終焉のアタラクシア ―キミを救うために来たんだよ―    作:灰都とおり

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本当の瞬間は迷わないから ②

「貴方に興味もありますが、いまは魄魔体の破壊が優先事項です」

 

 宙に浮かんで俺を見下ろすプルシャは相変わらず微笑を崩さないが、俺にはその焦りが感じ取れる。胸を(うず)かせる賢者の石が周囲をはっきり知覚させるからだ。

 上空の船団が光弾の狙いをエレシュキガルの頭部に定めている。観測者達は統率されてはいなかったが、ようやく攻撃を一点集中させようというらしい。そうなればいよいよ危ない。

 

「あやの……引きこもってんのは退屈やろ」

 

 つながった“糸電話”で呼びかけ続ける。エレシュキガルの内部のあやのがはっきり感じられる。

 

『……だれ……?』

「目ぇ覚ませよ……このままやとあいつらの好きにされて終わりや」

『……しょうがないよ……ここがあたしの居場所やから……』

「違うやろ……なんでお前が……気後れせなあかんねん(・・・・・・・・・・)!」

 

 エレシュキガルがその目を初めて開いた。

 吸い込まれそうな紫色の瞳……それと視線を交わした瞬間、俺の意識も半ばその巨体の中にあった。

 

「バカな……! 仮想体が自律して動くはずが……」

 

 言い終える前に蒼白い巨大な腕がプルシャをはたき落とす。

 その余波が俺のしがみつく建物をぐらりと揺らしたが、俺の意識は空からの敵意に向いていた。

 真上を見上げるエレシュキガルの額から黒い雷光が走り、面白いように観測者達の船を吹き飛ばしていく。

 

「はははは……」

 

 自分が笑っていることに気付いたのは、足元が崩れ落ちて我に返ったからだ。真下で渦を巻く黒い泥流めがけて落ちていく。だめだ、早く真夜(マーヤー)を……!

 どんと身体に何かが当たって、俺を目の前の塔の壁面へ引き上げた。

 

「乗ってくですかぁ?」

 

 俺を背に乗せてレンガ色の壁面にしがみついているのは、真っ白な毛皮に長い耳を立てた獣めいた少女だ。その背に生えた大きな翼は、広げればゆうに10メートルはありそうだ。

 

「ら、来訪者……?」

「そ、リエメイちゃんです。君、恒真の守護者(アガスティア)相手にすごいですねぇ」

 

 さらさらの白髪に赤い飾り、額から伸びた2本の角は可愛らしく見えたが、額から左目までの焼けただれたような傷痕が痛々しい。無事な方の瞳を小動物のように動かせる様子はまるきり無邪気そうだ。

 

「あ、ありがとう。あの……」

「いいですよぅ、エレシュキガルまで連れてくです」

 

 塔の壁面から、リエメイの背に乗って俺は飛んだ。その背はフギンより激しく揺れるが……柔らかい。

 

「どうしたですかぁ?」

「い、いや何でも!」

 

 ていうか、どこまで強くしがみついていいのか分からない!

 

「ほら、月蓮(げつれん)のみんなも見ててくれてるです」

 

 戸惑いも吹き飛んだ。

 エレシュキガルを囲む塔にはたくさんの来訪者達が……魔物めいた異形の者達がいて、何やら声援を送ってくれている。

 翼のある者達はリエメイと俺を守るように飛んでいて、俺は嬉しくなった。分かる。この世界への苛立ちと、冥界へ惹かれる想いが。

 

「あの子によろしくです」

「……ありがとう!」

 

 いまや再び微睡(まどろ)むエレシュキガルの頭上で俺はリエメイから飛び降りる。賢者の石の眩しい光が、まるで全身を守ってくれているようだ。

 

『君、いいね』

 

 誰かが俺をじっと眺めていた。

 その視線を俺は知っている。(おおとり)殊子(ことこ)……外からやって来た存在。

 

『あの子を救い出せたなら、迷わず飛び降りて。大丈夫、うまくいくから』

 

 何を言ってるんだ、と俺は思わない。殊子が何者か知らないが、言われなくとも迷いはなかったから。

 あやのを救うだって? そんなことできるもんか。俺はただ……手を伸ばすだけだ。あいつに触れるために。

 

 

 

 

 

「ミツキちゃん!」

 

 ああ、あたしを呼ぶ声がする。

 あたしは……誰だっけ。

 見知らぬ異世界に学校ごと飛ばされたあたし。それはあたしの、別世界へ行きたいという願いのせいだったの。

 

「起きて! 早く!」

 

 カナメちゃん、そうだね。それでもあたしは元の世界へ戻ろうって決めた。

 いや……違う。これはカナメちゃんじゃない。

 

「こっちに手を伸ばして……!」

 

 誰かが呼んでる。たゆたう流れの上から波紋のようにあたしを揺さぶる。

 身体を起こしたとき、逆に流れの底からも呼ばれた気がした。

 行かないで。

 一緒にいて。

 幼児が母親の(すそ)をつかむような弱々しさ。

 

「あなたは……」

 

 あたしはその声も知っている。

 その小さな声があったから、あたしはここまで降りてきたんだ。

 

「一緒に行こう?」

 

 あたしは流れの底へ手を伸ばす。

 でも、その手が激しく拒絶されるのが分かる。凄まじい敵意と憎悪。

 救いなんて求めていない。理解なんてされる訳がない。この絶望が……他人に理解される程度のものだなんて認めない。

 そうだ、あたしもそう思っている。

 どうして忘れてたんだろ。あたしはあいつら(・・・・)には負けない。この世界のルールにだって負けない。そう決めたんだ。

 

「世界なんて……」

 

 また上から声がする。

 

「……どうなってもええやろ。あやの、お前はどうしたい?」

 

 さっきより騒がしい。

 あいつの声だ。なんであんなに偉そうに叫んでるんだろ。

 

「お前の……家のこと、お父さんのこと、そこに触れるのが恐かった。お前の抱えるもんを知って、うまく話せる自信なかったし……お互いやり過ごしてきた嫌なことに捕まるのも恐かったし。でも……見ないふりしてたらなかったことになる訳ちゃうよな。お前だって、言わずに気ぃ遣うの嫌やって言ってたやろ。せやから……うざがられても俺は手ぇ伸ばす!」

 

 見上げるとエメラルドグリーンの光が水面からキラキラ射し込んでいて、ああ綺麗だなあ。

 いま気付いたけど、ここは随分と暗い。

 その暗闇が少しずつあの水面へ吸い上げられていく。光があたしの頭をクリアにする。

 

「お前が望むんやったら、このまま世界を巻き込んで何もかも壊してもええ。せやから……まずこっちへ手ぇ伸ばせって……!」

 

 何を大袈裟な話をしてるんだあいつは。

 まるで少年マンガの主人公気取りのセリフに笑ってしまう。

 あははは……まあ笑わされたら負けかも。

 あたしはその眩しい水面へ手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 高く澄んだ鐘のような音だった。

 エレシュキガルの体内の暗黒を吸い込んでいた賢者の石が、その鋭い音を鳴り響かせる。石を亀裂が貫く。

 俺はその瞬間確かにあやのの心に触れた。闇の底からあやのが伸ばした手を(つか)む。

 

「あやの……行こう!」

「アホか」

 

 溢れ出す黒い激流に身体を突き上げられてエレシュキガルから飛び出すとき、あやのの声がようやくはっきり聞こえた。

 何が面白いのか……いつも不機嫌そうなあやのがこんなに笑ってるなんて。

 激しい泥流となってエレシュキガルの頭部が崩れる。頭部を失った首元あたりに俺達はふたりで立っていた。

 高層ビル並みの高さから廃墟の世界を見はるかす視界に鮮やかな紫色の空が広がり、まるで竜巻に呑まれてやってきた魔法の世界を眺めているようだ。

 

「あっつ……!」

 

 火傷するような熱さを感じたとき、俺の胸から光そのものと化した賢者の石がこぼれ落ちる。

 とっさに手で受け止めた瞬間、それがとんと弾み、凄まじい光の爆発を起こした。

 ひときわ甲高い音が世界に鳴り渡る。

 粉々になった緑色の宝石が、花火のように鮮やかに周囲を照らしながら飛び、散らばっていく。まったく魔法の世界そのものだ。

 

「……派手な演出やなあ。全然あんたに似合ってないで」

「うるさいな」

 

 ぐらりと揺れを感じて見下ろすと、溢れ出した泥流がエレシュキガルの足元の渦をさらに激しくかき混ぜ、魄魔体(ヴァーサナー)を呑み込んでいる

 頭部を失ったエレシュキガルのカラダはみるみる崩壊を進めていた。

 

「あやの、ひとまずここから……」

 

 あやのを振り返った瞬間、回転する何かが飛んでくるのが見えた。同時に、半透明のカラダがあやのをかばうように身をのり出し、その棘の付いた大きな車輪のようなものを受け止める。

 

「あやのっ!」

「うふふふふ……楽しかったねぇ」

 

 クラゲのような……あれはあやのと同化していた来訪者だ。それが車輪に半ば引き裂かれるようにしてエレシュキガルの肩から落ちていく。

 

「あなた……」

 

 落ちていくその姿を見つめるあやのの傍で、俺は目の前の白いスーツを睨み付ける。

 

「プルシャ……!」

「賢者の石だったのですか……これほど肥大化した仮想体を分解するとは素晴らしい。しかしこれでは……ただ冥界の力を撒き散らすだけです」

 

 プルシャの背後にその船が浮かぶ。いや、観測者達の船も……さっきの雷光のダメージもあるようだったが、大半は事も無げに浮かんでいる。

 

「あなたのような衝動が世界を壊すたび、我々は修復する。そして二度とその苦しみを味わうことのないよう、こうして世界を守護しているのです」

 

 プルシャが優しげな微笑を浮かべながら、崩れゆくエレシュキガルの肩をゆっくり歩いてくる。

 その右手が光ると、さっきと同じ車輪が具現化していた。差し渡し俺の身長くらいはある……あれが奴の真夜(マーヤー)なんだ。

 

「勒郎、何やのあの偉そうな奴は」

「いやちょっと黙っててくれ」

「はあ!?」

 

 どうすればいい。俺も真夜(マーヤー)で応戦するか? しかしあの船団もこっちを狙ってるだろう。しかも足場は間もなく崩れ、このままじゃ真下の黒い渦に呑まれる。

 

「ゲートは閉じなくてはなりません。その少女の抱える魄魔体、いまこの場で消滅させます。なに……」

 

 プルシャが子供を安心させるように目を閉じる。

 

「悪いことではありません。もう妄想に逃げる必要もなくなるでしょうから」

「それあたしのこと!?」

 

 くってかかろうとするあやのを抑えながら、真夜(マーヤー)で剣を創り出そうと集中する。くそっ、とにかくやれるだけやるしかない!

 プルシャがまるで重さのないようにその車輪を持った右手を掲げる。

 

「……間に合ったね」

 

 その声と共に銀色の光の綱が飛来し、プルシャの全身に巻き付いた。

 その綱は、上空に浮かぶ小さな女の子の手から伸びている。

 

「クク!」

「……世界山(メール)の縛索ですか。予想より20秒早い……ですがこれではあなたも動けませんよ」

 

 冷静に(つぶや)くプルシャの全身を青い光が包み、縛り付けていたククの綱がゆっくりほどけ……止まる。ふたりの力がそこで拮抗しているみたいだ。

 

「うん、僕と君が少しこのままでいるだけで十分だよ」

 

 ククが意味ありげに俺を見た。

 何だ? 何を言おうとしてる!? いや、俺には分かる。

 

――あの子を救い出せたなら、迷わず飛び降りて。大丈夫、うまくいくから。

 

「あやのっ!」

「気安く呼ぶな」

「ええから飛ぶで」

「は!?」

 

 見下ろすと、遥か下では真っ黒な泥流がどろどろとうねっている。ぞっとしない眺めだが、迷う余裕はない。

 

「……ここにいても上から撃たれるか、この下に呑まれるかや。俺やったら……飛べる」

 

 真夜(マーヤー)を発動……。全身をうっすらと光が包み始める。いつあやのの手を握ったのかも憶えていない。

 

「……夢にしたってやり過ぎやろ。勒郎がこんなにカッコつけてるとか」

「ええやろ……夢の中くらい」

 

 空を飛ぶ真夜(マーヤー)は苦手だった。せいぜい飛び降りたときに着地できる程度だ。でもいまはそれじゃだめだ。せめてこの泥流の向こうまで飛ばないと。それもあやのと一緒に。

 

「やめなさい……! 下の魄魔体に同化してはもう還れなくなります」

「勒郎……いましかない! プルシャを抑えられるのはこの瞬間だけだよ」

 

 銀の光でつながったプルシャとククが叫んでいる。足元が水を含んだ砂城のようにぼろぼろ崩れていく。

 

「……ごめんな、失敗したら」

 

 じっと泥流の向こうを見つめていると、頬を触られてびっくりする。

 俺の頬をぎこちなく撫でながら、あやのも廃墟の世界の彼方を見つめている。

 

「ええよ。一緒に飛んだる」

「……そう素直に言われるとかえって不安になるわ」

「あはは……なんだかね」

 

 地平線を眺めていたあやのが、その視線を俺に向けた。風になびくおかっぱの髪。眼鏡の奥の切れ長の瞳。こいつは……こんな素直な目をしてたか? いや、この目は知ってる。6年前の神社のときと同じ――。

 

「本当の瞬間は……迷わないから」

 

 あやのは笑っていた。たぶん俺も。

 とん、と軽く足を踏み出す。

 重力がゆっくり身体を掴み、全身の毛が逆立つ。ああ、あれはいつだった……廃屋のビルの屋上から俺は飛んだ。あのとき感覚を思い出せ。

 

『チャンスは一回だぜ!』

 

 あやのと風に舞う中で、その声が脳裡に響く。

 同時に電子音めいた奇妙な音が鳴り響いた。聞いたことのある音に似た……しかしそれとは少し違った、世界の外から聞こえる音。

 

「これは……もうひとつ虚海船が!?」

 

 背後でプルシャが叫んでいる。

 俺の視界を、見慣れた黒い翼がよぎった。

 

「フギン!」

「こっちだ勒郎!」

 

 分かってるよワタリガラス!

 俺はあやのの手を握り必死で風を切る。天地が凄まじい勢いで流れるなか、フギンの黒い翼を俺は捉え……どんという衝撃と共に俺達は温かいフギンの背中にしがみついていた。

 

「観測者の皆さん、何をしている……!」

 

 苛立つプルシャの声が聞こえて、俺は慌てて上空の船団を見上げる。

 

「あれは……!」

「あの人達……」

 

 翼を持つ魔物めいた者達が船を取り巻き、魔法だか炎のブレスだか……思い思いの方法で攪乱している。フギンが速度をあげて彼らを後にする一瞬、リエメイの白い姿が見分けられた。

 

「ワタリガラス……ありがとう。でも悪い、賢者の石は砕けて……」

 

 俺はあやのと狭い座席に潜り込みながら言う。

 

「まったく骨折り損だぜ。……この程度しか手に入らないなんてな」

 

 操縦席から振り返るワタリガラスの手に、緑色の石の欠片が載ってキラリと光る。抜け目がない奴だ。

 

「……役に立ってくれれば何よりや」

「サービスだ。表層まで送り届けてやるよ」

「ククは……」

 

 背後を振り返ると、蒼白い巨体がいくつかの塊に分裂して泥流の渦へ落下し、黒い飛沫を吹き上げている。

 もうククもプルシャも見えなかった。

 

「あいつなら心配いらねえだろ。……ゲートは閉じちゃいねえが、もう基点もねえし、仮想体も崩れちまった。ジャガナートは派手な宴になるだろうが、世界を壊すほどの供物はもうやってこねえ」

「退屈そうやな」

「まったく退屈な幕引きだ。……だがまあ、楽しめたぜ」

「あははは……ほんまにアホらしい夢や」

 

 (こら)えきれないといった感じであやのが吹き出したとき、何かが終わったんだと思った。たぶん、ひとつの物語が……。

 帰ろう。あの現実(せかい)へ。

 俺はぼんやりと、最後にもう一度フギンの背から振り返る。この光景を最後に目に入れようとしたんだ。

 どうしてそれまで視界に入らなかったんだろう。

 それはやっぱりそこにあった。

 牙を生やした巨大な歯車……世界の(ことわり)を破壊する救済の神。

 それはいまや遠くからでも分かるくらいはっきりと、中空を削るように回転していた。

 

 

 




第2章「君だけの断章/冥界からの呼び声は彼女」終幕です。断章と名付けましたが、第2章は本編から脱線した余談のようなものでした。だからこそ、やりたいようにやれたんですが。次回から最終章、世界から出ていきたいと願った勒郎の物語の結末を追います。
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