月曜日、尚樹たちは堺市内のショッピングモールにやって来ていた。
街に出るという事もあって、ひかりはよそ行き用のいつもの清楚な服装で、直枝は夏という事もあって薄い土色の襟付き半袖シャツにひざ上丈の黒いフレアスカートだ。
尚樹が帰宅後すぐに家の近くの“ファッションセンターしもはら”に連れて行った際に購入したものだ。
暑いとはいえ尚樹のようにTシャツにジーンズでうろつくのは気が引けるし、かといってフリフリのレースがついた服と言うのも少し気恥ずかしい。
そんな葛藤を経て直枝は軍服に近いシャツと、あまり目立たない黒いスカートを選んだのだった。
立体駐車場に車を止めて、小道を抜けると開放感のある通路に出る。
5階建てのこの建物は大手スーパーと専門店街、シネマ・コンプレックスで出来ており、尚樹は専門店街の4階にある書店へと向かっていた。
直枝は間の空いた通路に面した専門店や高い天井、ガラス柵の向こうに見える下階の店を見る。
「外から見てもでかいけど、中もかなり広いな」
どんな軍施設よりも大きく、一つの商店街が詰め込まれたかのような空間に直枝は豊かさを実感する。
隣を歩くひかりは電飾やスポットライトで輝くショウウィンドゥを見ながら「こんなのがあるんだ」と言い、尚樹と話しながら進んでいく。
直枝の視線に気づいたひかりは振り向いて、楽しそうに言った。
「管野さん、ここは私も初めてで楽しみです!」
「おめー迷子になんなよ」
「なりませんよ!管野さんこそどうなんですか?」
「言うじゃねえか……」
ちょっとひかりをいじってみようとしたら、そっくり返されて直枝はしまったと思った。
ペテルブルグなら先任風を吹かせることができるが、ここでは知らない事ばかりでどうも分が悪い。
直枝とひかりのじゃれ合いに、隣を歩く尚樹は仲が良いなあと思った。
そうしている間に広い円形のホールに出て、昇りエスカレーターが見えた。
「直枝ちゃん、エスカレーター……動く階段なんだけど、気を付けてね」
「本当だ、階段が動いてやがる」
次々と床からせり出して、昇っていく段に直枝は立ち止まる。
金属で出来たステップは平面から段となって上がるのだが、その断面はまるでバリカンの刃のようでなんとなく恐怖を感じる。
側面には赤い非常停止ボタンがあり、隣接する柱には“お履物が巻き込まれる危険性がございます”という注意喚起が張り付けられている。
大縄跳びに入るタイミングをうかがっているかのような直枝に対し、もうエスカレーターに慣れたひかりは、ためらいもなく足をせり出したステップの中央に置く。
「管野さん、お先に行きますよぉ!」
「ひかり、待ちやがれ!」
両足を乗せてスーッと上がっていくひかりに直枝はええい、ままよとばかりに踏み出した。
独特の加速感によろけそうになったが後ろに居た尚樹に支えられ、ゴムの手すりを掴む。
「直ちゃん、あんまり前に立つと危ないよ」
「お、おう……いつまで支えてんだよ」
「ごめんよ」
「これって、死ぬような事故があったりしないよな?」
「……無いとは言わない」
「本当かよ?」
「だから、黄色い線の内側に立って手すりを持ってって言ってるんだよ」
現実、日本でエスカレーター事故は起こっているが多くが挟まれたり、巻き込まれたりというもので、ときどき急停止や接触で転落して運悪く死ぬ人がいるぐらいである。
尚樹は床が抜ける“人食いエスカレ-ター”死亡事故も中国で起きているという事を伏せた。
直枝には流れていく壁と広い空間を上がっている光景を楽しむ余裕もなく、気付けばもう頂点が近くステップが平らに変わり床に吸い込まれていくのが見える。
流れている音声注意が「お足元にお気を付けください」というものでどことなく不気味さを感じた。
「直ちゃん、足出して」
直枝は落ちることも、転ぶこともなくエスカレーターから降りることができた。
「すげえ……」
初めてのエスカレーター体験の後に広がるのは店先に平積みにされた色とりどりの本、本、本だった。
大きく開いた入り口から3人は店内に入る。
足音を吸うような灰色のカーペットが敷き詰められ、店の一角には赤いベロア張りのアームチェアが置かれた空間があり本が読めるようになっている。
また、書架と壁側の間の通路には試し読み用の木製のベンチがあって、座って読むことができる。
平日という事もあって人は少ないほうであったが、それでも田舎の書店とは比ぶべくもなく、50、60人近くはいるだろうか。
「うわあ、椅子とか置いてます!」
「どうぞ座って試し読みしてくださいって事だな。最近はカフェとかもあるからなぁ」
「カフェのある本屋って、本が汚れたらどうすんだよ」
「それは俺も思った。まあ、おしゃれなところはかえって本を探しづらいんだけどな」
「どうしてなんですか?」
「リラックススペースの関係で、本棚が離れてたりジャンル分けがわかりにくいんだよな」
尚樹は梅田駅に接続された商業ビル内にある本屋、
おしゃれな雰囲気などから女性やサラリーマンに人気の店であるが、普段、街の本屋を利用する尚樹にとっては500席の試読席も軽食がとれるサービスよりも最も重要なものはゾーニングの“わかりやすさ”だったのだ。
外国の著者、日本人作家と書架のプレートに掲示され、文庫本などを集めたコーナーがあり、直枝の足は自然と文庫本の方へと向かっていた。
「管野さん、私はお料理の本を見てきます!尚樹さん、お願いしますね」
「わかった、わかったから行ってこい」
「了解、あとでそっちに行くよ」
ひかりはそういうと“家事と生活”のコーナーへと消えていき、尚樹は大型書店初体験の直枝について回ることになった。
直枝は“外国の作家”の棚の前に立つと、視界いっぱいにならぶ本の中から“桜の園”を手に取った。
「すげぇ、“桜の園”ってこっちにもあるじゃねーか」
直枝を思わず感嘆の声を漏らした。“オラーシャ”の作家チェーホフの名作であり、パラレル・ワールドに来ても読むことができるとは思わなかったのだ。
ペトロ・パウロ要塞に残してきた私物品の中のものよりもつるりとして光沢のある綺麗な装丁であり、ページを繰ると紙の質もまるで違う。
製紙、印刷、製本の技術も1940年代に比べて格段と進歩しており、ざらっとしたページのささくれやインキのにじみ、そして綴る糸のほつれや切れが見当たらないのだ。
デンプンに代わる紙の性質を向上させる添加剤が用いられ、印刷も活版印刷から鮮明に印刷できるオフセット印刷になり、製本も接着剤を用いた
直枝はパラパラと流し読みをする。
固有名詞や細部に違いこそあれどおおむね似たような流れであり、訳者による差異と考えれば、違いも大して気にならなくなってきた。
むしろ同名の新しい物語を読んでいるような気さえして軽く目を通すつもりが夢中になっていた。
その様子を隣で見ていた尚樹は、彼女の様子を見て本が好きなんだなと思うと共に、話しかけて邪魔をしてはいけないと感じた。
一方、家事・生活コーナーのひかりは基礎の本からステップアップした応用編などの書籍に目を通していた。
ひかりは一度やると決めればとことん突き詰めていくタイプであり、試行錯誤を繰り返すのだ。
「こうすれば、尚樹さんに喜んでもらえるかな」
手には“デキる奥様の節約術‐私はこうして1000万貯めた”があり、ひかりはその内容をしっかりと覚えようとする。
その勢いに、隣のベンチに座っていたお婆さんが声を掛けた。
「お嬢ちゃん、ずいぶんと真剣に読んではるけど、面白いの?」
「はい、こんな方法があったんだーって思います!」
「そうなのー、お嬢ちゃんは高校生?」
「はい、私は“
「若いのに勉強熱心でいいわねえ。うちの孫娘はねぇ……」
「そうなんですかぁ、大変ですね!」
笑顔で相槌をうったがゆえに、お婆さんと同居する孫娘がいかに家事もろくにせず、男の家に遊びに行くかを聴かされることになった。
大阪のおばちゃんは話好きな人も多く、気づけばいろいろと話をしていることがある。
ひかりは無意識のうちに普段の生活を聞き出されてしまい、お婆さんの中では「好きな男と同棲するために通信制に通っている健気な子」という図式が出来上がっていた。
「お嬢ちゃんも好きな男をつかまえるんやったら家事ができるほうがええで、頑張りや」
「はい!」
お婆さんは一通り喋ると、お礼だと言ってのど飴を二つ渡して去って行った。
ひかりはよく喋る人だったなあと思いながらも、お婆さんの話について考える。
「好きな人かぁ……私はどうなんだろ……」
ひとつ屋根の下寝食を共にして、それでいて優しく、自分の意思を尊重してくれる彼についてどう思っているのだろう。
最近、直枝が来てから心がざわつくことが増えたのを実感する。
尚樹と直枝が仲良くすることはうれしいけれど、同時にとられたような気分になるのだ。
それは直枝に対してなのか、それとも尚樹に対してなのかいまいちピンとこない。
相棒として認めてくれた直枝、そしてこっちの世界で良くしてくれてストライカーの整備もしてくれた彼、もしもどちらかを選べと問われたならどう答えるだろうか?
ひかりは欲しい本を片手にベンチで悶々と考えていた。
“桜の園”を読み終えた直枝は次に漫画、ライトノベルコーナーへと向かう。
尚樹の部屋にあった漫画を読んだことで、文学のような語感の美しさこそ少ないもののイラストとセリフの調和で読者を引き込むという漫画の手法にも馴染んだのである。
ライトノベルの存在はコミカライズ化の宣伝ページで知り、直枝はどんなものか読んでみるかと思ったのだ。
アニメ絵の少女たちが描かれた表紙で売り場はとてもカラフルだ。
時間潰しの大学生や社会人になって数年といった雰囲気の若者が多く、手に取って表紙を見ていた。
その中に直枝は入っていく。
棚の前をうろうろしていた男子大学生二人は近づいてきた美少女をじろじろと見たが、直枝がくるりと向くと去って行った。
「何見てんだテメェ」とガンを付けたわけではない、ただ視線を感じたから振り返ったら繊細な彼らが耐えられなかっただけで。
逃げるように去っていく彼らに尚樹は思う、俺もひかりちゃんが居なかったらたぶんビビっていただろうなと。
尚樹が直枝に普通に接していられるのは、ひかりとの生活で女子との会話に慣れたというのと、事前に管野直枝中尉の逸話を聞いていたからである。
それが無ければ、目つきのキツイ超強気系女子に関わろうとは考えないだろう。
「なんだ、どれもこれもタイトルが文章じゃねえか!」
「一昔前に流行ったんだよ、文章タイトル」
「この『俺の母親が
「そういうツッコミから手に取らせたら勝ちっていう商法」
「多すぎて、逆にどれがどれかわかんねえ」
直枝は試し読みをしようとしたが、ビニール包装されており中が見えない。
だからこそ、珍奇な文章系タイトルで手に取らせようとするのだろう。
本が1か月や2か月で粗製乱造される現代において、長々と売り場を占領することで客に手に取ってもらおうというのは無理がある。
なので撤去されるまでの短い間に即効性のある売り方が求められ、パッと見ただけで主人公やヒロインがどう言うキャラクターなのかがわかるようなタイトルが読者にウケたのだ。
「直ちゃん、『これだ!』っていうのはあった?」
直枝はビニールに包まれた小さな文庫本ではなく、その隣のネット小説文庫本化コーナーへと向かい、ざっと探す。
こちらの本は包装がされていないため、中を見ることができるのだ。
『Lv.199の生産職ですが何か?』
『内政チートが俺に無いなんて嘘でしょう?』
『この世界がアニメだと俺だけが知っている』
直枝はゲーム機でロールプレイングゲームをしたことが無いので、わからないものも多かったがタイトルを探す。
「『異世界で銃を使う100の方法』これなんて……」
直枝は手に取って物語の世界へと入って行った。
数分後、直枝はげんなりした顔で言う。
「序盤で死んで神様が出てきた段階で嫌な予感はしたが、ご都合で銃使って手入れも無しかよ……作者の野郎は何考えてんだ?」
「まあまあ直枝ちゃん、素人が書いた文章だから教養のある作家が書いたのに比べて単調にもなるし、調べ足りてないこともあるよ」
「それに、あの世界の魔法が使えれば俺たちだって楽に戦える」
直枝が読んで感じたことを聞きながら、尚樹は「直ちゃん、酷評するわりにはしっかり内容が頭に入っているんだな」と感心した。
たとえ、否定的な感じ方をしたとしても読者の心に何かを残すことができたのであれば、それは著者の望みではなかろうか。
一番悲しいのは手にも取られずに何の反響も返ってこないことだろう。
直枝は読書家として、よほどつまらない物でない限り最後まで読むことにしている。
そして、最後に思ったことをその本への評価として頭の片隅へととどめておくのだ。
「そろそろひかりちゃんの方へ行かなきゃな、直枝ちゃんはもうちょっとここに居るか?」
「おう、もうちょい見てるぜ」
楽しそうに話す講評を聞き終えると、尚樹は家事コーナーに居るひかりの事を思い出した。
今頃「放っておかれた」と膨れているかもしれないなと思いながらおそるおそる家庭・生活のプレートが貼られた書架へと近づいた。
「あっ、尚樹さん!」
すると書架の陰で見えなかったベンチから不意に声を掛けられて、驚いた。
尚樹は直枝ばかりに構って長いこと一人にしていたことを謝る。
「ごめんよ、ひかりちゃん、結構長くなってしまって」
「大丈夫です、管野さん、楽しそうでしたね」
「まあな、読書好きの人と試読できる本屋に来てはいけない理由がよく分かったよ」
「管野さん、向こうじゃ恥ずかしがって本の内容教えてくれないんですよ」
「そうなん?てっきり本の感想を熱く語ってくれるものだと」
「それは尚樹さんだからじゃないですか?私だとあしらわれちゃいます!」
扶桑では文学を嗜む者は軟弱、男であればその当時で言う“軟派”だとされる風潮があった。
ウィッチになった直枝は男の軍人に「所詮は女か」と侮られたくなかったので文学はこっそりと楽しむことにしたのだ。
ところが、欧州に派遣されてみればそのような風潮はなく、むしろ教養があるとされていた。
しかし誰にも負けない“強い女”を目指していた直枝にとって文学趣味がバレるのは弱い部分を見せるようなものだった。
また、娯楽の乏しい軍隊生活において小説の世界は“逃避先”であってその内容を知られると、こっそりと付けていた日記を目の前で読み上げられたかのような恥ずかしい気分になるのである。
ところが異世界に来てみれば、本屋には多くの人がおり溢れんばかりの本が並べられているではないか。
ここでは誰にも咎められずに堂々と本が読めるという事に気づくと、今までの反動でつい喋り過ぎてしまったのだ。
「直枝ちゃんはまだもう少しかかりそうだね、ひかりちゃんは欲しい本決まった?」
「はい、この2冊です」
「おっ……これかあ……ひかりちゃん、ありがとうね」
「尚樹さん、私、がんばります」
尚樹は節約術の本と新しい料理本を見て、思わずひかりの頭を撫でてしまうのであった。
その様子を見ていた直枝は嬉しそうにしているひかりに、思わず隠れる。
「決まったってのに、出て行きづれえ」
結局、尚樹は直枝の持っていたラノベと文庫本を2冊ずつ、ひかりの家事に関する書籍を3冊買い、店を出たのだった。
駐車料金の無料期間である2時間など、とうに過ぎていた。
娯楽に飢えていると悪役令嬢ものでさえ面白く感じる不思議……
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