悪夢と、そう称する以外のない光景が広がっていた。
オズボーン宰相が暗殺されるという異常事態、アナウンサーの男性が動揺を露に叫んでいたラジオの音源が突如として途絶えたかと思うと、変わって喋りだしたのはラジオ番組アーベントタイムでの人気パーソナリティであるミスティ、否結社《身喰らう蛇》の使徒第二柱、“蒼の深淵”ヴィータ・クロチルダであった。
そして秘術“幻想の唄”によって士官学院の面々の目に映ったのは、遠く離れた帝都の光景。
リィン・オズボーン、真面目な堅物、されど親切で面倒見の良かったを彼が父の仇を討つのだと憎悪に駆られて凶剣を振るう光景。
クロウ・アームブラスト、学院きっての不良、されど気さくで友人の多かった彼が宰相暗殺の張本人だという衝撃の真実が明かされる光景。
そして、親友同士として、学院の名物コンビとして有名だった彼らが敵意と憎悪を露に死闘を繰り広げる光景だった。
誰も、何も言う事が出来ない。ただただその光景に圧倒されるだけだ。
軍属とは言え、未だ学生に過ぎない彼らの多くは未だに“戦場”を知らないものが大半だ。
だからこそ、その光景を前に何も言うことが出来なくなる、先日まで肩を抱き合いながら談笑していた級友二人が、本気の殺意をぶつけ合う、そんな“悪夢”と称する以外にない光景を前に。
「何で……どうして……こんな……」
そしてそんな“悪夢”のような光景に最も心を痛めているのは間違いなく彼女であった。
トワ・ハーシェル、リィン・オズボーンが陽だまりと称する優しい少女は目の前の光景に膝から崩れ落ちて、涙を流しながら嘆いていた。
「嘘……嘘だよこんなの……リィン君とクロウ君がこんな事になるなんて……だって、だってあの二人は……」
本当に本当に仲が良かったから、羨ましくなってしまう位に。彼女の自分が時々妬いてしまう位に。
すぐに喧嘩ばかりしていたけど、それでもどちらも本当に相手の事を信頼していたから。
誰も彼女に言葉をかける事ができない。何故ならば、彼女の言葉はその場に居る者達の心情を代弁するものだったから。
生徒だけではない、教官達もそうだ。歴戦の軍人であるナイトハルト・アウラーも、A級遊撃士のサラ・バレスタインも、そして“軍神”ウォルフガング・ヴァンダイクでさえもその光景を前に言葉を失っていた。
「止めないと……」
そう呟いたかと思うとトワはゆらりとその場から立ち上がる。
「私が……二人を止めないと!」
そう叫んで今にも駆け出そうとした彼女を……
「ダメだよ会長、今から行っても間に合わない。
それに例え、間に合ったとしても僕は会長を行かせるわけにはいかない」
張り詰めた言葉と共にミリアム・オライオンが静止した。
その表情と声音は普段の天真爛漫な子どもと言った様子ではない、歴とした情報局員としてのものだ。
「どうしてミリアムちゃん!私があの二人を止めないとならないんだよ!!」
何故ならば、あんなにも仲が良かった二人が殺し合うなんて、そんな悲劇は絶対に間違っているのだからと、常に無い剣幕でトワは詰め寄る。
「うん、そうだね。ひょっとするとリィンもトワの言葉になら耳を貸すかもしれない」
行って何になるのか、あの状態の二人をどうやって止めるのかと厳しく問い詰められるという予想に反してミリアムから返ってきた言葉は意外にも肯定の言葉であった。
「だったら……」
「だからこそ、会長は行っちゃ駄目なんだよ。だってリィン・オズボーンにとってトワ・ハーシェルは最大の弱点なんだから」
どこまでも冷徹に“弱点”とミリアム・オライオンは告げる。
士官学院の後輩としてではなく、“戦場”というものを味わったことのある先達として。
「リィンはさ、多分僕やクレアが人質に取られても見捨てられると思うんだよね、だって僕達は一緒に肩を並べる軍人だから。仲間の犠牲が怖くて戦いなんて出来ないんだからさ」
淡々とミリアムは語っていく、普段義兄と慕っている存在はおそらく自分を見捨てる事が出来るだろうという内容でありながら、そこに哀しみの色はない。どこまでもそれが事実だと言うように。
「フィオナは……若干怪しいかな。リィンにとっては護りたい人だろうから、でもそれでも悩んだ上で軍人としての筋を通すと思う。
でもそんなリィンでも、もしもトワが人質に取られちゃったら怪しいと思うんだよね。それこそトワの命と引き換えだって言われたら、本来だったらあり得ない事もしちゃうかもしれない」
「待て、つまりお前はこう言いたいわけか。帝都へと赴けばハーシェル会長を貴族連合が、副会長殿を脅すための人質にしようとすると。いくらなんでもそれは……」
「するでしょ。ユーシスだって見たでしょ、騎神のデタラメさを。アレを人質一人取るだけで、無力化出来るんだったらやらない理由がないと思うんだけど。
「……ッ!」
どこまでも歯に衣着せないミリアムの言葉を前にユーシスは手を強く握りしめながら俯く。
反論は出来なかった、既に宰相暗殺、そしてクーデターという暴挙をやっているのだ。
クーデターが失敗に終われば待っているのは“逆賊”となる破滅の未来である以上、それをたかだか平民一人を人質に取る程度で防げるというのなら躊躇いなくそうするだろうとわかってしまったがために。
正々堂々と敗れ去る位ならばどれほど悪辣と蔑まれようと、卑怯な手を使ってでも勝利を掴み取る、それが“戦争”なのだから。
「姉さん!こんな光景を見せて一体どういうつもりなの!!!」
自分が弱点なのだと突きつけられて、何も言えずに立ち竦むトワの姿。
そんな姿と同様に導き手でありながら、何も出来ずにただ己が選んだ起動者の戦う姿を見ることしか出来ない無力感、それらを誤魔化すようにこれを見せている姉へとエマは怒りを叩きつける。
「どういうつもりもなにも、“忠告”よ」
「忠告……?」
てっきり「確かな絆で結ばれていた二人の起動者が、死闘を繰り広げる。こんな極上の歌劇はそうそう見れるものではないからそのおすそ分けよ」等と言った悪趣味な回答が来るのではと身構えていたエマの予想に反して、姉の言葉はどこか真摯な熱を帯びたものであった。
「ええ。ねぇ、エマ。貴方は今、そんなところで何をしているのかしら?」
「何って……」
「起動者を導くことこそが、私達魔女の眷属の務め。にも関わらず、貴方は彼を起動者として見定めるのにずいぶん時間がかかったわね?既に私が起動者を一人導いているとわかりながら、そしてそのために彼は騎神を手に入れるのが遅れた。貴方が出会ってすぐにその使命を果たしていれば、もっと彼は安全な道を歩けたかもしれないわね。ーーーたかだが一週間であそこまで戦えるようになった事は驚嘆するしかないけど、逆に言えば、そうなるために彼はとんでもない無理をしている事でもあるわよね」
「それは……」
それはエマにとって否定できない指摘であった。
エマにはエマの言い分がある、幾多の騎神の力に溺れて、“悪魔”へと成り果てた起動者を知っているからこそ慎重になったのだと。
しかし
「まあ、貴方には貴方の言い分があるのでしょう。
だけど結果として、彼は騎神を手に入れるのが遅れて、今クロウを相手に劣勢に立たされている。
それは動かし難い事実よね?」
「……ッ!」
容赦のない姉の指摘、それを前にエマは唇を噛んで黙り込む。
そしてそんな妹の様子を見ても蒼の深淵は緩める事無く、糾弾を続けていく。
「貴方の決断が遅れている間にも貴方の起動者は決断して進み続けたわ。
だからこそ、とうの昔に決断して先に進んでいたクロウに曲がりなりにも追いすがる事が出来た。
翻って導き手たる貴方はどうかしら?導く事は愚か、付いて行く事すら出来ていないんじゃない?」
反論する事は、出来なかった。姉の指摘は何もかもがその通りだったから。
そうして黙り込んだ妹に対して姉は、どこまでも優しく語りかける。
「ねぇ、だからいっその事もう魔女の使命なんてもの放り捨ててただの女の子として生きなさい。
貴方も、もう年頃なんだから反抗期の1つや2つ経験すればいいのよ、婆様の言いつけなんて無視してね」
魔女としてではない、姉としての妹を思う純粋な善意を滲ませていたのも一瞬、魔女は再びその口調を真剣そのものな様子へと戻して
「それでも尚、使命を果たす事にこだわるのだというのなら、この光景を良くその目に焼きつけておきなさい。
今繰り広げられている光景こそが古より続いてきた、巨いなる運命。騎神とその担い手たる起動者の争いよ。
この“現実”を前に抗おうというのならば、確固たる覚悟を抱きなさい。
でなければ呑み込まれるだけよ、巨いなる運命へとね」
それだけ告げると言いたい事は言い終えたとばかりに、ヴィータは黙り込む。
繰り広げられる光景、親友同士だったはずの二人が、本気の殺意をぶつけ合うその光景は未だ未熟な雛鳥達に否応無しに運命の残酷さを突きつけるのであった……
・・・
戦いの火蓋は空での激突で以て切って落とされた。
クロウ・アームブラストが蒼の騎神を駆り、上空へと躍り出たからだ。
クロウがそうした理由は至って簡単、騎神の操縦において歴代の起動者が最も苦労するのが、空での戦闘だからだ。
騎神そしてその騎神を下にした機甲兵は操縦者の実力がそのまま反映される機体だ。
それは単純な操縦技量だけの問題ではない、術者の力量がそのままに反映されるのだ。使い手に依らず均一な性能を発揮する戦場から英雄を駆逐していく他の兵器とは真逆の、戦場に“英雄”を再びよみがえらせる兵器、それこそが機甲兵であり、騎神とはそんな機甲兵の基となった存在である。
しかし、どれほどの歴戦の達人であろうとまず経験することのない戦場がある。“空”である。
人は鳥のように翼を持った存在ではない、故にどれほど高く飛翔しようとも一度飛んでしまえば後は落ちてくるだけである。故に如何なる武術でも、まず上空に飛び上がるような行為は下策とされる。一度飛び上がってしまえば後は自由に身動き出来なくなって、良い的を晒すだけなのだから。
体捌きにしても術技にしても、まず地に足をつけている事を前提として叩き込まれる。当然だ、重ねて言うが空を飛んだまま戦う事など人間にとってありえるはずがないのだから。
だが、そのあり得ない事が“騎神”に於いては現実となる。
そしてなまじ騎神が生身での動きをトレース出来る人の形をした兵器なだけに、その齟齬は大きくなる。
この齟齬を修正して上空でも地上と遜色のない動きが出来るようになるには、騎神に選ばれた起動者、達人であっても生半可ではいかない。
いや、むしろ身体に地上での動きが染み付いた熟練者であればあるほどに空での戦いに適応するのに苦労することになるのだ。
すなわち、騎神の操縦の経験の差、それが一番反映されるのが空を飛びながらでの戦いなのだ。
だからこそクロウ・アームブラストは空での戦いを選んだ。そこにあえて相手の得意な土俵で戦ってやる等という驕りは一切ない、目の前の“宿敵”の桁違いぶりを知っているからこそ、心の中にある負い目を奥へと追いやり、ただただ全力で勝利を得るために邁進する。誰かのためでもない、自分でもわからない、自分の中にある譲れない思いのために。
そしてリィン・オズボーンは不利とわかりながらもそれに乗らざるを得ない。
戦いにおいて高所を奪うことから齎される優位性はいまさら語るまでもない、星には重力というものが存在する以上上を取ったものは、取った分だけその位置エネルギーを攻撃に利用できるという事なのだから、敵が空に上がっているというのに自分は地面に縫い付けられたままでは、一方的な展開になるだけなのだから。
加えて、上空での戦いならば周辺への被害を考えずに思う存分に戦えるという理由も存在した。
かくして灰と蒼、2体の騎神は帝都の上空で激突し合う。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!」
獣の如き咆哮を挙げながら、リィンの駆るヴァリマールは蒼の騎神へと猛攻を加える。
荒ぶる炎のように、胸の中で燃え盛る憎悪という業火を叩きつけるべく。
しかし
「どうした!そんなもんか!!!」
その烈火の如き猛攻は総てあっさりと防がれる。
まるでどれだけの業火であろうと、深遠なる海を前にすれば容易く鎮火されてしまうかの如く。
戦闘開始から数十分、灰の騎神には既に少なからぬ損傷が刻まれているのに対して蒼の騎神は未だ無傷であった。
此処まで戦いが一方的な様相を呈しているのは、無論起動者となってからの経験値の差もあるが、それに加えて二人の精神状態もまた少なからず関係しているだろう。
クロウ・アームブラストは、こうなることを予想して覚悟していた。
己が本願、ギリアス・オズボーンを討つという事はすなわち親友たるリィン・オズボーンと袂を別つ事だという事を。
いずれ、こうなることを想像していたからこそ彼は迷い、その上で決断したのだ。
そして彼はそのための準備も整えていた、間近で見続けたヴァンダールの双剣術。それをいずれ相手取る事になると予想して。
一方のリィン・オズボーンにとって此度の出来事は全くの慮外であった。
貴族連合に起動者が就いている事は予想していた、だがそれがまさか親友だと信じていたクロウ等と。
ーーー更には帝国解放戦線のリーダーである《C》であり、父を殺した張本人である等。
裏切られたという思いは怒りと憎悪に変わり、彼を駆り立てる。
しかし、憎悪によって動く今の彼に振るわれる双剣はどこまでも荒々しかった。
何故ならばヴァンダールの剣とは“守護の剣”なのだから。
“護るために殺す”のこそが守護の剣なれば、今のリィンの振るう“ただ殺すための剣”はどうしてもその深奥“武の理”から遠ざかる。
その攻撃は確かに凄まじい、凡百の使い手であれば為す術無くあっさりとその生命を断たれていたことだろう。
されど、クロウ・アームブラストは断じて凡百の使い手に非ず、本来の獲物である双刃剣を振るう今の彼は紛れもないリィンと同様“達人”と称するに足る使い手である。
故にこそ、その粗を突くのは至極容易かった。
「何でだ!何で……届かない!!!」
あるいは、完全に胸の中から溢れでる憎悪に身を総て任せてしまえば、その身を完全な鬼へと化してしまえば、こうはならなかったかもしれない。
技術等というのはつまるところ、力無きものが力を持つ者相手に勝利を掴みとるために手に入れた武器なのだから。人という非力な種族が、上位種たる存在に対抗するために身に着けたものこそが“技”なのだから。
そんな
だが、それは出来なかった。何故ならば、目の前の復讐者を生んだのが他ならぬ父の行いだったと、そう理解できてしまえるだけに、そんな自分がどの口で父の仇と吠えるのかという思いが心の片隅にあるから。
ーーー何よりも、目の前の親友との黄金の日々が、もう砕け散ってしまいバラバラになったその断片が今も心の中にあったから。どうしても父の仇と憎み切る事は出来なかった。
怒りと憎悪に塗れたその双剣は“鋼の境地”に程遠く、されど積み重ねた思い出と常に己を律してきた強固な理性は完全に憎悪へとその身を委ねる事を許さず。
故にその中途半端な揺れる常人と同様の心理状態から出せる力はどこまでも常識的な範囲内となる。
騎神からのフィードバックをその
徐々に、だがされど確実に蓄積していった機体への損傷は動きを鈍らせていき、そしてーーー
「ガハッ……」
「あばよ、リィン」
お前は間違いなく俺の
上空に佇む蒼の騎神と地に這いつくばる灰の騎神、それは“勝者”が誰であり、“敗者”が誰であるかを否応なく突きつけていた。
憎悪に塗れたその心は、相手の覚悟を理解し、敬意を払った上で
かといって、完全に憎悪に身を委ねた鬼へとなる事もできない、今のリィンはそんなどこにでもいるどこまでも
そして“英雄”でないただの人間に突きつけられるのは何時だとて無情で残酷な現実だ。
順当に、経験の差という劣位を覆す“奇跡”を起こす事無く、“灰色の騎士”は“蒼の騎士”へと敗北したのだった。