(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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11話 学園祭

 

「弟君に護衛の仕事ですか?」

 

 メイベルが言い出した仕事の内容にアネラスは目を丸くする。

 

「あの、お言葉ですが護衛任務というのは意外と難しい仕事で、とてもじゃないけど今の弟君には荷が重いと思います」

 

「ええ、正規の護衛の仕事だったらそうなんだけど……

 今回のお仕事は私の傍で武器を持って立ってくれているだけでいいんです」

 

「え……?」

 

 それは果たして護衛と呼ぶのだろうか、リィンはメイベルの意図が分からずに首を傾げる。

 

「リィン君にはこの間少し話したけど、今週末にジェニス王立学園で学生主催による学園祭が行われるの」

 

「この前のマーケットでの話ですね」

 

「ええ、今年は空賊事件があってまだそれほど時間が経ってないから自粛しようかとも考えたんだけど、マーケットのみんなから気にせず行っていいと言われてしまってね……

 でも、事件があった手前、ボースの市長が護衛も付けずに定期船に乗るというのは無用心が過ぎると思ったの」

 

「そうですね。空賊は全員逮捕されても、弟君を襲った誰かはまだ見つかってませんから」

 

「市民に対しても、市長としてちゃんと備えているところを見せておく必要があるの……

 それに今、ルーアンでもちょっとした事件が起きているのよ」

 

「事件ですか?」

 

「ええ、先日放火事件があって、その犯人も未だに見つかってないそうなんです」

 

「それならなおのこと正式に遊撃士を雇った方いいんじゃないですか? 俺は一度捕まっていますから実力的には相応しくないかと思います」

 

「それも考えたんですが、今帝国で遊撃士ギルドが猟兵団に襲撃されている事件が起きているのを知っているかしら?」

 

「はい」

 

「帝国に一番近いボースにその猟兵団が現れる可能性もあるから、正遊撃士の方にはできるだけボースにいて欲しいと私は思っています」

 

「だから弟君なんですね?」

 

「ええ、実際の警備は空港警備隊もいますし、ルーアンでも向こうの遊撃士の方たちが街道や学園での警備は請け負っていますから心配はないと思います……

 私がリィン君に求めているのはあくまでも目に見えた形でボース市長が有事に備えていると、周りに示すことなんです」

 

「つまり犯罪者への虫除けですか?」

 

「そうね、その例えで間違ってないわ。でも、本当に何かが起きた場合、頼りにさせてもらうわ」

 

「なるほど、ちょっとまとめさせてもらいますね」

 

 一通りの話を聞いてアネラスは依頼内容の確認をする。

 仕事内容は定期船内、およびルーアン街道での示威行為。

 実際の警備は空港の警備とルーアンの遊撃士たちが行っているので、リィンは彼らが守る安全の中で市長の護衛を行う。

 雇用期間は一泊二日。

 正遊撃士を雇わないのは、帝国での事件を警戒しているため。

 

「この仕事の内容だったら確かに弟君でもできるかもしれないですけど……弟君はどうしたい?」

 

「俺、ですか?」

 

「うん、少しは護衛の仕方を勉強する必要はあるけど、弟君にはメイベル市長の依頼を行うには十分な能力があると私は思う……

 だから、弟君が決めていいよ」

 

「でも……俺はギルドに厄介になっている身ですから」

 

「確かに弟君の身柄はギルドで保護しているし、預かっている親御さんのことを考えるとあまり危険なことはさせたくないよ……

 でも、お姉ちゃんとしては弟君にはもっといろんな経験をしてほしいとも思っているんだ」

 

「アネラスさん……」

 

「こういう経験もきっと弟君の糧になると思うの。むしろこういう剣を振る以外の経験こそ今の弟君には必要なんじゃないかな?」

 

 アネラスの言葉をリィンは考える。

 直前の記憶としてはロレントへ薬の材料を届けに行ったのが新しい。

 手配魔獣の調査を行った時とは比べものにならない緊張感があったし、帰り際に言われたありがとうの言葉に達成感もあった。

 それが剣を振っていただけでは得られなかったものだというのは分かる。

 

「難しく考えなくてもいいんだよ?

 今回のメイベル市長の依頼は、弟君が未熟であることも踏まえての提案だから絶対に無理だからやだっていうなら断っても大丈夫だから。そうですよね?」

 

「ええ、絶対に護衛が必要な状況でもないですから無理強いはしませんよ」

 

 二人の言葉にリィンは考え込む。

 心情としては、爆弾を抱えている自分には護衛なんて勤まるとは思えない。

 しかし、個人的にはこれまで何かと良くしてもらっているメイベルに恩を返す絶好の機会でもあった。

 

 ――自分にはできないと逃げるのは簡単だが、それではいつまで経っても何も変わらないんじゃないかな?

 

 そして思い出したのは先日オリビエに丸め込まされて歌わされた時の言葉。

 

「分かりました。その仕事、請けさせてもらいます」

 

 あの時は屁理屈に押し切られたが、今度はしっかりと自分の意思でリィンはそう言った。

 

「よし、それじゃあ弟君。これから勉強だね」

 

「え……?」

 

「付け焼刃でも知識を知っておくことは大切だし、最低限の護衛のやり方を覚えてもらわないと、逆に周りを不安にさせちゃうからね」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 言う事は当然の内容だった。が、にこやかに笑うアネラスにリィンは場違いにもユン老師の顔を思い出していた。

 

 

 

 

 海港都市ルーアン。

 リベールの西に位置し海に面した都市。

 以前は海の窓口として栄えていたのだが、飛行船の発達により海運業は減少し、十年前の百日戦役の影響でエレボニア帝国との貿易も冷え込んだため、近年は産業を中心とした観光業が盛んになっている。

 飛行船から降りたリィンが最初に感じたのは潮の香りだった。

 

「この匂いは……」

 

「あら、リィン君はもしかして海を見るのは初めて?」

 

「ええ、ユミルは山奥でしたから海をこんなにまじかで見るのは初めてですね」

 

 海の青さと建物の白さがコントラストになった美しい情景にリィンは目を細める。

 

「ふふ、それは連れてきた甲斐があったわね……

 色々と見所の多い街なのよ。すぐ近くには灯台のある小公園もあるし、街の裏手にある教会堂も面白い形をしてるの……

 それにやっぱりルーアンの一番の見所は『ラングランド大橋』かしら?」

 

「ラングランド大橋、ですか?」

 

「こちらの北街区と南街区を結ぶ大きな橋でね。巻き上げ装置を使った跳ね橋になっていて一日に三回、真ん中から跳ね上がる光景は見応えがあるわよ。せっかくだから――」

 

「お嬢様、観光をしていては学園祭が終わってしまいますよ」

 

「わ、分かってるわよリラ。それじゃあリィン君、荷物をホテルに預けて行きましょうか?」

 

「はい……」

 

 一泊二日にしてはいささか多い彼女達の大きな鞄を持ってリィンは歩き出す。

 荷物をルーアンのホテルに預けてメーヴェ海道に出る。

 白い砂浜に寄せては引く波。

 初めて見る海の砂浜に意識が持っていかれるが、すぐにリィンは周囲を見回した。

 

「意外と人が多いですね」

 

 お祭りと言っても、学生主催のものだからこじんまりとしたものを想像していたのだが、その予想に反して多くの人たちが海道を歩いていた。

 

「ジェニス王立学園はリベールで最も大きな学園だから、その卒業生は各界で活躍する有名な著名人も多いのよ……

 それに王家の出資もあって運営は安定しているからそれなりに有名だし、少し前には帝国の留学生も通っていたのよ」

 

「たしかメイベル市長もそこの学園の卒業生だったんですよね?」

 

「ええ、学園祭には毎年来ているけど、やっぱりあの頃は懐かしいわね。帝国にはそういう学園はないの?」

 

「俺が知っているのだとトールズ士官学院が有名ですかね。あとは俺の妹が通う予定の聖アストライア女学院というものもあります」

 

 会話をしながらも、リィンの意識は外側を警戒していた。

 特に、後ろを歩く二人。

 

「ボクらの前には、楽園が、待っている~♪」

 

「さぁ、手をとって波打ち際に走り出そう~♪」

 

「白いボートであの島目指そう♪」

 

「魅惑の日焼け跡~♪」

 

「パラソル、ヤシの木、かき氷~♪」

 

「君が居る場所、そこがボクの楽園~♪」

 

 派手なシャツに鼻髭をつけたサングラスを着けてウクレレをかき鳴らす赤毛の青年。

 その隣をスキップしてついていくのは水色の髪の女の子。

 一見すれば似てない兄妹だが、二人のそれに似たノリだった。

 まだ街道だというのにメチャメチャにお祭り気分を満喫している二人は周囲から集まる視線を気にも留めない。

 見たところ武器の類は持っていないようだが、彼のまとう空気が誰かを想起させるため自然と警戒してしまう。

 しかしリィンの警戒は空しく、何事もなく林道を抜けた。

 

「ここがジェニス王立学園か」

 

 開かれた鉄の門を通るとそこには歴史を感じさせる校舎があった。

 旗や垂れ幕で飾られた装いは学生が主導の祭りとは思えないほどによくできている。

 

「さ、早く受付を済ませてしまいましょ」

 

 メイベルに促されて校門の脇に備え付けられたテーブルに向かう。

 

「メイベル市長。今年もいらしてくれたんですね」

 

「ええ、クローゼさん。今年もよろしくね」

 

 受付の少女と挨拶を交わしている横でリィンも名簿に名前を書く。

 

「あ……?」

 

「どうかしましたか?」

 

 短い髪の少女がそれを見て声をもらす。

 何かおかしなところがあっただろうかとリィンは首を傾げると、少女は丁寧な仕草で頭を下げた。

 

「すいません。知り合いによく似た名字の人がいて、少し驚いてしまいました。武器をお預かりしますね」

 

「ああ、そういうことでしたか。お願いします」

 

 少女の反応に納得して、リィンは太刀を預け、代わりに番号札をもらう。

 これでひとまずの仕事は終わる。

 学園内の警備はルーアンの遊撃士が担っているので、学園の中でまで護衛をすれば彼らの邪魔をすることになるのでリィンの仕事はここで一区切りとなる。

 

「こちらが冊子になります。学園祭、楽しんでいってください」

 

「ありがとうございます」

 

 冊子を受け取り、リィンは後ろの人に場所を譲る。

 

「ようこそ、ジェニス王立学園、学園祭へ。名簿の記入をお願いします」

 

「はいはいっと」

 

 リィンと交代して先程の怪しい鼻メガネをつけた青年と女の子が受付をする。

 見るからに怪しい青年なのに、受付の少女はどこか諦観を感じさせるため息を吐き――

 

「レク・ターランドールさんとミリアムちゃんですね。楽しんでいってください」

 

 あろうことか、簡単に受け入れていた。

 

 ――いやいや、それはまずいだろ……

 

 リベールの人たちは大らかな気風の人が多いことは分かってはいたが、流石にそれを見過ごすのはどうかと思う。

 

「あの……クローゼ先輩。今の人、いいんですか?」

 

 流石におかしいと感じた隣の受付の子がおそるおそるといった様子でその少女に話しかける。

 

「うん……ああいう人だからこれくらいのことでいちいち気にしていたら疲れるだけだよ」

 

「あ、クローゼ先輩のお知り合いだったんですか?」

 

「…………え?」

 

 その指摘に少女は虚を突かれた様に目を丸くする。

 少女はゆっくりと名簿に書かれた名前を見直して、すでに歩き出した青年と女の子の背中を見る。

 

「ねーねーレクター。ボクアイス食べたい」

 

「馬鹿っ! しーっ! ここでは俺のことはレクって呼べって言っただろっ!」

 

 そんなやり取りをした後、その青年はゆっくりとこちらを伺う。

 少女は鼻メガネを装着した彼の顔と彼が書いた名簿の名前をもう一度確認して――

 

「あっ!」

 

 声を上げた少女に対して赤毛の青年が走り出した。

 

「あれ? どうしたのレクター?」

 

 そんな彼を追い駆けていく女の子。

 

「えっと……」

 

 取り残された少女はおろおろとうろたえる。

 根が真面目なのか、今の二人を追い駆けたいけど持ち場を離れてはいけないというジレンマに行動を迷っているのが分かる。

 

「ごめん、リチェルここは――」

 

「その必要はないわ」

 

 一言謝って追い駆けようとした少女に待ったがかかる。

 彼女を呼び止めたのは、一人の女性だった。

 それに彼女の背後に無表情でメガネをかけた青年がいた。

 

「ルーシー先輩、それにレオ先輩も。来ていたんですか!?」

 

「ええ、流石に期待はしてなかったんだけど……

 ふふふ……そうよね。あなたはそういう図々しい人だったわよね」

 

「あいつのことは俺たちに任せて、お前は学園祭を成功させることに集中していろ」

 

 怖い笑顔を浮かべて拳を握り締める女性に、無表情なのに威圧感を増している青年。

 二人は先程の赤毛の青年が走り去った後を追って行った。

 

「…………何だったんだ?」

 

「ふふふ、懐かしいわね」

 

 困惑するリィンに対して、メイベルは一連のやり取りに笑っていた。

 

「えっと……不審者なら捕まえるのを手伝った方がいいですか?」

 

「大丈夫よ。あの小さい子は見たことないけど、他の子達は三人ともここの卒業生よ」

 

「え……あの赤毛の人もですか?」

 

「ええ、彼は去年の生徒会長だったのよ」

 

「生徒会長……あれが……」

 

 第一印象はオリビエのような人だったが、他の人たちの様子を見るに在学中はきっと振り回されていたのだろう。

 リベールにもオリビエの同類がいたことにリィンは少しだけ安堵する。

 

「うん、帝国が特別なわけじゃないんだよな」

 

 と、納得したところでリィンはメイベルたちと向き直る。

 

「それではメイベル市長。これからどうしますか?」

 

「そうね……私はまず学園長に挨拶をしようと思っているから、リィン君は先に学園祭を楽しんできていいわよ……

 アネラスさんにもそう言い含められているんでしょ?」

 

「それは……」

 

 注意事項として学園にいる間は護衛をしなくていいとアネラスに言われている。

 

『どうせ弟君のことだから、学園の中でもメイベル市長の傍にいたら気を張り続けるでしょ?』

 

 見事に見透かされてしまっている現状にリィンはため息を吐くことしかできない。

 

「あとで何が楽しかったか、ちゃんと話してもらいますからね」

 

「メイベル市長もアネラスさんと同じで、時々意地悪ですよね?」

 

「あら、これは愛のムチっていうのよ」

 

 と言われても、この賑わうお祭りの楽しみ方などリィンには分からない。

 そこに声がかけられた。

 

「おや、もしかしてそこにいるのはメイベル君かい?」

 

「あらダルモア市長、お久しぶりです」

 

 声をかけてきたのは若いスーツを着た青年を従えた壮年の男性だった。

 メイベルの言葉から推察するには彼がルーアンの市長らしい。

 

「今年は空賊事件があったから来れないのではないかと心配していたんですが、杞憂だったようですね」

 

「ええ、マーケットのみんなに気を使われてしまいましたので」

 

 挨拶を交わすとダルモア市長はリィンを見る。

 

「そちらの子供は?」

 

「初めまして。リィン・シュバルツァーといいます」

 

 頭を下げて挨拶をするとダルモア市長は驚いた様子を見せる。

 

「えっと何か?」

 

「いや、失礼。まさかあのユリア・シュバルツ殿に弟がいたとは知らなかったものでね」

 

「ユリア? 誰ですかそれは?」

 

「む……?」

 

 リィンの言葉にダルモア市長は首を傾げる。

 そんな二人の様子をメイベルが笑う。

 

「クスクス……ダルモア市長。彼は帝国からのお客さんなんです……

 名字は似ていますけど、あのユリア中尉とは赤の他人ですよ。ただリィン君も帝国では貴族の家だそうですけど」

 

「ああ、そうでしたか。ようこそシュバルツァー君。ルーアン市長として君を歓迎させてもらうよ」

 

「ありがとうございます」

 

「ところでメイベル市長はこれから学園長に挨拶ですか?」

 

「はい、その通りです」

 

「私も学園長に挨拶に伺うつもりなので御一緒してもよろしいかな?」

 

「ええ、構いませんよ。それじゃあリィン君、また後でね」

 

「おや、一緒に学園祭を回らないのですか?」

 

「ええ、リィン君は少し人見知りがありますから少しでも同年代の人たちと交流させたいと思いまして、それに私たちの話に付き合わせても退屈にさせてしまいますから」

 

「はは、しかしだからと言って右も左も分からない所に放り込むのはやり過ぎでしょう……

 ギルバート君はここの卒業生だったな。シュバルツァー君に軽く学園を案内してあげてくれるかな?」

 

「分かりました」

 

 ダルモア市長の言葉を受けて、彼の背後に控えていた秘書の格好をした青年がリィンの前に立つ。

 

「ダルモア市長の秘書をしているギルバート・スタインだ。よろしくシュバルツァー君」

 

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 差し出された手に握手を交わす。

 

「それではメイベル市長、予定の時刻で、集合場所はここで良いですか?」

 

「ええ、それじゃあリィン君。また後でね」

 

 ダルモア市長と一緒に校舎へ向かって歩き出したメイベルとリラの背中を見送って、リィンは改めてギルバートに向き直る。

 

「それじゃあ、お手数だと思いますが、よろしくお願いします」

 

「はは、そんなに畏まらなくてもかまわないよ……それじゃあ、僕たちも行こうか」

 

 ギルバートの案内でリィンは学園祭を回る。

 社会科コースで展示されているルーアンの歴史や経済などについて説明を受け、自然科コースでは生徒たちが作ったオーブメントを触ってみたりした。

 一通り回って一般公開されている学食で昼食をごちそうされた。

 

「そういえばシュバルツァー君はルーアンは初めてなのかい?」

 

「ええ、今はボースでお世話になっているんですが、リベールに来たのも初めてなんですよ」

 

「そうなのかい? それじゃあ初めて見るルーアンはどうだったかな?」

 

「綺麗な街だと思いましたね。うちの領地は山なので海も珍しいですし、見るもの全てが新鮮ですよ」

 

「そうか、それは何よりだ」

 

 リィンの感想にギルバートは嬉しそうにする。

 

「それならシュバルツァー君。君は別荘に興味はないかな?」

 

「別荘ですか?」

 

「ああ、ルーアンは今海運業に変わるビジネスとして観光業に力を入れているんだ……

 具体的にはメーヴェ海道を整備してそこを別荘地にしようと考えているんだが、どうかな貴族ならやはり別荘の一つや二つ持っていて当たり前じゃないか?」

 

「いや、そんなこと俺に言われても困ります」

 

「まあ、そう言わずに話だけでも君の父君に話してみてくれないかい?」

 

 言いながらギルバートは名刺をリィンに差し出した。

 

「できれば帝国で宣伝してくれるとこちらもありがたいんだ……

 それにここで会ったのも何かの縁だ。君の父君が欲しいと言うのならいい場所を確保しておくよ」

 

「…………分かりました」

 

 ここで強く拒絶しても相手を不快にさせるだけだと判断してリィンは名刺を受け取る。

 民に寄り添うことを是としている父が別荘などという贅沢をするとは思えないが、彼にとっては宣伝も仕事なのだろう。

 

「興味があれば市長邸に来てくれたまえ、その名刺を出してくれれば市長に面通りできるように計らっておくから」

 

「機会があればそうさせてもらいます」

 

 社交辞令を返して渡された名刺をしまう。

 と、そこにダルモア市長が現れた。

 

「おお、ギルバート君。ここにいたか」

 

「ダルモア市長、どうなされましたか?」

 

「ああ、すまないが君に急な仕事を頼みたくてな。シュバルツァー君、まだ案内の途中なのかもしれないがいいかな?」

 

「ええ、もう大まかな案内はしていただきましたから構いませんよ」

 

「すまないね。それじゃあギルバート君、向こうで詳しい話をさせてもらうか」

 

「はい。それではシュバルツァー君、楽しんでいってくれたまえ」

 

 そうしてリィンは二人と別れて、一人で気の向くままに学園を歩く。

 

「学園か……」

 

 自分もこんな風に立派な学び舎に通い、同い年の友達を作り、笑える日が来るのだろうか。

 

「あまり想像できないな」

 

 苦笑しながらも誰かを探すように歩くリィンは少し落胆していた。

 学園の警備はルーアンの遊撃士たちが担当している。

 もちろん仕事は市街の方にもあるのだから、彼女たちがここにいる保証はない。

 それでももしかしたらと、赤と青の服の男女の姿を人混みの中で探してしまう。

 

「う……」

 

 人の多さに酔ったのだろうか。

 唐突に感じた悪寒にリィンは吐き気を感じる。

 

「一休みするか……」

 

 どこか人気の少なそうな場所はないかと冊子を広げようとして、背後から声をかけられた。

 

「おや、そこにいるのはもしかしてリィン君じゃないですか?」

 

「え……?」

 

 呼ばれた声にリィンは振り返る。

 その瞬間、視界が歪んだ。

 

「覚えていませんか? 以前ボース地方の琥珀の塔であったアルバというものですよ」

 

「……す、すいません」

 

 琥珀の塔といえばヴァレリア湖の近くにあった古代の建築物。

 空賊が潜んでないかとエステルたちと調査をして『力』を暴走させてしまったリィンには忘れたくても忘れられない場所なのだが、目の前の男には見覚えがない。

 

「いえいえ、ぜんぜん構いませんよ。あの時は大変でしたからね……

 ところで顔色が優れないようですが、どうかしましたか?」

 

「っ……!」

 

 近付いてくる男にリィンは咄嗟に飛び退いて距離を取り腰に手を当てる。

 だが学園の受付で太刀を預けていたことを思い出してリィンは狼狽する。

 

「えっと……すいません。何か不快にさせてしまいましたか?」

 

 人の良さそうな顔を申し訳なさそうにして謝る彼に吐き気は一層に強くなる。

 根拠は一つだけ、確証なんてどこにもないのだが、気付けばリィンは尋ねていた。

 

「…………お前が空賊事件の黒幕か?」

 

 その一言で目の前の男の雰囲気が変わった。

 

「ほう……」

 

 たったその一言の呟きにリィンは膝が折れそうになるほど震える。

 

「私の暗示は完璧だと自負しているのだが、どうやって記憶を取り戻したのか聞いてもいいかね?」

 

「記憶を……取り戻したわけじゃない」

 

 会話を続けながらリィンはこの状況を打開する方法を必死に考える。

 

「俺の中にある焔がお前を斬れって、お前は敵だって騒いでいる……根拠はそれだけだ」

 

「くくく……まさか君が忌み嫌う『鬼の力』の感覚を信じるとは思ってもみなかったよ」

 

「え……?」

 

 そう言われてリィンは虚を突かれたように呆けた。

 その虚をついて彼は無造作にリィンとの間合いを詰めた。

 

「くっ……」

 

 咄嗟に動こうとするが、身体は金縛りにあったように動かない。

 

「君をここで消すのは簡単だが、まあ安心したまえ」

 

 腹黒く笑う男は手でリィンの目を覆い、視界を塞ぐ。

 

「君は幻焔計画の駒候補。それに……フフ……ヨシュアの当て馬にちょうどいいかもしれないな」

 

 ――こいつがヨシュアさんの闇かっ!?

 

 そう気付いても指一つ動かすことができず、パチンっと指を鳴らす音でリィンの意識は遠のいた。

 

 

 

 

「あれ……そこにいるのはもしかしてリィン君?」

 

「え……?」

 

 ベンチに座って一息ついていたリィンは呼ばれた声に振り返って驚いた。

 

「……エステルさん、それにヨシュアさん? あれ……?」

 

 リィンはベンチに座っている自分におかしさを感じた。

 しかし、その違和感が具体的に何なのか分からず、大したことではないと割り切った。

 

「何でリィン君がルーアンにいるの!?」

 

「落ち着いてエステル」

 

 驚き声を上げるエステルをヨシュアが宥める。

 

「久しぶりだね。リィン君、なんだか見違えたよ」

 

「それはこっちの台詞ですよ。どうして二人がこの学園の制服を着てるんですか? もしかして生徒に扮して警備ですか?」

 

「違う違う。実はあたしたち、学園祭でやる演劇の手伝いをすることになったの」

 

「それで学園の好意で開催まで一生徒としてお世話になってたんだよ。そういうリィン君はどうしてここに?」

 

「実は――」

 

 リィンはエステルたちにことの経緯を説明した。

 

「へえ……メイベル市長の護衛か……」

 

「って言っても、ただの虫除けですよ」

 

「謙遜することはないよ。例えそうだとしても、その仕事を任されるだけの信頼をボースで築いたのはリィン君の頑張りなんだから」

 

「はは、ありがとうございます」

 

 正面から褒められてくすぐったいものを感じながらリィンは礼を言って、二人の後ろにいる見覚えのある少女に意識を向ける。

 

「ところで……」

 

「ああ、紹介するね。この子はクローゼって言って、ルーアンに来て友達になったの」

 

「受付の時に会いましたね。私はクローゼ・リンツといいます……

 確かリィン・シュバルツァー君、でしたよね?」

 

「ええ、そうですけど。よく覚えてましたね?」

 

 リィンにとっては自分が言葉を交わした一人の受付だが、彼女にとってはたくさんのお客の内の一人でしかない。

 

「ふふ、リィン君の名前はリベールだと気にする人は多いと思いますよ」

 

「あ、もしかしてユリアっていう人のことですか?」

 

 リィンの言葉にヨシュアが頷く。

 

「うん。王国軍王室親衛隊中隊長ユリア・シュバルツ中尉。国内外、両方に熱狂的なファンがいる有名人だね」

 

「何だか肩書きだけで偉い人だって分かりますね」

 

 そして彼女が言わんとしたことも理解できた。

 

「生憎ですが俺は帝国人なんでその人とは縁もゆかりもないと思いますよ。仮に遠縁だったとしても俺は養子ですから」

 

「え……」

 

 できるだけ軽く言ったつもりだったのだが、クローゼはそれを聞いて表情を曇らせる。

 失言だったと察して、リィンはすぐに別の話題を振った。

 

「そういえば、さっきの不審人物はどうしたんですか?」

 

「あ……」

 

 リィンがそう尋ねるとクローゼは困った顔をする。

 

「不審人物って、どういうことリィン君」

 

 祭りで緩んでいた顔を引き締めてエステルが尋ねる。

 

「ち、違うんです。エステルさん……その……彼は確かに怪しい格好していたんですけど……

 実はあの人この学園の先輩で、生徒会長をしていた人なんです」

 

「生徒会長って、本当だったんですね。あれが生徒達の長って大変だったんでしょうね」

 

「あれって酷い言い様ねリィン君。この学園の人たちはみんな真面目で良い人たちばかりなんだけど」

 

「エステルさんたちに分かるように言うと、すっごくオリビエさんと気が合いそうな人でした」

 

「それは……」

 

「なんというか……リベールにもそんな人がいたなんて驚きだね」

 

「むしろ俺は安心しましたよ。ああいう例外はどこの国にもいるんだって――」

 

「あ、その先輩は帝国からの留学生で――」

 

「すいませんでしたっ!」

 

 クローゼの言葉を遮って、リィンは即座に頭を下げていた。

 オリビエといい、先程のレクターといい、同じ帝国人として顔から火が出るほどに恥ずかしくなる。

 

「あ、頭を上げてください。レクター先輩には確かに在学中はいつも迷惑かけられっぱなしでしたけど……」

 

「在学中……いつも……つまり毎日……?」

 

 レクター氏がどれほどものかはリィンには分からないが、今日のような奇行とオリビエの奇行から想像してみて――

 

「本当にすいません。うちの国の馬鹿たちが本当にすいません」

 

「クローゼ、苦労してたんだね」

 

「ええっ!? リィン君!? エステルさん!? ちょっとやめてくださいこんなところで」

 

 より深く頭を下げるリィンと涙ぐんでクローゼの頭を撫でるエステルに、当のクローゼはうろたえる。

 

「僕から言わせてもらうとオリビエさんやそのレクターって人が帝国でも珍しいから誤解しないでね」

 

「えっとそのオリビエさんと言う方がどんな人か存じませんが……リィン君も苦労しているんですね」

 

 クローゼに同情的な眼差しを受けて、リィンはなんとも言えないシンパシーを彼女に感じた。

 とりあえず一息吐いて、頭を冷ましたリィンはエステルたちが学園にいる理由を思い出し、尋ねた。

 

「そういえば、二人とも演劇に参加するんでしたよね?」

 

「うん、最初は裏方をやると思ってたんだけど、何故か主役の騎士とお姫様をあたしとヨシュアがやることになっちゃたんだ」

 

「へえ、エステルさんとヨシュアさんのお姫様と騎士ですか……それは楽しみですね」

 

 演劇に興味はなかったが、二人が出るなら観ない理由はない。

 

「そうだ。もしよければこれ使いますか?」

 

 リィンはオーバルカメラをエステルに差し出した。

 

「え……? これどうしたの?」

 

「ギルドで使っていた古くなったものをいただいたんです。これで家族に写真をとって手紙と一緒に送るといいって」

 

「そんなの借りちゃってもいいの?」

 

「カメラは手配魔獣の調査にも使ってますから大丈夫ですよ……

 予備の感光クォーツも渡しますから、好きに使ってください。というか、先にここで三人の写真を撮りましょうか?」

 

 エステルは一度自分の制服姿を見下ろしてから頷いた。

 

「……うん。お願いしようかな。いいよねヨシュア、クローゼ?」

 

「うん、もちろん」

 

「はい。喜んで」

 

 学園の校舎をバックにしてリィンは三人の写真を撮って、そのままオーバルカメラをエステルに差し出す。

 

「ありがとうリィン君。劇が終わったら返すから」

 

 喜んでカメラを受け取るエステルだが、何故か顔を引きつらせてヨシュアが拒んだ。

 

「えっと……エステル……できれば僕は遠慮したいんだけど」

 

「何言っているの、ヨシュアだってすっごく似合ってたんだから恥ずかしがらなくていいじゃない」

 

「ええ、恥ずかしがることはないと思いますよ」

 

 騎士の鎧を纏ったヨシュアを想像してみてリィンはエステルの意見に賛成する。

 元々、整った顔立ちをしているのだからさぞ絵になる姿だろう。

 それにお姫様のドレスを着たエステルの姿も楽しみだ。

 

「はぁ……」

 

「あはは……」

 

 深々とため息を吐くヨシュアと苦笑を浮かべるクローゼにリィンは首を傾げる。

 と――

 

『……連絡します。劇の出演者とスタッフは講堂で準備を始めてください。繰り返します――』

 

「そっか……もうそんな時間なんだ」

 

「はい、衣装の準備をしたら開演になると思います」

 

「はあ……正直今でも気が重いよ」

 

「意外ですね。ヨシュアさんでもやっぱり緊張するんですか?」

 

 むしろ緊張に固くなるのはエステルの方だと思っていたので、常に冷静沈着なヨシュアがそんな顔をするとは思わなかった。

 

「緊張っていうか……うん、まあ似たようなものかな」

 

 言葉を濁すヨシュアにリィンは首を傾げる。

 

「それじゃあリィン君。あたしたちはもう行くから、劇ちゃんと見に来てよね」

 

「はい。楽しみにさせてもらいます……

 エステルさん、ヨシュアさん。それからクローゼさんも、頑張ってください」

 

 激励の言葉でリィンは三人の背を見送った。

 

 

 

 

「だいぶ混んできたな」

 

 エステルたちと別れたリィンは少し時間を潰してから講堂へ向かった。

 

「早めにきて正解だったな」

 

 どんどん席が埋まっていくのを見て、リィンは一息吐く。

 

「せんせいっ! こっちにごこあいてるよ」

 

 と、すぐ横で子供が舌足らずな声を上げた。

 何気なく声の方を見ると小さな女の子がはしゃいだ様子で手を振っている。

 しかし、女の子が指しているのはリィンの隣から空いている席が四つ。

 

「ばか、ポーリィ。ちゃんと数えろよここは四つしかないだろっ!」

 

 帽子の男の子が女の子を怒る。

 女の子に呼ばれてきたのは優しげな女性が一人と三人の子供たちだった。

 全員で五人の大家族。にしては女性と子供たちは似ていない。

 それでも一目で彼女たちが家族なのだと分かる。

 リィンは苦笑して、席を立った。

 

「よろしければ、どうぞ」

 

「え……でも……」

 

「自分は構いませんよ。今からまとまった席を見つけるのも難しいでしょうから使ってください」

 

 女性と子供たちに席を譲ってリィンは別の席を探して歩き出す。

 が、入口近くの壁際に一人たたずむ男を見つけて足を止めた。

 銀髪に象牙色のコート。

 別に怪しい素振りをしているわけではないのだが、不思議と目が離せない。

 

「わっ!?」

 

 立ち止まっていると、リィンの背中に誰かがぶつかった。

 

「っと、すいません。ぼーっとしてて」

 

 たたらを踏みながらリィンは振り返るとそこにはレクターと呼ばれていた青年と一緒にいた水色の髪の女の子がいた。

 周囲には赤毛の青年の姿はないようだった。

 

「ううん。ボクの方こそごめんね。ところでこれからここで何が始まるの?」

 

「ああ、今から演劇が始まるんだ」

 

「ふーん……えんげきって何?」

 

「うーん……本に書かれているお話を舞台の上で登場人物になりきって観客に見せるお芝居って言えば分かるかな?」

 

 できるだけ噛み砕いて説明してみるとそれで伝わったのか、女の子は目を輝かせる。

 

「何それおもしろそう! ボクも出れるの?」

 

「残念だけど、ここの生徒たちの出し物だから君は出れないよ」

 

「なーんだ……でも、見ていいんだよね?」

 

「それはもちろん」

 

 と言った所で講堂にアナウンスが入る。

 

『大変お待たせしました。ただ今より、生徒会が主催する史劇『白き花のマドリガル』を上演します……

 皆様、最後までごゆっくりお楽しみください……』

 

 アナウンスが終わると、講堂の照明が消えて行く。

 

「まずいな……君、こっちに」

 

 今から席を探す余裕はなさそうだった。

 リィンは女の子の手を取って、講堂の入口近くの壁際に誘導する。

 そこは図らずも先程見かけた銀髪の男の隣だった。

 

「隣、失礼します」

 

「ああ」

 

 一応声をかけてみるが、返ってきた言葉は素気なかった。

 が、リィンは特別気に留めないで女の子に話しかける。

 

「ここから見えるかい?」

 

「うーん、ちょっと無理かな?」

 

「何だったら肩車でもしようか?」

 

「カタグルマ? 何それ導力車の仲間?」

 

「違う違う。俺の肩の上に座ることだよ。お父さんとかにしてもらったことはないかな?」

 

「うーん、お父さんみたいな人はいるけどそんなことしたことはないかな」

 

「あ……」

 

 その言い方に女の子の家庭環境を想像してリィンは顔を曇らせる。

 が、そんなリィンの反応など気にせず、女の子は楽しそうに笑う。

 

「でもなんか面白そうっ!」

 

 言うやいなや、女の子はリィンの背中に回りこみよじ登り、あっという間にリィンの肩に座る。

 

「おー、がーちゃんよりも高くないけどこれはこれで面白いかな」

 

「これから俺は伸びるんだよ」

 

 言外に小さいと言われたような気がして、ムッとしながらもリィンは反論する。

 

「そういえばお兄さんの名前は?」

 

「ああ、名乗ってなかったな。俺はリィン・シュバルツァー。君は?」

 

「ニシシッ! 僕はミリアム。ミリアム・オライオンだよ」

 

 

 

 

 講堂の照明が落ちて、劇が始まる。

 演目は『白き花のマドリガル』。

 まだ貴族制度が残っていた頃の王都を舞台にした物語。

 平民の騎士オスカーと貴族の騎士ユリウス。

 そして花の様に美しい王家の姫君セシリアとの恋物語……なのだが……

 

「あはは、何あれ? 男の人が女の人の格好してるよ!」

 

 演劇中だというのに声を上げて笑うミリアムだが、それを咎める者は誰もいない。

 むしろミリアムの言動は誰もが思っていた感想だった。

 物語はセシリア姫の背中越しからの独白から始まった。

 背姿しか見えてないが、長い髪は黒髪でエステルのものではなかった。

 次いで出てきたメイドに観客達は息を飲み、次の瞬間ミリアムのように笑いに包まれた。

 

「どうやら男女の配役を逆にした劇みたいだな……」

 

 そうなるとヨシュアがあれほど写真を撮られるのを嫌がった理由が遅まきながら理解できた。

 そしておそらく、今背中を向けている黒髪に白いドレスを着た姫こそが――

 

『ああ、わたくしは……どちらを選べばよいのでしょう……』

 

 振り返った姫の姿に先程とは違った沈黙が客席に満ちる。

 男が演じているとは思えないほどの可憐な姫君に誰もが言葉を失ってしまう。そんな中――

 

「っ……カリン」

 

 驚愕した声にリィンは視線を送ると、先程の銀髪の男が大きく目を見開いていた。

 しかし、動揺をすぐに抑え込んで無表情に男は舞台に集中する。

 

「ねえねえリィン。あれも男の人なのかな?」

 

 ぺしぺしと頭を叩いてくるミリアムにリィンは苦笑する。

 

「ああ、あの人は俺の知り合いでね。紛れもなく男だよ」

 

「ふえー全然そう見えないや」

 

 感心するミリアムにリィンは彼には悪いが、全面的に同意だった。

 劇が進む。

 セシリア姫としてヨシュアが出てきたのに対して、エステルは男の騎士役として赤い騎士服をまとった貴族の騎士ユリウス。

 もう一人の蒼い騎士服をまとった平民の騎士オスカーは先程会ったクローゼが演じていた。

 仲のいい、幼なじみだった三人は勢力争いに巻き込まれ、ついには姫を巡って二人の騎士が決闘することになる。

 騒いでいたミリアムはいつしか息を飲んで、劇に集中していた。

 

『次の一撃で全てを決しよう。自分は……君を殺すつもりで行く』

 

『オスカー、お前……わかった……私も次の一撃に全てを賭ける』

 

 蒼騎士と赤騎士が迫力のある剣戟の攻防の末に、それぞれ必殺の構えを取る。

 

『はああああああああああッ!』

 

『おおおおおおおおおおおッ!』

 

 そして剣が交差する。その瞬間――

 

『だめ――――――――っ!!』

 

 幼なじみの決闘を身を挺して止めようとしたセシリア姫は二人の剣に貫かれて命を落としてしまう。

 

「うぐっ」

 

 セシリア姫の今際の際のセリフに銀髪の男が胸を押さえて呻いた。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「問題ない。あまりの迫真の演技に当てられただけだ」

 

 心配になって声をかけてみるが、返って来たのはやはり無愛想な言葉だった。

 だが気持ちはよく分かる。

 目の良いリィンは今際の際のセシリア姫の表情を見て取れる。

 満ち足りたような儚げな笑みを浮かべ、セリフを途切れ途切れにして演じる様は真に迫っている。

 彼ではないが、涙ぐむ音が講堂のいたるところから聞こえてくる。

 

「あっ! リィン見て見てっ!」

 

 姫の死を嘆き悲しみ、ようやく自分達の過ちに気付いた人々の前に全てを見ていた空の女神が舞い降りる。

 人々の後悔と心からの懺悔を空の女神は聞き届け、女神は奇跡を起こした。

 女神の奇跡で蘇ったセシリア姫は決闘の勝者を譲られた蒼騎士と口付けを交わす。

 そして赤騎士が声高らかに締める。

 

「空の女神も照覧あれ! 今日という良き日がいつまでも続きますように!」

 

「リベールに永遠の平和を!」

 

「リベールに永遠の栄光を!」

 

 舞台には役者が並び立ち、幕が下りていく。

 拍手喝采が観客席に鳴り響く。

 

「あははっ! すごいすごいっ!」

 

 リィンの頭の上で興奮した様子でミリアムも両手を叩く。

 その姿にリィンは苦笑して――

 

「フフ……やはり最後は大団円か。だが……それでいい」

 

 先程の青年がそんなことを呟いて、まだ拍手が鳴り止まない講堂から一人で出て行った。

 その後姿をリィンはなんとなしに見送り、出て行った彼と入れ違いで赤毛の青年が講堂に入って来た。

 

「おうおう、こんなところにいやがったか」

 

「あ、レクター。見て見て、ボクレクターより大きいよっ!」

 

「ちょミリアム、そこで暴れないでくれ」

 

 動くミリアムにリィンはバランスを取ろうと腹筋に力を入れる。

 そんな動きがまた楽しいのか、歓声を上げてミリアムは喜ぶ。

 

「おいおい、ガキンチョ。あんまり人様に迷惑かけんなよ」

 

「ぶーぶーガキンチョ言うなっ!」

 

「ほれ、とりあえず降りてやれ」

 

「しょうがないか、とうっ!」

 

 ミリアムはリィンの肩に立ったかと思うと、声を上げてジャンプした。

 くるりと身軽に一回転して着地を極める。

 

「さて、それじゃあ帰るか?」

 

「ええ、もう?」

 

「文句を言うなって、勉強サボって勝手について来たくせに」

 

「だって毎日勉強ばっかでつまんないんだもん」

 

「はっはっはっ、勉強とはそういうもんだよミリアム君……

 俺もこの学園に通っていた頃は二度寝や昼寝の誘惑に負けず真面目に勉学に勤しんでいたんだぞ」

 

「あらレクター、嘘はいけないわよ」

 

「お前が授業を真面目に受けていた日などほとんどなかったぞ」

 

 と、そこに今朝彼を追い駆けて行ったはずの二人が現れる。

 

「あっれー……俺の予想だと二人は旧校舎の方に行ったはずなんだけどな」

 

「あれは行ったふりをしたのよ。あなたのことだから生徒会主催の演劇に必ず来ると思っていたわよ」

 

「ふっ……読まれていたか。俺もまだまだだな」

 

「今度は手錠なんて半端なものは使わないわ。手足をまとめてロープでぐるぐる巻きにして木に吊るしてあげるから」

 

「おいおい、それでまさか俺をサンドバックにするつもりじゃないだろうな?」

 

「ふふふ、とりあえずレクター一発、ううん……十発くらい殴らせなさい」

 

 女性がレクターに掴みかかろうとしたその瞬間、劇が終わって退出を始めた観客の流れがレクターを飲み込んだ。

 

「しまった」

 

 女性が己の失策を悟るものの、人の流れが途切れた時にはもうレクターはそこにいなかった。

 

「ああもう、今日こそは追いついたと思ったのに」

 

「まだ遠くに行ってないはず。嘆くのは後だ」

 

 悔しそうにする女性に対して、男は冷静に状況を判断して先程の人の波を追い駆けた。

 それに女性も続く。

 

「えっと……」

 

 状況に完全に置いて行かれたリィンはなんとも言えない気持ちになる。

 

「学校って大変なんだな」

 

「ニシシッ! でもなんだかレクター楽しそうだったよ」

 

「からかっている本人からしたら楽しんだろうさ。君はあんな風に人を困らせるような人間になっちゃいけないよ」

 

「うん。クレアにも同じこと言われてるからだいじょーぶ」

 

「…………なんだろう。そのクレアさんっていう人と仲良くなれそうな気がするよ」

 

 あのレクターとこの無邪気なミリアムを同時に相手にしているだろうそのクレアさんにリィンは思わず同情してしまう。

 

「それじゃあボクもそろそろ行くね。また何処かで会えると嬉しいな。バイバイ、りーちゃん!」

 

「え……おい!」

 

 唐突に別れを告げたかと思うと、ミリアムは講堂から駆け出していった。

 思わず伸ばした手を引っ込めて、リィンはその手で頬をかく。

 

「りーちゃんって俺のことか?」

 

 今度会ったときには何がなんでも訂正させると、リィンは決意を固めるのだった。

 

 

 

 




 ギルバート
「くくく……帝国の、それも貴族とこんなところで出会えるとは何という僥倖……
 ボース市長は元は商人の娘だったと聞くから、シュバルツァー家というのもそれなりの資産を持つ貴族なのだろう……
 (シュバルツァー家は民に寄り添い、質素な生活を好む)
 それにこれを足がかりにすれば帝国の他の貴族とも交流が得ることができる……
 (シュバルツァー家は他の貴族から疎まれていて、社交界には基本的に参加しない)
 これは女神も僕に出世しろと言っているに違いない……
 (名刺を渡した相手はがっつり遊撃士の関係者)
 はーはっはっは!」




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