ひかりちゃんインカミング!   作:栄光

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※『夜明けの死闘』と入れ替え


夏来たる

 2017年7月2日

 

 7月に入り空梅雨(からつゆ)を抜けるといよいよ尚樹の家の裏山からはセミの声が聞こえ始める、直枝とひかりは半袖シャツに短パンという夏の装いだ。

 居間とひかりたちの洋室には扇風機が据えられ、ここ数日の寝苦しい夜を快適なものへと変えている。

 つい先日まで使っていた春・秋用の木綿のシーツに毛布、枕カバーも洗う。

 脱水してなお重い大物という事もあって、ひかりと直枝は落とさないように注意しながら目線よりも高い竿へと掛ける。

 午前中という事からまだそんなに暑くはなかったが昼にかけて日射が厳しくなってくるのだ。

 昼になるまでに全身を目いっぱい使ってなんとか洗濯を終え、直枝は居間でテレビを見ていた。

 

「ふうーひと仕事やった後の麦茶はいいな、これこそ扶桑の夏ってもんだ」

 

 コップに入った氷入りの麦茶を一気に飲んだところにひかりが台所ののれんから顔を出す。

 

「管野さん、冷蔵庫にアイスがあるので出しましょうか?」

「おーう、頼む」

「バニラと抹茶味どっちにしますかー?」

「うーん、バニラで」

「はーい」

 

 ひかりは麦茶の入ったペットボトルとカップに入ったアイスクリーム2つを持ってテーブルに着いた。

 とても甘く、まろやかでいて冷たいアイスクリームを食べる二人。

 

「アイスうめーな。尚樹のやついつもこんなのが食えるんだよな」

「尚樹さんも『アイスは貴重品、通貨だー』って言ってましたよぉ」

 

 こちらの生活を羨むような直枝にひかりは思わず尚樹が言ってたことを思い出し、それを聞いた直枝は首を傾げる。

 甘味や酒と言った嗜好品が()()や対価となりうるのは最前線で、なおかつ物のない世界だからであってこの豊かな世界であれば値段の差はあれど、どこの店にも置いてあり珍しいものではない。食べたければ家に近い“コンビニ”と呼ばれる店に行けば350円程度で売っているだろうと。

 

「通貨?まだコンビニやスーパーに行ったら売ってるじゃねえか」

「尚樹さんも兵隊やってたからって」

 

 “酒保(しゅほ)”と呼ばれる売店で直枝たちも甘味を買ったし、乗ったことが無いからわからないがリベリオン海軍なんかだと艦内の酒保にもアイスクリームが置いてあるらしいと聞いたことがある。

 初年兵は半年経って検閲を終えるまでそもそも酒保詣(しゅほもう)では許されないし、二年兵は金が無くて酒保に行く時間があっても大したものは買えないし、たとえ金があっても使う時間がほとんど無い。

 

 これは兵隊より高給取りの下士官、あるいはウィッチ様となっても同じことで、中尉になるまでは金が無いのだ。

 古兵の中でも問題児いわゆる“モサクレ”ならば話は別である、彼らは私的制裁やら勝手に外出したりとやりたい放題で、重営倉入りの回数も“箔がつく”というような連中だ。

 直枝も気に食わない上官のテントをふっ飛ばしたりケンカ沙汰などで“モサ”扱いされていたが陸軍の内務(ないむ)班のモサクレに比べればまだ“お上品”なのだ。

 もっとも、直枝の原隊の第343航空隊では“オヤジ”こと源田実(げんだみのる)司令が理解のある人だったがゆえに鉄拳制裁やらそういった悪習が無く、噂に聞く女の園の苛烈で陰湿なしごきを経験せずに済んだのだ。

 欧州派遣となった際に抽出され、東部戦線でたらい回しにされた直枝はあまりの環境、部隊の雰囲気の酷さにくさって荒れた。

 そんな直枝は「生意気だ」とビンタを張られる前に容赦なくぶん殴り、模擬戦の名を借りたリンチにあう前に片っ端から“叩き落して”空にただ一人残ったりとしている間にケンカを売ってくる者は居なくなったのだ。 

 直枝は343空の内務班やいろいろな部隊の内務班を思い出しながら言った。

 

「ああ、そうだったな。兵営の中じゃ食べられねえからか……」

「そうなんですか?船ではいろいろ食べさせてもらえたなぁ」

「おめー、水兵共に奢らせてたのかよ」

「ち、違いますよぉ!ただ特訓の後とかに『差し入れだ』ってくれたんですよ!」

「ホントかよ、孝美はどうしてたんだよ」

「お姉ちゃんが居ないときですよ!」

「……まあ、いいけどよ」

 

 直枝は甘え上手なひかりに鼻の下を伸ばして差し入れを買う水兵たちの姿を見た。

 孝美が居ないときに渡した理由は大体想像がつく、孝美は中尉であるし何より妹に悪い虫がつかないようにニコニコしながらも牽制しているのだ。

 ウィッチとトラブルがあった際に負けるのは水兵の側だ、中尉の妹さんにわざわざちょっかいを出して処分されに行くようなバカ者はまあいない。

 ひかりが一人でいるときは人懐っこさもあってついつい財布の紐も緩くなってしまうのだろう、尚樹なんかがいい例だ。

 そのおかげでいい物が食べられ、服も満足に着られるのだからありがたいことだ。

 

 

 テレビでは昼の奥様を対象にしたグルメ特集に加え、夏休みシーズンの話題が上る。

 

『いよいよ7月、夏休みと言えば帰省や行楽。その前に準備をしませんか?今日は……』

 

 CM明け、風鈴のサウンドエフェクトと共にそんなナレーションが始まった。

 内容としては今年のラッシュの予想やら、この夏に行きたい観光スポットの紹介である。

 

「うわっ、自動車こんなにいるのかよ……まるでカンヅメじゃねえか」

「そうですね……」

 

 直枝とひかりは昨年の帰省ラッシュの資料映像を見て驚く。

 東名高速の下り線を埋め尽くす車はほとんど動かず、強い日差しやエンジンの熱に路面と車体が陽炎を作る。

 新幹線の駅に帰省客が集まり、新幹線にすし詰めになる光景とナレーションに直枝は思わずツッコミを入れた。

 

「何だよ乗車率250%ってよ、100超えてるってことは天井にでも乗ってるのか」

「こんなに人乗って脱線しないんでしょうか」

 

 国土交通省の乗車率の定義であれば、200%までは『圧迫感があるが週刊誌が読める程度』であり、250%でようやく『電車の揺れで体が斜めになって身動きができなくなる』くらいなのだ。

 直枝たちの常識では、列車は過積載をするとブレーキが効かなくなったり脱線転覆し、乗車率100%越えというのは避難民や買い出し列車のように貨車の上までギッチリ乗って圧死者も出る状況の事だ。

 現在では客車の屋根などに乗る“トレイン・サーフィン”は鉄道利用人口と客車の収容能力が釣り合っていないインドやバングラデシュなどの一部の発展途上国で見られるものであり、また先進国では若者たちがスリルや功名心を満たす“エクストリーム・スポーツ”として行い感電や激突などでの死者が出ることもある。

 

 日本においては戦後すぐならまだしも2017年現在においてはほぼ見られない。

 進行方向に向いた柔らかそうな5列シートに明るい車内は、板張りの客車に木の椅子の汽車とは大違いだ。

 速度はというと“走れ超特急”という童謡に歌われるように時速250㎞を超える速さだ。東海道新幹線では最高時速285㎞で営業運転されている。

 N700系新幹線の映像にひかりと直枝は今までに見た“汽車”や“電車”とは違う“新幹線”という鳥のくちばしのようなとても速い列車に興味を持った。

 

「そういやアイツ、帰省とかしないのか?」

「特に何も聞いていませんよ」

 

 

 ____

 

 尚樹が帰ってきて夕飯と入浴も終えるといつも通りくつろぎタイムに入る。

 三人でテレビを見ながら今日会ったことについて話していると、ひかりが「帰省しないんですか?」と尋ねた。

 

「えっ、今年は帰省しないのかって?」

「はい」

「おう」

 

 二人は何かを期待するような目で尚樹を見る。

 元々大阪出身である尚樹の実家があったのは東大阪市であり、2年ほど前に父親の転勤により滋賀県の大津へと移ったがどちらもほどほどの都会であり目新しいものを期待されても困るのだ。

 

「うーん、帰省って言ったってここから2時間くらいだからなぁ。とくに……えっ?」

 

 二人はちょっとだけ残念そうな雰囲気になり、尚樹は二人のガッカリポイントは何だろうかと考え始める。

 その様子を察した直枝は言いづらそうに、尋ねる。

 

「その、“新幹線”っていうのは使わねえのか?」

「すみません!尚樹さん。お昼のテレビで“新幹線”っていうのがやっていて……」

「ああ、そういう事か。二人は帰省に新幹線に乗りたいのか」

「つ、使わないならいいですよ!私達留守番するので、帰ってあげてください!」

「お、おう。家族水入らずで親孝行するといいぜ。うちは俺達が守るからよ」

「いや、ちょうどいい機会だから一緒に帰省も兼ねて遠出しよう」

 

 ようやく察した尚樹は帰省の予定をどうしようかと考える。

 最近の情勢もあって両親からは「たまには顔を見せろ」という電話もあり、おそらく弟は駐屯地から出られないだろうから帰らないといけないだろう。

 観光も兼ねて実家に二人を連れ帰るとして両親や弟にどう説明しようか、車で帰省する代わりに電車に乗ってみようとか浮かんだ。

 

「本当に私達がついて行っていいんですか?」

「おいおい、列車や高速道路?ってのも結構金掛かるって言ってたぞ」

 

 ひかりは尚樹と一緒に出掛けて新しい発見ができるのを楽しみにしているが、やはり一家団欒の場に見知らぬ自分たちが行くのはお互いに気を遣うだろうと問いかける。

 直枝は夏のボーナスや給料がまだで、最近ひかり主導の節約生活に入っていることを知っており、3人分の特急列車にお金を使うのはもったいないと考えて遠慮する。

 

「高速はともかく電車賃はナンボなんやろうな」

 

 尚樹はスマートフォンの乗り継ぎ案内アプリを開いてどれくらいかかるのか確かめる。

 バスで河内長野駅に行って南海高野線に乗って難波に向かい市営地下鉄御堂筋(みどうすじ)線を使って新大阪へ。京都駅までの間を山陽新幹線で行って東海道本線の大津駅で降りるというルートも考えたが、いかんせん金と時間がかかる。

 とくに新幹線は乗車券と特急券の二枚が必要で、新大阪から京都の一駅区間だけで乗車券は560円、特急券は2260円して計2820円、それが3人分で8460円するのだ。

 それに南海電車と地下鉄の運賃830円×3人分の2490円を足せば10950円となる。

 異世界からやって来たのだ、色々なことを体験させてあげたいと思うが、出費がかさむのは厳しい。

 割引料金や指定区間などを考慮しなくてもこれだ。

 

 なお、高速を使えば美原北インターチェンジから大津インターチェンジまでETC料金で2470円であり、出発前にパジェロに継ぎ足すハイオクガソリン30Lの4470円と合わせても6940円である。

 

 __やっぱり、自動車の方が安上がりだ。

 

「スマートホンって何でも出てくるんですね!いいなぁ」

「すげーな、見た目は板みたいなのに。どうなってんだ」

 

 運賃や高速料金の計算やら経路と所要時間の確認を横で見ていたひかりと直枝は驚く。

 “頭のいい電話機(スマートフォン)”にてっきりウィッチのインカム程度の通信機器だと思っていたものが実はいろんな情報飛び交うインターネットに接続できる情報機器だとは思いもしなかったのだ。

 テレビなどでも使用する様子をたびたび見るが何をやっているのかいまいちよく分かっていなかったがゆえに実際に目の前で操作されるのを目にすると「うわぁ、すごーい」という驚嘆の声しか出ない。

 

「インターネット、世界中のいろんな人と情報を共有する掲示板みたいなところにつないで情報を得ているんだよ」

「うーん、よくわかりません!」

「電波に乗せて喋る、ナイトウィッチのおしゃべりみてーなもんだろ」

「うーん、直ちゃんのイメージに近いかな」

「写真や文章が出てくる分、こっちの方がすげえぞ」

「二人とも、触ってみるかい」

「いいんですか!管野さん、お先にどうぞ」

「お、おう」

 

 直枝はスマートフォンを手に取るとこわごわ画面を動かす。

 まるで本のページを繰るかのように画面が動き、検索サイトの検索結果を開いては閉じ、開いては閉じといろいろなところを閲覧する。

 操作に夢中になっている様子を見て尚樹はネット小説や電子書籍なんかを勧めたら熱中し、そうなると二人分契約しないといけないのでネット小説については言わなくていいなと思った。

 一方、ひかりはというとカーナビのタッチパネル操作をしていたのでスワイプ操作は出来るし検索もお手の物だ。

 しかし、カーナビなんかとはケタが違う情報量で、綺麗な画像を表示すること、電話もできる“スマホ”に興味津々だ。

 

「尚樹さん、いつもこれで電話をくれるんですよね」

「うん、そうだよ」

「受話器もダイヤルもないのにどうやって電話してるんですか?」

「ああ電話番号検索やったことないんだったね、とりあえず電話してみようか」

 

 尚樹は直枝から携帯電話を受け取ると、二人の前で電話を掛ける。

 画面にボタンが表示され、尚樹は電話帳発信ではなく自宅の電話番号をわざわざ入力して発信ボタンを押すと、居間の電話が鳴り始める。

 

「ホントにかかってやがる!」

「いいなあ」

 

 二人のスマホ初体験は驚きと興奮をもって行われ、本題に戻る。

 

「今年の夏は、車で帰ろうか。琵琶湖の南なら色々あるよ」

「琵琶湖ってどこでしたっけ」

「ひかり、琵琶湖って言ったら扶桑一大きい湖だぞ、滋賀だ」

「そう、滋賀県。俺の居た戦車大隊は琵琶湖の西で山ばっかりだ」

 

 地理に疎いひかりに、直枝は何言ってんだ常識だぞとばかりに言った。

 尚樹は湖西に位置する滋賀県高島市今津町平郷国有地付近の様子を思い出しながら続けた。

 あそこは演習場かマキノ町のスキー場やポプラ並木くらいしかない山の中で、遊ぶには南の堅田(かただ)やら大津、京都に行かないと何もない。

 

「滋賀か、安土城が見れるな」

「歴史の授業でやりました!天下統一した織田信長の作った城ですよね」

「確か信長って明智光秀に謀反を起こされて本能寺で自害したんだよな」

 

 ひかりの発言に尚樹はふと気になって歴史上の人物について尋ねてみた。

 

「えっ?」

「こっちじゃ西に逃げて秀吉と天下を数十年取ってるぞ」

 

 ひかりと直枝の様子に、尚樹は何か間違ったこと言ったっけと不安になった。

 だが、すぐに直枝とひかりがフォローに入った。

 

「こっちじゃそうなってんのか。まあ南洋島も扶桑もない世界だしそういう事もあるよな」

「そうですよぉ、私なんか扶桑の歴史ですらよく覚えてません!」

「おめーはもっと勉強しろ!」

「二人ともありがとう、日本と扶桑が別の歴史を持った国だという事がわかっただけでも十分だ」

 

 

 零式艦戦やら同名の人物もいるという事で忘れそうになっていたが、国名の違いだけではなく全く異なる歴史をたどった国だったのだ。

 尚樹は両親に会わせるにしても、どうせ深く突っ込まれたらボロが出るだろうし深く考えないようにしようと決めた。

 ネウロイの襲撃もあったことだし、そのどさくさでやって来たという真実路線でいくのも良いかもしれない。

 

「8月になったら休みが取れるから、それまでに帰省の準備しておくよ」

「私たちはどうしたらいいんですか?」

「うーん、二人は自己紹介でも考えておいてよ」

 

 ひかりの質問に尚樹は自己紹介でいいかと決めた。

 父も母も自己紹介にいきなり怒りだしたりはしないだろうと。

 

「自己紹介って……官姓名でも名乗るのかよ」

「まあ俺が前振り考えておくからその時までね」

「大丈夫かよ」

「たぶんね。親父は細かいこと気にしないような人だしな」

「尚樹さんのご両親って何されてる方なんですかぁ」

「親父は重機の会社勤め、かーちゃんは専業主婦だよ」

「専業主婦……私も頑張らなくちゃ!」

 

ひかりは拳をギュっと握り込む。

直枝は何の対抗意識だよと思いながらも突っ込む。

 

「おい、ひかり。結婚するわけじゃねーんだから楽に行けばいいんだよ」

「け、結婚……菅野さん!」

「結婚かぁ。ひかりちゃんはいい奥さんになれるよ、自信もって」

「は、はい!ありがとうございます」

 

 赤くなるひかりと尚樹に直枝はこれで付き合ってねーのかよと心の中でツッコミを入れる。

 だが、同時にいつか来る帰還のチャンスにどう向き合っていくのかということに考えが至った。

 

 越境して1週間、動きはない。今、仲間たちはどうしているののだろうか。

 

 そんな直枝をよそに、ひかりと尚樹は照れつつも料理のここがよかったとか、掃除のここがうまいとかそういう普段の生活についての話を始める。

 直枝は気恥ずかしさと、二人を待つ未来に対する思いから寝室に引っ込むことにした。

 

「ひかりのやつ、こっちに残るのかよ。でも帰るとなったら……ああっ、クソっ」

 

 布団の中で直枝はあれやこれやと考えては頭を抱えるのだった。

 

__こうして、尚樹たちは給料日まで節約しつつ、帰省に向けて準備をすることになった。

 

 




就活やらなにやら予定がギッチリで投稿がかなり遅れました。

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