終焉のアタラクシア ―キミを救うために来たんだよ―    作:灰都とおり

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いつだってその瞬間しかないんだぜ ①

 赤い砂漠に灌木の散らばる荒涼とした世界が広がっている。

 そこに異物めいて、3年前にこの大地に突如現れた校舎が廃墟のような姿を留めている。あれがあたし達にとっての我が家(ホーム)であり……そして故郷(ホーム)への道標(みちしるべ)だ。

 

「ミツキ、もうすぐみんな配置に着くよ」

 

 小高い丘から校舎を眺めていたあたしに、後ろからカナメちゃんが声をかける。これから始まる戦いに緊張しながらも、そこには強い決意があった。

 3年前の彼女を思い返し、見違えるように成長したその姿をあたしは頼もしく感じる。

 

「……いよいよ、だね。カナメちゃん」

「うん……あの、やっぱりツカサ達は……?」

「しかたないよ。あたし達はいまできる限りのことをするだけ。あたし達の世界へ還るためにね」

 

 あたしはツカサとの最後のやりとりを思い出す。

 この狂った世界を受け入れ、ここで生き抜こうという彼女の覚悟をあたしは否定できない。だけどあたしにはあたしのやるべきことがある。白いご飯が食べられて、清潔なお風呂でくつろげて、マンガだって読めるあの世界へ……お父さんお母さんが見守ってくれるあの世界へ戻れるなら、それが僅かな可能性でもしがみつきたい。

 

「カナメちゃん、これ……持っててもらえる?」

「これって……!」

 

 あたしが手渡したあの手帳を、カナメちゃんが絶句して受け取る。

 

「あたしがしくじったら、カナメちゃんに継いで欲しいから」

「……そんなこと言ってミツキは、どうせ結局今度もうまくやっちゃうんでしょ」

「あはは、さすがにもう分かってきた?」

 

 あたし達は笑っていた。これが最後になるかも知れない、その瞬間をかりそめにでも笑顔で送ることができて良かったと思う。それだけでも、訳も分からずこの世界へ飛ばされて過ごした3年間に意味があったと思えるから。

 

「じゃ、行こう……」

 

 そう言ったとき、校舎と反対側の砂丘のあたりから大きな地響きが(とどろ)いた。

 慌てて様子を(うかが)うと、立ち込める砂塵の向こうで巨大なミミズめいた影が頭をもたげるところだ。

 

香砂蟲(すなむし)!」

「そんな! このタイミングで……」

 

 絶望に歪むカナメちゃんの表情を眺めながら、あたしは蟲の速度と校舎に巣食うあの怪物どもの反応を計算していた。周到に練った計画はもうご破産だ。だけどこれはチャンスなのかも知れない。

 一瞬の後、あたしは丘を駆け下りていた。カナメちゃんに向かって叫びながら。

 

「カナメちゃん動こう! あの蟲に乗じるしかない。あたしは予定どおり裏から回る!」

「ミツキ! ……分かった、絶対また会うから!」

 

 背中から届くカナメちゃんの力強い言葉が嬉しかった。危機に一瞬怯えても、あの子はすぐに前を向いてくれる。彼女の勇気に支えられたおかげで、あたしもいままで生き延びてこれたんだ。

 あたしは振り返りたい欲求を必死に押さえ付けながら、ただ前を向いて全力で走っていた。

 

 

 

 

 

「……すげえなあいつ」

 

 夜中に部屋であやのに借りたノートを読み返しながら、俺は心からの感嘆をもらしていた。

 赤い砂漠の異世界へ校舎ごと転移した少女達の物語。

 それは小学5年生の頃、自分が生まれる前に描かれた名作マンガを読んだあやのが、その衝撃冷めやらぬうちに描き殴り始めた作品だった。当初手慰みのパロディのように始まったそれは、すぐにあやのにしか描き得ない怒りや絶望を滲ませるようになり、それまであいつが描いていたような誰もが気軽に回し読みできるマンガではなくなっていた。

 “元の世界”へ戻るために凶悪な怪物や天変地異と戦うその少女達は、俺達と同じ時間を生きているようで、この3年の間にそれだけの成長をとげていた。いまもまだ生き延びている者は……だが。

 

勒郎(ろくろう)、いいかい?」

 

 部屋にいる俺に珍しく父親が声をかけてきて、その聞き慣れない声色を俺は怪訝に思う。

 

「何?」

「いま連絡があったんだけどね、真野さんのところ、お母さんが倒れたみたい」

「……何それ」

「お前いま真野さんと同じクラスだっけ? まあ声でもかけてあげるとかさ、機会があればね」

 

 あいつのマンガを読んでいたときに、何の偶然だ?

 俺は何となくカーテンを上げて真っ暗な窓の向こう側を眺める。ここから見えるはずもないが、あやののアパートはこの方角にあるはずだ。

 

――人それぞれ辛いことあるやろ。そこで何とか生きてるんやん。

 

 学校の屋上であやのがそう言ったときの、遠くを見るような瞳を思い出した。

 ククは日課のパトロールからまだ戻らない。

 それまでずっとそうだったはずなのに、俺は急に部屋でひとりいる自分を自覚して大きく息を吐いた。まるで長い夢から醒めたようだった。

 

 

 

 

 

 手の届かない高さに(しつら)えられた大きな窓から午後の光が射し、図書室の床を照らしている。

 昼休みが終わると生徒達の姿が消え、ぽつんと椅子に座って眺めると書棚に並ぶ本達が急に(たたず)まいを正したように見えた。

 

「真野ちゃん休んでるんやってな。あそこの(うち)も大変みたいやなぁ」

 

 カウンターに肘を突いて、平沢先生が考え込むように呟いた。

 そのボサボサの長い髪も、午後の授業を無視している俺に何も言わないのもいつものことだが、赤いメガネの奥の瞳が笑っていないのは珍しい。

 

「真野あやの……勒郎と仲のいい子だったね。君には縁のある女の子が多いよね」

 

 誤解を招くようなもの言いで、小動物姿のククがカウンターへ音も立てず飛び乗る。真っ白な毛並みに映えるオレンジ色の模様はいかにも魔法の生き物という外見だが、普通の人にその姿は見えない。

 

「ククも女の子やもんなぁ。あ、もちろん平沢久遠(くおん)だって女の子やで? 久凪(くなぎ)くん」

 

 そのククと当たり前のように会話する先生を、俺はいまいち現実感のないまま眺めていた。数日前の先生のあの姿を俺にはいまだにうまく呑み込めていない。――魔法少女だって?

 あのあと先生にもらった“魔法のペン”を俺は手元で眺める。いやいや、まるきり小学生向けのファンシーグッズだ。

 

「……個性的な女の子ばっかりで楽しいですよ」

「いやいや、お前の趣味も相当(かたよ)ってるからなぁ。あたしらじゃお眼鏡に叶えなくて申し訳ないわ」

「ちょ、来子(くるこ)のことですか!? まじで関係ないですから!」

「おぉ、呼び捨てにしちゃう仲やのに、そんな冷たいこと言ってあげるなよぉ」

 

 ああだめだ。先生のからかいモードには敵わない。俺はうるさいわともごもご言って視線を逸らす。

 

「そうだね、仮名見(かなみ)来子……あの子はきっとまた現れる。だからだよ、勒郎」

 

 ククが無邪気な顔で俺の首元を見つめる。そこにはうっすらと複雑な装飾の首飾りめいたものが見える。

 

「その新しい瓔珞(ようらく)はこの前のよりずっと強力だ。いまの君を深いレイヤーへ引きずり込めるような存在は、この世界にはまずいないはずだよ」

「うん……ありがたいね」

 

 俺を見つめる、あの大きく見開かれたような来子の瞳が頭に浮かぶ。彼女はいまどこにいるんだろう。そして弥鳥(みとり)さんは……。

 

「勒郎」

 

 ククは俺の座っている長机へ飛び移り、じっと目を合わせる。女の子姿のククの責めるような表情が浮かぶようだ。

 

「当分魄魔体(ヴァーサナー)退治を手伝ってもらうつもりもないからね。君があんな風に、誰かと一緒に自分を投げ捨てるようなことをしてるうちはね」

「……変な子についていかんよう気ぃつけるわ」

 

 俺は首元を触りながら言った。この瓔珞(ようらく)は、俺を現実に縛り付ける(かせ)なんだ。

 

 そのときすっと空気が冷えた。

 高い窓から射し込む陽光が一瞬かげった気がする。

 

「あれ……」

 

 何か言おうとして、先生とククが真剣な表情なのに気付き、俺は背筋が凍る。

 遠くから何かがやってくる。この気配は(・・・・・)知っている(・・・・・)

 

「クク……これって……!」

「うん、魄魔体(ヴァーサナー)だ……! 3、4体はいる。信じられない、この真っ昼間にこんな強力な真夜(マーヤー)を……」

「なあ久凪」

 

 カウンターの向こうで平沢先生が立ち上がり、俺を見つめている。

 

「お前、気付いてたぁ? あの来子って子が例の“黒いメイドさん”やってこと」

「は? それって……」

 

 近頃不可解な事件をよく耳にするこの街でも、黄昏(たそがれ)時に慇懃(いんぎん)に話しかけてくる真っ黒な少女の影という心霊話は特に子供達の口の()に上っていた。それが来子だって? 本人は中学生で、れっきとした人間だったのに……。いや、あの子は“心の(よど)み”の生み出す魄魔体(ヴァーサナー)を身に(まと)っていた。それにククは、あの子には来訪者が一体化していると言っていた……。

 

「あたしらは影魔(シャドウ)って呼んでた。ああなると昼間に暴走する奴もおるし。それに……」

 

 先生が俺とククを初めて会った人のように見るので、俺は戸惑った。

 

影魔(シャドウ)は少しでも自分に近い人間を取り込もうとするんやよぉ。あいつらにとって、お前らみたいにふらふら現実を行き来している奴は目立つんよなぁ」

 

――夏の虫を前にした炎だよ、ボク達は。

 

 弥鳥さんは確かそう言っていた。俺はいま表層現実にいるのに、それでも奴らを引き寄せるのか?

 その影達がもうすぐそこに迫っていることが分かる。

 怖気の走るプレッシャーを感じながら、俺は自分がとっくに引き返せないところまで歩いてきたんだってようやく気付いた。なんて呑気だったんだ。

 

 ガラスの砕ける甲高い音が響く。

 慌てて身構えると、図書室の高い窓が割れ、破片が陽光を反射しながら床に落ちるところだった。

 

「あれぇぇぇ、どいつの匂いも随分毛色が変わってるなぁぁぁ」

 

 水中から聞こえるようなくぐもった声がして、見上げると窓から何かが宙吊りになっている。

 黒い影に覆われて見えにくいが、ぬめるような肌をしたヤモリと人間を混ぜ込んだような姿。ただし普通の人間の倍はあるサイズだ。その大き過ぎる両眼が丸く光っている。

 

「ミーアクラアが接触したのはきっとこいつらだなぁぁぁ。こっちが当たりだぁぁぁ」

 

 その耳障りな声を聞きながら、俺は胸の奥が痺れるのを感じて身を屈める。

 これは何だ? あのヤモリ人間の言葉の奥に何かを感じる。いや、何かが見える(・・・)

 

「勒郎……?」

「クク……頭に浮かぶんや……やばい……」

 

 うずくまりながら、俺は脳裡(のうり)のヴィジョンに見入っていた。小さい頃から見覚えのあるアパートが見える。あれは……あやのの住まいだ。そこに嫌な気配が近付いている。

 

「何で……こいつら、あやののところにも向かってる……」

「何だって!?」

「あははぁぁぁ」

 

 俺とククへ向かって吐き気のするような笑いが投げ付けられる。

 

「あっちも美味しそうな匂いだったからなぁぁぁ、あいつらもそれなりに味わえるんじゃないかなぁぁぁ」

 

 湿った音を立ててヤモリ人間が床に降り立つ。

 俺が何とか身体を起こしたとき、そいつと俺との間に平沢先生が立っていた。

 奴らに引きずられ、すでに俺達のレイヤーは表層からずれている。先生が、オレンジ色に輝く少女趣味なワンピースを身に付けているのが分かる。

 

「久遠……これは君の戦いじゃない。だから頼めることじゃないんだけど……」

 

 ククが俺の足元へ駆け寄りながら、先生の背中に声をかける。

 

「はは、冷たいこと言わないでよぉクク。あたしは夢幻少女のひとり……影魔(シャドウ)を解放するのはあたしの戦いやよぉ」

「……ありがとう久遠」

 

 その瞬間、ヤモリ人間の口から鋭い何かが飛び出した。先生が奇妙な形に指を立てると黄色い光が閃き、それを弾く。

 カメレオンのような舌……ヤモリ人間から出たそれが本棚にぶつかって、鞭打つような音を立てた。

 

「久凪……お前のことも、あたしはいちいち驚かんけどねぇ」

 

 先生は俺に背中を向けたまま話していた。戦いの最中なのにいつものとぼけたような声。何てひとだ。

 

「あたしはなぁ……生きてるうち、そうやって現実から抜け出せる時期があるってことには意味があるって思うんよ」

 

 ヤモリ人間が体を(ねじ)ったかと思うと、今度はその巨大な尻尾が本棚をなぎ倒しながら飛んでくる。

 先生は一歩も動かないまま、両手を前に突き出して攻撃を弾き飛ばした。魔法の障壁でも作ったんだろう、派手なオレンジ色の光が図書室を眩しく照らす。

 先生の髪留めが飛び、艶のある長い髪が風圧で(ひるがえ)った。

 

「ただなぁ、“あっち”だけ見て突っ走ると転んじゃうやん。お前には“こっち”もあるやろぉ? あやのちゃんもいる“こっち”やん」

「先生……俺だって……」

「まあここはあたしに任せて、あやのちゃんを頼んだよぉ。ああそうや……」

 

 魔法の力で正面のヤモリ人間の攻撃を封じながら、先生の顔がこっちを振り返った。

 

「これは愛やで? 久凪くん」

 

 赤いメガネの奥で、先生の瞳がいつものように悪戯っぽく笑っていた。

 俺は何も言えず、ただその数瞬、先生の目を見つめていた。何て言うべきだったんだろう。

 

「勒郎、行こう!」

 

 足元のククが図書室の出口へ走り出す。

 

「真野あやののアパートへ向かって! 途中で魄魔体(ヴァーサナー)とぶつかったら……」

 

 光を舞い散らせながらククが身体を回転させると、紺のブレザーにチェックのスカート姿の女の子になっていた。

 

「僕が相手をするから。君はとにかく全力で走って!」

「……分かった! でも俺も戦うからな!」

 

 俺は図書室を飛び出す瞬間、もう一度だけ後ろを振り返った。

 背後に守るものがなくなったせいか、魔法少女が活き活きと飛び回り、黄色やピンクの光を振りまいて戦っている。

 

「俺は……いまできる限りのことをするだけや」

 

 あやのの描いたマンガ――『漂流少女』のワンシーンを思い出しながら、俺は渡り廊下を駆け抜けて教室棟へ入る。

 レイヤーのずれが浅いからか、昼間だからか、校舎の様子は異界というほどでもない。ただ校舎内の異様な雰囲気に、どのクラスも授業を中断してざわついているようだ。そんな教室を横目に走りながら、俺は真夜(マーヤー)を発動させる。

 

「我が手に来たれ、勇者の(つるぎ)……」

 

 手にぼんやりと剣が現れるが、夜よりもずっと手応えがない。真夜(マーヤー)は昼間には力が弱い……だけど泣き言を言う暇なんてない。

 すぐ近くで、別の魄魔体(ヴァーサナー)の強い気配を感じた。

 見れば階段から、天井に届きそうな巨大な影が這い上がってきたところだ。ナメクジのような軟体……その上部に異様に大きな人間らしい顔が生え、無数の触手を天井に伸ばしている。

 

加速(ヘ・イ・ス・ト)……!」

 

 そう唱えた直後、右からククが光る錫杖(しゃくじょう)を構えて飛び出した。

 俺は左側からだ。飛びかかる触手を空中で弾きながら、俺は巨大なナメクジを飛び越えて着地する。

 倒している暇はない。あやののところへ……一刻も早くと願いながら、俺は加速能力を……真夜(マーヤー)を振り絞る。早く、早く……間に合ってくれ! 

 

 

 




この物語でずっと書きたかったところへ、ようやく手がかかった気がします。
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