「もう少し早く止める訳にはいかなかったんですか?」
ボロボロとなって運ばれてきたリィンとクロウに一通りの手当てをし終えると、保健医であるベアトリクスは穏やかながらも有無を言わせぬ静かな圧力を身に纏いながらナイトハルトをそう詰問した
「それでは逆に遺恨が燻り続けるでしょう、やるのならば徹底的に互いに本音をさらけ出したほうが良いものです、それは大佐殿も経験からご存知かと思いますが」
リィンにしてもクロウにしても決して狭量であったり、己の身を省みようとしない傲慢な人物というわけではない。ああして売り言葉に買い言葉の果てに最後まで激しくやり合ったとなれば、しばらくして冷静になれば自分が言い過ぎた事を自ずと悟るだろう。
まあそれですぐにすんなりと和解などとはいかないだろうが、ここは戦場ではなくあくまで学院なのだ。不和を抱えたからと言ってすぐに生死に関わるわけではない。
そりの合わない相手とどう付き合っていくか、というのを学ぶ良い機会だろう。等とナイトハルトはあえて二人の喧嘩を放置した意図をベアトリクスへと伝える
「ふふふ、そうですね。本音でぶつかり合える同世代の喧嘩友達というのも、それはそれでこの子達位の年頃では大事ですから。ええ、貴方の意図はわかりますよ」
練磨するという言葉があるように成長するというのは己が身を削るという事である、ならばこそどうにも気に食わない、されど無視することも出来ない、そんな接していて痛みを伴う相手こそが成長のために必要な存在となるであろう。
リィンがアレほどまでに怒りをむき出しにした相手はこれまでに存在せず(リッテンハイムとは度々やり合っているが、相手はともかくリィンは向こうを歯牙にもかけておらずその言葉になんの痛痒も感じていない)、それはクロウもまた同様である。
そういう意味ではこの二人を組ませたナイトハルトはある意味では慧眼だったと言えるのだが……
「この二人を組ませれば最初からこうなるとわかったのですか?だとしたら大したものだと思いますが」
「まさか、流石にそこまでは予想してはおりませんでした。小官はオズボーンとは長い付き合いです、もう7年の付き合いになるでしょうか。故に彼にどこか危うさを感じていたのは事実です」
オーラフの信頼厚きナイトハルトは度々彼の自宅に誘われて、夕食を彼の家族と共にしたものだ。そしてそういった時決まって、尊敬の念も露に目を輝かせながら質問をしてくる上官の義息子をナイトハルトは好ましく思っていた。
あるいは自分には兄弟がいないが、弟が居たならばこんな気分なのかもしれない、等と思ったりしたものだ。……あるいは本当に兄弟のような関係となるかも知れず、それには
「また、力量が近しく、それでいて性格は真逆とも言えるあの両名を組ませることで互いに良い刺激になる事を期待していたのも事実です」
片や絵に描いたような優等生であるリィン、片や絵に描いたような不良生徒であるクロウ。それでいて両者の実力はかなり近しい。
これでクロウの実力がリィンに遠く及ばないようなものであれば、リィンも大して意識しなかっただろうが、あの年頃、そして武人というのはとかく自分と近しい力量を有する好敵手というのに飢えている者だ。
現状貴族生徒でリィンと友人と呼べるだけの関係を持っているフリーデルにしてもアンゼリカにしても、学年内でトップクラスに位置する実力者である事は三人が交友を持つようになった事と決して無関係では無いだろう。
それ故にクロウはリィンの真面目さに、リィンはクロウの不真面目さに互いに刺激を受ければ良いとは考えていた。
「しかし、アームブラストがアレほどまでに宰相閣下に隔意を抱いているというのは予想外でした」
「併合された自治領の出身というわけではないみたいですが、何らかの因縁があるのでしょうね。アレほどの地位ともなれば誰からも恨みを買わないという事は不可能ですから」
売り言葉に買い言葉、なのだろうがクロウの発言は帝国軍人として見逃せないような発言が数多く見られた。
併合した国家や自治州で起こったテロの裏で帝国政府の暗躍が起こった事等の示唆などは、ナイトハルトにしても認められないし、認めてはいけない類の発言である。
例え冷静に考えれば誰もがその答えへと行き着くものであろうと、世の中には公然と言っては問題になる発言というものがあり、クロウの先ほどの発言はまさしくそれであった。
「そういう意味ではあるいは私は教官としてアームブラストの発言を咎めて、士官学院生としての
そうリィンの発言は帝国の士官候補生としてみればなんら間違っていない、模範解答と言うべきものであった。仮にこれが中央士官学院であれば、クロウの発言はそれこそ即刻教官達の会議にかけられ、便所掃除程度では済まない然るべき処罰が与えられ、リィンの方は最初に挑発的な態度をとった事以外は候補生として模範的な態度も合間って軽い口頭での注意で終わっただろう。
「ふふふ、でも貴方もわかっているのでしょう?そうして大人が子ども同士の喧嘩に割って入ったら碌な事にならない位」
「ええ、承知しております。コレはオズボーンにしても、アームブラストにしても成長する良い機会です。私がそこに割って入ってはみすみす彼らの成長の芽を潰してしまうでしょう」
ここでナイトハルトがリィンの擁護をしてしまえば、リィンはやはり自分は間違っていなかったのだと思って終わるだろう。それではいけない、確かにクロウの発言は過激であり、帝国軍人としては看過できないものであった。だが軍人となるならば向き合って、答えを出さなければならないものだ。だからこそナイトハルトはあえて、この問題には不干渉を貫いた。
「叶うのならば、1年後や10年後にはこの二人が今日の出来事をそんな事もあったなと笑い合えるような関係となっているのが一番なんですけどね」
そう微笑むベアトリクスの様子にナイトハルトもまた頷くのであった……
「リィン君、怪我の方は大丈夫?」
「ああ、問題ないよ。ベアトリクス教官殿の治療のおかげでね」
嘘である、一日も経たないうちに治るわけもなく当然今もリィンの身体を鈍い痛み襲っている。だがそれを言えば目の前の少女は心配するだろうし、そもそもこの痛みも己が未熟さ故のもの、甘んじて受け入れるべきだろう等とリィンはどこまでも糞真面目に考えていた。
あの後目覚めたリィンとクロウは互いに存分に吐き出したからだろう、自分達が感情的になりすぎて醜態をさらしてしまった事を悟った。かくして互いにそれぞれ言い過ぎた、すまなかった等と謝罪しあった二人は先ほどまでの喧嘩が嘘のように仲良く
……なるはずもなく、感情的にはなりすぎたものの自分は間違っていない、悪いのは目の前のコイツだと互いに相手を睨みつけ、取っ組み合いの喧嘩こそしないものの「フン」「ケッ」等と言い合いながら互いにそっぽを向くという実に心の温まる目覚めてからの挨拶を行なった。
そうしてナイトハルトから懲罰として便所掃除を命じられた二人は、サボって抜け出したクロウを他所にリィンは黙々とこなして終了の報告をナイトハルトへと行なった。当然ながら報告の際にクロウは途中で抜け出したことを告げる事も忘れずに。
そうして生徒会室へと顔を出したリィンを友人であるトワ・ハーシェルが心配そうに迎えたのであった。
「無理しないでね、なんなら怪我が治るまでは私がリィン君の分も代わるから」
「おいおい、俺をお払い箱にしないでくれよ。トワと一緒に過ごすこの時間が俺は結構好きなんだからさ」
本音である。目の前の少女の優しさに触れて、リィンはさっきまでのささくれ立っていた自分の心が癒されるのを感じた。これほどまでにリィンが心を許すことになった存在は家族であるクレイグ家と敬愛するクレア姉さん以外ではトワ位であろう。
「えへへ、あ、ありがとう。私もリィン君と一緒に過ごすこの時間が好きだよ」
「それは何よりだ」
照れながらも応じるトワとそれに対してクロウに向けていた表情とは裏腹に優しい笑みを浮かべるリィン。なにやら生徒会室に甘酸っぱい雰囲気が漂い出すが……
「オズボーン君、なにやら派手に喧嘩をしたようだな。それも講義中に。君とアームブラストの喧嘩は既に学校中の噂になっているぞ」
ゴホンとそんな空気を振り払うように咳払いをして生徒会長を務める二年生のフリッツ・ブラッケが厳格な表情でリィンへと話しかける。
「私としても彼には好意的になれんが、それにしても今回の件は君も聊か感情的になりすぎたのではないのかな?……尊敬するお父上を侮辱されて怒るのはわかるがね」
帝国政府に務める革新派の官僚の父を持ち、規律を第一とする優等生の会長は基本的には不良生徒であるクロウは問題視していたし、逆に優等生であるリィンに対して好意的であったものの、そうリィンへの注意を述べる
「は、返す言葉もありません。生徒の模範たるべき生徒会の一員として恥ずべき行いをしてしまいました。以後、このような事がないように務めます」
そうして深く頭を下げるリィンの様子にブラッケ会長は満足そうに頷き、以後気をつけるようにとだけ述べて今日の仕事へと取り掛かるのであった。共に規律を尊び、親が革新派に属しているこの二人の相性は基本的に高かった。
「ねぇ……リィン君、蒸し返すちゃって悪いんだけど一つだけ、今日のクロウ君との喧嘩の事で聞いても良いかな?」
生徒会での活動を終えて寮へとともに戻ろうとする最中、トワは意を決したようにリィンへと尋ねていた。
「……ああ、構わないよ。そんなおっかなビックリしなくても、昼間の件は我ながら大人気なかったなと反省しているんだ」
未だ子どもにも関わらずまるで自分はそんな子どもで居てはいけない、いや早く大人になりたいのだといわんばかりにリィンは答える
「うん……あのね、リィン君。リィン君がクロウ君に対して言ってた「必要悪だ」って言葉、アレは……リィン君の本音?」
恐る恐ると言った様子で尋ねてきた、トワの問いに対してリィンは一瞬息を呑む
「私もこうして士官学院に所属している以上、リィン君の言ってた事はわかるよ……うん、士官学院生としてみればリィン君の発言はきっと
実際国と秩序を失った際に一番悲惨な目に合うのはそこに住んでいた普通の人々である。優秀な者は良いだろう、彼らは他国に渡ったとしても、今までの財産などを失っても一からやり直せるような能力がある。
だが、多くの普通の人々はそうはいかない。ある日突然、国という自身を庇護する存在を失って生身で放り出されて平気なものが一体どれだけいるだろうか?そんな存在はどこの国でも圧倒的な少数派である。
近年で言えば塩害にあったノーザンブリアが良い例であろう、一部の人間は出稼ぎで稼いだりしているが、大半の人間はそれも出来ずに今もボロボロとなった祖国にしがみつき、猟兵が獲得してくる外貨によってなんとか生活しているという有様だ。
だからそう、こうして自分が安心して暮らせているのもエレボニア帝国という祖国と、そんな祖国を守護している軍があってこそというのはトワもわかっている。
「だからね、そんな風にこの国に庇護を受けて何不自由なく育った私にこんな事を言う資格ないのかもしれない……」
自分のいう事が偽善や欺瞞だと、幼稚な理想論だという自覚はある。だけど、それでも
「でもね、私リィン君にはそんな風に必要悪だなんてあっさりと片付けて欲しくないんだ。……だってリィン君とっても優しい人だもん。まだ一月足らずの付き合いだけど生徒会で一緒に活動して、リィン君が困っている人の力になりたくて、みんなを護りたくて軍人を目指している人だって私は知っている」
初めて会った時に指輪を探すのを手伝ってくれたことを覚えている。国とそこに住む人達を護れる立派な軍人になりたいのだと誇らしそうな表情で夢を語っていたことを覚えている。一緒に生徒会で活動して、厳しいところもあるけど困っている人には親身になるお人よしなところも。
リィン・オズボーンという少年が誰かを護るためにこそ戦う、とても優しい人なのだとトワ・ハーシェルは知っている。
「だからね、そんなリィン君が、不幸な人を作ってしまうことを『必要悪』だなんて切り捨てちゃうところ、私は……見たくないな」
「…………」
どこまでも優しく、間違っているのだと否定するのではなく、ただそんな自分を見たくないのだと気遣う友人の言葉にリィンは胸を打たれた。同時に自分がどうしようもなく恥知らずな発言をしてしまったと嫌悪に陥る。
「ご、ごめんね!偉そうなこと言っちゃって!!!!」
すっかり沈痛な表情を浮かべて黙ったリィンに対してトワは慌てたようにそう口にする
「いや……ありがとうトワ。君は本当に俺に大切な事を教えてくれるよ」
そんなトワにリィンは優しい表情を浮かべて答えていた
「『必要悪』だなんて簡単に切り捨てて良いことじゃなかった。だって必要だろうとなんだろうと悪は悪なんだ、非難されて然るべきものだ。護ると口にしながら、その手で誰かを殺す事、泣く人を作ること。俺が本当に軍人になると言うのなら、きちんと向き合って受け売りじゃない、自分の答えを出さなければならない問題だったんだ」
そうしてリィンは改めて目の前の少女へと、大切な事をまた教えてくれた事について感謝する
「だから、ありがとうトワ。君はまた、俺に大切な事を教えてくれた」
そんなリィンの言葉にトワはまた慌てた様子で謙遜をして、リィンはそんな彼女への惜しみない賞賛を送るという光景を寮に帰るまで繰り広げるのであった……
リィン・オズボーン君は真っ直ぐかつ努力家ですが、年相応の未熟なところも多い少年です。加えて出自にコンプレックスを抱えずに自信に満ちている分、逆に視野の広さという点では原作のリィンよりも大分狭まっています。
一年生の頃はそんな彼がかけがえの無い友人達と出会い、成長して行く話を描く予定で
トワ会長からは主に優しさという強さを教わっていきます。