ガツガツとそんな擬音語がぴったりの淑やかさとは無縁な様子でアリサ・ラインフォルトはメイドたるシャロンが用意した夕食を貪る。彼女が此処まで不機嫌な理由、それは夕食は共にすると言っていた母親であるイリーナ氏が急用によってそれをキャンセルしたことにある。
自分との約束をすっぽかされることには慣れていたアリサだったが、友人たちを蔑ろにするような母の行いが流石に腹に据えかねたのだろう、怒りのままに用意された夕食を貪っていく。しかし、「ぶっちゃけ太るよ」というフィーからの乙女心を直撃する爆弾ワードを聞き、ピタリと一瞬動きを止め、そこから告げられる友人たちの静止の言葉を受けてどうにか落ち着きを取り戻す。それでも憤懣やるかたない様子で告げる、「自分はともかく、貴方達は自分が理事を務める学院の生徒なのに!」と。
されど、そんな後輩の癇癪にリィンは苦笑して
「まあ止む得ないさ。ラインフォルトグループは帝国最大の企業。ラインフォルトがくしゃみをしただけで、風邪を引く事になる人間は数百万を超える。トールズの理事としての生徒数人への応対とラインフォルト社会長としての役目、どちらが重いかは明らかだ。」
ラインフォルトという大企業を率いている女傑と話せる事に対する期待がなかったといえばリィンとしても嘘にはなる。されど、その背負っている重責に対してリィンは理解を示す。それ以上に重いものを背負っている以上そちらを優先するのは仕方のないことだと。
そしてそんな風に割り切りきる事の出来ない少女は夕方の様子も相まって、どこか大切な人さえも置き去りにして進み続けてしまいそうな目の前の先輩の姿にどこか母の姿をダブらせて……
「……先輩は辛くなったりしたことはないんですか。
以前ノルドに行く時に聞きました。宰相になってから、父に会ったのは10歳の誕生日の時が最後だって。
私は正直寂しかったし、辛かったです。先輩が言うように会長として
それでも誕生日をすっぽかされた時は思わず「娘の私よりもそんなに仕事が大事なの!」とそう思ってしまいました……」
公人としての素晴らしさと私人としての素晴らしさはしばしば両立しない。
いや、公人としての責任感が強い人ほど、どうしても私人としての時間が取りづらくなる以上必然家族に対しては寂しい思いをさせてしまいがちになるのが世の道理だ。
無論、理解は出来る。されどどうしても心の中に過ってしまうものなのだ「そんなに赤の他人が自分達よりも大切なのか」という思いが。
誰かのために懸命に身を削るような素晴らしい人物ほど、身近な大切な人達を泣かせる事になってしまうというままならない現実。全くもってこの世は不条理と言う他ないだろう。
「なかったと言えば、嘘になるがそれ以上に俺は父を誇りに思っていたからな。
それにそこにいるエリオット、オーラフ義父さんにフィオナ義姉さん、クレア義姉さんにミリアム、後はおまけにレクターさんと言った人達が俺の周りには居たからな。だから、そこまで不満に思ったことは俺はないよ」
「そうですか……」
本心から言っているのだろう、目の前の先輩には真実無理をしていると言った様子は見受けられない。
やはり、自分は恵まれているにも限らず文句を言っているただのワガママなお嬢様なのだろうか、そんな想いがアリサの心を過る。
フィーのように生きるためには戦わざるを得ないという環境で育ったわけでもない。
義姉代わりの女性を亡くしてから忙しい父を一人で家で待ち続ける事になったマキアスとは違い、シャロンという姉代わりの女性が居てくれたのだから真実ひとりぼっちだったというわけでもない。
音楽家になるという夢を抱きながら士官学校に行く事を強制されたエリオットと違い、家を継げと強制された事もない。
そんな思いを抱いて先程までの母に対する苛立ちはどこかへ行き、代わりに自分がなんとも物分りの悪いワガママ娘に思えてきてしまったのだ。
「ったく、そこの真面目大王と比較していちいち落ち込むんじゃねぇよ。良く言うだろ、他所は他所。うちはうちてな。良いんだよ、ワガママぶちまけたって。お前らはまだまだガキで、そういうガキのワガママを聞くのも大人の仕事なんだからよ」
しかし、クロウ・アームブラストはそれを否定する。
そう出来る奴が居るから、他も全員それに倣わなければならないわけではないと。
例え正しくなかろうと譲れない思いがあるのならば、それをぶつけても良いのだと。
「……そうだな、これはあくまで俺がそう思ったというだけの話だ。
オズボーン家にはオズボーン家の、ラインフォルト家にはラインフォルト家の親子の在り様がある。
無理に真似をする必要はないさ」
そしてリィンもそんなクロウの発言を肯定する。
家族の有り様について、これが絶対的に正しいなどという形はないのだと。
そうしてどこか重い空気に陥っていた夕食の時間も終わり、一行は解散して思い思いの夜の時間を過ごし始めるのであった……
・・・
「お待たせ、クレア義姉さん」
心よりの笑顔を浮かべながらリィンは待ち合わせのダイニングバーにて挨拶を行う。
あの後、自由行動になって自分たちの私室以外は自由に使って構わないと言われたリィンは曰くグエン氏が揃えたものだという図書室にてマキアスと共に読書を敢行。共にいるマキアスが驚嘆するスピードと集中力で次々に蔵書類を読み漁っていたリィンだったが、クロスベルに赴く際に渡された《鉄血の子どもたち》専用の通信機にクレアより連絡が入る。曰く、折り入って話したいことがあるためこれから指定の場所に来てくれないかと。
敬愛する義姉にそんな誘いを受けてリィンに断る選択肢などあるはずもない、近くに居たマキアスにだけ一声かけて身支度を整えて外出することとした。何やらフィーがこっそりついてこようとしたので、義姉と久方ぶりに会うから姉弟水入らずで話をしたい旨を告げて彼女を返して。
「いえ、私もつい先程来たばかりですから。それよりもこちらの方こそ実習中だというのに呼び出してしまい、すみません」
たおやかに、そしてリィンと同じく心からの微笑みを浮かべるクレアの姿は常の軍服とは違うものだ。そのドレス姿にリィンは自然と目を奪われるも義姉に対して、何よりもトワという明確な恋人が居る身としていかんいかんと抱いた邪念を振り払う。
「いや、空いた時間を使って読書していただけだから本当に気にしないでよ。イリーナ会長曰く、時間とは空くものじゃなくて空けるものとのことだし、義姉さんのためだったらいくらでも俺は時間を空けるよ」
「ふふ、ありがとうございます。私も貴方のためだったらいくらでも時間を空けますから、何かあったら気軽に頼ってくださいね」
「うん、頼りにしているよ」
そんな調子で姉さんとリィンが呼んでいなければ、
「好きな物をなんでも頼んでくださいね。もちろんアルコール以外でですけど」
「わかっているよ、それ位。現役の憲兵大尉の前で法律違反をする気は毛頭ないって」
クスリと笑みを零しながら告げられるその言葉に未だ子ども扱いされる事に若干拗ねる思いを抱いた物の、現実問題未だ自分で自分の食い扶持を稼いでいるわけではない以上、その扱いも止む得ないと思い、リィンは苦笑しながら姉の気遣いに甘える事にした。
「傷……残ってしまったんですね」
痛まし気にクレアは愛しい義弟の右頬を見つめながら告げる。
帝都で瀕死の重傷を負ったと思ったらクロスベルでは赤い星座の大隊長と交戦して傷を負ったというその事実は、基よりリィンに対して心配性で過保護なところのある彼女の心を大変に痛めた。
「危ないことをしてはいけないといつも言っているでしょう」などと叱りたいところだが、帝都での一件はそもそも自分が義弟の活躍に救われた形であり、クロスベルにしてもリィンが奮戦しなかったらその場に居合わせた各国のVIPの命が危ないところであった以上そういうわけにもいかない。
「ああ、まあ手痛い授業料だったと思うしか無いよ。やはり世界は広いなとそう実感したよ。皆伝は到達点なんかじゃない、ようやく俺は勝負の土俵に立てただけなんだと改めて再確認する事も出来たからね」
次は遅れを取らないとそう意志を滾らせる義弟の姿をクレアはどこか遠くに感じる。
数ヶ月前までは確かに自分の方が上を行っていた。万分の1を手繰り寄せられて敗北したものの、それでも実力自体は依然変わらず自分が上だった。
無論、いずれは追いつき追い越される日が来るだろうとは思っていたが、それでもそれから数ヶ月の内に追い抜かれるなど流石に高性能の導力演算機などと評される《氷の乙女》の頭脳をもってしても想像の埒外であった。
「向上心が高いのは良いことですが、余りトワさんに寂しい思いをさせるような事をしてはいけませんよ」
「……善処するよ」
誤魔化すように頭をかくその義弟の様子にクレアは思わずクスリと笑みを溢す。どうやらこの危なかっしい義弟を諌めるには今後はこの方面から攻めれば良いと思いながら。そこからしばらくは和やかな姉弟の語らいが続く。話題の種はもちろん、ついに訪れたリィンの春についてだ。此処ぞとばかりにからかい混じりに問いかけるクレアと照れくさそうに話すリィンという、微笑ましいやり取りがしばらく続いたが……
「何時までもこうして居たいところですが、そろそろ本題に入る必要がありますね」
名残惜しさを見せながらもクレアは私人としての顔から《氷の乙女》と称される敏腕将校の顔へと切り替えて
「現在、鉄道憲兵隊ではRFグループの第一製作所に強制査察を検討しています」
クレアから告げられた言葉にリィンは全ての線が繋がるような気がした。
イリーナ氏の突然の夕食の欠席、何やらあちらこちらを飛び回っている貴族派きっての才子の仲介によって結びつきを強めている四大名門の面々、帳尻の合っていない鉄鋼の量と鉄鉱石の横流し、そして最低でも既に目覚めている《騎神》の存在。何よりも純軍事的には革新派に対して不利にも関わらず強気な姿勢をまるで崩さない貴族派のリーダーである、カイエン公爵の存在。
「第一製作所は革新派との決戦に備えて何らかの新兵器を作っていた。おそらくは、エマの姉の導きを受けた《起動者》の用意した《騎神》を基にして」
「……ええ、それが現在我々が彼らにかけている疑いです」
百点満点と言っていい義弟の回答にクレアは常とは違い、どこか浮かない表情を浮かべる。
以前より優秀な教え子ではあった、されどこれは
限られた一部分の情報から正答へとたどり着く能力、そうこれは
先輩としてその能力の持つ、負の部分、読み取りたくもない他者の暗い感情や真実、それを熟知しているだけにクレアは痛まし気に義弟を見つめる。
しかし、そんな義姉の気遣いとは裏腹にリィンはたどり着いた真実に歯噛みをする。
心に過るのはやはり自分は力を手に入れるのが遅すぎたと、そんな思いだ。
何故もっと早くに打ち明けてくれなかったのかとそんな怒りめいた感情さえ己が導き手であるエマ・ミルスティンに対して浮かんでくるが、そんな思いをリィンは頭を振って打ち消す。
騎神という強大な力の扱いに対して、慎重になるのは当然なのだから仕方のない事だし、彼女を責めても仕方ないと。
とにもかくにも、もはや一刻の猶予もない、何としても自分は《騎神》の力を手に入れなければならないだろうと決意する。
そして、義姉の任務の重大さもまた理解する。皇室所有のザクセン鉱山の鉄鉱石を貴族派が横流しにして新兵器を秘密裏に開発していた。
証拠を掴むことが出来れば四大名門の一角ログナー侯爵家とてタダでは済まない大スキャンダルだ。それこそ皇帝陛下への謀反を目論んでいたと疑いをかけられても言い逃れ出来ないだろう。
故にリィンの取るべき選択肢など決まっていた
「話はわかったよ義姉さん。俺に出来る事があれば何でも言って欲しい、喜んで協力するから」
どうか力にならせて欲しいと熱く語りかける義弟のその姿にクレアは静かに首を振って
「いえ、その必要はありません。確かに貴方は強くなりました、単純な武力で言えば既に私よりも上でしょう」
少なくともこと一対一において言えば、赤い星座の大隊長と対等に渡り合ったリィンは既にクレアを上回るだろう。
だが
「ですが、これは単純な武力によってどうこうなる問題ではありません。……私がこうして話し合いの場を儲けたのは協力を依頼するためではありません。
今のルーレが非常に危うい状況にあるという事を伝えて、そうした“危険”に出来るだけ近寄らないようにしてもらうためです」
言い募ろうとするリィンを他所にクレアは話はこれで終わりだとばかりに席を立つ。
「いつかもいいましたが貴方はまだ学生の身です。そして先輩として後輩たちの面倒を見ないとならない立場でもあります。
“危機”輪郭を見極め、できるだけ近寄らないようにする。血気に逸ること無く自制する。それもまた“士官”として重要な資質だと私は思います」
それだけ告げて去っていく姉の姿を見送りながらリィンは強く拳を握りしめる。
未だ“学生”の身でしか無い自分が不甲斐なくてたまらないと言わんばかりに。
“武力”ではどうにもならない、巨大な壁を突きつけられて、その壁を乗り越える事も打ち砕く事も出来ない自分自身の無力さを何よりも憎みながら……
フィー「私はお邪魔?」
オズボーン君「ああ、率直に言って邪魔だな。久しぶりに姉弟水入らずと行きたいから遠慮して欲しい」
フィー「……わかった(なんかムカつくから実習終わったらトワ会長にちくろうと)」