まず大前提として、鉄華団は『テイワズ』と呼ばれる巨大組織の傘下に収まっている。
このテイワズ、木星圏を拠点としている巨大コングロマリットの一つであるのだが、ただの大企業という訳では断じてない。その実態はマフィアに近いとも噂され、実質的に世界を牛耳るだけの力を持つ『ギャラルホルン』でさえも迂闊には手を出せないだけの技術、並びに軍事力を持っているのだ。
そんなテイワズの下部組織は複数あるが、その中でも有名なのは三つだ。まず一つはテイワズのナンバー2率いる商業組織『JPTトラスト』であり、さらにもう一つは重工業部門を管理する『エウロ・エレクトロニクス』である。そして最後に鉄華団とも関わりの深い巨大輸送組織、『タービンズ』が存在するのであった。
◇
暗黒の宇宙空間を、一羽の猛禽が駆けていた。鋼の肉体を身に纏い、オイルで出来た血潮を通わせたその猛禽は、赤と金の残像を残して自由自在に飛び回る。辺りを漂う小惑星をある時は躱し、またある時は足場にして利用して方向を変えるその動きは、まさしく変幻自在という他ない。
そして猛禽の駆けた後には、食い散らされて漂う無数の残骸だけが残る。白や緑、オレンジが混ざるそれらはすべて破壊されたMSたちのもの。
見るも無残なその様は、
「いやぁ、こりゃ凄まじいじゃないか。うちのラフタも高機動MSを乗りこなしてはいるが、ここまでとなると自信がねぇ。こいつはとんだ拾い物──いや、掘り出し物をしたもんじゃないか、なぁ兄弟?」
タービンズの母艦『ハンマーヘッド』のブリッジで、リーダーである名瀬・タービンはにやりと笑う。視線の先にあるモニターに映し出されているのは、今もなお敵を駆逐しているフェニクスの姿である。その容赦も情けもない圧倒的な蹂躙劇を前に、どことなく上機嫌にも見えた。
そんな名瀬の手元には、リアルタイムで火星と繋がっている小型モニターがある。そこには笑っているような、はたまた困っているような、どうにも曖昧な表情を浮かべているオルガが映っているのだった。
『確かにそうとも言えますがね……これが中々、気苦労の多い奴でして』
「いいじゃねぇか、女なんて面倒を見てなんぼってもんだぜ。それも男の甲斐性ってもんだ」
『甲斐性っていう話でも無くて……なんつったら良いのか、すげぇ手間のかかる女なんすよ』
「そりゃますます燃えてくる話だな。男なら気張ってみろよ、オルガ」
『兄貴、冗談で言ってるんじゃないんすよ 』
「おっと、悪い悪い」
どうやら、弟分は世話の焼ける少女に手を焼かされているらしい。それを
それに名瀬としても、本題は当然別にあるのだから。
「まずは礼を言わせてもらうぜ。
『礼を言われる程のもんじゃありません。戦力と言ってもフェニクス一機だけですし、それだってちょうどタイミングが合っただけですから』
「まあまあ、そう謙遜しなさんな。こっちが助かってんのは事実なんだし、礼の一つくらい受け取っとけよ」
『はぁ……まぁそういうことならありがたく』
普段は鉄華団団長を立派に務めるオルガの腰が低めなのは、やはり相手が名瀬であるからだろう。同じテイワズの直系組織として、現在はどちらが上も下も無い。しかし少し前まで名瀬はオルガの兄貴分として盃を交わしていた仲であり、オルガにとっては今でも名瀬という大人物は兄貴と呼び慕うに相応しい人物であるのだ。
だから彼からすれば、弟分が兄貴に手を貸すのは当然のことだという認識が抜けていないのだろう。やはりその辺りはまだまだ子供っぽい所もあって、名瀬からすればいっそう信頼に足るのであった。
『にしても、天下のタービンズに喧嘩を売るなんてどこの馬鹿なんすか? バックのテイワズを知らないわけじゃあるまいし……』
「天下とまではちと言いすぎだが、まあそうだな、ちょいと前に取引先と小競り合いになっちまってな。そん時はこっちのミスもあったから素直に頭下げて引き下がったんだが、奴さん何を勘違いしたのかこっちに絡んでくるようにまでなっちまってよ」
『それでタービンズが軽くお灸を据えたら、今度は逆恨みして武力行使に出てきたって感じですかね?』
「おう、大正解だ。しかも馬鹿のくせして勘違いできるだけの武力を備えた面倒な奴でな、ちょいと
再び名瀬はブリッジのモニターへ視線をやった。まだ接敵してから十分経ったくらいか。だというのに映し出された底なしの宇宙空間に広がっているのは、丁寧にコクピットが潰された敵MSの山々である。どれもこれもフェニクスが単騎でもたらした戦果。しかもそれだけやってまだ暴れ足りないのか、奥に見える敵母艦にまで突貫していく始末だ。
名瀬も事前にフェニクスを駆る少女、ジゼルについて話は聞いていた。だが実際に目の当たりにしてみると、頼もしさばかりか空恐ろしい気持ちまで引き起こされてしまう。それくらい、圧倒的な蹂躙劇。
──元々、フェニクスは本格的な
それで歳星でのオーバーホールが終わったのがつい三日前。いよいよ火星に帰ろうというところで、ちょうど歳星にやって来ていたタービンズが一枚噛んできた。”火星まで輸送品と一緒に載せてく代わりに、戦力として貸し出して欲しい”、と。
当然ながらオルガは快諾、
『というか兄貴、割と今更なんですけどそっち戦闘中なんすよね? こんな呑気に俺なんかと話してて大丈夫っすか?』
「全く問題ないな。つーか退屈すぎて欠伸が出そうってくらいだ。アミダもラフタもアジーも、今頃MS内で寝ちまいそうになってんじゃねぇのかってくらい余裕なもんでさ」
『それなら良いんすけど……』
「ちゃんとジゼルの嬢ちゃんとフェニクスは送り届けてやるから、そう心配しなさんな。いや、むしろこのままだと俺らが守られる側なのか?」
こりゃ手間が省けていい、そう言って笑う名瀬であった。オルガは苦笑を返すほかない。
だが次の瞬間、名瀬の顔つきが変わった。さっきまでの笑いの残滓は一切なく、射貫くような目をオルガへと向けている。モニター越しだというのに、オルガはまるですべてを心の底まで覗かれてしまっているかのように感じてしまう。
「さてと、冗談は置いといてだ。頼まれてた件、データ送っといたがちゃんと読んだか?」
『ええ、大丈夫です。すんません、兄貴にこんなことさせて』
「別に調べたのは俺じゃないし、こんくらいの頼みなら何てこたねぇよ。テイワズに残っていたフェニクスのデータ、読んだならそれでいい」
ギャラルホルンでも迂闊に手を出せないとされる巨大組織テイワズだけあって、データベースには多岐に渡る情報が収められている。その中には三百年前に起きた厄祭戦の情報と共に、ガンダム・フレームについての情報すら断片的にだが存在するのだ。
そう、オルガが名瀬に頼んでいたのは他でもない、かつてのフェニクスのデータ収集であったのだ。
『正式型番はASW-G-37
「……いやはや、俺も最初にこれを見たときはちょいと正確性を疑ったね。そりゃあ厄祭戦は惑星間規模っていう馬鹿でかい戦争だったらしいが、だからって
MS戦から軍事施設制圧まで全てをひっくるめたフェニクスの
故に名瀬の疑いも一般的に見れば真っ当に正しいもの。だけど、オルガはかぶりを振って否定した。
『常識的に考えれば確かにそうっすね……でも、ジゼルを見たらそれも違ってくる。アイツならやりかねない、そう思えてくるんすよ』
「……ああ、俺も今は同感だな。フェニクスの戦いぶりを見てると、なんつぅか、喜んで人を殺してるって雰囲気がヒシヒシと伝わってくるんだよ。コイツはとんでもない怪物だぜ」
一度、名瀬もジゼルと顔合わせは行っている。その時に感じた印象は、ふわふわとした掴みどころのない少女。およそ戦いには似つかわしくない、どこかで深窓の令嬢でもやっている方がよほどお似合いの雰囲気であった。
しかし、そんな甘えた感想はもはや微塵も抱けない。人の心ではとても図れない怪物を前にして、人の杓子定規を当てはめることが何になるというのか。
「兄貴分としちゃあ、こんな危険人物を傍に置くのは反対なんだが……そこんとこはどうなんだオルガ?」
『俺としては、このままアイツには鉄華団で働いてもらうつもりです』
「へぇ、即決だな」
はっきり言えば意外だった。殺人狂いというだけでも敬遠しがちなのに、具体的に驚異的な殺害数を知ってしまった以上、もはやオルガはジゼルを鉄華団から追放するだろうと踏んでいたのだ。
「だが良いのか? お前たちが目指している”上がり”と、あの嬢ちゃんが望む未来は致命的に違うぞ。いつかその齟齬が、取り返しのつかないことになるかもしんねぇ」
『承知の上です。そのうえで俺はアイツを必要としていますから』
「ほう、その意図は?」
『目指す結果が違っても、俺たちとアイツは同じ方向を向いているからです。俺たちがゴールに辿り着くまでの過程には、結局どう足掻いてもアイツが求めてやまない戦場が付きまとうんすよ。なら、最初から多少のリスクを呑んででも味方に居てもらった方が良い』
それに、とオルガはさらに言葉を重ねる。
『これまでは家族だった鉄華団に、全く価値観や雰囲気の違う人物が入ってくる。これは変化の呼び水です。現に昭弘はこれまでよりも鍛錬に精を出してますし、ユージンに至ってはここしばらく別人かってくらいに努力を重ねてるんです。こいつはジゼルを加入させなければ起きなかった事態でしょう』
「なるほど、マイナスに振り切れた人物でもプラスに働くことはあると。そいつぁ確かにその通りだな。分かった、俺はもう何も言わん。せいぜい上手くあの嬢ちゃんの手綱を握っておけよ」
『はい!』
威勢の良い返事を聞いて名瀬がふっ、と笑う。どうやらオルガは、なんだかんだすっかり彼女のことを気に入ってしまったらしい。
こうなればもう、後はジゼル・アルムフェルトの
とはいえ、それらがどう転ぶかも現状では全く分からない。この世の中、予想外な行動が奇想天外な結末を生み出すことも多々あるのだ。あるいは鉄華団にとってのジゼルというのは、そういった存在であるのかもしれなかった。
そんなことを名瀬が考えている内に、ブリッジのモニターではちょうどフェニクスが敵艦の火器とエンジンを潰し終えたところだった。木偶の坊となった敵艦から、情けない降伏信号が送られる。
「さてと、そんな話をしてる内に戦闘も終了したみたいだ。ちょいとこっからは事後処理があるから、いったんここで切らせてもらうぜ」
『わかりました。そんじゃ、お元気で』
「おう、じゃあな」
オルガとの通信を切ってから、名瀬は座席から立ち上がろうとして思いとどまる。代わりに手早く手元の通信機をもう一度操作して、帰還中のフェニクスへと画面を繋いだ。
小画面に映し出されたジゼルの顔は、頬を紅潮させて非常に上機嫌そうである。
「よう、気分はどうだい?」
『最高です。フェニクスでこれだけの人を殺したのは久しぶりですよ』
「そりゃ、こっちから見ても随分な暴れっぷりだったからなぁ」
『どうせなら母艦も潰したかったですがね』
「向上心の高いことで」
あれだけ暴れてもまだ満足しきっていないとは。つくづく途轍もない少女であると痛感してしまう。
しかし、そんなことを確認するためにわざわざ通信を繋いだのではない。
「兄貴分として聞いときたいんだが、鉄華団には満足してるかい?」
『今のところ大満足です。しっかり働けば、しっかり報いてくれる。良いことですよ』
「そいつは良かった。アンタも中々業が深いし、もっと不満でも抱えているかと思ってたよ」
『不満ですか。ジゼル、考えたことも無かったです。団長さんはちゃんとお給料とボーナスと戦場をくれてますから。あの人が与えてくれる限り、ジゼルもまた対価を払います』
「そうか、なら良いんだ。わざわざすまないな」
もし何か不満があれば、どこかで暴発しない内に名瀬が出来る範囲で発散させようと考えていた。兄貴分としてそれくらいの手伝いはしても良いだろ。それをこのタイミングで訊いたのは、精神が昂揚して素が出やすいと考えたからなのだが……それでも何も無かった。
むしろ、予想外に律儀な面まで飛び出してくるではないか。いや、いっそ約束に対して純粋と言い換えても良いのかもしれない。
──契約をした相手に、相応の対価を支払う存在。それはつまり、悪魔と呼ぶべき存在だ。つまり鉄華団は、文字通りに悪魔との契約を交わしたことになるのだろう。
『でも、しいて言うならば……』
「なんだ?」
『──地球には、もう一度くらい行ってみたいですね』