「勿論ですとも。それくらいはちゃんとやりますよ」
などと、まあ事務的ながらも穏やかな会話が聞こえてくる。ユージンからすれば気が気でない状況ゆえに目が離せないが、当のオルガは視線に気づくこともなく普通にジゼルと会話を続けている。それだけ気を許している訳であり、無防備なオルガは当然危ないということだ。
その証拠に見るがいい、ジゼルは平然と自らが食べている真っ赤な料理をオルガに差し出したではないか。あれがどれだけ辛いかは直接口に入れなくたって理解できる。たぶん食べた瞬間舌が焼けてショック死するような劇毒と見て相違ない。随分と大胆な犯行には舌を巻くが、それも副団長の目を逃れたらの話だった。
「おい、何やってんだ!」
「おう、どーしたユージン?」
「なんですか、副団長さん?」
声を荒げて乱入すればさっそく胡乱気な視線が向けられる。その息の合った調子にどことなく押されつつ、彼は副団長としての仕事を真っ当してみせた。
「あ、それはジゼルの食べ物ですから勝手に取らないでください、ぶち殺──こほん、ぶち転がしますよ?」
「いやいや、お前なんつーもんオルガに食わせようとしてんだ。こんな劇物食わせたらオルガがひっくり返って死ぬだろ、それくらい理解できんだろ」
「そんなこと言われましても、ジゼルは善意で勧めただけなのですが」
微妙にしょんぼりしているらしい姿に罪悪感を覚えないこともないが、それよりも彼女の企みを打ち砕く方が先である。
そう意気込んでいたユージンであるが、「まったく」と溜息をついたオルガによってそれも止められてしまう。
「事情はよく分らんが落ちつけ。つか冷静になれ、いくらなんでも辛いもん食ったくらいで死ぬ訳がないだろ。どうしたんだマジで?」
「え、あ、いやその……悪い、ちょっと興奮しすぎたわ」
「ったく、らしくねぇぞユージン……まあ俺もアレを食べる気はさすがにないけどな」
「そんなー、美味しいですよー」
ジゼルが適当な調子でぼやいた。いつの間にかユージンの手から皿を取り返しているがそれはまあ良いだろう。
ひとまず警戒しすぎて色んな物事に過剰になっているのは確かだし、オルガもあの劇物料理に手を出す気がないなら問題はないはず。そう納得して一言「すまんかった」と呟いてから席へと戻った。向かいのシノからの視線が気まずい。
「おう、どうしたどうした? 早とちりかなんかでもしたのか?」
「早とちりな訳あるかよ。アイツは間違いなくオルガのこと……いや、何でもねぇよ」
「あー……そういうことか。最近の行動と含めてお前の言いたいことはだいたい分かったぜ」
いったい今の一言だけでシノは何を察したのだろうか。どうせ碌でもない勘違いな気もするが、それを放っておくのもどうかと感じて続きを促す。
「つまりだユージン、お前はたぶんオルガの奴に嫉妬してるんだ。それで考えが浅くなってるんだ、俺には分かるぜ」
「はぁ!? なんだよ酒でも入って頭回ってないのか?」
「いいや、大真面目だっつーの。つまりアレだろ──」
そこでシノはグイっと身を乗り出しこっそりと囁く。
「好きな相手が振り向いてくれなくて自棄っぱちになってる奴だ。見るからにオルガのこと意識してる感じだもんなぁ、参謀さんはよ」
「……は? え、意識してる? 誰が、誰を?」
「んなこた見れば分かるだろうが……ってユージン、まさか早とちりしてた方向って」
ここでシノが信じられないような奴を見る目をした。いっそ憐れんでるようにすら思える。
いたたまれないその態度に、ユージンは咄嗟に思考を巡らせる。誰が、誰を。そんなの話の文脈からして分かり切っている。ジゼルが、オルガをだ。それ以外にはありえない。
まさかとは思うがもしかしてこれは勘違いしていたのだろうか、などと今更ながらに思い至る。つまりアレだ、彼女の態度は本当に裏表なく──
「いや、いやいや、そんなのってあるか……!? ぶっちゃけ俺は信じられないぞ?」
「だからお前は彼女が出来ないんだろ。ありゃどー見てもそっちの意図があるぜ、どう解釈したら間違えるんだよ」
「お前だって彼女出来たこそねぇ癖に何言ってんだ。いやでも、マジか……マジか……」
俄かには信じがたいがつまりそういうことなのだろう。そうやって考えてみるとこれまでの言動も別の意味が見えてくるというか、どうにも合点がいく。自らの考えた陰謀論より余程それらしい感じすらしてくる始末だ。
だけどつまり、そうなると。二人きりになるのを阻止したりと動いてきたユージンの行動とは、他者にとっては全てが別の意味に取られているという訳で。
「俺の頑張りは何だったんだよおい……これじゃ完全に横恋慕する勘違い男じゃんかよ」
「元気出せよ、たまにはそういうこともあるだろ。なんというか、お前らしいぜ?」
「そんな風に褒められても嬉しくないわ! つかもっと惨めになるから止めてくれ……止めろ……」
傍から見た自分がどのような行動をしていたのか、シノに言われずとも今や手に取るように分かる。あまりに恐ろしい考えに身体が震えてくる始末だ。間違いなくとんでもない勘違いをされている。
正直どう釈明したものかと考えてみて──乾いた笑いしか出てこないから、ひとまずユージンは考えることを止めた。一応は善意の行動だったはずなのにこうも裏目に出るなんて、世の中はなんと残酷なのだろう。
「なんだかなぁ……もうやってられないぜ」
これで社会的な立場すら殺されたら、さすがに洒落にもならないと感じるユージンだった。
◇
「副団長さん、どうしたんでしょうかね?」
「さぁな。まあ俺たちが首突っ込んでもしょうがないことだろうし、そっとしておいてやろうぜ」
「そうですね…………もしジゼルが義なく仁なく暴れまわるなら、間違いなく殺してましたけど」
「ん? なんか言ったか?」
「いえ、別に。たまにはフェニクスにも乗ってあげないと臍を曲げられそうだなーと。最近は誰かを殺したりなんてしてませんから」
「不満だったか?」
「いえ、そんなことは。だってジゼルは、こうしているだけで──」
──とっても幸せですからね。
知らぬは本人ばかりなり。