白い狼の咆哮がマフィアが従える黒い軍用犬を震え上がらせる。
いくら調教をしても、犬は狼には勝てないと言わんばかりにひれ伏す軍用犬はマフィアの指示を聞かずに蹲る。
「今度こそ終わりだ。器物損壊と傷害容疑、および公務執行妨害であんたたちを逮捕する――」
ロイドは黒服の男たちに宣言した。
狼に囲まれ戦意を喪失し降参したマフィアたちに手錠をかけていく。
それを見守っていた白い狼はふいに顔を上げ、山道の一角に目を向ける。
「うふふ……やっぱり気付かれちゃったか。あの狼さん、何者かしら? 分かるリィン?」
一連の出来事、そして今自分たちを見ている白い狼を興味深そうに眺めながらレンは隣のリィンに尋ねる。
「どうだろうな? 明らかに普通の動物じゃない気配を纏っている……
誰かの《使い魔》か、それとも《女神の聖獣》だったりしてな」
「ふふ……その可能性は高そうね……
リベールには《空》、エレボニアには《焔》と《大地》、クロスベルにはどんな至宝があったのかしら?」
レンは楽しそうに笑い、白い狼からロイド達へと視線を移す。
「それにしてもお兄さんたちも詰めが甘いわね……
狼さん達が助けてくれなかったらどうするつもりだったのかしら?」
「そうだな……ランディさんならあれくらい一人で蹴散らせたはずなのに、どうしたんだろうな?」
「本当ね……クスクス、先が思いやられるわね」
「まあ、これからだろう」
二人の背後から声が掛けられる。
特に気配を消していなかったため、レンとリィンは驚きもせずに振り返る。
「こんばんは、アリオスさん」
「うふふ、貴方も来ていたのね。さしずめ、リィンと同じで彼らの手に余ったら助けるつもりだったのかしら?」
「帝都以来だな。《殲滅天使》レン……君こそ、そのつもりでここにいるのではないか?」
「あら、何のことかしら?」
アリオスの指摘にレンは惚ける。
「まあいい」
そんなレンの言葉にアリオスは苦笑して背中を向ける。
「あら、もう行っちゃうの?」
「ここまで来ればもう安心だろう……本来なら《執行者》である君にも釘を刺すところだが、その必要もないだろう」
「あら、随分とレンのことを信用しているのね?」
「俺が信用しているのはリィンとエステル達だ……それに君に上から説教できるほど、俺もできた人間ではない……
だが、もしも君がこの地に仇なすというのなら、《風の剣聖》の名にかけて君を斬る、それを忘れるな」
そう言い残してアリオスは去って行く。
「レン……」
「ふふ……そんな顔しなくても大丈夫よリィン……
レンが《お茶会》を開かなくてもクロスベルは十分刺激的でしょ?
この上、余計な催し物をするのは無粋というものだわ」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
楽しそうに言い切るレンにリィンはため息を吐く。
「レン……」
「何かしら?」
「ハロルド・ヘイワース氏の自宅の場所が分かった」
「……そう、遊撃士協会に入り込んだのは今日だっていうのに随分と手が早いのね」
「エステルさん達が調べていた跡があったからだ。とても俺の手柄だなんて言えないよ」
もっともエステル達が調べていたのはその先、当時何があったのかを調べているようだったが、流石にその調査経過までは残っていなかった。
付け加えるなら、リィンの意図を察してミシェルがその資料に気付くようにしていた気配もあった。
「君はエステルさんを試そうとしているのか?」
「……さあ、どうかしら?」
曖昧に答えてレンは踵を返す。
「行きましょうリィン……あまり夜更かしするとお爺さんが心配しちゃうから」
「そうだな」
リィンは頷き、最後に眼下のロイド達を一瞥する。
少しの逡巡をしてから、リィンはその視線に殺気を乗せる。だが、ランディ・オルランドはその視線に反応を示さなかった。
「シグムントさんに様子を報告して欲しいって言われていたけど、どうするかな?」
ユミルを発つ時に、シグムントからされた依頼。
もしもランドルフに会うことがあって、リィンの目から腑抜けているように見えたのなら一発喝を入れて欲しいと言われた。
おそらくシグムントが見れば激怒する程に腑抜けているランディの様子にリィンは人知れずため息を吐いた。
*
翌日の早朝。
特務支援課のビルでは白い狼が訪ねている頃、ローゼンベルグ工房に一人の少年が訪れた。
「君は……」
走り込みから帰ってきたリィンは門の前で立ち尽くしている見覚えのある少年を見つけて首を傾げる。
その呟きが聞こえたのか、少年は振り返り――敵意を漲らせた眼差しでリィンを睨む。
「お久しぶりです。リィンさん」
「ああ、帝都以来だなクルト」
激情を抑え込みながらもミュラーの弟にして、セドリックの護衛役のクルト・ヴァンダールは恭しく頭を下げる。
「どうしたんだいったい?」
見たところ彼は一人のようだ。
「こんな早朝に訪ね、このようなことを頼むのは失礼だと重々承知していますが、リィンさん――」
クルトはおもむろに両腰に吊るしていた双剣を抜き、構える。
「僕と手合わせしてください」
尋常ではない覇気を纏わせてクルトはあからさまな敵意をリィンにぶつけ――それと同時に彼の腹が空腹を訴えるように、くうっと鳴った。
「………………」
引き締めた顔に朱が差す。
「…………クルト……」
「これは違います」
微妙な顔をするリィンにクルトは否定の言葉を作る。
「とにかくこれから朝食を作るから、それを食べながら話を聞かせてくれ」
*
しかし、ローゼンベルグ工房の主であるヨルグはクルトを工房に入れることを拒否した。
リィンは仕方なくヨルグとレンの朝食を作ってからクロスベルへ行くことにする。
その道中、リィンの後を歩くクルトは俯いて何も話そうとはしない。
リィンはそんなクルトに話しかけずに、その姿を観察して既視感を覚えた。
すでに誰かと一戦交えた感がある服装に泥だらけの靴。
手荷物は彼の武器の双剣だけ。
他にそれらしい荷物はない。まるで着の身着のまま飛び出したかのような様子にリィンは微妙に居たたまれないものを感じてしまう。
「……家出か……」
虚空に向けて呟いた小さな独り言に、背後のクルトはびくりと体を強張らせて足を止めた。
「どうかしたか?」
何も言っていないのを装ってリィンは振り返る。
「いえ……何でもありません」
クルトは首を横に振って、歩くのを再開して肩を怒らせてリィンの前に出る。
そんな思った以上に子供っぽい仕草にリィンはやはり居たたまれないものを感じる。
「どうしたものか……」
途方に暮れるように呟き、リィンはクルトの後に続く。
結局、クロスベル市に着くまでろくな会話をせずに到着してしまう。
「何か食べたいものはあるか?」
「いえ、そんな――」
「その様子だとミラの持ち合わせもないんだろ? 遠慮しなくていい……
それに手合わせをしたいというなら、ちゃんと万全の態勢を整えておくのも戦士の条件だぞ」
リィンの指摘にクルトは俯いて口を噤む。
全身で不服だと訴えているクルトの態度に苦笑する。
まるでリベールに入国したばかりの自分を見ているようだと思う。
あの時は、誘われる側だったと思うと感慨深い。
オリビエもこんな気持ちで自分を見ていたのかと思うと、無遠慮に構ってきたのも納得である。
――ただこの子にあんなトラウマを作らせないようにしないと……
まだ未成年なリィンがその手の店に入れるわけではないのだが、妙な使命感に思わず拳を握る。
「…………ん?」
「どうかしましたかリィンさん?」
徐に振り返ったリィンにクルトは首を傾げる。
「いや……導力車の音が聞こえてきただけだ」
「音……? そんな音は――あ……」
耳を澄ませてクルトはようやく気付く。
まだ導力バスの運行が始まる時間ではない。何事かと様子を見ているとマインツ山道を下ってきたクロスベル警備隊の運搬車がリィン達と少し離れた場所に止まる。
「着いたぞティオ。起きてくれ」
「うう……眠たいです」
「何やかんやでほぼ完徹に近いからなぁ」
「さすがに限界ね」
その導力車から見覚えのある集団が眠い目を擦りながら降りてくる。
「あ……君は……」
「どうも、お疲れ様です。特務支援課のみなさん」
ロイドと目が合ったリィンは昨夜の仕事を労う気持ちを込めて挨拶をした。
*
「そういうことならうちを使ってくれ」
事情を簡単に説明するとロイドの申し出を受け、まだカフェエリアが開放されていないベーカリーカフェ《モルジュ》で一同の朝食をまとめて購入し、特務支援課ビルへと移動する。
「あら……? セルゲイ課長?」
その特務支援課ビルの前で中年の男が朝から煙草を吹かして黄昏ていた。
「よーお疲れさん……なんだ大立ち回りをしてきた後だっていうのに、もう次の依頼人を見つけて来たのか?
いや……そっちの小僧は……ったく勤勉な奴等だな」
リィンの顔を見てセルゲイは肩をすくめる。
「こっちにもお前たちの客が来ているぞ」
「俺達に客ですか?」
「まあ、本当に客なのかは分からんが、妙に馴れ馴れしいというか、ふてぶてしい態度だったけどよ」
要領を得ないセルゲイの説明にロイド達は首を傾げる。
「とにかく中にいるんですよね?」
「…………入ってみましょうか」
一同は緊張しながらも特務支援課ビルの扉を開ける。
入ってすぐの玄関に見覚えのある白い狼が寝そべっていた。
*
「悪いな後片付けをしてもらって」
「いえ、これくらい何でもないですよ……それよりありがとうございます。仮眠室を貸していただいて」
「別に構わんさ。家出少年の保護も警察の立派な仕事の一つだからな……
しかし情けないのはうちの連中だな。たかが一徹したくらいで」
辛口な評価を身内に下すセルゲイにリィンは曖昧に笑って答えを濁す。
特務支援課の一同は朝食をそこそこ食べると眠気がやってきて、報告は後ですると言い残してそれぞれの部屋に戻っていった。
それはクルトも同じで、朝食を食べて腹を満たしたことでそれまで保っていた緊張の糸が緩んだのか、導力が切れたオーブメントのように寝落ちてしまった。
そんな彼を空き部屋のベッドに運び、リィンは朝食の片付けのついでにコーヒーを淹れる。
「どうぞ」
「お、ありがとよ……それで家出少年はお前さんの知り合いなのか?」
「はい。彼はクルト・ヴァンダールと言います」
「ほう……ヴァンダールと言えば帝国の偉い貴族だったか? そんな良い所のお坊ちゃんがいったいどうして?」
「想像はできますが、親御さんに連絡を取りたいので通信機をお借りしてもよろしいですか?」
「ああ、構わんよ……ほれ」
セルゲイは頷いて、手の平大のオーブメントを差し出した。
「これは?」
「新型の第五世代戦術オーブメントだ……こいつには通信機も内蔵されている」
「へえ……」
リィンは感心しながら受け取る。
「それじゃあ、ちょっと失礼します」
「あいよ。屋上があるからそこを使うと良い」
「ありがとうございます」
セルゲイの気遣いにリィンは頭を下げて、屋上に出て、以前ミュラーに聞いた番号を入力して通信機を起動する。
『もしもし?』
『ヴァンダールの方ですか? 朝早くに失礼します。自分はリィン・シュバルツァーと申します……
ミュラーさんか、オリエさんはいらっしゃいますか? クルト君のことでお話ししたいことがあるんですが』
『しょ、少々お待ちください』
………………
…………
……
『すまない、うちの愚弟が迷惑をかけたようだな』
「いえ、オリビエさんに比べればまだまだですよ……ところでどうしてクルトがクロスベルに?」
『ああ、それなんだがな……
先日、セドリック殿下のトールズ入学が皇帝陛下と宰相閣下から認められた……
当然、事前に決めていたように殿下には《クリス・レンハイム》の名で通ってもらうことになり、セドリック殿下は病気で療養することになっている』
「それは俺も聞いています」
『クルトはセドリック殿下の護衛役でな……
今回の一ヶ月の合宿ではそれで誤魔化せたが、在学期間の二年、しかも本来なら一年後にセドリック殿下と進学するはずだったわけだから誤魔化すのは不可能だと言うことでクルトには事情を説明した』
「それで……?」
『最初こそは理性的に話をしていたんだが、途中から雲行きが怪しくなってな……
護衛役として一人で進学することを認めないとクルトは主張し、セドリック殿下はそれに反発……
そしてオリビエの奴が煽った結果、決闘をすることになった」
「結果はクルトの敗北ですか?」
最後は蹂躙されたとはいえ、《黄金の羅刹》のしごきに耐え、《鋼の聖女》と剣を交えたセドリックの実力は一ヶ月前と比べて飛躍して伸びている。
いくらクルトが天賦の才を持っているからといっても厳しい戦いになったはずだろう。
『ああ、これ以上ないくらいにあっさりとな』
「え……そんなに一方的だったんですか?」
聞き返したリィンの言葉に重々しいミュラーのため息が返って来る。
『あろうことか、クルトの奴はセドリック殿下の武器が剣のみだと決めつけ、後ろ腰に装備していた導力銃を見逃していた……
そして鍔迫り合いになった瞬間に、至近距離でな……
まったく護衛役ともあろうものが、隠してもいない武器にやられるなど情けない極みだ』
「まあ……そういう戦い方は実戦でないと学べませんからね」
『そういうことでクルトはセドリック殿下に惨敗を喫して、道場を飛び出してな……
何を思ってクロスベルに――君のところに行ったのかは本人にしか分からんが』
「クルトは手合わせをして欲しいって言っていました……でも、手合わせを望むにしては殺気立っていましたけど」
『重ね重ねすまない……今すぐ引き取りに行く――っと言いたいところだが、早くても明日の夕方になるだろう』
「そんなに急がなくても大丈夫ですよ……それに手合わせするのも構わないですから」
『いや、だが……』
「クルトの気持ちは分からないでもないですから……」
『君の事情と、愚弟の癇癪ではだいぶ違うと思うが?』
「一緒ですよ……悩みの大きさの比べ合いに優劣はありません」
『…………君がそう言うなら、愚弟のことは頼む』
「ええ……ただ俺もどうすれば立ち直るか分からないですから、フォローはミュラーさんに任せても良いですか?」
『…………確かリィン君はリベールに入国した時、最初に戦ったのは《剣帝》だったようだな」
「厳密には少し違いますが、そうですね。でもいったいどこでそれを? あの場には俺とレーヴェ、それに教授しかいなかったはずなのに」
『あのバカが書いている小説だ。どうやら結社側の取材にあの怪盗と結託し、その時に一緒にいた特務兵を特定して聞き出したらしい』
間違った方向に全力を出す二人にリィンは頭痛を感じる。
『まあ、何が言いたいかと言うと、その時の君のように徹底的に潰していい』
「ミュラーさん……?」
『それで潰れるなら、それまでだ』
「厳しいですね」
『守護役とはそういうものだ……できれば俺も立ち会いたいのだが』
「明日の夕方ですよね。何とか時間を稼いでみます」
『すまない……この借りは必ず返す』
「気にしなくていいですよ……それから来るなら遊撃士協会に来てください」
『了解した。それではこれで失礼する』
慇懃な挨拶で通信が切れる。
「とりあえずクルトについてはこれで良いとして――」
リィンはオーブメントを折りたたみ、振り返る。
そこにはツァイトと名乗った白い狼がリィンを睨み付けるようにして待っていた。
「貴様は何だ?」
そしてツァイトの口から出て来たのは人の言葉だった。
いつかのトールズ士官学院第二分校IF
ユウナ
「――って言う感じで家出してきたのがクルト君だったわけよ」
アッシュ
「へえ……お坊ちゃんがその歳で家出とはな(ニヤニヤ)」
アルティナ
「しっかりしてそうですが、意外と子供っぽいところがあるんですね」
ミュゼ
「セドリック殿下を中心にした三角関係なのか、リィン教官を中心にした三角関係か……これは難しい問題ですね」
クルト
「もうやめてくれ……」
その後のIF
リィン
「気が進まないが、このまま持っているのも落ち着かないか」
口止め料として渡された銀耀石の結晶にリィンは唸り、彼へと連絡を取るのだった。
ブルブラン
「マイスターッ! 聖石の追加だっ!」
マイスター
「馬鹿野郎っ! せっかく作った図面が台無しだ……
くそっ! テンションアガットじゃねえかっ!」