ノルド滞在3日目の夜は昨日を上回る盛大な宴が開かれた。昨日の宴の主役はグエン氏であったが、今日の主役は当然の事ながらリィン達トールズの面々である。ノルドの地のために戦火を回避するべく尽力した、若き獅子達。それはノルドの民達にとって獅子心皇帝以来紡いだ帝国との友誼を強く実感させるものであった。
一族でも随一とされる笛の名手ドルジの演奏、昨晩をも上回る豪勢な食事の数々、若干の照れくささを覚えながらもこうして歓迎されて悪い気がするはずはない。饗しの数々にⅦ組の面々は存分にその心を癒やされるのであった……
そんな宴の最中、酔っ払ったグエン氏に昨日に引き続き絡まれたリィンは速やかな戦略的撤退を行い、天幕を抜け出していた。「ときにガイウスよ、お前にはリンデ嬢という親しくしている女性が居るらしいな。一体どう思っているのだ」等と家族からの集中砲火を食らい目を丸くしているガイウスに心のなかで詫びながら。
(ミリアムの奴も参加できたら良かったんだが……)
今回の事件の一番の功労者は間違いなくミリアムだろう。犯人達の潜伏先の特定まで行っていたのだから。本人自身もご馳走にありつけるとなればきっと目を輝かせて喜んで参加した事だろう。そう思うと少々リィンは妹分に申し訳ない思いがした。
(B班の方は今頃、どうしているだろうかな)
ラウラとフィー、対照的故に反発しあっていた二人の様子を思い出す。ユーシスとマキアスの対立は立場故の対立だったが、あの二人はどちらかと言えば気質の対立。優等生と不良生徒という生まれや育ち以上に考え方が正反対だからこその反発。もしも上手く噛み合うような事があれば、あるいは自分とクロウと同じ最高の相棒同士になれるのではないかとそんな予感もしている。
そうしてリィンはふと、何気なく空を見上げる。それは久しく行っていなかった何気ない行動、そしてリィンは目に写った光景に心を奪われる。見たこともない満天の星空。まるで手を伸ばせば届くのではないかと錯覚するほどに星が近く感じられる光景がそこには広がっていた。
(あいつらにも見せたかったな……)
満天の星空を見てリィンが思い出すのは数ヶ月前にした、掛け替えのない友人四人たちとの誓い。卒業前にまた全員で星を眺めようという誓いと卒業後の旅行の約束。
(………………)
鋼鉄と化していた心に迷いが生じる。卒業をしたら5人で一緒に旅に出よう、そんな約束を自分達は交わした。あの時は本当にそれも悪くないーーーいや、楽しみだと思った。彼らと一緒に過ごした日々で自分は成長したという実感があったから、軍に入る前に帝国の外を知る事は有益だと思ったから、何より純粋にあの四人ともっと一緒に居たいと思ったから。
(だけど本当にそれで良いのか)
自分は立ち向かわなければならない現実から目を逸して、ただ自分にとって心地よい楽園に浸っているだけではないのか、そんな思いがリィンの心に過る。それは皮肉にも彼が自分の目指す軍人という職業の持つ負の部分に目が向けられるようになったからこそ生じてしまった疑問。
すなわち自分は何だかんだと理由をつけて、
軍人になればリィンはこれまでも幾度となく目の当たりにした現実、すなわち国家のために“必要悪”を為す決断を強いられる事となるだろう。だが、友人達と旅に出ていればその必要はなくなる。何せ自分はまだ民間人なのだから。
別段逃げているわけではない、見聞を広めるための旅の最中なのだーーーそんな言い訳づくりのために自分は友人達を利用しているだけではないのか、そんな思いが心に過る。
「こんなところで星を眺めていたんだな」
リィンがそんな自縄自縛の思考に囚われているとそんな風に声をかけられる。振り返ればそこには今日共に死線をくぐり抜けた後輩の姿があった。
「ああ、どうやら後輩達は後輩達同士で随分と仲が良いみたいだからな。昨日仲間はずれを食らった哀れな男はこうして一日遅れで一人寂しく星空を眺めていたわけさ」
昨日自分がグエン氏に玩具にされていた傍ら、何やら宴を抜け出して青春真っ盛りなトークをしていた後輩四人を揶揄するようにそんな拗ねた言葉をリィンは口にする。別に一人だけ仲間はずれを食らって寂しかったわけでは決して無い。リィンにとて無類の友と呼べる存在は居るのだから別段羨ましかったわけでもない。無いったら無いのである。
「すまない、別段先輩を邪魔に思ったわけではないんだ。いやむしろ頼りにしている。俺だけじゃない、エマにアリサにユーシスもきっとそれは同じだろう。この数ヶ月本当にお二方には世話になっていて感謝に絶えんと思っている」
「冗談だ。そう真面目にとらえるな」
まあ一割ほどは本気だったが等と内心でリィンは呟きながら肩を竦める。
「どうだろうか、このノルドの星空は」
「素晴らしい光景だな。俺が今までに見た中で二番目に素晴らしい星空だと思うよ」
「ほう、これ以上の光景を見たことがあるのか。それは是非とも教えて貰いたいものだな」
故郷の光景を二番目と言われてもガイウスの声に怒るような色は一切ない。あるのは純粋な感嘆、これ以上の光景があるのならば是非とも見てみたい、そんな思いだ。
「ああ、数ヶ月前トワにクロウにアンゼリカにジョルジュ、あいつら四人と一緒に見上げたトリスタでの夜空さ。だからあいつら四人と一緒にこの星を見上げていたら議論の余地なしに此処の星空が一番だよ」
「なるほど、そういう事ならばいずれまたその四人も引き連れて先輩には来て頂きたいものだ。この光景を護れたのは先輩達のおかげなのだから、皆感謝している」
「礼には及ばん。あの《ギデオン》と名乗った男は俺の父に対して並々ならぬ憎悪を抱いていた。今回の事件を引き起こしたのも父の邪魔をするためだったのだろう。言わば、今回の事件は元を正せば我ら帝国が招いたもの。自分で自分のケツを拭いただけの事、感謝されるような事じゃないさ」
「……いや、それでも礼を言わせて欲しい。確かにこの地に仇を為そうとしていたのは先輩方と同じ帝国の人間だったのかもしれない。だが、それでも先輩方がこの地を救うために尽力してくれた恩人である事もまた事実だ。だから、ありがとう」
ゼクス中将から帝国本土に帰るよう勧められたにも関わらず、この地を守るべく奔走してくれた仲間たちの友情、それを思い出すとガイウスの心を暖かなものが満たす。なるほど、確かにこの地を仇為そうとしてたのは帝国人だったのかもしれない?だがそれが一体何だと言うのか、目の前の先輩、そして掛け替えのないⅦ組の友人達はそれを止めんと尽力してくれたのだ。その友情、想いを目の当たりにして「そもそもお前達と同じ帝国人のやったことなのだからそれ位当然だろう」等心ある人間ならば思えるわけがない。
「ああ、どう致しまして。こういう光景を護るために俺は軍人になりたいと思った。強くなりたいと、そう思った。だから、それがこの地を、ノルドの人々の笑顔を護る事に繋がったというのならこんなに嬉しい事はない」
そうしてガイウスからの感謝の言葉にリィンは穏やかな笑みを浮かべるのであった。
・・・
そんなリィンとガイウスのやり取りをエマ・ミルスティンはひっそりと伺っていた。今回だけではない、エマは入学以来何かとリィンの事を気にかけていた。それは年頃の少女らしい淡く儚い想いをリィンに抱いているから……というわけではない。彼女がリィンの事を気にかける理由、それは彼が彼女が魔女として導くべき起動者の候補であるからに他ならない。
エレボニア帝国の伝承で謳われる「巨いなる騎士」それの担い手の候補がリィンであり、彼女はそんな起動者を導く使命を帯びた魔女である。巨いなる騎士、《騎神》は絶大なる力を有する。それは時に災厄を退けて人々を守り、時に全てを破壊して支配する支配者としても存在した。文字通り起動者次第では神にも悪魔にもなり得る存在、それが《騎神》なのだ。
だからこそエマはこの3ヶ月間その担い手の候補たるリィンを注意深く観察し続けていた。果たしてこの方は《騎神》を
(信じてみよう……リィン先輩のことを)
下した決断、それはリィン・オズボーンを起動者として認めるというものであった。
彼女はこの3ヶ月リィンと接して彼の姿を見てきた。
ーーー厳しくも優しく自分達を導いてくれる先輩としての姿を見た。
ーーーバリアハートでユーシスとマキアス、いがみ合う二人を仲立ちするために尽力してくれた姿を見た。
ーーーそして今、護るためにこそ強くなった、護れて良かったとそう穏やかな笑顔を浮かべる姿を見た。
だから、彼女は決めたのだ。リィン・オズボーンを信じると。
(多分、先輩の性格から考えてもきっと《騎神》の事を軍に報告するでしょうね)
日頃からまさに理想の軍人候補生といった様子のリィンの姿を思い出す。彼の性格上《騎神》という存在を知ってそれを軍や国に隠すという事はまず考えないだろう。打ち明けて報告し、指示を仰ぐだろう。 兵器としての運用、それを考慮に真っ先に入れて祖国と革新派のためにその力を振るおうとするだろう。
だが、それでもエマは「護るためにこそ強くなりたいと思った」と穏やかな笑みを浮かべるリィンを信じると、信じたいと思ったのだ。善なる《起動者》の代表例である、かの獅子心皇帝と槍の聖女とてその力を振るったのは祖国のためであった。権力と結びついたからと言って悪というわけではないだろう、どのみち《騎神》という強大な力を有する者を国家が放置しておくはずがないのだから。遅いか、早いかの違いである。
そんな決意を抱いてエマ・ミルスティンは自分が魔女として導くべき存在、穏やかな笑みを浮かべて空を眺める青年の姿を見つめる。きっと、あの人ならば正しく騎神の力を振るってくれるとそう信じて……
「……ねぇ、エマってひょっとしてリィン先輩の事が好きなの?」
「わ、わぁ!?アリサさん、一体いつからそこに!」
背後から突然かけられたアリサの声、それに驚きの叫びをエマは挙げる。危なかった、この場にセリーヌがいなくて良かった、もしもセリーヌが居れば自分はリィン先輩を起動者として導く決心をしたと伝えて居ただろうから。喋る猫という言い訳の余地が不可能な光景を友人に見られることとなっていただろうから、そんな風に思って。
「ついさっきよ。リィン先輩とガイウスだけでなくエマまで居ないからどうしたんだろうと思って。で、どうなの?」
「どうとは?」
「だからリィン先輩の事が好きなの?」
「……え?どどどどどど、どうしてそんな風に思ったんですか?」
想像の埒外の疑問をぶつけられてエマは一瞬その優れた頭脳を停止させた後に再起動を果たして大慌てでそんな問いかけを行う。彼女からすればそれは想像の埒外の事を言われたための戸惑いだったのだが、アリサから見るとそれは図星をつかれて大慌てしているようにしか見えなかった。
「いや、だってエマってばなんか入学以来気づけばリィン先輩の事をすぐに目で追っているし。今先輩を見つめる目なんて完全に憧れの先輩を見る恋の乙女のそれだったというか……」
「ち、違うんです!リィン先輩のことを気にしていたのはそういうのじゃなくてですね!」
エマ・ミルスティンがリィンの事を気にかけていたのは魔女の使命という誰も知らぬ彼女の事情が理由だ。そう、誰も彼女のそんな事情を知らないのだ。故に使命を果たすための起動者候補の観察も傍から見ればそれは、恋する乙女が憧れの先輩の事をついつい目で追ってしまっているようにしか見えなかった。
それを恋と呼ぶ程のものかは定かではないが、エマのリィンの抱いたある種の憧憬と言える感情。それ自体は決して嘘ではないからこそ、その疑惑は加速する。必死になって否定するエマの姿もアリサから見ると乙女心の発露にしか見えなかった。
「そ、それにリィン先輩にはすでにトワ会長っていう相手が居るじゃないですか!」
リィンとトワ。この二人が恋人同士ではない等と思っているのは学園ではもはや当人たちのみ。親しい友人たちからもすでに後はいつ正式にくっつくかの問題だろうと思われている状態であった。
「うーんまあ確かにねぇ。傍から見ていてもあの二人ってば明らかに両思いというか、ナチュラルに惚気けて来るし。リィン先輩なんて普段は厳しさの中に優しさが見えるって感じなのに、会長に対してはその比率が逆転しているような感じで露骨に態度が違うし」
立ちはだかる正妻の存在、それを想いアリサは確かに強敵だわと頷く。
「でも、まだ正式に付き合っているわけではないみたいだしエマだって可能性がないわけじゃないと思うわ。少なくとも私は応援するわよ!」
「だ、だから本当にそういうんじゃないですってばアリサさ~ん」
他人の恋話というのはこの年頃の少女たちの大好物である。そんな大好物を前にしてキラキラと目を輝かせだした友人を前にエマ・ミルスティンは天を仰ぐのであった……
君は知るだろう
異なる希望が出会うことが 平和への道とは限らないことを
守ることが戦うことである限り 希望もまた争いの中にある
全てを失う可能性を抱きながら 僕たちは未来を求めた
違う道を選ぶことは 許されなかった