通商会議の最後、ディーター・クロイス市長の行ったクロスベル自治州の独立宣言は帝国と共和国どちらの方からも非現実的な妄言として切って捨てられていた。それはそうであろう、何せクロスベル側は結局テロリストの襲撃に対してほとんど為す術無く終わり、その防衛力の低さを露呈したのだから。
最初に大きな要求をする事でさも譲歩したように見せて、当初想定していたラインの要求を通すのは交渉の基本中の基本。恐らくは独立宣言という形でクロスベルの民の独立心が強いことを帝国と共和国に示し、その上で帝国軍と共和国軍のクロスベルへの駐留は住民の反発が大きくなると主張する事で、現状を維持するのが目的だろうというのが諸外国の大まかな見解であった。
一歩間違うと暴走しだした民意を御しきれなくなる可能性もある危険な手だが、ディーター市長本人のクロスベル市民からの絶大なる支持と盟友たるクロスベル政界の重鎮たるマクダエル議長が見事連携し合えばそれは決して不可能とは言い切れない手でもあった。当然帝国と共和国はクロスベルへの圧力を強め、大陸では徐々に緊張が高まり始めていた。この緊張をうまく制御して着地させられるか否か、それはディーター・クロイスという男の政治家としての器量次第であろう。
最もこの辺りは政府の中枢にいるような者達が対応を考えることであって、大半のエレボニア国民にとっては「なんだか知らんが属州が調子に乗っている」という程度の認識が過半を占めていた。戦車や飛空艇を所持しない上にテロリストの襲撃さえも自力で跳ね除ける事ができなかったクロスベル州等、帝国にとっては脅威でも何でも無く、目下の注目の的はアルフィン皇女殿下の誘拐未遂という暴挙を行っただけに留まらず、ガレリア要塞襲撃未遂という大胆極まる事件を引き起こした《帝国解放戦線》なるテロ組織への対策、そして激化している革新派と貴族派の対立と内戦への不安によるものが大きかったからだ。
そしてそんな情勢下においてトールズ士官学院では半年に一度の理事会が開かれていた……
「ーーー以上を持ちまして本年度、前期課程における運営報告を終わります」
「ーーーなるほど、各種行事など運営面は問題無さそうですな。
他の士官学校や高等学校に比べても学力・成績などに関しては上回っている」
学院長からの報告を受けて理事の一人たるカール・レーグニッツはそう満足気に言葉を溢す。
トールズ士官学院は列記とした士官学院だが、近年軍事色が薄まって来ており、軍事に留まらず政治や経済など広範な知識を学ぶ名門学校となりつつある。それは社会の様々な分野へと人材を輩出し、視野の広い人物を育成することにも繋がっているのだが、あちらを立てればこちらが立たずというのが世の常というもの。ともするとどれもこれも中途半端に聞きかじっただけということにも繋がりかねない、そしてそんな事になれば大帝縁の士官学院の沽券に関わるというものだ。何せ来年はいずれ至尊の座に就くこととなる、セドリック皇太子殿下も入学する事となっているのだから、もしも成績の下降が見られるようであれば理事としては何らかの対応を考えねばならないところだったが、どうやらこの分であれば三人の理事が学院側に対して叱責を行う必要はなさそうであった。
「2年生も負けてはいませんね。生徒会長を勤めている女子等成績以外の活動も目覚ましいですし、副会長の方に関して言えば圧巻の一言に尽きるでしょう。
未だ学生の身にも関わらず革新派の若き英雄等と謳われている存在、かつてバリアハートで邂逅した少年の姿を思い出しながらルーファス・アルバレアはそう素直に称賛の言葉を述べる。
まだまだ自分の敵に等到底値しないとそうバリアハートで会った際には思っていた。しかしどうだろうか、この成長ぶりは。まさしく男子三日会わざれば刮目して見よという言葉の生きた見本だろうと、ルーファスはどこか嬉し気な様子を見せていた。
それはまるで対等の敵手というものを求めていた指し手が好敵手の登場を喜ぶ姿にも、純粋に生徒の成長を喜ぶ理事の姿にも、あるいは
「確かに、その二人に関しては理事長としても言うことなしとそう評す以外にないね。
彼らを見ていると学院時代の私がとんでもない不良生徒だったように思えてしょうがないよ」
「ご安心ください殿下。その二人と比較せずとも殿下は我々から見て立派な不良生徒でございました故」
冗談めかした師弟の心温まるそのやり取りに三人から思わず笑いが漏れる。
会議の前半は主にそんな和やかに進んでいたのだが、レーグニッツ知事が夏季休暇明けの貴族生徒の成績が落ち込んでいる事を指摘し、オリヴァルト皇子が「今の時代にはそぐわない特権だろうか」と告げると空気は一片。
ルーファス理事は「伝統とは保たれる事に価値がある」と主張し、続けて「伝統が時代にそぐわぬのではなく、平民は貴族を仰ぎ、貴族は皇帝を戴くのがエレボニアの在るべき秩序である。もしも伝統がそぐわない等と感じるのであれば、本来有り得るべき秩序そのもが歪められつつあるのではないか」と主張。革新派であるレーグニッツ知事との間にどこか剣呑な雰囲気が漂いだす。
しかし、理事長であるオリヴァルト皇子が「本当にそうならば、私ももっと楽を出来るはずなんだが」とどこか冗談めかした様子で告げた事で再び空気は和やかなものとなりだす。基よりルーファス理事にしてもレーグニッツ知事にしても、両派の中で言えば穏健的として知られる人物故、当然ながら彼らの身内同士のように大人気ない喧嘩を始める等という事はなかった。
そして議題は新たに特科七組の運用、すなわち特別実習をどうするかという方向へと向い出す。すなわちこの情勢下で果たして予定通りにカリキュラムを実施して良いのかと。ガレリア要塞を襲撃したテロリスト達の相手でⅦ組の面々は決して少なくない貢献を果たした。結果だけを見れば、なるほどそれは称賛されて然るべきものだろう。
だがそれはあくまで結果論に過ぎない、うまく行ったから良かったがそれこそ勇み足の結果逆にサラ教官やナイトハルト教官の足を引っ張る可能性とてあったのだ。無茶無謀は若者の特権であり、主体的に行動できる人間を育成するのがトールズ士官学院の方針とは言え、それにしても些かⅦ組の面々は大人から見ると無茶が過ぎるように見えたのだ。これまではそれでも良かったかもしれない、多少は危ない目に合うこともある意味では若い内にしておく勉強のひとつなのだから。
だがガレリア要塞での一件は
「『若者よ。世の礎たれ』」
理事長たるオリヴァルト皇子が告げたその言葉に学園の理事達は揃って理事長の方へと視線を向ける。
「ご存知の通り、学院に伝わるドライケルス帝の言葉さ。
そして《Ⅶ組》の諸君は、ガレリア要塞の事件においてその言葉をまさに体現してくれた。
列車砲発射という惨劇を阻止して“世の礎”を見事に守ってくれたのだ」
もしも列車砲がクロスベルへと発射していたら言うまでもなく、エレボニア帝国の国際的な信用は確実に地に落ちていた事だろう。それこそエレボニアという国そのものが吹き飛びかねない事態となっていたはずだ。
「命令されてではないーーー自分たちで覚悟を決める形で」
オリビエにとってはそれこそが何よりも誇らしかった。
彼らとて当然わかっていたはずだ、命の危機がある事くらい。
それでもなお自らの意志で彼らは戦う覚悟を決めてくれたのだ。
「無謀かもしれない、軽挙かもしれない。身の程知らずかもしれない。
だが、それでも私は学院の理事長として《Ⅶ組》の諸君を誇りに思う」
きっと、その意志こそを“勇気”と人は呼ぶのだろうから。
そんな目の前の皇子の言葉に三人の理事も心を動かされる。
オリビエの語った言葉は綺麗事であり、理想論だろう。
若者の勇気や献身が必ずや報われる等というのは物語の中だけだ。
理屈で見れば三人の方こそが正論と呼ぶべきものだろう。
されど、それでもその言葉には人を動かせる何かがあった。
政財界を渡り歩く海千山千の三人の心さえも動かす何かが。
「今後、エレボニアは、いやゼムリア大陸そのものが激動の時代を迎えるかもしれない。
だが、だからこそ《特別実習》の意義は大きい。激動の時代を共に乗り越える“強さ”と“手がかり”を手に入れるという意味において。
そうは思えないだろうか?」
かくしてⅦ組の特別実習の継続が満場一致にて決まるのであった……
・・・
そんな理事会が行われる傍らでリィンは学院祭を前に控え、副会長としての仕事を精力的に励んでいた。ようやく周囲も自分の頬にくっきりとついた傷跡に慣れてきたようで、右頬の辺りに視線を感じるような事はなくなっていた。
ーーー最も、軍人故それなりに耐性があるであろうクレアはまだしもフィオナと顔を合わせる時を考えると若干気が重くなるが、まあこればかりは自分の未熟さのツケと思うしか無いだろう。傷を負うこと無く敵を倒す事ができなかった自分が悪いのだから。
学院祭に際しての打合せにて議題へと挙がったのは飲食関係の出し物における衛生面の管理だ。トールズ士官学院の学院祭には三人の理事を始め、多くのVIPが来賓として訪れる。当然、そこで食中毒でも起これば責任問題へと繋がりかねない、それ故ハインリッヒ教頭などからは「責任を取れないのならば、止めるべきだ」という声も挙がっていると生徒会のメンバーの一人が主張するが、それでもやはり飲食関係の屋台は祭りの盛り上がりとして外せないとなり
「そういう事ならばきちんとした衛生管理のマニュアルをベアトリクス先生に監修して頂いた上で作成して、飲食物を扱う者にはそれの遵守を徹底させれば良い。
ーーー事前に生徒会にて抜き打ち検査を実施する事を伝えて、もしも護れないようであれば即刻許可を取り消す旨を伝えてな」
「あ~そうですね、副会長直々にその辺言ったら多分誰も脅しだとは思わないでしょうし、効果ありそうですよね」
苦笑しながらも生徒会メンバーはリィンの言葉に賛意を示す。
前々から居るだけで場の空気が引き締まるようなタイプではあったが、通商会議に出て頬に傷まで出来てそれは加速するばかりだ。
やると言ったら目の前の副会長はやるだろう、それこそどれだけ必死に泣き落としてこようが断固とした意志を持って。ーーー最も、副会長がそんな峻厳な態度をとった後に会長がそれとなく助け舟を出して、副会長はそれに渋々折れるというのが何時ものお約束ではあるが。
「えっとじゃあ、衛生面に関しては生徒会の方で指導して行くという事で」
「異議なし」
「異議なし」
「それじゃあ次の議題は……」
・・・
生徒会での会議が終わり、学院祭に備えた商店街での買い出しを終えて帰路へとついていた。
「ごめんねリィン君、荷物持ちなんてしてもらっちゃって」
「別に気にすることはないさ、帰る場所は同じなんだし。一人で持つには大変な量だろう?」
「う~でもでも手伝ってもらった側である私のほうがリィン君よりも持っている荷物の量が少ないってのは流石にどうかと」
「適材適所ってやつさ。心配せずともこの程度の荷物、何てことはないよ」
それは別段気遣いでも見栄というわけでもない。真実今のリィンにとっては抱えている荷物程度、大した重さではなかった。優しく微笑みかけてくれるその少年の姿にトワはホッとした心地になる。
端正な顔に傷跡がついてしまっても彼のその柔らかな見ていて心が暖かくなってくるような笑顔はなんら変わっていなかったから。
徐々に近づきつつある青春の終わりを前に、それでも少女は“今”を目一杯に楽しんでいるのであった……
ルーファス(本音)「はー貴族の伝統とかマジでアホらしい」