昼食を終えたリィン達A班はガルニエ地区に存在するホテル《デア=ヒンメル》 を訪れていた。午前中依頼者たる支配人が不在だったことでこなせなかった、地下水路の魔獣退治をこなすためだ。そうして支配人から内容を確認したリィン達は早速依頼に取り掛かろうとしたのだが、そこで2階から現れた人物の存在で空気が変わる・
《蒼の歌姫》ヴィータ・クロチルダ、帝国最高のオペラ歌手と呼ばれる彼女の存在にマキアスとエリオットの二人はすっかり浮かれポンチと化していた。そして疑問符を浮かべる帝国出身ではないフィー、地方の人間であるラウラに対して信じられないと驚愕の表情を浮かべる。
「あはは、有名だなんて言ってもオペラの世界だけだもの。知らなくたって無理ないわよね」
そしてそんな自分を知らない人間に対しても《蒼の歌姫》は気さくな笑みを浮かべながら特に怒った様子も見せず笑って流していた。こういった有名人の中にはとかく自分を知っている事は当然でちやほやされるのもまた当然だなどと自己顕示欲が強い者もおり、ラウラやフィーのような反応をされるとあからさまに不機嫌な様子になるものも居るからだが、目の前の女性はそんな素振りを一切見せない。そんな様子にリィンは好感を抱いた。
オペラに興味の無いリィンは生憎精々《帝国時報》の文化欄で見かけたために知識として知っているというレベルでマキアスやエリオットのようなミーハー的な反応にはならなかったが、それでもこのクロチルダという女性は自らの高名さを鼻にかけたところのない立派な女性だとそんな風に。
ちなみに余談では有るが、士官学院にてヴァンダイク元帥を初めて目にした時のリィンはちょうど今の二人に負けず劣らずの浮かれようであった。リィンに言わせればヴァンダイク元帥こそ史上初の生者での《リアンヌ・サンドロット勲章》の受賞者。まさにエレボニアの生ける伝説そのもの。軍属となる事を志す人間ならば拝して当然等となるのだが、それを聞いていた会ったばかりのアンゼリカは当然ながら引いていた。
ヴァンダイク自身もその事を知れば苦笑しながら「見目麗しい女性よりも、自分のような老人に会って喜ぶのはどうかと思う」等と評する事だろう。
「ヴィータ・クロチルダ、オペラ歌手をやっているわ。よかったらご贔屓にね」
気さくな様子で挨拶をするとクロチルダはリィン達A班の面々を興味深さに観察する。そうしてリィンの顔を見たところで驚いたような顔を浮かべて
「あら……あなたひょっとして……」
「あの、自分が何か?」
少しだけ考え込む素振りを見せると一変して何故か潤んだ瞳でリィンを見つめだして
「突然だけど、一目惚れって経験したこと有る?」
「は?」
この人は一体突然何を言い出すんだろうそんな思いがまずリィンを満たす。ついで何やら第六感が警告を放っている。言うなればそれは蛇に遭遇した蛙、この手のタイプは自分の天敵であるとそんな本能の雄叫び。しかし、まさかこの状況でこの場を離れる事も出来ずリィンは訝しがりながらも返答する。
「いえ、特に経験したことは……」
「そう。それじゃあ一目惚れ自体についてはどう思う?安っぽくて惚れっぽい馬鹿な奴がやることだと思っている?外見だけで相手を判断していて内面なんかどうでも良いと思っているって事だとか思ったりしない?」
「きっかけという点では別に特に非難されるような事ではないと思います。何がきっかけで好きになったかなんて事は他人がとやかくどうこう言うものではないでしょうし、重要なのはその後どれだけ互いに理解を深めて、絆を結べるかではないでしょうか?最も未だ交際経験もない若輩者の戯言ですが」
「そう……良かった。そういうことなら誰に憚る必要もないわよね」
そうしてそっとクロチルダはリィンに縋るように上目遣いで顔を近づけてきて
「あ、あの、クロチルダさん!?」
「ヴィータって……そう名前で呼んでくれないかしら、リィン君」
「い、いや……初対面の年上の方にそんな馴れ馴れしい事は……」
「年上は……嫌い?」
「いえ、嫌いとかそういうのじゃなくて礼節の問題としてですね……」
「言われる当人がそう呼んで欲しいと言っているのよ……だったら良いじゃない。私、貴方に一目惚れしちゃったみたいなの。だからどうかお願い……ヴィータと、そう呼んで。好きな人からクロチルダさんなんて他人行儀な呼び方されたくないもの……」
甘い香りがリィンの鼻腔を擽る。
蠱惑的な視線が向けながらそっとその柔らかな肢体が押し付けられて
リィンから理性を剥ぎ取ろうとする。
夢も理想も全て放り捨てて目の前の女性に溺れたい、そんな今まで味わったこと無い衝動がリィンを駆け巡るが……
「
必死に鋼の理性を総動員させてリィンはクロチルダを引き剥がす。
「それは……どうしてかしら?」
まさか断られるとは思わなかったのだろう、一瞬呆気に取られたような表情を蒼の歌姫を浮かべる。
その言葉には一世一代の告白を断られたというのにショックを受けたような色はほとんど無く、むしろどこか面白がるような雰囲気があった。
あいにくこちらの分野に関しては未だ実戦経験は愚か訓練さえ乏しい新兵未満のリィンでは、気が動転していて気づけなかったが。
「俺には叶えたい理想と夢があります。そのためには今は色ごとに現を抜かしている暇はないんです」
きっぱりとそう告げる、本当は誘惑された時に一瞬何故か大切な栗色の髪の少女が頭を過り、なぜだか彼女に申し訳ないという気持ちが生じたのが最後のひと押しになったのだがあえてそれは言わなかった。妙にそれを告げるには何時もと違って気恥ずかしい思いがあったからだ。
「……わたし、これでも尽くす女のつもりよ。貴方の邪魔にならないようにするわ。それでも……駄目?」
「なんと言われましても今の俺にはそのつもりはありません」
「ふーん、そっか。それじゃあ今は無理でもきちんとお互いの事を知ればそのうちOKしてくれるかもしれないって事よね」
「い、いえ、ですから……」
きっぱりと断っているつもりなのにどこ吹く風とばかりにめげずにアタックを繰り返すクロチルダにリィンはたじたじとなる。戦闘経験は豊富でもこと恋愛関係、それも年上の女性が相手となるとリィンはすこぶる弱かった。
そしてしばらくそんな事を繰り返しているとクロチルダはクスリと笑って
「なーんちゃって。嘘嘘。ごめんなさいね、帝都に住んでいる男の子にスルーされるだなんて最近ほとんどなかったものだからついムキになってからかっちゃったわ。
でも、貴方も悪いのよ。貴方があまりに真面目でからかい甲斐があるんだもの」
「あ、あのですね……」
「ごめんごめん。そんなに怒らないでよ。お詫びと言っては何だけどこれをあげるから」
そんな言葉と共にリィンへと手渡されたチケットを見た瞬間それまで呆然としながら眺めていたマキアスがあまりの衝撃に叫び出す
「帝国劇場のプラチナチケット!?皇族や大貴族や関係者の一部VIPしか手に入らないと言われている幻の!?」
「ふふふ、本来あげる予定だった子が「俺はオペラになんか興味ない。こんなもんよりは競馬場のVIP席のチケットが欲しいなんて可愛くない事を言っちゃってね。他にあげる候補も居ないし、貴方にあげるわ。よかったら、これを機会に贔屓してくれると嬉しいわ、未来の軍人さん。要らなかったら別に売ってくれちゃっても構わないから。それじゃあ、またね」
爽やかにウインクをして蒼の歌姫をその場を跡にする。
残されたのは困惑した様子でチケットを持つリィンと、そんなリィンを羨望の眼差しで見つめる二人の男。
そして白けた様子でリィンを眺める2人の女子であった。
「ふむ、この場合災難でしたねと言うべきなのか。それとも役得でしたねと告げるべきなのか」
「災難!?災難なわけ無いだろう!あのヴィータ・クロチルダにあそこまで言われて、おまけにS席のチケットまで貰って!!!羨ましいにも程がある!!!」
今にも血涙を流しそうな勢いでリィンを見つめながらマキアスは叫ぶ。入学までに培った信頼がなければ今すぐに殴りかかって来そうなレベルである。
「良いなぁ……良いなぁ」
「……先輩って実は弟属性だったんだね」
告げられた好き勝手な論評を他所にリィンは貰ったチケットをどうしたものかと考え込む。
そんなに欲しいならお前達にやると言おうとしてリィンは既のところで呑み込む。
チケットは一枚しか無い、そんな事を告げればラウラとフィーだけではなくマキアスとエリオットの間まで不和を抱えかねないからだ。
さりとて自分もオペラに興味があるわけではないし、そもそも行けるかどうかもわからない。
(フィオナ姉さんにでもプレゼントするか)
音楽好きのフィオナならばオペラにも興味はないという事はないだろうし、何より帝都在住のために都合もつけやすいだろう。流石に好意で渡してくれたものを売っぱらうというのは気がとがめる。そんな結論を下すと、浮かれ気味の心を引き締めなおして、リィン達は地下水路の魔獣退治へと取り掛かるのであった。
・・・
「いよいよ表舞台に上がるみたいだけど気分はどうかしら、千両役者さん」
先程までリィン達と談笑していた蠱惑的な様子はそのままに蒼の歌姫はそう傍らの男に問いかける。
歌姫の言葉だけを聞けば、それはこれから始まるオペラの主演に対して語りかけるもののようであったが、場所と何よりも語りかけた相手の異質さがそうではない事を示していた。
そこは彼女が普段万雷の拍手を浴びている劇場ではなく、帝都の薄暗い地下。そこに一人の仮面をかぶった男が居た。
「別にどうという事はない。鉄道憲兵隊の動きと情報局の動きは既に把握している。《同志G》の計画はおよそ完璧だ。不確定要素が入らない限り私が舞台へ上がるまでもなく今回の作戦の目的は達成されるだろう」
「その下手くそな変装辞めたら?私の前でやる必要はないでしょうに」
「下手くそとはひでぇ事言いやがるな。我ながら中々の演技力と自負しているんだが」
取り外した仮面の中から現れるのは銀髪の青年。リィン・オズボーンの掛け替えのない親友の一人たるクロウ・アームブラストであった。
「ブルブランに比べたらまだまだよ。あの子だったらそんな仮面つけずとも変装が出来るもの。そんな仮面つけていたら素顔に何かありますよって言っているようなものじゃない」
「……流石にそりゃ比較対象がキツすぎんだろ」
大陸にその名を轟かせる変装の名手《怪盗B》そんな本職と比べられたらたまったもんじゃないとクロウは辟易とした様子で告げる。
「それで、その不確定要素とやらに貴方の親友や後輩達がなるとそう思ったという事かしら」
「ああ、計画自体は完璧だ。《氷の乙女》の奴なら、マーテル公園が本命だと見抜いてくるであろう事も、そしてそれの対策としてあいつらを使ってくるだろうという事も織り込み済みだ」
近衛隊との縄張り争いという問題ゆえ自前の戦力たる鉄道憲兵隊が配置出来ない代わりにその手の自由が効くリィン達トールズの生徒を投入してくるであろうという事、それらだけでは想定外とは足り得ない。
「その上でもしも彼らが追ってきたとしても《降魔の笛》で呼び出した魔竜の餌食になる、とそういうわけね」
「ああ、そうだ。幾らあいつらが優秀だって言ってもそれで終わるはずだ。まず間違いなくな。だが……」
「英雄による魔竜退治、そんな万が一の奇跡を彼らが成し遂げるんじゃないかと、そんな予感が貴方にはあるというわけね」
「ああ、買いかぶりすぎかもしれねぇけどな。あいつらなら……いいや、
リィン・オズボーン。自分にとって最高の友であり、そして決して相容れない敵でも有る存在。
今は自分に及ばぬが、それでもあいつならば何とかするのではないか、万が一の奇跡をそれこそ物語の英雄のように手繰り寄せるのではないか、
そんな想いをクロウは抱いていた。あるいはただの身内贔屓めいた感情なのかもしれないが。
「ふふふ、確かに面白くてからかい甲斐のある子だったわね。私の魅了にも抗ったし。エマも中々に面白い《起動者》を選んだみたいね。最も、私の見つけた《起動者》の方が上だと私は信じているけどね」
「……当たり前だ。あいつはあくまでまだ候補だが俺は《オルディーネ》を手に入れて既に三年経つんだぜ。戦えば俺が勝つさ」
成長著しいとは言え本気を出した自分と親友の間には明確な実力差が存在する。それは奢りでもなんでもない、客観的な事実であった。
「貴方がきちんと本気を出せればね」
「……何が言いたい」
まるで自分の内面を見透かしているかのように告げられた言葉、それがどうにも癪に障ってどこかクロウの声は刺々しいものとなる。
「騙しているって負い目が有るんじゃないの?今はまだ《鉄血》を討つって目的があるから良いけど、それを果たしてしまった後だったら?貴方の目的は鉄血を討つところまでなんでしょうけど、私はその先が本命だからそこで燃え尽きられちゃ困るんだけど」
お伽噺の結末を書き換えること、そしてそのためには貴方の《騎神》の力が必要なのだと告げる自分を導いてくれた《魔女》の言葉にクロウは苦笑して
「わかっているさ。あんたにもカイエンのおっさんにも世話になっている自覚は有る。
「……そう」
告げられた義理という言葉、もしもクロウが鉄血の子どもたるリィンに遅れを取ることがあるとすればそれは即ち想いの差になるのではないか、そんな感慨を抱きながらもヴィータは特に二の句を告げる事無くそこで話を打ち切る。言ったところでどうにかなるものでもないだろうからだ。
「ま、そんな事を今話すのは取らぬ狸のなんとやらって奴だ。今はまずあの野郎の首を取ること、それしか考えちゃいねぇよ」
「ええ、第一幕《蒼の騎士の復讐劇》、特等席で見物させてもらうとするわ」
それだけ告げるとヴィータはその場を立ち去っていく。
後に残されたクロウは何かを振り切るように目を閉じて……
浮かび上がる友人たちとの思い出。それらを捨て去るかのように仮面を被る。
気さくな友人、トールズの学生クロウ・アームブラストそんなものはあくまで仮初の姿だと。
自分は《C》、帝国解放戦線のリーダー《C》なのだとそう自分に言い聞かせるように……
ちなみにオズボーンくんは雑念を振り切るためにこの夜
久方ぶりにヴァンダールの道場に突撃して猛訓練でしごいて貰いました。
そのためエリオットの打ち明け話や、ラウラやフィーの和解イベントには立ち会わずに終わっています。先輩は居ずとも後輩は育つ。