(完結)鉄血の子リィン・オズボーン   作:ライアン

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筆者は英雄伝説~銀河の軌跡~(正式名称:銀河英雄伝説)に多大な影響を受けております。
そのため文章やオリキャラの名前でどこか見たことがあるという印象をもたれるかもしれませんが、それは十中八九銀英伝由来のものです。


鉄血の子の青春時代-Thors Military Academy 1203-
鉄血の子の入学


 七耀暦1203年3月31日 帝都ヘイムダル近郊都市トリスタに一人の少年が現れた。端正な顔立ちに引き締まった肉体、そして強い意志を瞳に宿したその少年の名はリィン・オズボーン(…………)

 この春、ここトリスタに存在する大帝縁の名門トールズ士官学院へと次席で入学した、かの鉄血宰相ギリアス・オズボーンの実の息子にして後に灰色の騎士と謳われる事となる若き英雄の卵である。

 

 

(ここがトリスタ……父さんと、クレア姉さんの母校トールズ士官学院のある街か……)

 

 満開のライノの花に見惚れながらもリィンは颯爽とした様子で校舎への道を歩んでいく。この町の住人にとってはこの季節の風物詩なのだろう、「入学おめでとう」と口々に声をかけてくる。そんな住人達に失礼のないようにリィンもまたにこやかに挨拶を返しながら歩みを進めていくと、泣きながら何かを探している子どもと、そんな子どもを「大丈夫だよ、きっとすぐに見つかるからね」などと優しくあやしながら一緒に何かを探している様子の、おそらくは同じ新入生なのだろう、平民出身である事を示す緑色の制服に身を包んでいる少女に出くわした。

 

(最少入学年齢の15歳、と言ったところだろうか)

 

 トールズ士官学院は平民も貴族も問わず幅広い人材を求めている、新入生の年齢は基本的には17歳が一番多いが、自分のように16歳で入学してくるものや最年少である15歳で入学してくる者もいる。リィンの目の前の少女は到底彼より年上には見えない、そもそも制服を身に纏っていなければ13歳程度だとリィンは思ったことだろう、のでリィンはそのように考えた。

 

「どうかしたのかい?」

 

 務めて威圧的にならないように優しい声を心がけて、リィンは目の前の二人へと声をかけた。軍人は民に優しく在るべし、そんな父から教えを忠実に実践すると同時に生来のお人良しさを発揮して。そんなリィンに目の前の少女は一瞬驚いたような顔を浮かべた後に

 

「あ、ええっと……この子が指輪を落としちゃったみたいなんです」

 

「お母さんにお願いして貸してもらった大切な指輪なの……なのに……なのに無くしちゃったりしたら……」

 

 じわりと目に涙を溜めて今にも泣き出しそうな様子の子どもを少女は再び必死にあやし出す

 

「そういうことならば俺も手を貸すよ。幸いな事に入学式までにはまだ時間があるし、一人よりは二人でやった方が効率が良い」

 

「わ、ありがとうございます。それじゃあ、お互いなんとか入学式に間に合うように頑張りましょう!」

 

 そうして三人で探し始めて5分ほど、幸いな事に探していた指輪は無事見つかり、笑顔で手を振りながら告げられるお礼の言葉を聞きながら二人はその場を跡にするのであった……

 

「手伝ってくれてありがとうございました! 私はトワ・ハーシェルって言います。ご無礼じゃなかったら、お名前を聞かせて頂いても良いでしょうか?」

 

 手伝ってくれた親切な人だからきっと良い人なのだろうとトワと名乗った少女はリィンへと問いかける。そんな認識となっても大よそ同世代の相手に話しかけるような態度ではない、敬語口調なのはリィンが貴族生徒の証である白服を身に纏っているからだろう。実際皇帝陛下直々に父に爵位が賜った以上、オズボーン家はれっきとした貴族となっており、父ギリアスが亡くなりでもすれば自動的にリィンがその跡を継ぐことにはなるのだが、平民として育ち、5歳の頃からそれこそ兄弟のように育った親友も平民、親交のある人物も大体改革派に所属しているリィンにしてみると貴族として扱われるのは聊か以上に不本意であった。だがよもや皇帝陛下から直々に賜った爵位を迷惑などと言うわけにもいかず、やり場の無い鬱憤を抱えながらリィンもまた応じる

 

「ああ、敬語は別に不要だよ。一応貴族ではあるものの、俺も父も心は平民のままだからね」

 

 仮に自分が父の跡を継ぐとしてもその時はギリアス・オズボーンの息子だからという理由ではなく、リィン・オズボーンだからこそ相応しいと周囲に思って貰えるようになりたいとリィンは願っている。未だ尊敬する二人の父は愚か、氷の乙女との異名を持つ姉の背中も程遠い状態だが、やがては姉にも頼ってもらえ、父に自慢の息子だと言ってもらえるようになって見せるとリィンは改めて決意する。そうしてリィンは務めて柔和な笑顔を浮かべながら己の名前を目の前の級友となる人物へと告げる

 

「俺はリィン・オズボーン。これから2年間よろしく、ハーシェル」

 

 

「そっか、リィン君は軍人になるつもりなんだ」

 

 あの後オズボーンというリィンの家名にトワが驚き、リィンとしてはトワが自分よりも年上であったという事実に負けず劣らず驚いたのだが、そんなトワに対してあくまで父の功績は父が為したものであり現状の俺は君と同じただの士官学院生だからあまり畏まらないで欲しいと告げたところ、そういうことならばと互いにファーストネームで呼び合うこととなった二人は歩きながらも言葉を交わして親交を深めていた。

 

「ああ、軍人になるのは俺の小さい頃からの夢でね。世話になった人達は皆尊敬出来る立派な軍人だったし、その人達のようになって少しでも父の力になれるようになりたいと思ってね」

 

「立派な目標だね、リィン君だったらきっとなれるよ。でも少しだけ意外かな、リィン君みたいに明確に軍人を目指している人って大体中央士官学院に進むのが一般的だから」

 

 トールズは大帝縁の名門士官学院ではあるが近年は大分軍事色も薄まっており、どちらかと言えば名門高等学校としての側面が強くなっている。卒業時の階級も准尉からスタートと中央士官学院の卒業生が少尉からなのに対して一階級下からのスタートである。だからこそリィンのように最初から軍人としての栄達を目指している人間の場合は中央士官学院へと進むのがどちらかと言えば主流である、そんな事情から疑問を呈するトワにリィンは苦笑しながら答える

 

「ああ、それなんだけど、俺の周囲の人達曰く俺はもう少し軍人以外の視点も養ったほうが良いんだってさ」

 

 きょとんとした様子のトワに対してリィンはかいつまみながら自分の事情を説明する。自分の周囲は軍人の人ばかりだったのだと。リィンにとって尊敬する父ギリアスは元々は軍人であった、そんな父の部下であり、もう一人の父とも言えるオーラフ・クレイグ将軍も、そしてその部下たるナイトハルト少佐も、姉のように敬愛しているクレア大尉も、剣の兄弟子にあたるミュラー・ヴァンダールも彼が幼少期から出会ってきた尊敬する大人達はその大半が軍人であった。

 だからこそリィンはトールズにするかどうかは寸前まで迷っていたのだ、尊敬する父と姉の出身とはいえ近年のトールズは未だ卒業生の6割が軍人になるとはいえ、軍事色が薄まり名門高等学校としての側面が強くなっている。明確に軍人を志している自分などはあるいは、それこそ帝国軍中央士官学院に進むのがあるいは一番の近道なのではないか、と。そんなリィンにアドバイスしてくれたのは他ならぬトールズの卒業生であるクレアであった

 

「確かにトールズ士官学院はともすると迂遠だったり、軍人になるにあたっては余分と言えるものにも時間を割いています。芸術の時間や部活動などはその顕著な例かもしれませんね。ですが、そのある意味では余分とも言える時間が大人になってみると案外役に立ったり視野を広げる事に役立ったりするものなんですよ。リィンさんみたいに真面目で幼い頃から軍人に囲まれて育ったような人ならば尚更に」

 

 幼い頃から軍人になることを目指し、暇があれば勉強か剣術の鍛錬かと言った様子であった弟のように思っている少年の、聊か真面目すぎる部分を気にかけて、出最短距離を行くだけが人生ではなく時には寄り道をしたり、どちらの道に行くか悩んだりすることも大事なのだと、クレアは告げて

 

「これは軍人に限ったことではありませんが、組織の中にいると人はどうしてもその組織がさも世界のように錯覚してしまいます。ですが経済と政治から切り離された軍事などというものは大よそ存在しえません。そういう意味では軍事だけに留まらずより広範な知識を得られ、軍人だけではなく様々な分野へと人材を輩出しているトールズに行くのはきっとリィンさんにとっても大きな+になると思いますよ」

 

 優しく微笑みながらそんな事を告げる敬愛する姉の言葉が結局最終的な決定打となり、リィン・オズボーンはトールズへの入学を決意したのであった。

 

 閑話休題

 

「ちなみにそういうトワはどうしてトールズに?」

 

 全てを語ったわけではないが、自分の事情をかいつまみながら話し終えたリィンは世間話の延長とばかりに目の前の少女へと今度は疑問を投げかける

 

「私はお祖父ちゃんが学者だったから昔からもっと色んな事を勉強したいと思って、それで奨学金制度が充実している士官学院でありながら、軍事だけじゃなくて色んな事を学べる此処にしたって感じかなぁ。……リィン君みたいに立派な目標がある人に比べると恥ずかしい理由だけどね」

 

 どこか申し訳なさそうにするトワに対してリィンは苦笑して

 

「いや、親御さん思いで立派じゃないか。俺なんてそれこそ学費なんて気に留めたこともなかったし、それどころか優秀な家庭教師をつけてもらえる位に恵まれた立場だったんだから、家族の事を思って努力したトワの方がよっぽど立派だよ」

 

 リィンにとっては軍人となるのは小さい頃からの目標であり、夢であり、憧れであり、当然(……)の事であった。だからこそ士官学院に進むのは夢への第一歩であり、そこで味わう苦難は全て覚悟の上甘受して当然の事である。だがトワは家族に負担をかけないために、士官学院を選んだのだ。

 如何に軍事色が薄れたとはいえ、それでもトールズは正規軍名誉元帥が校長を務めているれっきとした軍人の養成所なのである。当然そのカリキュラムは通常の学校に比べればはるかにハードとなっている。だがトワはそんな苦難を家族のために甘受すると決めたのだ、自分の夢のためというあくまで自分本位な理由によってトールズを選んだ自分に比べれば目の前の少女の方が立派だろう、そんな感想を抱いて賞賛の言葉をリィンは述べる

 

「そ、そんな事無いよ~今から立派な目標を持ってそれに向かって努力しているリィン君の方がはるかに立派だよ」

 

「いや、軍人になるのは俺自身の夢なんだから結局俺のやっている事なんて俺自身のためさ、夢や目標に向かって努力するなんて当然の事なんだから家族のために頑張っているトワの方が立派だよ」

 

「そんな事言ったら私だって私自身が勉強したくてトールズを選んだんだもん。やっぱりリィン君の方が立派だよ」

 

「いやいやトワの方が」

 

「ううん、リィン君の方が」

 

 何故か互いに相手の方が自分よりも立派なのだと主張しあうという奇妙な意地の張り合いを始めだした二人。互いに頑張ろうで済ませれば良いのに、何がそんなに気になるのかどちらも過剰に相手を持ち上げ続ける、あるいは学院に到着するまで、このまま延々とそんなやり取りを続けるのではないかと言ったところで……

 

「いや、どちらも立派って事で良いんじゃないかな」

 

 二人の後ろから凛とした声が響いた

 

「少なくとも、モラトリアムとして来た放蕩娘である私などよりは余程ね」

 

「えっと……」

 

「君は……」

 

 肩をすくめて自嘲の笑みを浮かべながら話しかけてきた白服を纏ったその少女に困惑の声を挙げた二人に対して

 

「おっといきなりで驚かせてしまったかな。私はアンゼリカ・ログナー、二人と同じトールズ士官学院の新入生さ。これから二年間よろしく頼むよ、二人とも」

 

 アンゼリカと名乗った少女はウインクをしながらそんな風に告げるのであった。

 

 

「えっと……アンゼリカさんはあのログナー家のご息女様なんですよね?」

 

 おずおずとした様子でトワがアンゼリカへと確認する。ログナー侯爵家、それは四大名門と呼ばれる貴族の中の貴族、過去にも宰相や皇配を数多く輩出している大貴族の中の大貴族である。それぞれの領地ではそれこそ彼らの権勢は皇族さえも凌駕しうるものである。平民が逆鱗にでも触れればそれこそオズボーンが宰相位に就く前であれば、例え平民の側に非がなかったとしても一族郎党纏めて処刑、そんな事にさえなり得る存在であったのだ。

 

「アンゼリカさんだなんて、そんな畏まらないでくれよトワ君。そちらの彼はリィン君などと親しげに呼んでいたじゃないか、私の事も親しみを込めてアンゼリカちゃんとでも呼んでくれたまえ、なんなら縮めてアンちゃんなどと愛称で呼んでくれても、君なら私は一向に構わない」

 

「え、えーと、そ、それじゃあ……あ、アンゼリカちゃん」

 

「なんだい? トワ君」

 

 だが、目の前の少女はとてもではないがそんな大貴族の一員には到底見えずリィンは聊か困惑していた。四大名門と言えば、父ギリアスの宿敵とも言える存在で、この両者の対立は日に日に激化している。他ならぬリィンの母が命を落とすこととなった事件も裏で糸を引いていたのは、父を良く思っていなかった大貴族だと言う。

 ヴァンダール流を学び、ヴァンダール家の人間と接した事で、貴族の中にも皇族同様己の血に流れる責務を果たそうとする誇り高き貴族がいる事は知ったリィンだったが、それでも父の政敵でもある四大名門ともなれば心は穏やかざるものともなるし、向こうは向こうで父を怨敵と思って居るので当然その子息と出会うような事となれば当然穏やかざる関係となると踏んでいたのだが……

 

「あーなんて可愛いんだ君は……君と出会えただけで私はトールズに来た甲斐があったというものだよ!」

 

「わわわわ……く、苦しいよ~アンゼリカちゃ~ん」

 

 目の前のその四大名門のご令嬢はそんな尊大さとは程遠いフレンドリーさである、彼女はこちらを一切平民だから(…………)等という理由で見下して来ない。あくまで対等のこれからともに過ごす学友として扱っている

 

(やっぱりまだまだだな、俺は)

 

 ヴァンダールの人々と接した事で貴族への偏見を大分無くしたつもりだったが、それでもログナーという家名を聞いた瞬間に思わず身構えてしまった。相手はこちらがオズボーンだと知りながら、敵意など一切見せなかったと言うのに。

 そんな風にどこまでも糞真面目に反省し出したリィンの様子に気がついたのだろう、アンゼリカは若干からかうような口調で

 

「おやおや、すっかり黙り込んでしまったけどどうしたんだい? やはり大貴族相手などとは仲良くなれないと言う事かな? かの、鉄血宰相殿のご子息としては」

 

 そんなどこかリィンを試すような挑発の言葉とアンゼリカが来てからすっかり黙り込んでしまった様子のリィンに気づいたのだろう、トワもハラハラとした様子でリィンを見つめる

 

「……いや、すまない。決してそういうわけじゃないんだ、家名と個人は別だし、貴族全てが悪というわけではない、そんな事は俺もわかっているんだ……わかっているつもりだったんだけどな」

 

 そこでリィンは未熟な自分を恥じるような自嘲の笑みを浮かべて

 

「すまない、君のログナーという家名を聞いて一瞬身構えてしまったよ。これから2年間を共にする学友への態度ではなかった、許して欲しい」

 

 これに関しては俺が全面的に悪かったといった様子で、どこまでも真っ直ぐに謝罪をするリィンの様子にアンゼリカは一瞬呆気にとられたような顔を浮かべると次の瞬間大きな笑い声を挙げて

 

「ふふふ……あはははははは、君は本当に真面目なんだな。ああ、わかったその謝罪確かに受けとった。そして私の方からも詫びさせてもらうよ、試すような挑発的な言動をとってすまなかったね」

 

「改めて2年間よろしく頼むよ、アンゼリカ」

 

「ああ、こちらこそ、リィン。君の立場で貴族クラスっていうのはきっとかなり大変なことになると思うが私も級友として力にならせてもらうつもりだ、何か困ったことがあったら言ってくれたまえ」

 

 握手を交わしながらそんな事を告げるアンゼリカに対して、リィンはどこか不敵な笑みを浮かべて

 

「ありがとう、だがあえてそれこそ望むところだと言わせてもらおう。俺の父は俺が対面することとなる壁よりもはるかに困難な壁を乗り越えて今の地位を築き、今も戦っているのだから」

 

 だからそんな程度の苦難を乗り越えられなくては父の力になる事など不可能なんだと、瞳に強い意志を宿らせてリィンはトールズにおいて最初に出来た二人の友人(…………)に告げるのであった。

 

 

「それじゃあ二人とも、また後でね!」

 

 講堂へと到着すると貴族生徒であるリィンとアンゼリカとはクラスの違うトワは二人にそうして笑顔で告げて自分のクラスの列へと歩いていった。

 

「さてと、それじゃあ私達も自分たちのクラスのところに行くとしようか。やれやれ……学院長の話の時に寝てしまわないか、私は不安だよ」

 

「お前な……ヴァンダイク元帥はエレボニア帝国の誇る英雄であり、生きる伝説と言っても過言では無いお方なんだぞ。その方から入学の訓示を頂けるなんてそれこそ一言一句聞き漏らすことさえ惜しいほどに大変な栄誉であってだな」

 

 アンゼリカとしては軽い冗談のつもりだったのだろう、しかし堅物と言っていいレベルで糞真面目であり、心の底より学院長を敬愛するリィンに対してその発言は虎の尾を踏むに等しい発言であった。

「あーすまない、軽い冗談だったんだよ」などとアンゼリカが慌てて弁明するが熱くなったリィンは止まらない、ヴァンダイク元帥が如何に素晴らしい軍人なのか熱弁をふるい出す。幼い頃より軍人に憧れ、ドライケルス帝を始めとする英雄達の伝記等を好んで読んだリィン・オズボーンは、こと英雄の話になると止まらない少年であった。

 

「君たち、ちょっと良いかな」

 

 辟易とするアンゼリカへの救いの手は思わぬところから現れた。同じ白服に身を包んだ貴族生徒が取り巻きを連れながら二人へと話しかけてきたのであった

 

「ああ、良いとも! 一体何の用件だい!」

 

「む? なんだ、君もヴァンダイク元帥の武勇伝が聞きたいのか?」

 

 助かったと言わんばかりに食いつくアンゼリカ、そして意に介さずに話を続けようとする火のついた英雄マニアに若干引きながらもその貴族の少年は大仰に名乗り出す

 

「ああ、私の名はヨアヒム・リッテンハイム。当然知っているだろうが、あのカイエン公の縁戚たるリッテンハイム伯爵家の跡取り息子さ」

 

 そんな名乗りを聞いた瞬間に二人の表情は苦虫を噛み潰したようなものとなる。良い貴族も居れば悪い貴族もいる、良い平民もいれば悪い平民もいる。平民と貴族というくくりに囚われるとついつい忘れがちになるが、当たり前の事である。そう、良い貴族(……)もいれば悪い貴族(……)もまた居るのだ。

 リッテンハイムと言えばカイエン公の腰ぎんちゃくとして平民には酷薄で、四大名門には媚びるというまさに駄目貴族の見本とも言うべき存在。

 あくまで現リッテンハイム伯爵の評判なので、まだ目の前の少年が父と同様と決まったわけではないが、それでもわざわざ家門の名を殊更強調する様子に好印象を抱けというのは聊か以上に困難な話であった。

 自分の名前を聞いた途端に静かになった二人の様子を恐れ入ったと勘違いしたのだろう、ヨアヒム少年は得意気に話し出す

 

「ああ、一つ忠告をしておこうと思ってね。君たちもわがリッテンハイム家に劣るだろうとはいえ、栄えある帝国貴族なのだ。あまり平民などと親しくないほうが良い」

 

 あまりにもあんまりに絵に描いたような傲慢な貴族のお坊ちゃんと言った様子のヨアヒムに二人は怒りよりも奇妙な感慨を抱く、ああ、こういう絵に描いたような貴族の馬鹿殿様と言った様子の人間は本当に実在するんだなと。

 そんな呆気にとられた二人の様子に恐れ入っているとなおも勘違いしたままにヨアヒムは続ける

 

「貴族は貴族同士で交流することこそが有意義だろう、この入学式が終わったら先ほどの平民の女にはっきりと告げておきたまえ、自分達と君では住む世界が違うのだとね。それが彼女のためでもある。貴族は貴族同士で交流を深めるべきだろう」

 

 寛大と威厳に満ちた、等と本人は信じて居るであろう、様子でヨアヒムが言い終えると

 

「ふむ、どうやら貴族と平民は交流をしてはいけないようだ、リィン。不真面目な私は存じなかったが、トールズにはそういう規則があるのかい? 次席入学殿」

 

「いや、トールズ士官学院はそもそもドライケルス大帝が平民や貴族と言った別なく優れた人材を集め、いずれ世の礎たる若者を育成すべく、当時としては画期的な事に平民に対しても門戸が開かれた士官学院だ。入学した生徒は如何なる大貴族あるいは皇族だったとしても一生徒として扱われる。当然貴族は平民と関わるな、などと記された校則は一切存在しない。むしろ学院側としては部活動等を通して平民と貴族の別なく、交流を持つ事を推奨している」

 

 とぼけた様子でわざとらしく問いかけるアンゼリカに肩をすくめながらわざとらしくリィンもまた答える

 

「ふむ、だが目の前のヨアヒム殿は学院の理念と正反対の事を言っているが、これはどういう事だい?」

 

「ああ、可哀想な事にきっと何か勘違いされたのだろう。誰しも勘違いや見間違いというのはありうる事だ」

 

 そんなあからさまにこちらを馬鹿にした様子にヨアヒムは当然ながら顔を真っ赤にして怒り

 

「貴様ら! どういうつもりだ! この私が親切で貴族としての心構えを教授してやったというのに!!!」

 

 そんなヨアヒムを冷めた目で見つめながらリィンは答える

 

「ならば、単刀直入に言おう。誰を友にするかは俺自身が決める、余計なお世話だ」

 

「私もまあ、ほとんど同意見だね。トワともリィンとも既に友人同士だが、別段君と友になりたいなどとは思わない」

 

 トワやアンゼリカ、そして道すがらに接したトリスタの住人に対する親愛に満ちた優しい瞳から打って変ってとても冷ややかな目をリィンはヨアヒムに向けて、アンゼリカは肩をすくめながらそれぞれ告げる。お前はお呼びじゃないんだと。

 

「き、貴様ら~~~~、ええい、私に対してそこまでの口を叩いたのだ覚悟を出来て居るだろうな! 名を名乗れ!!!」

 

「アンゼリカ・ログナー、哀れ実家に無理やり婿取りをさせられそうになったので半ば強引にモラトリアムの延長でここトールズへと入学した勘当寸前の放蕩娘さ」

 

「リィン・オズボーン。一応貴族ではあるものの、俺も父も心は平民のままのつもりなので貴族同士の交流などには誘ってくれなくて一切結構」

 

 ログナーとオズボーン、その名が聞こえた瞬間に周囲にどよめきが走る。「ログナーって言えばあの四大名門の……リッテンハイムよりも格上じゃないか」「それよりもオズボーンってあの鉄血宰相の息子って事かよ」「でもオズボーン宰相は平民出身だろ? それだったらなんであいつは貴族生徒扱いなんだよ」「馬鹿、知らねぇのかよ。オズボーン宰相は皇帝陛下から伯爵位を賜っているんだよ。だけど殊更自分は平民だって強調しているみたいだぜ」「ああ、だからアイツも心は平民のままだなんて言ったのか」

 そんな風に周囲にヒソヒソと話し声が飛び交い始める、この時点でリィン・オズボーンの波乱なく平穏に波風立てずに過ごすといった学生生活は望めなくなったと言っていいだろう。最もリィンには端からそんな学生生活を送る気は毛頭なかったのだが……

 

「ロ、ログナーだと……」

 

「ああ、やっぱりそういう反応になるか……さっきも言ったけど勘当寸前の不良娘だから気にしないで欲しいんだけどね」

 

 権威を頼みにするのは往々にして自分以上の権威には弱いものである、四大名門を敵に回してしまったという事実にヨアヒムは見るからに狼狽の色を見せる。だがアンゼリカとしてはそんな扱いが不本意なのだろう、精一杯ヨアヒム以外の貴族や平民生徒へと語りかける。どうか気さくにただの同級生として接して欲しいといわんばかりに

 

「それにオズボーンだと……つまり貴様の父はあの(……)鉄血宰相か」

 

「ああ、俺の父はギリアス・オズボーン。この国の宰相を務めている。もっともそれは父の地位と功績であって俺自身は未だ何かを為したわけでも無い、一介の学院生にすぎない。どこかの誰かさん(………………)とは違って父の七光りを借りる気は毛頭無いので、気軽に接して欲しい」

 

 打って変って敵意を露にするヨアヒムにリィンもまた応じる、アンゼリカ同様にヨアヒムではなくそれ以外の周囲に対して。

 

「ふん、なるほど、理解したよ。成り上がりもののあの宰相の息子ともなれば仲良く平民と戯れているのがお似合いだ。ログナー殿、おそらく貴殿はそこの男に毒されたのだろう、今からでも遅くない貴族として在るべき姿に立ち返るべきだ」

 

 四大名門に喧嘩を売ることを避けたいのだろう、ヨアヒムはリィンへとターゲットを絞りそんな言葉を口にする。そんなヨアヒムに呆れた様子でアンゼリカが応じようとすると

 

「君たち! 何時まで喋っている! もう間もなく式の時間だぞ! いい加減席に着きたまえ!!! それと互いに相手を無用に挑発する言動は避けるように!!!」

 

 貴族生徒を受け持っているハインリッヒ教頭の雷が落ちて、不承不承と言った様子、小言を受け流すかのように、糞真面目に謝罪の言葉を口にしながらと各々異なる反応を示しながら席につくのであった。

 

 

 ──────────────────────────────ー

 

「しかしびっくりしたねぇ、クロウ。あの鉄血宰相の息子さんだってさ」

 

 道すがら友人となった同級生のジョルジュ・ノームの言葉にクロウは応じる

 

「はは、なんというか如何にもって感じの野郎だったな。絵に描いたような堅物エリートって感じじゃねぇか。遣り合っていたリッテンハイムの方も如何にもって感じの貴族の馬鹿殿だったけどよ」

 

 不真面目でノリのいい大よそ士官学院生らしからぬ気さくな男、そんな仮面を被り(………………)ながら。

 

(あの野郎の息子……か)

 

 調査して知ってはいた、11年前に妻を失ったギリアス・オズボーンには一人息子がいたという、そして宰相に就いたオズボーンは程なくして軍人時代に直属の部下であったオーラフ・クレイグへとその子どもを託した。

 大貴族との政争にあけくれる以上、息子の存在が足枷になる事を嫌ったとも、赤毛のクレイグを完全に自分の派閥へと取り込むためだったなどと様々な推測がされたが真意は本人にしかわからない。

 その息子について判明しているのはオズボーンが軍人となるために最高の環境を用意したという事。氷の乙女との異名を持つ鉄道憲兵隊大尉クレア・リーヴェルト、かかし男レクター・アランドール特務大尉と言った鉄血の子ども達と称される自身の腹心達を教師とした軍人、あるいは自身の後継者として英才教育を施す傍らで、帝都に存在するヴァンダールの剣術道場へと通わせた。言うなれば真の鉄血の子とでも言うべき秘蔵っ子、それがリィン・オズボーンである。

 

(ま、せいぜい遠くから観察させてもらうとするかね)

 

 向こうは貴族生徒、こちらは平民生徒。

 向こうは若干挑発的な部分はあれど絵に描いたような優等生、こちら絵に描いたような不良生徒。

 まず間違いなく、親しくなるような事をないだろう。

 そうして遠目から観察してあの野郎の弱点でも探れれば良し、そんな風に考えながら

 帝国解放戦線のリーダー《C》は仇への復讐を改めて誓い、暗い瞳を湛えるのであった……

 

 


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