1.魔法界の入り口
7月31日、午前10時。やって来たのは森のくまさんでした。
「おお、ハリー!大きくなったなあ!最後にあったのはお前さんが赤ん坊のころだから、覚えちゃいねえか?そっちがカメリアか?噂通りの賢そうな子だなあ!俺はハグリッド、ハリーの両親と友達なんだ」
「初めまして、ハグリッド。良かったわねハリー、貴方のパパとママの話をお聞きなさいな」
「うん!はじめましてハグリッド!ねぇ、僕の両親のことをおしえてくれる?」
きらきらおめめで森のくまさん(2m超)に迫る少年……字面だけならメルヘンチックだなァ……舞台がイギリスの一般家庭のエントランスで、且つくまさんがひげもじゃ髪もさでなければ。閑静な住宅街に現れた(ぱっと見)ホームレス……通報待ったなしですね分かります、せめてもうちょっと身だしなみを整えてこようぜ。絡まりまくった髪をざっくりカットしてー櫛を通してーひげの処理をするだけでも立派な紳士になると思うんだな。後でいじっていいか聞いてみよう。
「いい、ハリー。ハグリッドさんやカメリアとはぐれちゃだめよ。初めてのところに行くのだもの、迷子になったらきっと帰ってこられないわ……カメリアが」
「うん、気を付けるよおばさん。ちゃんとメリーを見ておくね」
「なんだ、カメリアは迷子癖があるのか?大丈夫だ、俺の背中にひっついとけばな!」
豪快に笑うハグリッドには申し訳ないが、今生の私の方向音痴は洒落にならないほど酷い。もはや道の神に嫌われてるんじゃあないかってほど酷い。最近だと、真っすぐ道なりに進んでいたはずなのに、気づいたら逆走していた。なんでさ。
この10年、私の度の過ぎた迷子癖に振り回されてきた家族のうち、母はいまだに心配してくれているが残る男性陣はもはや悟りの領域に入っている。この悪癖まで含めてカメリアだから、あれはダドリーの言葉だったかハリーのことばだったか?
きゅっとエプロンの端を握りしめる母と
「……カメリア、お前さん、俺と手をつないでおこうな。ハリー、反対の手をつないでやれ」
「そうする。メリーってばやっぱりすぐに迷子になるもん」
「ごめんて」
反省も後悔もしているがこればかりはどうしようもないので諦めてほしい。右手を大きな手に包まれ、左腕を愛し子に抱きしめられてロンドンの街を行く。ハグリッドの背に守られながら人込みを縫って歩いていると、突然立ち止まった彼の、腰のあたりに鼻をぶつけてしまった。
「あいたっ……どうしたのハグリッド、もう着いた?」
「おお、すまんカメリア。ああ着いたぞ、ここが魔法界の入口だ!」
太い指が示した先には、薄汚れたぼろのパブがあるのみ。えっと、ここ?こんな地味な場所なの、魔法界の入り口って。てっきりどこかの森の中にある泉とか、秘密の館の大鏡だとかが
道行く人は誰もかれも認識しないそのパブに入ると、中もやっぱり古ぼけた感じ。本当にここが入り口なのかと不思議そうに首を傾げるハリーの可愛らしさはもう、天使レベルだと思う。異論は認めるがカメリアさんには聞こえません。
ハグリッドの姿を見て、賑やかな店内がわずかにトーンダウンする。なるほどなるほど、どうやら彼はここの人気者らしい。口々に声をかけるお客さんたち一人ひとりに返事をして、ハグリッドは私とハリーを引き寄せた。いつものをご所望かい、と明るく話しかけた店主が、ハリーの顔―正確には額の傷―を見て目を見張る。
「やれうれしや!もしやハリー・ポッターか!」
シン、と静まり返ったかと思えば、次の瞬間には歓声が爆発した。びくうっと肩を揺らしたハリーの背にくっつくと、両手をとられて腹に回される。昔から弟たちが不安がっていたり怖がっていた時にしてきた体勢だ、こうすると心が落ち着くらしい。最近だと、後ろから肩を叩くだけで瞬時にクールダウンするまでになった。うーん、パブロフの犬現象かな?
泣き出した店主、トムさんが握手を求めたのを皮切りに、店中の人がハリーの前に殺到した。英雄だの
「どう、落ち着いたハリー?知らない人に囲まれてびっくりしちゃうわね」
「ん、ありがとうメリー。なんか僕、有名人みたいだね?」
「ねえ?何故なのかしら」
まあ、大方の予想はついているのだけど。
わらわらと列をなす大人たちの不躾な視線を営業スマイルでいなし、たまにパニック指数が上がるハリーをクールダウンさせる。「生き残った男の子」、それはつまり、ハリー以外は死んでしまったということ。ハリーの両親が死んだのはハリーが1歳のころ、2人はおそらくハリーをかばったのでしょうね。悪い魔法使いとやらの手にかかって命を落とすはずだった無力な赤子は、しかしその人を打ち倒し生き延びた。それゆえの「英雄」、「生き残った男の子」。
まあ、私にはたいして関係ないし興味もないんですね!私の仕事はハリーのマードレとして甘やかして叱っていい子いい子することなんで!「英雄」をもてはやすのは世間の仕事、「ハリー」をかわいがるのは私の仕事。それでいいでしょう?
限界間近のおちびさんを抱きしめてあやしていると、紫色のターバンの男が人に押されてよろよろと目の前に現れた。
「おお、クィレル先生!あんたも来てたんですかい?」
「え、ええハグリッド、こんにちは。は、初めましてポッターさん、あ、あ、愛らしいお嬢さん。お、お名前をお伺いしても?」
「はじめまして、クィレルさん。カメリア・ダーズリーですわ、ハリーと同い年です」
「は、は、初めまして、クィリナス・クィレルです。闇の魔術に対する防衛術を教えています・・・・・・よ、よろしく、Ms.ダーズリー」
オドオドきょどきょどとした態度の彼は、どもりつつ必死に自己紹介をした。うん、ヘタレかな?それとも臆病なのかな?そんなにおびえていたら人生生きにくいわ、しっかりしなさい!
「ね、クィレル先生。何がこわいの?よかったら、私に教えて?」
痩せてやつれた頬にそっと触れれば、彼はびくりと肩を震わせて視線を彷徨わせ、困惑と羞恥が覗く瞳に私を映す。あらあら何かよろしくないものを背負っているご様子ね、表面上は取り繕えても精神年齢アラフィフの私にはまるっとお見通しだぞ!まったくもう、若い身空で疲れ切った目をしちゃって。お姉さん心配になってきたわ。
「先生、こんな言葉をご存じ?」
世界は果てしなく広く、君の人生は長い。肩の力を抜いていこう。【私】が一等愛した本の一節を記憶の引き出しから引っ張り出し、諳んじる。あくまで私が影響をうけた言葉ってだけだ、先生には気休めにもならないかもしれない。…・・・まあいっか、単に私がほっとけなかったんだし、善意は押し売りしてくスタイルで行こう。どう受け取るかは先生の自由、どう扱うかも先生の自由。
すりすりと親指で頬を撫でると、見開いた目を静かに閉じて、彼は手のひらにすり寄った。小さく唇が動いたような気がするが、生憎と読心術は未習得なのである。うーむ、覚えておいた方がいいのかしら、でもそうそう使う機会なんてないでしょうし。悩むところね、うむむむむ。
「……メリー、年上をたらし込むのやめよう?本当にやめよう?いつか痛い目見ちゃうよ?」
「ええ、何の話よ?私が何処の何方をたらし込んだっていうの?」
「Oh……無自覚ゥ……」
ハリーが頭を抱える傍ら、ハグリッドが憐れみの目で私を見ている。えー、カメリアさんそんな目で見られるようなことしてませーん。別に色目も使ってないですー無理してる子をよしよししただけだもーん!
用事があると言ってクィレル先生がそそくさ退散した後も、たくさんの人がハリーの周りを囲っていた。ハグリッドに連れられてパブを離脱した頃には、ハリーはすでにぐったり疲れた様子。よーしよしよし良く頑張ったわね、レモンウォーターでも飲んですっきりなさい。あ、パウンドケーキ作ってきたんだわ、食べる?右が抹茶で真ん中がココアとオレンジピール、左がプレーンね。ハグリッドもどう?柔らかすぎる?普通こんなモンじゃあないかしら……。
「はー、緊張した!メリーが居なかったら僕、とっくの昔に逃げ出してたよ」
あら嬉しいことを言ってくれるわね。ディナーに一品、ハリーの好きなものを付けてあげよう。キャベツの浅漬けとかどうかしら?メインはハンバーグだから、食事の合間に食べればきっとお口がサッパリすると思うのよね。それともミニ野菜のピクルスがいいかな、最近のお気に入りはベビーコーンよね?
ハリーの柔らかぽっぺをもちもちして遊びつつ、ハグリッドの話に耳を傾ける。クィレル先生、実地研究のために旅をしていたら魔法生物に襲われたらしい。以来、あんなきょどおど男子になったんだと。そっかー、だからあんな万象にビビり倒してたのかー納得だわー。今度会ったときにハーブティーとサシェのセットでもプレゼントすべきかしら……魔除けの魔法、探してみようかな?
え、下がれ?わかったわ、ハリーいらっしゃ……え?
「……えっ」
「め、めりー、レンガ、えっ」
「……すっごい」
ハグリッドが傘の先で3つのレンガを叩くと、壁が口を開けてみるみるうちにアーチ状になった。目の前に広がる石畳の通りは、中世風の洋服やローブを着た多くの人が行き交っている。ここが、魔法界―私たちが飛び込む世界の端っこ。
「さあハリー、メリー!ダイアゴン横丁へようこそ!」
虫が光に惹かれるように、ふらりと足を踏み出す。ああ、ああ!ここが、始まりの場所となるの!私の、私たちの、非日常の始まり!思わず漏れた感嘆は、焼け付くような熱を孕んだ。
「映画か、ドラマのようね。夢をみているのかしら……!」
賑わう街は、しかし知るものとは違う。箒専門店、薬問屋に金物屋。ふくろうがたくさん居る店もあった。どれもこれも、私や【私】が知る世界にはなかったもの、もしくは一生関わりがなかったであろうもの。
「ねぇ、ハリー」
「うん、分かるよカメリア」
「ええ。うつくしい、世界だわ」
左腕を抱きしめる力が強くなる。ハリーの声は、震えていた。
「ここに、パパとママも来たんだね」
「きっと。叔母さまも、同じ反応だったかもしれないわね」
彼女は私たちと同じ、マグル育ちの魔女だもの。そう言うと、ハリーはエメラルドの瞳からしずくを落として微笑んだ。
このあとグリンゴッツでトロッコ乗ってヒャッホーイ!!!!なカメリアさんとハリーの首根っこを捕まえるハグリッドの姿が目撃されました。
カメリアさんは重度のスピード狂です。飛行術の授業はおそらく彼女の独壇場となるでしょう(多分)。