鋼の不死鳥 黎明の唄   作:生野の猫梅酒

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#9 嵐の前の静けさ

 アーブラウにて一瞬で鮮烈な印象を叩きつけた、可憐な少女の皮を被った怪物ことジゼル・アルムフェルト。彼女は三人もの人間を容赦なく射殺してから四か月もの間、不気味なほどに大人しく業務に携わっていた。

 仕事に対しては非常にまじめに取り組み、共に働くラディーチェも特に不満を抱いている様子はない。少年兵たちとは最低限の会話しかしないが、それでもコミュニケーション自体は円滑に行えている。故に間違いなく事務方としては有能という評価が出来て、タカキからすればそれがどうにも腑に落ちなかった。

 

 鉄華団地球支部団員たちの間でも、敵ですらない人間を躊躇なく殺せる彼女については意見が割れている。テイワズからの出向だから荒事に慣れている説だとか、鉄華団を妨害する者に対して容赦がないだけだとか、これは荒唐無稽かもしれないが純粋に殺しを楽しんでいるだけだとか。

 ともかく言えるのは、ジゼルについては困惑が大きく広がっているということである。彼女の行いのおかげで防衛軍との関係は軟化──ジゼルに怯える様をそう呼んで良いのか疑問だが──したけれど、それを素直に喜ぶことも出来ない。彼らと衝突していた血気盛んな少年兵たちですら、防衛軍側に起きた惨状に溜飲が下がるよりも白けてしまったのだから、その異質さが良く分かるというものだ。

 

 当たり前だが、その後にタカキは地球支部責任者のチャドへとジゼルの扱いを訊ねている。一連の粛清じみた殺害についてや、彼女の来歴といった事柄をより詳しくだ。

 だがとうのチャドは煮え切らない表情をして、

 

「あの人はなんていうか……例外らしいんだ。今回の一件も蒔苗さんが一枚噛んでるらしいし、団長からもその件については問題ないって言われてる。だからタカキたちは、上手く彼女と適切な距離を保って接して欲しい」

 

 真実をぼかしてそう告げるだけだった。一応蒔苗代表とオルガ団長からの信任があるなら滅多なことは起こらないだろうとタカキも予想できたが、それでもどこか不安になるのは仕方がない。

 

「ねぇ、アストンはどう思う? 俺たちは、あの人を信用してもいいのかな?」

 

 だからタカキは、地球支部で一番仲の良いアストンへも話を振ってみた。

 率直にジゼルをどう思うかについて、朴訥な感性を持つ彼の意見も聞いてみたかったのだ。

 

「俺は、頭が良くないからタカキみたいに色んなことを考えるのはできないけれど……なんか怖い人だとは思う。でも、信用して良いとも思うな」

「そっか……理由を聞いてもいい?」

 

 アストンは頷くと、ポツポツと語りだす。

 

「……前に一人で歩いてたら、あの人と会ったんだ。ハーモニカっていうらしい、小さな楽器を吹いてて、なんだか綺麗な音色だった。そしたら向こうも俺に気が付いて、嫌な顔もせずに色んな曲を聞かせてくれたんだ」

「そんなことがあったんだ……良かったね、アストン」

「うん。俺も、あの時は楽しかったよ」

 

 微かに嬉しそうな色を滲ませているアストンは、本当に良い体験を出来たのだろう。かつてのアストンはヒューマン・デブリとして散々な目に遭っていたことを知っているタカキだから、純粋に嬉しくなってしまう。

 だけどこうして話を聞いてみて、またも良く分からなくなる。躊躇なく人を殺す冷酷な一面を持っているかと思えば、また一面は意外にも親しみやすいようにも見えて、されどどこか神秘的で不思議な雰囲気をまとった女性だ。似たような人物には三日月・オーガスがいるのだが、彼ともどこか違う異様さを感じられてしょうがない。

 

 結局、ジゼルという女性の真実はどこあるのだろうか? タカキの思考はそこばかり堂々巡りしてしまう。

 

「……あっと、すみませんでした」

 

 そのせいで、支部内の廊下を歩いている際につい人とぶつかってしまう。どうやら注意が散漫していたようだ。それでも咄嗟に謝罪しながら前を向くとそこには──

 

「もう少し前を見て歩きましょう。以降、お気を付けを」

「あ……どうも、ごめんなさい」

 

 学生服にも似た格好にベージュ色の鉄華団制服を羽織ったジゼルが、感情を映し出さない無表情で佇んでいたのだった。どこから持ってきたのか、手には何やら箱詰めにされた機材やコードを抱えている。

 思わずどきりとしてしまい、だけど漏れた言葉を隠すように重ねて謝罪すれば、彼女は気にした風もなく歩き去っていこうとする。その背中に、タカキは反射的に声を掛けてしまった。

 

「あの、ちょっと良いですか!?」

「何か?」

 

 振り向き様に淡々と言われ、言葉に詰まってしまう。タカキが話を聞いた団員たちの多くが『実はちょっと苦手かも』と評してしまう一端は、この怖いくらいの無感動さにあるのだろう。まるで人形と向き合っているかのような、これまでの鉄華団には無かった奇妙なものを感じてしまうのだ。

 

「その、ジゼルさんってあのフェニクスっていうMSに乗るんですか?」

「そうですよ。フェニクスはジゼルのモノです。他の誰にも譲る気はありませんので」

「や、やっぱりあれはジゼルさんが乗るんですよね──」

「ではあなたは、地球を気に入っていますか?」

「は、え?」

「あなたは、地球を気に入っているのかと訊いているのです、タカキ・ウノさん」

 

 唐突過ぎて、タカキは思わず聞き返してしまう。MSの話から地球の話へ、一気に内容が飛んでいる。もちろん話は全くかみ合っていないのだが、ジゼルは本気で問いかけているらしい。その金の瞳が、答えを求めてタカキを覗き込んでいる。

 呆れるほどにマイペースな問いかけには辟易するばかりだが、一方で彼女がしっかり団員の顔と名前を一致させていることも今ので分かった。その妙な律儀さに触発されて、気がつけばタカキもまた彼女の問いに本心から答えていた。

 

「火星とは違うことばかりだけど、気に入ってますよ。どんなところがと言われると難しいですけど……でもアストンや皆も地球は良いところだなって」

「アストン……ああ、ハーモニカを気に入ってくれたあの人ですか。それは嬉しいですね」

「ジゼルさんは、もしかして地球の出身なんですか?」

「ええ、ですが故郷はもう無くなっているようです。だから代わりに、ジゼル達で地球支部(ここ)をしっかり守りましょう」

「は、はい、そうですね……」

「ではジゼルはこれで。少々準備をしなければならないことがありますので」

 

 それで話は終わりらしい。今度こそ彼女は背を向けて去っていく。その後ろ姿を見つめながら、いったい今の話は何だったのかと、戸惑いを隠せないタカキである。しかも素っ気ない口調の割にいやに話が重たいような、そんな感触すらある。

 要するに馬鹿みたいにマイペースで底知れないくせに、妙なところで律儀かつ親切な変わった人。信用できるかできないかで言えばたぶん出来る、そんな風にタカキは認識したのだった。

 

 ◇

 

 ──ラディーチェ・リロトからすれば、ジゼルとは信用云々の以前に理解不能な存在だった。

 

「予定されていた獅電の納入が遅れるとは、いったいどういう事なのですか?」

 

 アーブラウ防衛軍発足式典を残り二十日ほどに控えた頃。事務室では地球支部の事務担当であるラディーチェとジゼルが、穏やかではない雰囲気を放って向き合っていた。

 どこか、ではなく明確に苛立ちを隠せていない同僚の声に、ジゼルは淡泊に返答する。

 

「どうやら宇宙の方で大規模な戦闘が起きるとか何とか。そのせいで輸送に割く時間が無いのだそうですよ」

「それは訊いてます。ですが、取り決めは基本的に絶対です。今の戦力、ランドマン・ロディとお飾りのガンダム・フレームだけではもう限界が近いというのは、何か月も前から団長に進言していたはず。なのにこの土壇場でこのような事をされては……!」

「ジゼルに言われても困ります。文句なら、空の上の大海賊さんとやらにでも伝えてください」

 

 全くぐうの音も出ない正論に、ラディーチェもさすがに押し黙った。そんな彼を横目に黙々と業務へ取り組み始めたジゼルと言えば、音楽でも聴いているのかイヤホンを耳にしていつも通りのすまし顔である。

 しかしだ。ラディーチェからすればいい加減に地球支部の状況を改善して欲しいのが本心であり、むしろどうしてこのタイミングで争いごとに発展させてしまうのかが理解できない。そんなことよりもやることなんて幾らでもあるだろうと、声を大にして言いたかった。

 

「これだから、この組織というものは……」

「何か言いましたか?」

「いいえ、何でもありませんとも! 少々失礼しますよ!」

 

 苛立ち交じりに吐き捨て、部屋を後にした。彼女のような()()()()()()()()と一緒に居ては、自分の頭がどうにかなりそうだと思ったから。

 やはりこれも鉄華団という獣ばかりが住まう杜撰な組織ゆえに起こる弊害──そう割り切って見下してしまうのは、今のラディーチェにとって蜜より甘い禁断の思考だった。組織も団員も、何もかもが思い通りに進まない彼の苛立ちは、もはや取り返しのつかないところまで進行してしまっている。

 

 ラディーチェは地球支部の内の人通りがほとんどない区画へ静かに向かうと、懐から通信機器を取り出した。手早く必要な番号を入力して、待つことしばし。スピーカーからは覇気を感じさせる男の声が聞こえてきた。それだけで、ラディーチェの脳裏には髭を生やした屈強な男の容貌が描かれてしまう。

 

『おや、まさかこんなに早く連絡をくれるとは。もしや、やはり降りるというのかね?』

「いいえ、まさか。その逆だ、決心がつきました。もはや付き合いきれないので」

 

 その声音は心底から冷淡なもので、鉄華団に対する侮蔑を隠そうともしていない。第三者が居ればそこに塗れた悪意に顔を顰めるだろう言葉を聞いて、機器越しに男は愉快そうに笑った。

 

『それは結構なことだ。して、何が君を後押ししたのかね?』

「おおよそ全ての事ですよ。杜撰な組織運営、血気盛んで人の話を理解しようともしない獣たち、ようやく送られたと思った事務員は訳の分からない狂人だ……! もううんざりです、テイワズからの推薦があったからこんなところまで来たというのに、これじゃ割に合いません」

『ふむ、察するに君も中間管理職として相当な苦労をしていると見えるな。だが、最後の狂人というのは何なのかね? 良ければ聞かせて欲しい』

 

 男の言葉は頼みという体を取ってはいたが、実質的には命令に相違ないだけの圧が籠っている。良くも悪くもただの事務員の枠を出ないラディーチェは、当然のように逆らうことなど出来ない。

 

「……少し前に、アーブラウ防衛軍所属の三名が粛清されたという話はしましたよね? それを担当したのが、その新入りの事務員なのですよ」

『ほう、だがそれは鉄華団では至極見慣れた光景なのではないかね? 武闘派組織が人を殺めるなど、飲食店が食事を提供するのと同じくらい当たり前のことだ』

「あれはもう、そういうものじゃありません。これは私の勘ですが、あれはきっと殺しを楽しんでいます。しかも教養のない獣たちと違って、仮にも事務仕事をこなせるだけの人間がそのような事をするのです。私からすれば意味が分かりません。それだけの常識的な頭があるなら、そんなことは決して出来ない」

 

 二度目の粛清をしているとき、ラディーチェは偶然その場に居合わせた。誰もが彼女の凶行に目を疑っている中で、彼だけは見たのだ。堪えきれない喜悦を唇に漂わせた、恐ろしい怪物の姿を。

 故にラディーチェから見たジゼルとは”獣以上のバケモノ”なのだ。あれは仮にも理性ある人間が、人を殺した直後にして良い表情ではない。人は理解不能な存在を何より恐れると言うが、まさにラディーチェにとっては彼女がそうだと言えるだろう。

 

『しかしそうか、そうなればその者は我々の計画にとって不確定要素となりかねない。慎重を期すなら、君はここで降りるべきかもしれないぞ? 今なら君が口を噤めばそれで終わりだ。こちらからも手出しをしないと約束しよう』

「ご冗談を。それに、どうせあれは年端も行かぬ小娘が銃を振り回して粋がっているだけです。それこそあなたに比べれば、殺した人数も踏んだ場数もひよっこ同然でしょう。戦になったところで、勝ち目はゼロだ」

『なるほど、まさか小娘とはな。それはまた珍しいタイプだ。そちらに向かう時が少々楽しみになってしまったよ』

「では、計画は手筈通りにしてもらえるという事で──」

『ああ、構わんよ。そうだな、決行の時は二人で飲みにでも行こうではないか。開戦の狼煙を(さかな)にしてな。きっと美味いぞ』

「ええ、楽しみにしておきますよ、ガラン・モッサさん」

 

 通信を切って、会話を終える。それからすぐに周囲を見渡して、誰もいないことを確認してから一息つく。これで鉄華団、少なくとも地球支部は終わりだ。散々苦労を掛けさせられた鬱憤もあと少しの我慢でようやく晴れると思うと、胸がすくような気持ちである。しかも身の安全と金すら保証されるのだから、この件から降りるなどそれこそ冗談じゃないのだ。

 

 そう、だから敢えてラディーチェにとっての不幸を挙げるならば。理解できない存在として思考を止めてしまった事であるのだろう。でなければ、運よくただ一人本性を悟れた彼ならきっと気が付けたはずだ。周到なる怪物の手管に。理論も理屈もすっ飛ばした嗅覚を持つ、人を狩る天性の殺人鬼の思惑に。

 

 ◇

 

『ええ、楽しみにしておきますよ、ガラン・モッサさん』

「そっか、戦争がここでも起きるんですね……ふふふ、団長さんには申し訳ないですが、ここはしばらく泳がせてみましょうか。ジゼルもいい加減に我慢の限界なのです」

 

 かくして、怪物(ジゼル)はイヤホンを外して静かに笑う。先ほどまで盗聴していた会話は全てジゼルの頭に残っているし、そうでなくともキッチリ録音している。

 一ヶ月以上前からの仕込みの甲斐は確かにあったのだ。”もしかしたら”程度の発案が功を奏したのが嬉しくて、感情を抑えられなくなって、ジゼルは懐からハーモニカを取り出す。気を紛らわすために吹いたら、また誰か来てくれるだろうか。聴衆が居るのは、思った以上に愉快だったから。それこそ、誰かを殺す時に近い高揚感だった。

 

火星(そっち)だけ楽しそうな海賊退治(イベント)をして……ちょっとばかり悔しいので、ジゼルにも遊ばせてくださいな。大丈夫、損はさせませんよ」

 

 ──待ち望んでやまなかった闘争は、もうすぐそこまで来ていた。

 


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