(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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115話 合宿開始

 

 

「それじゃあエリゼ。今度会う時は春季休暇の時だな」

 

「むう……」

 

 ユミルの麓の駅に見送りに来たリィンの言葉にエリゼは頬を膨らませる。

 

「そんな顔しなくてもすぐに会えるだろ?」

 

「でも兄様、試験が終わったらすぐにクロスベルに行ってしまうつもりなのでしょ?」

 

「それはまあ……あまりレンを待たせるのも悪いからな」

 

 そう答えるとますますエリゼはむくれてしまう。

 

「フフ……いかんなリィン君。妹とはいえ、女性の前で他の女性の名前を出すのは感心しないな」

 

「そんなものですか?」

 

 ギリアスの助言に振り返りリィンは首を傾げる。

 遠回しにエリゼがそれを話題にしてきたのだからその限りではないと思うのだが。

 

「オズボーン宰相の言う通りです……ようやく帰って来てくれたのに……」

 

「それは悪いと思っているんだけどな」

 

 不安に瞳を揺らすエリゼの頭をリィンは優しく撫でる。

 《リベールの異変》からすぐに帰ってこれなかったことで、エリゼに多大な心労を掛けてしまったことは申し訳なく思う。

 

「分かっています……必要なことなんですよね……

 士官学院に進学することも、クロスベルへ行くのも」

 

「ああ」

 

「でしたら、私が口を挟むことはしません……ですが、決して無茶だけはしないことを約束してください」

 

「ぜ、善処はする」

 

 これから先の戦いを想像してリィンは約束はできないと考え誠意を取り繕う。

 そんな兄にエリゼはため息を一つ吐くだけで、文句を呑み込んだ。

 

「それでは兄様、受験勉強頑張ってください」

 

「ああ、エリゼも殿下達によろしく」

 

 別れの挨拶を交わし、エリゼは憲兵隊員に案内される形でアイゼングラーフ号に乗り込む。

 そしてリィンはギリアスに向き直る。

 

「申し訳ありません。オズボーン宰相、本来なら父が見送るべきなのに」

 

 シュバルツァー男爵家の当主であるテオはその場にはいない。

 本来ならリィンではなく彼が宰相を見送るべきなのだが、突然腹痛を訴えてリィンが見送ることになった。

 

「何、構わんさ」

 

 寛容なギリアスの言葉にリィンは胸を撫で下ろす。

 本来なら妹との別れの言葉を交わすことなど二の次にしないといけないはずなのだが、ギリアスはむしろ自分など気にしないでいいとリィン達を促した。

 

「ふむ……君といい、エリゼ嬢といい、よくできた子供たちだ」

 

「勿体ない御言葉です」

 

 待たせてしまったはずなのに、全く気を悪くした素振りも見せないギリアスにリィンは恐縮する。

 

「時にリィン君……君は…………その……」

 

 ギリアスは鉄血宰相の異名を忘れたかのように言い淀む。

 しかし、覚悟を決めギリアスは厳しい眼差しをリィンに向けて尋ねた。

 

「君は将来の伴侶についてどう考えているのかね?」

 

「え……?」

 

「いや、帝国宰相として気になってな……

 クローディア殿下とも仲睦ましい様子だったのだが彼女とはそういう仲だったのかな?」

 

「いえ、クローディア殿下にはいろいろとお世話になりましたが、そういう関係ではありません」

 

 やはり帝国の宰相の立場からすれば他国の王太女との関係について思うところがあるのだろう。

 そんなことを考えながらリィンは否定する。

 

「それにしては親密なようだったが?」

 

「まあ、お互い情けない部分を見せ合ったりしましたから」

 

「ほう……それは脈があるということかな?」

 

「確かにクローディア殿下は魅力的な女性ですが、今は互いにそんな気持ちになることはないと思います」

 

「それは何故かね?」

 

「これ以上は御勘弁ください。クローディア殿下の私的な事情も含まれますから」

 

「そう言われてしまえば聞くことはできないか……

 しかし、残念だ。流れてしまった彼女とオリヴァルト皇子との婚姻に代わって、両国の友好を示すことができると思ったのだが」

 

「申し訳ありません。ですが、魅力的な女性だということは確かですね」

 

 それこそエステルやアネラスと並べても見劣りするとは思えない程に良い女性だということはリィンはよく分かっている。

 

「では、やはりエリゼ嬢を娶ってシュバルツァー男爵家を継ぐつもりなのかな?」

 

「なっ!? いきなり何を言うんですかエリゼは――」

 

 突然の指摘にリィンは狼狽し、妹と言おうとした言葉をリィンは詰まらせる。

 脳裏に過るのは義理の姉弟から恋人同士になった男女二人。

 彼女たちの関係はある意味でリィンとエリゼによく似ており、思わずその可能性を考えてしまう。

 

「ほう……その様子では脈はあるということか……

 オリヴァルト皇子からは君の婚約者に妹のアルフィン殿下を、と相談されているのだがどうしたものか」

 

「あの人は……」

 

 彼がいつか言っていたことを思い出してリィンはため息を吐き――次の瞬間、蒼褪めた。

 

「どうかしたのかな?」

 

「い、いえ……何でもありません」

 

 そう応えながらリィンは記憶を掘り下げる。

 

 ――あれはいつだっただろうか……

 

 妹を紹介すると言ったオリビエに、リィンは事故物件だと言って拒絶した。

 その時はオリビエがオリヴァルト皇子だということは知らず、彼の妹がまさかアルフィン皇女殿下だとは思いもしなかった。

 皇女殿下を事故物件扱いしたなど知られたらどうなるか、想像するだけで身体が震える。

 

「いや……大丈夫だ……

 あれからだいぶ時間も経っているし、オリビエさんも何も言わなかった。うん、きっと忘れているに違いない」

 

「リィン君?」

 

「何でもありません宰相閣下」

 

 呼吸を整えてリィンは平静を装う。

 

「それとも意中の相手が他にいるのかな? 例えばリベールで出会った黒い髪の子とか」

 

「黒い髪……?」

 

「テオ殿に写真を拝見させてもらったのだが、違うのかな?」

 

 リベールで黒い髪は珍しく、リィンが覚えている中ではヨシュアとキリカ、それからカルナくらいだろうか。

 

「君と同じくらいの子だったが、君の初恋の相手だと酒の席で仰っていたのだが」

 

「父さん……」

 

 自分と同じくらいの歳の黒髪となればヨシュアしか考えられない。

 口の軽い父にリィンは頭を抱えるが、よりによって何故その相手が彼なのかリィンは頭を痛める。

 

 ――いや……でも……

 

 オリビエがそうであったように帝国貴族は男色に走るのは、リィンが知らないだけで普通なのかという嫌な想像をしてしまう。

 現にアルフィンとミュゼはそちらの方に理解を示している。

 さらにはアンゼリカも同性愛者だった。

 

 ――まさかエレボニア帝国は同性愛が認められている国だったのか?

 

 そんなことは聞いたことがないのだが、リィンがこれまで出会った多くの帝国人はその気があり、ミュラーなどの方が圧倒的に少数派なのかもしれない。

 ヨシュアを初恋の相手だと言いふらしたテオも、それを真に受けたギリアスもオリビエの同類の可能性は十分にある。

 

「帝国の宰相としても君が誰を選ぶのか少々気になってな、あくまでも宰相として外交の一つとして気になっているだけだがね」

 

「そうですか……ですが御期待に沿うことはできないと思います」

 

 言葉を慎重に選び、厳つい顔から感じる期待を含んだ目にリィンは警戒心を募らせ、とりあえず誤解を解くことにする。

 

「自分が惹かれた人は閣下が仰る黒髪ではありません……それにもう振られてきましたから」

 

「それは嫌なことを思い出させてしまったな……ところで黒髪の子の名前は何と言うのかな?」

 

 慰めの言葉もそこそこにギリアスは黒髪の子に強い興味を示す。

 

「オズボーン宰相……それを聞いてどうするんですか?」

 

「フフ……個人的な興味だよ」

 

「そう……ですか……」

 

 一縷の希望を願って聞き返した言葉は最悪な答えで返って来る。

 宰相としてならば、《ハーメルの遺児》として気に掛けているのかとも考えることができたのだが、個人的なものなら当てはまらないだろう。

 他人の趣味をとやかく言うつもりはない。

 他人に強要して迷惑をかけない範囲ならそれこそ個人の自由だろう。

 宰相の立場でありながら、結婚していない理由。

 知ってしまった帝国の闇にリィンは目を逸らす。

 

「その人の名前は……ヨ……いやセシリアと名乗っていました」

 

 むしろここでヨシュアの名前を出したらどうなるのか怖くてリィンは彼が劇で演じた時の名前を出す。

 

「セシリアか……」

 

 その答えにほっと胸を撫で下ろすギリアスの心情がどんなものなのかは想像もできなかった。

 

「オズボーン宰相?」

 

「いや、何でもない……すまない。どうやら無理を言ったようだな」

 

 ギリアスは前のめりだった姿勢を直し、それまでのことがなかったように毅然とした態度でリィンに礼を述べる。

 

「さて、それではこの辺でお暇させてもらうとしよう」

 

「はい……」

 

「久しぶりに楽しい時間を過ごせた。テオ殿にそう感謝していたと伝えておいてくれたまえ」

 

「はい、必ず……」

 

「それからセドリック殿下のことはくれぐれもよろしく頼む……時間に都合ができれば一応決闘には立ち会うつもりだが」

 

「分かりました殿下にはそのように伝えておきます。あのオズボーン宰相……」

 

「安心すると良い……エリゼ嬢はちゃんと学園に送り届けよう」

 

「よろしくお願いします」

 

 リィンは頭を下げて、ギリアスはアイゼングラーフ号に乗車する。

 彼が乗ったことで扉は締まり、それから数分。

 おそらくは彼が席に着いた頃合いで駅舎に警笛が鳴り響き、列車は動き始める。

 ゆっくりと加速していく赤い列車を見送り、リィンは父を問い詰めるためにユミルへと戻るのだった。

 幸いなことにテオへの疑惑はすぐに解け、それに伴ってギリアスへの誤解も解けた。

 しかし、リィンはテオが所持していた写真の黒髪の少女――かつてリィンが女装させられた写真というカウンターを食らうことになった。

 

 

 

 

「これは……」

 

 クレアはリィンとセドリックのテスト用紙を前に絶句する。

 基礎学力を判断するものであり、この点数次第で教育の方針を決める指標にするつもりだった。

 

「ふむ……セドリック殿下はほとんど問題ないようだが……」

 

「こりゃ、またすげえ落差だな」

 

 ルーファスとレクターの二人もリィンの答案を見て唸る。

 

「そうですね……社会科や歴史などの知識問題ですから点が取れないのはある程度予測していましたが」

 

 クレアが頷き、問題になる数学や物理学のテスト用紙、途中式のない答えだけ書かれた答案だというのに70点を超える高得点を改めて確認する。

 

「カンニング、なんてこの場でする意味はないよな?」

 

「ええ……むしろこの解答の仕方には覚えがあります」

 

 レクターの感想に頷き、クレアは昔のことを思い出す。

 

「おそらくリィン君は私と同じ力を持っていると思います」

 

 対外的には導力演算機並みの頭脳と呼ばれているが、クレアの能力の本質は《統合的共感覚》と呼ばれる全体と部分を瞬時に把握して答えを導き出す力。

 自分もまたその力が芽生えた当初は時には同じようなことが起こり苦労した。

 

「なるほど、では理系科目に関してはクレア君に任せるのが適任ということになるかな?」

 

「あら、それはどうかしら?」

 

 いつからそこにいたのか分からないレンがルーファスの言葉を否定する。

 

「レンちゃん、それはどういう意味でしょうか?」

 

「ふふ……お姉さんよりレンの方が適任よ……

 それにリィンに勉強を教えて上げるってお姉さんたちよりも先に約束しているんだから」

 

「それは聞き捨てなりませんね……

 貴女が《結社》の執行者、普通の女の子ではないことは認めますが、だからと言って教師役が務まるとは思えません」

 

「そんなことないわ。だってレンは博士号を三つも持っているんだもん」

 

 クレアの反論にレンはあっさりととんでもない答えを返した。

 

「え……?」

 

「化学と数学と情報理論……定期的に論文だって発表しているわ……

 騒がれるのはイヤだから身分を隠して代理人を立てているけど」

 

 事も無げに言うレンにクレア達三人は言葉を失う。

 まだ日曜学校に通っているくらいの歳の女の子が言うにはあまりにも常識外れの言葉だが、そこには嘘を感じさせない確かな自信が含まれていた。

 

「結社《身喰らう蛇》……どうやら我々が思っている以上に底知れない組織のようだね」

 

 そんなレンにルーファスはため息を吐く。

 自他共に認める天才と言われているのだが、ユミルに来たことでその自信がいろいろな意味で揺らいでいる。

 結社の誰と、自己紹介されたわけではないのだがすれ違うだけでもほとんどの者が桁違いだと痛感させられる。

 それはクレアとレクターも同じだった。

 

「そうですか……貴女が普通の女の子ではないことは認めます……

 ですが、だからと言って引き下がるわけにはいきません」

 

「おい、クレア?」

 

 数学や情報理論などの理系分野はそれこそクレアにとっての得意分野。

 ましてや自分と同じ能力を持っているのなら余計に自分が教えたいという欲求が出てくる。

 

「ふふ……それじゃあゲームでどっちがリィンに教えるか決めましょうか?」

 

「望むところです」

 

 一回りも小さい女の子に本気になっているクレアにレクターは呆れる。

 実際は油断ならない相手だということは分かっているのだが、異名を明後日の方へ投げ捨てて熱くなっている同僚の珍しい一面にため息を吐く。

 

「フム……せっかくだ。そのゲーム私たちも混ぜてもらえるかな?」

 

「おい、あんたまで何言っているんだ?」

 

 火花を散らせる女二人の間に臆すことなく割って入ったルーファスにレクターは半眼で睨む。

 

「確かに私たちが教える分野は彼女たちの得意分野ではないが、ならばこの教育係のまとめ役を決めておくのは必要ではないかな?」

 

「ああ、そういうことか」

 

 貴族らしい上下関係を作りたいというルーファスの意見にレクターは納得する。

 リィンやセドリックの進歩状況、得意分野を見極め、授業の全体図を考える役目は確かに必要だった。

 

「フフ……おもしろそうね。レンは良いわよ」

 

「私も異論はありません」

 

「だ、そうだよ」

 

 君はどうするというルーファスの眼差しにレクターは肩を竦める。

 

「いいぜ。学生時代に遊び呆けた俺の実力、とくと見せてやろうじゃないか」

 

 まとめ役などまっぴらごめんだが、ゲームとなればレクターも吝かではない。

 それにクレアのリィンへの執心を見るに、ここで彼女に借りを作ることは後々を考えれば悪いことではない。

 そんな打算を考えながらレクターはゲームに挑むのだった。

 

 

 

 

「そういえばリィンよ」

 

「何ですかロゼさん?」

 

 日課の素振りをしながらリィンはローゼリアの呼びかけに応える。

 

「《鋼》の件で聞くのを忘れておったが、《灰》とはどうやって契約したんじゃ?」

 

「それは……」

 

 その時のことを思い出し、リィンは顔をしかめて素振りの手を止める。

 

「実はその時は無我夢中でちゃんと覚えていないんです」

 

「そうなのか?」

 

「はい……ただ悪魔に魂を売ってでも力が欲しかった……そして気付いたらヴァリマールの中にいたんです」

 

「そうか……ううむ……」

 

「確か、ロゼさんの一族が騎神を管理していたんですよね?」

 

「ああ、そうじゃ。…いや、遺憾なことだが今の妾達は管理できているとは言えないな……

 所在が確認できておるのは《灰》と《緋》の二つのみ、その《灰》もヌシに掠め取られてしまったわけじゃからな」

 

「それは……すいません」

 

 泥棒呼ばわりを甘んじて受け入れてリィンは頭を下げる。

 

「今となっては構わんさ。《鋼の眷属》とも言えるヌシに妾達《焔の眷属》がとやかく言うのはもはや筋違いだろう……

 しかし、今後ヌシと同じ方法で騎神を掠め取る輩がいないとも限らんからのう……

 特に《灰》は妾自身が封印に立ち会った《騎神》であるから、どうしても気になるのだ」

 

「そういうことならレンに聞いてみますか?

 あの子はその時に立ち会っていましたし、外から見ていたから――え……ちょっと待ってください」

 

 不意に言葉を切って目を閉じるリィンにローゼリアは首を傾げる。

 しばらく待つとリィンはなんとも言えない表情になって目を開いた。

 

「今、あの子から……というかあの子が《空の至宝》から事の経緯を聞いたんですけど」

 

「そうか……《鋼》と《騎神》はある意味繋がっておる。それを考えれば契約も……

 いや、しかしヌシが《鋼》を身に宿したのは《灰》を得た後――ん? 《空の至宝》に聞いた?」

 

 さらっと言われた言葉にローゼリアは首を傾げる。

 思わず聞き返しそうになったが、嫌な予感がしてローゼリアは口を噤む。

 

「ロゼさん……」

 

「ああ、すまん。それでいったいどうやって契約が交わされたんじゃ?」

 

「あの子と同じ空間に封印されていた《輝く環》がゴスペルを介して俺の願いを聞き届けて、それをあの子に仲介してくれたようです」

 

「…………うん?」

 

「えっと、つまりですね……

 《空の至宝》が俺の願いを叶えるために力を検索した結果、《鬼の力》が《鋼の至宝》に共鳴したことで繋がりができて《鋼の至宝》が俺の願いを叶えるために《騎神》と契約させてくれたんです」

 

「…………つまり……《空の至宝》が導き手となった?」

 

「そう当てはめて問題ないと思います……

 それから《騎神》の本体は封印されていて《空の至宝》もその時はまだ封印されたままだったので空間転移術は使えなかったので、戦術オーブメントに《騎神》の影を召喚する術式を作ってくれたそうです」

 

「おふっ!」

 

 ローゼリアは堪らずお腹を押さえて後ずさる。

 

「ロゼさん!?」

 

「だ……大丈夫じゃ……大丈夫……」

 

 ローゼリアは額に汗をかきながら立ち上がる。

 

「つまりあれか? リィンはその気になればいつでも《灰の影》を呼び出せるということか?」

 

「あれは戦術オーブメントの機能をゴスペルが強化してくれたからできたものらしいです……

 《影の国》で呼び出せたのも、そこが想念によって作られた世界だったからです」

 

「そ、そうか……」

 

「あ、でもこのマスタークォーツからオーブを作れば影を作り出して分け身の技として使えるようにできるかもしれないですね」

 

「ぐふっ!」

 

 ローゼリアは再びお腹を押さえる。

 

「ロゼさん?」

 

「何でもない……大丈夫じゃ……しかし《騎神》を得てなお上を目指し何処へ行くつもりなのだ?」

 

「何処も何も、アリアンロードさんのアルグレオンにはボロ負けしましたから再戦に向けて俺も強くならないといけないですから」

 

「……待て」

 

 何気なく言われた言葉にローゼリアは更なる胃痛を感じながら問い詰める。

 

「あやつの《銀》と戦ったじゃと!? いったい何処でっ!?」

 

「《影の国》でです……《銀》だけじゃなくて《紫》と《黒》とも戦いましたよ……

 もっとも《黒》は《鬼の力》から作られた写し身の写し身でしたけど」

 

「かはっ!?」

 

 ローゼリアは胃が捩じ切られる痛みを感じながらついに膝を着いた。

 

「ローゼリアさん!?」

 

「フフ……ボロ負けなんてとんでもない……

 その直後に生身でアルグレオンを破壊して見事に打ち勝ったではないですか」

 

「へ……?」

 

「アリアンロードさん」

 

 リィンは話に入ってきたアリアンロードに振り返る。

 

「リ、リアンヌ……今……何と?」

 

「ですから、リィンは私に勝ったと」

 

「あれはアルティナの太刀の想念の力が俺の太刀に宿っていたから勝てたようなものです……今やれば、万に一つも勝ち目はないですよ」

 

「さて、それはどうでしょう」

 

 謙遜するリィンにアリアンロードは含みのある微笑みを浮かべる。

 ローゼリアは知っている。

 一見すれば穏やかな微笑みだが、内心で闘争心を漲らせている時の笑い方だと。

 

「…………空が蒼いのう……」

 

 ローゼリアは考えるのをやめるのだった。

 

 

 

 

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 息も絶え絶えにセドリックは無心に一人、雪が降り積もった渓谷道を走る。

 もっとも走っている気になっているのは本人だけで、その歩みは普通に歩くよりも遅い。

 

「んぐ……はあっ……はぁ……はっ……」

 

 どれだけの時間走ったのかセドリックにはもう分からなかった。

 まだ暗い早朝にオーレリアを交えて行われた《赤い星座》の雪中行軍訓練。

 セドリックは愛用の剣を剣帯に下げているが、猟兵や将軍はそれぞれが巨大な武器を担ぎ、さらにはパンパンに膨らんだ背嚢を背負っていた。

 にも関わらず、山門をスタートした瞬間、あっという間に置いていかれた。

 慣れない雪の上を走ることに四苦八苦している間に、彼女たちはまるで普通の道のように危なげなく駆けていく。

 負けてなるものかとセドリックは彼らの行軍に必死について行ったが、一時間もしない内に彼女たちの背中は見えなくなった。

 

「ぐっ……」

 

 足が滑り、セドリックは雪と泥が混ざった地面に顔から突っ込む。

 

「く……そ……」

 

 すでに先行した彼女たちは折り返し下山し、すれ違ってからだいぶ経つのに未だに折り返し地点と言われた渓谷道の果ては見えてこない。

 

 ――剣が重い……

 

 普段は気にしたこともない剣が今は鉛でできているのかと疑うほどに重く感じる。

 

「もう――っ……」

 

 思わず口に出そうになった弱音を唇を噛んで耐える。

 セドリックの周囲には誰もいない。

 例えそれを呟いたとしても、それを咎め強制送還されることはないのだが、それを口にしたら心が折れてしまうと本能が察する。

 

「まだ……まだ……まだ……」

 

 鞘に納めたままの剣を杖代わりにして、セドリックはまだと呟きながら一歩一歩無心で歩を進める。

 ひたすらに前へと進み、ようやく辿り着いたそこには赤毛の少女が待っていた。

 

「遅いっ! 朝食どころか昼食にも間に合ってないよ」

 

「ご……シャ……」

 

 ごめんなさい。シャーリィさん。と言おうとした口はかじかんで思うように動かなかった。

 もっとも、思考そのものが白く霞んで今にも途切れそうだった。

 意地で進んできた足も折り返し地点に着いただけでまだ帰りの行軍があるというのに膝を着き動きそうになかった。

 

「はあ……しょうがないなあ」

 

 そんなセドリックにシャーリィはため息を吐き、おもむろに近付くと後ろ襟を掴み、その細い腕から信じられない力でセドリックの身体を持ち上げて肩に担ぐ。

 

「それじゃ、帰るよ。もうお腹ペコペコだよ」

 

 そう言った瞬間、シャーリィは駆け出した。

 その速度にセドリックは悲鳴を上げることもできずに目を剥く。

 雪の上だというのに臆することなく、むしろ滑って落ちるような速度で一気に下山する。

 荷物として左右に揺らされるセドリックはそれまでの疲労もあり、意識を手放すのだった。

 そして――

 

「はっ!?」

 

 目を覚ましたセドリックは跳び起きようとして体に力が入らずに無様に転がった。

 

「大丈夫ですかセドリック殿下?」

 

「その声は……クレアさんですか……? すいません、無様な姿――おっ!?」

 

 全身が千切れるように痛みにセドリックは油が切れたブリキ人形のような動作で振り返り、絶句した。

 

「く、く、クレアさんっ!? 何ですかその格好はっ!?」

 

 剥き出しの肩に体に隠すのは白く薄い湯着だけ。

 髪はしっとりと濡れていて肌は温まってほんのりと赤く染まっている。

 

「あわわわ……」

 

 大人の色気を感じさせるその姿にセドリックは赤面して狼狽え、目を手で覆い隠す。

 

「何ですか、と言われても……」

 

 そんなセドリックにクレアは困ったと言わんばかりに苦笑をする。

 

「あ、皇子様。目が覚めたんだ」

 

「シャーリィさ――ん……」

 

 クレアから逃げるように勢いよく振り返るとそこにはシャーリィがいた。

 湯着など邪魔だと言わんばかりに恥じらいもせずに堂々とさらされた鍛え抜かれた体にセドリックは呼吸が止まる。

 

「そのまま大人しくしていてよね」

 

 シャーリィは固まるセドリックに身を寄せるとずぶ濡れの運動着を手に掛け、一息に脱がせた。

 

「シャーリィさんっ!? いきなり何をっ!?」

 

 上半身裸にされたセドリックはようやく再起動を果たして声を上げ、身体を腕で隠しながら後ずさろうとするが、疲労困憊な体は思うように動いてくれない。

 

「何って……温泉に入るなら服を脱ぐでしょ?」

 

 逆に何を言っているんだと言わんばかりの態度にセドリックはようやくここが何処なのか察する。

 

「な……何でおおお温泉にしかもここおおお女湯っ!?」

 

「パパがこのまま放っておいたら凍傷になるから入れて来いって、まあガレスに任せてもよかったんだけど。あたしも入りたかったからついでだよ」

 

 言いながらシャーリィはセドリックのズボンに手を伸ばす。

 

「ちょ、やめ――」

 

 セドリックは残ったわずかな力を振り絞ってシャーリィの手を躱し、這って出口に手を伸ばす。

 と、そこで暖簾を潜ってデュバリィが入って来る。

 

「何ですの?」

 

 デュバリィは騒然とする脱衣所に首を傾げて見回し、セドリックを見つけると心底軽蔑した眼差しでセドリックを見る。

 

「セドリック・ライゼ・アルノール……恐れ多くもマスターに挑むだけに飽き足らず、白昼堂々女湯に侵入するとはなんて不埒なっ!」

 

「ち、違いますっ! 誤解です! 話を聞いてくだ――」

 

「はいはい。抵抗しないの」

 

 弁解をしようと声を上げたところでシャーリィの手がセドリックを捉える。

 

「あ……やめて……やめてくださいっ!」

 

「だだを捏ねない。食べ損ねたランチを早く食べたいから余計な手間をかけさせないでよね」

 

 セドリックを剥いたシャーリィは渓谷道を下山した時のようにセドリックの首根っこを掴んで背負うと無情にもそのまま浴場へと突撃するのだった。

 

 

 

 

 オリヴァルトはレクターからの報告書を読むと息を吐いて空を見上げた。

 

「セドリック……君は僕でも成し遂げられなかった偉業を果たしたんだね」

 

 たった数日で自分を超えた弟にオリヴァルトは一抹の寂しさと、羨ましさを感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 





いつかのヘイムダルIF

 帝国解放戦線と名乗るテロリストに攫われ、薬で眠らされたアルフィンは鍛えられ頼もしさを感じる腕に抱かれながら徐々に意識を覚醒していく。

 ――まるで御伽噺のお姫様になったみたい……

 実際アルフィンは皇女なのだが、物語のような白馬に乗った王子様の存在を信じるほどに夢見がちではない。
 しかし、現実はどうだろうか。

「殿――殿下――アル――アルフィンッ!」

 必死に呼びかけてくれる声。
 悪漢に捕まり、颯爽と助け出してくれた誰か。
 皇女と言ってもまだ幼い少女でしかないアルフィンはこの運命とも思える状況に胸を高鳴らせてゆっくりと目を開く。

「ああ、よかった、アルフィン」

 そこにはおそらく十人中十人を魅了するだろう皇子様の――弟の安堵した笑顔があった。

「………………」

「どうしたのアルフィン?」

「チェンジを要求します」

「ええ!?」


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