(完結)鉄血の子リィン・オズボーン   作:ライアン

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少女のワガママ

 ーーー行ってしまう、このままでは彼はどこか遠くへ。

 トワ・ハーシェルの心をそんな恐怖が満たす。

 

 本当は薄々勘づいていたのだ、バリアハートから帰ってから少しずつ、されど確実に彼が変わりつつあることに。帝都での一件以降それは一気に加速した、アルフィン皇女救出という功績を成し遂げた彼は一躍革新派の若き英雄として時の人となった。

 でも自分はそんな事よりも何よりも彼が生死の境を彷徨う重傷を負ったという事を聞いて心臓が止まりそうな思いを味わった。どこかで自分は彼ならば(・・・・)大丈夫だと、そんな風に無邪気に信じていた。

 だって彼はとても強い人だったから。入学して出会ってから、どんな時にも諦めずに真っ直ぐにひたむきで努力家で、国を護るために自分は強くならなければいけないんだとそう誇らしげに語る姿は何よりも頼もしく見えた。

 だからだろう、自分は無意識の内にそんな強い彼がもしかしたら死ぬかもしれないと考えたことがなかった。自分が無事だったのだから、自分よりもずっとずっと強いリィン君なら当然無事に決まっている。そんな風に考えていたのだ。

 

 ーーーそんな考えが幻想に過ぎなかったのだと私はすぐに知ることとなった。

 意識不明の重体となって帝都の軍病院へと搬送されたと連絡を受けて、到着したらそこには蒼白な顔をしたⅦ組の皆やフィオナさんやクレアさんの姿があって、幸いな事に彼は無事意識を取り戻したけどそれでも、あの恐怖を私は決して忘れることは出来ない。

 ーーーもう危ないことををして欲しくない、軍人志望の彼に何を言っているのかと思われるだろうけど、それでおそれがその時抱いた私の本音だった。でも、彼はそんな私の願いとは裏腹に、止まる時間さえも惜しいと言わんばかりに“英雄”としての道を走り出した。

 ーーー信じたい。通商会議の時に約束してくれたように必ず生きて帰ってきてくれるのだと。

 ーーーわかっている。友達でしかない(・・・・・・・)自分に彼を止める権利などないのだと。

 いや、例え家族や恋人だったとしても本人が決めた事を止める事など誰にも出来はしないのだ。

 自分の生き方を決めるのは、本人自身なのだから。思いを伝える事は出来る、翻意を促す事もできる、だけどそれでも本人が決めてしまえばそれを止める事は出来ないのだ。

 ましてやリィン君のやろうとしていることは決して間違っているわけじゃない、祖国のために軍人になるのだという彼の意志は称賛されて然るべきものだろう。

 だから、こんな思いは自分のワガママなのだとわかっている。わかっては、いるのだ。

 

(だけど……だけど)

 

 それでも、自分は彼に危ない事等して欲しくないのだ。

 だって、自分が好きになったのは“英雄”なんかじゃない、優しくて真面目で、だけど女の子の思いには鈍感な、そんなただの少年リィン・オズボーンなのだから。

 「軍人なんて危ない仕事に就くのは辞めて、5人皆で一緒に旅行に行こう」そんなワガママを告げられたらどれだけ良いだろうか。

 でもそんな事を言ったところで彼を困らせるだけだろう。だって彼はずっとそれを目標にして頑張り続けて来たのだから。

 

 トワ・ハーシェルは悩み続ける。

 ある意味では彼女が優秀な才女だったことが災いしたと言っていいのかもしれない。

 彼女は理知的で思慮深く、他者への優しさに溢れた才女だ。だからこそどうしても理屈の上で正しい事には逆らえないし、自分のワガママをぶつけるという行為に躊躇いを覚える。

 「私のために(・・・・・)危ないことをしないで」と、そんな言葉を男に言う事が出来ないのだ。

 理性と感情、その間で雁字搦めとなってトワは自縄自縛へと陥り、ただただ涙を流す。

 ーーー大切な男の子を失うかもしれないという恐怖から

 ーーーそれを止めることが出来ない自分が情けなくて。

 ーーー掛け替えのない青春時代、それの終わりの近づきを突きつけられて。

 自然、トワの頬より涙が零れ落ちていた。泣いてどうにかなるわけではないのだからと必死にこすって涙を止めようとするも溢れ出した思いを止まらない。早く涙を拭って戻らなければいけない、だってこんなの自分のワガママでしかないのだから。それなのにバカ等と彼の事を罵倒してしまった事を謝らなければいけない、「離れ離れになることが悲しくて八つ当たりしちゃってごめんね」と。それで、今まで通り(・・・・・)に戻れるのだから、とそんな風に考えているにも関わらず身体は心を裏切り、全く涙は止まらなかった。

 

「どうしたら良いのかな……私……」

 

 ポツリとこぼれたそんな弱音。どうするべきかそんな事は決まっているというのに。

 それを実行に移せない我が身の弱さが恨めしい。

 

「とりあえず、思う存分に泣いたら良いんじゃないかな。私の胸で良ければ、貸すからさ」

 

 凛と響いた声、その声に振り向くとそこには困ったように笑うトワ・ハーシェルにとっての最高の友人が居て

 

「アンちゃん……」

 

「やあ、トワ。不甲斐ないあの唐変木の代わりになるかは知らないが、来たよ。愚痴にならいくらでも付き合うから、思う存分に言いたいことを吐き出すと良い」

 

 こんなにも健気な少女を泣かせながら夢だの理想だのを追いかけて突っ走ってしまう朴念仁に対する揶揄を口にしながらそっと微笑むのであった。

 

 そしてトワは親友の胸へと飛び込んで語りだす。

 リィンがどこか遠くへ行ってしまうのではないかという恐怖を抱いている事を。

 だけど、リィンのやろうとしていることは正しいからこそ、自分のこれはワガママでしかなく、言えばリィンを困らせるだけだとわかっているという事を。

 総て、総て親友へとその胸の内を明かすのだった。

 

 そして、そんなトワの言葉を穏やかに微笑みながら聞いていたアンゼリカは粗方聞き終えると……

 

「良いじゃないか、そのワガママをぶつけてやれば。あの唐変木を思う存分に困らせてやれば良いのさ」

 

 どこか不敵な笑みを浮かべながら思いもよらなかった事を言い出す親友の言葉にトワは虚を突かれたように目を丸くして

 

「だ、駄目だよそんなの。だってリィン君の言っている事は正しいんだもん」

 

 そう、リィン・オズボーンの語る事は正しい。

 今、エレボニアは大きく揺れている。そんな中で祖国のためにその命を賭けんとしているリィンの思いも行動も決して否定されるような者ではないだろう。己が所属する共同体のために自らの意志で貢献しようとする、その献身を否定するような者など余程過激な個人主義者や無政府主義者位だ。そして、トワ・ハーシェルはその言うまでもなく、そのどちらでもない。

 国家はあらゆる人にとって永劫の価値を持つものだなどとは思っていないが、それでも国家という秩序があってこそ自分の家族のような普通の人達が穏やかに暮らせるのだという事を知っている。そして、そんな生活は他ならないリィン・オズボーンのように国家に貢献しようとする者達が居てこそ成り立っているのだという事も。

 故にこそ、トワは自分のワガママでそんなリィンを困らせてはいけないと悩んでいるのだった。しかし、そんな親を困らせた事がほとんどない良い子(・・・)に対して親子喧嘩が絶えない不良娘(・・・)

 

「相手が正しかったらこっちはワガママを言う事も許されないのかい?」

 

 苦笑しながら告げる、筋金入りの優等生を悪の道(・・・)へと引きずり込むべく。

 

「良いじゃないか、思う存分に困らせてやれば。国だの何だのを守る前に私達との約束を守れと、そう言ってやれば。

 君みたいな可愛い女の子のワガママに振り回されるというのなら男にとっては本望というものだろうさ」

 

 呆気に取られるトワをよそにアンゼリカはウインクをして告げていく

 

「私などずっとそうして来たよ。ログナー侯爵家の令嬢として相応しい振る舞いをしろなどという親父殿の説教を聞き流しながらね」

 

「あ……」

 

 四大名門の侯爵家の息女として相応しい振る舞いをしろというアンゼリカの父の言葉と、それを無視して奔放に振る舞うアンゼリカ。どちらが正しいかと聞かれれば、それはアンゼリカの父の方だろう。貴族とは生まれつきその血に責任を負う者なれば、その血を受け継ぐ者の振る舞いはその者一人の問題では済まないのだから。

 

「トワからみて私はどうだい、やっぱり貴族としての義務を果たそうとしていないどうしようもない屑だと、そんな風に見えるのかな?」

 

「そ、そんな事無いよ!私はアンちゃんの良いところをいっぱい、いっぱい知っているもん!!」

 

 では、アンゼリカ・ログナーは道理を弁えない、どうしようもない悪徳を為す者なのか?否、そんな事はない。

 確かにアンゼリカは父親にとって頭の痛い不良娘であろう、だがそれでも確かな気高さを持つ人物である。

 それは世間一般で言う立派な貴族の淑女としての在り方からは外れているかもしれない、されどそれでも彼女は紛れもない誇りある真の貴族でもあるのだ。

 

「ありがとう、トワ。だから、そういうことさ(・・・・・・・)

 ワガママを言ったからと言って私もジョルジュもクロウも、そしてリィンもトワの事を見損なったりなどしないさ」

 

 何故ならば皆、彼女の持つ素晴らしい美点をいくつも知っているのだから。

 自分たちが培った絆は、そんなワガママ(・・・・)のぶつけ合い程度で揺らぐほどに柔なものではないのだから。

 

「他人を思いやれる優しさは君の美徳だけど、だからといって無理に自分の思いを押し殺す必要はないんだよ。

 ぶつけてやれば良いのさ、君の、トワ・ハーシェルの思いを。

 極論すれば、この世に絶対の正義なんて存在しない以上、リィンのやろうとしている事だって彼のワガママだって言えるだろうしね」

 

 どこか冗談めかしながら告げられたアンゼリカの言葉、それがトワの心を解していく。

 正しくなければいけないのだと思っていた。リィンを止めるには彼が納得できるだけの正しい理屈を用意しなければならないのだと、そんな風に。

 でも、アンゼリカは言うのだ。思いというのはそんな理屈では図りきれないものなのだと。

 そしてそんな思いをぶつける事は正しくなくとも、決して間違いではないのだと。

 その言葉は思い悩んでいたトワにとっては文字通り、一筋の光明で……

 

「アンちゃん……ありがとう、アンちゃんが私の友達に居てくれて私、本当に良かったよ」

 

「ふふ、どういたしまして。私の方こそ、トワに出会えて本当に良かったよ」

 

 伝えよう、このワガママ(・・・・)を。

 自分は国のためだろうと貴方に危ない目になどあって欲しくないのだと、そう素直な想いを伝えよう。

 きっと、彼はそれでも止まってはくれないだろう。でもそれでも良いのだ。

 あの時のように、必ず生きて帰ってくると、そう約束をする事が出来れば。彼はきっとそれを守ってくれるのだから。

 もちろん、不安は決して尽きない。それでも、きっと伝えた思いと言葉は無駄にはならないはずだからと。

 トワ・ハーシェルは己がワガママを愛しい少年へとぶつける事を決意するのであった……

 




トワ会長とクレアさんは「正しさ」と情の間で揺れる常識人で英雄ではない、質朴な少年リィン・オズボーンのことを大切に思っています。
シャーリィちゃんは正しさとか知ったこっちゃなくやりたいようにやりますし、英雄であるリィン・オズボーンに恋しています。

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