(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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103話 別れ――巣立ちの時

 

「……っ……」

 

 意識が覚醒した瞬間、リィンは確かなものとなった身体の感覚に肉体を取り戻したことを察する。

 最初に確認したのは服装。

 見下ろして視えたのはそれまでリィンが着ていた服。

 剥き出しの肌もなければ、マントも王冠もない。

 

「よかった……本当によかった……」

 

 身体を取り戻した喜びよりも、《魔界皇帝》の姿をしていなかったことにリィンは心の底から安堵する。

 

「フフ……ちゃんと体は取り戻せたようね」

 

 ヴィータの声にリィンは顔を上げる。

 

「あ……」

 

 そこにはリィンを挟む形でケビンとヴィータが紋章と杖を掲げていた。

 

「一応聞いておくけど、リィン君。《白面》はどうなったん?」

 

 星杯の紋章をリィンに向けたまま、警戒をしながらケビンが尋ねる。

 リィンは服の胸元を開けて《聖痕》を確認する。

 首や手足にまで広がっていた《聖痕》は胸に刻まれたものを残して消えている。

 そしてリィンは知らないはずなのに、その《聖痕》の状態や構造が把握できた。

 

「……消えました。今の俺の中に教授の気配はありません」

 

 ただ知識は残っているのか、彼が使っていた《聖痕》や法術をリィンが使うことができそうだった。

 それに加えて《蒼の叡智》の影響なのか、そんな様々な疑問に対して即座に答えが思い浮かぶ。

 

「それじゃあ《教授》が取り込んでいた悪魔や《影の国》の想念はどうなったのかしら?」

 

「それも大丈夫です。《鬼の力》がほとんど呑み込んで、《器》こそないですが騎神と同等の存在になってここにいます」

 

 リィンの中に残っていた《陽》の部分の鬼の力と統合されてより強い力となってそこにあった。

 あの時は自分の《神気》と釣り合いが取れて《自己相克》をすることができたが、今の彼の力でそれをやるには鍛え直さなければならないようだった。

 何にしても、《ワイスマンの知識》に《鋼の至宝》と相談しなければならないことが多そうだった。

 寝かされていたリィンは体を起こして、周りを見回す。

 場所は最終決戦の広間だが、騎神同士の戦いにより見るも無残に荒れ果てている。

 背後にはボロボロのヴァリマールと太刀。

 それに対面するように仲間たちがリィンのことを見守る様に佇んでいた。

 

「えっと……聞いていた通り、俺達の勝ちです」

 

 その無言の視線にリィンは居心地を悪くしながら宣言する。と――

 

「やったああああああっ!」

 

 エステルの歓声を皮切りにようやく一同は安堵の息を吐く。

 

「……レーヴェはまだ追い付いていないんですね?」

 

「ええ、でもグリアノスに迎えに行かせているから心配ないわ」

 

「そうですか……」

 

 どうやら彼の戦いもすでに終わっているようだった。

 《影の王》の権限がリィンに移ったことで、遠隔にも関わらずその様子を確認できる。

 リィンは振り返り、改めてヴァリマールに向き直ると労いの言葉をかける。

 

「ありがとうヴァリマール……ゆっくりと休んでくれ」

 

 その言葉に従って想念で呼び出された《灰の騎神》は解けるように光の粒子となって消え去り、《騎神の太刀》をその場に残して消え去った。

 そして、それと入れ替わる様にセレストの声が響く。

 

「みなさん、お疲れ様です」

 

「始祖様……」

 

「セレストさん……」

 

「今、《影の国》の権限はリィン君にあります。早速で申し訳ありませんが、私にその権限を返してもらっていいでしょうか?」

 

「はい」

 

 リィンは頷いて意識を集中する。

 そうしてリィンの体から光が溢れ出すと、セレストへとそれは流れていく。

 

「確かに……それではこれからみなさんを現世へと帰す《天上門》を開きます」

 

「え……」

 

「《天上門》って……聖典の?」

 

「ええ……たしか《煉獄門》と対になる現世と天界を結ぶ門、でしたか……それを模したものがありました」

 

「私が用意しておいたものね」

 

 ケビンの呟きにセレストとルフィナが答える。

 

「で……でも、もうですか?」

 

 しかし、突然の話にティータが不安に揺れた言葉を漏らす。

 

「今はリィン君を主とすることで《影の国》は安定しています……

 そして蓄積していた想念もなくなりましたが、現実と半端な形で混じり合っている今の状況は決して良いものではないでしょう……

 これ以上何かが起こらない内に《影の国》はできるだけ早く完全に消滅させるべきです」

 

「そのことなんですが、セレストさん。《影の国》の一部を残すことはできませんか?」

 

 セレストの意見にリィンは手を上げて提案した。

 

「それは……」

 

「何も大陸規模じゃなくていいんです……《庭園》くらいの大きさでも構いません。俺の《聖痕》にコピーすることはできないでしょうか?」

 

 核になる《鋼の至宝》の意志はあるが、それを活用するための《聖痕》の力自体はリィンの中にほぼ丸ごと残っている。

 それを利用すれば理論上は可能なはず。

 

「おそらくは可能だと思いますが……」

 

「リィン君、それはいったいどういうことだね?」

 

 オリビエに促され、リィンは胸に手を当てて、《鋼》の結晶体をみんなに見えるように差し出した。

 

「この子は《鬼の力》の源泉だった《黒の騎神》……それを生み出した《鋼の至宝》の意志です」

 

「……は、鋼の至宝……!?」

 

「嘘やろ……」

 

 ヴィータとケビンはリィンの言葉に目を剥き言葉を失う。

 

「ふむ……至宝とはてっきり七耀石にちなんだものだと思っていたのだが、もしかしてそれが帝国に伝わる《至宝》なのかい?

 それに《至宝》にしては何の力も感じないようだけど?」

 

「いえ、帝国に伝わっていた《至宝》は二つ、それぞれ《焔》と《大地》を司る至宝でした……

 その二つの眷属が至宝を争わせた末に融合して一つとなったものが《鋼の至宝》です……

 その力は《七の騎神》に分割されているので、《鋼の至宝》そのものに力は残っていないんです……けど、クロチルダさんどうかしましたか?」

 

「な……何でもないわ……それよりも続けてくれるかしら?」

 

 お腹を押さえて蹲るヴィータは顔を引きつらせながら先を促す。

 

「でも――」

 

「いいからっ!」

 

 凄むヴィータにリィンに首を傾げながら続ける。

 

「後で改めて詳しく話したいと思いますが……

 《鋼の至宝》は自分たちを争わせ、同盟を組みながらも互いに出し抜こうとしていた二つの眷属に絶望して《黒の騎神》に《闘争の呪い》を植え付けたんです」

 

「《鋼の至宝》の絶望……《闘争の呪い》の原因が二つの眷属のせい……」

 

 ヴィータは打ちひしがれたように震えるが、オリビエはとりあえず納得して頷きため息を吐く。

 

「なるほど《輝く環》が独自の思考を持ったように《鋼の至宝》も同じように意志を持ったわけか……

 いや、この場合は争うことを願った二つの眷属の願いを叶えてしまったということか……

 やれやれ、セレストさん達は《空の至宝》をうまく封印したというのに、我らが祖先はいったい何をしているのやら」

 

「いえ、私たちはたまたま《輝く環》が空間を司る至宝だったことが功を奏しただけです……

 他の《至宝》ではあそこまでうまく封印することはできなかったでしょう」

 

「はは、御謙遜を……

 それでリィン君、《影の国》と《鋼の至宝》がどう繋がるんだい?」

 

「正確に言うと、高位次元に《鋼》そのものは残ったままで、俺の《聖痕》はそこに意志疎通ができるように繋げただけなんです……

 だからここに《鋼の意志》があっても《七の騎神》への影響はありません……

 それに俺の《聖痕》に繋がっているとはいえ、不自由を強いることになると思いますから、《影の国》のような仮想世界を作っておけば気を紛らわせることはできると思うんです」

 

「いやいやリィン君。正気か?

 《鋼の至宝》とのパスを繋いだのは一先ず置いておくとして、残った《力》をそんな風に使うなんて……

 リィン君がその気になれば、《騎神の影》や《魔槍ロア》の複製だってできるはずやろ?」

 

 ケビンは《聖痕》の力がもたらすものがどういうものか分かっているから口を挟む。

 いろいろと《聖痕》に思うことはあるが思わず考えてしまう、勿体ないと。

 

「ケビン……」

 

 そんな貧乏性な幼馴染の思考を見透かしてリースは憐れみに満ちた目を向ける。

 

「《力》を選ぶなら、《錬成》の時にそれぞれの騎神の力が宿る太刀を選ぶこともできました……

 でもその中から俺は何の力もない《鋼の至宝》を選ぶことにしましたから、いいんですよ」

 

 あっさりとした返答にケビンは絶句するが同時に安堵した。

 正直《鋼の至宝》の件だけでも頭が痛いのに、その上で新たな力を得たのなら教会がそれこそ何を言い出すか分からない。

 もっとも《鋼の至宝》が関わっている段階で議論が白熱するのは決定したようなものなのだが、ケビンはその事実から全力で目を逸らす。

 

「私はむしろその案を推奨します……

 半端に利用できる力が残っていれば、それを理由に難癖をつけられるかもしれません。それにあの食べ物をくれる大樹は良いものでした」

 

「リース……」

 

 欲望まみれの幼馴染にケビンは呆れる。

 

「それでセレストさんそれにルフィナさんも、もしよろしければ俺の《影の国》の管理者になってもらえませんか?」

 

「あ……」

 

「リィン君……それは……」

 

 リースとケビンは思わず目を剥いてリィンを凝視する。

 《影の国》の終わりは姉との別れを意味していた。

 しかし、リィンが《影の国》を継ぐというのならこれが今生の別れではなくなる。

 

「お気持ちはありがたいですが、私は《空の眷属》です……このまま《環の影の国》と共に消えるのが筋でしょう」

 

 しかし、セレストはそんなリィンの申し出に首を横に振った。

 

「そうですか……」

 

 残念という気持ちはあるが、その気高い意志を尊重する。

 

「ルフィナさんはどうしますか?」

 

「…………そうね……」

 

「ルフィナ姉さん……」

 

「姉様……」

 

 目を瞑って考え込むルフィナにケビンとリースは息を呑んで答えを待つ。

 

「せっかくの機会だし、その申し出受けさせてもらうわ……

 ケビンにしても、私が管理者としてリィン君と一緒にいるのならアイン達を説得しやすいでしょうし」

 

「姉様っ!」

 

 ルフィナの答えにリースは感極まって抱き着いた。

 

「はは……こんな結末ありかいな……」

 

 ケビンもまた頭を手で押さえて嬉しそうな苦笑いを浮かべる。

 そんな彼らの様子をリィンは笑みを浮かべて、そして振り返る。

 

「君はどうする?」

 

 その呼び掛けに《騎神の太刀》は淡い光を宿すと、一人の女の子の姿を浮かび上がらせた。

 

「…………リーン……気付いていたんですか?」

 

「ああ、何度も助けてくれただろ? ありがとう助かったよア――」

 

 不安そうに俯いてこちらを伺うアルティナにリィンは感謝の言葉を口にするが、アネラスの叫びがそれを遮った。

 

「アルティナちゃんっ!」

 

 浮かんでいる少女にアネラスは声を上げて駆け寄った。

 両手を広げ、体当たりするような勢いでアルティナを抱き締め――ようとして腕は、というよりも身体ごとアルティナをすり抜けた。

 

「へぶっ!」

 

 そのまま足元の太刀に躓いてアネラスは顔から床に激突する。

 

「今の私は想念体なので触れることはできません……が、遅かったようですね」

 

 何をしてるんだと、幻影のアルティナは呆れた目でアネラスを振り返る。

 

「うう……アルティナちゃん……」

 

 したたかに打ち付けた鼻を押さえながら、アネラスは手を伸ばすが彼女の言った通り空をかく腕にアネラスはがっくりと肩を落とす。

 

「そんなに触りたければわたしの妹のアルティナに触れていればいいのではないですか?」

 

「うう……アルティナちゃんが冷たい……」

 

 そんな彼女の塩対応にアネラスは涙を浮かべながらも嬉しそうだった。

 そして生贄に差し出されたオライオンは危険を感じてリィンの背中に隠れる。

 そんなやり取りにリィンは苦笑を浮かべてアルティナに話しかける。

 

「アルティナ……君も《影の国》でなら――」

 

「いいえ……わたしはもう時間切れです」

 

 アルティナが首を横に振ると同時に《騎神の太刀》は音を立てて亀裂を走らせた。

 

「元々わたしの魂で錬成した太刀は正規の方法から外れた手段で作り出したものです……むしろここまでよく持った方です」

 

「アルティナ……」

 

「そんな顔をしないでくださいリーン……お別れはわたしの《影》がすでに済ませたはずです」

 

「ああ……そうだな」

 

 リィンは頷いて笑顔を浮かべる。

 アルティナもまたそれに笑顔で返す。

 

「あ……」

 

 そして何かを言いたそうにして口を噤み俯いてしまうオライオンに目を向けた。

 

「あなたが責任を感じる必要はありません。わたし達が使徒に従うのは仕様なのですから」

 

「ですが……」

 

 アルティナの言葉にオライオンはそれでもと首を振る。

 自分の中から溢れる感情を持て余し、混乱するオライオンにアルティナは優しい笑みを浮かべる。

 

「もしもあなたがわたしを手に掛けたことに責任を感じているのなら、一つだけお願いがあります」

 

 そう言ってアルティナはリィンに目を向けた。

 

「いいのか?」

 

「はい」

 

 それが何を指しているのか察して聞き返すが、しっかりと頷かれた答えにアルティナの遺志を尊重する。

 

「受け取ってください」

 

「これは……」

 

 アルティナの言葉と共に差し出した銀のハーモニカ。

 それにオライオンは首を傾げる。

 

「受け取ってください。そしてあなたがいつかわたしとリーンの約束を叶えてください。そうしたらわたしはあなたのことを許します」

 

「…………それは不可能です。現実に戻ればわたしは初期化されます……ここでどんな約束をしたとしてもわたしは忘れてしまう」

 

「わたしはそうは思いません……

 わたしの記憶があなたの心に紛れたようにここでリーンやみんなと出会って過ごした日々は忘れることになっても、なかったことにはならない」

 

「……次に会う時は敵同士のはずです」

 

「それならそれで構いません……ですが、少しくらい希望を夢見てもいいとわたしは思います」

 

「…………あなたの言葉は非合理的かつ希望的観測が過ぎるものだと判断します」

 

 アルティナの説得にオライオンは意味が分からないと首を振る。

 そして――

 

「ですが……それであなたが納得するのなら……分かりました」

 

 オライオンはリィンから渋々といった様子でハーモニカを受け取った。

 その様子にアルティナは満足したように頷き、リィンに――みんなに向き直る。

 

「これで……本当にお別れです」

 

 アルティナはあの時と同じ今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべ、最後の言葉をみんなに残す。

 

「ありがとう、みんな……楽しかったです」

 

 その言葉を最後に《騎神の太刀》は音を立てて砕け散った。

 立ち昇る光の燐光を一同は静かに見送るのだった。

 

 

 

 

 《天上門》が開き、光の階段が現れる。

 しかし、待ちわびた現世への出口だというのに誰もが躊躇う様にその場から動けなくなっていた。

 

「それじゃあ……」

 

「まずは我らから行かせてもらうとしようか」

 

 そんな空気を破る様にジンとリシャールが階段の前に出る。

 

「このままだと名残惜しくて誰も先に行けそうになさそうだからな」

 

「ならば年長者たる我々が口火を切らせてもらおうと思ってね」

 

「ジンさん……リシャール大佐……

 感謝しますわ。お二人とも……そういう気遣いにはホンマ、助けていただきました」

 

「はは、なんの……

 私の方こそ過去の経緯にも関わらず、暖かく受け入れてくれて感謝する……おかげで大切なものをこの手で掴むことができたようだ」

 

「こちらこそ、色々お世話になりました」

 

「リィン君……それにオリヴァルト皇子……

 君たちのような人が帝国にいることが分かって安心しました。どうかこのままリベールとは懇意にしてもらいたいものです」

 

「ええ、俺にとってもリベールには返しきれないほどの恩があります。それを仇で返すようなことはしません」

 

「ボクもリィン君と同意見だよ。再び侵略戦争を仕掛けることがあれば全力で阻止することを誓わせてもらおう」

 

「俺の方はまあ……みんなと会えて嬉しかったし、《異変》での心残りがようやく晴れた気分だ」

 

「その節は大変な御迷惑をお掛けしました」

 

「はは、気にするな。時間が掛かってしまったがこうして全員で生還することができたんだ。それで十分だ……

 リィン君は難しいかもしれないが、みんなもよかったらカルバードに遊びに来てくれ。キリカ共々、歓迎させてもらうからよ」

 

「ええ、機会があったら是非」

 

「そんじゃあ大佐……行くとしようか」

 

「まったく……君まで大佐呼ばわりか……

 だがまあ、君たちにならそう呼ばれるのも悪くはないか」

 

 リシャールは苦笑を浮かべて階段を登って行き、ジンもそれに続き、門をくぐる。

 

「フフ……お次はボク達かな」

 

 次に前に出たのはオリビエとミュラーだった。

 

「あまり長く居すぎると帰りたくなくなるからね。それに最後まで残るのは野暮というものだろう」

 

「オリビエさん……」

 

「なんだか本当に唐突過ぎて戸惑いますね」

 

「ああっ、ヨシュア君にそんな風に言ってもらえるとは!

 このまま一緒に連れて帰りたいくらいだよっ!」

 

「だ~から! そういうのは止めいっ!」

 

 ヨシュアに迫ろうとするオリビエに割って入ったエステルが威嚇する。

 

「オリビエ……」

 

 この期に及んでも普段と同じように振る舞う皇子の姿にミュラーはため息を吐く。

 

「はは…………

 何というかリィン君が生きていたし、こうして何の憂いもなくみんなと顔を合わせることができるとは思っていなかったものでね……

 ガラにもなく……少し胸に迫っているみたいだ」

 

 オリビエはそんな逸る胸を冷静にさせるように息を吐くと、シェラザードに顔を向けた。

 

「シェラ君……

 あの話……本気で考えて欲しい。自分でも図々しい話だとは思うんだが……そのくらいの楽しみを抱いて過ごすくらいは構わないだろ?」

 

「まったく……あんたっていう人は……

 まあいいわ、しばらくの間、返事は保留にしてあげる。だから……せいぜい頑張りなさいよ!」

 

「フッ、勿論さ」

 

 何やら意味深な言葉を交わすオリビエとシェラザードを尻目にミュラーが口を開く。

 

「自分の方は……こいつ共々お世話になった。剣の方も、みんなのおかげで自分がまだまだ未熟だと痛感させられて更なる道が拓けたようだ。感謝する」

 

「こちらこそ……色々と助けていただきました。またお会いできる機会を楽しみにさせていただきます」

 

「ああ……もっともあなたとクローディア殿下のお二人はすぐに会う機会はあると思いますがね」

 

 ユリアの言葉にミュラーは苦笑を浮かべる。

 

「リィン君、現世へと戻ったらヴァンダールの方へ連絡をしてくれ。以前の宰相閣下や皇帝陛下へのお目通りの件も話は通しておく」

 

「……はい……よろしくお願いします」

 

 帝国に戻る時に、太刀をくれた宰相閣下と皇帝陛下への謁見。

 ようやくその約束を果たすことができそうだった。

 

「それではみんな。いつの日か、また会おう!

 それからリィン君。……ボク達は一足先に行かせてもらうが、あとで結果報告はきっちり聞かせてもらうから覚悟するように」

 

 そう意味深なことを言い残してオリビエとミュラーは階段を登り、門の中へと消える。

 

「ふふ……最後まで平気なふりをして」

 

 そんなオリビエにシェラザードは苦笑しながら前に出た。それにアネラスが続く。

 

「シェラ姉……アネラスさん……」

 

「エステルちゃん……もう、お別れだね……」

 

「……ま、他の人たちはその気になれば会えるとして……エステル、ヨシュア。気を付けて旅を続けなさいよ」

 

「うん……分かってる」

 

「手紙……欠かさずに出させてもらいます」

 

「それからリィン君も家に帰るまでが旅なんだから、油断しないでちゃんと御家族に叱られなさい」

 

「はは……はい……」

 

 シェラザードの指摘にリィンは苦笑を浮かべて頷く。

 そしてそんなやり取りを他所にアネラスは嘆きのため息を吐く。

 

「は~、でも残念だなぁ。エステルちゃんもだけど、ティータちゃんやレンちゃん、オライオンちゃんとも会えなくなっちゃうなんて……

 ティータちゃんはアガット先輩がいない時にでも可愛がりに行っちゃうとして……」

 

 そのアガットに睨まれながらアネラスはレンとオライオンの二人の前に膝を着いて視線の高さを合わせて尋ねる。

 

「ね、二人ともエステルちゃんとリィン君のこと好き? それとも嫌い?」

 

「え……」

 

「いきなり何を?」

 

 戸惑う二人にアネラスは微笑みを浮かべて続ける。

 

「一番大事なのはそこの所だと思うんだ。これ、お姉さんからの忠告」

 

 二人は何も言い返せずに黙り込む。

 そんな姿さえ愛おしそうな眼差しで見守り、アネラスは立ち上がる。

 

「ふふっ……また会えたら今度は思う存分、ぎゅって抱き締めさせてね♪」

 

 そしてアネラスは最後にリィンに言葉を投げかける。

 

「それじゃあ、また現世で」

 

「はい……メイベル市長やルグラン爺さんによろしく言っておいてください」

 

「うん。任せて」

 

「それじゃあ行きますか……みんな、お疲れ様」

 

「それじゃあバイバイ、またね」

 

 シェラザードとアネラスもまた先の二組と同じように光の階段を登り、門の中へと消える。

 

「さてと、次は俺たちが行くか」

 

「そ、そーですね」

 

 続いて動いたのはアガットであり、それにティータが続く。

 

「えへへ……お姉ちゃん、お兄ちゃん……それからレンちゃんも……」

 

 強がるような笑顔を浮かべてティータはレンに向き直る。

 

「わたしはアネラスさんみたいに何も言えないけれど……レンちゃんのことを追い駆ける力もないけど……

 待ってるから……三人で一緒にリベールに帰ってくるのを……えへへ、そう思うのはわたしの自由だよね?」

 

 そんなティータの言葉にレンは長い沈黙を挟んで応えた。

 

「ふ、ふん……勝手にすればいいじゃない。でも、オーバルギアの方は思うだけじゃなくってちゃんと完成させなさいよ?

 レンの《パテル=マテル》はどんな挑戦だって受けるんだからね!」

 

「うん……頑張るね……それからオライオンちゃんもまたね」

 

「わたしは……」

 

「待ってるから……リィンさんと一緒にまたツァイスに来てくれるのを」

 

「…………」

 

 レンに向けた言葉と同じものを向けられてもオライオンは言葉を返せずに俯いてしまう。

 

「やれやれ……難儀なチビっ子どもだぜ……おい、シュバルツァー」

 

 そんな子供たちの様子にアガットは肩を竦めてリィンを呼ぶ。

 

「はい」

 

「お前はもう一人前の男だ。だが、水をあけられたまま黙っているつもりはねえ。次に会うまでにその腕、なまらせるんじゃねえぞ」

 

「えっと……」

 

「何だよ?」

 

「アガットさんにそんなことを言われるとは思いませんでした。最初に会った時なんて――」

 

「あの時のことは別に良いだろ……お互い道の途中、気張ろうぜってだけの話だ」

 

「そうですか……そうですね」

 

 アガットの指摘にリィンは頷く。

 確かにこれが旅の最後かもしれない。しかし、その旅が終わったとしてもリィンの道はまだ続いているのだと実感する。

 

「そういえばアガットさん。ラッセル博士に伝言を頼めますか?」

 

「何だ、言ってみろ?」

 

「《鬼の力》を模したクォーツですが、あれは帝国の呪いに由来するものなので破棄するように伝えてください」

 

「分かった。本来なら依頼料を――と言いたいところだが手紙のサービスの代わりにしておくぜ……それじゃあ行くか」

 

「はいっ」

 

 ぶっきらぼうにアガットが促し、ティータは元気よく頷く。

 そうして二人は階段を登り、門へと入っていく。

 

「ユリアさん、そろそろ行きましょうか」

 

「承知しました」

 

 クローゼとユリアが前に出て振り返ると、どこからともなくジークが飛んできてユリアの腕にとまる。

 

「クローゼ……」

 

「また……しばらく会えなくなっちゃうね」

 

「ええ……ですがこのような形でお二人や、リィン君たちと再会できたこと、女神に感謝したい気持ちです」

 

 クローゼは笑顔を浮かべ、ジョゼットやセレストに一言ずつ別れを告げて最後にリィンと向き合う。

 

「リィン君……この度は本当にありがとうございました。リベールを代表してお礼を申し上げます」

 

「そんな気にしないでください。むしろ俺の方がお礼を言いたいくらいですから」

 

「いや、そんな謙遜は不要だ。私としても現世へと戻ったら女王陛下やカシウス殿に勲章を授与できないか相談しようと思っているのだから」

 

「ええっ!?」

 

 恐縮するリィンにユリアが追い打ちをかける。

 狼狽えるリィンにクローゼは微笑みを浮かべる。

 

「でも無茶は程々にしてくださいね。私やみんなもあんな戦いを見せられて本当に心配したんですから……

 あんまり無茶が過ぎるとエリゼさんに嫌われてしまいますよ」

 

「それは……善処します」

 

 シュンと肩を落とす年相応なリィンの姿にクローゼはもう一度笑みを浮かべると、おもむろに体を寄せ、リィンにだけ聞こえるように耳打ちする。

 

「頑張ってくださいね」

 

「え……それは……」

 

 聞き返す間もなくクローゼは体を離し、みんなに一礼する。

 

「ふふ、それでは皆さん……いつまでもお元気で」

 

「ピューイ!」

 

 ジークがいったん離れて上空を旋回し、階段を登って門をくぐった二人を追いかけて消える。

 

「さてと……そろそろボクも行こうかな」

 

 次いでジョゼットが進み出る。

 

「ジョゼット……」

 

「えっと……その……」

 

「あー別に無理して何か言わなくていいよ。アンタからの湿っぽい挨拶なんて聞きたくないし」

 

「あ、あんですって~!」

 

 ジョゼットとエステルはそれを皮切りにいつものように睨み合い、それを仲裁しようとしたヨシュアは二人に仲良く一喝されて黙り込む。

 そんな普段と変わらないやり取りをした後、ジョゼットはリィンに向き直る。

 

「そういえばリィンの故郷のユミルって帝国の北の方の温泉郷だよね?」

 

「ええ、それが何か?」

 

「それなら《カプア特急便》を是非ともよろしくね」

 

「…………はは、分かりました。何か用があったらご依頼します」

 

 こんな場面で営業を受けるとは思ってもみなかったリィンは面を食らいながらも頷く。

 

「あはは……ありがと! それじゃあまたね!」

 

 そう言い残して元気よくジョゼットは階段を駆け上り門をくぐる。

 ジョゼットとのやり取りに疲れたのかエステルは大きく息を吐くと、大人しいレンに気付く。

 

「どうしたのレン、さっきから妙に大人しいわね」

 

「…………どうして……どうしてみんな……そんなに笑っていられるの?

 お別れなのに。もう会えないかもしれないのに……どうしてそんな風に笑顔でお別れできちゃうの?」

 

「レン……」

 

「だったら……みんなここに残ればいいのに!

 《影の国》はリィンが作り直すんだから楽しくて愉快なお茶会がいつまでも、いつまでも続けられるのに! どうしてみんな……」

 

 普段の聡明な彼女とは思えないほどの子供らしい癇癪。

 

「レン……君がそういう風に感じることができるようになって嬉しいよ」

 

「リィン……」

 

 超然として、どこか壊れていた印象がつき纏っていたレンは今だけは年相応の女の子に見えた。

 

「さっきシェラザードさんも言っていただろ? その気になればいつでも会える。だからそんなに怖がらなくて良いんだ」

 

「……レンは……別に怖がってなんか……」

 

「なら、レン。教えてあげようか? なんで笑顔でお別れできるかって」

 

 これまで教えてもらってばかりだったエステルはここぞとばかりに胸を張る。

 

「それはね……

 大好きな人、大嫌いな人、そんなのに関わりなく……どんな人とだって、絶対に別れが待っているからよ」

 

「…………え……?」

 

 意外な答えだったのか、聞くことを拒絶していたレンは思わず顔を上げる。

 

「あたしとヨシュアだってそう……

 このまま結婚して、子供を作ってずっと一緒にいたとしても、どちらかの寿命が来たら必ず離ればなれになっちゃう……

 もちろん事故とか、お互いの気持ちが離れることで別れる可能性もゼロじゃない……

 あたしたちはみんな、そんな不安と戦っているんだと思う」

 

「あ……」

 

「でもね……だから笑うのよ!

 みんなで一緒に笑うことでその不安を吹き飛ばしちゃうの!

 みんなで笑えば一人じゃないって実感できる!

 また会えるかもしれないってドキドキ、ワクワクもできる!

 そうやって強がりを言い合ってまた、会おうねって約束してそれぞれの道を歩いていく……多分、みんなそうだと思う」

 

「みんな……」

 

「うん、みんなよ。だからレン……あたしたちと一緒に笑おう?」

 

「あ……」

 

「ずっと一緒にいるなんてあたしには約束できない……

 でもレンの事が好きだから。あんたが大人になるまで見守ってあげたいと思うから……

 だからそれまでは何があっても絶対に一緒にいる」

 

「う……あ……」

 

 エステルの強い言葉にレンは何も言い返せずに狼狽え続ける。

 

「そして……レンが大人になって本当にしたいことを見つけたら……

 それが、あたしたちと離れることになる道だったら……その時は一緒に、とびきりの笑顔でお別れしよう……

 先のことは判らないけど……まずはそのあたりでどうかな?」

 

「ううっ……ああっ……そんな……そんなの……」

 

「すぐに決める必要はないよ……

 僕たちはもう覚悟を決めているから……リィン君が君にもう言っているようだけど……

 レン、僕たちも君の家族になりたいと思っているんだ」

 

「……あ……」

 

 ヨシュアの言葉にレンは振り返る。

 

「ま、あくまでもあたしたちの希望だけどね。父さんも許してくれたし……

 でもレンがリィン君の方が良いって言うなら、それはそれで――う~ん」

 

 エステルは途中で言葉を切って腕を組み唸る。

 

「まあ、どの道を選ぶかはあんた次第ってわけよ」

 

 未練を見せながらもエステルはレンに向かって笑顔を浮かべて手を差し伸べる。

 が、レンはその手を払ってエステルから距離を取る。

 

「レン……」

 

「だったら……だったらレンは全力で逃げる!

 エステルたちに捕まらないよう全力で逃げるからっ! だから……だからっ……!」

 

「うん、望むところだよ。決心が付くまで頑張って逃げ続けるといい」

 

「フフン、言っておくけどあたしは諦めが悪いわよ~?

 いくらレンが隠れんぼが得意でも絶対に見つけてやるんだから」

 

 拒絶するレンにヨシュアとエステルはそれでも受け入れると言い切る。

 そんな二人にレンは絞り出すように叫ぶ。

 

「…………キライ……エステルもヨシュアも二人とも大ッキライっ!

 ………………でも……でも……同じくらい大好き……っ!」

 

 そのままレンは踵を返すと、エステル達の言葉を待たずに走り、門へと飛び込んでしまった。

 そんなレンの背中を見送り、エステルは涙を目端に浮かべながら笑う。

 

「あはは……やっと……やっと伝えられた……あたしの……あたしたちの言葉をあの子に……」

 

「エステル……」

 

 ヨシュアが寄り添うと、エステルはその胸に縋りつく。

 

「うぐっ……ううっ……ヨシュア……ヨシュアぁ……」

 

「うん……頑張ったね……でも、まだまだこれからだよ」

 

「うんっ……うんっ……ぐすっ……」

 

 エステルは涙を拭って、リィン達に向き直る。

 

「ごめん……あたしたち――」

 

「ちょっと待ってくれるかしら?」

 

 別れの言葉はヴィータに遮られた。

 

「ヴィータさん? えっとあたしたちできればすぐにレンを追い駆けたいんだけど」

 

「だから待ってくれるかしら、ヨシュアは城の入り口にレオンを迎えに行ってくれるかしら?

 彼は彼でこの特殊な場で今生の別れを《彼女》と交わしているようだけど、貴方も無関係じゃないんでしょ?」

 

「え……」

 

 ヨシュアは一瞬何を言われたのか理解できず呆けて、次の瞬間ヴィータが言った《彼女》を思い浮かべて震える。

 

「まさか……まさか……」

 

「ふふ……グリアノスを通して少しだけ見たけど、恋人の前ではあんな顔をするのねレオンったら」

 

「っ……」

 

「ヨシュアッ!」

 

 踵を返して駆け出したヨシュアにエステルも続こうとするが、そこに再びヴィータが待ったをかける。

 

「貴女はここで待っていなさい」

 

「でもっ!」

 

「時には待つことも良い女の条件よ。泣いて戻って来るはずだから、その時は抱き締めて慰めてあげなさい」

 

 余裕に満ちて見透かしたヴィータの態度にエステルは渋々といった様子でヨシュアを追い駆けることを諦める。

 納得したエステルに頷いてヴィータは今度は自分たちの番だと前に出る。

 

「それじゃあ私たちも行きましょうか?」

 

「はい……」

 

 ヴィータに促されてオライオンが続く。

 

「クロチルダさん……いろいろありがとうございました」

 

「ふふ、どうせ私たちは取り込まれた場所が同じなのだからそんな言葉はいらないわよ」

 

「そうでしたね……」

 

 ヴィータの言葉に頷いてリィンはオライオンに目を向ける。

 

「それではいろいろとお世話になりました。次の《アルティナ・オライオン》に会うことがあればその時はお手柔らかにお願いします」

 

「ああ……また会おうオライオン……いや、アルティナ」

 

 名前で呼ばれたことに彼女は目を丸くして驚く。

 そしてそのままじっとリィンを見つめると、おもむろに口を開いた。

 

「わがままを……一つ言ってもいいですか?」

 

「ん……何だ?」

 

 リィンが促すと、彼女はフードを下ろす。

 

「…………頭を撫でてください」

 

「それくらいいくらでも」

 

 差し出された銀色の髪の頭にリィンは苦笑して、優しく撫でる。 

 優しく髪を梳くように何度も撫でると、彼女は満足したのか一歩後ろに退いて手から離れる。

 

「やはりリィンの手は不埒のようです」

 

「そうか……」

 

 拒絶というよりも照れ隠しのような言葉をリィンは静かに頷いて受け入れた。

 そしてリィンの顔を見つめ続けることに何かを感じたのか、彼女は勢いよく振り返り階段を駆け上って行ってしまった。

 

「安心しなさい。とは言えないけど、あの子については私が口添えをしてみるわ」

 

「クロチルダさん……良いんですか? 俺は《結社》に入るつもりなんてありませんよ」

 

「構わないわ……ホムンクルス一体で今の貴方のご機嫌を取れるなら悪くない取引よ……

 もっとも彼女の所有権は《黒の工房》が握っているから保証はできないけどね」

 

「それだけでも十分です」

 

「それでは皆様、私は一足先に失礼させてもらうわね。中々楽しい一時だったわ」

 

 ヴィータは蒼い鳥を従え、悠然とした足取りで門をくぐった。

 

「さて、それじゃあルフィナ姉さん、オレ達も行くわ、リース……リース、どないした?」

 

「うん……何か忘れているような……」

 

「忘れていること?」

 

 リースの言葉をルフィナが繰り返して一同は考え込む。

 言われてみれば確かに、リィン達も何かを忘れているような気がするのだが、それが何なのか思い出す前にその声が響いた。

 

「おーい……!」

 

「あ!」

 

「あ……」

 

「あら……」

 

 先程ヨシュアが出て行った入り口から情けない声を上げながらギルバートが駆け込んできた。

 息も絶え絶えに残った一同の前でへたり込んだギルバートはそのままセレストに向かって抗議する。

 

「ひ、ひどいじゃないか! あんな説明だけでこの僕を置いていくなんて!」

 

「す、すみません。手が離せなかったもので……でも、あの説明ではここまで辿り着けませんでしたか?」

 

「自慢じゃないけど僕は方向オンチなんだ!

 天使の集団に追い駆けられるわ馬の戦車に轢かれそうになるわ……

 黒い焔が……金の斬撃が……死ぬ……死んじゃう……アワワワワ……」

 

 何か深いトラウマを作ってきたのかギルバートは震え出す。

 

「もうイヤだ……早くおうちに帰りたい」

 

「えっと……すぐそこに現世への門があるんだけど」

 

「何だってっ!?」

 

 エステルの言葉にギルバートはがばっと身を起こし門を見る。

 

「そ、そういう事は早く言ってくれ!

 こうしてはいられない……僕はもう行くぞ!」

 

「ええ……どうぞお先に……お疲れ様でした」

 

 ギルバートの忙しない様子に呆れながらリースは順番を譲り、同時に労いの言葉をかける。

 その言葉が意外だったのかギルバートは思わずリースの顔を見る。

 

「へ……」

 

「ま、お互い、ご苦労さんってことや……今度会った時は敵同士……

 あんまりオイタが過ぎてオレらの目に付けられんようにな」

 

「は……はは……フッ……」

 

 続くケビンの言葉に気を持ち直したギルバートは前髪を掻き揚げて気取った笑みを浮かべる。

 

「それはこちらの台詞さ……今度会った時は、より出世してパワーアップした《超帝国人》を超えた《超結社兵》の――」

 

「破甲拳っ!」

 

「あ~れ~っ!」

 

 リィンの拳がギルバートを吹き飛ばし、そのまま門へと叩き込まれた。

 

「はは……」

 

「……ふふ……」

 

 肩で息を吐くリィンにケビンとリースは思わず笑ってしまう。

 

「さて、オレ達も行くか」

 

「うん……」

 

 今度こそ何の懸念もないとリースは頷く。

 

「それじゃあリィン君。現世で改めて詫びはさせてもらうとして、ルフィナ姉さんの事、頼むわ」

 

「ええ……任せてください。といっても世話になるのは俺の方だと思いますけど」

 

「フフ……そんな肩肘を張らなくてもいいわよ。立場的には私は貴方に従う側なんだから」

 

「姉様……それじゃあ……また……」

 

「ええ、また会いましょうリース、ケビン」

 

 ルフィナに見送られて、ケビンとリースは階段をゆっくりと登って行き、門をくぐった。

 

「ところでセレストさん、新しい《庭園》を作ることに関して少し聞いておきたいことがあるんですがいいかしら」

 

「え……ええ、何でしょうか?」

 

「それではちょっとこちらに……」

 

 それを見届けてからルフィナはセレストに話しかけてその場から引き離す。

 何事かと思ってリィンは声をかけようとすると、ルフィナは有無を言わせない笑顔でリィンの行動を押し留めた。

 

「えっと……二人きりになっちゃったね……」

 

「ええ……そうですね……」

 

 現世への門を前にエステルとリィンは急に余所余所しく視線を互いに在らぬ方向へ彷徨わせながら言葉を交わす。

 ここに来てリィンはようやくオリビエやクローゼが最後に言い残した意味深な言葉の意味を思い出す。

 しかし同時に、確かに区切りをつける意味では絶好の機会だった。

 現世へと帰れば、まずユミルに帰らなければいけないし、帝都へ行かなくてはならない。

 レンとクロスベルへ行く約束もあるのだから、次に彼女と会う機会はそれこそいつになるか分からない。

 リィンは覚悟を決めて、エステルに向き直る。

 

「エステルさん」

 

「は……はいっ!」

 

 リィンの呼びかけにエステルは背筋を伸ばして返事をする。

 多少の余裕はあるが、おそらく自分も同じようなものだろうと考えながらリィンはそのまま続ける。

 

「最後にエステルさんに言っておきたいことがあります」

 

「う……うん……」

 

 視線を広間の入り口の方へと彷徨わせて、数秒後には覚悟を決めた顔でエステルはリィンに向き直る。

 

「俺は――」

 

 胸を軽く押さえ、これまでの旅を振り返る。

 この旅で多くの人と触れ合って来た。

 オリビエは最初に会った時から滅茶苦茶で、破天荒だったがそんな顔の下には思慮深く皇子として帝国の在り方を憂う尊敬できる面を持っていた。

 クローゼは王家の血筋に悩みながらも、それを受け止める覚悟をして前に踏み出した。

 アネラスはリィンに人の強さと可能性を見せつけてくれた。

 他にも沢山の人達と出会い、リィンは己の悩みを共有し、励まし合う様にしてここまで辿り着くことができた。

 しかし、やはりそんな人たちの中で彼女だけは特別な輝きを放っていた。

 

「――俺はエステルさん……あなたのことが好きです。一人の男としてあなたのことが好きでした」

 

 琥珀の塔で《教授》のいたずらで《鬼の力》を暴走させ、彼女を傷付けた。

 それでも嫌な顔一つせず、手を差し伸べてくれた彼女の姿は心に刻み込まれている。

 

「うん……ありがとう」

 

 エステルはそんなリィンの告白を静かに受け止める。そして――

 

「でも、ごめんね。リィン君の気持ちは嬉しいけど私はヨシュアのことが一番好きだから」

 

「はい……分かっています……さっきも見せつけられましたから……」

 

「あ……あはは……別に見せつけるとか考えていたわけじゃないんだけど」

 

「それも分かっています。すいません。答えは判り切っているのに付き合ってもらって……おかげで区切りはつきました」

 

 失恋をしたのに妙に清々しい気持ちを胸に抱きながらリィンは笑う。

 

「エステルさん、一つだけ良いですか?」

 

「うん、何?」

 

「握手をしてもらえますか?」

 

「うん……」

 

 エステルは笑顔で手を差し出し、リィンはその手を取って握手を交わす。

 この手の温もりが最初にリィンを救ってくれた。

 

「エステルさん……ありがとうございました」

 

 リィンは万感の気持ちを込めて、感謝の言葉を送った。

 

 

 

 

 

「さて……行くか……」

 

 帝国領のどことも知れない森の中。

 まるで存在を隠すように建てられた小さな小屋から二人の男が出てくる。

 一人は象牙色のコートに金の剣を携えた青年。

 もう一人は黒髪に紅い旅装服を身に纏い、腰には太刀を佩いた少年。

 

「これからどうするんですか? ヨシュアさんやレンとは本当に会わないつもりですか?」

 

「ああ、縁があればいつかどこかで会うこともあるだろう。二人にはよろしく言っておいてくれ」

 

 すでに少年は彼がこれからどうするのかは聞いている。

 エレボニア帝国とリベール王国の戦争によって故郷を失った彼はどちらの国に対しても帰属する意志はなく、かといってかつて憧れ目指した遊撃士の道を進むにはその手は血に塗れすぎている。

 今はただ宛もなく旅をしたいという彼の意見は、決して自暴自棄によるものではない。

 ヴィータが言う《ハーメルの悲劇》の真相次第では《結社》に戻ることになるかもしれないが、今度は選ばされたのではなく選んだ道として受け止めるべきだろう。

 

「世話になったな……お前には借りを作ってばかりだったが、いつかこの借りは必ず返そう」

 

「……気にしなくていいですよ」

 

「そう言うな……思うことはあるのだろう? 俺がお前たちにしたことを考えればその蟠りは正しい」

 

「いえ……そうじゃなくて」

 

 少年は青年の言葉を否定する。

 確かに蟠りはある。

 しかし、それはすでに消化して、未来を願った約束を繋いだ。

 今、少年が胸に抱える蟠りは全く別のものなのだが、それを口にするのは憚られた。

 

「何だ……言いたいことなら今の内に吐き出しておけ」

 

 どんな罵倒も甘んじて受け入れると言わんばかりの青年は潔く聞き返す。

 

「あの子のことは今は関係ありません。ただ……」

 

 言葉を濁す少年に青年は訝しむ。

 そして青年は少年の心残りを探る様に思考を巡らせ――自分の中に同じ心残りがあることに気付いた。

 

「そういえば……お前と最初に出会ったのはこんな森の中だったな」

 

「時間は夜でしたけどね」

 

「あの時のお前は本当に情けない子供だったな。自分の力を信じることができず、己の中の力に向き合うことができず、泣いて逃げ回っていた」

 

「そういう貴方はいけ好かない人でしたね。いきなり問答無用で襲い掛かって、本当に死ぬかと思いましたよ」

 

 どちらともなく、青年と少年は少ない手荷物を下ろす。

 

「二度目は武術大会だったな」

 

「ええ、あそこで木刀が折れなければ俺が勝っていたはずなのに」

 

「ふ……心にもないことを……そもそも剣が折れた程度で気を逸らしたお前の未熟を恥じろ」

 

 青年と少年はそれまで手合わせをしてきたように距離を取って向き合う。

 

「三度目はクーデター事件……ようやく一矢報いることができた」

 

「あの時は本気ではなかったがな」

 

「でしょうね」

 

 青年と少年はそれぞれ剣と太刀を抜いて構える。

 

「五回目は封印区画……」

 

 あえて四回目を飛ばして少年は言う。

 

「ああ、あれは俺の完敗だ」

 

「自滅でしょう。あれはとても俺の勝ちだなんて言えません」

 

「そうか……だがいいのか? せっかく勝ち逃げができるというのに」

 

 これまでリハビリと称して幾度も剣を交えて来たが、それはカウントせずに尋ねる。

 

「御心配なく、後顧の憂いなく今度こそ文句なしに勝ってみせます」

 

「ふ……本当に生意気になったものだ」

 

 自信を持って断言する少年に青年は苦笑を浮かべる。

 二人が争う理由はない。

 そこには陰謀もなければ、守るべき者もいない。

 互いに相手を憎悪しているわけでもなければ、使命を帯びているわけでもない。

 ただ共通した思いが二人に剣を取らせる。

 

 ――負けたままでは終われない……

 

「結社――身喰らう蛇、執行者No.Ⅱ《剣帝》レオンハルト」

 

 青年は金の剣を構えて名乗りを上げる。

 

「八葉一刀流《初伝》リィン・シュバルツァー」

 

 少年はゼムリアストーンの赤い太刀を構えて名乗る。

 

「「いざ……尋常に――勝負っ!」」

 

 その人知れずに始まった戦いの結末は、女神のみぞ知る。

 

 

 


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