我々が岩壁に足を止めてしまうからだ
悚(おそ)れ無き その花のように
空へと踏み出せずにいるからだ
ルーレへと到着したリィン達A班は理事たるイリーナ氏への挨拶もそこそこに実習へと取り掛かっていた。此処で問題となったのが戦闘をどうするかである。
というのも既にリィンの実力は学生のそれを既に大きく上回っている、下手にリィンが出張ってしまっては他の班員達の成長の機会を潰してしまう事になる。さりとてリィンが戦わないとなると前衛を務める事が出来るのがフィーだけというなんともアンバランスな事になってしまい、余りにフィーの負担が増大してしまう。
そんなわけでリィンは武器がない状態の時の事も考えて無手にて参加。見事領邦軍からの魔獣退治の依頼もこなした一行は初日の課題を全て終わらせ、ルーレへと戻って来たわけなのだが……
そこで一行が目にしたのは一触即発でにらみ合う鉄道憲兵隊と領邦軍。
領邦軍は街中にも関わらず何と装甲車までも投入して鉄道憲兵隊を威嚇。
それに怯んだ憲兵隊の面々に対して領邦軍の隊長は此処ぞとばかりに煽りを行うのであった。
一歩間違えば大惨事にも繋がりかねないこの状況、一体どうすべきかとアリサ、エリオット、マキアスの三人からの頼るような視線が、クロウとフィーからの見定めるかのような視線が班長たるリィンへと集中して……
「学生に過ぎん俺達が仲裁をしたところで引っ込んでいろと言われるのがオチだ。ましてや鉄血宰相の息子である俺が出張ってしまえば、領邦軍にしてみれば鉄道憲兵隊への加勢だとしか思わんだろう。
此処は一般市民の安全を最優先に行動しよう。護るべき民間人の保護を疎かにしている領邦軍の代わりに俺達で市民の避難を行う」
鉄道憲兵隊の味方に尽きたい私情を押し殺し、殊更革新派を煽る発言をした領邦軍に対する細やかな嫌味を口にしながら、リィンはそう冷静に判断を下す。
己の剣によって装甲車を破壊する事自体は今のリィンならば可能だ。だが、そんなことをすれば領邦軍の怒りに火に油を注いでしまうだろう。かといって言葉で止めようにも、革新派の英雄等と持て囃されていようと所詮学生に過ぎない自分では“格”というものが圧倒的に足りていない。
むしろこんな“若造”に怯んだと部下から思われるなど耐え難い屈辱となるだろうから余計に強硬な態度に出る可能性が高い。軍人としての実力は既に十分過ぎるほど身につけたリィンだったが、相手を怯ませ、退かせるには未だ“実績”が不足していた。
「ま、確かにそれが妥当だろうな。……ゼリカのやつでもこの場にいりゃあもうちょい色々とやりようはあったんだろうが」
不良娘とは言えアンゼリカ・ログナーは列記としたログナー侯爵家の人間だ。仕える侯爵家の令嬢が相手ともなれば領邦軍とて高圧的には流石に出れなかっただろう。本人自身はその手の権威を振りかざすような行為は好まざるところではあるだろうが……
「ん、妥当な判断だと思う」
身内贔屓をすること無く、冷静に下されたリーダーの判断を班員たちも是としてA班の面々が動き出そうとしたところで……
「仰る通りです。領邦軍には領邦軍の、鉄道憲兵隊には鉄道憲兵隊のそれぞれの“役目”がありましょう」
敬愛して止まぬ上官の声に鉄道憲兵隊の面々はまさしく救いの女神でも目にしたが如く表情を明るくし、リィンもまた敬愛する義姉の姿に班員達から見てもあからさますぎるほどにその表情を明るくする。
そして名高き《氷の乙女》の登場とどこまでも凛とした様子で告げられる言葉に周囲に居た聴衆たちもまた鉄道憲兵隊へと好意的になっていき、場の主導権を握られた事を悟った領邦軍の面々は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
(流石はクレア義姉さんだ)
姿を現しただけで場の空気を変えたそれは未だリィンが持ち合わせていないものだ。
それを為し得たのは《氷の乙女》等と称されるようになった義姉の実績が為せるもの。
単純な戦闘力で言えば既に引けを取らない自信があったリィンだが、それでも未だ敬愛する義姉には及んでいない事を実感せざるを得なかった。
悔しさはある、されどそれ以上にリィンはそんな義姉の事が誇らしかった。
そうしてリィンにとっては文句のつけようもない形で場の収拾が着こうとしたところで現れた一人の貴公子によって場の雰囲気は再び変わる。
あらゆる鉄道網を監視下に起いており、空港にしても当然目を光らせている。それにも関わらず何故この人物がルーレに居るのかと訝しがるクレアに対してルーファスはあっさりと答えを告げる。
アルバレア家専用の飛空艇を使って来た、ただし空港を使用せずに郊外の街道に停泊させたのだと。如何に鉄道憲兵隊が帝国全土をカバーしていようとも、こうして“死角”というものが存在する以上、その地を常に守護する領邦軍は必要なのだと証明するかのように。
かくして場の主導権を握ったルーファス・アルバレアは双方共に退くようにと指示を下す。
アルバレア公爵家嫡男という立場に在り、かつ忌々しい《氷の乙女》をやり込めるという溜飲の下がる光景を見せて貰えた領邦軍にしてみれば当然ながらそのルーファスの言葉に逆らうところなど感情、道理双方の面からして有り得ない。あっさりとその指示に従い、領邦軍は撤収を行う。
クレアも基より部下の救援として来た身。領邦軍が退いたのであればその場に拘泥する理由はない。ルーファス卿への警戒を強めながらも速やかにその場からの撤収を行う。
こうして領邦軍と鉄道憲兵隊が衝突して民間人に被害が出る等という醜態にして惨事は避けられたわけなのだが……
「ふふ、奇遇だな」
「お久しぶりです、ルーファス卿。どうやら
優雅にこちらへと挨拶する貴公子の姿を、自然とリィンは鋭い視線で見つめる。
この切迫した時期に専用艇を使い、わざわざ空港を避けて秘密裏にログナー侯爵を訪問して会談を行う。
革新派であるリィンにとってみれば当然、裏を感じずには居られないからだ。
「ああ、
西のオルディスもそうだが、何時何が起きてもおかしくない状況だ。
残りの3日間ーーーせいぜい大人しく《実習活動》に徹すると良いだろう。
如何に帝都やガレリア要塞、そしてクロスベルで活躍したと言っても君たちは未だ、学生の身分に過ぎないのだからね」
「……ご忠告、胸に留め置かせていただきます」
またしてもバリアハートの時同様に告げられた、未だ敵にさえ値しないと眼中にないと言わんばかりの
皇女殿下を救出した、赤い星座の部隊長を退けた、一体それが何だと言うのか。武力という一分野においてようやく並び立てただけで、未だ目の前の人物に自分はありとあらゆる分野で遠く及んでいない事をリィンは実感せざるを得なかった。
そして、そんなリィンの視線を受けながらもルーファスは特に気分を害した様子を見せることもなくどこまでも優雅な様子を崩さない。
むしろ、そんなリィンの稚気を
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
立ち去っていくルーファスの後ろ姿を眺めながらリィンは更に強く拳を握りしめる。
この悔しさを決して忘れてはいけないとまだまだ自分は成長していかなければならないと誓って。
そしてそんな鬼気迫る様子を見せるリィンの姿に班員達が思わず、なんと声をかけたものかと立ちすくむ中……
「ったく、何怖い顔してんだよ」
一人、クロウ・アームブラストはそんな友人に対して仕方のないやつだとばかりに語りかける。
「言っておくがお前さんだって傍から見ると大概ドン引きなレベルなんだからな?
宰相の息子で学年首席、ヴァンダール流皆伝、帝都では皇女殿下救出なんて功績まで打ち立てて、あの大陸最強の猟兵団赤い星座の大隊長と五分にやり合った革新派の若き英雄ってな。あまりのすさまじさに1年の頃はあんだけ突っかかっていたリッテンハイムのやつも最近じゃすっかり大人しくなっちまいやがったじゃねぇか」
「リッテンハイムの奴等端から眼中にないさ。今更あいつ程度に時間を割くのも惜しい。
……重要なのは、未だ俺がルーファス卿には到底及んでいないというその事実だ」
「何言ってんだ、そんなもん10も歳が離れていたら当たり前だろ。
17の時点でのリィン・オズボーンは27のルーファス・アルバレアに及んでいなくても27でのリィン・オズボーンは並んでいるかもしれないじゃないか」
「ああ、そうだな。そして27になった俺は37になったルーファス卿に相も変わらず及んでいないかもしれないわけだ」
「別にお前さんがあの御仁に絶対勝たなきゃならねぇってわけでもないだろう。上ばかり見てちゃキリがないぜ」
「現状に満足してしまえば人間の成長はそこで止まる。人間の限界というのはなクロウ、その人物がそこが限界だと思ったところがそのまま限界になるんだよ」
肩をすくめながら諌める親友の言葉に対してリィンはどこまでも強い鋼鉄の如き意志を込めて告げる
「無論意志さえあれば何でもできると言っているわけじゃない、才能、生まれや育ち、現実問題そういう意志や本人の努力ではどうにも出来ない問題というのはいくらでも存在するだろう。だから、出来ない奴らは努力が足りないだけだ、努力をすれば誰でも出来る等と言うつもりはない」
自分は恵まれているという自覚がリィンにはある。
素晴らしい両親の愛を受けて育ち、優秀な師の教えを受けて、夢に向けて思う存分に自らを高める事ができた。
今の自分があるのはそんな周囲の環境に恵まれたからに他ならない。
帝都の一件以降は何やら奇妙な感覚にも目覚めた上に、寝る時間もそれまでの半分で済むようになった。
ある意味ではある種のズルをしているとさえも言えるかもしれない。
だから、そんな恵まれた立場にある自分が誰でも努力すれば出来る事だ等と言ったらそれは恥知らずというほか無いだろう。
故に、意志の力と努力さえすれば何でも出来るし、誰でも出来る等というつもりはリィンには無い。
「だがな、最初からやろうという意志を持たなければ絶対にそれは出来ないんだよ。
空を飛ぼうという意志を持たない人間は絶対に空を飛ぶことが出来ない。意志は総てを可能にする魔法ではない。だが、意志が無ければ何も始まらない。
ドライケルス大帝が内戦を終わらせる事ができたのも、大帝が内戦を終わらせようとする志を抱いたからこそだ。無論、それを為したのは彼自身の持つ才幹、血統、巡り合わせ、そして運と呼ばれる物に恵まれたからこそだろうさ。
だが、もしも大帝陛下が内戦を終わらせようという志を抱かなければ、その血に流れる責務を果たそうとせずに、自分以外の
自分には才能があるのだと皆は言う、ならばこそなおのこと自分はより高くを目指さねばならないだろう。
飛びたいという意志があったのに才能という翼を持つことが出来なかった者の分も翼を幸運にも女神より授かった身として。
「だからこそ、俺は
今の自分がルーファス卿に及ばないことは百も承知だ、だがそれに何時までも甘んじるつもりはない。
俺の理想を成し遂げるには彼のような相手を超えねばならないのだからな」
宣誓されたその鋼の如き意志にⅦ組の面々は気圧される。
尊敬に値する、頼りになる先輩だと思っていた。まさしく士官学院生の鑑のような人物だと。
だがそれにしても余りにもこれは凄まじすぎる、その迷いなどまるでないかのような物語に登場する“英雄”が如き気迫に一行はどこか怖れめいた感情を覚えずには居られなかった。
ただ一人、クロウ・アームブラストだけは苦笑して
「やれやれ、トワのやつとようやく恋人同士になってちっとは丸くなるかと思ったら前よりも堅物っぷりに拍車がかかってやがる。こりゃあいつも苦労が耐えねぇだろうな」
やれやれしょうがない奴だと親友のその余りにも真面目過ぎる発言に辟易としたかのように、されど馬鹿にするような事だけは決してせずに肩をすくめる。
「そこを言われると少々弱いところだな。彼女にはきっと何かと苦労をかける事になるだろうからな……」
引き止めたい意志を押し殺しながら精一杯浮かべた愛しい少女の笑顔をリィンは思い出す。
きっとこれから何度も彼女にはあんな顔をさせる事になってしまうのだろう、それを考えると申し訳無く思う。だが、それでもリィン・オズボーンはこう生きると決めたのだ。
「自覚してんならちっとは直せよ。他をいくら笑顔にしたところで惚れた女を泣かせているようじゃ、男としては三流だぜ」
「わかっているさ。俺だって彼女の泣いている姿なんて見たくないんだからな」
クロウの軽口に鋼鉄の意志を宿した鉄血の継嗣から、クロウ・アームブラストの親友であるただのリィン・オズボーンへとなってリィンもまた応じる。
そうして張り詰めていた空気はどこか緩んで、リィンたちもまたその場を跡にするのであった……
???「ああ、違うのだ。頑張りさえすれば出来るのだよ」
???「だから英雄になれねえんだよ、おまえ等は!憧れるんならなぜ目指さない、舐めてんのか世の中を! 」