「オーラフおじさん、僕、お父さんにとって要らない子なのかな……僕がいると邪魔なのかな……」
それはリィン・オズボーンがクレイグ家に引き取られて間もない頃の話、今日から私たちも君の家族だと暖かい笑みを浮かべながら告げる家長オーラフ、フィオナお姉ちゃって呼んでねと優しく告げる長女フィオナ、えっとよろしくね、リィン君と戸惑いながらも仲良くなれれば良いなと願いながら告げる長男エリオットらの前でリィンはポツリとそんな言葉を溢していた。
無理も無い話だ、愛するたった一人の母を失った直後に唯一残された父は、部下であるオーラフ・クレイグに預けて以後、生死の境をさまよう重傷を負ったその5歳の息子のところに姿さえ見せなかったのだから。
自分は捨てられたのだと、そう5歳の少年が思ってしまったところで一体誰が責められようか。
だがそんなリィンの心配に対してオーラフは優しく首を振りながら、ポンとその頭に手を置いて
「そうではない、そうではないぞリィン君。君のお父さんは決して君が邪魔だから私のところに預けたのではない、むしろその逆。君が大事だからこそ、君を守るためにウチに托してくれたのだよ」
「僕を守るため?」
目線をしっかりと合わせながら優しく微笑みながらそう告げるオーラフの姿にリィンはかつて「お前は私の自慢の息子だよ、リィン」と告げながら優しく頭を撫でてくれた父ギリアスの姿を重ねながらそんな風に応えていた
「ああ、君のお父さんはもう二度と君や君のお母さんのような目に合う人が出ないようにするために悪い奴らと戦う道を選んだんだ。だが、そのせいで悪い奴らに君が狙われかねない。そうしてそうなった時に今度は君を守りきれず、君が死んでしまうかもしれない。そんな未来を避けるために私のところに預けたのさ」
それは子ども相手だからという理由で世の中を善と悪に単純化した話し方ではあった。人間同士の争いにおいて絶対的に正しい側と絶対的に悪い側というのはそうそう存在しない。自分達改革派と争っている貴族とて守るべき領民の生活などを背負っている。中には今回の凶行を起こしたような者もいるが、それは改革派とて同じこと。皆が皆清廉潔白というわけではないし、貴族派にとて祖国の先を心より案じている者もいる。
改革派と貴族派の争いというのは平民と貴族の争いであると同時に中央と地方の対立でもあるのだから。予算という取り分けるためのパイが限られている以上、その切り分け方で泣く人間はどうしても出てくる、それが国家であり社会であるのだから。
だがそういった事情を学ぶのはもっと大人になってからでも良い、今目の前で傷ついた少年に必要なのはそんな小難しい話ではないのだから、とオーラフは考えて続けていく
「君のお父さんは君の事を捨てるような人だったかい?」
オーラフにとって敬愛する上官であるギリアス・オズボーンは心から我が子を愛していた。それこそオーラフがエリオットとフィオナを愛するのと同様に。……どちらの息子が可愛いかで競い合う帝国軍の未来を担う二人の部下の様子に、ヴァンダイク元帥等は呆れた様子を見せていたものだった。
「ううん、僕が良い子にしているといつも優しく頭を撫でながら「お前は私達の自慢の息子だ」って褒めてくれた」
そう応えるリィンの様子にオーラフは優しく微笑みながら続ける
「きっといつか、ギリアス閣下は君を迎えに来るはずだ。だからその時にお父さんに胸を張ってどういう風に過ごしていたかを報告できるように何時までも泣いていないで、元気に過ごさないと駄目だぞ」
「うん! 僕が良い子にしていたらお父さん、早く迎えに来てくれるかな」
そうして、ようやく笑顔を見せた新しい息子の姿にオーラフはああ、お父さんもその日を楽しみにしているはずだと優しく告げるのだった……
それから程なくして自分を暖かく迎えてくれたクレイグの家にリィンは瞬く間に溶け込んだ。それこそ本当の家族であるかのように暖かく包み込むクレイグの人達をリィンはすぐに大好きになり、自分と同じ位の年齢であるエリオットと親友と呼べる関係になるのも、オーラフの事をオーラフ父さんと呼ぶようになるのにも、フィオナの事をフィオナ姉さんと呼ぶようになるのにもそう時間はかからなかった。……なお、リィンが二人の事を父さん、姉さんと呼んだ日はクレイグ家においてそれぞれ記念日となっている。
リィンとしては幼少期ならばともかく、思春期となって以降は正直色々とキツイので辞めてほしいと思って居るのだが、そうやって告げると二人揃って「うおおおおお、なぜだリィンよおおおお、リィンは父の事を嫌いになったのかああああ」「クスン……私じゃリィンちゃんに勉強を教えたり出来ないものね……クレアさんにお姉ちゃんの座を取られちゃうんだわ……」などと泣き出すために毎年その日になるとリィンは乾いた笑いを浮かべる親友を他所に遠い目をしながら二人にされるがままとなるのであった。
「リィンが来てくれて本当に良かったよ、もしも僕一人だったらコレが全部僕だけに向かっていただろうし」とはその親友のコメントである。
「……親友よ、それは友に対する言葉ではなくスケープゴートへと向ける感想ではないのか?」とはそんな親友のコメントに対して返したリィンの言葉である。
これを聞いたエリオットはにこやかな笑顔を浮かべた後黙って視線を逸らしたと言う。
とにもかくにもそんな幸せな幼少期を送りながらも二人の父に憧れるリィンは軍人となるべく、努力を重ねた。努力を重ねたと言っても子どもである以上、本格的な訓練などをしても成長を阻害するために日曜学校での勉強を頑張る、良く身体を動かして好き嫌いをせずに食べる、いじめっ子がいればそれに立ち向かっていじめられている子を助ける、困っている人がいれば親切にすると言った、子どもらしく微笑ましい努力ではあったが、その甲斐あってと言うべきか日曜学校、及び近所でのリィン少年は正義感が強く、とても優しく親切な良い子と評判であった。
そんなリィンに転機が訪れたのは彼が10歳の誕生日を迎えた時であった……
「久しいなリィン、我が息子よ」
帰宅してきた父オーラフをリィンが出迎えるとそこには5年ぶりに見る、父ギリアスの姿があった。
「今日で10歳になるわけだが、壮健そうで何よりだ、感謝するオーラフ。君に預けた私の判断はどうやら間違っていなかったようだ」
「恐縮です閣下、私にとってももはやリィンはもう一人の息子です。いざ閣下に返して欲しいと言われる時が来てもその時は閣下と一戦を辞さない覚悟ですぞ」
豪快な笑みを浮かべながらそんな事を告げるオーラフにオズボーンはそうかとだけ告げる。そんな二人の様子を見ながらリィンはただただ混乱していた。予期せぬ父との再会、自分の誕生日を父は覚えていてくれたのだという事実に嬉しさが心を満たす。
言いたいこと伝えたいことが山ほどある、それを告げてまた昔のように優しく頭を撫でてほしい。「良く頑張った、流石は私たちの息子だ」と自慢の息子なのだと褒めて欲しい。そんな想いが心を満たすが、リィンは興奮のあまりに何も言う事が出来ない。そんなわが子の様子を見てオズボーンは……
「さてリィンよ、お前はかつて私にこう言っていたな。将来はこの父のように軍人になるのだ、と」
どこか試すような口調でそう口にする父にリィンは一瞬呆気にとられるが
「その思い、今でも変わってはいないか?」
そんな父の問いかけにリィンは弾かれるように勢い良く答えていた
「はい! 僕の……俺の夢はあの時から変わっていません! 父さんとオーラフ父さんのように立派な軍人になってこの国とそこに住むたくさんの人達を守れるようになりたいんです!」
そして貴方の、父さんのお役に立ちたいんです、と今まさしくただの子どもであった自分と決別するかのようにリィン・オズボーンは尊敬する父にそう宣誓していた。
「そうか、ならばお前には軍人になるに辺り最高の環境を用意してやろう。子の夢を応援するのは父として当然の事なのだから、それが私からのお前に対する5年分の誕生日プレゼントだ」
そう告げて去っていくオズボーンを見送りながらリィンは歓喜に打ち震えていた。父が自分の夢をちゃんと覚えていてくれたこと、そしてその夢を応援するのだと言ってくれたその事実に涙を流しながら父の期待に恥じないように一層努力する事を誓った。
軍人になりたいかと問いかけた父の言葉の中に我が子に対する思いと同時に、まるで
帝都に存在するヴァンダールの道場に対する紹介状を携えて、「閣下から貴方に勉強を教えるように頼まれました、よろしくお願いしますねリィン君」と微笑みながらトールズ士官学院の学生であるクレア・リーヴェルトがリィンの下を訪ねてきたのはそれからすぐの事であった……
この頃のオズボーンはまだオリビエと敵対しているわけでもないし、ゼクスを左遷させた件もないので皇帝の信任厚き宰相とアルノールの守護者との関係は比較的良好です。
オーラフに預けた息子がさー軍人になりたいって言っているのよーでも俺もオーラフも忙しいから稽古つけてあげられないのよーだからさーヴァンダールの剣教えてあげてやってくれない?と言ったらあっさりOKを貰えました。
まあヴァンダールの人間はそもそもそういった親に対する恨みを子に向けるほど狭量ではないので
努力家でいい子なリィン・オズボーン君を無下にするという事はしなかったでしょうが。