鉄血宰相の息子であるリィン・オズボーンだからこそ出来る事もあります。
「マキアス、この後少し良いか。ホテルのロビーで一度じっくり話し合いたい」
夕食を終えてホテルへの帰路、マキアスはそんな風にリィンから呼び出しを受けていた。そうして昼間の件での叱責かと思ったマキアスを待っていたのはホテルのフロントから借りたであろうチェス盤を用意してソファーに腰掛けるリィンの姿だった。「一局打たないか」と誘われるがままにマキアスが席につき対局を始め、しばらくするとリィンは世間話から打って変わって問いかけてきた。
「なあマキアス、お前が気に入らないのは本当にユーシス個人か?」
「……リィン先輩も、僕が貴族憎しの偏見で動いていると仰るんですか」
「ああ、俺からするとそう見える」
バッサリと切り捨てるような尊敬する先輩からの言葉にマキアスは鼻白む。
リィン・オズボーンはマキアス・レーグニッツにとっては尊敬する先輩だ。真面目で努力家で文武両道の首席、軍人志望との事だが軍事の枠だけに囚われない政治と経済に対する深い造詣は政治家志望たるマキアスをして感嘆を禁じ得ないものだった。同じ革新派としていずれは肩を並べて共に大貴族へと立ち向かう、そんな日が来ることを夢想さえしている。
だからこそ、そんな尊敬する先輩からの歯に衣着せぬ指摘はマキアスの心に突き刺さる。
「もちろんどうしたって馬の合わない奴、気に食わない奴というのは居るだろう。俺にだっているしな」
大分成長したリィンとて全員が全員と仲良く出来るわけでは当然ない。中には当然そりが合わない者もいる、リッテンハイムとその取り巻き達などとは未だに険悪なままだし、改善しようという気もない。選民意識に凝り固まった大貴族等というのはリィンにとっても依然変わらず打倒すべき敵だ。
「だが、ユーシス・アルバレアは果たしてなんら美点が見出す事の出来ない傲慢極まる平民を虐げる腐敗した貴族か?俺はそうは思わない」
「……リィン先輩は、あいつのことを随分と高く評価しているんですね」
「まあな、正直最初は俺もこれは如何にもな大貴族のご子息殿だと思ったが、接して見ると中々どうして大した奴だ。少なくともあいつの振るう宮廷剣術には確かな修練の跡が見て取れた。決して口だけの男ではない、それはお前もわかるだろう?」
「それは……はい」
ユーシス・アルバレアは優秀だ。凡その事をそつなく水準以上にこなす。だからこそマキアスとしても対抗意識を燃やしているのだ。もしもユーシスが口だけの家柄しか拠り所のない男ならばマキアスも張り合う事はなくただ鼻で笑って終わった事だろう。何時までもこの国が貴様達のような奴らの所有物だと思うなよ、と。そんな具合に。
「加えて言うのなら、ガイウスとも随分と仲が良い。ガイウスへの態度は対等の友に対するそれだ。見下しているような素振りはそこに一切ない」
「…………」
気難しいところがあり、アルバレア公爵家の名によって平民からは遠巻きにされて、さりとて貴族生用のサロンに顔も出さないまさしく「孤高」というべき様子のユーシスだったが、ただ一人ガイウス・ウォーゼルとは明確に友と呼べるだけの関係を築いていた。それはガイウスの持つ、身分に囚われない気質が良い方向に働いたのが最大の要因ではあるが、ユーシス自身がガイウスを「蛮族」等と見下すような素振りを見せてなかったからでもある。如何にガイウスがその年齢に似つかわしくない成熟した精神を有しているとは言え、無制限に寛容というわけではない。自身を見下してくるような相手であれば友となる事など出来るはずはないのだから。
「そのあたりを踏まえた上で改めて聞こう、マキアス・レーグニッツにとってユーシス・アルバレアは一切わかりあう余地のない不倶戴天の存在なのか?」
決して高圧的にならないように、刺々しさを感じさせないように柔和な表情と声でリィンは告げる。マキアス・レーグニッツは基本的には善良で優秀で、リィンにとっては可愛い後輩だ。同じ革新派の父を持つ事も含めて、道は違えど同じ理想を目指す同志足り得るとも思っている。だからこそ、リィンとしてもこうしてお節介を焼きたくなるのだ。
「…………リィン先輩」
リィンの言葉を聞いてすっかり黙ってしばらく考え込んでいたマキアスだったがおもむろに口を開いて
「なんだ?」
「チェックメイトです」
会話の傍らで行っていたチェス、それの勝利を告げていた。
「………………」
そうしてリィンは改めて盤面に目を落とす。リィンの方の白のキングは完全に孤立していた。
「やれやれ、此処でこっちが優勢な盤面で颯爽と席を立つのが理想だったのに、どうにも様にならんな」
肩を竦めながら告げられるリィンの冗談めかした言葉にマキアスは苦笑いを浮かべる。
リィンはチェスは姉のクレアが好んでいるのもあって多少は嗜んでいる。だがあくまで本当に嗜みという程度である。チェス部に所属しており、帝都のアマチュア大会で入賞の経験もあるマキアスには当然及ぶべくもない、この結果は必然と言えるものだろう。
「それで俺の問いかけに対する答えの方はどうだ?」
「……しばらく一人で考えさせて下さい。リィン先輩の言っている事も理解は出来るんです、僕があいつに対抗意識を燃やしているせいで昼間の時みたいにクラスの皆に迷惑をかけている事も……」
先月の実習でもそうだったように委員長を勤めているエマを筆頭に副委員長でありながらユーシスとの関係が原因でクラスにいらぬ緊張を齎してしまっているという自覚はある、理性においてはリィンの言っている事に理があるという事も
「でも……」
「心が納得してくれないと、そんなところか」
リィンの言葉にマキアスは申し訳なさそうに黙って頷く。そんなマキアスにリィンは微苦笑を浮かべて
「わかった。ゆっくり考えてみてくれ。そしてその上でユーシスとどうしても反りが合わないというのならばその時はしょうがない。俺の方からもサラ教官に色々と手を尽くしてみたがお前達二人の溝はこちらが思っていたより大きかった旨を伝えて、今後の実習では別々の班にするように報告しよう」
そうしてあらかた話終えたリィンはチェス盤と駒を片付け、フロントへと礼を言いながら返却して一足先に部屋へと戻るのであった。
・・・
部屋へとリィンが戻るとそこには今日のレポートの作成に取り掛かっているユーシスが居た。女子の方も問題児のフィーに関してはエマがしっかり見ていることだろうし、ユーシスにしてもマキアスにしても成績優秀であるためリィンとしては今回はほとんど添削で苦労をする事はなさそうだった。代わりに別の方面では散々苦労させられているのだが。
「副委員長殿との話し合いは終わられたかな?魔獣退治の時の
「なんだ、気づいていたのか」
二人に戦場での不和が齎されるもの、それを実感させるためにあえて魔獣にトドメを刺していなかった事それに気づかれたリィンは誤魔化すかのように頭を掻きながら苦笑して応じる
「ふん、あの場ですぐには気づけなかったが、後々冷静になって振り返ってみればわかる。油断なく周囲の警戒をクラウゼルに任せるような班長殿が魔獣に未だ息があった事に気づいていなかった等というのは些か無理のある偶然だ」
ユーシス・アルバレアのリィン・オズボーンへの評価は高い。
アルゼイド流の後継者たるラウラとの一騎打ちの時に見せられたヴァンダール流中伝の腕前、学年首席を務める秀才であり努力家。同じ第三学生寮で過ごしている事で彼がそうなるために一体どれほどの研鑽を重ねているかをまざまざと目の当たりにしている。さらに革新派の重鎮を父に持つという点では、犬猿の仲であるマキアスと同じだが、マキアスとは異なり貴族だからという理由で敵意を剥き出しにすることもなく評価すべきは公正に評価する公明正大な態度。なるほど、副会長、そして自分たちの班長を務めるに相応しい敬意に値する先輩だ、と口に出してはあまり言わないがそう思っていた。
だからこそ、そんな
「でも、効果はあっただろう?」
「否定はしない、業腹ではあるが確かに頭を冷やすには十分な体験だった」
悪びれる事無くしれっと言うリィンにユーシスは釈然としないものを感じつつ頷く。元を正せば、敵の絶命を確認もせずに、周囲への警戒もそっちのけで同じ班員同士でいがみ合っていた自分たちが悪いのだから。その件でリィンを責めても恥の上塗りというものだろう、そんな風に考えて。
「こういう時に、アルバレア公爵家の名を持ち出さない所は君の美点だな」
マキアスの、そしてリィンの嫌うような尊大な大貴族であればまず食って掛かって来ていたはずだ。そんな事をして○○家の人間たる自分の身に万一の事があれば一体どう責任を取るつもりなのだと、だがユーシスはそういった事はしない。彼がアルバレア公爵家の名を持ち出すのは、他者を威圧するためではなく自らを律するため、その名に恥じぬよう在ろうとする誇りとしてだ。ユーシスのそういう点をリィンは高く評価していた。
「ふん、別段美点等という程ではない。ただ恥というものを知っているだけだ」
「その恥を知らない、偉大なる先祖の名誉を自ら汚しているような輩が多いからこそ美点だと言っているのさ」
「ならば尚更だ。そのような愚昧な連中と比較されて褒められたところで嬉しくもなんともない。班長殿は豚と比較され、褒められて喜ぶのか?」
「……なるほど、それは確かにそのとおりだ。そうだな、むしろこんな褒め方は侮辱だったか。すまなかったな、ユーシス」
当人にとってみれば当たり前の事を褒められても人は嬉しくないだろう。「君は息が出来ている、すごい」等と言われればむしろ褒められているのではなく馬鹿にされていると受け取る方が大半だ、自分がユーシスに対して言っていたのはユーシスにしてみればそういう類だったと気づいたのだ。
そしてしばらく沈黙が場を包む。そこでリィンが先程までの軽口を叩いていたのとは打って変わった真剣な様子でユーシスへと問いかける
「ユーシス、本来であれば人様の家庭の事情に突っ込むべきではないんだが、夕方の君のお父上とのやり取りについて聞かせて貰っても構わないか?」
「……それは革新派として将来の敵手について探るための言葉か?」
「いいや、トールズ士官学院の先輩として、班長として手のかかる後輩達の仲立ちをするための言葉さ」
ある程度の推測は出来ている。ユーシスはレストラン《ソルシエラ》の味を「この味で育ったようなものだ」と言っていた。邸宅に専属の料理人を抱えているであろうアルバレア公爵家の人間がである。加えてユーシスの身体に対する配慮が感じた栄養バランスの取れたあの食事、実の父たるアルバレア公爵のあの冷淡な様子、そして紛れもない大貴族の人間でありながらどこか同じ貴族からも距離をとっているような孤高さ。おそらくは、
「……良いだろう。別段隠す程の事でもない。班長殿には何かとご迷惑をおかけしていることだし、その詫び代わりではないが話させてもらおう」
そうしてユーシスはポツリ、ポツリと喋りだした。彼の母親が平民出身であり、自分が所謂妾腹の子である事を。そしてソルシエラのオーナーが伯父であり、母が8年前に死んで公爵家に正式に引き取られるまでは半ば父代わりだった事を。母が死んで屋敷に引き取られてからは、兄に貴族の何たるかを全て教えられた事を。
「……なるほどな、中々に苦労したんだな、君も」
大貴族であるが故に平民からは畏怖される。だが平民出身の妾腹の出であるが故に同じ貴族からも表立ってはともかく裏では陰口を叩かれる。ユーシスの立場は中々に苦労が耐えないと言うべきものであろう。
「ふん、別段その日に食う物に困った経験あるでもなし。母と死に別れている事も、父との関係が冷え込んでいる事もそう、珍しい事ではないだろう」
「ああ、確かにそうかもしれないな」
同情は不要だとばかりに告げられた言葉にリィンは頷く。確かに母と死に別れる事も、
「だが、それでも太平楽に暮らしてきたというわけでは断じてない、だろう?」
リィンは革新派である。血統によって地位や権力を継承させる貴族制に対して批判的である。
だが、それでもその血に相応しくあろうと努力を重ねている真の貴族が居ることは知っている。
そしてリィンやマキアスがに軍人や政治家を目指したのはあくまで自分の意志だった、周囲からの無言の期待はたしかに存在したかもしれない。だがそれでも選んだのは
だがユーシスは違う。彼はアルバレア公爵の血を引いているという理由のみによって、本人の意志が介在しない所でそう振る舞わなければならなくなった。その重責と重圧は軽いはずがない。プライドの高い男故、弱音を吐くような事こそ決してしないが。
「ああ、そのとおりだ。アルバレア家の名を汚さぬよう、何より尊敬する兄の名に泥を塗らぬようそれ相応の研鑽を重ねた自負がある。だからこそーーー」
「だからこそ、ただ
リィンの言葉にユーシスは黙って頷く。加えて言うのならば、それは自分以上に尊敬する兄を擁護したい気持ちもあったのだろう。彼にとってルーファス・アルバレアは尊敬できる兄であり、目標でもある貴族の鑑たる人物なのだから。貴族である事を侮辱される事、それはユーシスにとっては尊敬する兄を侮辱されたに等しい行為だったのだろう。
「会長殿や副会長殿、そして奴以外のⅦ組の面々に迷惑をかけている事は俺とて不本意だ。だが、生憎と喧嘩を売られて笑ってやり過ごせるほどに寛容でもない」
リィンはユーシスの言葉に理がある事を認めた。この件に関して言えばユーシスはあくまで買った側であるというだけであって喧嘩を売っているのはマキアスの方だろう。まあ同じ革新派という事で贔屓目に見ても責任の割合は3:7といった所だろう。
「そういう事ならば、マキアスの方が歩み寄って来たのならそれに応じる用意はあると、そう思っていいかな?」
「貴方達のように仲の良い友人同士には到底なれんだろうが……まあ同じ目標に向かって一時的に協力する仲間としてなら受け入れん事もない」
そのユーシスの答えを聞いた瞬間にリィンは言質はとったと言わんばかりに笑みを浮かべて
「だ、そうだマキアス。どうだ、答えは出たか?」
ドアの向こうに向かってそう問いかけていた。程なくガチャリという音と共にどこか気まずそうな様子でマキアスが入室してくるのであった。
「き、気づいていたんですか……」
「ヴァンダールは主君を外敵から守護するための剣。当然暗殺者からの不意打ち対策のために気配の察知についてだって教わるさ。最も、別にヴァンダール流に限らずある程度以上の実力者ならだいたい出来るけどな」
戦時には闘気を身に纏い銃弾を物ともしない達人でも平時に不意を突かれれば驚くほどに脆い。それこそ臨戦態勢であるのならば何百発くらおうが致命打にならない銃弾たった一発で死んでしまう位に。だからこそ、どの流派でもそうした不意打ち対策としての気配察知の修行は一通り行われる。中でもヴァンダール流は皇族守護というその役目からもそういった技術は特に重要視されている。
中伝であるリィンはまだまだ未熟故そう大した事はないが、これが皆伝に至った達人ならばこのホテル丸々感知する事とて出来るだろう。
「副委員長殿の趣味が盗み聴きだったとはな。チェスとは違い、あまり公言出来ぬような趣味だ。謹んだほうが良いとクラスメイトとしてそう忠告させてもらおう」
「なぁ!?」
「こらこら、そう責めてやるな。部屋に戻ってきたのにこんな会話をしていたらそりゃ入りにくいだろうさ」
リィンはそうマキアスは庇う。最もこっそりと何も聞いていなかったのように部屋に戻ってくるという選択肢をマキアスから奪い取ったのはこの男が暴露したためなのでマッチポンプも良いところなのだが。
「それで、どうなんだマキアス」
ユーシス・アルバレアとお前は果たして本当に不倶戴天なのか、とリィンに見据えられ、マキアスは思案するかのように一度目を閉じる。
そして、改めてユーシスを見据えて
「ユーシス・アルバレア、僕は君の事が嫌いだ。事情があるとはいえ、その尊大な態度はとてもじゃないが好意的にはなれない。だが」
そう、だけど
「僕が大貴族だからという理由で色眼鏡をかけて、君個人を見ていなかったのも確かな事実だ」
そう、
「だから、改めて宣誓しようユーシス・アルバレア。僕は君には決して負けない!!学業だけじゃない、実技でもだ!!そのためにも友人ではなく、同じクラスの仲間として協力する!!あくまで君やエマ君に負けないように、首席になるためだ!!」
それはともすると今までと同じようにユーシスに対して喧嘩を売っているかのように感じられる言葉だったかもしれない。だが、その言葉の中には数時間前までにはなかった確かな敬意が宿っていた。敬意を払うに値する
そんなマキアスからの
「面白い、貴様に格の違いというものを思い知らせてやる」
「ふん、言っておくが座学は僕の方が上なんだからな!」
「
「ぐぬっ!?」
勝ち誇るマキアスの言葉を捉えてしてやったりとばかりにユーシスは反撃する。
そんな風にどこか清々しさを感じさせる張り合いを始めた後輩二人をリィンは穏やかな顔で見守るのであった……
入学式のオリエンテーリングで一回
ハインリッヒの教頭の件でもう一回
そして今回のバリアハートの件と三回に渡るカウンセリングの結果
ようやくマキアスの軟化に成功した模様。
なお、そんな苦労の末にようやく貴族への偏見が薄れた所でやっぱり大貴族って糞だわ案件がこの後待っている模様。