ひかりちゃんインカミング!   作:栄光

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自動車用語の説明や表現のミスとかいろいろ後で修正が多くてすみません。



点火

 ひかりは朝方まで泣いて痒い目を擦りながら布団から出た。

 時刻は午前5時30分、ペテルブルグ基地における起床時刻まで30分もある。

 ここはペテルブルグ基地であって自分は不思議な夢を見ていたのではないかと思ったが、全体的に柔らかい寝具と頭が沈みこむ不思議な感触の枕が現実であると教えてくれた。

 

「泣いてちゃダメだ……」

 

 そう、自分に言い聞かせるように言うと、昨夜使った洗面所に向かう。

 そこで、髭を剃っていた尚樹と鉢合わせした。

 

「おはようございます、尚樹さん」

「おはよう、その、目を冷やすといいよ」

「ありがとうございます」

 

 尚樹は気を使ったのか、深く詮索せずに洗面所を出て行った。

 鏡に映った顔は目の周りが赤くなったひどい顔だった。

 こんなに泣いたのは、フレイヤー作戦直前に孝美との勝負に負けて第502統合戦闘航空団を去り、カウハバ基地へと行くことになった時以来かも知れない。

 赤く腫れたまぶたをしばらく冷やして赤みが引いた頃、居間の方から良いにおいが漂ってきた。

 顔を洗ったひかりが居間に行くと、尚樹がテーブルに朝食を並べているところだった。

 彼はすでにジャージから制服である暗いグレーに白いネームが入ったツナギ姿に着替えていた。

 

「わぁ、みそ汁に納豆、焼鮭、銀シャリなんて久しぶりです!」

「まあまあ食べて、食べて」

「……はい」

 

 ひかりは明るく振舞おうとするが、声が震えている。

 尚樹はそんなひかりの様子には触れず、昨日の昼と変わらない調子でひかりを促した。

 

「食べながらで良いから聞いてくれ、俺は今日から仕事があるんだ」

「はい、何をしたらいいですか」

「そこでひかりちゃん、お留守番を頼みたい」

「わかりました」

「まあ、一人で家に居るのも退屈だろうから、テレビを見るなり俺の部屋のマンガを読むなり好きにしてていいよ」

 

 心の整理がつかず、すこし暗い様子のひかりの気を紛らわせようと尚樹は朝一番でダンボールに入れっぱなしで放置していた漫画本を自室の本棚に並べたのだ。

 ただ題材が「引きこもりが隣室の後輩とエロゲを作ろうとする話」とか「最終兵器に改造された彼女の話」とかなんともツッコミどころのあるラインナップだった。

 

「ごちそうさまでした、お仕事がんばってくださいね」

「ありがとね。ひかりちゃんも休暇だと思ってくつろいでよ」

 

 手早く二人分の食器を洗った尚樹は、ひかりに見送られて家を出た。

 

 外環状線を南下して泉大津方面へと車を走らせる。

 朝の時間帯になると南海本線を跨ぐ高架橋付近が異常なまでに渋滞するのだ。

 この渋滞を抜けるころには7時半くらいになっており丁度始業時間の20分前くらいに到着するようになっている。

 信号を同じ位置で数回見送りながら、尚樹はカーステレオでFMラジオを聞く。

 いつものラジオパーソナリティが軽妙なトークと共にリクエストのあった音楽を流す。

 曲が終わり、ニュース紹介があった後にパーソナリティが気になったニュースについて触れる。

 

『昨日、大阪南部で朝6時20分ごろ、4分間の大規模な電波障害があり、総務省は原因を調査中とのことで……』

 

 尚樹は電波障害のニュースを聞き、その時刻に心当たりがあった。

 ちょうど、ひかりがやってきたと思われる時刻である。

 偶然の一致か、あるいはひかりをこの世界へと送った何らかの力のせいなのか。

 尚樹は後で電波障害について詳細を調べようと思ったのだった。

 

_____

 

 車を持ち上げるリフトが4基あり、6台まで入る整備工場に、小さな事務所が併設された建物が尚樹の仕事場である。

 

「おはようございます」

「おはよう、オヤジ今日は出勤日やって」

 

 挨拶しながら事務所の引き戸を開けると、くたびれたソファーに深く腰を掛けている男が振り向く。

 寝癖を赤いバンダナで圧している彼は重松陽平(しげまつようへい)である。

 シゲマツ自動車の創業者にして社長である重松陽士郎(しげまつようじろう)の息子で、武内尚樹がシゲマツ自動車へとやってきたのも彼の誘いがあったからである。

 

「そうか、お前一日中怒られっぱなしになるな」

「やめろよ、美月(みづき)への愛情をちっとは分けてくれたってええやんか、なあ」

 

 陽平は愛娘に対する父親の可愛がり方と、実の息子に対する厳しさの格差がひどいと訴える。

 

「おいおい、しっかりしてくれよ“次期社長(跡継ぎ)”」

「俺よりお前の方が腕良いし、おやじも目を掛けてるぞ」

「マジか、でもお兄さん方が納得するかな?」

「いいや、兄さんらからしたら俺らどっちもヒヨッコだしなあ……」

 

 尚樹と陽平はそんな雑談をしながら、奥のロッカーに鞄を入れて、始業準備を始める。

 そこに次々と先輩の整備士たちが出勤してきた。

 

 泉佐野市の一角にある自動車整備工場、シゲマツ自動車は従業員13名の小さな会社である。

 社長に、2人の営業、事務の女性社員2人、そして尚樹と陽平含む9人の整備士がいる。

 平均年齢は34歳で、尚樹と陽平が自衛隊から転職してくるまでは最年少が31歳と全体的に中高年が主力の職場で、昨今の自動車業界における若手不足の代表例みたいな職場であった。

 

 午前8時。

 年季の入った作業帽に鋭い眼光、50代後半とは思えない引き締まった身体の男が事務所に入ってくる。

 彼が重松陽士郎社長である。

 孫娘の前では鼻の下を伸ばすおじいちゃんであるが、ひとたび現場に出れば厳しい“鬼の整備主任”となる。

 それでもベテラン組に言わせると「だいぶ丸くなった」のだ。

 

「おはようございます」

「おはよう、みんな揃っとんな、朝礼やろうか」

 

 社長の到着と同時に朝礼が始まり、伝達事項や、クレームの内容などを全員で共有する。

 

「今日も事故無く行くぞ!」

「はい!」

 

 朝礼最後の社長の号令に応え、整備士たちはそれぞれの割り当て作業に散って行く。

 尚樹は早速、先週土曜日に入った出力不足のトヨタ車に取り掛かる。

 燃料をシリンダー内に噴射するインジェクタがススで汚れて、適切な混合気が作れていなかったのだ。

 インジェクタを洗浄し、試運転や外部診断機でその他の異常がないことを確認すると次の仕事に取り掛かる。

 

 昼前になった時、緊急で始動不良の車が積車(せきしゃ)に乗せられて持ち込まれ尚樹のもとにやってきた。

 見ただけで走り屋漫画に登場するような旧車と言うのがわかり、尚樹は焦る。

 なにせ、現在の整備士の教本から燃料を負圧で吸い出し、気化させて混合気を作る“キャブレター”はとうに消えている。

 燃料は気筒内直接噴射式(ダイレクトインジェクション)とインテークマニホールド内噴射の2つと紹介されているのだ。

 そしてこの仕事についてからもほとんどがインジェクタ化、電子制御化された90年代以降の車であり、旧車は触ったことが無かったのだ。

 工場や事務所を探すが間の悪いことに動ける人がおらず、仕方がないので社長に声を掛けた。

 

「おやっさん、キャブ車来たんですけどどうしたらいいですかね?」

「おう、キャブか、正彦(まさひこ)がええな」

「マサさんは今、外に試走に行ってます」

「おう、じゃあ他居らんから俺がやったる、たぶんカブっとるからプラグ変えとけ」

 

 尚樹がボンネットを開けると、現代の車にはもう無いデストリビューターから高電圧を流すハイテンションコードが4気筒分伸びており、先端のプラグキャップがシリンダヘッドカバーに突き刺さっている。

 プラグキャップを引き抜いて取り外した点火プラグを見てみると黒く湿っていて、燃料過多で火が消えていることがわかる。

 適切な時期に強い火花を放つ点火系のチェックの後は、よい混合気を作る燃料系・吸気系のチェックに入る。

 

 空気を吸うラッパのようなものが4つ付いていて、それがキャブレターである。

 キャブレターはラッパの口から吸った空気の流れでガソリンを吸い出して、燃料と空気の混合気を作るのだ。

 尚樹は社長がキャブレターをあっという間に修理し、手を当て吸われる感覚で空気吸入量を診て、アイドル調整スクリューを回してセッティングしている様子を間近で見る。

 アイドリング時の回転数が増えたり減ったりと不安定になると回し、全ての気筒分を合わせて一定の回転速度になるようにする。

 これぞ熟練の技であり、尚樹たちのような平成生まれの整備士が出来ない芸当である。

 

「ECU制御と違ってキャブはエンジンの声を聞いたらんとアカン」

「おやっさん、すみません、ありがとうございます」

「ええよ、いきなりは出来へんしな、次行け、次」

 

 そう言いながら社長はスロットルワイヤを引っ張ってスロットルの弁を開閉させてエンジンを吹かす。

 どうやら社外品のキャブレターを組んだオーナーがセッティングをミスってプラグが失火、エンジンが掛からなくなった様だ。

 音の静かなハイブリッドカーの車検前点検をしている横で、キャブ車の独特のサウンドが響き渡り、若そうなオーナーに引き取られていった。

 

____

 

 

 

 尚樹が仕事をしているとき、家に一人残されたひかりはずっと家族や502のことを考えていたが、疲れたので気分を紛らわせようとテレビをつけた。

 

『お昼のニュースです』

 

 ひかりはニュース番組を見て、いろいろな場所での出来事が映像で瞬時にわかることに驚いた。

 趣味の一つとなっていた姉の新聞記事集めにしても、手元に届くより大分前の出来事についてであり、速報性は無い。

 従軍記者や現地特派員が扶桑に写真や原稿を持ち帰るまで早くて2週間かかり、大概は2か月ほど前の情報なのだ。

 特に扶桑はアフリカやブリタニア、スオムス、ガリア、オラーシャと世界各国に出兵しており、アフリカやスオムスにおいては3~4か月かかることも珍しくなかった。

 これらは電信技術が未発達だからであり、民間人の交通手段は船便が主流でネウロイの状況に大きく左右されるものであった。

 

『7日午前11時頃、岐阜基地のF-4戦闘機が消息を絶ち、現在航空自衛隊は周辺地域の捜索を……』

 

 ひかりは戦闘機の乗員が行方不明と言われていることに対して、自分も向こうの世界では行方不明者として捜索されているはずだと思った。

 おそらく、皆が自分を探しているだろうと。

 

 管野さんは無茶な出撃をしていないだろうか?

 ニパさんは墜落して二重遭難になっていないだろうか?

 ロスマン先生は自分を責めてはいないだろうか?

 サーシャさんとラル隊長のお仕事も増やしてしまったに違いない。

 ひかりは皆に申し訳ない気持ちになると共に、部隊のことがいろいろ不安になった。

 

『10日の午前6時15分ごろ、大阪府南部で大規模な通信障害が発生しました』

 

 ひかりはニュースを見ていたが、来たばかりでこの世界についてわからないことも多かったのでテレビの電源を落とすと、自室に戻る。

 

「尚樹さんは、19時過ぎにならないと帰ってこないんだよね」

 

 16時までは補導のリスクを下げるために家からあまり遠くに出られないため、ランニングコースを走るわけにもいかず、ひかりは時間を持て余していた。

 部屋の整理整頓をしてみたり、漫画を読んでみたりしたがすぐに読み終わってしまい、結局、被せてある整備毛布を剥ぎ取ってストライカーユニットを眺めることにした。

 

「ねえ、チドリ、私、帰れるかな……」

 

 愛機に話しかけるが、ユニットは何も言わない。

 ただ、相棒が点火してくれるその時を待つばかりである。

 

_____

 

 19時くらいに車の音がして尚樹が帰ってくると、ひかりは玄関に向かう。

 

「ただいま」

「おかえりなさい!」

 

 ドアを開けた時にひかりが待っている様子に、尚樹は何故か犬耳が生えて尻尾をぶんぶんと振っているように見えた。

 もっとも、ひかりは魔法力も何も使っていないので尻尾と耳は出ていないし、使い魔は扶桑リスだ。

 

「ひかりちゃん、晩ごはんにしようか」

「はい!今日の晩御飯は何ですか?」

「買ってきたブタ玉でお好み焼き定食だ!」

「お好み焼きって初めて食べます、どんなのかな?」

 

 発泡スチロールのケースに入ったお好み焼きを皿に出して、電子レンジに入れる。

 そして、前もって予約しておいた炊飯ジャーからご飯を茶碗に盛り付ける。

 これで“お好み焼き定食”は完成だ。

 

 大阪においてお好み焼きは“おかず”であって、別にご飯が付いてくるのである。

 

「いただきます」

 

 二人は手を合わせてお好み焼き定食を食べる。

 

「ソースと豚肉の味がするやろ、そこでご飯を食べる」

「はい、美味しいですね。こんな食べ物があったんだ!」

「昔、これより質素な一銭洋食なるものがあったらしいね」

「一銭で食べられるんですか?」

「駄菓子屋とかで売ってたらしいよ」

「うちの近くの駄菓子屋には無かったなぁ」

「大阪とか京都が発祥って説もあるし、佐世保には浸透してなかったのかな」

 

 小麦粉を水で溶いて焼く、いわゆる粉物(こなモン)の歴史について話しながら二人は食べ終え、流し台に立った。

 

「晩が店屋物ですまんね」

「大丈夫です、私が料理出来たらなぁ……」

「俺は女の子に家事を強制する気はさらさらないよ」

「違うんです、家に居るとやることが無くって……」

「やることがない、か」

 

 ひかりが申し訳なさそうに目を伏せるのを見て、尚樹は帰りの運転中に考えていたことを言おうと決めた。

 

「ひかりちゃん、いいかな」

「何ですか?」

「ひかりちゃん、帰りたいかい?」

「……帰りたいです、帰ってみんなに会いたい!」

 

 ひかりは尚樹の問いかけに、堪える。

 気を抜けば泣き出しそうになる、すでに目じりに涙が溜まり始めていた。

 尚樹はひかりの目を見て、「話そう」と決断した。

 

「帰れるかどうかわからないけど、可能性はある」

 

 これは、あるかどうかわからない可能性を提示しひかりに僅かな望みを持たせる残酷な話である。

 

「ひかりちゃんが来た時刻に、大阪では謎の電波障害が起こった」

「電波障害?」

「そう、ラジオがどこかと“混信”し、ロシア語のようなものが聞こえてすぐ雑音に変わったらしい」

 

 尚樹は複数の報道番組や、ニュースサイトを見て電波障害についての情報を集めたのだ。

 ネット上にはロシアによるジャミング、あるいは電離層に何かあったのではないかと言う憶測が飛び交っていたがいずれも決定的な証拠は無く今のところは原因不明とされていた。

 

「それがどうしたんですか」

「ひかりちゃんの所属部隊は何所に居たんだっけ」

「オラーシャのペテルブルグです……あっ!」

「そう、オラーシャ語じゃないのかってね」

「……でも、私はどうしたらいいの!」

 

 尚樹が“オラーシャ”を“ロシア”と呼んでいたことを思い出した。

 ただ、それは来た時の話であって、帰るためにその情報がどう活きてくるのかわからず、ひかりは悲鳴のように言った。

 

「俺たちに出来ることはと言うと、電波が乱れていつか帰れるときに備えて準備しておくことだけだ」

 

 いつ電波障害が起こるかわからない。もしかして二度と起こらないまま年月が過ぎていくかもしれない。

 電波障害が起こってもどのように帰ればいいかわからない。

 

 これは賭けにもならない賭けで、こんなものにチップを賭けるやつはよほどのバカ者、楽天家か、切羽詰まっているやつのどちらかである。

 ひかりも尚樹も後者であり、とくにひかりは運命を左右される当事者である。

 だが、「いつか帰る」という目的意識が生まれ、ひかりは「この話に乗ろう」と決意した。

 

「ひかりちゃん、いつか帰れるようにやれるだけのことはやろう」

「はい!やってみなくちゃわかりません!」

 

 涙ぐんでいても、強い意志の篭った目で見上げるひかりを尚樹はとても綺麗だと思ったのだった。

 


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