「もう、お友達を連れてくるんだったら手紙にそう書いておいてくれれば良かったのに……」
「いや、俺も連れてくるつもりは一切なかったんだよ姉さん」
嗜めるかのようにそう告げてくる姉フィオナの言葉に対してリィンはため息をつきながら応じる。
あの後魔獣退治など腕の立つ人物を必要とし、緊急性が高いと思われる依頼をクロウやアンゼリカもいるうちにこなしてしまおうという事になった四人は午後の時間を使って取り組んでいった。そうして地下道に居る三体の魔獣を、もう閉鎖したほうが良いんじゃねぇのかここの地下道とはクロウの弁である、倒し終えた四人が地上に帰るともう夕暮れとなっており、明日の再会を約束して四人はヴァンクール大通りにて別れるのであった。
そうしてトワのほうにはアンゼリカが、リィンのほうにはクロウが泊まる事となったわけだが……
「しかしお前反則だろう、鉄道憲兵隊にあんな綺麗な姉ちゃんがいるかと思ったら、こんな優しく料理上手で綺麗な姉ちゃんもいるのかよ」
がつがつとフィオナがリィンのために腕によりをかけて作った料理を一切の遠慮なく平らげながらクロウはそんな言葉を口にする
「……クロウ・アームブラスト君、君が今平らげている料理はその優しくて料理上手で綺麗なフィオナ姉さんが久方ぶりに帰省した俺のためにわざわざ腕によりをかけて作ってくれたものなのだが、少しは遠慮というものをする気はないのかな」
16歳という未だ成長途上のリィンの肉体はその激しい運動量に見合うだけの栄養を欲しており、リィンはそれなりの健啖家であった。フィオナもそんなリィンの事は重々承知の上でそれなりの量を用意して待っていたのだが……
「けち臭いこと言うなよ、俺たち友達だろ、な、親友」
突然押しかけた負い目など欠片も感じさせない欠食児童がもう一名加わってしまえばこの通りである。用意されたリィンの好物であるシチューはクロウの三杯目のおかわり、リィンは二杯お代わりしてフィオナとエリオットはお代わりをしていない、によってあっという間に空になってしまっていた。
「感動的な言葉だな、お前がそういう台詞を吐くのは決まって俺に金を無心する時やさもなくばこういう風にずうずうしく何かを頼み込む時だが」
そんな二人の様子を見てフィオナはクスクスと笑い出す
「ふふふ、安心したわ。貴方にもそんな風に仲の良い友達が出来て。10歳の時に軍人になるって宣言して以来貴方が仲の良い友人と言えばエリオット位だったもの」
少なくとも今、目の前で繰り広げたような光景を見ることもリィンが友人を家に連れてくるような事も10歳になってからはとんとなくなってしまった。そんな義弟の様子を危惧していたフィオナとしてはクロウのような友人が出来たことは大変に嬉しかった。
「ククク、そういやお前さん俺とこうして友人になるまでは男友達いなかったもんな。つるんでいるのはゼリカにトワ、後はフリーデルと見事に女ばかりだったもんな」
数少ないリィンに対してクロウが優位に立てる部分なのだろう、してやったりと言った顔で入学してからしばらくのリィンの友人の少なさを揶揄する言葉を吐く
「失敬な事を抜かすな、Ⅰ、Ⅱ組での友人がアンゼリカとフリーデル、後はランベルトの奴位でそれ以外の貴族生徒からは敵視されるか遠巻きにされるかと言った状態だったのは認めるが、Ⅲ~Ⅴ組の平民生徒との仲は比較的良好だったぞ」
「で、曰くその比較的良好とやらだったⅢ~Ⅴ組の仲で互いに友人と呼べるような関係だった相手はどの程度居た?」
「……………」
クロウたちと行動を共にする前の自分に友人と言える存在が多くない部類だった事を自覚しているのだろう、リィンは拗ねたような顔を浮かべてプイと顔を逸らす
「ほれ見ろ。入学してからのお前さんは鉄血宰相閣下のご子息様という名に一切違わぬ、本当に如何にもと言った感じのエリート軍人候補生って感じだったからな。平民生徒は平民生徒でとっつきにくいって思っていたんだぜ。だから感謝しろよ、これも全部俺がそんな堅苦しい誰かさんに色々と教えてやったあげたおかげなんだからよ」
不良生徒であるクロウと接するようになって良い意味で肩の力が抜けたのだろう、雰囲気が柔らかくなったと最近のリィンは評判であった。根底にある真面目さは変わらないものの、寛容になったと言うべきだろうか。クロウの方はクロウの方でリィンと接するようになってサボる回数が減ったので、そういう意味で言えばこの二人を組ませたナイトハルトは慧眼であったと言うべきだろう。
「そうだな、その点に関しては感謝している。なるほど、ギャンブルにのめり込むと人はこうも無様をさらすものかと言う生きた見本、反面教師の類にはこれまでの俺はめぐり合った事がなかったからな」
そうリィンは目の前の悪友のおかげで確かに自分が成長できたという事を認めつつも素直にそういうのは癪なのだろう、度々金欠に陥り金の無心をしてくる事を思い出しながらそんな揶揄するような言葉を吐く
「あははは、でもリィンは確かに変わったよね……雰囲気がすごく柔らかくなったと思う。トールズに行って良かったんじゃないかな?」
「そうだな、その点に関しては俺も反論する気はないよ。まだ入学してから半年も経っていないが、既にいくつもの掛け替えのない出会いと経験を積めた。クレア姉さんの薦めに従ってトールズにして良かったと心の底からそう思っている」
エリオットの言葉にリィンは微笑をたたえながらそう応じる。
「えっと、せっかくだから聞いておきたいんだけどさ、トールズってどんな感じなのか聞いて見ても良いかな、リィン」
「まず士官学校として見た場合の規律方面ではかなり緩いと言っていいだろうな。先輩や教官に対して敬礼をしなかったところで鉄拳制裁もされないし、そもそも隣にいるような不良生徒が退学を食らわない位だ。そういう意味では士官学校というよりは名門高等学校と言った側面の方が強いという近年の評判の通りだ」
自分の学院生活というよりは学院そのものがどういうところなのかを気にしているようなエリオットの様子に一瞬疑問を持ちながらもリィンは質問に対する答えを述べていく
「だがそれは決して甘かったり優しいというわけではない、むしろその逆だ。トールズ士官学院の卒業生は准尉として任官する列記とした士官候補生。当然正規軍での士官としての水準を満たすように高度な教育が行なわれている。その上で芸術科目のように通常の士官学院では学ばないような事までやるわけだからカリキュラムに関してはかなりハードと言って良いだろう」
トールズ士官学院は皇族が理事長を務め、大貴族の子弟や皇族も通う大帝縁の名門学校だ。それ故に学ぶ内容はかなり広範かつ多岐に渡る。そしてその上で学院長を正規軍元帥が務めている列記とした士官学校でもあるのだ。いわばそのカリキュラム内容は士官学院と名門高等学校双方の内容をやっているようなもの、当然ながら並大抵の人物だと付いていくことは容易ではない。
そこでリィンはフィオナが入れてくれた食後のコーヒーを一杯飲み一息入れて
「加えて規律が緩いがそれはつまり翻すと学院生徒に対して自分で自分を律する事が求められるという事でもある。自由行動日がその代表例だな、学院生は今自分が何をすべきか考えて行動する事が求められるわけだ」
規律が緩いというのは一見すると楽なように思える、だがそうではない。何をすべきか指示された方が自分で何をすべきかを考えるよりもよっぽど楽なのだ。入学したばかりの頃のリィン等はある意味ではその典型と言って良いだろう、仮に中央士官学院へと進んでいれば彼は大過なく将来有望な非の打ち所のない士官候補生として過ごしていたはずだ。少なくともどの部活動に参加するかを迷うような事も、今隣にいる悪友のような存在と出会って派手な喧嘩をするような事もなかっただろう。
そしてそれは何も悪いわけではない、規律や秩序というのは世の中というものを大過なく動かし、回していくために必要なものなのだから。社会機構、軍組織というものを忠実に大過なく回す歯車となること、それは一部の英才にとっては耐え難い苦痛であっても多くの凡人にとっては多少の不満はあれども十分に幸福と言って良い道なのだ。
だがトールズ士官学院は違う。忠実な歯車ではなく、自らの意志で考え、行動する事を求めてくる。ただ上の意見に唯々諾々と従うだけではなく、自らの頭で考え自らを律し自ら進んで行動できる、そんな人物こそがかのドライケルス大帝の求める
「とまあ、この優等生は糞真面目にこんな事を言っているわけだが、みんながみんなこんな感じってわけじゃねぇからその辺は安心して良いぜ。俺なんかこうして学校サボって帝都に来ているわけだしな!」
あくまでリィンのようなのは一部の優等生だけで色んな人間がいるのだとクロウは若干気圧された様子のエリオットへと安心させるような笑みを向ける。
「威張って言うことか。そもそもお前やアンゼリカのように学院をサボるような人間だって十分希少例だろうが」
「お、その様子じゃ自分も希少例だって言う自覚は一応芽生えてきたみたいだな。以前までのお前さんはナチュラルに自分がやれる事を他人にも求めている節があったからな。出来る奴にありがちな事だから気をつけておいたほうが良いぜ」
自分が出来たのだから他人にとて出来る事だろうと言う他者に求めるハードルが高くなりがちなある種のエリートが持ちがちな悪癖。遊び心が無いのに加えてそういうところが平民生徒からの評判自体は悪くなかったのに距離を置かれていた原因だとクロウは指摘する。
「……そうだな、留意しよう。確かにこのあたりは以前からクレア姉さんやナイトハルト教官、それにレクターさんにも指摘されていたからな」
自覚をしたのだろう、そう素直に頷いた後にリィンはリィンで友人への忠告を行なう
「だからお前にしてもアンゼリカにしても気をつけたほうが良いぞ、俺やトワはお前もアンゼリカも陰で努力していることは知っているが、そういう部分は得てしてかつての俺のように表面上しか見えない周囲からはわからないからな」
サボってばかりなのに成績自体は良い、こういうタイプは得てして真面目な努力家からは嫌われるものだ。頑張っている自分が何故サボってばかりのあいつらに負けているのだと、というわけだ。無論その人物が真実どれほどの努力を重ねているかなど、陰や内面でどれほどの努力や葛藤があるかなどは当人にしかわからないのだが、それでも自分の目に映るものを信じて、映らないものには中々に意識が向かないのが人間である。
そういった優等生としての観点からリィンはリィンで目の前の悪友と、今この場にはいない友人を危ぶんでいた。
「へいへい、肝に銘じとくよ」
心から自分達を慮った発言だったからだろう、そんなリィンからの忠告にクロウも肩を竦めながら頷く。そうしてリィンとクロウはエリオットとフィオナの前で学院での生活についての話で盛り上がるのであった。
「エリオット、今少しいいか」
「リィン、どうしたのわざわざ僕の部屋になんか来て?」
コンコンと自室のドアをノックする音とそんな声を聞いてエリオットは自室へと親友を迎え入れる。あの後一通り話し終えると宴もたけなわとなり、各々自室に、クロウは客間へと、戻っていたわけなのだがわざわざもう一度尋ねてきたリィンの様子にエリオットは首をかしげる。
「いや、なんというか突然トールズについて尋ねてきたからどうしてだろうと思ってな、少し気にかかったんだ」
「ああ、そっかなるほど。そういえば言ってなかったね、理由としては簡単だよ。僕も来年からトールズに通うことになりそうだからさ。まだ試験に合格していないからあくまで予定だけどね」
どこか陰のある笑顔を見せながらそう告げてくるエリオットの言葉にリィンは目を丸くする
「いや、だけどエリオットの夢を確か音楽家で音楽院に進みたいって話だったじゃないか、なんでまた急に」
「父さんがさ……趣味でやるなら良いけどそれを仕事にする事なんて許さないって……それで士官学校の中でも芸術科目とかがあるトールズにする事にしたんだ」
どこか諦めの色を見せながらそう告げて来る親友の姿にリィンは「将来自分がプロになって演奏会を開く事になったらリィンを真っ先に招待してあげるからね」と笑顔で告げて来たかつての言葉を思い出して……
「でも……その、良いのか?演奏家になるのはエリオットの将来の夢だっただろ?」
本当にそれで良いのかと問いかけるリィンの言葉にエリオットはどこか諦めの色を漂わせて
「しょうがないよ……父さんが駄目だって言うんだもの……僕はリィンみたいに強い意志を持てないんだ。リィンみたいに
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
父親に逆らってでも、自分に対するどこか羨望の混ざったエリオットのその言葉を聞いた瞬間にリィンの思考が真っ白になる。
軍人になるというのはリィンにとって幼い頃からの憧れであり、夢であり、目標であり当然の事であった。そして二人の父は全力でそれを応援してくれた。
クレアとレクターという優秀な家庭教師からの教育、ヴァンダールの剣術道場への紹介、父ギリアスは約束どおりに自分が軍人になるにあたって最高の環境を用意してくれた。
養父であるオーラフにしてもそうだ、リィンが軍人になるのだと宣言したら涙を流しながら大喜びして時間のあるときに貴重な話や軍人としての教えを授けてくれた。
そう、リィン・オズボーンには親に将来の夢を否定されたり、反対されたという経験がない。彼の周囲は皆こぞって彼が軍人となるという夢を応援してくれたからだ。
だからこそもしも、もしもオーラフが、そしてギリアスがある日軍人になるなと言い出した時果たして自分はどうするのかという事を初めて想像してリィンの思考は硬直する。
例えばある日、父ギリアスがお前には軍人にではなく政治家になって貰いたい、あるいは外交官や行政組織の官僚と言った職になって貰いたいと言ってきた時に自分はどうするだろうか?
関係ない、軍人になるのは自分自身の夢なのだからどれほど父さんが反対してきたところで俺は軍人になるのだとそう胸を張っていえるのだろうか?
言えないのだとすれば、あるいはそれは軍人になりたいという夢は自分自身の意志なのではなくただただあの日の約束を守って父に褒めてもらいたいだけというものかも知れずーーー
「ご、ごめんね、僕が変な事言うから困っちゃったよね」
思考の迷路に迷い込んでしまったリィンの様子を自分になんて声をかけて良いかわからずに考え込んでいるとエリオットは判断したのだろう、そんな風に固まったリィンへと話しかけていた
「あ、ああ……いや、良いさ別に……」
「何にせよ合格した時はよろしくね、また色々とトールズについても教えて欲しいな」
「もちろん、構わないさ。それじゃあお休み」
そうしてエリオットの部屋を去り、自分のベッドに横になったリィンを睡魔が襲い出し、リィンはそれへと身を委ねる。もしも父の希望と自分の夢が食い違ったとき、果たして自分はどうするのかという疑問、それが心のどこかに残ったままに……
トールズって一見すると甘い学校に思えますけど、その実生徒に対して求めているハードルが糞高いところだと思います。自分で自分を律する事が出来る人間ってのはそういませんから。