終焉のアタラクシア ―キミを救うために来たんだよ―    作:灰都とおり

16 / 26
あなたの言葉が光になったの ②

――ごめんね、このまま一緒でもよかったけど……もうちょっと先を見たくなったんだ。

 

 最後に弥鳥(みとり)さんはそう言った……いま俺は、その“もうちょっと先”の物語にいるんだろうか?

 

 ガアララララァァァ

 

 空気を掻きむしる轟音に視線を向けると、遠くに見える巨大なエレシュキガルが黒い雷光を発し、破壊された建物や黒い泥流が魄魔体(ヴァーサナー)達に降り注いでいる。

 あやの……あそこにあいつがいる。あいつの孤独に触れた感触がいまも残る。俺はあそこまで行かなくちゃいけない。

 

「それ、誰なんですか?」

 

 背後の声に振り向こうとした瞬間、激痛に悲鳴が漏れる。

 後ろから来子に抱き付かれている。右肩に乗った頭が、首に噛み付いている……!

 

『いま私のもとへ飛び降りて来てくれたのに。どこへ行くんですか』

 

 来子(くるこ)の言葉が脳裡に響く。

 あり得ない……刃物のように鋭い牙だ。肉が裂け、溢れる赤い液体をすすられるのが分かる。

 

「ひぎぃ……」

幼月姫(ようげつひめ)……あなたの言ったとおり……血を流せば心が伝わります』

 

 来子はさらに牙を喰い込ませながら、後ろから両手を俺の身体に優しくまわした。

 

『ええ、勒郎(ろくろう)さんはいつも迷ってるんですね。ああだからこそ・だからこそ……! そこでいつも私を選んでくれる勒郎さんが可愛らしいって思えるんです』

 

 首から、背中から、来子が同化してくる。この子の痛みが神経に(から)み……全身に伝わる……この前と同じだ。真夜(マーヤー)がうまく使えない。

 

『大丈夫ですよ、勒郎さんを迷わせるすべてのものは……私が食べてあげます』

「わああっ」

 

 不格好に暴れると来子の牙はあっさり抜けて、俺は地面に倒れ込む。

 振り返って、そのまま尻餅をついてしまうのが情けない。来子が微笑みを浮かべて俺を見下ろしている。その後ろから巨大な黒猫ミーアクラアが無数の肢を(うごめ)かしながら近寄る。 

 

「はあぁ……そんな可愛らしい格好しないでください勒郎さん。早く一緒になってあげないと可哀想……ねぇみーちゃん?」

 

 禍々しいミーアクラアの影に(おお)われながら、来子の瞳だけが紫色に光っていた。唇から赤い液体がすっと一筋流れ落ちる。

 俺は何をしてるんだ? なぜ飛び降りてしまったんだ?

 そのとき突風が吹き抜け、来子のウェーブのかかった長い髪が舞う。

 ミーアクラアの後ろで、飛び込んできた黒い何かが激しい激突音をあげて宙に舞い上がる。ワタリガラスがガラハドと戦っているんだ。

 

『お前のやりたいようにやってみろ、少年』

 

 ワタリガラスの声が聞こえた気がした。そうだ。ここで(ひる)んでどうするんだ。

 

解呪(ディ・ス・ペ・ル)……! 軟化(ル・カ・ナ・ン)……恐慌(マ・モー・リ・ス)……!」

 

 自分が何をしたいのか分からないまま、俺は迫るミーアクラアへ真夜(マーヤー)を……魔法を畳み掛ける。

 弱体化させる青や緑の光を浴びながら、黒猫は気にもかけない様子でゆっくり近付き、来子の姿はその中へ溶けていった。

 

「来子……!」

 

 来子を吸収した猫の瞳が紫色に光る。

 力が入らない。

 両手を突いて(うつむ)く俺に、巨大な影が覆いかぶさる。もうなすすべがない……俺の力だけ(・・)じゃ。

 

『ああこれで一緒になれます』

 

 るぐうぅぅぅ……

 

 喜びの声をあげる黒猫の巨大な口が、頭から俺を呑み込み……そこで動きを止める。

 

『……みーちゃん?』

 

 オレンジ色の光が、その巨大な口を内側から照らしている。その光は俺の手元、地面に描かれた魔法の円から伸びている。

 

「夢幻少女の魔法は、心の(よど)みを癒すんやって」

 

 平沢先生がくれた魔法のペン。そのとき教わった簡単な魔法円をどうやらうまく描けたらしい。

 こういうのは恥ずかしがったら負け、でしたよね先生。

 

月光閃華(ムーンライト・フリッカー)っ!」

 

 俺はそれらしいポーズを取ろうとがんばってみた。

 ぽぽん、と可愛らしい音がして、強烈なオレンジ色の輝きがミーアクラアの巨体を弾き返し……キラキラしたピンクの光を(きら)めかせながら、影を掻き消すようにその巨体を溶かしていく。

 すごい……これこそ魔法だ!

 

『勒郎さん……どうして……? どうかしたんですか?』

 

 不思議そうな来子の声と共に、サイズを随分縮めた黒猫がどさりと地面に倒れ込むが、すぐに低く身構えなおす。また飛びかかってきそうな勢いだ。

 だけど俺ももう覚悟ができた。

 

「来子……その影の奥にいるお前を見たいから」

 

 ……俺はこれからその黒猫を引き剥がす。幼少期の絶望からお前を支えてきた魔法を……世界での唯一のお前の友達を。

 俺はふらつく身体を起こし、右手を天へ掲げる。真夜(マーヤー)を絞り尽くすんだ。

 

浄化(ニ・フ・ラ・ム)……!」

 

 閃光が世界を真っ白に塗り潰す。その一瞬、ワタリガラスとガラハドが建物に隠れるのが分かった。

 目の前で影が爆ぜる。

 光が消えると、溶けて分解された魄魔体(ヴァーサナー)の血肉が散らばっていた。

 

「ミーアクラア……」

 

 その来訪者がなぜ来子に宿ったのかは分かりようもないが、彼女の“心の澱み”に共感した、そのことは確かに思えた。

 来子は地面にしゃがみ込むようにしてうなだれていた。俺も精根尽きて眠りたかったが、いま倒れるわけにはいかない。

 ゆっくり歩み寄り、その肩に触れる。

 

「来子……みーちゃんはもう……」

 

 んん、とかすかな声をあげて来子が顔をあげ、放心したように地面の黒い染みを眺める。

 

「……いつも……同じこと……なんですね」

 

 来子が表情のない顔で俺を見上げる。

 その口元が、言葉で捉えきれない感情を吐き出そうとするようにぎこちなく開かれていた。

 何だ? その奥で何かが動いている……。

 

 るぎゃああああっ……!

 

 耳障りな絶叫が轟き、何かが正面から俺を凄まじい勢いで殴りつけた。

 数メートルも背後に吹っ飛んだろうか。道を塞いでいた大きな瓦礫に背中を叩きつけられた。真夜(マーヤー)の防御がなければ頭が半分になってただろう。

 起き上がろうとすると、額から赤い液体が吹き出して視界を染める。

 

『……誰も……私達を……理解しない……』

 

 来子の口から鉤爪のついた大きな前肢が飛び出している。

 

――全部を食べてあげられなかったんです……それでもみーちゃんの体を私の中に宿すことができた。

 

 みーちゃんはそこ(・・)にいたんだ。

 ごぼりとそれが地面に吐き出されると、瞬く間に骨や筋肉を伸ばして動物の肉体を構成し始める。そのうしろは来子の口の中につながったまま……いや、来子をその体内に呑み込んで、巨大な黒猫の全身が再び現れようとしていた。

 

「来子……!」

『……捨てろって……忘れろって……暗いことばかり考えてないで前を向いて歩きなさいって……』

 

 来子の言葉が坂道を転がり落ちるように溢れる。

 俺は瓦礫を支えにかろうじて立ち上がり、残された最後の真夜(マーヤー)を形にする。

 

「勇者の……(つるぎ)……」

 

 目の前で大きな黒猫が牙を剥き、うなり声をあげながら四肢を伸ばす。

 肢は4本……もう異形の姿じゃない。これがたぶん、本来のみーちゃんの姿なんだ。

 

『……でもそっちには道がないんです……私の道は暗闇(こっち)に続いてる……私に分かるのはそのことだけ。あのひと達はそれを逃げだと言うけど』

 

 俺を見下ろす黒猫の顔に重なって……幼い来子が泣き叫ぶ姿が見える。賢者の石の見せるヴィジョン。

 大人が賢しげにつくった痛ましさでもなく、拗ねた子供がかぶる仮面のような表情でもなく、ただ純粋に泣いている幼児の姿だった。

 

「来子……」

『私が再び光を……見つけられるとしたら……それは暗闇に背を向けて見つけるものじゃないんです。……きっと光は、この暗闇の向こう側にあるの』

 

 ガランと音を立てて、勇者の剣が地面に転がる。

 武器を投げ捨てた右手を、俺はただ差し出していた。

 

「ええよ……俺を食べても」

 

 瓦礫の向こうから、ワタリガラスがじっと俺を見ていた。

 そうだな、やっぱりバカなことだったかも知れない。何のためにここまで来たんだ俺は。

 

「来子、お俺もお前も似てるよな……必死に、この世界に噛み付かんと、生き残ってこれんかった」

 

 黒猫がじっと俺を見つめる。

 俺は6年前の神社を思い出していた。救急車のサイレンの音。世界が俺を見捨てる音。それなら俺も世界を捨てる……そう思った。

 

「でも……お前は俺と違うよ。みーちゃんが……友達がいなくなったことを忘れようとせんかった。そこから逃げずに、ずっと思い続けたんやな。俺みたいにただ逃げてるだけの奴より100倍すごいわ……」

 

 黒猫がその口をかすかに開くと鋭い牙が覗いた。俺はその鋭さを愛おしいとすら思う。

 

「それでもまだ俺のことを……理解し合える奴やって思ってくれるんやったら、好きにしてええよ」

 

 巨大な口が開く。ひと噛みで俺を寸断できそうだ。

 あやの、ごめん。お前を巻き込んでしまったけど……俺はここまでだ。

 胸が痛い。きっとこの痛みが最後の感覚なんだろう。

 

 ……目を閉じていたのか、巨大な口に呑まれたのか……そこには真っ暗な闇があった。

 闇の中に光があった。

 エメラルドグリーンの輝き。

 

「……賢者の石?」

 

 俺の胸から強烈な緑色の光が飛び出していた。胸が燃え上がるように疼く。眩しくて目を開けていられないが、光が大きな影を吸い込んでいくのが分かる。

 

『私の……光……』

 

 幻だと思う。だけどそこに来子がいた。緑の光に内側から照らされるように、半ば身体を透き通らせた来子が俺を見つめていた。

 

『やっぱり……あったんだ』

 

 初めてみる笑顔。ああ、こんな顔をしてたんだって俺は思う。

 光がゆっくり消えていくと、建物の残骸と瓦礫が散らばるもとの街並みが現れた。

 消えゆく緑の光に照らされて、来子が横たわっていた。

 みーちゃんはもういない。……俺は何をしてしまったんだろう。

 

 キィィィン……

 

 そのとき胸に鋭い衝撃があり、金属的な響きが鳴り渡った。

 銀色の甲冑めいた手が俺の胸に突き刺さっている。

 

「見事なものでござるな」

「おまえ……は……」

 

 その手首から先は鎖状に長く伸び、遠くに立つ男につながっていた。

 灰色のマントに身を包むガラハドと呼ばれた男。そうだ、こいつの狙いはこの石なんだ。

 

「左様、そなたのおかげで十分に精製されておる」

 

 上半分が闇に溶けたように消失したその顔で、淡々と言葉を発するのが異様極まりない。

 胸をえぐる感覚に硬直している間に、銀色の手が体内に沈んでいく。

 

「ご案じめさるな……この石さえいただければそれでよい」

 

 ガラハドの口が笑みを浮かべる。

 ちくしょう、確かに俺は来子に食べられてもいいと思った……だけどこの石は、あやのを救うために必要なんだ。

 

「……いや、心配しちゃうぜ」

 

 ガラハドの笑みが凍り付く。

 その声は俺の真後ろから聞こえる。

 

東峰騎士団(パンタグリュエル)様が最後のツメで油断しちまうとは、そろそろ虚壊病が頭に廻ったか?」

「なるほど……確かに我の実体を(つか)めるのはこの瞬間だけでござるな……」

 

 背中からもうひとつの腕が俺の体内に挿し込まれている。それがガラハドの銀色の手を掴み、俺の身体から引き剥がす。

 くそっ、俺の身体を戦いの駆け引きに使いやがって! こいつはそういう奴だ。

 

「ワタリガラス……!」

「ああ少年、ちょっと邪魔したな」

 

 地面に倒れ込みながら振り返ると、漆黒のセーラー服を(まと)った黒髪の女が笑っていた。

 その右手に力が込められると、掴んだ銀の手、そこから続く鎖が真っ黒に変色していく。その黒は瞬く間にガラハド本体に達し、その欠損だらけの身体や、灰色のマントまでが火で炙られたように黒ずむ。

 

「お互い全力でやり合えなかったのは残念だったが、まあこういうこともあるさ」

「いや、お見事でござった」

「じゃあまたな。……次があればだが」

 

 ワタリガラスの赤い瞳が輝くと、鎖が粉々に弾け飛ぶ。

 次の瞬間、岩が割れるような音が響いてガラハドの全身も砕け、破片が地面に転がった。

 俺はゆっくり立ち上がって、その残骸を眺める。ジャガナートに惹かれてこの世界へやって来た来訪者達……ミーアクラアもガラハドも、何を求めていたのか、そしてこれがこいつらの死なのかすら、俺にはよく分からない。ただ、こいつらにはきっと強い動機があった。世界を壊してでも手に入れたい何かがあったんだろう。

 

 グアアァァァ……

 

 カラスの鳴き声のような声がして、俺達を乗せてきた巨大な黒い飛行機が舞い降りた。

 俺を眺めるその顔を眺めると、飛行機というよりすっかり生き物のように……友達のように思える。

 

「フギン……」

「寄り道は済んだな勒郎。じゃあ行くぜ」

 

 黒髪をなびかせてワタリガラスがフギンの操縦席に飛び乗る。聞き違いか? いまこいつは俺の名を呼んだ。

 

「……うん」

 

 俺もフギンの背に飛び乗る。

 顔を巡らせると、ゆっくり身を起こした来子と目が合った。

 

「来子……」

 

 言葉を探している最中に、フギンが羽ばたき始めて飛び上がるので、俺は慌てて叫んだ。

 

「俺、十月(とおつき)中学2年2組の久凪(くなぎ)……」

 

 フギンはすぐに上空に舞い上がり、風を切って飛ぶ。そのとき来子の返事が微かに聞こえた気がした。

 

『ええ……知ってます。マンションだって』

 

 その言葉はちょっと怖かったが、最後に俺を見上げたあの子の顔はそんなに怖くはなかった……気がする。たぶん。

 

「……何だ?」

 

 ワタリガラスの(つぶや)きが俺は慌てて正面に目をやる。

 近付いてくるエレシュキガルの蒼白い姿……その頭上にキラキラと青く光るものが見えたかと思うと、金切り声のような音が響き、エレシュキガルの巨体がぐらりと揺れる。

 

「まさか……観測者どもが動きやがったのか!?」

 

 賢者の石の力なのか、エレシュキガルの頭上に浮かぶ何艘もの船が見えた。様々な形のそれが、中に人を乗せた船だとなぜか分かる。

 それが真下のエレシュキガルへ向けて、破壊的な力を持った青い光を放っている。

 その光は、周囲に集まっている無数の魄魔体(ヴァーサナー)をも巻き込み、そのカラダを引き裂いていた。すでにその一帯は、エレシュキガルから溢れる黒い泥流が渦をなし、何もかもを呑み込む大渦潮(メイルストローム)と化している。

 

「あやの……!」

 

 俺は右手で胸を押さえ、その内側の光に意識を向けるが、もうあやのの声は聞こえなかった。

 フギンが黒い翼を伸ばし、破壊と混沌の吹き荒れるエレシュキガルへ向かって速度を上げた。

 

 

 




「噛み付き」っていう愛情表現の尊さ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。