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そのままアリーナへ向かっても良かったのだけど私たちには約束が、褐色の少女、ラニとの約束があった。
バラバラになったものだが、この手にアーチャーが使用していた矢の柄と鏃、そして風切り羽がある。結局は結界の触媒と襲撃に遭った際になんとか回収できたものしか用意できなかったが、これで彼女が上手く星を詠んでくれることを祈るしかない。
本来ならば、ランサーともっと対話を重ねて、彼女がラニへ何を抱いているのか知るべきだった。けれど教会の姉妹からの依頼という言い訳を得た自分の臆病さが、詳しく聞くよりも前にアリーナへ行ける要件を整うことを優先した。
指定された場所、校舎の三階に足を向ける。二階の図書館の様に利用できる施設も特にない三階にわざわざ行く参加者は少ない。ちらほらと会釈するのはAIぐらいなもので、だからこそ廊下の先で佇み、海に溺れた空を見つめる少女をみつけて哀しさが自分の胸をよぎった。
彼女は、私や他の参加者と同じように生きているはずなのに、抱いたイメージがAIたちと何も変わらなかったのだ。
「ラニ、待たせちゃったのかな」
「……いえ、時間までは指定していませんでしたから問題はありません」
「それ、暗に待ったと言っているから」
彼女の表情を少しでも動かしたくて、似合わないと知っていながら努めて明るく振舞ってみる。そんな小さな努力でラニの表情を動かせるわけもなく、三日前と変わらない口調で彼女は視線を窓の向こうからこちらへと動かした。
「私は星が読めれば、より多くの
師の言葉という絶対の存在を持つラニは、敵であるはずのマスターの助力さえ惜しむつもりはないようだ。
シンジのように、敵を全てにおいて妨害すること。凛のように、敵と認めながらも導くこと。あるいはブラックモア卿やラニの様に敵でありながら己を通す為に利すること。どれがこの聖杯戦争において正しいのか、間違いなのか判らない。
「……私は構いませんが、貴女の時間は有限ではないでしょうか。この誘いは貴女にとっても有利であると、既に説明はしましたが」
催促というわけでもなく、淡々と事実を述べるラニ。迷う暇さえ得られない自分の無力さに嫌になるが、私は決意して手に入れたアーチャーの遺物を彼女へ手渡した。
「これだけあれば、充分です」
柔らかな手つきで遺物を撫でるラニは、視線を再び空へ移して虚空を睨んだ。虚構の空、溺れる空に何が視えるのか、二言三言となにかを呟くラニは自分の疑問に対して囁きに似た溶ける声で応えてくれた。
「星々は虚構世界を越えて確かに輝いています。其処から引出される因果律の語りに耳を傾けることで私は識るのです。人の在り様を、命の輝きを」
答えてくれるのは嬉しいけれど、やはり半分も何を言っているのか判らない。とにかく私には理解できなくても、ラニにはアーチャーの遺物から彼を理解する事が出来る。それだけ分かればいいことにした……うん、許容と理解は別だからね。そもそも、私はこの世界でさえ“理解”していない。
「……その様子では、私の言葉でも貴女はブラックモア卿の星を理解できなさそうですね。ならば視覚情報を共有します、此方に手を」
あれ、無感情無表情のはずなのに、ラニから呆れられている気がする。どんなものでも彼女の心を動かせたことに喜びを覚えてしまった時点で、私はだいぶ頭のネジがゆるんでいるようだ。
ともあれ、彼女の言葉は事実難解なものなので彼女のイメージをそのまま視ることができるというのならば有難い。ラニの言う通りに彼女の空いた手を握ると視界に僅かなノイズが走り、今まで見えていた光景から一転、大海原に投げ出された。
(う、わ……っ!?)
蒼が群青に、紺に、星空の闇へと変化していく。足元さえ無くなって自分の存在さえ不確かになってしまいそうになる。
『落ち着いてください、貴女の動揺が私にも伝わって正確に星を詠めなくなってしまいます』
小さくても、確かなラニの手の感触が伝わって、私は自分でも不思議なほどに安堵した。そうだ、これは彼女がいま視ているモノなのだ。ラニが傍に居るという事、そして私と彼女はあくまで学園の廊下に居るのだと思いだすと、未だ虚空ながらも足元に確かな足場があると認識できた。
落ち着きを取り戻して周囲を観察していると星が明滅し動きだして何かを描き出す。
『これは森……深く、暗い…』
ラニの言葉に“何か”だったものが確かな形を持ち始めた。渦巻く星が木々を生む。光も射さない黒い森、その中で蠢くのは暗い森よりもさらに濃い影だ。
『潜む影は森と同じ色の人生を歩む……たとえ賞賛を得ても、同じくして与えられるのは汚名。故に彼から苦渋の色が消えることはなく……ただ森に溶け影となり、敵を射抜き続ける』
影が人となり、森を歩く“何か”を射る。木々の上から、あるいは繁る草葉の間から、影は蠢き“何か”を消しながら進み続ける。その度に影は更に森へ溶け、離れられない程に森へ縫い付けられていく。
その生き様は、彼のマスターであるダンが掲げる騎士道とは正反対のものだった。あるいは、レオが言っていたようにこの戦争に参加する以前のダンと同じなのかもしれない。
『嗚呼……だからこそ射した光は鮮烈で、焦がれるものなのでしょう』
影が進み続けた先は、森の終わり。森では得られない陽光の眩さは白光となって影を焦がした。影はソレに憧憬を持つのに、近付けばより深く、はっきりと影が影であると、陽光は影の形と闇の色を確かなものにしてしまう。
やがて諦めとも、嘲りとも捉えられる態度になった影は再び森へと溶けていく。それと同時に森を象っていた星々も溶けはじめ、世界へ再びノイズが走った。
「憧憬を持っていた道に立たされた故の亀裂……残念です、これもまた師に教えられた人の在り様の一つ。私の求めとは異なるモノ」
今まで脳内に直接響いていたラニの声が、鼓膜を揺さぶるリアルへ変化した。それに釣られるように閉じていた目を開けてみると、考えていた夜も間近に彼女の顔が迫っていた。
褐色の小顔にアメジストの瞳が煌めいて此方を見つめている。思わずたじろいでしまうけれど、そこに感情は探せない。あくまで瞳に、視界に私というモノを映しているだけなのだと判ってしまう。
「私は求めるものと異なりましたが、そちらは何か収穫を得られましたか?」
身長差から私を覗きこむようにして問いかけてきたラニの視線に照れて、廊下に貼られていた掲示板へと目を泳がしながら私は得られたはずと答える。アーチャーの真名へ辿り着ける符丁はだいぶ取り揃えられた。後は彼への対抗策をない頭捻って考えるしかない。
「ありがとう、助けになったよ」
ダンの掲げる正道と、アーチャーの歩んできた邪道。彼らの合わない歯車の隙間を見つけることが勝機なのだろう。本来合わない歯車とは自分の方だというのに、皮肉なものだ。
「そうですか、ならばこの行為に価値はあったのでしょう。彼は私の探しているものではありませんでしたが……ご協力、ありがとうございます」
そう言うとラニは私への興味をなくしたようで、再び窓から外を見上げて動かなくなってしまった。まるで役割を終えて待機する機械のようで、そんな彼女を見ると心が軋む。
これで、これだけで彼女との関わりを終わりにしてしまっていいのだろうか。この三階廊下へ来てからずっと、息をひそめるようにしているランサーも気になった。
まだ出会えて一週間と数日だが今までのランサーからして、彼女はどちらかというと自分に素直に行動するタイプ、な気がする。なのに彼女は言葉を噤むのだ、何かに堪えるように、あるいは逡巡するように。
聖杯戦争に参加する以上は、サーヴァントであっても叶えたい願い、望みを彼女も持っているはず。未だ語られないなら語るに値する自分になるしかないし、それまでの間は思考を止めてはいけない。
(ランサー、が望むもの。そして私が望むもの……どちらの答えも出せない今は、少しでも多く選択肢を残したい)
――ならば行動を、どのような道を歩むか判らなくても歩みだけは止めない為に。
「ラニは最初に話した時、私に興味があるって言ったよね。その興味は、まだ続いている?」
運試しの問いかけに、ラニは果たして反応を示してくれた。瞳は揺らがず、表情は変わらないけれど、確かに空から此方へ視線を戻して僅かに頷いたのだ。
「ええ、貴女の星は非常に不確かなものです。この現状で貴女を観る対象から外すことは、私としては不本意なものとなるでしょう」
分からないのなら、分かるまで取っておこう。簡単に言えばそういうことだろうか……私と同じように選択肢を保つ為、関係を切ることはないと言ってくれたのだろうか。たとえ効率を重視した結果であろうと、それは
「……同じことを考えるくらいには人間らしさがあるって嬉しがる自分の単純さが……」
「?なにか言いましたか?」
「いえなにも。なにも」
くそう、単純な自分が悔しい。
「ええと、それならまた、また話していいかな。少しでも知って欲しいし、私はラニのこと、知りたい」
「……質問の意図を理解しかねます。何故貴女は自らを私へ知らしめたいのですか」
まったく理解できないという瞳に、強く伝われと願いながら言葉を紡ぐ。自分でも理解しきれていない感情と想いが伝われば、彼女も揺らぎを得られるはずなのだ。記憶を持たない私が、一回戦での多くの揺らぎを経て“私”の意志を持ち始めたのと同じように、得られるはずなのだ。
「この前言った通り、私自身も自分のことはよく分かってないんだ。ラニを通して私のことを知りたい」
「つまり私を使用する為ですか、成程それなら」
「という建前で、本音は損得抜きで仲良くなりたい」
なんて言っても先の言葉と同じように理解はしてくれないのは分かっている。だから、これはきっと宣戦布告だ。
後ろに居るはずのランサーと、目の前に居るはずのラニ=Ⅷ。二人は此処に居るのに此処に居ない。繋ぎ止めるとか、そんな大層なことはできなくても、この世界にふわふわと浮かぶ泡同士なら触れ合うことぐらいなら挑戦してみてもいいだろうなんて思うぐらいには、二人と関係が深くならない現状に憤っていた。
「やはり意図を理解しかねますが、私が知らない人の在り様……貴女がそれを見せてくれるというのなら、貴女との関わりをなくす必要性はありません」
「いろいろスル―されたけど……今は分からなくても構わないよ、もっと話したいだけだから。とにかくよろしくね、ラニ」
最後の勇気を振り絞って、つとめた笑顔で彼女へ握手の為に手を差し出した。その手をしばらく見つめていたラニは一度だけ顔をあげると、再び手をじっと見つめてから静かに自分の手と絡めてくれた。
私の手よりも冷たい、陶器の様な手に小さく力が込められる。その意志に応えるため、そして熱を少しでも伝染すように私はぎゅっと彼女の手を握り返した。
凛とも関わりを増やしていきたいけれど、地味に関わりづらいorz
そういえばランサーことリーズが一言も喋らないのは初めてです
少し展開を今後は早めにしていく必要もありますね……