翌朝、ギルドに集合した一同。
「はぁ……」
「どうかしたのリィン君?」
頬を押さえるリィンにエステルが不思議そうに尋ねる。
「ちょっと昨日の街の灯が消えた時に転んで、ぶつけたんですよ」
アリサの様子を窺って見るが、頬を膨らませてそっぽを向いて顔を合わせようとしない。
その様子にリィンは内心でため息を吐くと、エステルが顔を引きつらせ、一緒に来ていたティータが申し訳なさそうに肩を小さくしていた。
「そ、それは……」
「あうう~」
エステルたちは昨晩、ラッセル博士の家に泊まったと聞く。
それでなんとなくリィンは昨日の顛末を理解した。
「ラッセル博士の仕業なんですね?」
「ごめんなさいっ!」
「別に責めてるわけじゃないよ」
勢い良く頭を下げるティータにリィンは気にしないでいいと頭を撫でる。
「正確には僕達が調査を依頼した黒のオーブメントが原因だね」
彼女をフォローするようにヨシュアが口を挟む。
「封じの宝杖の力を止めたことを考えればありえる話ですけど……街全体の導力を止めるなんてとんでもないものですね」
「うん、詳しく調査をするって張り切って朝早くに中央工房へ行ってしまったよ」
「はは……まだ会って数日なのにその姿が簡単に想像できますね」
リィンは苦笑して、専用のポーチにしまった戦術オーブメントに触れる。
「できれば最後に挨拶をしていくつもりだったんですけど……」
目新しい研究材料が用意されてそれに夢中になって、素っ気のない言葉を受けることまで容易に想像できる。
「あれ? リィン君、もう帰っちゃうの?」
「ええ、アルティナの戦術オーブメントの安全は確認されましたし、これ以上長居する理由はありませんから」
「そっか……」
「来月には王都グランセルの武術大会に出場するアネラスさんの応援に行くことになってますから、もしかしたらそこでまた会えるかもしれませんね」
「それじゃあそれまでにツァイスでの推薦状がもらえるように頑張らないとね」
握り拳を作って意気込むエステル。
「それならいっそエステルさんたちも出てみたらどうですか?」
「うーん……すっごく興味はあるんだけど、流石に準遊撃士の仕事があるから間に合っても無理かな」
リィンの申し出にエステルは腕を組んで考え込み、名残惜しそうにそれを否定する。
「あの……」
ふいにアリサが恐る恐ると言った様子で声を上げた。
「シャロンは……うちのメイドはいつ来るんでしょうか?」
「依頼書には日にちの指定はあったけど、時間の指定はなかったわ……
でも、昨日の夕方にはグランセルに着いていたそうだから、朝一番の定期船で来るとすれば一時間後くらいかしら」
アリサの疑問に用意していたかのようにスラスラとキリカが応える。
「そうですか……」
と、アリサが納得したところで、まるでそのタイミングを計っていたかのように彼女はギルドに入って来た。
「失礼します」
「え……?」
「エレボニア帝国ルーレ市から来ました、ラインフォルト家の使用人として仕えさせていただいております。シャロン・クルーガーと申します」
スカートの端を持ち上げて優雅な一礼。
シャロンと名乗った女性はその言葉通り、使用人のメイド服を着ている。
メイドといえば、メイベル市長のところのリラを思い出すが、その彼女以上に目の前のメイドには言いようの分からない凄みがあった。
「シャ……シャ……シャロンッ!? どうしてここに!?」
「どうしてだなんて、家出したお嬢様をお迎えに来ただけですわ」
「そうじゃなくて! まだ定期船は動いてないはずでしょっ!」
「それはお嬢様への愛が為せる業です」
「説明になってないっ!」
アリサが叫ぶが、シャロンは微笑みを浮かべてそれを聞き流してキリカたちに頭を下げる。
「遊撃士のみなさん、今回はお嬢様が大変お世話になりました。ラインフォルト家の者に代わり、お礼を申し上げます」
「気にする必要はないわ。民間人の保護は遊撃士の仕事なのだから」
シャロンの丁寧な言葉にキリカは慣れているように対応する。
頭を上げたシャロンは頬を膨らませるアリサに改めて向き直り、微笑む。
「お嬢様、ただいま戻りました」
「シャロン……うん……お帰りなさい」
ふてくされたようにアリサは顔を逸らしてシャロンを迎える。
しかし、その顔はどこか嬉しそうなのは誰が見ても明らかだった。
「とりあえずこの仕事は完了ね、ヨシュア……ヨシュア?」
シャロンを見て、固まっているヨシュアにエステルは気付き、首を傾げながら尋ねる。
「いや……その……」
口どもるヨシュアは少し迷ってからシャロンに尋ねる。
「失礼ですが、何処かで会った事はありませんか?」
「いえ、今日が初めてだと思いますが?」
ヨシュアの質問をシャロンは柔らかな微笑みを浮かべて否定する。
が、それで納得できなかったのかヨシュアは険しい表情を浮かべたままだった。
「ふーん」
「む……」
「えっと……どうしたんですか、二人とも?」
背筋が寒くなる気配をもらすエステルとアリサの二人にリィンは思わず声をかける。
「べっつにー、ヨシュアが年上のお姉さんが好みだったなんて知らなかったなー」
「エステル……いきなり何を言い出すのさ?」
エステルの呟きにしかめていた表情を弛緩させてヨシュアは呆れる。
「それともメイド服が好みなの?」
「いや、そんなことはないんだけど」
エステルの追及にヨシュアは困った顔をする。
「メイド服か……」
「わたし、メイドさんって初めて見ました」
と、アリサはアリサで一人で納得し、ティータは感心したようにシャロンに見惚れている。
ぐだぐだになった空気にシャロンは微笑み、アリサに呼びかける。
「お嬢様……」
「あ……うん……」
それだけでシャロンが言いたいことを察したアリサはエステルたちに向き直る。
「えっと……みなさん、いろいろと御迷惑をお掛けしました……わたしはシャロンと一緒にルーレに帰ります」
「もう大丈夫なのかい?」
「はい。ヨシュアさんに愚痴を聞いてもらって、気持ちの整理が少しできました。本当にありがとうございました」
リィンと話した時とは打って変わった丁寧な言葉遣い。
顔を上げたアリサと目が合うが、あからさまにリィンを無視する。
ヨシュアへの対応と真逆の対応にリィンは肩を竦める。
「それじゃあ、失礼します」
ギルドから出て行く二人を見送り、リィンは大きくため息を吐いた。
「リィン君、アリサさんと何かあったの?」
「あ、いえ特に何もありませんでしたよ」
「あら、そうなの?」
エステルの質問を誤魔化そうとすると、キリカが口を挟んできた。
「てっきり昨日の導力停止現象の時に彼女と不本意な接触をしてしまって機嫌を損ねたと私は思ったんだけど、違うかしら?」
「キリカさん……もしかして見ていたんですか?」
「今ある情報からしかるべき判断をしただけよ」
にこやかな笑みを浮かべるキリカにリィンは脱帽し、昨夜のことを簡単に説明した。
「あはは、災難だったねリィン君」
「まあ、うまく助けられなかったのは俺ですから別にいいんですけどね」
一発殴られたことは良いとしても、助けようとしての行動なのだからそこは理解して欲しかった。
「ラインフォルトといえば、帝国でも貴族に匹敵するほどの大企業で資産家ですから……
まあ、典型的なお金持ちの癇癪だと思っておきますよ」
例え自分に非があったとしても頭を下げない貴族など帝国では掃いて捨てるほどいる。
彼女も将来そんな風になると思えば、わざわざ御機嫌を取る気にはなれない。
それにもう二度と会うこともないのだから、なおさらだった。
「それじゃあ俺たちもこれで失礼します。ラッセル博士によろしく言っておいてください」
「うん。それじゃあ今度は王都で会おうね」
「アネラスさん達によろしく」
「リィンさん、いろいろありがとうございました」
それぞれに別れを告げて、リィンとアルティナはギルドを出る。
そして何事もなく搭乗手続きを終え、定期船に乗り込む。
朝一番の定期船なだけに他の乗客の姿はほとんどない。なかったのだが――
「げっ……」
「うわ……」
ギルドで別れたはずのアリサが目の前に現れ、リィンは思わず呻く。
二度と会うことがないと思っていたのに、さっそくの再会にリィンは思わず呻く。
「何であなたがここにいるのよっ!?」
「それはこっちのセリフだ。帝国へ帰るなら王都からの国際船に乗るはずだろ?
ツァイスからなら逆周りの定期船に乗ればすぐだろ」
「そんなこと分かってるわよ……
ただシャロンがせっかくリベールに来たんだから定期船で一周しようなんて言い出したのよ」
「つまりは観光か」
「そうよ。文句ある?」
今にも噛み付いてきそうなアリサの剣幕にリィンは肩を竦める。
「別にないよ。俺たちは向こうの席に座るから、それじゃあ……行こうアルティナ」
無表情ながらもアリサを睨んでいるアルティナを促して、リィンはアリサから離れようとする。
が、その前にメイドのシャロンが立ち塞がった。
「あら? 貴方は先程、遊撃士協会にいらっしゃった……」
首を傾げるシャロンはリィンとアリサを交互に見比べる。
「そういえばあの時は名乗ってませんでしたね……
俺はリィン・シュバルツァー。帝国のユミルを治めているシュバルツァー家の養子です。今は訳があってリベールの遊撃士ギルドでお世話になっています」
「あら、これは御丁寧に、改めましてシャロン・クルーガーです」
「シャロン……そんな不埒な人に挨拶なんてしなくていいわよ」
刺々しい言葉にリィンは顔をしかめる。
「いえ、そういうわけには……あら? リィン・シュバルツァー……もしかしてあのリィン様ですか?」
「あ……」
シャロンの言う『あの』が何なのかリィンはすぐに察しがついた。
彼女の家は貴族ではない。
それでも大企業だからこそ、貴族の社交界に招待されていてもおかしくない。
そこで自分のことを聞いたのだろう。
――いや、大丈夫だ……
例え、ラインフォルト家が養父を罵った貴族と同じだったとしても今なら難なく聞き流せる自信がリィンにはあった。
「たぶん貴女が聞いているリィン・シュバルツァーで間違いないと思います」
「そうでしたか、貴方があの超帝国人、リィン・シュバルツァー様ですか」
「ええ、超帝国人の――えっ……?」
聞き流すはずだった言葉をリィンは聞き流すことができなかった。
「超帝国人? 何それ?」
「超帝国人とは帝国に伝わる伝説の戦闘民族――」
「ちょっと待ってくださいっ!」
アリサに説明を始めるシャロンをリィンは慌てて止める。
「シャロンさん、それはいったい何処から聞いた話ですか?」
ルーアンでの出来事、とくにその件はその場にいた者しか知らない秘密だった。
リィンがオリヴァルト皇子を騙った事はリベールの偉い人たちに事情を説明して知られているが、そのことについては彼らにも話していないとリィンは聞いている。
「実はわたくしの一つ下の後輩があの場にいらしていたんです」
「メイドかっ!?」
言われてみれば確かにあの屋敷にはメイドがいた。
「ちなみにその後輩は同僚や上司に貴方様のことをそれはもう熱く語っておりましたわ」
その言葉にリィンはがっくりと膝を着いた。
「ど……どうしてこうなった……」
そう嘆かずにはいられなかった。
どういう因果が巡って、ルーアンに勤めていたメイドが帝国のルーレに拾われたかは分からない。
だが、ラインフォルト家で自分の黒歴史が知れ渡ったと思うと死にたくなる。
「シャロン、それで超帝国人って?」
アリサはアリサで人の弱味を見つけたかのように、嬉々としてシャロンに説明の続きを促す。
「やめろ……」
それ以上言わないでくれと、リィンは慟哭する。
「そうですね……一言で言うならば」
「やめてくれっ!」
「魔法少女まじかるアリサでしょうか?」
「いやぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴を上げたのはアリサの方だった。
「ちなみにこれがその時のお嬢様の写真です」
おもむろに取り出した一枚の写真をシャロンはリィンの前に差し出し――直前にアリサがそれを奪い細かく破る。
「見た?」
殺気を帯びたアリサの視線にリィンは唾を飲み、首を横に振る。
「写真は見えなかったけど……」
「けど?」
リィンはアルティナに視線を向けて、少し前に着せ替え人形にされた時の服を思い出す。
「もしかしてピンクの――」
言葉は途中でアリサに襟首を掴まれて途切れる。
「今のことは忘れなさい。私もさっきのことは忘れる。良いわね?」
凄む目の力にリィンはコクコクと何度も首を縦に振る。
「クス……」
そんな二人に元凶のシャロンは微笑を浮かべる。
「シャロン……何がおかしいのよ?」
「いえ、あのお嬢様にこうしてボーイフレンドができたと思うとシャロンは感無量です」
「はぁっ!? ボーイフレンド、こいつとっ!?」
「これまで貴族の子供からは疎まれ平民の子供からは特別扱いされて、友達のいなかったお嬢様にもようやくお友達が、ううっ……」
「下手な泣き真似しないでちょうだいっ!
こんな不埒で弱くて情けない男が友達なんてこっちから願い下げよっ!」
「悪かったな情けなくて」
「はぁ……これがヨシュアさんだったら私も……」
ごにょごにょと何かを呟くアリサにリィンはため息を吐く。
「お嬢様……」
「な、何よシャロン。私は別にヨシュアさんのこと――」
「彼はいけません」
「シャロン?」
「彼はお嬢様に相応しくありません」
先程までの場を引っ掻き回していた楽しげな雰囲気から打って変わって真面目な声と目でシャロンは否定を口にした。
「彼は虚ろな人形。人の振りをしている道具でしかありません。彼に思いを寄せたところでお嬢様は不幸になるだけです」
「シャロン……?」
穏やかな表情のまま、らしくもなく人を貶すシャロンにアリサは戸惑う。
「ちょっと待て」
あまりに一方的なシャロンの言葉に静かな怒りを感じてリィンは割って入る。
「今日会ったばかりの人をそんな風に言うのは失礼じゃないんですか?」
「ええ、ヨシュア・ブライト様に会うのは今日が初めてです」
「それはブライトじゃないヨシュアさんを知っているっていうことですか?」
その問いにシャロンは肯定も否定もしなかったが、そうなのだとリィンは判断して続ける。
「貴女がヨシュアさんの過去の何を知っているか知りませんが、今のヨシュアさんのことを知りもしないで勝手なことを言わないでください」
「例え今がどんなに善人を装っていたとしても彼の過去は消えませんよ」
「そうかもしれないけど……だけど今は正遊撃士を目指して立派にやっています」
「それは演じているだけです」
リィンの弁解をシャロンは冷たく否定する。
「事情があって多くは語れませんが、人を欺くことに関しては彼は一流です……
そしてその本性は不幸と災厄をもたらす、穢れた存在……ですからお嬢様、彼のことなんて忘れて――」
「いい加減にしろ」
リィンの感情が怒りにざわめく。
「何も知らないくせに勝手なことを言うな……」
「何も知らないのは貴方の方ではありませんか?」
「違う……過去のことじゃない……
ヨシュアさんが今、エステルさんのことをどれだけ大切に思っているのか知らないだろ」
『僕の過去が父さんやエステルに迷惑をかけた時、僕の過去がなんらかの形で僕に接触してきた時、僕は二人の前から姿を消す……
そう五年前にカシウス・ブライトと約束したんだ……これは僕にとって絶対に譲れない一線なんだ』
かつてヨシュアが語った覚悟。
確かにその言葉通りならいつかヨシュアはエステルの前からいなくなるかもしれない。
だが、それは決してシャロンが言うような後暗いものによるものではない。
「俺は知っている……
ヨシュアさんが今も『闇』に苦しんでいるのを、それでも必死に今を頑張っているのを……
それが装っている? 欺いている? ふざけるなっ!」
「貴方が何を言おうが真実は変わりませんわ」
怒鳴る声にまったく動じないシャロンのすまし顔にリィンは苛立ちを募らせ、気付けば口を滑らせていた。
「だいたい相応しくないって言うなら、そっちのアリサの方がヨシュアさんに相応しくないだろ」
「それは聞き捨てなりませんわね」
そう言ったシャロンの顔は穏やかな表情だが、その目に確かな感情を見せていた。
その反応に確かな手応えを感じ、勢いのままにリィンは溜め込んだ不満ごとぶちまける。
「ただ母親の関心を引きたくて家出した子供が、それこそあのヨシュアさんに釣り合うわけないっ!」
「言いましたね」
「事実だろ。家出して、勝手に人を痴漢扱いして暴力振るって、助けたのにお礼どころか罵詈雑言……
ああ、そうだな。貴女は正しい……
そんな子供がヨシュアさんの抱えている『闇』を知ったら、今回みたいにすぐに逃げ出すだろうさ。エステルさんと違って」
「あの娘が彼の『闇』を受け止められるとでも言うつもりですか?」
「つもりじゃない。受け止められるに決まってる」
「ありえませんわ。あんな穢れを知らないきれいなだけが取り得の小娘に、彼の業を受け止めることなどできませんわ」
リィンの断言にシャロンは失笑し、妙案を思いついたと冷笑を浮かべる。
「それでしたらリィン様、一つ勝負をしましょう」
「勝負?」
「ヨシュア様が一年後、遊撃士を続けていられるか……
彼が遊撃士をやめていればわたくしの勝ち、その時は帝都のドライケルス広場で先程のお嬢様への暴言を土下座をして謝っていただきます」
「なっ!?」
帝都のドライケルス広場と言えば、エレボニア帝国の首都ヘイムダルの中央広場。
皇城バルフレイム宮が望める有名な場所で、リィンでも知っている。
「それは……」
流石にそんな有名な場所で土下座を強要されることにリィンは尻込みする。
「あら、あれだけの啖呵を切られたというのに自信がないのですか?」
「っ……」
反発して、承諾しそうになるのをリィンは最大の自制心でそれを止める。
自分が恥をかくことくらいは問題ではない。
しかし、それをすることでシュバルツァー家の名前を貶めることまでは決して容認できない。
そんなリィンの躊躇いを見透かすようにシャロンはさらに追い討ちをかけてくる。
「もしわたくしが負けた場合は、そうですね……
ラインフォルト家との契約が終わった後になりますが、一生貴方専属のメイドになって上げてもよろしいですよ」
「シャロンッ!?」
「お嬢様、御心配には及びません。これは確実に勝てる勝負ですから」
「っ……」
その物言いにリィンは改めてカチンとくる。
ヨシュアが、ひいてはエステルが軽んじていられるようで気に入らなかった。
「分かった……その勝負受けてやる」
それこそ、シュバルツァー家から勘当される覚悟をしてリィンは言い放った。
「ちょ、あなたまで何をっ!?」
「ただし、勝利条件は変えてもらう……
ヨシュアさんが一年後に遊撃士を続けていること、エステルさんがちゃんとヨシュアさんの過去を受け入れていること……
その上であんたが思っている妙な自信を全部打ち砕いたら、俺の勝ちだ」
「あら、それはまた随分と大きく出ましたね」
「何だ? あれだけ言っておいて自信がないのか?」
呆れたシャロンの物言いに、リィンは挑発を返す。
笑みを貼り付けた表情をかすかに引きつらせ、シャロンはその挑発を受け入れた。
「いいでしょう。わたくしが万に一つでも負ければ専属メイドなどとは言いません。奴隷でもなんでも好きにしていいですよ」
「それはこっちのセリフだ。もし負けたら土下座どころか、その子の奴隷でも何でもやってやる」
「その言葉、違えさせませんよ」
「そっちこそ」
リィンとシャロンは睨み合い火花を散らせる。
そこに――
「いい加減にしなさいっ!」
完全に置いてけぼりにされたアリサが叫んだ。
*
「ちょっと待って!」
ボースに着き定期船から降りるリィンたちは呼び止められた声に振り返る。
「何か用か……?」
できるだけ平静を装ってリィンは追い駆けてきたアリサに向き直る。
あのメイドの物言いにムキになって、直接関係のないアリサのことを罵ってしまったことは失態ではあるが、言った言葉はリィンの本音でもあった。
別に謝罪やお礼が欲しいわけではなかった。
しかし、目の前の少女の我侭にいつまでも我慢していられるほどにリィンは大人にはなれなかった。
「う……」
リィンの冷めた視線に睨まれてアリサは怯む。
口篭る彼女の背後にあのメイドの姿を探すが、あのメイドの姿はどこにもなかった。
「シャロンなら席で待ってもらっているわ」
「そう……」
素気なくリィンはアリサの言葉に頷く。
「それで、何の用だ?」
「えっと……」
口篭るアリサを無視してこのまま行ってしまおうかとリィンは考える。
リィンのアリサへの評価は養父を口汚く罵った貴族と同等。
彼女が将来、そんな貴族と同類になったところでリィンは関心を向けるつもりはない。
なかったのだが――
「ごめんなさいっ!」
「え……?」
勢い良く下げられた頭にリィンは虚を突かれた。
「さっきの貴方の言葉を聞いて、自分がしたことを改めて振り返って……その……
夜のことも元はと言えば、私があんなところでふざけたせいだし……とにかくごめんなさい」
「驚いたな……まさか君がそんな風に謝るとは思わなかった」
「どれだけ私の評価は低いのよ」
「聞きたい?」
「……やめておく」
アリサは改めてリィンと向き直る。
「まず最初にごめんなさい……母様が迎えに来てくれなかった八つ当たりで貴方にひどいことして……
それからありがとう。鍾乳洞とエスカレーターで助けてくれて」
「ああ……うん……」
素直に謝って感謝の意を伝えてくるアリサにリィンは今までの我侭娘の印象しかないアリサとのギャップに戸惑う。
「な、何よ……ちゃんと本心からの言葉よ」
「それは分かっているんだけど……さっきのことがあるから」
勢いに任せて散々罵ってしまったことを考えると、素直に謝られるとバツが悪くなる。
「そんなの気にしなくていいわよ。実際、さっきまでの私は相当ひどかったから」
自分の非を認めるアリサ。
それまでどこか張り詰めた印象があった彼女だったが、今は自然体に見える。
おそらくはこれが本来の彼女の姿なのだろう。
「それでシャロンのことなんだけど……」
「君には悪いけど、今ここで君に謝ることはできないよ」
勝負は成立した。
そこからリィンは逃げるつもりはない。
「でも、負けたら奴隷になるって……」
「それは確かに売り言葉に買い言葉だったけど……」
「私がシャロンをちゃんと説得するからなかったことにできない?」
「まあ、奴隷は言い過ぎだと俺も思うけど……」
「それじゃあ、負けた方が私か、ヨシュアさんたちに謝る。土下座はなし、それでいい?」
「ああ。それでいいよ」
アリサの勢いに負けてリィンは頷くとアリサは安堵のため息を大きく吐き出した。
「なんかすまない」
「いいわよ。元は言えばシャロンが言い出したことだし、でも普段はあんなことを言う人じゃないのよ」
「あの人……普通のメイドじゃないみたいだけど。何者なんだ?」
メイベル市長のメイドであるリラと比べると、シャロンは異質だった。
言動の端々には後ろ暗い過去が見て取れるし、武芸者の目から見ても彼女が武芸に長けていることは分かる。
おそらくは自分よりも強いだろう。
主人を守るために、その方面のスキルを持っている従者もいることは知っているが、シャロンのそれは少し違う気がした。
「さあ、シャロンは母様が雇っているだけで昔のことはあまり知らないの」
「そうか……」
ある意味で彼女はヨシュアに似ているのかもしれないと考える。
ヨシュアの『闇』を知っている。
それは彼女も同じ様な『闇』を抱えているからこそ、彼をあそこまで罵ったのかもしれない。
もしかすれば、ヨシュアを罵った言葉は自分自身に向けた言葉だったとも考えられる。
「ね、ねえ、それはそうと……ヨシュアさんに私が相応しくないって本当にそう思う?」
「え……どうだろな……」
先程は勢いに任せて捲くし立てたが、それは彼女が自分の非を謝らないタイプの人間だと評価していたから。
こうしてちゃんと頭を下げることができるのなら、その評価も変わってくる。
が、改めてその人に相応しいか、そうではないかと判断できるほど、ヨシュアのこともアリサのこともリィンは分かっていない。
「ただシャロンさんが言っていた通り、ヨシュアさんには相応の過去があるみたいだから……でも……」
「でも?」
「いや、何でもない」
言葉を濁すリィンにアリサは顔をしかめる。
「いいから言って、どんな悪口だったとしてもちゃんと聞くから」
真剣な眼差しにリィンは考えたことをそのまま伝える。
「エステルさんと比べると、アリサは随分と頼りないって思ったんだ」
「エステルさんって……確かヨシュアさんのお姉さんなのよね?」
「義理だけどね」
「義理か……それならチャンスはあるかな……」
「いや、素直に諦めた方がいいんじゃないか? ルーレとリベールとでは遠いし……
それに初恋なのかもしれないけど、それはたぶん吊り橋効果って言うやつだと思うんだが」
「い、いいじゃない別にっ! それに初恋じゃないわよっ!」
「そうだったのか?」
「ええ、私の初恋はヨシュアさんみたいに格好いい男の子よ……
雪が降っている森の中で迷子になっていた私を――って何言わせるのよっ!?」
「そっちが勝手に話し始めたんだろ!?」
理不尽に怒鳴られるが、今回は不快には感じなかった。
『ロレント方面行き定期飛行船《リンデ号》まもなく離陸します。御利用の方はお急ぎください』
「そろそろ出るみたいね」
「そうみたいだな。俺はまだ当分リベールにいるけど、ユミルとルーレは近いし縁があったらまた会おう」
「ええ、そうね。アルティナちゃんもバイバイ」
「っ……」
屈んでアリサはアルティナに話しかけるが、そのアルティナはアリサから距離を取って身構える。
「あう……自業自得だけど、小さな子供に身構えられると罪悪感がすごいわね」
そんなアルティナの反応にアリサはがっくりと肩を落とした。
最後に挨拶を交わしてとぼとぼと定期船の甲板に戻っていくアリサをリィンは苦笑交じりに見送った。
*
「ただいま戻りました」
ボースの遊撃士支部に帰ってきたリィンたちだが、二人を出迎える者はそこにいなかった。
「あれ……?」
がらんとした室内。
普段はルグランがいるはずの受付には大きなポストが乗っているだけだった。
「えっと……ただいま留守にしております……
ご依頼の方は右手の用紙に依頼内容を記入の上、こちらの箱にご提出ください――遊撃士協会 ボース支部」
珍しいものにリィンは首を傾げる。
ボースには受付の専任であるルグランがいるとはいえ、彼も四六時中受付に座っているわけではない。
この数ヶ月の間、ルグランがいない時はリィンが受付を行っていたのでなおさらこのようなものは必要なかった。
「ランチでも食べに行ったのかな?」
時計を見てみるが、正午にはまだ早い。
それでもルグランが席を外しているのに待機要員の一人もいないのはおかしかった。
「何処に行ったんだろうな、みんな?」
「ん……」
リィンの言葉にアルティナは分からないと首を横に振る。
「とりあえず、荷物を置くか」
考えていても仕方がないと。
リィンは階段を上って宛がわれている元は仮眠室の部屋の扉を開ける。
「え……?」
そこには乱雑に重ねられた銃が所狭しと散らばっていた。
「何だこれ?」
床に落ちている銃をリィンは拾う。
オリビエが使っている護身用の拳銃型ではなく、銃身の長い軍用のライフル。
「導力器じゃない?」
銃器の知識に詳しいわけではないから断言できないが、一見してそれがオーブメントには見えなかった。
そんな風に銃器の山の前で首を傾げていると、そこに階下からバタバタと物音が聞こえてきた。
階段を駆け上がる音はそのままリィン達がいる部屋にやってくると勢い良くドアを開いた。
「アネラスさんっ!?」
「あっ! 弟君にアルティナちゃん、帰ってたんだ」
現れたアネラスはリィンと驚く。
「ええ、ついさっき帰って来たところです。あの、これはいったい?」
「あはは……ごめんね。ちょっと急な事件でリィン君たちの部屋を貸りて置かせてもらったの」
と言いながら、アネラスは背負っていた大きな鞄を降ろしその中身、部屋に散らばっているものと同じ武器を出して行く。
「詳しいことは街の中にいるルグランじいさんに聞いてくれるかな」
「え……あの……」
「私はこれからヴァレリア湖の方に行くから、それじゃ」
空になった鞄を背負い直してアネラスは止める間もなく走り出した。
「何が起きているんだいったい?」
「ん……?」
訳が分からない状況にリィンとアルティナは一緒に首を傾げた。
*
その日、ハーケン門に賊が侵入した。
その賊が盗み出したのは導力技術が普及したことにより使われなくなり死蔵された火薬を使った旧型の銃火器。
その数は膨大だったが、誰にも目撃されることなく一夜にして保管庫は空にされ、一枚のカードだけが残されていた。
忘れられし武具。
戦いを忘れ、朽ち果てるのを待つばかりの英霊に栄光の光を再び灯さん、私は解放者なのだ。
数多の鋼は我が手中にあり、解き放たんと望むならば52の試練に打ち勝つがよい。
怪盗B
いつかのトールズ士官学校
シャロン
「初めまして、アリサお嬢様のご実家《ラインフォルト家》の使用人……
そしてそちらのリィン・シュバルツァー様の未来の奴隷のシャロン・クルーガーと申します」
リィン
「シャ……シャシャ、シャロンさんっ!?」
その日、入学から積み重ねたリィンの好感度はリセットされた。