終焉のアタラクシア ―キミを救うために来たんだよ―    作:灰都とおり

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本当の瞬間は迷わないから ①

 それ(・・)は俺の物語の外側から来た。

 (おおとり)殊子(ことこ)――彼女はそう呼ばれていた。どこかでその名を聞いた。

 青と白の制服姿。左腕の腕章には、赤地に金文字で生徒会執行局と記されている。殊子が好奇心に光る視線をめぐらせると、長いストレートの黒髪が揺れる。

 彼女が立つ円形スペースの床は幾何学模様で飾られ、ドーム状の天井が明るく照らしている。そこには10数名の人間が正面のヴィジョンを眺めていたが、殊子だけはこっちを……俺の視線を捉えていた。

 

「なんとか間に合った……いまひとつの物語が収束する。そこで……君は何を為すのかな?」

 

(何を為す……?)

 

 その瞳がなぜか懐かしい。忘れていた何か大切なものを思い出しそうな……。

 

「ともかく……私達が為すべきことはひとつです」

 

 円形スペースに中性的な声が響いた。

 そこは船のブリッジのようだ。

 声を発した白いスーツの人物……銀髪を後ろでひっつめにし、整った顔に柔らかな微笑を浮かべた男とも女ともつかない人物はその指揮官らしい。

 

「エレシュキガルの仮想体で形成されたゲートを閉じること……観測者の皆様、そのことを最優先に願います」

 

 正面のヴィジョンに映る蒼白い巨大な姿は……エレシュキガルだ。すると、ここはどこなんだ?

 

「残念だよプルシャ。いまゲートを閉じれはどうなるか分かるだろうに……」

 

 白いスーツの人物に向かって小さな女の子が声をかける。青いブレザーにチェックのスカート、ショートにした髪からちょこんと毛を逆立てた……あれは!

 

世界山(メール)のカルナー様……仕方がありません。冥界流入は阻止しなければ。我々はもうあの混沌に逆戻りするわけにはいかないのですから」

 

 プルシャと呼ばれた人物が微笑を崩すことなくカルナー(そう、あれはククだ)へ答える。

 

「そのためにこそ、皆様は観測者たらんとしている訳でしょう」

 

 プルシャがその視線を、様々な格好の人々にめぐらせて話す。壇上でスピーチする教師のようだ。

 

「君達は観測者と名乗るけど……僕には来訪者と区別することができないんだ」

 

 ククが独り言のように(つぶや)いた。

 

 

 

 

 

 甲高い破壊音が空を(おお)う。天空からの攻撃に(さら)されるエレシュキガルが、黒い雷光を四方へ放った。

 空を駆けるフギンの背で俺は意識を取り戻し、目前に迫る巨体を見つめる。

 空に浮かぶ何艘もの船が青く光る弾丸を真下に撃ち込んでいる。あれはプルシャと呼ばれたあの人物の先導なのか。

 

「何でや!? ワタリガラス、あやのの声が聞こえない……!」

「ちっ、同化が進んでやがるんだ」

 

 地上ではエレシュキガルから溢れ出す黒い泥流が、集まった魄魔体(ヴァーサナー)を呑み込んでいる。そのどろどろした渦に空から降り注ぐ光が当たると、大きく爆ぜて粘土状の飛沫を散らせる。無数の悲鳴や(うめ)き声が聞こえるようだ。

 

「こりゃあ戦場に突っ込むようなもんだぜ」

「危なっ!」

 

 俺が叫ぶ前にフギンは反応していたようだが、雷光に撃ち抜かれて落ちてきた大きな魄魔体(ヴァーサナー)の残骸を完全にはかわせない。

 

「わああっ」

 

 激突を覚悟した瞬間、その残骸が銀色の光に吹き飛ばされる。この真夜(マーヤー)は……!

 

勒郎(ろくろう)……君が来るような気がしてたよ」

 

 小さな女の子姿のククが空中を舞い、曲芸のようにフギンの翼に降り立った。こいつの身体能力は冗談みたいだ。

 

「……世界山(メール)の来訪者か? ああ……お前が勒郎に首輪をつけていた御守り役か」

「君にはマイトリーが世話になったみたいだね。だけどいまはそれどころじゃない」

 

 体制を立て直したフギンが飛び続ける。もうエレシュキガルはすぐそこだ。

 そのとき再び空から青い光が降り注ぐ。

 

「こっちもそれどころじゃねえ……!」

 

 ワタリガラスが叫びながら、空からの攻撃に巻き込まれないようフギンを遠巻きに旋回させる。

 

「観測者達はゲートを閉じようとしてるんだ。恒真の守護者(アガスティア)が来てしまったから……」

「まさか……プルシャか!」

 

 ワタリガラスが血相を変える。

 

「……早すぎる。あいつ……絶無崩壊より俺を優先したのか!」

 

 

 

 

 

 その瞬間、賢者の石が俺にヴィジョンを見せる。

 プルシャ……あの銀髪の人物が、円形スペースの床に映ったエレシュキガルを見下ろしていた。そこには同じようなスーツ姿が数人いるが、観測者達はそれぞれの船に戻ったようだ。鳳殊子……彼女の姿もない。

 

「プルシャ、よろしいのですか。島世界に干渉することになるのでは」

 

 銀髪を肩までおろした人物が、後ろからプルシャに声をかける。

 

「冥界流入の基点となっているあの少女……その魄魔体はそもそも具現化することはなかった。これは来訪者の干渉を正すことなのです」

「確かに……彼女には来訪者の影響が著しく現れています」

「ええ……」

 

 微笑を保ったプルシャが眉をかすかにひそめる。

 

「……どうもミーアクラアが接触したという者が気になりますね……。少女と魄魔体の同化はどの程度進んでいますか」

「正確な観測が難しいのですが、30%ほどかと」

「では魄魔体を排除しても(おおむ)ね自我は残るでしょう」

 

 プルシャが細く鋭い目を床から正面へ戻すと、そこには巨大な歯車の姿が映っていた。凶悪な牙を生やしたそれがゆっくり回転している。

 プルシャの微笑がすっと消える。

 

「それにしても……ジャガナートがなぜこのタイミングで起こるのでしょうか」

 

 その歯車をおぞましいもののように睨みながら、後ろに立った人物がプルシャに尋ねた。

 

宇宙則(リタ)の深淵なこと、私の理解の及ぶところではありません。私はただ、この場に居合わせた縁に従うまでですよ」

 

 プルシャが自分に語りかけるように呟いた。

 

「そしてあのカラスとの縁にもね……」

 

 

 

 

 

 衝撃を感じて周囲を見回すと、フギンが倒壊しかけた建物の中に飛び込んでいた。まるで空から見つめる視線から隠れるように。

 ワタリガラスもククも、その廃墟のフロアから外を伺っている。外では強い風が吹き荒れ、断続的に観測者から放たれる光が金切り声のような破裂音を発していた。

 

「クク、あいつらの狙いは分かった……早くあやのを助けな!」

 

 俺も慌ててフギンから降り、ククに駆け寄る。ククにワタリガラスがいるなら何とかなるはずだ!

 

「勒郎……落ち着いて」

 

 ククが言いにくそうに俺を見上げる。

 

「ゲートが閉じれば、冥界に感応していたすべての魄魔体(ヴァーサナー)は行き場を失って暴走する。勒郎、魄魔体(ヴァーサナー)に同調しやすい君がその場にいたらどうなることか……いますぐここから離れないと」

「賢者の石……があるから?」

「勒郎……」

 

 ククがはっとした顔を見せる。

 

「弥鳥さんがいなくなった後、何でお前が俺のところに来たのか……ジャガナートから遠ざけようとしてたのか、何となく分かるよ」

 

 胸が緑色の光を発するのが分かる。

 

「この力……確かに暗い気持ちに引きずられたら大変なことになるやろな。これを利用しようって奴もおるし」

 

 ちらりとワタリガラスに目をやると、両手を組んで考え事でもしている様子だ。

 

「でもこの力があるから……俺はこれをあやののために使わな……」

「いや、観測者達はエレシュキガルとして集合している魄魔体(ヴァーサナー)だけを破壊してるんだ……あやのを殺そうというわけじゃない」

 

 概ね自我は残るでしょう――さっきプルシャがそう言っていた。「概ね」だって?

 

「ははは、影をとっぱらってもらえるなら、あやの(・・・)もかえって楽に生きていけるんじゃねえか?」

 

 ワタリガラスがふざけたように笑う。

 あやのの孤独……悲しみ……それが冥界の力を呼び寄せていて……それがなくなればむしろ楽になるんだろうか?

 

 悲鳴のような音が空気を掻きむしり、黒い雷光が周囲の建物を破壊する。微睡(まどろ)みながら空からの攻撃に身を晒すその蒼白い巨体は、少しずつ形を崩し始めていた。

 

「そもそもエレシュキガルに触れた君が自分を保てるとは思えない。取り込まれるだけだよ」

「そんなこと……」

「悪いが勒郎、俺もここまでだ。正面から突っ込んでもプルシャの天刑陣に囚われちまう」

 

 地震のように揺れる建物から、俺は崩れゆくエレシュキガルをじっと見つめる。ふと言葉が浮かんだ。

 

――そこから目覚めたとき、それまでよりほんの少し生きるのが楽になった……その程度の物語をキミは求める?

 

 弥鳥さん……俺がやるべきことは何なんだ?

 攻撃を受けながらなお微睡むようなエレシュキガルの顔が、じっと俺を見つめていた。

 

『ここは……暗いの……』

 

 声が聞こえる。それは冥界から届く声……蒼白いカラダが抱える闇の深さを感じて、気が遠くなる。

 

『光を……』

 

 よく知る声だった。

 

「あやのだ……あそこにいる」

「何だって?」

 

 エレシュキガルの首から胸元のあたり……その内側、胎児のように身を丸くしたあやのがいるのがはっきり感じられる。

 俺に反応するように、エレシュキガルがゆっくりこっちへカラダを傾けた。

 

「お前……エレシュキガルに同調してるのか!?」

「あり得ないよ! そんなこと誰にもできるわけが……」

 

 地響きを立てる建物の中でふたりが俺を見つめる。

 

「……勒郎、君は確かに……いつも魄魔体(ヴァーサナー)に触れようと手を伸ばしてきた……」

 

 胸の光が辺りを緑に照らし、天井から落ちる塵がそれをキラキラと反射した。

 

「ずっとそうしてきた君だから……冥界の力にすら触れられるように……?」

 

 ククがその大きな瞳をさらに見開いている。ああ珍しいなクク、お前がそんなに興奮するなんて。

 

「……勒郎、君があやのの居場所を正確に掴めるなら、そこを狙い撃つようプルシャに言ってみよう。早ければ彼女への影響も少ないはず……」

「いや、違うよクク」

 

 俺は一度目を閉じてから、ククに向き直った。胸の(うず)きがいまは心地いい。この疼きがまっすぐあやのの心につながっている。

 

「これから俺があの中に入ってあやのを連れ出してくる。クク、ワタリガラス……あそこまで連れてってくれ」

 

 ふたりが絶句する。分かってる……これは無茶で、虫の良い願い事だ。

 その瞬間、建物が大きく傾ぎ、崩れる壁が俺の視界を塞いだ。足場を失い、身体が宙に浮く。

 

 グアアァァァ……

 

 崩壊音を貫くカラスの声で我に返る。俺はその優しい背中に乗せられて空を飛んでいた。

 

「フギン……!」

 

 紫色の空が異様な鮮やかさで視界に広がった。

 見下ろせば、エレシュキガルの足元の黒い渦が周囲の建物をも呑み込んでいる。

 

「ちくしょう仕方ねえ……! 手伝ってやるからその賢者の石、最後にいただくぜ」

 

 漆黒のセーラー服をはためかせながら、ワタリガラスがフギンの背に飛び降りる。行こう、とでも言うようにフギンが鳴いた。

 

「勒郎……君の行動は危険なんてものじゃない……だけど」

 

 ククがフギンのすぐ傍に……中空に立っている。左右の足の下に車輪のようなものが回転していて、それが小さな身体を浮かせているらしい。

 

「いまは君の意志のままに行こう。僕も……そうしたいから」

 

 ククがフギンの前に飛び出し、空中を駆けながら右手を前に掲げる。その手から発した銀の光が盾になって俺達を覆うと、上空から降り注ぐ流れ弾が弾かれる。

 すごいなクク……お前と一緒に戦ってたのが嘘みたいだ。

 ククを先頭にエレシュキガルまで一直線、空中に道ができる。

 

「すれ違う瞬間に飛び降りろ! 暇があれば戻って回収してやる」

 

 操縦席に着かず、フギンの首の上で身構えたままワタリガラスが叫ぶ。

 すぐそこに、薄いヴェールを(まと)う蒼白い姿が迫る。あそこだ、あの胸元からあやのを救い出すんだ!

 

「……その衝動が世界に苦しみを撒き散らすのですよ」

 

 無機質な声が聞こえた瞬間、激しく輝く光の輪が先頭を飛ぶククを捉える。

 

遮耀陣(しゃようじん)! しまった」

 

 そう叫ぶククの周囲が球状に切り取られるのが一瞬見え、ほぼ同時にフギンが電源を切られたように力を失くして落下する。

 衝撃が覚悟したほどでなかったのは、フギンが最後の力で倒壊した建物に軟着陸してくれたからだ。俺が名を呼ぶと、グウウ……と一声(うめ)いて動かなくなる。

 

世界山(メール)の力の前ではただの時間稼ぎではありますが……」

 

 見上げるとプルシャがエレシュキガルの前に浮かんでいた。まるで合成写真のように空中を踏んで立っているが、その白いスーツや後ろでひっつめにした銀髪は風になびいている。

 

「ぐあああっ」

 

 プルシャの背後で天地が裂けるような稲光が走り、ワタリガラスの絶叫が轟いた。

 あいつも凄い……と俺は思った。あの一瞬でフギンの背から飛び、プルシャへ襲いかかったのか……ワタリガラス。

 その彼女を脈動する強烈な光が空中に縫い止めている。

 

「……しかし貴女にとっては致命的なはず」

「天……刑陣……!」

 

 ワタリガラスが光の束縛から身を引き剥がすようにもがくと、周囲に無数の構造体が現れて全身を覆っていく。その瞬間俺の足元にも構造体が現れ、フギンのカラダを一瞬で消し去った。

 

「虚海船ですか……しかしすでにこの世界との接触面は断ちました。逃げられたところで、もはやここへは戻れないでしょう」

 

 背後でもがくワタリガラスを振り返りもせず、プルシャが俺を見下ろしている。俺はいまにも崩れそうな建物の残骸に立ってプルシャを……その背後のエレシュキガルを見上げた。

 

「少女を魄魔体ごと連れ出せばゲートは閉じません。そうなれば無数の魄魔体がこの世界に溢れ……それらを贄としたジャガナートはこの世界を崩壊させてしまうでしょう。いや、もっと多くの世界をも。あなたの衝動は、この世界に住まうすべての人々と天秤にかけられるものなのですか」

 

 プルシャが微笑みなから淡々と言葉を吐き出す。世界と天秤にだって……?

 

「なぜあなたはそうするのでしょう。無力な自分でも価値があると示したいから? 世界に拒絶された苛立ちをぶつけるため? それとも彼女に……あの少女に認められたいと願うからでしょうか?」

 

 上空から眩しい輝きが辺りを照らし、船団から降り注ぐエネルギーがエレシュキガルを甲高い音を立てて削っていく。その光が地上の黒い渦に当たると、悲鳴のような音と共に周囲を蒸発させる。

 

「俺は……なんで……」

「迷うな! 勒郎、お前が……」

 

 プルシャの背後から、ワタリガラスが光に拘束された手足を半ば引き千切りながら叫んでいる。虚海船の構造体と共にその姿が消えてゆく。

 

「お前が為すべきことから目を()らさせる、この世のあらゆる欺瞞(ぎまん)は破壊しろ……!」

 

 その言葉を最後にワタリガラスがこの世界から消える。

 最後まで偉そうに言いやがって。

 

「……プルシャ、俺は」

 

 そうだ。俺がいま為すべきこと……それはもう分かってる。胸が燃え上がるように熱い。緑色の光が全身を内側から照らしている。

 

「!? その光は……!」

「あやのを連れ出す。いま、ここから」

 

 

 




最近は流行らないのかも知れないヒロイン救出劇なんてものを、やっぱり描きたいなって思うのは子供時代の刷り込みですね。
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