2017年6月20日
18時ごろ職場であるシゲマツ自動車を出ると、尚樹は自宅のある河内長野市方向に向かって走る。
ただでさえ混む外環状線にはいつも以上に長い渋滞が出来ており、尚樹は思わずため息をつく。
家で料理を作って待っているひかりに「帰りが遅くなる」と連絡すべきかどうかと悩む。
なにせ、完全に停止しているわけではなく、止まったり進んだりじわじわと時速20キロほどで進んでいるのだ。
そんな渋滞にはまり、横道にそれることもできないまま和泉市に入って対面通行から4車線道路になったあたりで、道路の先に赤色回転灯がチラチラと輝いて見えた。
「おいおい、事故かなんかか?」
遥か前方にいる大型車の陰でよく見えないが、ワンボックスの事故処理車のような警察車両が車線を塞ぐように止まっているのだ。
『6時になったらクイズの時間、今日のお題はキュウビノキツネのメンバー、レン君は最近どんな食べ物にハマっているでしょう?』
月曜から木曜日の夕方に流れるラジオ番組がオーディオから流れており、その番組は6時のコーナーで音楽バンドのメンバーに関するクイズを流していた。
1曲目が終わると、曲の間にリスナーたちから送られてきたネタ回答をラジオパーソナリティが紹介するのだ。
『Twitterネーム結城さん、“激辛マーボーを食べて、水くれー!”』
「『水くれー』は昨日のお題のネタやろ」
尚樹はSNSをやっていないし、運転中なのでクイズに参加することが出来ないが、そこで出てくるネタ回答にツッコミを入れて楽しんでいるのだ。
『ヒントはお高く、保存が効く食べ物です。それでは2曲目』
2曲目が終わるとヒントが出てきており、番組ホームページに正解が次々と寄せられてきている。
『おっ、正解者が出ましたね、Twitterネームグラーフさん、珍しい缶詰……ザーッ、ザザーッ……ザッ……正解なので6時半の番組ステッカーあげます』
「正解は珍しい缶詰を集めている……ってノイズ凄いな」
尚樹が窓の外を眺めると和泉の山々の稜線が薄暮の空に黒々と浮かび上がり、車の位置で電波が遮られたのかなと思う。
5秒間のノイズはあったものの、クイズコーナーが終わった頃に警察車両が間近に見えてきた。
電光掲示板に“検問”と表示した事故処理車がいて、対向車線には紺色の警察車両が数台止まっており物々しい雰囲気を醸し出していた。
警察官たちは一台一台止めて何かを尋ねているようで、飲酒検問などとは違うようである。
交通課の警察官の他に、丸に“機”の文字が入った腕章を着けた警察官も歩道にいる。
ハンズフリー通話でひかりに帰りが遅くなると告げると、ひかりは元気よく返事をする。
そして、尚樹が通話を切ったタイミングで前の車が発進した。
“止まれ”の三角旗を持った警察官が道を塞ぎ、乗車用のヘルメットに防刃ベストを着けているもう一人の警察官が尚樹のパジェロの運転席側に立った。
「すいません、銃器を持った強盗犯が逃亡中でして、免許証とお仕事のほうを聞かせてもらっているんですよ」
「はい、銃器ですか?」
「ええ、ですから、一応念のためにお話を伺ってるんですよ」
尚樹は警察が非常線を張っている理由がわかったが、銃器というのはただ事ではないなと思った。
免許を調べられている間、おそらく別の部署であろう警察官に整備士であるという事と、仕事帰りであることを話し、世間話をする。
言葉の端々から“探られているな”と思いつつ、尚樹のほうも警察官に話を振って情報を集めていた。
銃器犯罪が起こり、機動隊や所轄警察で周辺地域からの
「ご協力ありがとうございました、お気をつけて」
3分ほどで照会が終わり、免許証が返ってくると尚樹は解放され再び走り出す。
テレビに切り替えると先ほど、短機関銃を持った自称ロシア人の男が逮捕されたとのニュースが入る。
「何だ、解決してるじゃねえか」
尚樹は押し入れの中に隠した航空機銃がバレたらきっとこんな騒ぎになるのだろうなと、内心ひやひやしながら家に帰ったのだった。
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ひかりは昨夜の味噌汁によって粉末だしの使い方を覚えたので、練習に肉じゃがと炊き込みご飯を作ることにした。
煮る、焼く、切るといった今までに練習してきた成果を見せるのに肉じゃがはもってこいだと思ったのだ。
「えっと、ここまではカレーと同じだ!違うのは、こんにゃく、厚揚げ豆腐」
玉ねぎ、ジャガイモ、人参を切り先に茹で、その後、こんにゃくや厚揚げ豆腐も切って加える。
鍋で野菜とこんにゃくを茹でると火を止め、フライパンで昨夜使わなかった豚肉を軽く炒めて火を通す。
炊き込みご飯は既製品の具材を炊飯器に入れて、炊き上がるのを待つ。
料理を初めて数日、ひかりの技術は安定を見せるようになり具材を切る手に不安は無くなった。
味付けに関しては慣れるまでは既成の割り下地を使うか、料理本の通りに調味料を計量して入れることで、とてもマズくてどうしようもない“はずれ”を作らないようにしている。
ひかりは尚樹と一緒に夕飯を作るうちに、思ったより効かなかったり、その反対でとても効き、“辛すぎる”あるいは“甘すぎる”という経験から“目分量”がいかにアテにならないかを実感したのだ。
味の好みに合わせて調味料を増減、調整するのは、まともにレシピ通りに作れるようになってからである。
「やっぱり下原さんはすごいなあ……そういえば、管野さんは豚肉なんだったっけ」
自分が料理をするようになり、ようやく味見の大切さとレシピ本もなく目分量で適正な量を入れられることがいかに凄いかを実感するようになった。
肉じゃがはカレーライスなどと具材を共用できることなどから
だが、使用する肉や味付けは基地ごとに異なり、同じ扶桑人であっても出身によって大きく差があったのだ。
下原、ひかりは尾道、佐世保と西の出身であり牛肉を用いるが、宮城出身の管野は豚肉を使うということで一度論争になりかけた。
切っ掛けはある日の夕食の席でのひかりの発言だった。
「肉じゃがだ!お肉は何を使ってるんですか?」
「哨戒飛行の帰りにニパさんが獲って来てくれたケワタガモのお肉です!」
「スオムスのウイッチは湖や森、自然と共に生きてるんだよ」とニパは笑う。
なお、肉の入手にクルピンスキーと共に狩りをやったはいいが、その帰り道にニパは野鳥と激突するバードストライク事故を起こし滑走路に墜落した。
燃え上がるユニット、出動する救護班と整備班、怒るサーシャ、ユニットのそばに転がっていた獲物を燃える前に急いで調理室に運ぶジョゼ、という光景があったのだ。
こうしたいつも通りの惨事を経て食卓に上がったトリ肉にひかりは思わず一言。
「トリかぁ、普通は牛肉ですよね……」
「あぁん?ひかり、肉じゃがって言えば普通、豚肉だろ!」
「ええっ、牛肉じゃないんですか?」
「いいや、ぜってー豚肉だ。下原はどうなんだよ」
「ごめんなさい管野さん、私も牛肉を使います」
「うっ……でもここじゃどっちも使えねえんだよな」
「お姉ちゃんの牛缶がまだあればなぁ」
しかし、調理者が下原であるという事と、そもそも肉じゃがに適した牛肉、豚肉、あるいはその食肉加工品もあまりやって来なくて
軽く火が通った豚肉を鍋へと移しながらかつての会話を思い出す。
思い出すとふっと涙が出そうになる時もあるけれど、それは玉ねぎの催涙成分か鍋から立ち上る湯気によるものに違いない、ひかりはそう思った。
ひかりが砂糖としょうゆ、だしを入れて煮ていると、突如、居間の方から電子的なベルが鳴り響く。
すぐに火を止めて、居間の固定電話の受話器を取った。
「はい!……尚樹さん、どうしたんですか?」
「ひかりちゃん、今、警察が検問やってて道路めっちゃ渋滞してるから遅くなるわ」
「検問?ってそんなに時間かかるんですか?」
「お巡りさんに免許見せていろいろ聞かれたり、車の中調べられたりするからね。営門での外出証の確認みたいなやつだよ」
車にも乗らず、街中で警察官に職務質問をされたことが無いひかりは“検問”というのがいまいちよく分からなかった。
しかし、“外出証”という言葉に、正門に配置された
ひかりも“公用外出”や、休暇で“普通外出”をしたことがあったが、他部隊の隊員と出門時刻が被るととても時間がかかるのだ。
こればかりは規律を重んじる軍隊である限り、戦場で一般兵士から“女神様”と崇められる女傑であってもすべて平等に行われるのである。
「そうなんですかぁ、じゃあ私待ってますね!」
「料理、冷えちゃうだろ。ごめん!」
「大丈夫です!本には『煮物は冷えるときに味がよく染みこむ』って書いています!」
「ありがとうね、おっ、そろそろ検問が来るから電話切るね」
「はい!」
尚樹からの電話が切れると、ひかりは少し温度が下がった肉じゃがの味を確かめた。
柔らかくなったジャガイモを菜箸で割って、口に運ぶ。
「まだ味がついてない……冷やす前にもうちょっと煮なきゃダメなのかな」
ひかりは下原の作った肉じゃがの具を思い出しつつ、どのように冷やせば味が中までしみこむか考える。
十分に煮て素材の細胞壁を破壊して水分を追い出すことで、冷却時に壊れた細胞壁の隙間に浸透圧の関係で濃度の濃い煮汁が均一な濃度になろうとよく染みこむのだ。
“料理の教科書”に細かい原理こそ載っていなかったが、ひかりは“よく煮る”という事が重要なのではないかと考えたのだった。
尚樹がようやく帰ってくると、ひかりはいそいそと肉じゃがを温め、炊飯器から炊き込みご飯をよそう。
今にも鼻歌を歌いだしそうなひかりに尚樹は尋ねる。
「ひかりちゃん、楽しそうだけどどうしたの?」
「ふっふーん、気になりますかぁ?」
とても得意げなひかりは、皿をテーブルに並べながら聞き返す。
ひかりの笑みと得意げな様子に尚樹は可愛いなあと思う。
「うん、とっても」
「初めてだったけど、肉じゃがをうまく作れました!食べてみてください!」
ひかりはふんす!という効果音が似合いそうな調子でぎゅっと握り拳を作った。
「おう、どれどれ……おいしい、よく味も染みてて初めてとは思えない出来だな」
「そうですよね!私もびっくりしました!」
「すごいなひかりちゃん」
「えへへ……」
尚樹はうまいうまいとお代わりをし、ひかりもお代わりをしたので鍋の中の肉じゃがを完食する。
余った炊き込みご飯は冷蔵庫に入れられて朝に食べることにした。
料理本通りに作ったとはいえ、自分の力で美味しく作れたことにひかりはとても自信がついたのだった。
夕食が終わると入浴を済ませて、居間でテレビを見ながら二人でくつろぐ。
尚樹がひかりに勉強を教えたりするのもこの時であり、日中家に居ない尚樹とひかりの貴重なコミュニケーションの時間である。
「尚樹さん、検問って何だったんですか?」
「銃器を持った強盗犯がこの辺を逃亡中だってよ」
今日、帰りが遅くなった理由についてひかりが尋ね、尚樹は警察官から聞いた内容を伝える。
『銃刀法違反の現行犯で逮捕されたのは、自称ロシア人のセルゲイ・ジューコフ容疑者で……』
テレビのニュースでは視聴者投稿の映像が流れていた。
黒い服に身を包み、短機関銃のようなものを持ってトボトボと歩いていくのを民家の住人が窓から撮った映像であり、報道用の粗い画質で顔は出ないがテロップに名前が出た。
「銃を持った強盗って……」
「大丈夫、テレビでやってるだろ、この捕まった自称ロシア人の事だろ?」
ひかりは動画に映るPPShの独特なカゴ状の
ペトロ・パウロ要塞の正門を守っていたオラーシャ兵が携行しており、「不思議な形だなぁ」とまじまじと見た思い出があったのだ。
「あれってオラーシャの兵隊さんですよね」
「まあ、それっぽい短機関銃持ってるしな、なんか戦車兵みたいなつなぎを……」
「尚樹さん?」
「待てよ、
「地震?」
そこまで言った時、カタカタカタという微振動が湯吞を揺らして数瞬後、家の外からバン!と爆発音のような音が響き渡る。
二人が家の外に飛び出すと至る所に家から出てきた住民が立っており、山の方を見ていた。
目線をやると、木が折れる音と共に山の上に向かって黒く巨大な影が走り去っていく。
眼下に見える住宅街のはずれの空き地に穴が開き、田畑は踏み荒らされ通過したであろう路上には激突して引火したのか燃える自動車の残骸が見えた。
“爆発音のような音”は車が激しく衝突して壊れる音だったのである。
「尚樹さん!」
「なんやアレ!」
「……ネウロイ!」
「マジかよ」
誰かが通報したのか、消防、警察のサイレンの音が遠くから山に反響して聞こえてきた。
呆然と、何が起こっているのか解らぬまま立ち尽くす住民たち。
燃え盛る自動車の炎がごうごうと辺りを照らし、尚樹たちにガソリンの匂いとタンパク質が焼ける匂いを風が運んできた。
ひかりから話を聞いていたネウロイの姿に尚樹は恐怖し、隣を見る。
そこには、いつもの無邪気でかわいらしい15歳の少女ではなく、獣耳と尻尾を出して
騒ぎから少し離れた山中、街灯もない暗闇の中で赤い何かがぼんやりと鈍く輝いていたが、気づく者は誰一人としていない。
肉じゃがについて、ウイッチーズ世界では「甘煮」ではなく早くから「肉じゃが」という名称になってた模様。
コントレイル2巻で西沢曹長に肉じゃがの味で覚えられていた下原ちゃん……
いよいよ、その時が来ました。
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