「だ、大丈夫かリィン君?」
ルフィナに今後のことを考えて最後の立ち合いを見届けるように言われて同行したケビンは固まるリィンに恐る恐る尋ねる。
「大丈夫です……ええ、大丈夫ですとも」
リィンは震えた声で応える。
直前に送られてきた映像で覚悟はしていたが、生で自分の変態な姿を見せられるのはやはり心に来るものがある。
「ゲオルグ・ワイスマン」
「その認識は正しくないな……私は――」
「お前はゲオルグ・ワイスマンだ」
最後まで言わせずに断言するリィンに彼は肩をすくめる。
「まあ、そう呼びたいならばそうするといい。どうせすぐに一つになるわけだし、二人もリィン・シュバルツァーがいては紛らわしいのも確かだ」
おぞましいことを宣うワイスマンに身の毛をよだたせながらリィンは彼を睨み付ける。
「いろいろ言いたいことはあるが、そのふざけた格好はなんだ!?」
「ふ……私なりに《魔界皇帝》を表現してみたのだがお気に召さなかったかな?」
「するわけないだろっ!」
「まあ、確かにまだ君との《相克》を果たしていないのに《魔界皇帝》と名乗るのは気が急いていたかもしれないが大目に見てくれたまえ」
「そういう問題じゃないっ! だいたい何で裸なんだっ!」
「ハハハ、何を異なことを。この素晴らしい《聖痕》を服などという無粋な物で見えなくさせるなど勿体ないではないか」
気障な顔で笑うとワイスマンは《鬼の力》を引き出して髪を白く染める。
それに合わせて胸に刻まれた《聖痕》が黒い紋様を浮かび上がらせるが、それはリィンが覚えているものではなかった。
傷痕のある胸の上に刻まれていた《聖痕》はその部分に留まらず胸全体、さらには首や手にまで広がり蠢いている。
「うそやろ……」
その大きさにケビンは慄く。
「分かるだろ、ケビン・グラハム?
この《聖痕》は女神の気まぐれで与えられた奇蹟などではない!
様々な要因が重なり合って生み出された人によって生まれた奇蹟の産物っ!
その力はオリジナルに劣らない――いや、今もなお成長していく。もはやオリジナルを超越した《黒の聖痕》だっ!」
芝居がかった様で両手を広げるワイスマン。
それが彼本人なら文句はないのだが、自分の体でやられていることにリィンは眩暈を感じる。
ケビンの様に《聖痕》の知識はないが、それが危険なものだということはそのおぞましさから理解できる。
しかしリィンにとってはそれ以上にその力に酔っている自分の姿が見ていられなかった。
「ケビンさん……クロチルダさん」
「ああ……」
「ええ、ここまでとは予想外だったわ」
リィンの呼びかけにケビンとヴィータは神妙な顔をして頷く。
リィンは自分自身のことだから、ケビンとヴィータはそれぞれの知識を持って、目の前の存在が人智を超えたものになっていることを察する。
「どうしてそんなものに侵されて正気でいられるんだ?」
「不思議かね? 特別なことはしていないのだがね……
単に君よりも私の方が《鬼の力》との相性が良かっただけだろう」
ワイスマンの答えにリィンは俯き、覚悟を決めて顔を上げる。
衝動は自制した。
しかし、仮に肉体を取り戻したとしてもあれほど大きくなってしまった《鬼の力》を抑え込むことは自分にはおそらく不可能だろう。
――いや、それでもできることはあるか……
ここで負けることを受け入れてワイスマンに身体を明け渡すことは論外。
しかし、身体を取り戻したところで肥大化した《鬼の力》によって本物の化物になることは目に見えている。
――《影の国》の権限を奪ってみんなを現実に帰して、この世界を現実と完全に切り離して封印する……
それがリィンにできる最後の仕事。
約束を反故にしてしまうこと。本当は生きているのだからと、手紙を書いていなかったことをリィンは悔やむ。
「ケビンさん、クロチルダさん……後のことは頼みます」
「リィン君、諦めるのはまだ早いやろ」
「いいえ……ここまで至ってしまったのなら手の施しようはないわ……
例え私たちが封じたとしても、どこかで歪みが生じてリィン君を侵すでしょうね。それこそ《帝国の呪い》のように」
食い下がろうとするケビンに対してヴィータは諦観を滲ませてそれを否定する。
「っ……」
ケビンももう手遅れだと分かっているだけにその答えに反論できずに唇を噛む。
「……弟君……」
彼らの様子に事態が取り返しのつかない所まで進んでしまっていることを察して、アネラスは神妙な顔でリィンを呼ぶ。
「すいません。どうやら俺はここまでみたいです……みんなには――」
「あの時私が言った事、覚えてるかな?」
「え……?」
穏やかな口調による言葉にリィンは意表を突かれて振り返るが、その意識の隙をついてアネラスはリィンの横をすり抜けて前に出る。
「アネラスさん」
「弟君はそこで見ていて……あっケビン神父、魔槍にだけは援護ください」
有無を言わせない言葉にリィンは思わず追い駆けることを忘れてその場に立ち尽くす。
「おやおや、何のつもりかな姉弟子殿? まさか私とやり合うつもりかね?」
「もちろん、そのまさかだよ」
対峙するだけでも分かる禍々しい威圧にアネラスは気負った様子もなく太刀を抜く。
「やめておきたまえ、もはや私は君如きにどうこうできる存在ではない。身の程を知りたまえ」
「それはこっちの台詞……
それに弟君の記憶を持っているなら知っているでしょ? 私は《鬼の力》に勝っているんだよ」
その挑発の言葉にワイスマンの気配が変わった。
どす黒い鬼気が立ち上り、アネラスを睨み付ける。
「アノ時ノ小娘カ」
ワイスマンとは別の意味でおぞましさを感じさせる言葉を発する鬼の言葉にリィンは息を呑み、太刀に手を掛ける。
「弟君はそこにいなさいっ!」
しかしアネラスの言葉にリィンは動きを止めてしまう。
「アネラスさん!? いったい何を!?」
「人は《鬼の力》になんか負けない! 何度も言うし、何度だって証明してみせる。だから――自分を活かすことを諦めないでっ!」
鬼気を剣の先まで漲らせた《鬼》がアネラスに襲い掛かった。
「はあああああああああっ!」
気合い一閃。
アネラスは全力をもって迎え撃つ。
甲高い音を立てて二つの太刀がぶつかり合う。
音を聞くだけでも凄まじい衝撃だったと分かるが、アネラスは一歩も怯まずにむしろ前へと踏み込む。
激しい剣戟が連続する。
しかし、以前はただ太刀を振るだけだった鬼はあの頃とは違っていた。
「螺旋撃ッ!」
「っ!」
受け止めた強烈な一撃にアネラスは大きく弾き飛ばされた。
「疾風ッ!」
吹き飛んだアネラスに追い縋り、受け止め損ねた刃が鎧に一筋の傷を刻む。
「業炎撃ッ!」
アネラスの横を疾走して抜け、背後から鬼気を纏った一撃が振られる。
「くっ! アースガードッ!」
いつでも駆動できるように待機していた導力魔法の結界がそれを受け止めて砕ける。
「紅葉斬りッ!」
続く鋭い斬撃にアネラスは太刀を間に合わせて受け止める。
「残月ッ!」
「残月っ!」
示し合わせたように二人は同じ技をぶつけ合う。
「孤影斬ッ!」
一瞬早く撃たれた剣閃にアネラスの太刀は弾き飛ばされた。
無手となったアネラスに鬼は躊躇うことなく最後の一撃を繰り出す。
「無想――」
「捕まえた」
無手となったことで生じた緩みを逃さず、アネラスは太刀が抜かれるよりも早く剣の間合いのさらに内側に踏み込んだ。
抱き締めるように太刀を抜くのを妨害する。
それでも力任せに剣は振り抜かれるが、その腕を化勁で受け流したアネラスはその場で独楽のように回転する。
「これはアルティナちゃんの分っ!」
拳を握り締めアネラスは宣告する。
手を伸ばせば触れられる距離にも関わらず、化勁で巻き込んだ彼の力を《独楽舞踊》に乗せた戦技の風が彼を引き寄せ、さらに化勁で流した勢いを乗せた拳を突き出す。
「破甲拳っ!」
自分の力を利用された一撃に鬼は派手に吹き飛ばされるが、空中で態勢を立て直して危なげなく着地する。
そこに分け身で増えた四人のアネラスが取り囲んだ。
「あなたに言っても分からないかもしれないけど、これだけは言わせてもらうよ」
太刀を構えるアネラスに本能的に危険を察してすぐにその場を離脱しようとするが、足が震えて言うことを聞かない。
「武術を――《八葉》を舐めるなっ!」
四方から峰を返した《八葉滅殺》に滅多打ちにされ、そこからアネラスの《落葉》に繋がる。
四人のアネラスに蹴り上げられた鬼はその直後に追い縋ったアネラスの一撃に地面に叩き付かられた。
*
「あ……あれ……? アネラスちゃんってあんなに強かったけ?」
予想外な展開にケビンは自分の目を疑う。
「アネラス・エルフィード。どうやら評価を改める必要がありそうです」
オライオンは記憶の扉で見た彼女の姿が真実だったのだとアネラスの実力を再確認する。
「《八葉一刀流》……リィン・シュバルツァーが特別だと思っていたけど、そうじゃなかったのね」
ヴィータは頭痛がするように頭を抑えて唸る。
「流石です。アネラスさん」
そしてリィンはブイっと指を二つ立てて笑顔で振り返るアネラスを誇らしく感じた。
「くくく……まさかただの人間にここまで一方的にやられるとは思っていなかったよ」
取り巻いていた鬼気を失ったワイスマンはゆっくりと身体を起こして立ち上がる。
「あなたの動きはもう見切った……いくらやってもわたしはあなたなんかに負けないよ……それに今のあなたなんか弟君にだって勝てないよ」
「フフ……」
勝ち誇るアネラスに対してワイスマンは笑みを浮かべ、無造作に剣を投げ出した。
「やはりリィン・シュバルツァーの身体を使っているとはいえ、私や彼には太刀は合わないようだ」
口ではそう言うものの、観念したとは思えない。
このまま騎神を呼び出せば、余人の立ち入ることが不可能な戦闘になるというのにワイスマンはそれを呼び出す素振りを見せない。
「参ったものだ……」
口ではそういうものの、この状況をむしろ望んでいたと言わんばかりに口元を歪める。
「これでは切り札を使うしかなくなってしまったな!」
むしろ喜んだ様子でワイスマンは蒼い錠剤が入ったビンを取り出す。
「それは――まさかっ!」
「そう、君とヨシュアがリベル=アークで使った《蒼の叡智》と呼ばれる強化ドラッグだ。君との力の差はこれを使って補わせてもらうとしよう」
待てと、言う間もなくワイスマンはビンにいっぱいの蒼い錠剤を勢いよく飲み干した。
「なっ……あかん! そんなに大量に服用したら……」
「中毒症状……」
ビクリと体を震わせるワイスマンにケビンとヴィータは狼狽する。
「人の体になんてことを……」
リィンもまたそんなワイスマンの行動に苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「フフフ……視える……視えるぞ……《巨いなる一》……封じられた意志と呪い……ハハハハハハハッ!」
高笑いを上げると、ワイスマンの体から黒い鬼気と赤い瘴気が混ざり合い、白かった髪を赤く染め上げる。
「……アア、ココチヨイ……」
虚ろな目を向け、ワイスマンはリィンに言葉を投げかける。
「ヨコセ……ヨコセ……吾ノモノダ……ソノ魂ノ総テ……」
おぞましい何かはリィンの顔で不気味に嗤うと手を天にかざす。
「来ルガイイ――《イシュメルガ》」
現れた黒の騎神。
ワイスマンは光となってその胸に吸い込まれる。
「サア、始メルトシヨウ……誰ニモ邪魔サセナイ。吾ラノ《相克》ヲ……」
見下ろす《黒》が早く呼べと言わんばかりの威圧を叩きつけてくる。
「リィン君……」
「大丈夫ですケビン神父」
先程までの弱気はもうない。
例え相手がどれほどのものとなっても、全てに打ち勝つ覚悟はできた。
「後のことはオレらに任せて、とにかくリィン君は勝つことに集中するんやぞ」
「ええ、彼と同じ《使徒》としてもお願いするわ。流石にあれはもう見苦しい。彼を滅するためにも私もサポートさせてもらうわ」
蒼い杖をかざしてヴィータは魔法陣を展開する。
「やっちゃえ弟君」
アネラスは拳を突き出して激励する。
「あ……」
そしてオライオンは――何を言って良いのか分からないのか不安そうに瞳を揺らす。
そんな彼女にアネラスは耳打ちをして、いぶかしみながらもオライオンは口を開いた。
「頑張ってください。リィン・シュバルツァー」
「……ああ」
促されたとはいえ、そう言って来たオライオンにリィンは驚きながらも頷き、《黒》へと向き直る。
そして、彼がそうしたように天に手をかざして叫ぶ。
「来いっ! 《灰の騎神》ヴァリマールッ!」
リィンの呼び声に想念が形を作り、《灰》が顕現した。
アネラスの《八葉滅殺》。初めて見た時はサガフロンティアの分身しない《無月散水》だと思いました。
いつかのクロスベルIF
エステル
「う~ん……」
ヨシュア
「どうしたのエステル?」
エステル
「ねえ、ヨシュア……リィン君は破甲拳・零式なんていう技を使ってたわよね?」
ヨシュア
「うん。ヴァルターの寸勁を取り込んだ技だね」
エステル
「それでアネラスさんもカウンターの破甲拳を使えるよね?」
ヨシュア
「たぶんリィン君の鏡火水月の太刀を参考にしたものだろうね」
エステル
「それで父さんは無拍子で破甲拳を使えるわよね?」
ヨシュア
「うん。技の起点が見えなくて気付いたら殴られていたけど、それで?」
エステル
「それじゃあやっぱりアリオスさんもすごい破甲拳があるのかな?」
ヨシュア
「エステル……《八葉一刀流》は剣術だよ?」
エステル
「それは分かってるんだけどさ……でも、そう思わない?」
ヨシュア
「…………うん、それはちょっと思うかも」
グレイス
「二人とも、なかなか興味深い話をしているみたいだけど、お姉さんにも教えてくれないかな?」