四方八方から次々と襲い来る銃弾の嵐に晒されながらリィン・オズボーンは必死に耐えていた。
歯を食いしばりながら、意識を刈り取られるような攻撃だけは確実に叩き落として直撃を受けないようにする。
身体に走る痛みは意志の力で耐える。
本来であれば当に決着がついていて当然のリィンとクレアの戦いは思いの外長引いていた。といっても、なんとかKO負けを避けているというだけであって此処までクレアが受けた攻撃はまるで0、リィンに直撃した攻撃は既に100を超えるというボクシングであればとっくの昔にレフェリーのストップが入っているであろう一方的も良いところの展開だったが。此処まで一方的かつ彼我の実力差が明らかでありながら未だ決着がついていない理由は2つある。
一つ目はクレア・リーヴェルトの本領はあくまで集団戦闘にこそあるという点。彼女の本分はあくまで軍人として、指揮官として部隊を運用する事にある。
身につけた戦闘術も集団対集団を想定したものであり、個人対個人の戦闘は不得手というほどではないにしても彼女の真価を発揮するには程遠いものなのだ。
それに対してリィンの身につけたヴァンダールの剣術とは即ち戦場で英雄足らんとするもの。一騎打ち、あるいは単騎にて集団を相手取る事を想定したものだ。
加えてリィンは学院でこの手の強者との一騎打ちを幾度となく行っている。それはフリーデルという剣友であったり、アンゼリカであったり、ラウラという後輩であったり
ナイトハルトやサラといった帝国有数の実力者の教官陣でもある。この手の一騎打ちはリィンの十八番なのだ。
そして二つ目の理由、これこそが最大の要因ではあるのだが……
「……ッ、レクターさん!もう十分でしょう!私の勝利は揺るぎません、勝敗は比を見るよりも明らかです!」
のほほんとした様子でこちらを眺めているレクターへとクレアは怒りを露に叫ぶ。戦況は開始してから一方的な推移で進んでいる。クレアが攻撃し続け、リィンは守勢に回り続けている。
時折攻勢に出ようとするものの当然、クレアはそれを許さない。詰チェスの如くあっさりと、順当にその攻撃の起点を潰す。もはや戦いと、少なくともクレアの主観的には、呼べるものではない。ただただリィンが嬲られているような状態であった。
そしてクレアは目に入れても痛くない位に可愛い愛する義弟をいたぶって苦痛に歪む姿を見続けて喜ぶような特殊性癖の持ち主では断じて無い。
だからこそクレアは叫ぶ、何を悠長に見ているのか。早く審判としての勤めを果たして欲しいと。
「ふーむどう思いますか、解説のミリアムさんや」
「リィンの目はまだ死んでおらん……決着をつけるには時期尚早じゃ……」
一体誰の真似をしているのか、ミリアムとレクターはそんな兄妹漫才を繰り広げる。そもそも解説に意見を求めるのは実況の役目で審判の役割ではない。
「つーわけだ、この状態で止めたら後で俺がぶつくさ文句言われそうだからなー。元々リィンを止めようとしたのはお前なんだし、しっかり責任とって仕留めてくれや」
今の状態で止めれば俺はまだやれた!と
「武器を弾き飛ばされたわけじゃない。戦意を失ったわけじゃない。身動き出来なくなったわけでもない、だったらどれだけお前さんが有利で勝ち目が極小だろうとリィンの負けが確定したわけじゃない。降参させるか、気絶させるかまで追い込めば良い。そうだろ、
お前がその異名に相応しい普段の戦闘時における冷徹さを見せていれば、もうとっくの昔に終わっている勝負だぞと。
「……ッ!」
此処まで勝敗が長引いている最大の要因、それは優位にある側クレア・リーヴェルトの精神状況にあった。
彼女は軍人であって武人ではない。武術を収めた人間には多かれ少なかれ、強者との戦いに高揚するといった所謂戦闘好きな側面が多かれ少なかれあるものなのだが、彼女にはそういったものが
それは物語で英雄たちが行うような華々しさとは無縁のもの。無慈悲かつ淡々と、冷徹に最善手を打ち続けて追い詰めていく。それこそが彼女が《氷の乙女》と呼ばれるようになった由縁。
平時には心優しく穏やかで可憐な淑女でありながら、戦時には感情を切り離して冷徹な軍人という仮面を被る。
非常時に於いて人格を切り離して理に従う、そんな軍人教育の成功例こそがクレア・リーヴェルトなのだ。
だが、しかし
「いい加減に降参して下さいリィンさん!これ以上粘っても無駄に傷が増えるだけです!勇気と蛮勇は全く違います、その程度の事、貴方にわからないはずないでしょう!?」
貴方はずっと物分りの良い子でこんなにも私を困らせた事なんて、今まで一度もなかったのにどうして今回に限ってこんなにも意固地なのだとクレアは叫ぶ。そこに《氷の乙女》等と称される冷徹な軍人の姿は欠片も存在しない。いるのは、ただ弟離れが出来ずに泣き叫んでいる一人の女性だ。
「何故ですか、私の言っていることはそんなに間違っていますか!?貴方はまだ学生なんですから、危ないことは私達大人に任せていれば良いんです!」
告げる言葉はどこまでも私情塗れのものだ。
本来、革新派の軍人として見ればリィンが《騎神》という力を得るというのは諸手を挙げて歓迎すべき事態なのだ。クレアが革新派の軍人として、鉄血宰相の腹心として動くならば反対する理由など存在しない。
だが、彼女はそれに異を唱える、一人の弟を心配する姉として。それは本来であれば責められる事ではないのかもしれない、だが彼女が普段のように軍人の仮面を被っていれば出るはずのない言葉なのだ。
断言しよう、今のクレア・リーヴェルトの戦闘力は通常時を大幅に下回っている。
心を切り離した理に従う氷のような冷徹さこそが彼女の強さの秘密であればこそ、荒れ狂う感情をそのままに表に出している今の彼女はひどく、脆かった。
感情が表に出ているからこそ、普段であればそのまま仕留められているタイミングでリィンの笑顔が過り、躊躇いが生まれて機を逸す。
もしも大怪我を負わせてしまったらどうしよう、そんな恐怖が放つ導力弾の威力を落として、昏倒させるに至らない。
「……ああ、わかっているよ。姉さんが、俺を心配してくれていることも。力を欲しているのが俺の我儘だって事も」
そしてそんな精神がボロボロのクレアとは裏腹にリィンは冷静さを取り戻していた。
戦う前に抱いていた、どうして
それは目の前の大好きな姉が今にも泣き出してしまいそうな悲痛な顔をしているから。自分が傷つくたびに、苦痛に顔を歪める度にまるで自らも傷を負っているかのように顔を歪めるから。
自分のことを目の前の女性がどれだけ心配してくれているか、それがわかったから。
だが、それでも、いいや、その上で
「だけどそれでも俺はもう姉さんに守られるだけの子どもじゃない!貴方と肩を並べて戦いたいんだ!!」
そう告げるリィンはこの戦いがそもそも《騎神》という力を得る事を認めさせるためのものだったという事を忘れている。彼の今、心のなかに有るのはちっぽけな意地。すなわち貴方に護られるんじゃなくて、俺が貴方を護れるようになりたいんだというそんな男の意地である。
「良いでしょう……だったらその思い上がりを私は打ち砕くまでです!」
そう告げた瞬間クレアはついに勝負を決めにかかる。小技では目の前のこの意固地な義弟の心を砕けないとそんな風に、
(よし、なんとか此処までこぎつけた!)
万に一つの勝機を手繰り寄せる唯一にして最大の好機、リィンはようやくそれを手繰り寄せられたのだ。
如何にクレアの状態が平時とかけ離れた状態とは言え、それでもクレアはリィンの圧倒的格上。本来であれば勝機など万に一つもなかった。
ただ順当に勝負を急がず淡々と同じことを繰り返すだけでいい、それだけでリィンは何も出来ずにクレアの宣言通りに封殺されていた。
そんな相手のミス以外に勝機を掴むことも出来ない状況で、リィンは耐え続けた。一か八かの特攻に出たい心を抑えて、相手がしびれを切らすのを待っていた。
破れかぶれの特攻では一か八かにも万に一つの軌跡もなく、ただ順当に敗れるだけだったから。
しびれを切らせたクレアが勝負を決めに奥義を放ちにかかる、ただその機会だけを待ち続けた。
耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて、耐え続けた。
(問題は、此処からだ)
これから自分は0から万に一つとなった勝利の可能性をなんとか手繰り寄せなければばならない。
未だ一度たりとて出来たことのないヴァンダール流の秘奥の一つ、それをこのぶっつけ本番で成功させなければならないのだ。
逸る気持ちをリィンは必死に抑える、曇りなき止水の境地。それこそが今から自分がやることを成功させるために必要なのだから。
「カレイドフォース!」
放たれたクレア・リーヴェルトの奥義。迫り来るその奥義を前にしてリィンは……
「!?」
双剣を自ら手放した。そうして自らの持つ闘気を0にまで落とし込み、その攻撃を受け流して
「ラグナ・ストライク!」
拾い上げた双剣から自らもまた奥義を放ち、クレアへと叩き込むのであった。
・・・
「やるじゃねぇか、まさか本当に勝つとは思わなかったぜ」
昏倒しているクレアの介抱をエマへと任せてレクターはクレアよりも余程ぼろぼろな義弟の元へと駆け寄ってそう賞賛する。
如何にクレアのメンタルがボロボロで普段とは程遠いコンディションであったと言ってもそれでも本来であればリィンに勝ち目はないはずだった、それにも関わらず見事勝利を手繰り寄せた。全くもって大したもんだと。
「あんな隠し玉を持っていたとはな、いつの間にあんな芸当できるようになっていたんだよ」
「ついさっきですよ……ははは、ぶっつけ本番でなんとかなるもんですね」
「ほ~それはそれは」
告げられたリィンの言葉にレクターは真剣な表情で考え込む。自分が専ら教えてきたのは諜報だとかといった所謂邪道だったり、座学であったりしたわけだがこいつはこと戦闘に関しては“天才”と言われる人種なのかもしれない。そんな風に目の前の義弟に大器の片鱗を感じ取って。
「う……私は……」
「あ、二人共ークレアが起きたよー」
目覚めたクレアはそうして駆け寄ってきたリィンとレクターの姿を見て何かを察したように
「そう……ですか。私は……負けたんですね」
「ああ、コンディションが最悪だったし、本来であればお前さんが負ける可能性は0だったし、ミスって勝負を焦ってもそれでもこいつの勝てる可能性は万に一つだった」
それだけの力量差が未だクレアとリィンの間には存在する
「だが、それでもこいつはその万に一つを手繰り寄せた。リィンの勝ちだ、クレア」
告げられた言葉にクレアは黙り込む。認めざるを得ない、こうして結果が出てしまった以上。だが、しかしそれでもと納得し難いような表情を浮かべるが……
「あんたねー、一体何時までそうやって渋っているつもりよ。こいつのこと子どもだ子どもだって言っていた割にあんたのほうがよっぽど大人げないじゃない」
「ちょ、ちょっとセリーヌ!」
「何よ?そもそもこいつが力を手に入れるのなんてむしろ遅すぎる位なのよ。あの女の導きでとっくの昔に《騎神》を手に入れている《起動者》が最低一人は居るんだから。悠長にまだ早いまだ早いなんて言っている場合じゃないのよ。力を手に入れるのが遅くなればそれだけ不利になるのはコイツなんだからね」
早すぎる早すぎると言っているが自分に言わせればむしろお前達は悠長にしすぎなのだと
「わかる?あんたのその過保護ぶりがコイツを逆に殺すのかもしれないのよ?それともあんた、《騎神》が相手だろうとコイツを大人として護ってみせるだなんて言えるの?」
「ッ!?」
起動者となればそれは古来より続く《巨いなる争い》へと巻き込まれる事となるのだから、力を得る事が決まったならばそれは早いほうが良いに決まっているのだとセリーヌは告げる。
「セリーヌ!言い過ぎよ!」
「な、何よ……本来だったらこの辺はあんたが言わないといけない事なのよ……それをあんたがうだうだと何時までも《起動者》に相応しいかどうかわからないだので迷って、ようやく決心したらこいつがまだ早すぎるだのなんだのと言い出すから……」
「クレアさんはリィン先輩のお義姉さんなのよ。心配に思うのは人として当然だわ」
「……ふん、悪かったわよ。どうせ私は人の気持がわからない使い魔よ」
それだけ告げると拗ねたようにセリーヌはその場から立ち去ってしまう。自分の過保護さが結果としてリィンを不利にする、そう告げられたクレアは動揺を露わに表情を強張らせるが……
「姉さん、セリーヌはあんな風に言ったけど俺は姉さんが俺の事を大事に思ってくれるってわかって嬉しかったよ」
そんなクレアにリィンは優しく微笑みながらそう告げる、その笑顔は子どもの頃向けていたただひたむきで純真なものとは違った大人びたもので
「でも、俺は守られるんじゃなくて護りたいんだ。この国を、そこに住まう人々を。そして姉さんを、だからどうか力を貸してくれないかな?」
そうして差し伸べられた手をクレアはとって立ち上がり、どこか寂しく切なさそうな笑顔を浮かべて
「……わかりました。私も貴方が《騎神》を獲得するための試練に力を貸しましょう」
「ありがとう、クレア姉さん!」
割り切れない思いを心に残しながら告げられたクレアのその了承の言葉にリィンは彼女がずっと見続けてきたその宝石のような満面の笑顔を浮かべるのであった。
ヴァンダール流の秘奥はダイ大のアバン流無刀陣からとっています。