うちの司令官はたまにおかしな事を言い出します。
いえ、おかしな事を言ったからと言って私の司令官に対する尊敬の念が薄れることはないのですが、それでも言われる度に困惑してしまいます。
私は他の艦娘と違って世情に疎いので……。
「とりっくおあとりーと?」
「そう、Trick or Treatだ」
10月も終わりを迎えようとしている頃、例によって司令官が訳のわからないことを言い出しました。
外来語というのはわかるのですが意味が全くわかりません。何かの暗号なのでしょうか。
「司令官、それはいったい……」
「わからないか?ならば説明しよう!Trick or Treatとは!」
以下、司令官が説明してくださったTrick or Treatの概要です。
Trick or Treatとは、毎年10月31日に行われる古代ケルト人が起源と考えられているお祭り(ハロウィン、あるいはハロウィーン)での挨拶のようなもので、意訳すると『お菓子をくれなきゃイタズラするぞ』となるそうです。
ハロウィン自体は、もともと秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったのですが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっているそうです。(司令官はコスプレパーティーの隠語などと仰っていましたが本当なのでしょうか?)
「で、近々大本営から届けられる予定になっている衣装がコレだ」
「帽子と……マント?」
ふむ、なるほどわかりません。
司令官が見せてくださった書類には、朝潮型特有の吊りスカートと改二制服の上からとんがり帽子?とマントを羽織って鈍器を持っている子の絵が3パターン描かれています。スカートにフリルが追加されていますし、髪の毛の長さ的にも荒潮でしょうか。
でも、コレがとりっくおあとりーととどういった関係が?
いや、待ってください。
真偽は置いといて、司令官はハロウィンをコスプレパーティーの隠語と仰っていました。
と言う事は、この衣装はハロウィン用のコスプレ衣装と言う事になります。
荒潮なら喜んで着そうですが……。
「この衣装が、今回のハロウィンに合わせて君に支給される事になった」
「ちょっと何言ってるかわかりません」
私に支給?何を?この衣装をですか?いやいやご冗談を。
私にこのような格好は似合いません。
だいたい、魚雷は一応装備されているようですが、このような格好をしていては任務に支障が出てしまいます。
何かイベントがある度に「戦闘?何それ」と言わんばかりの格好をして出撃する人たちに比べればマシな気がしますが、それでもこんな遊んでいるような格好をする気にはなれません。
「私もこういうことがある度に大本営の正気を疑うが、決定なら仕方ない。軍人である以上、上からの命令には逆らえんのだ。わかってくれるな?朝潮」
「理解はできますが……」
納得は出来ません。
私たち艦娘は容姿こそ少女ですが歴とした軍人です。
その軍人、しかも朝潮型駆逐艦の長女であり、我が鎮守府の秘書艦でもある私がはろうぃんとやらで浮かれて良いとは思えないのです。
「まだハロウィン当日まで何日かある。本当に嫌なら私が何とかするから、少し考えてみてくれないか?」
「了解……しました」
その会話の後、私は「今日は部屋に戻ってゆっくり考えてくれ」と司令官に言われたので、仕事を残す罪悪感に苛まれながらもはろうぃん衣装が描かれた書類を手に執務室を後にしました。
考えてくれとは言われましたが、こういう事に疎い私が一人で考えても解決しそうにはないですね。
「と、言う訳で、みんなの知恵を借りたいの」
だから私は、計ったように休暇の日が同じになった姉妹たちを集めて相談することにしました。
こういう時、姉妹が多い駆逐艦は便利です。
「アゲアゲって言っとけばだいたい何とかなります!」
それはあなただけよ大潮。
そう言えば、サンマ漁支援任務の時に実装された漁師モードに着換えた時もそんな感じで乗り切ってましたね。
「私もこういうのが良かった……。ってあ、何でも無い!今の何でも無いから!」
満潮、ジャージに三角巾&エプロン装備は不満でしたか?
あの格好で出撃するのは正直どうかと思いましたが、お姉ちゃんは庶民的で可愛いと思いましたよ?
「アサシオチャンアッアッ……」
私に支給される予定のはろうぃん衣装が描かれた書類を見た途端荒潮が壊れました。
憲兵さんを呼びたくなるような譫言を繰り返すのはやめてくれないかしら……。
「朝雲姉さんと山雲姉さんは?」
そこ突っ込んじゃいますか霰。
あの二人は残念ながら出撃中です。けっして他意はありません。
「あの二人は色々と違うから……」
「何が?」
こら霞!
違うとか言ってはいけません!たしかに色々と違いますがあの二人も私達と同じ朝潮型です!霰も「何が?」とか聞かない!
「で?姉さんは何を悩んでるわけ?せっかく可愛……普段と違う格好が出来るんだから素直に着とけば良いじゃない」
「普段素直じゃない満潮が何か言ってる」
「言っちゃダメよ大潮ちゃん。満潮ちゃんだって、改二になって若干素直になったんだから」
荒潮の言う通りです。
満潮も改二改装を受けてから、霞同様少しは素直になりました。
サンマ祭りで店員をやってくれという命令にも「し、しかたないわね!」とか言いながら割とノリノリでやってましたし。
改二改装を受けると性格が丸くなるのでしょうか。
「改二になるとデレる。これ常識」
「ちょっと霰、それだと私まで改二になってデレたみたいに聞こえるからやめてくれない?」
「霞ちゃん、自覚ないの?」
自覚はないようです。
霞は顔を真っ赤にして「デレてないったら!」と言って必死に否定しています。
「司令官のために水着着てたしね~」
「あ、あれは命令で仕方なく!」
「うっそだ~。満潮を水着選びに付き合わせてたじゃん」
やめてあげて大潮。
霞の顔が羞恥で真っ赤を通り越して赤黒くなってます。それをさらに通り越すと泣き出すので本当にやめてあげて。
「そういえばぁ、霰ちゃんもサンタになった事があるわよねぇ?」
「荒潮姉さん、羨ましいの?」
「ぜぇ~んぜん」
とか言ってますが、頬をぷくーっと膨らませてそっぽ向いちゃいました。本当は羨ましいようです。
「姉さんも霞みたいに仕事って割り切ったら?」
「朝姉の性格じゃ無理だよ満潮。襟がちょっと曲がってただけで制服全部アイロン掛けしようとするくらいクソ真面目なんだよ?その朝姉が、仕事とは言えこんな格好できると思う?」
当たり前じゃないですか大潮!
身嗜みを整えるのは軍人として、いや人として常識です!特に、私は秘書艦でもあるのですからことさら気を使わねばなりません!
「この衣装を着てトリックオアトリートって言う姉さんを見てみたい気はする」
「霰ちゃんに同意するわぁ。戸惑いながらも凛々しい感じの声で「トリックオアトリート!」って言う朝潮ちゃんでご飯三杯はいけるものぉ」
ウットリしながら言ってますが、私はオカズですか?荒潮にとって私は姉ではなくオカズなのですか?
でも、残念ながら私は食べ物ではありません。
あ、食べ物と言えば。
「とりっくおあとりーととは『お菓子をくれなきゃイタズラするぞ』という意味ですよね?」
「そだよー。って言うか朝姉知らなかったの?」
「はい、今日司令官に教えていただいて初めて知りました。大潮は以前から知っていたのですか?」
「そりゃあ知ってるよ。子供のためのお祭りみたいなもんだし」
ふむ、子供のためのお祭りですか。
ですが、どの辺りが子供のためなのでしょう。
大潮は子供のためのお祭りと言いましたが、満潮と荒潮は「日本じゃ大人のためのお祭りじゃない?」とか「大人って言うよりは盛ったお猿さんよねぇ」と言ってますよ?
「最近はニュースでもその手の話をしてたじゃない。姉さんもニュース見てたよね?」
「見た覚えがあるようなないような……」
「ほら、今年は軽トラひっくり返したりしてて、『あれは犯罪では?』って言ってたじゃない」
「え!?アレがはろうぃんなのですか!?」
満潮のおかげで思い出しました。
たしかにあのニュースでも、オバケの格好に扮した人達が大勢で騒いでいましたね。
ん?と言う事はですよ?
「はろうぃんとはテロリストのお祭り?」
「「「「「どうしてそうなる!」」」」」
え?姉妹全員から総ツッコミされてしまいましたが、仮装してお菓子を寄越せと脅迫しながら暴れるのがはろうぃんなんですよね?
何かを要求しながら暴れるなんてテロリストそのものじゃないですか。それに……。
「お菓子くらい自分で買えばいいのに……」
「ヤバいわ大潮。姉さんたら何か勘違いしてる」
「満潮が訂正してあげてよ。大潮には無理」
はて?何か間違っていたのでしょうか。
霰と霞も「だいたい渋谷のせい」「それな」などと訳のわからないことを言っています。
「いい?朝潮ちゃん。ハロウィンはね、簡単に言うと子供が近所の家々を回りながらお菓子を貰うイベントなのよ」
「ですが荒潮、なぜ他人にお菓子をねだるのですか?」
「子供がオバケの仮装をしてお菓子をねだったら可愛いと思わない?」
「その子のご家庭の経済事情が心配になります」
いや、「どうしよこれ……」とか言って頭を抱えましたがそうでしょ?
自分の親にねだってもお菓子が貰えないから人様を脅迫してお菓子を奪うのですよね?
「OKわかった。単にお菓子を貰うイベントだと思えば良いよ」
「でも大潮、貰えないとイタズラするのでしょう?それは悪事です。犯罪です」
「本当にするわけじゃないよ。トリックオアトリートってのは要は合い言葉。それを言わないとお菓子が貰えないんです」
「なるほど、合い言葉ですか。では、言われる方は何と答えるんです?」
「え?言われる方?」
「そうです。合い言葉なのなら、言われる方も何か言わなければ成立しません」
「そ、それは……」
大潮が冷や汗を流して、他の四人に視線で助けを求めているように見えるのは気のせいでしょうか。
もしかして今の説明は口から出任せ?
お姉ちゃん、嘘は感心しません。
「そりゃアンタ、トリックオアトリートって聞かれてるんだからトリートって答えるのが正解よ」
「そう!それだよ満潮!大潮はそれが言いたかったんです!」
なるほど、仮装した子供がトリックオアトリートという合い言葉を尋ね、相手はトリートと答えてお菓子を渡す。と、言う事ですね?
それなら納得できなくはないです。
「たまにトリックって答える人が……」
「やめて霰ちゃん。またややこしくなるから」
「でも荒潮姉さん。うちのクズ司令官とか言いそうじゃない?」
「霞ちゃん!めっ!」
司令官をクズ呼ばわりした霞はあとでお尻ペンペンするとして、いったいどちらの言ってることが正しいのでしょうか。
トリートと相手が答えればお菓子を貰える。これはわかります。
では霰が言ったように、トリックと答えられたら何を貰えるの?いや、逆かしら。
お菓子が貰えないんですからイタズラしないといけないのでは?
でも、そうなると別の問題が出て来ます。
私はイタズラの仕方を知りません。
「イタズラってどうすれば良いんですか?」
「それは心配しなくて良いわよ姉さん。トリックって答える奴はだいたいイタズラ
「やめてよ満潮……。これ以上話をややこしくしないで」
「でもさ大潮、そう言っとかなきゃ今度はイタズラの仕方をレクチャーしなきゃいけなくなるわよ?」
「それはもう卯月ちゃんに丸投げで良いんじゃないかな」
大潮が死んだ目で名前を語った睦月型四番艦の卯月さんは、常日頃から暇さえあればイタズラして回る我が鎮守府一の問題児です。
見つける度に注意している立場上、彼女にイタズラを習うのはちょっと……。
「イタズラの仕方を習う必要なんてないわ」
「その心は?霞」
「あのクズに食ってかかるのが生き甲斐になってる満潮姉さんにはわかんない?あのクズは単に、朝潮姉さんにトリックオアトリートって言わせたいだけなのよ」
「取り敢えずケンカ売られてるのはわかった。表に出なさい霞」
なるほど、私に『とりっくおあとりーと』と言わせたいだけですか。
しかし、私が『とりっくおあとりーと』と言う事に何の意味が?
う~ん……。
司令官が私に何を求めているのかがサッパリわかりません。
「ケンカしに行った満潮ちゃんと霞ちゃんはほっといて、私もそうだと思うわよぉ?」
「荒潮も、司令官は私に『とりっくおあとりーと』と言わせたいだけ。と、思うのですか?」
「ええ、だって姉さん、子供らしい事ってした事ないでしょう?」
「はい……」
たしかに子供らしい事をした覚えはありません。
ですがそれは、私が責任ある立場にあるからです。
責任がなければ、例えば卯月さんのように人の迷惑も考えずにイタズラして回るとは言いませんが、秘書艦であり朝潮型駆逐艦の長女である以上、私は自分を律して皆の模範で在り続けねばならないのです。
「だから司令官は、イベント事がある時くらいは朝潮ちゃんに子供らしくして欲しいのよぉ」
「それが『とりっくおあとりーと』なんですか?」
「そう、仮装してそう言うだけで、いつも通りの業務をしててもイベントに参加してる風に見えるでしょう?」
「言われてみれば……」
そう見えなくもないかもしれない。
それでも抵抗感は拭いきれません。秘書艦がオバケの仮装をして業務している場面など目撃したら、私なら呆れて言葉も出なくなってしまいますから。
「きっとコレが、朝潮ちゃんにとって子供らしさを得る切っ掛けになると思うわぁ。たぶん、司令官もそう考えてるはずよ」
「子供らしさを……」
得る必要があるのか。
と、考えてしまう時点で私はダメなのでしょうね。
他の駆逐艦のように子供らしくする事が普通であり、かつ司令官も望んでいるのかもしれません。
では、私は変わらないとならないのでしょうか……。
今のままではいけないのでしょうか……。
「朝姉は、司令官に可愛い格好を見て欲しいと思いませんか?」
「それは……」
思います。
私と司令官はケッコンカッコカリをしているので夫婦(仮)の関係ですもの。
旦那様である司令官に可愛い格好を見せたいと思うのは当然です。
もしこの衣装を任務ではなく、プライベートで着てくれとお願いされたら、私は迷うことなく着ていたでしょう。
いや?任務ではなく、司令官にお願いされたんだと思い込めば着れるのでは?
うん、着れる気がします。
着れる気はしますが……。
「上手く、やれるでしょうか」
「大丈夫ですよ朝姉!大潮たちがフォローしますし、アゲアゲで行きましょう!」
ありがとう大潮。
あなたのそういう無駄に元気なところにはいつも助けられています。
おかげで、この衣装を着てみようかなと思えてきました。
「着替えは任せてぇ♪お洒落に着飾ってあげるからぁ♪」
荒潮、気遣いはありがたいですが遠慮します。だって手つきがいやらしいんですもの。
やっぱりやめようかしら……。
「満潮姉さんと霞ちゃんが帰ってこない」
相変わらずのマイペースっぷりですね霰。
あの二人なら心配しなくても、殴り合いに飽きたら戻って来ますよ。あの二人は何だかんだで仲が良いですから。
でも、なぜかしら。
二人が外でケンカしてる事に呆れるのと同じように、仮装をするしないで悩んでいる自分にも呆れてしまいました。
「くだらない事で悩みすぎ……だったんですね」
私の悩みは二人のケンカくらいくだらない事。
それに気付かせてくれた二人にも感謝です。戻って来たら、ケンカのお仕置きも兼ねてハゲるまで頭なでなでしてあげましょう。
「まったく……持つべき者は姉妹。ですね」
それからハロウィンまでの数日間。
私は業務が終わると妹たちからハロウィンの過ごし方を習いました。
習った。で良いんですよね?
大潮からは「大潮の分も貰ってきてください!」と頼まれ、満潮からは「襲われたらこのステッキで殴るのよ」と、鈍器にしか見えないステッキの振り方を習いました。
荒潮は「私はお正月かしらぁ。クリスマスもワンチャンあるわねぇ」などと訳のわからない事をブツブツ言ってましたね。
霰には「軽トラをひっくり返しちゃダメ。絶対」と謎の注意をされ、霞からは「こんな格好で出撃できるの?」と聞かれたので「はいっ! この朝潮、この艤装でいつでも出撃可能です!」と宣言しておきました。
そしてハロウィン当日。
大本営から届けられた衣装に身を包んだ私は、妹たちに見送られて執務室へと向かいました。
道中、すれ違った人達が「朝潮が仮装!?」とか「頭でも打ったのかしら」とか「きっと磯風が焼いたサンマを食べたんだ」などと囁いていましたが、自分でもビックリするほど気になりませんでした。
いえ、気にする余裕がなかった。が、正しいですね。
だって私の頭の中は、魔女っ子スタイルに猫耳と猫尻尾を装備した自分を見て司令官がどういう反応をしてくれるかばかり考えていたのですから。
「し、司令官!トリックオアトリート!」
私は執務室に入るなり、意を決して言いました。
ですが、司令官は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして固まったままです。やっぱり、私にはこのような格好は似合いませんか?
と、私が不安に思ってるのを察してくださったのか、司令官はゆっくりと私の傍まで歩み寄ってくださいました。
「あ、あの、司令……官?」
そして司令官は私の両肩をガッシと掴んで、私が期待していた答えとは別の答えを口にしました。
ええ、見事にしてやられましたよ。
霞の言った通り、私に『トリックオアトリート』と言わせたいだけなのは恐らく合っています。ですが、司令官は私に子供らしくあって欲しかったんじゃない。
司令官は私に『トリックオアトリート』と言わせてこう言いたかっただけなんです。
司令官が言ったのはトリートとは逆。
してやったりと言いそうな顔で、司令官は私にこう言いました。
「trick」と。